■2016活動日誌12月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。コメントをお寄せください。
2016年12月31日(土)晴れ 7℃
2017年が良い年でありますように!
師走はせわしない。追い立てられるように毎日が過ぎる。フリーな身分ではあるが、何か「一日一日に時を刻む音が聞こえるようである。「あと何日」といったカウントダウンを聞くと、何か今年に忘れ物をしてないか気に掛かる。きょうは大みそか。この1年間の明るい話題と暗い出来事を振り返る日だ。同時に、明日から始まる新年に希望をつなぐ日でもある。松尾芭蕉は「俳聖」と呼ばれている。「漂泊の俳人」の異名もある。全国各地を旅し、数多くの俳句を残した。1684年には『野ざらし紀行』の旅で江戸から東海道を西へと向かう。途中、現在の三重県伊賀市に立ち寄った。前年に亡くなった母親の墓参の目的もあったらしく、故郷で年を越す。だが、感傷に浸ることはなかった。〈年くれぬ笠着て草鞋はきながら〉の句に、旅をすみかとする気構えがのぞいている。そして5年後には『おくのほそ道』に旅立った。平易な言葉で独自の作風を確立した小林一茶にも年末を詠んだ俳句がある。〈行く年や庇(ひさし)の上におく薪〉。決して裕福ではない農家が新年の雑煮を作るのに使う薪だろうか。庶民の前向きな姿を想像する。薪の準備、味噌つくりの準備、正月飾りの準備と相変わらず動き回っている。今年ももうじき終わる。私の一句「薪棚の 白き山峰 そそりたつ」。2017年が良い年でありますように。
2016年12月26日(月)晴れ 8℃
年賀状 ぬくもりのある手書きの一言を添えたい!
私の好きな「徒然草」の吉田兼好は名筆として知られている。しかし、その作品の中には逆に悪筆を励ましている記述もある。「手のわろき人の、はゞからず文書きちらすは、よし」。文字の下手な人も遠慮せず、どんどん手紙などを書き散らすのは結構なことである、と。励ましている。私も本格的に年賀状書きにせっせと準備に取り掛かっている。年賀状のはじまりは平安時代というから歴史は古い。当時は貴族同士のやりとりだったが、人々の付き合いが増える江戸時代に庶民の間に広まったとされる。新しい年のあいさつを携え飛脚たちが華やぐ街を駆け回った。元々、無沙汰のわびと近況報告をしたためたものだが、現代はパソコンの時代は印刷が主流。もはや文面や宛て名までお世話になっている。全て業者に“丸投げ”の賀状も多い。個性あふれる悪筆が消え、味のある年賀状にもなかなかお目にかかれなくなった。久々に再会する筆の跡にその人をしのぶ。癖のある丸文字や、半ば“ミミズ”の類いだとしても、その文字の連なりに懐かしい顔を思い浮かべる。吉田兼好は後段で「見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし」とも言っている。下手だからといって、人に書いてもらうのはわざとらしく、嫌みらしい。印刷という代書が全盛の今だからこそ、温もりのある手書きの一言を添えたい。さあ、がんばらなくちゃ!
2016年12月25日(日)晴れ 7℃
糸魚川市の町中火災 - 防火の心得をもう一度確認してみたい!
テレビニュースが伝える映像を見て驚いている。猛火が屋根瓦を破り、噴きだしていた。無数の消火ホースがのびていたが、黒煙白煙が糸魚川の商店街を覆い、家並みを焼いた。避難勧告が出され、自衛隊に災害派遣を要請するほど火勢が衰えなかった。無情な風である。朝から強い南風が吹いていた。日本海側はこの季節、海風が強く吹き付ける、調べてみるとこの暴風が地元では「蓮華おろし、じもんの風、焼山おろし」と呼ばれている。そういう名前を付けるほど風に悩まされてきた。東西に長い街の姿が災いしたこともあったという。144棟が焼失した。私も子供のころ、家の周り一帯が火事に見舞われたことより他人事ではない。町中は休みやクリスマスに向け華やいでいたはずだ。年越しの準備も始めていた頃だろう。「どうしようもない」。現地からのこわばる声に、胸が痛い。焼け出された糸魚川の人々の心身を温める方法を考えなくてはならない。ストーブの上に洗濯物を干していないか。住宅用の火災警報器はちゃんと付けているか。ストーブの後始末はよいか。ガスコンロから離れるときは、必ず火を消す。寝たばこは絶対にダメ。命を守り、悲しみを防ぐ「防火の心得」をもう一度、確認してみたいと思う。今回の餅代の売り上げを被災地支援の一部として義援金を送りたいと予定していた所に、同じ志の友人Tさんから一緒にと義援金をいただいた。ありがたい。少しでも被災地の支援になればと思いながらも胸が痛む思いである。
2016年12月22日(木)曇り 14℃
一陽来復 - 生のピアノコンサートはいいもんだ!
