2019活動日誌4月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2019年4月28日 曇り/晴れ 20℃
一日を、ふんわりと思いを巡らせながら過ごすのもいいもんである!
時事通信の世論調査では、10連休は「うれしくない」との回答が41%を占め、「うれしい」を4ポイントほど上回った。10日もの休みに戸惑いを覚えたのではないだろうか。過ごし方も「自宅でゆっくり過ごす」が64%に上った。ある方に言わせると休暇についてうるさかった。「余暇は休息ではない・・・本当の余暇とは、好きなことをよりたくさんするための自由であり、何もしないことではない」。こんな言葉を突きつけられると、家でだらだらしていられない 長期休暇を意味するバカンスはフランス語で「空っぽ」が語源。「いないこと」「留守」へと派生した。さすがにバカンス大国のフランス人だけに、家にこもっているわけがない。日本人と違い、休日の楽しみ方を知っている 休みの取り方も随分と異なる。民間調査によると、有給休暇の取得率がフランスは100%なのに対し、日本は50%で世界最下位。そこには「仕事で周囲に迷惑を掛けたくない」という日本人気質がうかがえる 働き方改革と休み方改革は表裏一体でもある。そしてこんな言い方をする人もいる。「精神にとって休閑期は種まき時と同じように重要だ」。10連休とはいえ、序盤はそうそう遠出をしてもいられず、孫の相手に追われている。ただの一日を、ふんわりと思いを巡らせながら過ごすのもいいもんである。台所の床下には今年つくった味噌があり、そろそろ天地返しの時期である。白くうすくかびた表面を取り除き、熟成しつつあるみそをお玉ですくう。煮干しだしの汁の中へ。どんな具材でも、たちまち上等な一品になる。スーパーに行けばいつでも何でも買える。便利さと引き替えに、親から子へ、そのまた子へとつないできた味を簡単に消してしまっている。節句を祝うちまきもこの季節である。味の感触と手が覚えているだろうか。大事なことをゆっくり思い出すのも10連休ならではである。
2019年4月25日 曇り/晴れ 20℃
くぐりぬけたハナミズキの季節がやってきた!
仙台中心街のソメイヨシノは葉桜に姿を変えはじめた。代わりに、道路や公園、民家の庭でハナミズキが咲き始めた。若葉が日ごとに増える中、赤や白、ピンク色の総苞[そうほう]が彩りを添えている。取り囲まれたように真ん中で黄緑色の小さな花を付ける。ソメイヨシノとハナミズキについて調べてみると 二つの植物の縁は深く、1,912年二(明治45)年3月にさかのぼる。当時、東京市長だった尾崎行雄はソメイヨシノの苗木を米国の首都ワシントンに贈った。お返しの品として三年後の1915(大正4)年、北米原産の落葉広葉樹が届いた。その後、全国に広がった。その後、小椋佳さんは、作詞と作曲を手掛けて自らも歌った「くぐりぬけた花水木」を発表した。♪その花の道を来る人の 明るい顔の不思議さに くぐりぬけてみる花水木。元々は歌手の布施明さんに提供した作品だった。明るい曲調が春に似合う。初恋の相手に気持ちをどう伝えようか、との揺れ動く心情が込められているという。気になる人を考え始めると、なぜか頭から離れない。そんな切なさを感じさせる歌詞が続く。誰もが似たような記憶を持つ。ハナミズキを見るたび、若い頃のほのかな思いがよみがえる。さあ、GWも間近に迫り、ハナミズキが主役となり街や山里を彩ってくれる季節がやってくる。
2019年4月21日 晴れ 19℃
地域のシンボルとなれるような建築設計を目指して
