2018 活動日誌 1月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2018年1月31日 曇り/晴れ 3℃
税務署の青色申告ー職員の青息吐息の姿が頭に浮かぶ
「好きな色は?」は何ですかと尋ねたアンケート結果では子ども、大人を問わず、「青」が1番人気であるという。そして「自分を色にたとえると?」を聞いている。やはり「青」がトップの座を占めている。どちらの調査でも女性に限ってみると「ピンク」が最も多いのだが、全体としては「青」の人気が安定している。爽やか、清潔、純粋。そんなイメージがあるのだろうか。私自も「自分もそうありたい」という気持ちから青を選ぶケースが多い。今、雪国暮らしの身としては、春の青空が待ち遠しい。ある新聞をみていると、ある大学で発表した研究成果は「青い紙は集中力を高める」というものである。青い紙を使って計算力や記憶力、論理力を測るテストを実施したところ、白い紙の時より集中力がアップしたという。2月になれば確定申告の時期である。いくつかの特典がある青色申告をする事業者は多い。「青色」のイメージ通り、「正確に」「正直に」と細かな数字を記入せねばならない。国税庁の佐川宣寿長官は色に例えると何色か。森友学園問題では当時の財務省理財局長として、売却は適正だった、記録は残っていない、などと答弁した人である。ところが近畿財務局が、学園への対応を検討した文書を保管していたことが分かった。辞書によれば「青い」は本来、灰色がかった白を意味したとか。国税のトップは灰色がかった黒ではないだろうか。日々、窓口に立つ職員は「青息吐息」している姿が目に浮かぶ。2月の申告開始時期に税務署を訪れる予定である。
2018年1月29日 曇り 3℃
若竹千佐子さんー「おらおらでひとりいぐも」
今朝は多少スッキリした気分である。風邪も約90%程度回復し、もうすこし無理しないで体力回復につとめていきたいと考えている。今日は室内で東北弁があふれ出てくるような小説「おらおらでひとりいぐも」を一気に読み通した。芥川賞を受けた若竹千佐子さん(62歳)の話題の本である。岩手県遠野市に生まれ、岩手弁に包まれて暮らした作家だ。こんな一言が若竹さんらしい。「方言には素の私が表れる。最古層の私そのもの」。どれほどよそゆきの言葉を重ね着しようと、一枚一枚脱いで最後に残るのは産着に似た故郷の言葉。方言という網は感情を細やかに、優しくすくい上げてくれもする。この本の「おらおらでひとりいぐも」は、老いて「ひとりで生きる」がテーマになっている。題は宮沢賢治「永訣の朝」の<Ora Orade Shitori egumo>にちなむ。死が近い妹トシの言葉「私は私でひとり行(逝)きます」だが、賢治はなぜ、詩の一行だけを英字で書いたのだろうか。推測の域であるが、その理由は接尾語moにあるのではないかと思う。「も」は「もん」とも言い、仕方ないけれどそうする、とのニュアンスがある。「ひとりで行きたくない。けれど行く」。妹の諦めや孤独がつらくて、英字にしたのではないだろうか。一人で行きたくない。けれど行くしかない-と。人間はそんなに強くない。「ひとり」で生きていく、老いていく、死んでいくのは怖い。けれど行くしかない。「ひとり」は、葛藤の末に至る境地なのかもしれない。「生ぜしもひとりなり、死するもひとりなり」。人は生まれるも死ぬも一人、と一遍は言っている。「ひとりいぐも」からは、その意味がはっきり迫ってくる。地方の時代と言われて久しいが、何とか守りたい最後のとりでは、土地の言葉かもしれない。若竹さんの作品にそう教わった気がする。
2018年1月28日 曇り 3℃
本白根山の噴火ー自然と生きる人間の宿命である。
家から見える落葉樹は丸裸で八方に手を伸ばし、針葉樹は針の葉を着て連日の寒さに耐えながらじっと立っている。しかし、今年の寒さはいつもと違い肌に刺すような寒さであり、風邪をひいたあとだけに、だいぶ体にこたえるようになってきた。室内で本の片づけをしようと整理していると、山関係が多い書籍の中におなじみの浅田次郎の八甲田山がでてきた。今の山の話題と言えば群馬、長野の県境にある草津白根山の本白根山(2171メートル)が噴火した出来事である、訓練中の自衛隊員ら十数人が噴石などで負傷、亡くなった人もいるという。我が家の窓から見える蔵王連峰も活火山で他人事ではない。山とは本来動的な存在であるらしい。東海の景は富士によりて生き、富士は雪によりて生く。