冬至は「一陽来復」ともいう。陰から陽へ、冬から春へ変わる節目。転じて、良くないことが終わり、幸運が向いてくるという意味にも使われる。今日は珍しく温かく気温も14℃近くまで上昇している。2.5日間、「木こり」作業も終わりホットしているが、疲れもどっと押し寄せてきた。でも今日の夜は楽しみのピアノコンサートがあり、急いで地下鉄に乗り込む。小ホール(450名)のコンサートはまじかで音色が聞き取れ、電気音楽にはない心地よいリズムが体にしみこんできて、いいもんだ。前から3列目に陣取り、思う存分、ピアノ、バイオリン、そして極めつけのソプラノ(歌劇)を堪能できて幸せ気分に陥る。寒さはこれからが本番であるが、心身の暖かさには生のコンサートはもってこいである。食べ物でビタミン補給にカボチャを食べたり、ゆず湯であったまったりする、この冬、「ん。。。。。」は「運」につながるから。なんきん(カボチャ)、ニンジン、レンコン、ギンナン、キンカン、寒天、うどん…「ん」の食べ物に運をもらって無病息災を願いたい。安全は運任せ-。そんな思いで沖縄の人たちは空を見上げているのではないか。不時着事故を起こした米軍の新型輸送機オスプレイが「一週来復」。事故から一週間足らずで飛行を再開した。米軍は「訓練中のトラブル」と説明。日本政府も機体に問題なしと認めた。だが、不時着とは別に、飛行場で胴体着陸した機体もあった。「到底容認できない」。翁長雄志知事の言葉が沖縄の不安と怒りを代弁する。米軍普天間飛行場の辺野古移転を巡る最高裁判決では、埋め立て承認を取り消した県の敗訴が確定した。基地負担の重さに苦しむ沖縄。安全、安心、本土移転…。「ん」の付く春の訪れはまだまだ遠い。
2016年12月21日(水)晴れ/曇り 13℃
冬至南瓜と忘年会で頭の大掃除!
冬至南瓜。冬至に食べると「風邪をひかない」「中風(脳卒中)にかからない」は、昔からの言い伝えである。野菜の端境期のころ、ビタミンAが豊富な黄色の野菜は、貴重な供給源となってきた。パートナーも朝から準備でいそがしい。一年でいちばん夜が長い日でもある。そんな中、忘年会のお誘いの電話が鳴る。この一年の嫌なこと、忘れていたのに忘年会を開くとあるが、結局はいつもの飲み会である。<頭のゴミも出さないとよろしくない>と忘れる効用を英文学者の外山滋比古氏が説いている。よけいな情報や知識をごみ出しして頭の中を片付けないと、思考は自由に働かないし、新たな知識も入らない。呼吸と同じ。息を吐かなければ新鮮な空気は吸えない、と。ただし、忘れようとして忘れられないから困る。あまりに衝撃的な経験は忘れられず、トラウマとなって苦しめられもする。一方で人間は都合の悪いことは忘れ、快いことを選んで思い出を美化する。この一年をふり返ると、いろいろあった。忘れていけないことは教訓として刻み、後々まで残したいものだ。そろそろ大掃除の時期でもある。たまったほこりを払い、不要になったものを仕分けしてごみに出す。そうするうちに、隠れていた大切なものを思わず見つけることがある。頭の中や心の内も同じかもしれない。忘却は大掃除である。というわけで、今夜も忘年会。
2016年12月20日(火)曇り 13℃
鳥インフルエンザー渡り鳥のシルエットが切なくなる!
