■2021活動日誌4月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2021年4月28日 晴れ 21℃
コロナ禍でお粗末な政治家や官僚に任せられない!
久しぶりに仙台の街へ買い物にでかけた。宮城県仙台市は、まん延防止等重点措置が出ているが、平日にもかかわらず人出は結構出ているような気がする。この1年余りで新型コロナウイルスはすっかり私たちの社会に居座ってしまった。今思い起こせば、初めて「新型コロナ」の名が登場したのは昨年1月23日だった。中国の武漢市で新型肺炎の急拡大が発生した。この新型肺炎発生以来、新聞記事では経済、医療、スポーツ、教育、文化と多方面にわたり多くに記事が発表されたが、最も多いのは政策の不備や政府の姿勢を問う内容が多いような気がする。布マスク配布や「Go Toキャンペーン」、1人10万円支給など政策の混乱が続いた。切り札の宣言を出しても感染拡大は止まらず、医療は危機にひんする。国民に我慢を求めながら政治家の深夜のクラブ通いや官僚の接待漬けが発覚した。こんな状況なので、一国民として黙っていられなくなってきている。そして最近のニュースや新聞記事はほとんどがのテーマでコロナの影響を抜きには語れなくなっている。ウイルスはこうして社会のあらゆる部分に入り込み、課題を突き付けている。政治家や官僚だけに任せていても解決策は見つかりそうもない。科学、経済、市民活動など多分野が連帯し、本音で語り合う場が必要だ。私もささやかながらその一隅を担えたら、と思うようになってきた。
2021年4月23日 晴れ 20℃
3度目の緊急事態宣言発令?
政府は新型コロナウイルスの感染拡大が続く東京都や大阪府などに3度目の緊急事態宣言を発令する。現在適用されている「まん延防止等重点措置」から格上げし、さらに踏み込んだ対策を取れるようにする。しかし、掛け声だけで、これまでの表層的な対策では感染拡大に歯止めをかけられていないのが現実である。経済とのバランスを気にするあまり、何事も中途半端である。今回は3度目でもあり、より実効性ある手だてを速やかに講じることが不可欠である。特に大阪府は、重点措置が始まって2週間以上たったが収束には程遠く、21日に過去最多の1242人の感染し、重症者の急増で病床が逼迫し、軽症・中等症向けの病院で治療を受ける患者が増加している。感染力の強い変異株は大阪で約8割に達している。東京でも増えており、今後感染者の増加が加速する状況だという。重症者は感染者の後を追って増える。一日も早く強い対策に切り替えるべきである。政府は大阪をはじめ対象となる自治体と対策内容など詰めの調整に当たっているというが、気になるのは、知事の要請から決定までに時間がかかっているように映ることだ。専門家に諮るなど手順を踏まなくてはならないとはいえ、もっとスピーディーに進めることはできないのだろうか。菅義偉首相の危機感と指導力が全く見えない。これから大型連休を控える中で、どういった対策や呼び掛けをすれば動きを抑止できるのかについて、知恵を絞らねばなるまい。「宣言慣れ」や「自粛疲れ」が言われるが、期間内に終えられるように、今の政府は信用できないので、一人一人が感染防止対策を徹底する以外に手だてはないと思う。
2021年4月20日 晴れ 21℃
啄木もワクチン接種を待ち望んでいたのではないだろうか!
石川啄木は明治時代の歌人。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」が代表作で、貧困と病気に苦しむ不遇の境涯で詠んだ短歌の数々は、今も多くの人に支持されている。「呼吸(いき)すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音!」。文学者を目指し岩手県から上京した啄木。ところがなかなか芽が出ず、北海道などで職を転々とする。1911(明治44)年2月に慢性腹膜炎の手術を受け、4月には肺結核を患い高熱が続いた。その後、妻も肺カタルを発病。翌12年に母親が肺結核で死亡し、啄木本人も後を追うように弱冠26歳で永眠した。おそらく一家で結核菌に感染したらしい。結核は当時治療が困難な病気で、現在のBCGワクチンは1921年にフランスで開発、日本への導入は1924年だった。今、新型コロナウイルスのワクチン接種が全国で始まった。65歳以上の高齢者が対象で、優先した医療従事者に次ぐものと言われているが、現在、医療従事者だけでも25%程度だという。政府の掛け声やアナウンスとは程遠い現状で本当にお粗末である。新型コロナは、今ではもう第4波の猛威がふるいはじめている。ワクチン先行国の英国、米国、イスラエルでは発症者や重症者を減らす効果が確認されている。ウイルス対策の切り札として、誰もが待ち望んでいる期待の星である。4月13日は啄木の忌日。啄木も一日も早いワクチンを待ち望んでいたのではないだろうか。
2021年4月17日 曇り/雨 14℃
土筆(ツクシ)とスギナそして東京五輪!