小説家徳冨蘆花(とくとみろか)の描写が鮮やかな富士山も活火山。内側ではマグマが鼓動している。草津白根山も、雪をまとって雄大な風景を見せていたのだろう。それが突然せき込んだ麓の草津温泉は古くから名高い。その天下の名湯も、明治初期までは春から秋までの営業で、冬季は冬住みといって、住民は里へ下りた。「木の葉が赤くなると旅館の主人は青くなる」ということわざがあったそうだ。冬場の収入確保には、頭を悩ませたようである。交通網の発達のほか、スキー場の開設も冬の集客の後押しとなったに違いない。被害の出た草津国際スキー場は、日本で初めて営業用スキーリフトを設置したことでも知られる。現場の航空写真を見ると、雪山の山頂付近に黒く広がった火山灰が不気味だ。噴火は、大地本来の営みにほかならない。だが人と交わるようになった所では、災害となる。全国に50ある常時観測火山の一つで起きた悲劇だ。いかに難しくとも共存のすべを探るほかない。自然と生きる人間の宿命であるに違いない。
2018年1月25日 曇り/小雪 0℃
風邪をひいて思うこと。。。。
ついに風邪をひいてしまった。家内が風邪気味で多分うつったのだろうか。検査したところインフルエンザではないとのことだが、体温が38.5℃あり関節の節々が痛い。薬を飲みながらこの2日間すっかり寝込んでしまった。今は家内がいるから、食事等の身の回りは世話してもらっているが、ひとり生活で、本当にやっていけるのだろうかと不安にもなる。自力で生活できるようにしていかねばと思ってはいるが。。。最近、ロボット犬「aibo(アイボ)」の新型が発売された。戌(いぬ)年の今年、約12年ぶりの復活だ。人工知能(AI)を搭載、インターネットと連携し育てる楽しみが増したという。少子高齢化を迎えるこの日本において、この愛犬が世話してくれるような時代がくるかもしれない。犬と暮らす人にとって粗相の後始末や動物病院通いをしなくていいのは楽だろうという思いがよぎる。散歩もさせなくてもいいし、いつでも御主人様に従順になついてくれる。犬の歴史について調べてみると、人と犬の祖先のオオカミが生活を共にし始めたのは1万5千~2万年前のユーラシア大陸。そこから人々が犬を伴い各地へ移住した。日本列島には縄文時代に渡ってきた。無理に家畜化されたのではなく、オオカミと人の間に相互依存関係が生まれ、互いを必要とする生活に慣れていったとする説が有力である。嗅覚と聴覚、警戒心が狩猟犬や番犬として役に立った。精神世界にも関わりが深い。江戸時代、伊勢神宮参詣が盛んなころは飼い主に代わって旅に出てお参りしたという。安産を願う戌の日もある。戦時中には軍事用の毛皮調達のため犬の供出が命じられた。喜びも苦難も分け合ってきた。現代では、死なずにいつまでもそばにという願いがハイテクと結びつきアイボが生まれたと言える。犬という伴侶との関係は形を変え続いていくだろうか。
2018年1月22日 曇り/小雪 2℃
大寒ー今週は厳寒・極寒がやってくるらしい!
「冬」という言葉は、広辞苑によると「ひゆ(冷)」に由来する。寒さが威力を「ふるう(振)」、あるいは寒さに「ふるう(震)」がもとになった、との説もあるという。冬の寒さ、厳しさをあらわす季語はさまざまある。「厳寒」「極寒」「酷寒」。「冱(い)つ」は寒さでものが凍ること。「冴(さ)ゆ」は寒さが極まり、透明に澄んだ、よどみない冷たさを言う。書き並べると、ぶるっと震えが来そうであり、日本語は面白い。同じ冬の季語に「湯豆腐」「鍋焼(なべやき)」「寄鍋(よせなべ)」「おでん」「熱燗(あつかん)」がある。この言葉は目にしただけで頬が緩み、体がポカポカしてくるようだ。ただ、このところ野菜が値上がりしている。レタスが平年の2倍に達しているというし、キャベツや大根、白菜も。日々の食材だけに家計に響いてくる。友人の奥さんは価格の安定したカット野菜を使うとか、モヤシを増やすとか、その他の食材をまぜながら、やりくりに苦労しているという。冬の定番の鍋物に二の足を踏む家庭もあるのではないか。二十四節気の一つ「大寒」も過ぎ、1年のうち、いまごろが最も寒さが厳しいとされる。数日前まではわりあい穏やかな天候で、このまま春に…などと虫のよいことを思っていたが、今週は「厳寒」「極寒」がやって来るらしい。情報番組でも、しきりに雪の予報をおおげさにアナウンスしている。こんな時は家の中で、ゆっくりと「湯豆腐」や「熱燗」を友とする日々を送りたいと思っているが。。。。
2018年1月20日 晴れ 7℃
梅の剪定を終えながら人生の後半戦を考える!
