■2016活動日誌10月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。コメントをお寄せください。
10月31日(月)曇り 15℃
閑日窯(加美町)秋色の木々とともに!
10月もいよいよ終わりであるが、今日31日は日本でもすっかり定着した「ハロウィーン」である。仮装行列してお菓子がもらえて…で思い出した。週末はイベントがめじろ押しで市場規模は1300億円以上でバレンタインデーを超えたとの推計もある。古代ケルト人の収穫祭と悪霊除けが起源とされるが、時代によって大きく姿を変え、「もっとも誤解に満ちた祝祭」と言われているが、キリスト教との複雑な関係や、移民がアメリカに伝えてから子どもや大人の祝祭として変容してきた歴史は興味深いものがある。アメリカでは21世紀になって「アメリカ製で最新の一大ヒット輸出品」と位置付けられ、日本はコスプレと祭りが好きなこの国ではあっさり受け入れられた。残念ながら私の世代の周りから、あまり聞こえてはこないが、これも年代の違いかもしれない。そんな祭りの中、宮城県加美町で陶芸を営む小林千年さんの閑日窯(かんじつかま)の企画展を訪れた。2年1回開催し、紅葉する森林の中での陶芸・絵画・秋の生け花のコラボで周りの自然と同化した秋色の企画展である。小林さんの人柄に誘われて多くのボランテイア仲間が数多く訪れ応援し、まるで大人が子供時代に遊んだ環境の中でのびのびと活動している様子が肌で感じる。パートナーと二人、この陶芸にすっかり魅了され、ほっこりとした暖かさを感じた秋の一日であった。詳細は小さな旅7で紹介します。11/3まで開催しておりますので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。必ず何かを空気で感じとってください!
10月29日(土)晴れ 18℃
「それでもわたしは山に登る」ー田部井淳子さん亡くなる!
だいぶ秋めいてきた。秋色に染まる蔵王連峰をながめている。登山家田部井淳子さんが亡くなった。訃報が報道された。8848メートル。世界最高峰、エベレストの頂上は幅70センチほど。まるでナイフの先端のようだったという。1975年、登山家田部井淳子さんは女性で初めてここに立った。「女のくせに」が幅を利かせていた時代。遠征費用が集まらず、装備には廃材も使った。同行するシェルパが、見かねて渡した保温性の高い靴下をはいての登頂だったらしい。出身は東北・福島。梅、桃、桜が一度に咲いたと言われる福島県三春町から、大学進学で上京した。方言が恥ずかしくて、人と話すのが苦痛でならなかった。休学もした。悩み続けた日々から救い出してくれたのが山だった<一歩、歩くごとに風景は変わり、見たこともない風景が見られる。登っている時はつらい坂だなと思っても、歩くことで風景が変わっていくのは、たまらない魅力でしたね>(「私には山がある」PHP研究所)。東京近郊から始め、ついには世界の頂点へ。支えてくれる人に感謝して、称賛されてもおごらず、落ち込んだ時も堂々と。<力尽きるまで自分のペースで楽しく突き進む。目の前にある今を精一杯過ごすことが、わたしの歴史になっていく>(「それでもわたしは山に登る」文春文庫)。そのままの生涯だった。冥福を祈りたい。
10月27日(木)晴れ 22℃
風の吹くまま気の向くままに!
アメリカJazz音楽の歴史の講座(米国人音楽家)を聞きながら「ボブ・ディラン」を思い出す。ガロの「学生街の喫茶店」。♪学生でにぎやかな この店の 片隅で聴いていた ボブ・ディラン…。思わず歌詞を口ずさむ。。中年世代の心に今もポカポカと響き渡る。温かくて甘い青春ソングである。「ボブ・ディラン」の名前を聞いたのも、実はこの「学生街の喫茶店」を聴いてからだった。音楽に関心はなくても、ガロの歌とともに「ボブ・ディラン」は青春の一片として私の心に浸透した。ベトナム反戦運動が高まった1960年代、反戦や人種差別撤廃を訴えるディラン氏の曲は若者の愛唱歌となった。中でも代名詞とも言うべき名曲が「風に吹かれて」だ。<人にはどれくらいの耳があれば 人々の悲しみが聞こえるのか><友よ答えは風に吹かれて>。しわがれ声に乗った歌詞が胸に沁みた。ノーベル文学賞受賞の発表からほぼ2週間。ディラン氏はいまだに沈黙を続けている。スウェーデン・アカデミーも匙を投げた格好らしい。選考委員の一人は「無礼かつ傲慢」と不快感をあらわにしてる。「ギターを弾く変なおじさん」。孫の通う幼稚園で演奏した際、子供たちに不審者同然に思われた逸話も残るディラン氏である。風の吹くまま気の向くままに表彰式にひょいと現れるかもしれないなあ。。。。 珈琲、Jazz音楽、絵画等に夢中になっている最近の悠々田舎人である。
10月26日(水)晴れ 22℃
里山生活と地域の未来図を重ねながら!