久しぶりに暖かく気温も13℃にもなり、アウトドア作業には最高の日和である。今日は朝から早速、古くなったシイタケのホダ木を薪用にチェンソーで切断した。久しぶりにチェンソーの音と油のにおい、手の振動が心地よいものである。薪運びはパートナーもコツを覚え、役割分担も無言のうちにわかってきたようで頼もしく感じるようになってきた。すぐそばの池にシラサギが飛び込み池のニジマスを狙っている。鳥と言えば日本の各地で鳥インフルエンザウイルスが検出され、農場や養鶏場で殺処分が出ている。死んだ野鳥などからも韓国と同型のウイルスが確認されている。対策としては鳥に接触しない、手洗い・うがいの励行が必須であり十分に気を付けたいと思う。野鳥のリレーで大陸から運んでくることも考えられるそうだが、無心に飛ぶ渡り鳥のことだから、防ぐ手立てが限られる。渡り鳥には、生まれ故郷に「帰りたい」との願望が本能として遺伝子に組み込まれている。その衝動に突き動かされるように、今もどこかの空を飛んでいることだろう。どうか不安の種は持ち込まないで、と願うばかりだ。渡り鳥は季節移動であり、回帰移動だが、どこかロマンがある。多くの小鳥は夜に渡りをするという。大抵の鳥類は夜、視力が低下する。そこで晴天の月夜や満天の星空の夜を選んで、群れをなして飛ぶ。月面の、無数の鳥たちが飛ぶシルエットを想像すると、どこか切なくなる。作業の終わった後は、久しぶりの心地良い汗でほっとした安堵感が心に染みるようである。
2016年12月18日(日)晴れ 9℃
大根おろしとわさび ー 日本だけの珍味らしい!
最近、師走かもしれないが、いろんなイベントでスケジュールが埋まってくる。久しぶりに家でゆっくりと音楽を聴きながら年賀状でも書こうと予定していたが、「昼食を食べましょう」「お茶しましょう」「おいしいものがあるから来てよ」。。。おいしいものにはなぜか人を吸い寄せる魔力がある。そして話の花も咲くものである。その中でKさん宅で外国旅行好きの方からこんな話を聞いた。「西洋には大根おろしはありません。大根おろしとわさび。あの二つは最も日本的なものですね」と。私は術後、消化機能を助けてくれる大根おろしは欠かせない一品となった。魚をはじめ何でも何気なく「おろしとしょうゆ」で食べてきた。ご飯もお酒も一層うまくなる。古くからの言い伝えで「大根おろしに医者いらず」ということわざもある。魚料理に大根おろしを使うのは、辛み成分に殺菌・解毒作用があるから。揚げ物に添えると、分解酵素が消化を助け胃腸の負担を軽くする。また免疫力を高めるビタミンCが豊富。ニキビなど炎症対策にも役立つ。また刺し身には大根おろしとわさびを載せるのもおいしい。忘年会シーズン。おいしい料理がめじろ押しだ。箸を休める暇もなさそうだが、念のため大根おろしは用意したいものである。帰宅しながら、薪集めをしないとなあとお天気とスケジュールを考えながら。。。でもなぜか師走はいそがしい。
2016年12月17日(土)曇り/小雪 4℃
12月半ば 道半ば 1年を振り返ってみると。。。
12月も半ばとなり、1年を振り返る頃合いである。はてさて、今年は予定通り順調に進んだろうか。それとも思うように行かず難渋したのか、自分に問いかけてみている。フランスの哲学者、アランは「幸福論」(岩波文庫)で人生について解説している。「若干苦労して生きて行くこと、波瀾のある道を歩むことはよいことなのだ人は出来合いの幸福など望まない」と。行く道に障害があることで血が湧き燃え上がる。その点から見れば、生活は厳しいかもしれないが、自然を相手に四季の移ろいを感じながら元気で働き通した今年は良しとすべきだろうと思っている。それならば経済成長を約束したあの人の1年回顧はどうだろうか。安倍晋三首相である。看板の「アベノミクス」の成果はいまいち。「それでも自衛隊駆けつけ警護が始動し、TPP関連法や年金制度改革法も成立し十分に力を誇示でき、カジノ法も数の力で押し切った」と。勝手に自己満足しているに違いない。そして日ロ首脳会談。古里を失った元島民の望郷の念はかなわず、進展もなかった。経済協力3000億と巨大なアメを与えてみたものの。。両国間の深い溝は埋まらないままだった。ある夏、北海道・知床半島の付け根にある牧場から、国後がくっきりと見えたことを思い出す。島まではわずか20キロ余り。北方領土はまさに指呼の間にあるが、いまだに手は届かない。「生きているうちに戻りたい」。道東を旅した当時、どこでも流れていた「知床旅情」は国後に思いをはせる。「はるか」をつけずに歌えるのはいつの日になるのだろうか。
2016年12月15日(木)曇り 6℃
日本お人好しATMは「米国・ロシアファースト」が大好き!
