2020活動日誌 3月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2020年3月26日 晴れ 16℃
巣ごもり消費が活発化しそう!
春なのに何だか、今年はいつもとは違う街並みの様相である。新型コロナウイルスの感染拡大で外出を控えて自宅で過ごす人が増え、家で食べるカップ麺や冷凍食品、総菜などの売り上げが大きく伸びているという。缶ビール類もよく売れているという。宴会が自粛され、家でグラスを傾ける人が多いのだろう。飲食店に宅配サービスを求める声もあるようだ。これらを「巣ごもり消費」というらしい。最近は単身者の増加で「お一人様」向けのビジネスも活発化している。他人と関わらずに自宅で完結する消費行動は案外、自然に受け入れられているのかもしれない。とはいえ、街角では観光客や買い物客が急減し、株価も大きく値を下げている。感染は欧米にも広がり、終息する見通しは立っていない。店の経営にとって厳しい状況は長期化しそうだ。経済活動の停滞による消費の縮小は、巣ごもり需要で穴埋めできる規模ではなかろう。ただでさえ節約志向の強い消費者の購買意欲をかきたてるのは難しい。従来の発想にこもることなく、柔軟に知恵を絞っていくしかないが、政府が要請した臨時休校は、家でできるカードゲームや学習ドリルの販売も増やしたが、子どもたちの受けとめはどうだろうか。自宅にこもる生活からは、一日も早く巣立たせてやりたい。大人もそうである。
2020年3月23日 晴れ 15℃
無理が通れば道理が引っ込むーこの現実を直視せねば!
週刊文春で掲載した森友学園問題で自殺した財務省近畿財務局職員が残した手記を読むと、まさに異論を許さない巨大な権力を握る組織の姿が浮かぶ。本省理財局長の意向を受けた部下たちが一切の異論を許さず、文書の改ざんに手を染めていく過程が生々しく記録されている。繰り返し改ざんを要求された財務局職員は強く抵抗している。直属の部長も、当初は「応じるな」と命じていた。ところが本省からの電話攻勢を受け、次第に容認姿勢に転じてしまう。本省から出向していた次長に至っては「元の調書が書き過ぎているんだ」と言い放ち、改ざんを進めた。理財局長の意向を忖度した部下は、修正の範囲をどんどん拡大していった。「うそにうそを塗り重ねる」対応が広がった。根本にあったのは理財局長の指示と明言した財務局職員は、手記を書いて間もなく命を絶った。「無理が通れば道理が引っ込む」という。桜を見る会や検事長定年延長の問題でも官僚らの無理筋な言動は続いている。仮に異論を唱えても、組織はその異論を排除する。組織が一定の方向ばかり見るようになり、得てして責任者は判断を誤るようになる。本当に日本の道理はどこへ行ったのだろうか。
2020年3月19日 晴れ 15℃
山桜を見つけるのが「一人でする花見」の醍醐味である!
我が家の梅林も梅の花もちらほら咲き始めてきた。青空にキラキラと輝く梅の花もきれいだ。そして自生の桜も今年は早いのではないだろうか。特に小鳥がいるかどうかが重要だ。小鳥は桜の種子を運ぶ。生息しないところには、自生の桜が存在しないという。人知れず咲く山桜を見つけるのが「一人でする花見」のだいご味であり、見つかれば、誰も知らない「自分だけの桜」に会いに行きたくなる。それが本当の花見だと思う。新型コロナウイルスの感染拡大で花見の自粛ムードが広がっている。でも桜と向き合うひとときをできることなら大事にしたい。今年はせめて「一人花見」で心癒やす時間ぐらい持ちたいものである。日本気象協会によれば今年の桜の開花予想は、仙台では25日。今日は気温も15℃まで上昇した。そして花見の前に車タイヤ交換に精を出す。そしてイノシシ用の電柵のバッテリーも弱ってきたので発電機で充電を行った。春の農作業の準備をしながら「花見」を楽しみにしている。本当に今日は暖かいなあ。。。。
2020年3月17日 曇り/晴れ 11℃
登山ハイキングは楽し!
きのう日中の降雪には少し驚かされた。それでも3月である。地面に触れるとほどなく消えてゆく。この時期の天候は行きつ戻りつ、非常に不安定である。東京でも14日は真冬並みの寒さにもかかわらず、ソメイヨシノの開花宣言が発表された。観測史上で一番早く、しかも全国の最早地点となった。いうなれば、冬から春へと移ろう胎動でもある。季節の変化を目にして期待を膨らまる時期でもある。そんな中、登山仲間「やまびこMLC会」メンバ8名で仙台市近郊の秋保地区にある「戸神山」へ登山へでかけた。登山道の道端にへばり付くように生えるオオバコ。相撲草とも呼ばれ、子どものころ茎を引っ張り合って遊んだ記憶もあるだろう。硬い土を好み、人や車に踏まれても枯れることのないたくましさがある。雑草ゆえの忍耐強さが見る人を勇気づける。降り納めの名残雪と東京からの桜便り。仙台の開花予想は25日~27日という。春はそこまで来ているが、今年は新型コロナ対策で国を挙げてイベント自粛の渦中にある。桜咲く春を楽しむか、根強く忍ぶか、微妙な雲行きである。でも自然と戯れるひとときが救いでもある。
2020年3月12日 曇り/晴れ 12℃
野趣に富む早春の味わいを楽しみ、英気を養ってほしい!