今週28日(金)に「里山資本主義」などの著書で知られる藻谷浩介(もたにこうすけ)さんの講座がある。講演会は聞くだけの一方通行ではあるが、最近は双方向会話形式の講座がお気に入りである。昨夜は元S会社の仲間と陽気なお酒をいただきご機嫌であった。最近は夕暮れも早くなり、5時になろうとすると周りは暗くなり、家並みにぽつぽつと紅の明かりの電灯がつき始めるようになる。見慣れた川も山も、ふわっと暖色をまとって光る。このひとときはビルの街、ネオンの都会にはないだろう。「東京はまるで人間の養殖場」と藻谷浩介さんは言う。都会ほど、仕事を持つ女性の割合が低いという。東京が一番低い。出生率もそう。家賃が高く、残業が多く、保育所が少ないからだ。首都圏は人があふれている。ただ少子化の最近は流れ込んでくる若者も少なくなった。医療福祉を支えていく人手や財政を考えれば、もう都会の時代じゃない、と藻谷さんは言う。著書の中では里山暮らしをする男性の言葉を紹介している。「お金で買えるものは買えばいい、だがお金で買えんものも大事だ」。裏山の木をストーブにくべ、畑で育てた野菜をいただく。余れば分け合う。お金に依存しすぎない仕組み。それを取り入れることができるのは、いま過疎と言われる地域である。「里山は人を養う力がある」。その指摘に元気をもらう地域は多い。それは、お金と引き換えにエネルギーを遠くとやり取りするシステムに一石を投じることができる地域でもある。今度はどんな里山物語が登場するのだろうかと楽しみにしながら地域の未来図を重ねたい。
10月23日(日)晴れ 19℃
小麦の会 - 最後の収穫祭!
秋を感じる。近隣の庭先で柿の実が色づいてきた。優しい甘さばかりか、「赤くなると医者が青くなる」と昔から言われるほど滋養に富んだ旬の味である。深まる秋の風景の中、「小麦の会」グループで最後の収穫祭を行った。夏の暑い日々に汗水流して作った、「無農薬南部小麦」でピザ(ドラム缶で焼く)、餃子(焼餃子、水餃子)を小麦の会のメンバで栄養士管理者(Mさん)の手ほどきを受けながら、小麦をこねる。なかなか楽しいものであるが結構大変でありこれもまた奥が深いものであることが思い知らされた。本会が発足し8年を経過した。機械化・高齢化の波もあり、今シーズンで解散するが、楽しい思い出が脳裏に浮かぶと同時に昔話に花が咲く。この手作りの味(モチモチ感)がなんとも言えず、何か感慨深いものがある。これからも同世代メンバーで新たなチャレンジに向けて自然体でがんばりたいと思う。今日は二十四節気の一つで、作物管理に注意を促す「霜降」である。自然が発する知らせや悲鳴に五感を澄ませたいと思うが、夜も更けに従い、当時のことを思い出すと少し寂しさも感じる。
10月22日(土)晴れ/曇り 17℃
鳥取中部地震ー断層だらけの日本で原発は大丈夫だろうか?