この時季、我が家の前にそびえたつ蔵王連峰は、異界が忽然と現れたようにも見える。中腹から頂までひたすら白をまとい、手前の青みを帯びた山並みとは懸絶している。季節が進むにつれ雪は消え、周りと溶け合っていく。山は常に変わらずそこにある。だが見はるかす季節や、時には見上げる側の心情によって相貌を異にする。山に限った話ではない。フランスパリにあるノートルダム寺院の姿である。はじめみたときはの寺院は雨に煙り、なにか心細さを反映して影絵のようだった。ところが次第に、石の建物が心に染みるようになってきたことを思い出す。フランスを代表するその寺院が大火災に遭い、屋根と高さ約90メートルの尖塔が焼け落ちた映像には言葉を失った。200年近くかけて14世紀に完成したゴシック様式の建物は、国や宗教の枠を超え世界の財産である。たとえ時間がかかっても往年の輝きを取り戻す日を待ち望みたいものである。建築家を志す愚息の宮城県山元町役場新庁舎内覧会に参加した。熊本の宇土小学校、千葉県の流山小中学校、岩手県釜石市鵜住居小中学校と公共建築の設計コンペを勝ち抜き、地域と自然と融合する光と風をテーマに地域のシンボルとなれるような建築設計を目指している。今回の山元町役場新庁舎も海と山をつなぎ、人と人をつなぐ要のタウンホールとして町民の方々に愛される建築物になることを期待したい。
2019年4月19日 晴れ 18℃
今年の薪割りもいよいよ終わりました!
暖かくなったと思えば、にわかに寒くなったり、晴天にほっとしているが寒暖の差が大きく、今年の4月は何かと移ろいやすい空模様でもある。きょうは二十四節気の「穀雨」である。文字通り、晩春の温暖な雨の恵みを受け、百穀の芽も伸びる時候を意味している。農家にとっては田畑の作業が本格化するシーズンだ。来月6日にはもう「立夏」が控えている。川崎町の桜は今がまさに満開であり釜房ダムの色どりもあざやかで濃淡の空気があたり一面に漂っている。そして薪ストーブ用の薪割もいよいよ、終わりでもある。朝から家内と二人で薪割機をお借りして、薪割りにいそしむ。これが終われば今度はファーム作業が待ち受けている。そしてこの季節、田舎ならではの山菜採りもはじまる。ワラビやゼンマイをはじめ、タラの芽、ミズブキ、タケノコなど山の幸が待っている。春の山菜は独特の苦みと香りが特徴だ。その主成分のアルカロイドは新陳代謝を活発にし、ポリフェノール類は抗酸化作用が高く老化を防止するという。また山菜の王様・タラの芽は「山のバター」とも呼ばれ、良質なタンパク質と豊富なビタミンを含んでいる。バキバキと薪が割れる音が山里に響き、鳥の鳴き声と共鳴しあっている。家内も慣れたもので、今では私以上に要領よくパキパキと動き回る。里山の恵みに感謝しながら、気持ち良い汗水流す田舎暮らしが今年もまた続くのだろう。
2019年4月18日 晴れ 19℃
お花見との格闘に追われ。。。。
朝の出勤途中にある仙台市若林区舟丁の駄菓子店石橋屋の50メートルほど北側の住宅街の中に、静かに、見事に、ソメイヨシノの大木が花を咲かせている。この桜の前に貼り紙がある。「この桜は 今年で見納です 70年間ありがとう」と。道路の拡幅計画があり、とうとう切られることになったのだ。桜の大輪が今年がいよいよ見納めでもあり、近くの石橋屋の枝垂れ桜の両輪が咲き誇り見事である。こんな優雅なお花見だけならいいのだが、16日お花見帰りにリュックから財布を落としてしまった。警察への届け出、クレジットカード・キャッシュカード停止連絡、運転免許証再発行等と、翌日はあわただしく手続きに追われている。酔いもすっかり冷めてしまい、花見どころではない心境でもある。カード等の一覧表を事前に作っていたので、スムーズに手配はできたが、反省も兼ねて、この機会にカードも整理しようと思っている。とんだ想い出に残るお花見になってしまったが、この学習効果(?)を活かさねばと思ってはいるが。。。でも、あと何回、花見酒を飲めるかを考えるのは凡人の当方。同じ花を見て、俳人は別のことを思っている。〈梅もよし桜もよろし死ぬもよし〉と詠んだ80代後半の女性の句がある。川沿いの並木、校庭の古木、駅の夜桜…すべて見てみたい。「死ぬもよし」の境地には、程遠い心境ではあるが、2019年版「世界保健統計」によると、2016年の世界の男女合わせた平均寿命は72歳で、00年より5.5歳延びた。