最近、どこでも「XXファースト」と耳障りの良いキャッチフレーズが飛び交っている。そんな中、米軍普天間飛行場に所属する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが13日夜、名護市安部沿岸の浅瀬に墜落した。プロペラがちぎれ、尾翼が折れ、胴体部分はバラバラに大破した。機体が相当な衝撃を受けたということであるが墜落ではなく不時着と説明している日本。外務省や防衛省は、沖縄では「住民第一」ではなく「米軍ファースト」の基地政策を取り続けている。その結果、米軍の権利主張が強まり、過重負担の解消を求める県民の取り組みに露骨な敵意を示すようになってきた。昨日の日ロ首脳会談でもそうである。まずは「ロシアファースト」と叫びプーチン大統領にペコペコ頭を下げて温泉にお誘いする。米国トランプ氏が大統領勝利とみると「米国トランプファースト」とマンハッタンへ出かける。今度は米国オバマ大統領が真珠湾に行くといえば、「米国オバマファースト」と一緒に行くという。とにかく日本外交は主体性がない。信頼・友好関係を築くには「お人好しATM」が必要なのだろうか。安倍晋三首相ATMは経済優先と言わんばかりにお金が次々と出てくる。集金はちまちまと税金逃れはないかと目を光らせ毅然とした行動をとる。独立法治国家である日本は経済優先の掛け声の元、主体性が全くなくなり、そして忘れ去られたような気がする今日この頃である。
2016年12月14日(水)曇り/小雪 5℃
風邪とインフルエンザの違いは?
有志による某座談会に出席し、フリーなデスカッションでお医者さんがこんな話をしていた。毎冬、寒くなると猛威を振るうのがインフルエンザ。今年は昨年より約1カ月早く、流行期に入ったといわれている。いくら予防を心掛けても、絶対的に防ぐ方法はなく、手洗いの励行、マスクの着用などを面倒くさがらずに続けるしかないのが最大の予防法だ。でも私は風邪とインフルエンザの違いがよく分からないと質問をしたところ、インフルエンザも風邪の一種には違いないのだが、一般的な風邪(普通感冒)とはウイルスが違い、季節性で、より強力であるという。また、市販の風邪薬と抗生物質・タミフルなど治療薬の効果が全く違うことを、しっかり理解ほしいとのこと。風邪薬は咳や鼻水、発熱など、それぞれの症状を抑えるために用い、抗生物質は風邪で弱った体に別の細菌が繁殖する「2次感染」に対して有効である。ともに風邪を根本的に治すものではない。タミフルはインフルエンザウイルスの拡散を防ぎ、症状の緩和に有効とされるが、発症後48時間以内に投与しないと効果を発揮しにくいという。つまり、風邪は薬での根治が難しい病気で、かかったら悪化しないように、自然治癒を待つしかない。風邪とインフルエンザの自覚症状はほとんど変わらない。インフルエンザの方が全身のだるさが表れやすいなど、微妙な違いはあるようだ。自分で判断するのはほぼ不可能で、医師の検査が必要。正しい知識を身に付け、すぐに医者のお世話になることが肝要のようだ。裏話では病院事務は点数等の計算が相当わずらわしく、最後にはITシステム化に向けて手伝っていただきたいとの想定外の依頼が飛び込んできてしまった。
2016年12月13日(火)曇り 7℃
硬い頭に喝! - 歴史ロマンは楽し!