「天災は忘れた頃にやってくる」とあるが、熊本地震から半年がたった今でさえも、どこにいても大地は思うように静まってくれないようだ。昨日の鳥取県中部の倉吉市や湯梨浜町、北栄町で震度6弱を観測した。地震、台風、豪雨…。揺れが激しかった倉吉市は白壁土蔵が立ち並ぶ、歴史と風情のある町で、今年、夏の山陽・山陰地方の旅行の際にちょっとだけ訪問した記憶が蘇る。この地域は元横綱琴桜(先代の佐渡ケ嶽親方)の出身地でもあり、銅像が誇らしそうだったことを覚えている。最近は日本全国どこにいても災害(地震)が起こり、改めて防災準備は怠りなくしておきたいものである。鳥取では2000年にも「鳥取県西部地震」という大地震が起きている。そんな被災の歴史を持つ地方に、またも大きな揺れが襲った。気になっていた隣県の島根原発は運転停止中で、異常がなかったことは幸いである。福島での原発事故以来、地震のたびに近くの原発はどうだろうかと案じてしまう。近隣の住民の方は不安も大きいものと思う。こうした中、災害列島日本でいつまで原発推進を進めるのだろうか。疑問が残る。鳥取ではこれから1週間ほどは注意が必要という。つい、2回目の地震の方が規模が大きかった熊本地震を思い出してしまう。早い終息を祈るばかりだ。今回は断層が横にずれて起きた。断層だらけの日本列島に安全なところはない。さあ、もう一度身の周りをチェックしよう。
10月20日(木)晴れ 24℃
田んぼや蔵王連峰を眺めながら珈琲の香る家づくりに向けて!
自分の息子のような仙台厚生病院のY医師から「検査結果はすべて異常なしで転移もみられませんよ」と告げられ、ホットしたと同時に久しぶりに先生とお会いして懐かしさを覚え入院当時にタイムスリップしたような感覚となった。術後3年経過し、5年間は検査必要と言われ定期的に受診しているが、時々体調不良(消化不良やら下腹重苦しくなる)に見舞われるが、ひとまずは一安心である。帰り道、パートナーといつものハンバーク屋「はせくら」(広瀬町2-5)に立ち寄り、定評のハンバーク定食をいただく。うまい。でもゆっくりと時間をかけていただく。その後お気に入りの喫茶「珈巣多夢」に立ち寄り、紅葉の始まった定禅寺通りのケヤキ並木を眺めながら珈琲を味わった。日本に珈琲が伝わったのは17世紀後半の江戸時代といわれる。幕臣で狂歌師・文人としても知られる大田蜀山人は飲んだ印象を「焦げくさくして味ふるに堪えず」と記録に残している。初めての味はその通りだが、不思議なことに、その「苦味」が年齢を重ねるごとに味わい深くなってくる。この液体に魅せられ、究極の味を求めたくなる。自家焙煎やドリップ方法等なかなか奥が深い。我が家でも田んぼや蔵王連峰を眺めながらコーヒーの薫る家づくりに取り組みたいと考えている。早速、来週の24日に街角でプロから珈琲の手ほどきを受講する予定である。スキルを向上させて、来訪者においしい珈琲を味わってもらいたいと思う。違いの分かる愛飲家に丁寧に抽出し香り高く濃厚な味わいを提供できたならいいなあ。
10月19日(水)晴れ 22℃
長時間労働ー経済優先のひずみの一端である!
まぶしいほどの陽の明るさに気持がいきいきしてくるような晴天である。そんな中、現在、長時間労働とは無縁の生活を送っているが、先日、広告大手電通に勤めていた女性社員(当時(24)の自殺の原因が過労と認定された報道を聞いて驚いている。女手一つで育ててくれた母を楽にしてあげたいと就職して9カ月。「体も心もズタズタ」と悲痛な言葉を残し社宅から身を投げた。仕事の進捗、納期と追い回されていたに違いない。なぜ周りでフォローできないのかと元会社員の立場で考え込んでしまう。ニュースをみていると「月100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない」とネットに投稿した大学教授がいる。情けないのは、その考え方自体であり情けなくなる。長時間労働に関する川柳の入選作の一つに<日記帳二十六時の疲れた字>。午前2時ならぬ26時という表現に、長くてつらい残業の感覚がにじんでくる。過労死ラインとされる月80時間を超えて残業をした正社員のいる企業は、2割強に上る。昨年度に労災認定された過労自殺(未遂含む)は93件だが、氷山の一角だろう。警察庁のデータでは、勤務問題を原因の一つとする自殺は昨年、2000件以上もあったという。政府の「働き方改革」の中でこうした労働における命にかかわる問題を真摯に受けとめ改善してほしい。すべて経済優先のひずみの一端として一向に改善されない長時間労働の現状が垣間見えるようである。命が大事である。
