2018活動日誌11月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2018年11月29日 晴れ 12℃
今年はなぜか多くの懇親会のお誘いを受ける!
いよいよ今日で11月も終わる。でも今年は暖かく穏やかな日が続いている。でも夜になり。懇親会の帰り道の街角の枯れ葉を踏みながら歩くと、秋の深まりを感じる。人生そして仕事の先輩であるHさんが、花巻から仙台を訪れてくれた。昔話をしながら家内も交えてお酒の力も借りて、笑いの渦に巻き込まれるようなひとときだった。今年の年末はいつもと比べて多くの方々から懇親会(忘年会)の誘いをうける。これもお互いに年を重ね人恋しく思う気持ちなのだろうか。暦の上ではもう冬である。1年の回顧と言えば、「新語・流行語大賞」は欠かせない。候補30語が発表され、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手の活躍を指す「翔タイム」も。「ショータイム」の響きは開幕後すぐ、現地で聞かれた。「そだねー」「もぐもぐタイム」は熱狂的支持を集めたカーリング女子だが、平昌(ピョンチャン)五輪を懐かしく感じてしまうほどに1年は長い。「悪質タックル」「奈良判定」と、スポーツ界は深く反省すべき年でもある。平成としての年末は今年が最後。30年間を振り返ると、元年の金賞(当時)は新語部門が「セクシュアル・ハラスメント」。同年は、それを理由とした国内初の民事裁判が起こされた「セクハラ元年」でもある。受賞語は時代を映す。18年前の「IT革命」は文字通りに社会を変えた。9年前は「政権交代」。熱気があったが、どこに行ったのかと1強多弱の今思う。5年前の岩手発「じぇじぇじぇ」は復興を後押しした感じがする。さて、今年を表す大賞はどれに。「翔タイム」を推したいが…。いずれ、長い目で見てどんな年だったかは、受賞語とともに後年改めて位置付けられることになるのだろう。
2018年11月27日 晴れ 17℃
落ち葉に郷愁を感じる今日この頃である
美しかった紅葉も、舞い散る落ち葉となると掃除が大変である。雨が降った翌日はなおさらで、葉が地面に張り付いて厄介である。街角では熊手で懸命に葉を集めて掃除している人を見ると申し訳ない気持ちになる。でも我が家にとってはファームの肥料となる源で貴重な素材に変身してくれるありがたいものである。子どもが小さかったころは、落ち葉や小枝を集めてたき火をしていた。そこにアルミ箔で包んだサツマ芋を入れる。燃え尽きるころにはおいしい焼き芋になっていた。今は庭先でこんなことをしようものなら苦情が来るかもしれない今日この頃である。ドイツにディートリヒ・フィッシャーディースカウという「100年に一人の大歌手」といわれたバリトン歌手がいた。彼の歌う曲がシューベルトの歌曲の代表作『冬の旅』。昭和歌謡ぐらいしか普段聞かないのに、数年前にたまたまテレビで映像を見て、その豊かな表現力に魅了された。恋に破れた若者がさすらいの旅に出る。映像で見たのは「おやすみ」という曲。静かに語りかけるように歌い上げる。よく知られている曲に「菩提樹」があるが、その世界には落ち葉と朽ち果てていく生命のイメージが重なる。ことに落ち葉は冬になくてはならない景色だ。パチパチと音を立てて燃える小枝や落ち葉。やんわりとした炎を見つめていると気持ちがなぜか落ち着き郷愁を感じさせてくれる。
2018年11月23日 晴れ 13℃
来年は平成と新元号が同居する節目の一年となるだろう!