城山三郎さんの「毎日が日曜日」には、こんな風変わりな「ウーさん」が登場する。「ゴルフをして、読書をして遊んで暮らすんだ」。ところが夢は行き詰まる。外の社会と縁が切れた自分に嫌気が差し、うっ屈した思いを抱いていくシナリオである。小説の舞台は、高度成長期の頃だった。日本人の生活に余裕が生まれ、生活様式も変化していった。がむしゃらに働いた後の余生をどう過ごせばいいのか。ウーさんに明日のわが身を重ねたサラリーマンが多くいたと聞いている。それから40年がたった。日本人の平均寿命は男女共80歳を超えて、第二の人生は誰にも切実な問題となっている。国は人生100年時代構想会議なる組織を先日つくったという。長寿社会の新しい姿を探るといっているが、結局は「年金をあてにするな」と言っており、働けるうちは働けと叱咤激励かのように本音が透けて見える。自分にあてはめてみると、第2の人生は自分で決め行動すると誓いながら、田舎暮らしの生活を続けている。今日は悠々梅林の枝の剪定である。今までとは違う若いパワー(川崎町地域おこし協力隊)Kさんも加わり、皆張り切って青空に向かい伸び切った枝を切り落とす。天候も冬の晴れ間の暖かい日に恵まれ、作業もしやすく今年もやっと終わったかとほっとしている。定年から平均的な寿命まで生きれば、使える時間は8万時間もあるといわれる。「人生は後半戦が勝負」と言われているが、無理をせず自然体でこれからも多くの地域の仲間、そして読者の皆さんと一緒に情報交換しながら地域の資源を活かした新鮮な田舎暮らしを送りたいと思っている。
2018年1月19日 晴れ 6℃
ビットコイン仮想通貨ーうまい話にはご注意あれ!
今、ビットコインなどの仮想通貨が昨年来、日本でも人気に火がつき、取引相場が数倍、数十倍と跳ね上がっている。持っていたコインの価値がいつのまにか1億円超に-と、新年の初夢のような話がネット上をにぎわしている。その高騰の一因が、仮想通貨を介して事業資金を集める企業や起業家の存在だ。株式による資金調達よりも簡便なため需要が高まり、コインの相場上昇に拍車をかけている。世界中の投資家に呼びかけ、巨額を集めた若者もいるという。半面、事業が成功して利益が還元される保証はなく、不正防止の仕組みづくりも追いついていない。うその事業計画を見せられ、コインを送った後で「しまった、だまされた」なんてことも十分あり得る。昨年初めに千ドル前後だった1ビットコインは年末に一時2万ドルを超えた。かと思えば、今週は急落と落ち着かない。海外での規制強化の動きが投資家の懸念を呼んでいるようだ。昔話で、たまたま手にした1本の藁がミカンに代わり、さらに絹、馬になって最後は大邸宅に。「わらしべ長者」は物々交換で大金持ちになる話だが、現代は寝ている間に「仮想通貨長者」になる人がいるそうだ。わらしべ長者は幸せな結末を迎えるが、昔話は大抵、欲をかくと不幸になると教える。「うまい話には重々ご注意あれ」との格言もある。今の私には関係のない遠い世界の話であり、少しでも安いものと”りんご”買いに山形の東根にある直販所「よってけポポラ」へと向かっている。
2018年1月18日 晴れ 11℃
惰性に流されず日々新たな気持ちで。。。