道ばたの植え込みに、懸命に首を伸ばしているような姿のツクシが生えていた。この季節の風物詩である。土筆と書くように、ひょろりとした筆のようにも見える。よく知られているように、スギナと同一の植物だ。根のような地下茎でつながっている。シダの仲間なので胞子で増える。ツクシは筆の穂に当たる先端部から胞子を飛ばし、やがて消えていく。その後に姿を現すのが、青々としたスギナである。こちらは実に生命力が旺盛だ。庭いじりしたりすると必ず見かけて、厄介者でもある。抜いても地下茎が残っているので瞬く間に生えてくる。同じ植物なのに、ツクシは多くの人に愛されるのに対してスギナの評判は散々である。同じ根から全く異なる顔の茎が伸びる。ふと東京五輪を連想した。平和の祭典が自国で開かれることはうれしい。そんな素朴な感情が根である。そこから相反する茎が顔を出す。「このウイルス禍の中で開催して感染がさらに拡大しないか」という不安と「日々精進してきた選手のために開催してあげたい」という思いだ。共同通信が先日実施した世論調査では開催が24%、中止が39%、再延期が32%だった。3月の前回調査と傾向は変わらず、大会に向けた機運は盛り上がってこない。不安の茎の方が目立っている。五輪開幕まで100日を切った。組織委員会や政府は開催姿勢を崩していないが、ウイルス禍が収まる気配はなく中止論も見え隠れする。どんな未来が待つにせよ、平和とスポーツを愛する根っこは残さねばと思う。
東北放送TV朝7:30からの「ウオッチン宮城」の天気予報「人間アメダス」「おはパチ」へ写真等を投稿しておりますので、毎朝ウオッチンしてみて下さい。
2021年4月13日 曇り/晴れ 16℃
田中邦衛さんと五郎
田中邦衛さんが、逝く。心に大きな穴があいたような気がしている。北海道の大自然の中で、2人の子を育てながら寡黙に、愚直に生きる。ドラマ「北の国から」は倉本聡さんが書いた脚本だが、田中さん演じる黒板五郎の語り口が魂をのせた。学生の頃から、ドラマの世界に近づきたい、と舞台となった富良野を何度も旅した。田中さんは町の喫茶店に顔を出すなど気さくさで知られた。丸太小屋や石の家の前に立つと、五郎が「よく来たね」と優しく声を掛けてくれる気がしたものだ。「電気がなかったら暮らせませンよッ」。長男・純の言葉に「夜になったら眠るンです」と答える五郎。黙々と廃屋を修理し、管をつないで沢から水を引き、電気は風力発電で起こす。10年前、東日本大震災が襲った。一家の暮らしから、自然と生きる原点、豊かさや便利さの中で忘れかけていた大切なものを思い返した。豊かな不幸か。貧しい幸せか。五郎はためらいなく後者を生き続けた。放送開始から40年がたつが、そのメッセージは古さを感じさせない。五郎は強くて頼りがいのある父親ではない。不器用で情けない父親だ。それでも、子の窮地に見せる親の情愛にはすごみがあった。ひたむきな演技に、自分ならどうするか、と考えさせられる。田中さんほど役と一体化した俳優はそういない。演じることはもうないが、今も五郎として富良野のどこかを歩いているような気がしてならない。
2021年4月9日 曇り/晴れ 12℃
大事な物とは何だろう?