国・地域別の順位は非公表だが、日本は84.2歳だった。日本や欧米など高所得国の平均寿命は80歳台で、アフリカなどの低所得国は60歳台。寿命の格差は大きい。しかし長生きさえすれば幸せか。こんな報告もあった。国連事務総長が支援する組織が先月発表した「幸福度」報告によると、世界156カ国・地域のうち、日本は昨年より順位を四つ下げ、58位だった。先進7カ国で最低。幸福度を測る指標のうち、健康寿命は2位、1人当たりの国内総生産は24位だったが、自由度は64位、寛大さは92位という低い評価が響いている。1位はフィンランド。デンマーク、ノルウェーと続く。圧力を受けず伸び伸びモノを言えるか。異なる意見に耳を傾けるゆとりはあるか。サクラに問われているような気がした今年の花見であった。
2019年4月14日 晴れ/曇り 13℃
「人生フルーツ」を見ながら余生を考える。。
出会いが多く生まれる季節だ。素顔の自分を知ってほしいと思う一方、自分がどんな「キャラ」に見られるか、気をもむ人もいるだろうか。人だけでなく、動物も植物も特定のイメージで語られることは多い。だが安易なレッテル貼りは、多様な持ち味への柔軟な想像力を奪いもする。桜だよりが連日届く。春を染める花が持つイメージは、考えてみればとても多様だ。華やぎ、はかなさ、潔さ、清楚(せいそ)、妖艶(ようえん)、門出、死…。女性的であり男性的でもある。そんな「キャラ」の豊かさが無二の魅力となり、古来日本人の心をつかんできた。とかく礼賛されるソメイヨシノも、宮沢賢治は「何だか蛙(かえる)の卵のような気がする」と表した。嗜好(しこう)や相性は人により、さまざま。唯一本当の「あなた」も、偽りの「わたし」もない。桜に酔ったせいか、そんなことを考えてみた。法事を終えた後、急いで楽しみにしていた映画『人生フルーツ』に出かけた。ある老夫婦のゆったりとした暮らしぶりを静かに見つめた素晴らしい作品だが、こういうにじみ出るような味わいは、そう簡単に作り出せるものではない。描かれたご夫婦は終始穏やかな笑みをたたえ、にこやかだが、どうもそれだけではないように感じる。ただの好人物であるはずがない、もっと激しいものがあるはずと思ってしまう。ご夫婦の暮らし方には僕たちのヤワな暮らし方を厳しく批評するようなところがあり、私の神経はそれにおびえたのだ。場所は名古屋の郊外、高蔵寺ニュータウンの一角。300坪の土地に畑と手作りの雑木林を作って40年、自然の力を友として暮らしてきた。夫の修一さんは90才、建築家である。妻・英子さんは87才、お料理の得意な主婦だが、畑仕事も機織りもする。残念ながら、修一さんは2015年6月、英子さんは2018年8月にお亡くなりになった。
何事にもゆっくりと時間をかけて、いかにも丁寧に生きている。二人とも穏やかな笑みをたたえて、激することなく、仲良く、いたわり合い、満たし合って生活している。修一さんが番組の中で、「彼女は生涯で最高のガールフレンド」と語るシーンがある。私にとって衝撃的なセリフだ。自分は老妻のことをそう語れるだろうか。そう語れる日が来るだろうか、と。 自然に逆らうことなく、自然の実りを享受して、あらゆる過剰を避け、穏やかに生きる。二人の姿はそう見えた。そのことに胸を打たれた。愛知県春日井市にある高蔵寺の大団地を望む一角、数軒の住宅に交じって、『人生フルーツ』の家は建っていた。想像していた通り、ユニークな家だ。木造平屋、玄関はなく、庭からいきなり居間に入る。30畳の広いワン・ルーム。食卓もベッドも見える。光の入る高窓、天井はなく、家のがっしりした躯体が露出している。修一さんの師であった建築家アントニン・レーモンドの旧宅を模した建物だという。強烈な個性。圧倒されるような主張の強さ。一隅に1㎥はあろうかと思われる二階建てのドールハウスがあった。覆いを開けると、細かい家具、調度がぎっしりとしつらえられている。丹念な縮尺、細工、彩色。費やされた気の遠くなるような時間。修一さんがお孫さんのはなこさんのために作ったものだという。