今日は小春日和のような日が差し込み暖かい。そんな中、久しぶりに、顧問をしていたS会社を訪れ、幹部の方々と談笑しあいながら、気持ちだけは現役時代に返り心も踊った。何かタイムスリップしたかのように、すがすがしい気分にさせてくれた。顧問さん同士と昼食をともにしながら、加齢とともに健康法の話題となる。世に健康法は数あれど、かの大隈重信が実践していたと聞けば気にもなる。2度目の首相を引き受けたのは76歳から78歳にかけてというから、健康管理には人一倍うるさかったようだ。大隈流「長寿法五カ条」は、1.怒るな 2.愚痴をこぼすな 3.過去を顧みるな 4.望みを将来に置け 5.人のために善をなせ―。特に最後の「人のために」が、大隈の生きざまであり、自らのパワーになっていたのではないだろうか。晩年と若いころで大隈の人柄はがらりと変わったらしい。晩年は「大らかで、好奇心旺盛で、おしゃべりの好きなおじいさん」。若い時は「いつも抜き身の刀をぶら下げて、肩を怒らせて歩いているような若者」 そんな若者を変えた手紙がある。親交があった薩摩藩士、五代友厚がしたためた「五カ条の忠告」である。要約すると、愚説愚論だろうと最後まで人の話は聞け、手柄は部下に譲れ、などで、折に触れて五代は「五カ条は守っているかと注意をうながしたといいます。その言葉で大隈も反省するところがあり、常に「人のために」と心掛けるようになった晩年の大隈の元には、国内外から来客が絶えず、東京の大隈邸は「世界の居間」と呼ばれた。惰性に流されず日々新たな気持ちを持ち続けねばと思っている。
2018年1月16日 晴れ 7℃
2040年一人暮らしの所帯が全所帯の4割に!
2040年には、1人暮らしの世帯が全世帯の4割にまで増え、うち高齢者が半数近いという。国立社会保障・人口問題研究所の推計だ。晩婚化に加え、未婚や離婚の増加が要因とされている。こうしたニュースを聞くたびに、日本は国家存続するうえで、経済第一と叫ぶ前に、少子高齢化対策を真剣に考えねばと思う今日この頃である。同じ1人暮らしでも、特に心配なのは地域社会と関わりの薄い男性の単身者といわれている。高齢になってから妻に先立たれて孤立気味になり、日常生活がままならなくなったケースもある。男性の生涯未婚率は23%に達していると推定されている。40年以上前からの親しい友人に久しぶりに会ったら、こんなことを言われた。仕事を引退しても孤独な生活に陥らないようにしたい。まるで決意表明したかのように喋っている。友人関係や地域社会とのつながりを見つめ直す必要があると、思わず考えさせられた。仮に家族と一緒に暮らしていたとしても、仕事一辺倒の生活を続けていれば、いつの間にかご近所ばかりか旧知の人たちとも疎遠になりかねない。女性と比較して男性の方が、その傾向が強いのではないか。単身者の場合はなおさらだろう。私も高齢者の仲間入りの年代であるが、今は特に健康には気を付けながら活動しているが、家内が元気で応援してくれているおかげでもある。でもいざに備えて自力で生活できる環境を作っていく必要があると感じている。今日、きこりの終わった後、近くの川崎やすらぎの湯(¥180)の中で地元の人と語り合う。地域で支え合う体制づくりや、いざとなった時に相互応援してくれる仲間つくりに力を注ぐべきではないだろうかと。
2018年1月14日 晴れ 4℃
子や孫や、そのまた孫の代に美林を残す夢を見て!
