■2014 活動日誌12月■
季節の日々の移ろい、自然に中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴ってみました。おつきあいください。
12月31日(水)曇り&小雨&小雪 2℃
今年も残り一日を切った。買い物やおせち作りなど新年を迎える準備に精を出したり、年越しそばをすすりながら来し方を振り返ったりと家族がそれぞれの思いを胸に除夜の鐘を待つ大晦日である。我が家の掃除の締めは愛車2台の洗車である。寒いながらも時間をかけて丁寧に車体、タイヤ、そして車内と。この一年無事に田舎の足として活躍してくれた愛車に感謝をこめて磨き上げた。午後にはゆっくりと音楽(Jazz)と読書にふける。 福沢諭吉は明治初期の啓発本「学問のすすめ」でこんなことを書いている。人が計画を立てると、事の難易度や所要時間を甘く見積もり結果的に遅れてしまう…と。例え話として、福沢は大工の工事や仕立屋の洋服は十中八九、期限を過ぎると指摘する。しかし故意に不埒(ふらち)を働いたわけでなく、誰もがしでかす愚行だという。年の初めに頑張って立てた計画も成就できたのはと数えてみる。反省しきりの面もあるがすこしづつシンプルな生活ができてきているのがうれしい。福沢先生はこう助言する。事業の成否得失について、自分の胸の内でプラスマイナスの差し引き計算するようにしなさい。要するに「商売にて言えば棚卸しの総勘定のごときもの」だ。売で最初から損をしようと考える者はいない。自分の能力や元手、世間の景気を察して仕入れや売り方を工夫する。見込み違いもあるが、棚卸しの決算でうまく調整する。一事が万事で、武士であれ、学者であれ、人生という商売においては普段から事業の帳簿をつけ失敗をしないように心掛けるべし、と強く念押しする。行く年来る年に万感の思いがこもる大みそか。何を成し遂げたのか、怠け癖はなかったか、知性を磨く努力は十分か、今後の見通しはどうか…。福沢先生の「棚卸しのすすめ」を実践し、より良い年を迎えたいと思う。
12月30日(火)曇り&小雨 4℃
今日は朝から靄が立ち込めお陽様もかすんでいる。午前中は家の中の大掃除。モノの多さに愕然とする。資料や書籍、文房具、DVDなどなど。いずれ使うときが来る。捨てて後悔したくない。だから溜まる、溜まる。今は飽食の時代と言われ、かくして、カロリー過多の肥満は増え、生活習慣病がまん延した。強欲と言うより、生理的に飢餓を恐れる悲しい性なのだろうか。でもこの歳になり心が満ち足りていれば、それほどモノは要らないく感じるようになってきた。不平不満が無く、心豊かな生活を送ることができる。確かにモノは暮らしを圧迫し、ストレスも溜まる。「足るを知る」である。この国は「消費は美徳」と拡大・成長路線をひた走ってきた。大量消費・大量生産で肥大化した社会や暮らしにもダイエットが必要と感じる。外は暖かいのだろうか、小雨も降り出してきた。午後からは町内の温泉「やすらぎの郷」へ1年ぶりに出かけた。大きな湯船につかりながら、この1年の疲れた体をゆっくりとほぐす。そして仕上げはマッサージ。心身が揺られる心地よさを味わいながら、何事も「腹八分目」と言い聞かせ、この一年を振り返る貴重な時間であった。
12月29日(月)曇り 3℃