12月9日亡くなった文豪・夏目漱石。ちょうど没後100年になる。1916(大正5)年12月9日に亡くなった。漱石は実はサラリーマンだったと聞くと、意外に思う人も多いのではないだろうか。英語教師をしながらのアマチュア作家から始まり、後に東京朝日新聞社員として死ぬまで専属で書き続けたとのこと。図書館や書店に行くと漱石コーナーも設けてあるし、TVドラマでも放映されており、今ちょっとしたブームになっている。そんな中、仙台市博物館では企画展として「戦国の伊達 政宗の城 仙台の町」が開催されている。現存最古の仙台城絵図から幕末の仙台城絵図まで多数の古地図が展示されている。12/8訪れた青根温泉不忘閣の古文書と同様に先人の歴史ロマンの一端に触れることができて何かうれしい。資産家・斎藤善右衛門有成(斎藤報恩会)が自らの財産を「天財」として収集した郷土史資料も展示されており、なかなかすばらしいものである。鑑賞すること2時間。本当に知らないことがたくさんあるなあと思いながら、この歳になって少し勉学の意欲をかきたてられた次第である。その後、東北大学付属図書館に出向き、若い学生と一緒に机を並べながら「日本と国連との60年」と題した講義を拝聴した。日本は国連加入し60年経過し、世界で193か国(全世界の95%)が加盟している。その歴史を紐解けば、1956年加盟依頼、多くの日本人が携わってきたことに驚く。ここでも知らないことがたくさんでてきた。学びは楽し、そして創造力を高めてくれる。硬い頭がほぐれてくるような快感そしてフリーな時間をもてる楽しみを噛みしめながら東北大川内キャンパスを後にした。
2016年12月12日(月)曇り 6℃
今年のお歳暮を楽しみました!「スターライトシンフォニー」
師走が急ピッチで駆け抜けている。お歳暮の時季でもある。既に江戸時代からはじまり、夏の中元と並ぶ贈答儀礼として普及していた。由来は諸説あるが、江戸時代の商売は盆暮れに決済する「掛け払い」が一般的で、この際、仕入れ先や家主に一年の感謝と新年の挨拶を込めて贈り物をしたらしい。さらに年神様に物品を供える正月の習慣と相まって、お歳暮を配布する慣行が江戸庶民に浸透したとされる。私にもお歳暮がやってきた。七十七銀行主催の「スターライトシンフォニー」コンサートのチケットが届いた。本日の公演へ光まばゆい定禅寺通りのページェントのシャワーを浴びながらいそいそと会場へ向かう。仙台フィルをバックに堀内孝雄さんの「遠くで汽笛を聞きながら」「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「夢去りし街角」「秋止符」など、数々のなつかしアリス時代の歌声が会場に響く。そして「君のひとみは10000ボルト」で最高潮に!「愛しき日々」、「恋唄綴り」、「影法師」など数々のヒット曲もじっくり聴くことができた。普段はJAZZやピアノ曲を好んで聴いているが、手拍子しながら昔の青春時代によみがえさせてくれる歌もいいもんだ。興奮の余韻を噛みしめながら今年のお歳暮を十分に楽しむことができた一日であった。クリスマスが控え、迎春準備も待っている。師走はなんか楽しいものである。
2016年12月11日(日)曇り/雪 4℃
心が洗われた ー 日本の町村のコミュニティーが息づいている。
連日、雪が降りだし寒い日々が続く中、心が洗われるような思いに出会った。ひとつは”ももの木介護施設”でのクリスマスパーテーへ出席したときの出来事である。いつも悠々ファームで採れた野菜そしてお米等を定期的に届けているが、入所している高齢者そして看護師の方々よりお礼のポストカードや記念品もあるが、気持ちのこもった笑顔と涙、そして熱い感謝の握手のぬくもりは忘れられない。少子高齢化に伴い、行き場のない「介護難民」への支援充実が求められている背景のさなか、高齢夫婦(老老介護)世帯やダブルケア(育児と介護双方に直面)世帯など、家族に介護負担が重くのしかかり、施設に入所できないケースは少なくない。家族の介護離職の増加も懸念されている。我々夫婦もできることをベースに継続的に介護施設を支援していきたいと思う。そしてもうひとつは東日本大震災で鉄路が寸断されたJR常磐線が5年9か月ぶりに再開した山元町の記念セレモニーのお祝い会へ顔を出した。”ももの木介護施設”を支援している仲間の地元、そして愚息の縁(山元町新庁舎設計)で山元町とつながりができた。住民の方々の生活も次第に戻りつつ中、住民の足が回復したことは高齢者にとってまことに喜ばしい限りである。我々夫婦も高齢者が安心して暮らせる社会づくり(定期的な買い物代行や健康管理の声掛けサポート)に少しでも貢献できたならうれしい限りである。日本の町村には豊かな自然環境のもと、いまもコミュニティーが息づいている。この豊かな自然環境と人的環境のある良さをより発展させていきたいものである。
2016年12月9日(金)晴れ 6℃
仙台光のページェントが始まりました!
