■2022 活動日誌11月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2022年11月29日 曇り
大きくなったら何になりたい?
大きくなったら何になりたい? と聞かれて「ぼく」は答える。〈いいひとになりたい〉。大人はもっとでっかい夢があるだろうと言うが、〈えらくならなくていい かねもちにならなくていい いいひとになるのがぼくのゆめ と くちにださずにぼくはおもう〉。谷川俊太郎さんの詩「ぼくのゆめ」の一節に紹介してあった。多くの子供たちはの夢には野球選手やサッカー選手、看護師やパティシエなど、いろんな職業が並んでいる。プロゲーマーやユーチューバーなど昔はなかった夢もある。そんな具体的な職業に交じって「人に優しくできる人」「頼られる人」と書いている子もいた。いい人、優しい人になりたいという夢はでっかくないのか。社会のありようをみると、それは簡単ではない大きな夢に思える。どんな職業に就いたとしても、子どもたちが心優しく成長すれば暮らしやすい社会になる子どもたち一人一人に夢がある。好きな仕事に就き、いい人、優しい人になる「でっかい夢」がかなえられる社会であればいいのではないだろうか。大休のパスを利用して東京にいる息子宅を訪ねた。小学生の孫に夢を聞いてみた。親の影響かもしれないが、夢の学校を設計したいという。自分の感覚でどんな学校がいいのか自問して夢みているのもいいんだろうなあと感じ、こどもの感性を大切にしてあげたいなあと感じた次第である。。。。。
2022年11月25日 晴れ
ドミノ辞任連鎖はいつまで続くのか?
ドミノはゼロから六までサイコロの目を二つ並べたような長方形の牌を使うゲームである。ずらりと並べた牌がパタパタ倒れていく。最後まで倒れるか、固唾をのんで見守る。テレビ番組でもおなじみのドミノ倒しは応用した遊びでもある。政界でドミノが辞任連鎖が起きている。旧統一教会との関係性を「記憶がない。資料がない」と繰り返した経済再生担当相。「死刑のはんこを押す役職」と法務行政を軽んじた法相。今度は政治とカネをめぐる問題で、お目付役であるはずの総務相だ。これらの事象に対応している岸田首相の対応が不思議でならない。閣僚としての説明責任を求める姿勢に終始し、個人の問題として説明してほしいと言い続け、問題を長引かせている。なぜ後手後手に回るのか。更迭後は「任命責任を重く受け止める」と判で押したように繰り返す。一方で「政策に遅滞が生じないよう取り組むことで職責を果たす」とも言っているが言葉遊びでしかないと思う。強いリーダーシップ資質の欠如、そして問題波及の想像力が本当に不足しているとしか思えない。政策遂行は、政権として国民に対する当然の責務だ。任命責任とは閣僚にふさわしい人であるかを見極め、起用した自身の問題であり、責任を取ることの意味あいは異なる。大型国政選挙のない「黄金の3年間」を手にしたはずといわれているが、今は暮らしに直結する総合経済対策など重要課題が山積みであり、国難と言われているが、岸田さん自身が国難であることを自覚してほしいと思う。
2022年11月21日 小雨/曇り/晴れ
ドーハの軌跡の再現を!
世界のサッカーファンが熱狂する「ワールドカップ(W杯)」を初めてテレビで見たのは1982年のスペイン大会。深夜の生中継で記憶に残った一戦は西ドイツ対フランスの準決勝。西ドイツが延長、PK戦の末にフランスを下した。この時、日本がW杯に出場するとは思いもしなかった。そして25年前の1997年11月16日は、日本が初の「W杯切符」を手にした日でもある。マレーシアのジョホールバルで行われたアジア第3代表決定戦でイランを破った。ロスタイムの失点でW杯出場を逃した1993年の「ドーハの悲劇」と対照的に、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれていた。サッカーに限らず、人やチームの成長は突き当たる壁が高いほど、乗り越えた時に強さを増す。日本は1997年以降、W杯予選を毎回勝ち抜き、20日に開幕したカタール大会で連続7回目の出場になる。今回は予選同組にドイツ、スペインと強豪がそろい、予選突破は簡単ではないが、勝負に絶対はない。カタールの首都は1993年にW杯切符を逃したドーハ。あれから29年の間に、喜びも悔しさもチームのDNAとなって受け継がれ、日本は大きく成長した。いよいよ開幕した。「ドーハの奇跡」が起きると信じ、夜更かしを楽しみたい。
2022年11月15日 晴れ
一汁一菜
最近、ダンピング症状が顕著になってきている。食べた後、頭痛をふくめ内臓が重くなるような症状である。特に朝食後に顕著に表れる。空腹でもゆっくりと腹8分でとよく言われているが。。。。20分程度横になって休むと自然と回復してくる。女優の沢村貞子さんの随筆集『私の浅草』に「味噌(みそ)汁」と題した一文がある。視覚、聴覚、嗅覚を刺激する筆致で、朝の光景を描いている。下町の開けっ放しの台所から聞こえる漬物を切る音や茶わんを並べる音、漂ってくる味噌汁の匂い。沢村さんはおからに油揚げとネギを入れた具だくさんの味噌汁が大好きで「大入り汁」と呼んでいた。どの家庭も「自分のうちの味噌汁が一番」と思い、おかわりをして一日が始まったと回想している。味噌汁とごはんと漬物の食事は「汁飯香」というそうだ。一汁一菜でよいとよく言われているが、私にはこれがいいにかなあと思っている。一汁一菜は汁飯香であり、具だくさんの味噌汁があれば栄養的にも問題のない食事になるのではないかと思っている。豊かな時代、腹をすかせてはいなくても、栄養が偏っている人は意外に多いと聞く。忙しいと食事がおろそかになりがちで、忙しい日や面倒な日は栄養バランスを考えた具だくさんの味噌汁が一番である。加齢とともに一汁一菜を基本にして、食事を考えてもいいのではと思う体になってきたかもしれない。「立冬」も過ぎた今、あったかい汁物がおいしい。
2022年11月10日 晴れ
灯火親しむ季節、心震わせる文章との出会いを求めたい!