いつもと同じであるが、お正月餅の引き渡し・配達にと今日もいそがしくは走りまわっているが、この餅が縁で多くの人と「よいお年を」と声をかけあう。日本の風習に「手締め」がある。宴会や儀式の席などで「いよー」の声とともに三本締めが響く。祝い事や式典などでなぜ手締めをするのか。辞書を紐どけば「物事の決着や成功を祝って関係者一同が掛け声を合わせてする拍手」とある。宴もめごとの当事者が和解する際、物騒な刃物などを持っていないことを示すため指を開いて拍手をしたことに起源があるという。「シャンシャンシャン」を3回繰り返し、最後にもう1回打つ。9は数字で九。締めの1を加えると「丸」になる。つまり「円満に丸く収まった」という意味や三本締めは「三方丸く収める」という願いもあるそうだ。お手を拝借と、1回打つ。これは正式には一丁締め。恥ずかしながら一本締めと勘違いをしていた。ことし円満に丸くいったならよし、まだならば新しい年にかけてみようか。今年はちょっと時間をつくり午年(うまどし)を振り返ってみたいと思う。そして来る年が安寧、平和であり、そして「手締めの福」となれるためにも健康第一を願いたいと思う。
12月27日(土)晴れ 3℃
きょうは仕事納め。(昔は御用納めと呼んでいた)毎年と同じとは言え、年越しそば、卵焼き、カレンダをいただく。1年の終わりの区切りとねぎらいの光景は、季節や暦の祭事につながり、区切りとともに気持ちも改まる。そして縁起物として生け花や正月飾りなどでナンテンの赤が目につく。自然の中に色味が少ない時季だから、ナンテンの真っ赤な実を見掛けると、足を止めて見入ってしまう。使われるのは、名前が「難を転じる」に通じるためだ。暗い冬空の下で赤い実を目にすると心が晴れる。今年は例年と比べ寒い日々が続いている。今年の午年から羊年へバトンタットするのも、もうすぐである。来年もよい年でありますようにと呟きながら帰路についた。さあ明日から田舎でお正月を迎える準備が始まる。
12月24日(水)晴れ 3℃
メリークリスマス!! 今日はクリスマスイブ。小さなお子さんからお年寄りまで、一家団欒でパーテイでも開催しているご家庭も多いのではないだろうか。いよいよ今日から明日にかけて、サンタクロースが世界中を駆け巡る。その様子は今年も日本時間の本日午後4時からインターネットで中継される。サイト名は「ノーラッド・サンタ・トラッカー」。「ノーラッド」はミサイルや宇宙からの攻撃などから北米を守る軍事組織である。このきっかけを調べてみると、米軍とカナダ軍の共同運営で1955年、司令長官専用のホットラインのベルが鳴り、長官が対応したが返事がない。「お前は誰だ」。だんだんきつい口調になった。電話の向こうで泣き声がする。「あなた、本当にサンタさんなの?」。電話の主は幼女だった。ある企業が「サンタに電話しよう」とPRした番号が間違っていたのだ。とっさに長官はサンタのふりをした。続けざまに電話が鳴る。部下にも命じ、組織総出でサンタになった。以後、サンタ追跡はこの時期の最重要任務となった。今でも職員をはじめ家族や友人らが総出でメールや電話に対応しているという。サンタの動きは地上から宇宙から、戦闘機も飛ばすなどハイテク機器を駆使して追い続ける。サイトの情報では、サンタのそりはトナカイの餌を燃料に超光速で天空を駆け巡る。ちょっとこのサイトを覗いてみてください。サンタと一緒に世界を駆け巡るのも楽しいし、川崎の町の上にも現れるなんて想像するだけでファンタジック!!!