平成最後の秋。もう少し特別な感慨に浸りながら見送るものかと思っていたが、目先のことに追われているうちに、いつものように時は流れ、いつものように年末に向けた日程が詰まってきた。暦の上では平成最後の冬を迎えている。今日もファームの片づけに追われたが、暖かい日でもあり、作業するにはちょうどいいくらいである。管理機で耕運していると小鳥が後を追いながら土中の虫を狙っている。そして師走になると、お年玉付き年賀はがきの発売開始の声を聞く。郵便受けには喪中はがきがぽつりぽつりと届きだし、今年が残り少なくなったことを伝えているような気がする。平成最後のお年玉付き年賀はがきは、1等賞品の現金が30万円にアップしたことなどが話題となっていた。「賀状書く」は冬の季語である。しかしメールの普及などにより年賀状を出す人は減少傾向にあるらしい。人手不足で配達業務のひっ迫した状況も伝えられる。書店をのぞくと来年用の日記帳、手帳、暦が並ぶ。「日記買う」も冬の季語。来年は平成と新元号が同居する節目の1年となるだろう。目標は。計画は。白いページに思いを巡らしているうちが楽しい。来年5月1日の新天皇即位に伴う改元まで半年を切った。政府見解によると新元号の公表は、改元1カ月前を想定しているという。平成31年の表記は4月まで。5月以降は空白だった。使い慣れた形の暦だが、なるほど平成最後の顔をしている。
2018年11月21日 曇り 12℃
新蕎麦と新米はこの時季だけの楽しみである!
連日、講演会や勉強会(ITユニシスセミナー、文化歴史学術会議)に出かけている。最近は学ぶことの楽しさに追われているような気がする。自転車で街角で通りがかった老舗そば店の店先で、「新蕎麦入荷」と墨痕鮮やかな張り紙を見つける機会が多くなった。風味豊かな新そばは、新米同様にこの時季だけのぜいたくと同時に楽しみでもある。とりわけ夏にまき、秋に収穫したばかりの実をひいたそばは「秋新」とも呼ばれ、うま味が凝縮して格別とされる。ひきたて、打ちたて、ゆでたての風味がたまらない。今回、蕎麦プロジェクトで蕎麦を栽培し保管しているが、新たな水車で製粉できることを待ちわびている。蕎麦は中央アジア原産といわれ、タデ科の一年草で、春まき、夏まきの年2回栽培できる。痩せた土壌や寒冷な気候にも強く、古くから凶作に備えるための作物とされてきた。和食の代表のように思われるが、世界中で栽培されてイタリアのそばパスタ「ピッツォッケリ」やロシアのそばの実がゆ「カーシャ」は有名だ。南北首脳会談時に朝鮮半島の融和を演出した「平壌冷麺」にもそば粉が使われている。ところで、そばといえば「もり・かけ」が定番だが、例の疑惑はどうなったのか、時間とともに忘れかかっている。永田町では臨時国会が始まり、移民(入管)問題で論戦真っ盛り。重要法案の熟議と併せ、先の国会から持ち越した「もり・かけ」の真相究明も忘れなく行ってほしい。霜月も後半を迎え、今年も残り1カ月余りとなってきた。みそかそばと違って疑惑の年越しは勘弁願いたい。
2018年11月19日 曇り 11℃
地方の旗振り役の体たらくを嘆く!
小さな町に住んでいると人口減少や産業衰退を肌で感じる。借り手が減り、乗る人が減れば、地域経済を支える地方銀行も、地域の足を担うバスも立ち行かなくなってきている。統計情報を眺めてみると、2017年度に本業が赤字だった地銀、第二地銀は過半数の54行で、赤字が2年以上続いているのは52行にも及ぶ。バスも2016年度で6割を超える157事業者が赤字だという。地銀とバスに限らず、地域と運命を共にするところは将来を案じてしまう。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、人口5千人未満の市区町村は、2045年に全国で444に上り、2015年時点の1・8倍にもなる。強い者、賢い者ではなく、変化できる者のみが生き残る。人口減少時代、変わらなければならないのは分かっているが、ではどう変わるのか。平成も終わりに差し掛かりながら、新時代を開く妙案はないだろうか。「地方創生」との言葉がひとりあるきしているように思えてならない。高く掲げた地方創生の旗をしっかりと振り続けていかなければならないとは思うのだが・・・。地方創生担当相と言えば、k大臣は国税庁への口利き疑惑や政治資金収支報告書の相次ぐ訂正などの対応に追われてか、就任から1カ月余、肝心の創生のお仕事をしているのだろうか。A首相が適材適所の配置とひとりよがりの言葉だけが踊っている。地方の旗振り役がこの体たらくでは、当の地方はしらけるばかりである。
2018年11月16日 晴れ 13℃
錦繡に彩られた季節が幕を下ろせば、白い冬がやってくる!