冬の仙台は、光の街に変身する。明かりを見上げ、照らされる人までも美しい。降り注ぐ光は、そんな不思議な力を宿す。仙台光のページェントは今夜、いよいよ始まった。12月の風物詩としてすっかり定着したなあと改めて感じる瞬間でもある。そんな中、以前より思わしくなかった手のバネ指の治療に”ごとう整形外科(本町)”へ自転車で向かう。冷たい空気が頬に刺さる朝早く(7時30分)行ったにもかかわらず20番目とまさに行列の出る病院でもある。待つこと2時間、治療10分。右手中指、薬指にステロイド注射で当面は様子を見るとかで、あっさりと終わる。帰りに光のページェント会場の定禅寺通りを走りながら、仙台メデイアテークで開催される日本建築アーキテクツ主催の講演会に向かう。建築の視点から「社会」「再生」「産業」「教育」を市民とともに考え発信するイベントである。東京では愚息が講演を行ったと聞いていたが、若い女性建築家Mさんの「空気をデザインする」と題して斬新な考えを披露し、柔らかな頭の構造はおじさんにとって刺激的でうらやましい限りである。光のページェントの与える感動がよみがえり、まぶしい。うれしい。今回の見出しのキーワードは「夢」で始まり、「希望」「再生」「祈り」…「復興の光」と移り変わった。東日本大震災の後は「絆の光」である。優しい。さびしい。きれい。悲しい。懐かしい。いろいろな感情が胸の中で入り交じって、鼻の奥がツンとなる。川崎の我が家の光の庭のページェントも輝きはじめた。。。今年もまた・・・・・・
2016年12月8日(木)雪/曇り 7℃
青根温泉「雪の不忘閣」にて江戸ロマンに浸る!
朝起きると、家の前庭や田んぼは雪ですっかりおおわれている。もう冬だなあと思いながら薪ストーブの火をおこす。ファーム作業がひと段落すると、今度は薪集めやら味噌つくりの準備がはじまる季節となってきた。チーズやワイン、キムチは、微生物の働きによって人間の食生活が恵みを受ける発酵作用から誕生した。ビールやヨーグルトも同じ仲間で、もし発酵がなかったら、現代人の食卓は考えられない。日本の調味料としては、しょうゆ、みそ、酢がすぐに思い浮かぶ。いずれも、繊細な和食の素材を引き立て、味付けの決め手になる。三大発酵調味料と呼ばれ、食卓に彩りを増している。太古から水田で稲を育て、あぜに大豆を植えて同時期に収穫した日本人の食の原風景でもある。多湿な気候で麹菌が地球上で最も旺盛に分布し、米や大豆、麦で繁殖したためだ。本日、川崎町歴史研究会で青根温泉の不忘閣での古文書調査報告会があった。江戸時代にタイムスリップしたかのような青根温泉の佐藤仁右衛門家。江戸時代の政宗公時代では、もうすでにみそは公文書に登場している。みそは戦国の世の戦略物資に挙げられ、街道筋で増産を競い合う。織田信長が初めて入洛した際、足利将軍家の料理を口にし、まずさに激怒したという。味が特に濃い尾張みそ育ちの信長には、発酵と熟成の浅い甘い白みそは許せなかったと言われている。「雪の不忘閣」の江戸ロマンに浸り、ゆっくりと見学しながら正宗公時代に思いを馳せた一日であった。
2016年12月6日(火)曇り/雪 6℃
想像力の山を登り、海を駆け抜ける - 美術館巡り
石川啄木の一握の砂に「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」という歌がある。私にとって東北地方の青森・秋田の方言を聞くとなぜか、なつかしさを覚える。特にローカル線の中でその地域の人々が話す訛りのある方言を聞くと、まさに啄木の心境となってくる。季節の光や風の匂いや色を、地域の季節の移ろいを載せて走る鉄路から眺める車窓を見たくて、また列車に乗り込んだ。行先は青森県立美術館、秋田県立美術館。絵画・写真は私の心に潜んでいる想像力の山を登り、海を駆け抜けるようである。車窓から見える山々の木々は奥深く広がる。ブナやモミの寿命は200年と言われている。人が一生かけても世代交代を見届けることはできない。だからこそ人は森に尊厳を感じ、多くのことを学んできたに違いない。