10月18日(火)晴れ 23℃
空、風、水、花、食、気…日増しに濃くなる秋色を五感で感じる。
空、風、水、花、食、気…日増しに濃くなる秋色を五感で感じる。見上げれば天高く澄んだ青色が広がり、魚影が群れるように見える鰯雲は、鰯や鯖の漁期と重なる。柿色の夕暮れは哀愁を帯び、月明かりも感傷的になる。読書に向く夜長。キンモクセイや菊が香り、刈田は風情ある虫の声。新米、新そば、新酒を楽しむ舌も秋本番である。やっと秋晴れが続き、秋を楽しむ前に昨日は定期的なCT検査。CT検査は1回/1年となったが、病院へ入ると1年前の手術入院(2回目)のことが脳裏に浮かぶ。検査終了後、造影剤の影響かもしれないが、体調がイマイチでパットせず、少しめまいと低血圧気味状態となる。帰り道を歩きながらも何となく体力が落ちたなあと感じる。20日には検査結果も判明するので改めて体調管理には気を付けたいと思う。街角を歩くと「現代の吟遊詩人」と呼ぶにふさわしいボブディランの「風に吹かれて」の音楽が流れていた。なつかしさを噛みしめながら、秋の寒さを「そぞろ寒」「うそ寒」と呼ぶが、気持ちだけは前向きに迎春ごとく暖かさを持ち続けたいと思う。
↓↓愚息の師匠である建築家「小嶋一浩氏」の死亡記事が報じられている。学校建築の第一人者、建築教育者として日本指折りの建築家であり、非常に残念である。冥福を祈りたい!!!
10月16日(日)晴れ 22℃
青根野菜大好きクラブ収穫祭 開催!
長袖でも朝夕は肌寒く感じられる日々が続いていたが、今日はまさしく朝から青空が広がり行楽日和の暖かい一日であった。季節の移り変わりは早く、この寒暖差で秋は一気に深まり、山からは紅葉の便りが届くようになってきた。里は実りの秋。この季節になると、学校や地域での収穫祭が多く開催される。汗を流して収穫したコメや野菜、果物をみんなでいただく行事でもあり、そこには自然の恵みに対する深い感謝がある。そんな中、青根地区の野菜つくりの仲間(今年は山本会長)で収穫祭が開催され、約20人の仲間が集合した。少しづつ若いメンバも増えてきており、自然の恵みを五感でおおいに感じ取ってほしいと思う。今秋は、台風禍や全国的な天候不順で、一部の野菜が高値になっている。家計には厳しい秋、そして冬となりそうだ。しかし、それ以上につらいのは農家であることを思わなければならない。収穫できない無念は計り知れない収穫の喜びから遠い地域が少なくない。特に岩手沿岸部の畑地や水田が甚大な被害を受け、回復に数年かかる所があるとの話も聞いた。食料供給基地の北海道も深刻である。震災発生から半年の熊本や大分は、ようやく実った産物の収穫を前に新たな試練に直面している。地震被害から立ち直ろうとする中で1週間前に起きた阿蘇山の噴火。野菜や果物が火山灰で覆われてしまった。日本では昔、大噴火が飢饉をもたらした。台風、火山と牙をむく自然。それでも日本人は何度も乗り越えてきた。今日の収穫の喜びは、そんな歳月故に一層深いものであった。
10月15日(土)晴れ 20℃
”珈琲と陶器”=”人生と旅”(村田町の陶器市)
お天気が続いている。まさに秋晴れであり、我が家の窓から見える蔵王連峰がきれいである。川崎町の隣にある村田町では第16回陶器市が開催されているとのことで、時間をみつけてちょっと出かけてみた。平日金曜日でもあり、空いておりゆっくりと鑑賞することができた。陶器はまさしくその人その人の性格・生き方が器に映し出されているような気がする。町有数の豪商・村田商人「やましょう」を含む店蔵と空店舗で全国各地の陶芸家が一同に集まり、陶器の展示・販売が行われ一見の価値はある。早速、最近凝っているコーヒードリッパー・ポットを購入した。珈琲と陶器との関係はまさしく人生と旅の関係によく似ている。新たな本のページを繰ると広がる未知の光景。登場人物が織り成すドラマを通じて呼び起こされる、さまざまな感情の機微。読み終えて立ち返る日常はなぜか新鮮だ。言葉での表現は難しいが、この相性がなんとも言えずいいもんだ。今年のノーベル文学賞に米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏に決まった。この「ディラン効果」が、多様な文学や音楽への関心につながってほしい。人生という旅の良き伴侶に、文学も音楽も欠かせない。
10月13日(木)晴れ/曇り 17℃
十三夜に曇りなしー自らの心のうちを静かに照らし出す!