春と秋、どちらにひかれるかを語り合う場面が「更級日記」にあった。“春派”に押され気味の“秋派”の人が歌を詠んでいる。〈人はみな春に心をよせつめり我のみや見む秋の夜の月〉。作者もそのときは春に軍配をあげていた。ところが後、色鮮やかな紅葉に接し目をみはる。京都・鞍馬を秋に訪ねて言うには「山の端(は)、錦をひろげたるやうなり」「かきしぐれたる紅葉の、類(たぐい)なくぞ見ゆるや」。春派、秋派を問わず、秋のすばらしさをあげるとすれば筆頭は紅葉だろうか。さえざえとした夜の月もさることながら、山から里、そして街の並木を順に染め上げる赤や黄の風景には誰もがうっとりさせられる。そんな中、今日は午前中は「老壮大学」、午後は歴史講座「伊達800年の歴史絵巻」に出席した。9月に行われた「川柳を楽しむ講座」でめでたく私の句が最優秀賞と優秀賞に選ばれ、ある川柳の本に掲載されることになった。ちょっとうれしい気分になった。
その句とは
<目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ>
<鏡見て 歯に目に髪に 歳重ね>
気まぐれな自然を相手にしながら農と共に脳の活性化を図る意味で川柳を楽しんでいきたいと思う。
午後の歴史講座は伊達家800年、お殿様の知られざるエピソードを登米のお殿様の子孫である伊達宗弘(現仙台大学客員教授)がユーモアたっぷりに1時間半にわたり、熱弁してくれた。いやあ歴史物は面白い。伊達と言えば、伊達政宗が中心ではあるが、その他のお殿様の実情を知ることができて、大変面白かった。知的満腹後、帰宅途中の街中はすっかり晩秋で、感傷的になりがちな落葉の夕景は何か切ない気分となる。燃えて散るのか、そっと朽ちるか、錦繍に彩られた季節が幕を下ろせば、もうすぐ白い冬がやって来る。
2018年11月14日 晴れ 14℃
季節に流されなくてもいいよ!
晩秋とすればいいのか、初冬とすればいいのか。11月という月は12カ月の中でも変化が大きく、感覚的に迷う。穏やかな秋晴れが続いているが、里山の黄葉、紅葉もかさかさと落ち始め、日が暮れるのもめっきり早くなった。立冬も過ぎ、二十四節気の一つで、暦の上では冬に入る日とされている。まだ秋を楽しみたいのに、何だか背中を先へと押されたような気分でもある。でも気温が高く過ごしやすい日々が続いている。今日は高圧洗浄機で家の外壁、コンクリート塀の清掃とペンキ塗りを行った。年末掃除の前倒しでもあり、加齢とともに暖かいうちに済ませようと思うようになってきている。ペンキの乾燥する間、街角へ車で出かけた。街の木が装いを脱ぎ始めている。枯れ葉を踏みながら歩くと、秋の深まりを感じる。今年もあと50日余を残すばかりとなり、年々、1年を振り返ったり、新年に向けた準備が早くなったような気がする。晩秋であり、初冬であるとの分け方、感じ方も自分次第。誰かが決めた枠にはまる必要はない。忙しく変化する11月だからこそ、慌ただしい現代人にささやいているようだ。「季節に流されなくてもいいよ」
2018年11月12日 晴れ 16℃
デジタルとアナログの共存!