チェーンソーの音がやんだ。メリッ、バリバリッ、ダーン。樹齢40年余りのナラの大木が冬の青空に弧を描くように切り倒された。薄暗かった林の中に日の光が注ぐ。切り株の近くで、大人の背丈ほどに伸びた若木が濃い緑の葉を広げている。今日は当NPO主催の伐倒講習会である。森林組合から講師を招き安全な伐倒方法・チェンソー使い方・くさびを打ち込むタイミング・目立て等。。。改めて今日は初心に返り勉強させられた。森を楽しむ、薪ストーブの揺れる炎を楽しむうえで、安全で快適な森との共存方法をきちんとマスターしていきたい。先日、TVで日本三大美林の一つに数えられ、建材としても卓越した品質を誇る青森ヒバのことについて放映されていた。近年、ヒバの資源量が減少傾向にあり、高度経済成長期などに大量伐採され、跡地には、ヒバではなく、成長の早いスギなどが植えられたことが背景にある。何しろヒバは柱にできる太さに育つまで100年以上かかるが、スギならその半分ほど。経済効率重視の時代に、ゆっくり、じっくり育つ大器晩成型は歓迎されなかったようだ。しかし今、伐採期を迎えたスギ林の中で、前世代のヒバから飛び散った種子が発芽し、若木のような次の世代が育っている。悠久の時を貫いてきたヒバの種の営みは、人間の都合などはるかに超越し、力強い。成果が目に見えるのは100年先か、200年先か。冬を迎えた山は今、ひとときの眠りに入っている。子や孫や、そのまた孫の代に美林を残す夢を見て。まさに人の営みもおなじであることを痛感させられた。
2018年1月12日 曇り/晴れ 3℃
セリ鍋がおいしい時季で、今や鍋物の主役である!
「セリ鍋」が今、人気だ。独特の強い香りとシャキシャキした食感、何と言っても長い根っこからにじみ出る出汁がたまらない。名脇役とばかり思っていたが、実力は今や主役級である。鍋物と言えば、鶏肉や鴨肉、きりたんぽ、カキなどの主役級を従え、あくまでも「セリ鍋」として鍋の真ん中に収まり、根っこ付きのセリだけが一躍鍋の主役に躍り出ている。セリは万葉集にも登場する在来の野草。水辺等に自生するが、江戸期から栽培もされている。その生産量トップを誇る宮城県名取市が大津波に洗われた。ここ数年、冬に聞く「セリ鍋」人気は産地復興の証しである。味が濃い「名取6号」など改良を重ね、全国PRキャラバンも展開しており、江戸期からの下積みを経てつかんだ実力は確かで、根のうま味を凝縮した出汁で味わう締めも絶品である。冬場には野菜を多くとりにくいが、野菜類は煮込めばかさも減り、食べやすくなる。日本気象協会の気象情報に鍋もの指数がある。予想気温と風速、体感湿度から算出し、人は気温が低く、空気が乾燥すると鍋料理が恋しくなるらしい。昨年暮れからハクサイやネギなど葉物野菜の高騰が続いている。ハクサイは1個丸ごとでは値が張りすぎると、4分の1サイズが店頭に並んでいる。この高騰で各家庭では本格化する家庭の鍋料理への影響が心配される。強い冷え込みのここ数日、指数は満点近くになり、鍋の恋しい時季となってくるが。。。。
2018年1月10日 みぞれ雪 2℃
風呂給油給湯機が直りました!
朝から冷たいみぞれ気味の雪が舞っている。そんな中、8日朝の風呂給湯ボイラ故障に伴う灯油給湯機の交換作業及び台所のガス給湯から灯油給湯への変更工事を行った。やはりこの時季、水回りのインフラ周りの故障は痛いものである。この機会に配管やメンテ方法を覚えようと設備屋(水道屋)さんといっしょに動き回り、教えてもらう。配管(導管)、締め付け工具、凍結防止ヒータ、断熱材等、今まで全て業者任せにしていたが実地見学しながら大変勉強になった。工事しながら先日、亡くなった元楽天の星野監督の話に及んだ。星野さんの明治大野球部のキャプテンにはグラウンドの外でも三つの役目が課せられたという。合宿所の便所掃除と監督の車の運転手、チームについての意見具申である。名将島岡吉郎監督(故人)の考えに基づく厳格な習わしだったという。「人が嫌がること、つらいことこそ先頭に立って上の者がやるべきなんだ」と便所掃除の初日、監督はたわしと雑巾を持ち手本を示す。運転手役は礼儀や言葉遣いなど気配りの修養になる。監督室を毎朝訪ね、その日の練習や試合のオーダー編成といった意見を申し述べる。多くの逸材を輩出する名門で星野仙一さんは主将を務めた。熱血指導で島岡イズムの薫陶を受け、野球人の「原点」を学び、「指導者としての哲学」を培った。「厳しさと激しさの中でこそ人は伸びる」。闘志むき出しでマウンドに立つ「燃える男」、チームを率いて栄光に導いた「闘将」は鮮烈な記憶と球史に大きな足跡を残して永逝した。プロ野球楽天を日本一の座に押し上げ、東日本大震災の被災地に元気をもたらした「本気の男」は天上で、恩師と何を語らっているのだろうか。記憶に残る人であった。
2018年1月8日 曇り 5℃
七草粥とお年玉プレゼント!