12月23日(火)小雪&晴れ 2℃
今日も朝から雪が舞っており、家の前まで除雪車が来てくれ雪かきしてくれる。ほんとうにありがたい。今年2月上旬の大雪のことが思い出される。今日は、昨日ついた餅を、今日は専用包丁やもちきり機で切って真空パックへの袋詰め作業である。100袋近くもあり結構ハードな作業であったが、今年もおいしい手作りのお餅ができて、ホットしている。この作業が終われば、今度は年賀状が待っている。師走でもありついつい仕事に追われて後回しになってしまうが、書くのはおっくうなくせに、もらうとうれしいのが年賀状。元日、郵便受けがカタンと鳴るとつい飛んでいき、箱根駅伝のTVを見ながら年賀状を見る楽しみもある。さて明日以降からでも、思いを巡らせながら書き始めるか。自分なりの一言を添えて。それも年賀状を書く楽しみの一つだ。虚礼廃止と言われながら、やっぱり年賀状のやりとりは続く。でも珈琲を飲みながら、ゆっくりと味わいながら年賀状を書きたいものである。
12月22日(月)曇り&小雪 2℃
今日から「餅つき」開始である。多くの注文をいただき、毎年の行事とはいえ朝から準備も含め、あわただしい一日が始まった。そして今日は冬至でもあり、ゆず湯の風習がある。冬至と湯治、融通(ユズ)が利くという二重の語呂合わせだが、しゃれだけでなく、血流を良くし癒やし効果がある。「桃栗三年、柿八年」。そこに「柚子の大馬鹿十八年」と続くことわざがある。早く実の成る桃や栗に比べ、柚子の成長は遅い。長年の苦労が実りますようにと願いが込められているという。今年は知人Sさん宅の庭で採れたゆずをたくさんいただいた。パートナーは早速「ゆずドレッシング」「ゆずジャム」「化粧水」「つけもの」にチャレンジするとのこと。私はゆっくりと「ゆず湯」につかり、今日の餅つきの疲れをいやしたいと思う。明日もまた餅つきは続くが。。。。冬至、冬なか、冬はじめ。雪も寒さもこれからが本番だ。でも、わずかでも日脚は伸び、日の出も早まる。柚子の成長のように泰然と春を待ちたい。
12月20日(土)曇り 3℃
昨日は3回目の忘年会。忘年会は飲み放題が定番であるが、昔は会費分以上飲んでいたと自負していたが、最近は1杯のビールとウーロン茶・ジュースとなってきた。でも飲む以上に話がもっぱら面白い。その中での話題は「STAP細胞はあります。200回以上成功した。」と宣言した小保方さん。弱酸性の溶液に浸すだけで万能細胞に。衝撃の記者会見が1月末。半月後には疑義が生じ、3月には理研理事長が陳謝した。翌月、捏造と改ざんを認定、7月には論文が撤回された。栄光は半年と短かった。不思議なのは、事実が明るみに出ても、研究者本人に対する人気が、にわかには衰えなかったことである。その彼女も、わずか数カ月で忘れられかけている。突き詰めれば、花の命は短くてということなのだろうか。持ち上げられて、落とされて。マスコミも世間も、決して優しい方じゃない。多額の公費が投入されてきた経緯もあるので、つらいであろうが本人が公の場にでて説明する必要があるのではないだろうか。一度けじめをつけて、まだまだ若いし優秀な頭脳を社会に還元する意気込みで人生をもう1度やり直してほしい。そして今度はしっかりと大地を踏みしめて歩いてもらいたいと願う。
12月18日(木)小雪&曇り 2℃
雪道のぬかるみを避けながら、あいさつ回りにTK大学のキャンパスへと向かう。山の上からみる一面の銀世界はきれいなものである。K教授と話をしながら最新米国事情についてこう語っておられた。資本主義の大国は相変わらず大量生産、大量消費のお国柄かと思ったら、小さな変化が起きているらしい。資源に限りがあることを忘れたかのような浪費や、額に汗する労働とは対極のマネーゲーム。2008年の金融危機、いわゆるリーマン・ショック以降、生産や消費のあり方を見直す文化が生まれた。食べたり、着たりするものがどこで作られ、どこからやってきたのかを考えよう。カネさえ払えば手に入る高級ブランドより、同じコミュニティーの一員がデザインし、地元の工場が作る商品を使おう。そんな価値観が広がっている。そして社会的責任に重きを置く企業を支持する人が増え、それに応える会社も出てきたとのこと。目先の損得より、長い目で見た社会への貢献を重視する風潮が生まれてきた。最近ではタカタ製エアバッグ欠陥問題、冷凍パスタやソース焼きそばへの異物混入、料理用バーナーの不具合などで製品回収が相次いでいるが、これらの問題に対して経営者の本質が問われてきている。客の顔が見えなくなった経営者は、立ち止まって考える謙虚さが大事であると思う。