平成の世を象徴する言葉をいくつか挙げるとすれば、最上位の一つは「デジタル」の言葉ではないだろうか。対照的な「アナログ」を蹴散らすように、デジタル機器が社会を席巻していった。目覚ましいというより目まぐるしかった。パソコンを支給されても文字を不器用に打ち込むだけで、ネットも満足に使えず、慣れるだけで精いっぱいであった。そんな初期の頃が懐かしく思い出される。たかが20年ほど前のことである。それがいまや電話付きパソコンと言った方がいいスマホを、肌身から離せない。手元にないと数日先の予定さえあやふやになるし不安にもなってくる。先日、購入した、いつもの「3年手帳」を眺めてみた。来年5月1日、皇太子さまは新天皇に即位される。10月22日には「即位礼正殿の儀」が行われる。この二日について、各手帳メーカーがどう扱ったのか確かめた。政府は来年に限って祝日とする考えだが、そのための特別法はまだない。そのためか、日付は黒字。この国会で法が成立し、新たな祝休日ができても改訂版は出そうにない。持ち主自身が日付を赤く塗るなり工夫の必要がある。いかにもアナログながら、デジタル全盛の世にこんな手作業をするのも面白そうだ。私にとって時計をはじめ、まだまだアナログもまだまだ捨てがたい。特に人情だけはいつまでもアナログのままでいたい。今日、訪れたデイサービス「ももの木」の千葉さんとの人情話。家内も泣きながらうなずいている。泣けてくる。やはりデジタルとアナログの共存があってこそ、人生は面白くなると思う。
2018年11月9日 曇り/小雨 17℃
イザベラ・バード山形アルカデイア街道に触れて!
本日、イザベラ・バード来日140年目にあたり、山形でとうほく街道会議が開催され聴講に参加した。山形のアルカデイア街道(越後米沢街道、糖野目街道、米沢最上街道、羽州街道)を指し、山形置賜地域から金山町までの街道である。以前よりイザベル・バードには関心があり、いつかはトレッキングしてみたいと思い、最近シューズも買い込んだ。同じ志の仲間が集結し意見交換できてハッピーであった。イザべラ・バードはイギリス旅行家。明治時代の日本を訪れ、その旅行記をまとめた「日本奥地紀行」の著作で有名。彼女は日本以外にも、ハワイ、ロッキー山脈、マレー半島、ペルシャ、クルディスタン、朝鮮、中国に関する旅行記を残しています。その中でも日本は多く訪れていており、都合5回ほど来日。満州や朝鮮、中国への旅のベース基地や夏の静養のために、伊香保温泉や日光湯元温泉に滞在していました。バードは東京を経て北海道まで、約3ヶ月間旅行をしています。そのルートは東京 → 粕壁(春日部) → 栃木 → 日光 → 会津 → 新潟 → 小国 → 置賜(山形県南部) → 山形 → 新庄 → 横手 → 久保田(秋田) → 青森 → 函館 → 室蘭 → 白老・平取(アイヌ部落) → 函館 → 横浜
いろいろな町を訪れていますが、いい印象ばかりではなく、悪い印象をもった町もあったようで、中には悪し様に罵っているところもあります。天気やそのときのバードの気分など、色々な要素が含まれての印象なので、これが当時の全てではありませんが、「日本奥地紀行」に書かれている、私もいつか各地の印象や感想をまとめ、IT(GISを利用し昔の歩いたルートと現在の地理を重ね合わせた地図を作成)を活用した旅行記をまとめてみたいと思う。まさに人生最後の集大成になるのではないかと思う。
2018年11月7日 曇り 15℃
笑ってみたり、しんみりしたり、のどかな秋を楽しんだ!