近くの山々を見ると、ちらほらと咲くヤマザクラを見かけた。今年は記録的な暖冬のせいか、春の訪れが早いようだ。2月中旬にフキノトウも顔を出し始めた。フキノトウはおなじみだが、野趣に満ちた独特の苦みが特徴だ。フキ味噌や天ぷらなどで春の旬の味でもあり、私は春を呼ぶ山菜類が好物でもある。フキノトウは痰切りや咳止めに加え、消化促進や食欲増進、血止めにも良いと聞く。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、選抜高校野球などイベント中止が相次いでいる。学校の長期休校や景気失速も相まって、日本は“コロナ疲れ”に陥っている。テレビやラジオ、ネットを見れば「コロナ特集」の情報で覆われている。我が家の生活は多少、コロナには縁遠い畑や山を相手にした自然と向き合う生活スタイルでもある。でも油断せず気を付けながら薬効はともかく、野趣に富む早春の味わいを楽しみ、英気を養うのも一考であるのではないだろうか。こんな時期でもあるので、多くの読者も是非とも自然と大いに遊んでほしい。
2020年3月10日 曇り/小雨 12℃
根も葉もないデマや中傷がネット上などで徘徊増殖しているらしい!
週末はジャガイモ定植前に悠々ファームの土つくり、畝つくりに追われた。終われば、杉林の杉玉切りと家内や仲間と一緒に汗を流す。そして休校中の子供も加わり、一緒に畑仕事や山仕事をするのも楽しいものである。こんな田舎暮らしの中でも、新コロナの情報が流れてくる。新参の病原体はたいてい流言飛語を供に連れてくる。不安と疑心をまき散らしながらその版図を急激に広げていく。新型コロナウイルスも例には漏れず、根も葉もないデマや中傷がネット上などで徘徊増殖しているらしい。たばこ、紅茶、イチゴ…いずれも予防や治療に効果ありと名が挙がったが、根拠はない。やれ「患者が逃げた」とか、やれ「東京五輪は中止」だとか。「生物兵器によるテロ」に至っては、明らかな悪意が潜んでいる。情報の出どころをよく確かめて、怪しい話を口にしない。後手後手に回る政府の緊急事態宣言等をまともにあてにせず、デマ・中傷を防ぐための“消毒とマスク”そして換気を忘れずに自己防衛に徹していきたいものである。
2020年3月4日 曇り/小雨 10℃
今、覆っているのはパンデミック(感染爆発)ではなく、情報が不安をあおる「インフォデミック」である。
4年ごとに2月の終わりが1日増える「うるう年」は、日本では明治5年、大隈重信が中心となって太陽暦を導入したことに始まる。1年はそれまでの太陰暦より11日ほど長くなった。当時、世間の混乱をよそに、相愛の男女は「逢瀬(おうせ)が増えた」と喜んだという噂が流れた。新型コロナウイルスの感染が広がるなかで、学年末の休みが増えた子どもたちは、複雑な気持ちに違いない。全国すべての小中学校などの一斉休校を要請した。安倍首相が打ち出した方針を受け、県内では2日から春休みまで休みにするという。学校現場や家庭、地域に与える影響に心を砕いた判断だ。唐突すぎる政府のこうした対策は、かえって不安や混乱を広げかねない。近所のスーパーでは、マスク増産による紙不足のうわさから、トイレットペーパーやティッシュを買い求める人が相次いでいる。いま、この国を覆っているのはパンデミック(感染爆発)ではなく、情報が不安をあおる「インフォデミック」である。「うるう」を漢字でかけば「閏」。むかし中国で王が門の中に閉じこもり、政務を休んで静養したさまを表す。同じように巣ごもりしながら、ここ1、2週間が瀬戸際という感染症との闘いを見守るほかない。不安な日々がこれ以上、暦に増えないことを願っている。
2020年3月2日 曇り/小雨 10℃
「つじつま」は縫物から生まれた言葉である!
朝から晩まで新型コロナウイルス関連ニュースで世の中は騒然としている。対照的に我が里山暮らしでは連日、杉林の伐採作業(切り出し、運び出し、薪だな積み)、家内は悠々ファーム土つくり(ぼかし肥料)と作業に追われている。そして終了後は近くの温泉で汗を流す生活が続いている。最近「つじつま」と言う言葉をよく聞く。縫い物から生まれた言葉だそうだ。「つじ」は縫い目が十文字になる所、「つま」は着物の裾の両端で、つじつまが合わなければ形を成さず、無理があるということなのだろう。縫製ならぬ法制を揺るがしているのが、東京高検検事長の定年延長を巡るつじつまだ。検察庁法が63歳定年を決め、延長は適用されないという従来解釈を「今回変更した」とした安倍晋三首相の弁明から迷走が続いている。長年の法解釈を改める以上、慎重に検討したはずである。森雅子法相は事前に法務省内で検討して口頭で決裁したと言い始め、人事院の局長は答弁の食い違いを「つい言い間違えた」と修正した。首相が強弁を重ね、官僚らがつじつまを取り繕う光景を何度見ただろうか。森友学園問題では、財務省が決裁文書の改ざんに手を染め、現場担当者が自ら命を絶つ犠牲まで出ている。強引な定年延長は、官邸に近い検察トップ起用への布石とみられている。かつて「憲法の番人」とされる内閣法制局の長官をすげ替え、集団的自衛権行使の容認にかじを切った手法とも重なる。だが、検察や法制局が一定の独立性を与えられているのは、政府の暴走をしばる法治国家のブレーキ役だからにほかならない。政権が恣意的に支配するのでは、国民の信頼とのつじつまが合うはずがないと思う。