12月17日(水)小雪 2℃
年末を控え、紙袋にカレンダを抱え、お客様あいさつ回りに街中を歩く。今日は全国的に低気圧に伴い風雪で荒れている。寒さ厳しい季節が近づくにつれ「冬が来なければ」なんて考えてしまう。いっそのこと冬を飛び越し、一気に春になってくれないかと、つい思ってしまう。しかしそれはあまりに虫のよすぎる話で、自然の摂理を無視した考えだ。雑草の種には冬の寒さを経験しないと芽を出さないものが多い。秋に地面に落ちた種子がたまたま小春日和の暖かさで芽を出すと、やがて訪れる冬冷えでみんな枯れてしまう。それゆえ冬の寒さを経験した後でなければ、春の暖かさを感じない仕組みになっている。その性質は「低温要求性」と呼ぶらしいが、雑草は見せかけの暖かさにぬか喜びしない。さらに冬の寒さにじっと耐えるというより、むしろ厳寒の冬を歓迎しているわけだ。12月も半ばを過ぎて東北の冬は雲が低く垂れ込め風雪すさぶ日もある。おのずと気分は重く逃げ出したくもなるときもある。しかし雑草は知っている。「冬が来なければ春は来ない」と。厳冬あればこそ春の花は咲くと思いながら、体と気持ちは温かくして過ごしたい。明日もあいさつまわりが続くが。。。。。
12月16日(火)小雪&雨 1℃
今日は朝から小雪がちらついている。選挙も終わり、各新聞も選挙総括と題して、冷めた選挙模様を論評している。なんか読む気にもなれない複雑な心境である。今日は突然、仕事が明日へと変更となり、雨模様でもあるので図書館へ出かけた。本を眺めていると、「蛍の光」について記してあった。<蛍の光 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ…>。これからの季節に別れの時期によく謳われる。この歌の冒頭は中国の故事にちなんでいる。意味としてはその昔、明かりをともす油が買えない貧しい家の少年が夏、袋に集めたホタルの光で勉強し、別の少年は冬、雪明かりで書を読んだ。後に2人は公職に就き出世を遂げる。「蛍雪の功」とは苦学力行した成果を言っている。これらに相応しい最近の出来事では青色LEDを開発した日本の3人のノーベル物理学賞受賞者がいる。そしてもう一つの光は、17歳の少女ノーベル平和賞を受けたパキスタンのマララ・ユスフザイさんだ。受賞演説で「全ての子どもが学校に行くのを見届けるまで闘い続ける」と訴えた。彼女の不屈の精神が、子どもたちの心と前途を照らすと信じている。これからの日本に希望と勇気を与えてくれる光がくることを祈念したい。
12月15日(月)晴れ 1℃
師走半ばの14日は赤穂四十七士の討ち入りだった。今年は「審判の日」。今朝の各新聞の見出しは与党の圧勝と踊っている。選挙は民意を政治に反映させる最大の手段であるが、残念ながら低投票率での信託となり、全国で52.66%と総選挙史上最低の結果であった。アベノミクスの是非を問う、と安倍首相が仕掛けた今回の衆院選であり、「大義なき」といわれ、これといった風も吹かず、師走の慌ただしい時、投票に向かわせる魅力が乏しかったことにあったかもしれない。そんな中、薪ストーブ用の薪集めにチェンソーをもって昨日、今日とパートナーと出かける。今年は寒いせいもあり薪の消費ピッチが早く、現在の保有量で間に合うかなと不安もよぎる。作業を終えると蔵王連峰に夕陽が落ちていく。山を眺めながら、この選挙で「これですべてに信を得た」と解釈し、原発が動き、自衛隊が米軍を守るために戦う日が刻々と近づき、その先には、憲法改正も入ってくる。この国はどうなるんだろうと。。。ため息がでてくる。