日本人はことのほか、月に心を寄せているのではないだろうか。新月、三日月、立待月、居待月、寝待月…。形を変えるごとに呼び名がある。中でも秋の月は、名月として親しまれる。旧暦8月15日の十五夜を「中秋の名月」、9月13日の十三夜は「後(のち)の月」と呼び、江戸時代には庶民も「二夜の月」を楽しんだようだ。十五夜には三方に15個の団子を盛り、ススキや里芋などを供える。十三夜は13個の団子と実りを迎えた栗や豆をささげる。「芋名月」に対し、「栗名月」「豆名月」とも言うらしい。作物の収穫時期や暮らしとの結びつきも深いような気がする。最近は仕事を辞めたせいかもしれないが、「晴耕雨読」の生活である。本来の意味は人生の目標を成し遂げた年配者が心の赴くまま悠々自適と暮らすイメージがある。われわれ凡人にはとても手の届かない境遇であるが、辞書で調べてみると、まず「晴れた日は外に出て田畑を耕し、雨の降る日は家の中で読書をする」と字義通り。次に「思いのまま楽しみながら日を送る」と記述している。「読書の秋」である。最近はやっと雨も上がり、秋晴れが続きそうなお天気ではあるが、晴れても読書には何の妨げもない。十三夜に曇りなし。さえた月は、自らの心のうちを静かに照らし出す。今年は13日。
10月12日(水)晴れ/曇り 19℃
「山眠る」前の「山粧う」を楽しみたい!
10月に入ってから、さすがに朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。我が家も薪ストーブを炊き始めた。年齢とともに、寒さは身にこたえるようになってきた。昼はまだ暖かく、寒暖の差が大きいので風邪などをひかぬよう、体調管理に気をつけたいと思う。昼の暖かさにつられ、今日はコーヒードリッパー台の製作及び薪運搬用の一輪車のタイヤ交換・ペンキ塗り等のアウトドア作業を行った。何か夢中になる作業は時間や寒さも忘れてしまう。薪を準備したり、余った材料でハンドメイドの木工はなんか楽しく、冬ごもりの準備もいいもんである。蔵王連峰をみれば、もう少しで冬の便りも聞こえてきそうである。冠雪した山頂付近の表情を伝える写真はまるで山肌に白粉でも塗ったような雪景色でもある。自然界を見渡すと、春は草木が一斉に芽吹きだす。明るい瑞々しい情景に、つい「山笑う」。夏は苔むした岩肌から水が滴り落ちる。「山滴る」は涼風をも感じさせる語だ。そして秋。「山粧う」とは文字通り、山の化粧のこと。むろん錦繍のごとく、鮮やかに山を彩る紅葉を指すが、雪の白さが加わればどんな美しさだろう。色彩のパラダイスでもある。紅葉シーズンはこれから佳境を迎える。そして冬。「山眠る」冬ごもり前に、ひとときの賑わいを楽しみたいと思う。
10月11日(火)曇り 18℃
白紙領収書問題ーざる法で逃げ道を作っている政治家
だいだい色のハロウィーン飾りが目に入る。もうそんな季節かと思う。年賀はがきの印刷はぜひ当店で、おせちはどうですか。こんな案内がもう巷に流れている。いくらなんでも早すぎる。先を急ぐ高速社会は、肌感覚よりずっと先へ駆けていく感じだ。道の隅にギンナンが風に掃き寄せられている。季節は真正直だ。自然界のカレンダーに触れたとき、ほっと肩の力が抜ける。今、富山市議会を発端にした白紙領収書問題は、ついに内閣に飛び火している。富山市議たちは責任を認め、相次ぎ辞職しているが、官房長官と防衛大臣は「政治資金パーティーの主催者の了解を得て記入した」と開き直っている。民間ではそのような理屈は絶対に通用しない。領収書の信頼性がなくなり、脱税がまかり通るようになるからだ。違う数字を書き込むなら詐欺や私文書偽造の罪になる話でもある。しかし、政治資金規正法は“ざる法”のようで、総務大臣は「領収書作成で法の規定はない」と問題なしとの認識を示している。白紙領収書問題でも総務大臣は閣僚2人に「本当はいけない」と国会で指摘し、正論を示すべきの潔さが必要ではなかったか。身内に甘い法の運用で、逃げ道を作っている政治家は人として素直であってほしい。「信頼してほしい」という言い訳がむなしく響き国民がしらけてしまう。
10月9日(日) 曇り 21℃
野草に露が宿るという「寒露」も過ぎ、何やら解散風が。。