毎週1回は図書館へ通う。新着本や雑誌を眺めたりするだけでもなぜかホットする。最近、街の書店が苦境に立たされているという。直近10年で4割近くの地元書店が姿を消したというニュースを読んだことがある。そういえば、私も図書館・電子図書の利用で街角の本屋さんを利用する機会が減ってきた。本でいえば速読術をよく目にする。本の種類にもよるが、急いで詰め込んでも自分にとっての読む最近は読みたい本があっても読む時間がなく、読むスピードも遅く、なかなか読み切れない。営業の仕事をしている知人にぼやいたところ「そんな人におすすめ」と、かばんからタブレットを取り出し「本の要約アプリ」を見せられた。ベストセラーや新刊本を含むラインアップは数千冊以上。読み切るまで3~4時間はかかりそうな本の要約が無料や有料で、10分程度で読める。勤め先の会社がアプリを取り入れており、営業先での雑談や、学びに役立てているという。大量の出版物から、本当に手にしたい一冊に出合うきっかけにもなりそうだ。こうした状況から、ますます本屋さんの利用は減る一方ではあるが、秋の夜長、お気に入りの本をゆっくりと読む余裕も必要だなあと思っている。本の種類にもよるが、急いで詰め込んでも自分にとっての読む楽しみにつながるかどうか。遅読でけっこう。灯火親しむ季節、ページを行きつ戻りつ、心震わせる文章との出合いに期待しつつ、好きなように読むこととするのもいいもんである。
2022年11月7日 晴れ
「時間」「空間」「仲間」三つの間!
三つの「間」を大切に、という話を聞いたことがある。それは「時間」、「空間」、そして「仲間」。人生いろいろ。歳月は長く、重かったが、この広い世界の一角で「仲間」と呼び合える出会いがあり、一つの目的に向かってそれぞれの時間、空間が重なり合った「奇跡」もあり運命を感じる。人生100年時代としても、折り返し地点はとうに過ぎている。我々夫婦もそれぞれに後半の人生の過ごし方を模索しているようでもあった。縁もあるし、それが何らかのつながりもあり、思い出は心の中で生き続ける。出会いはやはり、大きな財産。元気をくれた仲間たちにありがとうと言いたい気分でもある。コロナ下だからこそ、三つの「間」をこれまで以上に大切にしたいと思う。そう心に留める。「薪」が縁でつながった仲間が訪れてくれて息子の世代との会話が面白い。世の中は何が縁でつながり、元気を与えてくれた。晩秋の秋の中、ちょっとほっとしたひと時を過ごすことができてうれしい瞬間でもあった。
2022年11月3日 晴れ
ジャーナリスト金平茂紀氏の声に耳を傾けた憲法の日
きょう11月3日は1946年、現憲法が公布された日。韓国の人気グループ「BTS」の兵役免除の可否が先月、話題になった。日本には兵役義務がない。戦争放棄、戦力不保持をうたった現憲法のおかげだろうと感謝する。とはいえ、北朝鮮やロシアの暴挙を思うと、「国を守る」必要性を考えてしまう。実際、朝鮮戦争を機に「警察予備隊」が創設され、これが現在の自衛隊につながった。沖縄県・尖閣諸島の権益確保など、海洋進出を強める中国の動きを懸念している人も多くいる。政府が米国製巡航ミサイル「トマホーク」の購入を検討していると報道されている。ロシアのウクライナ侵攻以来、防衛論議が活発化している。兵役、自衛隊、オスプレイ…。もう一つの“憲法記念日”ともいえる日に、平和憲法の意味をあらためて考えながら、憲法9条を守り生かす 宮城のつどい2022(仙台サンプラザ)に参加した。ジャーナリストの金平 茂紀氏、ドイツ文学翻訳家 池田香代子さんの講演に耳を傾けた。憲法9条は絶対改憲の議論には載せてはならぬ日本の誇る憲法であることを再確認した。晩秋の落ち葉が舞う宮城野通りを歩きながら、心温まる気持ちが充満している。