無病息災の願いを込めて、けさの食卓には、七草がゆが並んだ。セリ、ナズナなどは野生の滋味、風味を感じさせる。胃腸に優しく、穏やかに生命を養う食べ物と言える。若菜は七草の総称で冬枯れの大地から若々しい芽を吹き出してくる野草や野菜のことでもある。七草粥の材料を摘むのが若菜摘みだ。凍てついた大地から芽生える青々とした野草や野菜には大地の神の力がこもっている。体内に取り入れることによって、巡りくる春のように若返ることができると古代の人は考えられていたらしい。七草がゆをゆっくりと味わっていると、なぜか洗面所の方からザアザアト水が流れる音がする。蛇口の締め忘れかなと思って外に出てみると、風呂給湯ボイラから水が漏れているのではないか!!!!。あわてて水の元栓を閉じてやっと水の漏れは収まった。今朝はこの冬一番の寒さで、そのためかもしれないが、ボイラ給湯菅の破裂・破損しているようだ。設置して16年目となり寿命による部品劣化も重なったかもしれない。仕方なく、近くの知人Mさんに早速連絡し診てもらったが、交換せざるを得ないことが判明した。痛い出費ではあるが、新年のお年玉と思い、仕方なくあきらめた次第である。寒に入り、これから寒さは一段と厳しさを増すが、日脚はわずかながらも確実に伸びていくことを思いながら、七草から、草が萌える初春の野辺を夢見て、痛い出費のことは忘れよう!
今朝のリビングから見える朝焼けに輝く日の出の色が、すごくきれいなので思わずシャッターを!
2018年1月6日 曇り/晴れ 3℃
「ウイーンフイル」コンサートを生で聴きたい希望を夢見て!
ウイーンフィルのコンサートをBS録画で聴きながら、手前味噌つくり(自家製秘伝豆+みやぎしろめで約50㎏分の味噌:1/6~7)に追われている。なんで新年から、いそがしくしているのだろうと、家内と笑いながらせっせと手を動かす。ところでウイーンヒルのコンサートは生きているうちに一度は生で聴いてみたいと思っている。予約はネットで1年前からで全世界から30万通ものの応募があるそうで、値段は5000円~150,000円ほどである。年末、クラッシックコンサートを聴く機会に多く触れ、生の音の素晴らしさに魅了されている。今、思い切って応募しているが。。。抽選の確率は? 新年にふさわしく「希望」を持ちたい。希望という言葉は将来の展望が開ける前向きの言葉である。ところが小池百合子さんの希望の党は絶望の党へ変身してしまったが。。。そしてこの言葉はいつも閉塞感や不安の裏返しとして語られることが多い。例えば日本の場合、バブル経済がはじけて長期不況真っ最中の1998年、作家の村上龍さんは小説「希望の国のエクソダス」の連載を「文藝春秋」で始めた。主人公の少年はその中で語った。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがある。だが、希望だけがない」と。その当時は格差や貧困が大きな課題だった。希望とは何だろう。将来の変革を生み出す力こそ「希望」というわけだ。それが憂慮すべき現状を打ち破り、人々の行く手を照らす明かりとなる。でも、あまり難しく考えず、今年のモットーである「小さな歓びを大切にする生活」を通して、四季折々の季節に触れる喜び・営みが感じられる暮らしを求めたい。今、世界は米国を中心とした対立の嵐が吹き荒れ、気候変動で災害の不安が高まっている。日本の景気回復も実感が乏しい。2018年は良い年にと願うばかり。ただその前に、自分自身の今までのしがらみを断ち切り、新しい目標を見つけ、挑戦する覚悟が肝心であると思っているが。。。。。
2018年1月5日 曇り/晴れ 4℃
読書は心にときめきを与えてくれる(資本論を読み返す)
額に汗して働く。対価として給金を得て、物を買い衣食を満たす。お金を介した等価交換で資本主義経済は成り立つのに、資本家ばかり儲かるのはなぜか。疑問を主題にしたカール・マルクス著「資本論」第1巻が今年、刊行から150年を迎えた。かつては答えを求め、競うように読むのがはやった時代もあった。マルクスは言う。商品経済の資本主義では人々の労働力も商品だ。給金は自分が命をつなぎ、子孫を残すための費用の総計で決まるという。例えば、その費用を稼ぐのに1日6時間の労働が必要とする。12時間働けば給金は倍になるはずだ。だが現実には、資本家は12時間働かせながら6時間分しか支払わない。残る6時間分は資本家の儲けとなる。長く働かせれば働かせるほど、儲けは膨らむ。久しぶりに「資本論」を本棚から引っ張り出し、昔懐かしくページをめくってみた。引用した1860年の新聞によると、英国のレース製造業では9歳や10歳の子どもが、未明から深夜まで働かされていた。彼らの体はやせ細り、人間性は石のように固まった。現代日本に目を向けてみると、ブラック企業、過労死、高収入の専門職を残業代支払いの対象から外す「高度プロフェッショナル制度」…。労働時間を巡り労使の対立が広がっている。資本論はまだまだ流行遅れでなく、何らかの労働するにあたりヒントとなるかもしれない。昔の本を読み返してみると、心に新たなときめきを与えてくれるものである。
2018年1月4日 小雪/晴れ 3℃
遠くを見つめる一年としたい!