12月13日(土)曇り 4℃
仙台光のページェントもはじまり街中は光で満ち溢れている。昨夜は今年2回目の忘年会。お酒はあまり飲めないがよもやま話は楽しい。冬には慣れているはずなのに、今年は勝手が違う。「まだ12月の上旬だというのに…」。そんなあいさつを何度か交わしている。冬のはしりにしては雪の降る日が多いように感じる。先日の徳島県の山間部では大雪の影響で道路が不通になり、孤立する集落が相次いだ。停電のため、オール電化住宅では石油ファンヒーターや電気毛布などが使えなかったという。快適な暮らしを支える便利な機器の盲点を突かれた格好だ。暖房器具は時代とともに様変わりした。昔は炭火を使う炬燵や火鉢、まきストーブが一般的だった。生活様式が変わり、木炭やまきの出番は激減したが、我が家の暖房は薪ストーブのみ。山の木を集めるのは大変ではあるが、これも仕事のひとつと割り切れば汗を流し、体を動かす。これもまた楽し。一時は見向きもされなかった里山は資源の宝庫なのだ。上手に活用していく仕組みが作れればと思う。自給自足を目指した生活にも慣れてきて計画的な生活サイクルを回していれけばと思う。将来を見据えながら、山の木や田畑を利用し、大地・自然に向き合う暮らしもいいもんだ。
12月11日(木)曇り 7℃
年末を控え、倉庫の中を片付けながらラジオを聴いているとノーベル平和賞の話題が語られていた。そして私自身、久々に名スピーチを聞いた思いである。少女の名前はマララ・ユスフザイさん。女子教育を抑圧するパキスタンの風潮を非難し、逆に教育の大切さを訴えていたマララさんは2012年10月、下校途中にイスラム武装勢力に銃撃され重傷を負った。しかし彼女は銃弾の脅威にひるず、「本当のゴールは、すべての子どもが学校に通えるようになること」。毅然として運動を継続する勇気と信念が世界を動かしたがマララさんがノーベル平和賞を受賞した。授賞式が行われたノルウェーの首都オスロは、彼女が武装勢力に襲撃されないよう厳戒態勢を敷いたという。お昼に新聞でその原稿を読んだが、17歳の少女とは思えないくらい歴史に残る原稿であると思う。「銃弾が私たちを黙らせると思うのは間違い。1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる」と言った。きのう12月10日は折しも人間の権利平等を訴える「世界人権デー」。。戦争のない国で男女平等に教育を受けられる実現の日を遠からずと信じたいと思う。こうした思いを日本の政治家にも聞いてほしい。マララさんの言葉「エデュケーション・ファースト(教育を第一に)」。
12月10日(水)曇り 6℃
NY在住の友人から「クリスマスカード」、埼玉在住の友人から「シクラメン」が届き我が家はパッと明るくなったような気分である。そんな中、ニュースで国の政治をつかさどる麻生太郎副総理兼財務相の発言にはあきれかえる。衆院選の応援演説で「企業は大量の利益を出している。出していないのはよほど運が悪いか、経営者に能力がないかだ」と語った。あまりにもいつものような上から目線な言い方である。岩手出身の歌人、石川啄木(1886~1912)に「はたらけど はたらけど猶わがくらし楽にならざり ぢっと手を見る」という歌がある。年の瀬、100年の時を超えても今の実感を募らせている方も少なくないのではないか。しかし、株価が戻り、円安に振れたからといって、利益の出る企業ばかりではない。原材料の多くを輸入に頼っている業界は円安で材料費の負担が重くなったが、それを製品価格に転嫁するのは難しいのが現実である。それでも、年明けからは冷凍食品や麺類の値上げがめじろ押しだという。それが消費税の増税と複合して家計を直撃するのは避けられず、啄木の嘆きは21世紀に生きる庶民にも共有される。そんな政治家と政党を見極めるのが衆院選であり、主役は「ぢっと手を見る」庶民である。自分の気持ちを代弁してくれる候補や政党を懸命に選んで投票したいものである。