朝晩に吹く風がひんやりして、秋の深まりを感じる。昨日9日は野草に露が宿るという「寒露」。大気が安定して空気が澄み秋晴れが続く時季なのに、台風来襲が相次いだ今秋は、なお蒸し暑く雨や曇りが多く、実りの秋もイマイチのお天気が続いている。そんな中、本NPO主催の恒例の「森のお茶会」に出かけた。曇りがちの天気ではあったが、約20人の参加があり、伐採、チェンソー講習会等、そして芋煮会を行った。子供たちに楽しい思い出作りができたならいいなあと思う、気象庁によると、今年の台風の上陸数は既に6個を数え、2004年の年間10個に次ぐ。その余波ではあるまいが、国会周辺に「解散風」が吹きだした。1月開催が通例の自民党大会が3月へ先送りされ、年明け解散の臆測が飛び交っている。衆院議員の任期満了まで2年の折り返し点を過ぎれば、いつ吹いてもおかしくないのが永田町の常識ながら、少し早い。北方領土交渉の進展?を「追い風」にとの思惑も透けるが、解散権を握る安倍晋三首相は「全く考えていない」と打ち消す。でも本当のことを言わなくてもいいのも政界の常識である。今国会は来月末まで続く。焦点の環太平洋連携協定(TPP)承認案の本格審議はこれからで、内外政とも議論すべき課題が山積している。「解散風」は吹き始めると収まらないが、議員諸氏が浮足立ってもらっては困る。日々の暮らしで風の冷たさを痛感する庶民ほど、政治に頼らざるを得ない。「伝家の宝刀」を抜くのは首相の専権とはいえ、党利党略のため、多額な税金を使った選挙はもうごめんである。
10月7日(金) 曇り 23℃
”箱もの”のイベントはもう止めてほしい!(大阪万博)
また箱もののイベントが報道されている。こんにちは~ こんにちは~。三波春夫さんの歌声でおなじみの万博である。世界が東西でにらみ合う冷戦の時代だった。1964年の東京五輪で焦土からの復興を世界に示し、続く万博で経済大国の地位を確かなものに。夢よ再び、なのだろう。政府が2025年万博の大阪誘致に向け検討に入った。試算では、2千億円の費用で6兆円の経済効果があるとか。「地域経済の起爆剤」と期待する。東京五輪から大阪万博へ-。かつての成功をなぞるように。だが、この試算は大丈夫なのだろうか。60年前と今はだいぶ世論背景が違う。懐かしむのはいいけれど、じゃあもう一度と言われても、あまり心が弾まない。万博ねえ…。万博か…。水を差す気もないが、熱もない。箱もので人を呼んでもその後始末ができないまま、お金の回収もできないまま。。。いろいろな反応はあるが、もうこんな”箱もの”時代は終わったよと言いたいが。。。老いたせいだろうか。2020年東京五輪の総費用は7300億円のはずが、いつのまにか3兆円に膨らんだ。イベントに巨費を投じる高度成長期のような手法が、今の日本にふさわしいのか。詐欺のような試算に、後から「シェー」と驚かされてはギャグにもならない気もする。そして大阪には訳のわからない”ゆ党の松井知事”がいるし、困ったもんだ。
10月6日(木) 晴れ 24℃
縁側ペンキ塗りと清酒「ひやおろし」
コメの収穫を祝福するかのように、田の畦に沿って鮮やかな赤い花が咲き乱れている。ヒガンバナ。モグラやネズミが田へ侵入しないよう、球根に毒を含むこの植物を先人が植えたと言われている。昔の農家の人たちは稲を守る力となったらしい。秋は芸術、読書、行楽、スポーツ…と、多彩なイメージが思い浮かぶが、秋の田舎の風景にヒガンバナはよく似合う。台風も無事に過ぎ去り、今日は縁側のペンキ塗りと南側塀の植木の伐採を行った。ちょうど適度な風も吹いておりアウトドア作業にはぴったりの日でもある。でもペンキ塗りは乾燥具合も気にしながら短時間に一気にやる作業でもあるので、作業後はどっと疲れがでてくる。こんな作業で疲れるとは。。。春の「水温む」に対して、秋は「水澄む」。長雨にうんざりしていたら突然の真夏日に驚かされ、台風の影響で再び天気は下り坂。夏の熱気が薄れ、久しぶりに澄み渡る空を眺めた気がする。この季節は、不思議と日本酒が飲みたくなる。秋を待って出荷される清酒「ひやおろし」は、春先に一度火入れをして、ひと夏熟成させたもの。濃密なうまみ、まろやかで落ち着いた味わいが口中にふくらむ。今宵は疲れを癒す意味でも、酒杯を傾け、秋の味覚に思いを巡らして酔いに身をゆだね、ついつい杯が進んだ次第である。
10月4日(火) 晴れ 25℃
「とと姉ちゃん」の花森安治氏の気骨を見習いたい!
NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が終わった。物語が進むにつれ、モデルとなった「暮しの手帖」の編集長、花森安治氏は素晴らしいなあと思った。調べてみると「暮しの手帖」だけでなく、花森氏は雑誌や新聞でも健筆をふるっている。市民視線で権威や権力に一太刀を浴びせる。そんな姿勢に徹している。エッセーの一つ「国会へ行きましょう」がある。内容は国会審議を聞きたくて傍聴してみた。ところが首相は木で鼻をくくった感だし、大臣は揚げ足取られまいと上の空で原稿を読む。国民が軽んじられているみたいで「心臓のうら側に涙がにじんでくる」と。この個性派編集長が健在なら、今の国会をどう書くのだろうか。首相の演説に多くの自民党議員が立ち上がって拍手した。そうせよと指示があったとの話であったが。「独裁国家を想起させる」と批判が出ても、首相は意に介しない。審議はこれからなのに、TPP特別委の自民党理事が「強行採決という形で」と口走っている。辞任の意向だが、国会軽視にもほどがある。拍手といい強行採決といい、自民1強の思い上がりを感じる。私事ではあるが、今年度上半期も終わり、仕事の区切りもよく、S会社を退職し送別会に出席した。胡蝶蘭やら花束をいただき、ちょっと照れくさい。お酒をいただきちょっとほろ酔い加減ではあるが、こうして歩いて来た道を振り返りながら、また新たな道を進もうとしている自分がいた。
10月2日(日) 晴れ 26℃
”新米のおにぎり”はうまい!
10月に入り、街角に金木犀の香りが漂い、道行く人の装いも衣替えで秋の趣を感じさせる。久しぶりに街のコンビニにおにぎりを求めて入った。芥川賞に輝いた村田沙耶香さんの「コンビニ人間」は、朝のコンビニ店内の様子から始まっている。主人公は納品されたばかりのおにぎりを並べている。<新商品の明太子チーズは真ん中に二列に、その横にはお店で一番売れているツナマヨネーズを二列に、あまり売れないおかかのおにぎりは端っこだ> コンビニおにぎりの売れ筋に触れた、興味深いくだりだ。具の人気ランキングをネットで検索してみたら、やはり「ツナマヨ」支持者が多勢を占める。かつては「シャケ、梅、おかか」が定番だった。私の好きな”おかか派”も随分いたはずだが、今や影が薄いらしい。おかかは鰹節を細かく削ったもの。削り節とも呼ばれる。この鰹節は麹カビを巧みに応用して作り上げたもので、うま味成分を多量に含む。それを削って出汁を取ると、どんな日本料理もたちどころに美味になるとか。三陸沖では南下する「戻り鰹」の漁期を迎える。脂が乗りうまいと評判だが、鰹節を削って出汁を取っても脂は浮かばない。鰹節菌が油脂成分を分解するからだという。味良し、健康に良し。優れものの鰹節だ。弟分のおかかも、コンビニおにぎりの主役を張っていいと思うが、やはりこれからはコメは新米が出回る。新米におかか、そして梅干しと”おにぎり”はやはり日本の主役である。