新型コロナウイルスの第4波到来が現実味を帯びている。大阪、兵庫、宮城の3府県では「まん延防止等重点措置」が初めて適用され、そして今度は東京、沖縄、京都である。感染力の強い変異株が次第に猛威を振るい、列島全体が戦々恐々としている。東京五輪・パラリンピックを控える政府としては、何とか抑え込みたいところだが、目新しい処方箋の持ち合わせはない。飲食店の営業時間短縮、不要不急の外出自粛を要請するばかりだ。川崎町でも7日は7人、8日は1人と田舎の方にも及んできている。ところでコロナの出現以来、幾度も耳にした「不要不急」の言葉。もちろん「急いでする必要のないこと」「なくても構わないもの」という意味だが、よく考えてみると、人間の生活には「不要不急のもの、無駄なものがいっぱいある」のではないか。むしろ今日の経済は無駄、過剰なもので成り立っている。大勢で押し寄せる外国人観光客、巨大なテーマパーク、夜の街関連やグルメ産業…。これら不要不急のものがなくなると、たちまち経済が回らなくなる。しかし必要と不要の間に「大事なもの」があると思う。それは例えば、信頼できる人間関係、地域の生活空間、澄んだ大気、医療や介護の安心、大切な書物や音楽である。一日も早い景気浮揚を期待する声もあるだろうが、コロナ禍の今こそ市場原理と一線を画す「大事なもの」は何か、私たちも考えたい。
2021年4月6日 曇り 14℃
釜房ダムの山桜も見事です!
早々に咲いた仙台市や川崎町のソメイヨシノは、もう盛りの様相を見せている。この桜はよく見ると公園や学校、沿道に身を寄せ合うように植えられていることが多い。自身にびっしりと花をつけるだけでなく、並木道では隣の木の枝と重なるように咲き誇る。まるで和音を奏でるような咲き方である。同じ場所で一斉に開花するのは、この種は主として接ぎ木で増やす「クローン」であるからだという。親と同じ性質を持つ木ばかりなので、一つ所では同じように咲いて散る。ソメイヨシノの開花が一段落すると、山の斜面にも桜の姿が見えてくる。こちらはオオヤマザクラなど野生の桜だ。くすんだ山肌が所々、桜色に染まる。日本列島には10種類ほどが分布するらしい。ソメイヨシノと違って群生することはあまりない。集団で見せる豪華な美しさはないが、暗がりの中でともった明かりのような、優しい気品がある。ほかの木々に交じって生き抜く強さも感じさせる。新年度である。これまでとは違った環境で暮らし始めた人も多いだろう。新型ウイルス禍がなければ多彩な出会いがあり、多くの人と交わって、ソメイヨシノが花開くような新生活がスタートしていたかもしれない。とはいえ、独立して咲く山の桜にも気高い美しさがある。一人でもできる自分磨きのすべは多々ある。今日は釜房ダム付近を散策しながら、多くの人と交流できる日はいずれ来るはずだと思いながら、山の桜も大いなる魅力を放っている光景がまぶしい。
2021年4月5日 曇り/晴れ 15℃
「春眠」心置きなく眠りたいもんである!
昨日は二十四節気の「清明」。「清明」とは「清浄明潔」を縮めた言葉で、空気が澄んで陽光は明るく万物を照らし、全てが鮮やかに見える頃。草木も芽吹き、春を謳歌する季節を表している。人もまた陽気に誘われ、野や山にと出かけ活動的になる。すっかり桜も満開でまさに春爛漫である。そんな中、親戚の不幸で通夜・葬式へと出かけた。多少雨まじりの肌寒い日であったが、故人は桜を眺めてゆっくりと休んでほしいと願っている。疲れと春のせいかもしれないが、夜はぐっすり眠ることができた。「春眠」は時として、昼どきや電車の中で見かけるうたた寝をも意味するらしい。要は春の睡魔全般である。温暖な日差しを浴び、うつらうつらと舟をこぐ光景が目に浮かぶ。寒さも和らぎ過ごしやすい時候「清明」を迎える。ただ折しも新年度スタートの時期でもある。「春眠」をむさぼる状況じゃないかもしれないが、今年は余裕をもって、せめて休日ぐらいは心置きなく眠りたい。いそがしさに紛れて活動しすぎる私の生活パターンを見直し、新年度はまずが英気を養うためにもゆっくりスタートしたいと思っている。
夏タイヤへの交換2台分が完了しました。コツを覚えれば楽にできます。そしてワクチン接種の高齢者への案内が届きましたが、いつ接種できるのかは、だいぶ先になりそうですね?