12月9日(火)曇り 6℃
今日、「がん対策推進企業アクションセミナー」へ参加した。私自身もがん経験者でもあり、大変興味があった。今や日本では2人に1人は「がん」になり、3人に1人は「がん」で亡くなっている。がんは、一種の老化現象で、生きている間に細胞が分裂を繰り返す中で、遺伝子が変異を起こすことが原因である。そして免疫力低下に伴い、長寿国日本は発生率は米国の1.6倍もある。がんの6割は生活習慣の見直し(喫煙、ウイルス、飲酒、塩分、野菜不足、運動不足)により予防が可能で、そして「がん検診」は絶対に必要です。男性は胃、肺、大腸。女性は乳がん、大腸、子宮の受診をぜひとも受けてほしい。日本は平均して30~40%程度であるが、欧米は70~80%と高い受診率である。そして「がん」に関しては公的な医療機関のサイトをきちんとウオッチすることが大事である。ちなみに以下のサイトがおすすめとのことです。①「がん情報センタ」(国立がん研究センタ)、②「がんに関するサポート・相談」(がん研有明病院) ③日本がん協会、④「がん情報サイト」(先端医療振興財団) みなさんもぜひとも参考にしていただいきたい。私も人間ドックでがんが発見され、手術して1年経過し普段の生活ができている。今思えば早期発見・早期治療と同時に経験者の情報を聞くこと,2nd Opnionも大事であると確信している。
12月8日(月)晴れ 7℃
今日は小春日和を思わせるような暖かい一日であった。四国(徳島)は大雪で道路が寸断され孤立している集落もあるという。一日も早く復旧と救助の手が差し伸べられるよう祈りたい。73年前のきょう、奇襲による真珠湾攻撃で日本は太平洋戦争に突入した。タイミングに合わせ、昼のTVでゼロ戦の映画が放映されている。<大本営陸海軍部午前6時発表、我が陸海軍部隊は本8日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり>。国家の名に振り構わず無謀な振る舞いが始まった。議会が求心力を失い、国民の目や耳はふさがれ、熱狂の中でファシズムの道をひた走る。挙国一致を叫ぶスローガンが国民を戦場に駆り立てて300万人余とされる尊い命が奪われた。衆院選のさなかで痛恨の日を思う。この10日には特定秘密保護法が施行され、集団的自衛権の閣議決定に沿った関連法案は来年の通常国会に提出されることになっている。いずれも恣意的な解釈、運用を危ぶむ声が根強い。終戦記念日の8月15日は知っていても12月8日が何の日なのかを知らない若者が増えているという。戦後70年の節目を控え、選挙で問われるべきはアベノミクスの是非だけではない。ムードに流されず、冷徹な1票を投じ国民の意思を表明したい。
12月7日(日)小雪&曇り 5℃
街のイルミネーションが輝き始めるころになると、今年もその知らせが届いた。昨日、介護施設のMデイサービスを運営するCHさんから「クリスマス会」の案内である。私の亡くなった父母と同じ年代のお年寄りが毎年楽しみにしている。赤い帽子にマントをまとい、歌あり、演奏あり、そして極めつけは「腹話術」である。すべて自腹でケーキやプレゼントを用意し介護に勤しむCHさんの姿を見ていると思わず涙がこぼれる。私からのプレゼントは自前の米や野菜、果物であるが、多くの笑顔や手をたたきながら無邪気に喜んでくれる姿を見ると嬉しさが増してくる。今年も心が洗われ清らかな心で早めのクリスマスを迎えることができてうれしかった。その嬉しさの余韻を残しながら、今日は天気の晴れ間をみながら、悠々ファームで保存用の野菜(大根、白菜、カブ)を収穫し倉庫に格納した。やれやれと終わってTVにスイッチを入れるとJ1入れ替え戦のサッカーの試合で、やった!!山形がJ1昇格を決めた。来年からは仙台とともにみちのくダービーが復活する。お互いに切磋琢磨しながらスポーツを通して東北を元気にしてほしいと思う。今日もうれしい知らせが届き思わず笑顔がこぼれ、ほっこりとした気分に!!!
