■■ 喝! 天空海闊 ■■
2017年6月8日
政策決定のプロセスの透明性を高め、その経緯と結果を公開せよ!
今年の流行語大賞決まり!と思われる言葉がある。それは「忖度」である。この意は、他者の気持ちを推し量ること。 「以和為貴(和を以て貴しと為す)」を旨とする日本社会においては、尊重されるべき言葉であるはずだが、森友&加計学園報道で多用されるや、すっかり後ろ暗いイメージが定着してしまった。「アベトモ」問題といった方がわかりやすいかもしれない。昔、「 政治主導」の言葉も同じように、本来は「省益あって国益なし」と揶揄されるほど国家戦略性に乏しく、透明性に欠けていた日本の政治を、国民の代表である政治家がリードすることで抜本的に改革しようという、純粋な志のもとで実行されたはずである。 それが、いつの間にやら政治主導は官邸主導にすり替わり、モリだのカケだの蕎麦屋の出前じゃあるまいし、総理および総理側近とお友達の手前勝手が通るシステムになり下がったかのような、負の印象を世間に持たれるようになってしまった。 報道がヒートアップしてくると、「総理夫人は籠池氏に100万円渡したのか」とか「『総理のご意向』と書かれた内部文書が文科省にあったのか」といったスキャンダラスな話題で問題の論点がすぐにズレてしまっている。森友・加計学園問題で明らかにすべきことはただ一つ。 疑義を持たれているような政策決定の結果、税金の無駄遣いがあったのかなかったのか、税金を支払っている国民に対し損害が与えられたのか否かの、その一点であると思う。
たとえ右翼教育を施す小学校に、積算根拠を示す公的データも保存しないまま8億円値引きして土地が払い下げられ、異例の超特急で認可が与えられたとしても、たとえ長年新設が見送られていた獣医学部が、たった2ヶ月の急展開で突如設置が認められ、そこに36億円もの土地が市から無償譲渡されたとしても、たとえその主たる受益者が総理やその夫人に近しい人物だとしても、その結果が税金の負担者である国民の利益になるのであれば、それはそれで良い政策決定であったと思う。 しかし、多くの税金を投入してやってみたらダメでした…では困る。民主主義の世の中では、政策決定に至るプロセスで様々な審査や手続きを経て、数多くの人々から客観的な評価を受け、透明・公性に物事を決めるのが筋である。 そうした手続きやプロセスを、岩盤規制にドリルで穴を開ける美名のもと、今回のモリ・カケ問題のようにスルーにし、なぜ私たちの支払った巨額の税金が使われるのか、通常の手続きが何段階も割愛されたのか?とか、なぜ政策決定の根拠となったデータなどの情報を政府は示せないのか?などと、国民にとってはとても不安になってくる。 岩盤規制にドリルで穴をあけるという、耳障りの良い言葉を連発しているが、そのドリルは透明公正に穴をあけるのが筋であるのに、「何とかの意向」であけられてしまうことも問題である。そこにもって、「事務次官」という社会的信頼性が高いとされる役職にこの間まで就いていた人物までもが、政策決定に対し官邸からの圧力があったと公言してしまったら、なけなしの給与から血税を国や地方自治体に託している一般市民としては、とても不安になってくる。
「利権構造をぶっ壊す、利権にまみれた自民党をぶっ壊す」と、分かりやすいワンフレーズで、国民に直接訴えかけた小泉首相。 しかしその任期中に利権構造は壊されることなく、官僚が握っていた権力は結局は官邸へと移行されただけである。 官僚から官邸へと権力の中枢が移行したことにより、政策決定のプロセスは格段に“不透明感”を増している。 現在は、官邸という密室で限られたメンバーのみにしか情報が開示されぬまま政策決定が為され、それが数の力で国会を通過して行く。 政治主導と官邸主導は、まったく異なる。 官邸主導には、正当な評価も透明性も存在しない。総理という個人の意向で集められた限られたメンバーが情報公開を行わないまま、事実上政策を決定し、官僚を含めた政府内の主要人事まで決定してしまえば、お手盛りや忖度による不正を阻止する機能はないのも同然である。 これからは「 政策決定プロセスの透明性を高め、各段階で議論の場を確保し、その経過と結果を公開すること」が必要ではないだろうか。