朝起きて外をみると雪が舞っている。年が明けて、初めて見る夢が「初夢」。おおむね元日から2日にかけて見る夢とされ、昔は1年の計を占うとの言い伝えもあった。新年の始まりはそれだけ心が改まる。でも不思議と今年は初夢に遭遇しなかった。起がいい初夢といえば「一富士二鷹(たか)三茄子(なすび)」。由来については、徳川家康の好みや富士講との関係を説くものから、「無事」「高い」「成す」の掛け言葉とする説まで幅広い。「一年の計は元旦にあり」。年の初めにしっかり計画を立てるのが良いとされる。「新しいことを始めるとき、そしてまわりの人がそのことを理解せず反対されたとき、『遠くを見つめる』ということを思い出してください」。昨年、105歳で亡くなった聖路加国際病院(東京)の名誉院長、日野原重明さんの最期のメッセージを記した「生きていくあなたへ」(幻冬舎)にある印象的なことばだ。「遠くを見つめる」とは、過去を思い起こすとともに、時代の先を見つめるということではないだろうか。病院の建て直しの際に日野原さんは、広い廊下にも酸素吸入などを整えた。贅沢だと非難もされたが、地下鉄サリン事件のとき600人を超える患者を受け入れることができた。戦時中の体験が生かされたようだ。私も今年はじっくり腰を据えて「遠くを見つめたい」。ひとつひとつ落ち着いて歓びも悲しみも自然とともに生きていきたい。人生の節目を大切に正面から取り組み、前へ進む一年としたいと思っている。
2018年1月2日 曇り/晴れ 5℃
餅はきねつきに限る!
「あした」はもともと朝を意味したという。夜が終わったとき、夜が明けたころを指す「明け方」の古い形である。それが徐々に翌朝を指すようになり、今日の次の日、つまり「明日」を表すようになったそうだ。日本人にとって、年越しは1年のうち今日と明日で気持ちがこれほど変わる節目は他にないのではないだろうか。いよいよ、いぬ年の2018年がやってきた。。平昌五輪が始まり、平成に代わる新元号が発表になるはずの年。どんな1年になるのだろう。加齢とともに私の望みはとにかく、健康で笑顔にあふれ、涙はちょっぴりだけにして、平穏な日々を送れるよう、望みたいと願うばかりである。年末年始のあのひとときの賑わいも終わり、さびしさもあるが、ホットした気もする。子も孫も本日帰り、明日からは家内と2人だけの生活がはじまる。明日という字は「明るい日」とも読める。何か希望を感じさせる言葉でもある。そして正月の餅について改めて感じたことは、やはり、「餅はきねつきに限る」ことが思い知らされた。コシがあってよく伸び、そして噛み応えがありおいしい。スーパーで買った市販餅は、なぜか物足りない。今年は諸事情によりもちつきは中止したが、来年はぜひとも復活したいと思う。もち米100%の餅で、文字通りモチモチしたあの食感を知ってこそ、粒々した歯ごたえをも楽しめる。日本人にとってあの食感はたまらないものである。