12月4日(木)雲 8℃
歩道を覆う黄色い扇形の葉が、寒風に舞い上がる。ここ数日の風雨で、一気に落葉が進んだイチョウ。枝や幹が露わになり、背景の曇り空が寒々しさを際立たせている。寒波の到来とともに、師走の衆院選がスタートした。駅頭、公園、官庁や大型店前の広場…人が集まる場所に競うように選挙カーが陣取っている。支持を訴える候補者の声。今日は産学官連携フェア出席のため国際センタへ赴く。3.11以来再生可能エネルギーを何とか本格的実用化(地熱、バイオマス、微細藻類類、波力、潮流)に向けて今までの実証実験報告があった。次世代エネルギーとエネルギー活用管理システムの定着に向け、資源豊かな東北から発信できるよう期待したいと思う。街頭では首相自身が強調するように「この道しかない」と叫んでいる。野党は別の道を、方向転換をと訴えている。どちらが、説得力があり実現できるのか。各党、各候補の主張を慎重に見極める必要がある演説は聞き心地のよい言葉に満ちている。自分が重視する政策の実現に向け、誠実に取り組むのはどの政党、どの候補か。枝葉の美しさだけに目を奪われることなく、主張の根幹を見定めて投票したいと思う。
12月2日(火)みぞれ 5℃
俳優の菅原文太さんが、先月28日、転移性肝がんによる肝不全のため、東京都内の病院で亡くなった。81歳でした。菅原さんは仙台市で生まれで仙台一高卒でもある。最近は徐々に俳優の仕事を減らし、農業に力を入れ、平成21年には山梨県北斗市に農業生産法人を設立し、有機農業に取り組んだほか、都会を離れ地方で生活しようという人を支援するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の顧問として地方で生活する魅力を紹介する活動などを続けていた。また、東日本大震災のあとは、原発事故など、日本が置かれた現状に心を痛め、俳優の引退を決めたうえで、脱原発を呼びかける活動や、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に反対する集会に参加するなど、社会的な活動にも力を入れてきた。妻の菅原文子さんは「七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした」とコメントしている。文子さんのコメントの中にある「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の言葉は中国の古典、「論語」に由来するもので、「人として大切な道徳を悟ることができれば、すぐに死んでも後悔はない」という意味。また、「落花は枝に還らず」は「ひとたび散った花は再び枝に戻らない」という意味で、「死んだ人は再び生き返らない」ことを例えています。今日は朝から、みぞれの中、ファームで野菜をとりながらパートナーと、この言葉の重さ・素敵さを噛みしめながら、仲間と一緒に腰を据えて自然と大地と宇宙と向き合いながら手触りの感じられる生活を過ごせればと思っている。菅原さんのご冥福をお祈りいたします。
12月1日(月)小雨 10℃
師走に入り、いよいよ白い季節が到来する。この時節は天候の変化が激しく小春日和があれば木枯らしが吹き荒れ時雨、みぞれも降る。そして風花が舞い、初冬の風景画を描いていく。<年末年始のご挨拶を失礼させていただきます>。喪中はがきが自宅に届き、あらためて一年の終わりが近づいていることにはっとする。今年も残すところひと月となった。「あれもこれも」とやるべきことを指折ってみる。体調をみながらと思っているが、あっというまに時間が走り去るようだ。仕事もあるし、冬の準備も大詰めである。畑の野菜の保管、家の雪囲いや暖房器具に防寒具の手配、漬物や越冬野菜の支度…。こんな中、東京にいる嫁から、正月の1月3日から10日まで仙台に来るとの便り。パートナーはうれしそうに孫の写真を見ながら微笑んでいる。雪国の暮らしの中で、いろり端はかつて重要な役割を担った。家族が集う団欒(だんらん)の場であり、暖を取るのはもちろん自在鉤(じざいかぎ)に鉄瓶や鍋を吊して飲食し、体内も温めた。今年の正月はいろり端のように「ほっこり」した家庭団欒をつくり楽しいひとときを過ごしたいと思う。