これはこの家の主の何を示すものなのか。単に孫への愛情といえば説明のつくものだろうか。しばしば登場する畑。年間100種類の作物を生み出す英子さんのキッチン・ガーデンだ。肉や魚以外はここで作ったもので賄う生活をしてきたという。冒頭の「風が吹けば枯れ葉が落ちる~」は、この畑のための堆肥づくりのことだ。
畑に続く雑木林。里山の復活は修一さんが提唱し続けたものだ。雑木林で不思議なものを見た。ナラやクヌギの幹に括りつけられた人名を記した木札である。修一さんは、人の冠婚葬祭に一切出席しなかった。その代わりかどうか、故人の名札を樹木に下げるようになった。名札の日付は故人の命日である、と。 畑も雑木林も少し荒れている。手入れが行き届かない。今は主はもういない。しかし、修一さんの強烈な個性は生き続けている。生き続けてこの家に満ち満ちている。それは番組に登場する温顔の好々爺の修一さんではない。もっとわがままな才能、強烈に自己主張する個性。建築に関する哲学の実践。英子さんはその哲学に優しく寄り添ったガールフレンドなのではないか。
映画会場では川崎に住む地域起こし隊のメンバーのYさん家族、我が家を世話してくれた不動産のSさんと偶然にもお会いした。何か縁を感じる。余生を親しい人と気楽に戯れているのは楽かもしれないが、自然と向き合いながら自分の生き方を貫き共生・共鳴しながら手触りのある生活を送っている我々夫婦と何か相通じるものがあると感じる。そして、最後まで涙が止まらなかった日でもあった。
2019年4月9日 晴れ/曇り 11℃
24時間・深夜営業を見直す時では。。。。
街中の夜の明るさは異常のような気がする。居酒屋にファミレス、そしてコンビニ…。とはいえ30年余り前は今ほど店の数がなく、早く帰ろうという気にもなった。しかし今は旬のタケノコのように伸び広がったコンビニ業界が一つの転機を迎えている。看板の24時間営業は「もう限界」という系列店主の叫びに、最大手チェーンが社長交代と見直し着手を迫られるに至っている。問題提起は、現下の深刻な人手不足にとどまらず、看板を第一とする運営本部とフランチャイズの関係、片時も休まないコンビニエンス(便利)社会そのものにも向けられているようでもある。以前は温暖化防止を主眼とした深夜営業の規制が議論を呼んだことがある。コンビニ業界は猛反発し、客の利便や防犯の灯台としての役割をアピールした。その後の店舗数やサービス内容の大幅拡大に加え、災害時の物資協力などで、今やコンビニは地域の重要な生活インフラともなってきている。それが人口減時代に入り、いつでも開いている安心感の足元が揺らいでいる。暗夜にホッとできて温かい明かりの下には、懸命に支えて働く人がいる。疲弊して「灯台もと暗し」とならないように便利さを見つめ直す時期に来ている。便利さの追求、変則な経済志向を改める時期かもしれない。
2019年4月8日 晴れ/曇り 12℃
花見は「日向燗」が一番あいそうだが。。
やっと強風も収まった。春先の風の強さには毎年ながら悩まされる。昼休みに街角を歩いていると、真新しいスーツの若者と少しおなかの出たオジサンが並んで歩く姿を見かけた。ちょうど昼飯時、先輩社員がなじみの定食屋に誘ったのだろう。2人のちょっぴり緊張した表情が初々しかった。そんな気持ちをほぐそうと週末は花見を計画している会社もあろう。「花冷え」が続きタイミングが難しかったが、ようやく陽気が戻ってきた。舞い散る花びらを眺めながら先輩の苦労話を聞くのも新入社員の最初の仕事だ。奈良時代が起源とされる花見。欠かせないのが日本酒だろう。その日本酒は温度によって多くの呼び名があるそうだ。5度前後の「雪冷え」に始まって「花冷え」「涼(すず)冷え」。そして「日向燗(ひなたかん)」「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」「熱燗」。