朝晩めっきり寒くなってきたが、昨年と比べれば気温は高い。でも、ついこの間まで猛暑、酷暑と言っていたが、11月過ぎると途端に寒くなったような気がする。寝床にも慌てて毛布を引っ張り出したり、薪ストーブの薪運びも急ピッチである。そして夕闇は〈秋の日は釣瓶落とし〉を実感するようになった。四季の日本で、秋の寒さを語感の違いで詠み分けてきた単語がある。秋に入って寒さを覚える「秋寒」、秋も半ば過ぎから感じる「そぞろ寒」、本格的な寒さの前の「漸寒」、深まる秋に実感する「肌寒」―。いまは「漸寒」あたりだろうか。それでも昼間は秋晴れのうららかさがうれしい。澄んだ空に紅葉も始まり、山里は鈴なりの柿の朱色が鮮やかだ。農家の軒先では干し柿の準備が始まっている。秋は街なかでも見つけることができる。街路樹の黄色く色づいたイチョウの下にたくさん落ちている銀杏である。イチョウは雄と雌の木があり、雌の木に実がなるという。まさにのどかな秋である。昨日は知人のSさんの個展が野草園で開催され、激励も兼ねて足を運んだ。まさに田舎や農村の風景が会場一体にひろがり、幼いころを思い出させる田んぼや農作業を再現したかのように心が癒される思いである。そして今日は札幌から知人も訪れてくれて、まさに笑ってみたり、しんみりしたりと、のどかな秋を楽しんだ。
2018年11月5日 晴れ 15℃
秋の情景は赤、黄の紅葉のパッチワーク!
中国の五行思想で四季に割り振られた色の話がある。春は青、夏は紅(あか)、までは分かるけれど秋が白、冬が黒なのはどういうわけなんだろう。童謡の「真っ赤な秋」にあるようにこの季節の色彩で目立つのは赤だし、白は雪の冬にこそふさわしくないだろうか。といって赤秋、白冬でもなじまない気がする。秋の情景は何といっても紅葉の赤、黄。今、山々はパッチワークの絨毯のように鮮やかである。そして「音のパッチワーク」のピアノ演奏もいいもんだ。今月中旬の演奏会を楽しみにしながら今日は家でCDのピアノ曲を大音量で楽しんだ。庭先で作業しながらピアノ曲の音楽とすずめのさえずりの競演も見事で、青空に浮かぶ白い冠をした蔵王連峰も楽しそうである。自然の中でひときわ色彩感豊かな響きが胸を打つ。平日にもかかわらず、多くの来客があり、お茶をのみながら世間話に花が咲く。音楽そして情報も人の心の幅を広げてくれるような気がした一日であった。
2018年11月1日 晴れ 16℃
農業は地道な作業と小さな喜びの繰り返しだと思う。
いよいよ11月に入り年賀状やお歳暮等の話題が聞こえてくる季節となってきた。今日の歴史講座後の懇親会ではもっぱら農業の話題となる。農業は地道な作業と小さな喜びの繰り返しだと思う。米作りなら春の代かきに始まり、田植え、草取りなどを経て、ようやく秋の収穫を迎える。この間、天候の具合に気をもみ、生育が順調だとほっと胸をなで下ろす。そして喜びが最高潮に達するのは収穫期。それは農業のプロもアマも変わらない。家族で土を堀り、ものをつくる感動と、感激が田んぼやファームにあふれる。小さい石ころのような芋でも、割り箸のような細いねぎでも、自分の心で創ったものであるからこそ、ここにはクズものは無いと思う。懇親会でお酒で酔った勢いで話しながら熱弁をふるう自分がここにいた。本職の農業者にとって、収穫期を迎えた喜びは格別だろう。知り合いの農家は「丹精込めて育ててきた作物はいとおしい」と話す。そして私の大好きなリンゴは、いよいよ主力品種ふじの収穫時期でもある。やはり実りの秋は歓び(喜び)が満ち溢れている。農作業は体がしんどくても、気持ちをすがすがしい気分にさせてくれる。そして何より心身を生き返させてくれる。これからも家内とともに汗をかきながら小さな歓びと小さな旅を楽しみたいと思う。