雪の舞う青森の地で山内丸山遺跡と同じロケーションにある白亜の殿堂である青森県立美術館。「故郷と戦場」と題してカメラマン澤田教一の写真展が胸をうつ。戦火のインドネシア半島でのベトナム戦争の激戦地で撮影を続け、世界中に戦争の過酷な現実を突きつけた。午後からは「つがる」に乗り込み、藤田嗣治(無限に深い線)の待つ秋田県立美術館へ。冷たい風が吹き付ける中、美術館の前で碓氷がはってある池が一層寒さを引き立てている。帰り際に秋田で有名な「NAGAHAMA COFFEE」でスペシャルブレンドの熱いコーヒーをいただく。帰りの暗闇の車窓から絵画が遠くに見えてくる。イルミネーションがまぶしい駅前の明かりにホットしながら、今回のメッセージに耳を傾け帰路を急いだ。
2016年12月5日(月)晴れ/曇り 11℃
北の鉄路JR北海道留萌線廃止ー旅人にも気になる
かつて「カニ族」なるものがあった。カニ好きのことではない。その格好から名付けられた。横幅の大きいリュックサックを背負って旅する人たちで、駅の改札口ではリュック幅のために横歩きでないと通れなかった姿に由来すると言われており、旅好きの私もそのひとりであった。カニ族の最盛期は1960年代から70年代。姿を現す主な舞台の一つが北海道だった。乗り降り自由な国鉄の周遊券を手に気ままに旅する若者が目立った。北の鉄路は、旅する人たちの活気であふれていた。そんな鉄路が重大な岐路にある。JR北海道は先ごろ、同社単独では維持困難とする10路線13区間を公表した。全路線の約半分に当たる規模。国鉄分割民営化に伴って発足して以来、最大の見直しとなる。赤字構造は「バケツに穴が開いたような状態」(社長)。その廃止のひとつである留萌線が廃止された。地元の生活を支え続けて95年。歴史に幕を閉じました。留萌線の留萌-増毛間が12月4日、最終運行日を迎え、最終列車には、定員の2倍の300人以上が乗車する過熱ぶり。一方で、人の波が消えた5日朝の留萌駅は、一転して静かな朝を迎えたとか。昔、旅行したなつかしい思い出がよみがえってくる。今後、バス路線への転換などを自治体と協議することであるが、同社ならずともローカル線運営は厳しい。北海道は夏の台風被害も追い打ちとなった。過疎化と災害列島化の中で鉄路はどうなるのか。沿線住民はもちろん、かつてのカニ族の私のような旅人にも気になる問題だ。
2016年12月2日(金)晴れ 9℃
カジノ法案 - 日本に地域に本当に必要なのだろうか?
本当に地域のためになるのだろうか。カジノを中心とした統合型リゾート施設(IR)推進法案(カジノ法案)のことだ。本日12/2、衆議院委員会で可決した。カジノ法案はカジノ、ホテル、大型会議場などが一体となったIRの整備を政府に促し、成立から1年以内にカジノ運営などのルールを定めた関連法案の国会提出を義務付ける。国が認定するIR設置区域に限定して、刑法が禁ずる賭博行為を合法化する。運営は民間が当たり、国や自治体は納付金を徴収できるという内容だ。映画などに登場する米ラスベガスのきらびやかな光景が思い浮かぶかもしれない。景気回復、外国人観光客の誘致、雇用創出の思惑も膨らむのだろう。地方の経済界や自治体も強い関心を示している。2025年の大阪万博構想に合わせて名乗りを上げた大阪府をはじめ、北海道や横浜市なども誘致を目指している。特に「日本維新の会」の政府への擦り寄りが目立つのも大阪万博のためだ。犯罪資金流入や資金洗浄(マネーロンダリング)など暴力団の介在が懸念される。青少年への悪影響、ギャンブル依存症も心配される。かつて自民党議員がラスベガスのカジノで一晩に当時のレートで4億6千万円も失い、議員辞職に追い込まれた苦い記憶が国会や政党にも刻まれているはずだ。成長一辺倒で「もうかりそうだ」と慌てて飛びついていいものか。観光立国、インバウンドと期待が大きいが、欧州ではじまったこのカジノに飛びつくだけが地域振興の起爆剤でもあるまい。数々の懸念への対応を含めた慎重な対応、そしてすべては数の力で押し切られる今の日本に懸念を覚える。
↓八ヶ岳ロイヤルホテルより見える日本百名山一覧↓