一番高い温度が55度前後の「飛切(とびきり)燗」。日本人の細やかな感覚が反映されている。昔、諸先輩の方から、瓢箪(ひょうたん)に酒を入れて腰に下げ、家の近くの山桜を眺めに行った話を思い出した。。「一人花見」の風情か。が、勤め人はそうもいくまい。日本酒の細かな区分けほどはいかなくても、周囲への気配り目配りがいるらしい。最近は新人に花見の場所取りを頼むとパワハラと受け取られかねないという。でも、これから長い付き合いになり、宴の終わる頃、先輩後輩ひとつの気持ちになれたらいいねと昔なつかしく思った次第である。
2019年4月4日 晴れ/曇り 11℃
春はまだ浅き北国に桜の便りがやってきた!
4月に入り元号フィーバーで、にぎわっている。そして新しい年度の始まりである。辞令交付式や入社式の便りが聞こえてくる。通勤途中の街角では緊張の朝を迎えた新社会人も多く目にする。そして、初々しい姿をあちこちで目にするたびに「身なりは鏡で直せても心のゆがみまでは映さない。だから人は自分の考えや振る舞いの誤りが自覚しにくい」。50年前、随想につづったのはパナソニック創業者の故松下幸之助氏だ。自分の心の正邪を映す鏡は周囲の人や物全て。謙虚な心で周りを見て耳を傾けよと説いていた。経営の神様と呼ばれた松下氏はさらに「額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話」。人より余計に働くのは勤勉であり尊いが、人より少なく働いて今まで以上の成果を上げることも尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのだ-と。この言葉は私が入社したころに聞いた言葉で感慨深く、言葉に重みがある。忖度したり、上司の顔を伺っている官僚や若い議員にも聞かせてやりたい言葉でもある。時代を超えてなお今に通じる氏の言葉に学ぶことは多い。今年は例年に比べ寒く、寒の戻りに身をすくませていると、紅白の鮮やかなコントラストが目に飛び込んできた。通勤途中の宅地で見かけた梅の花だ。梅は寒気が、りんとしたたたずまいを際立たせているようにも見えた。春まだ浅き北国ではあるけれど、冷たい空気もいずれはぬるむ。寒風の中できりりと咲いた梅も、やがては穏やかな表情を浮かべるはずだ。そして桜もやわらかな風に乗って今日か明日には届くだろうか。
2019年4月1日 曇り/小雨 9℃
新元号「令和」決定しました!
平成最後の年度末を終え、今日はいよいよ新元号が公表された。「令和」。これは、万葉集にある「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして 気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ 梅(うめ)は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」との文言から引用したものであるという。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められているという。難しい内容は専門家にお任せするとして、私のレベルでは読みやすく、わかりやすい2文字がいいと思っていた。明治、大正、昭和…各世代何思う。考えてみれば、私は昭和・平成・令和と3元号を生きたことになる。日本の悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然が次世代へ、しっかりと引き継いでいってほしいものである。連日の雪やら雨でファームでのジャガイモ定植も延期となってしまったが、多くの友人がケーキをかついでやってきた。厳しい寒さの後に春の訪れを待ちわびる心境で、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができるよう、新年度を迎え、さあひとふんばりしよう!!