2018活動日誌 4月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2018年4月29日 晴れ 25℃
南北の境界線を越えたリムジン河がなつかしい!
今ではすっかり懐かしのメロディーだが、ザ・フォーククルセダーズの歌に「イムジン河」がある。フォークソングの名曲とも言われている。♪だれが祖国を二つに分けてしまったの-。南北の境界を流れる川に祖国分断の悲しみを重ね、哀愁を帯びた旋律で聞かせる。原歌は北朝鮮の曲で、フォーク調に編曲した。しかし1968年に政治的な配慮から発売が中止になり、2002年に復活した“幻の歌”である。4/27南北が歴史的な握手を交わした。金正恩氏によると境界線の段差は簡単に越えられたそうだが、本当に越えるべきハードルはこれからだ。「イムジン河」を飛ぶ鳥のように自由に行き来できる平和な半島にしなければならない。二度と、振り出しに戻してはいけない。春と同時に自然界にも、山の姿で春を知るサインがある。残雪と山肌が描く雪形。蔵王連峰はえぼしスキー場のコースに雪の足跡を残し、岩手山ではワシ。焼石連峰の「ハル」の字。栗駒山や秋田駒ケ岳の馬など。それぞれの地域で田仕事や畑仕事などの大事な目安になってきている。雪形は生活に密着している。雪解けで水量が増した川は、山も冬眠から目覚めて雪化粧を脱ぎ捨てた証しでもある。無数のつららの滴を集めた流れはやがて田んぼにたどりつく。満々とたたえられた水面に山が映るようになれば、農作業本番も近いようである。東京より孫もやってきて、更ににぎわいが押し寄せてきている。
2018年4月25日 曇り/小雨 12℃
好きなことに無心で打ち込めるのが「才能」だろうか!
「才能」とは何か。それは「努力に勝るもの」。昔、将棋の永世棋聖、米長邦雄さんがある対談で語っていた。「むしろ『努力しない』ということなんだ」と。つらい練習に耐えるのが「努力」ならば、好きなことに無心で打ち込めるのが「才能」だろう、と。苦労を苦労と思わず、いつの間にか深い谷を、険しい山を越えている。一流の世界には確かにそんな人がいる。「生きているということはマラソンをやっているということ」と話すこの人も“才能派”かもしれない。埼玉県庁をやめ、いよいよ退路を断つという。“公務員ランナー”川内優輝選手が来春、プロに転向する。とにかく走る。日本勢として31年ぶりに優勝したボストン・マラソンから中5日の日は岐阜のハーフマラソンに出ていた。1月には「76度目の2時間20分切り」の世界記録を打ち立て、更新を続けている。レース中に熱中症で搬送されたり、マイナス17度の極寒レースを完走したり、と話題に事欠かない。「そこまで頑張らなくても」。そんな声も「レースが練習」という稀有のランナーにはいらぬ心配なのだろうか。プロとなれば、おのずと東京五輪挑戦への期待も高まる。いや、まずは次どこを走るのか。いろんな意味で目の離せない型破りな人であり、この貪欲さと若さがうらやましい。努力を重ねた泥臭い人生そのものが、生きざまを磨いているような気がする。
2018年4月23日 曇り/小雨 13℃
北東北の桜開花の便りが聞こえてきた!
川崎の桜も終わりかけているが、我が家の「八重櫻」は今満開を迎えようとしている。桜と鯉のぼり、そしてブルースカイは本当に似合うものである。羽生結弦選手のパレードには10万8000人の人出が繰り出し仙台中心部は大賑わいである(4月22日気温29.9℃)。北東北のあちらこちらから桜開花の便りが聞こえてきた。青森では八戸の館鼻公園、十和田官庁街通り、青森の合浦公園に続いて、弘前公園の園内でソメイヨシノが開花した。ことし100周年の弘前さくらまつりは、特に華やかだそうだ。花の季節は心浮き立つ季節。と同時に、どこか心せき立てられる季節でもある。「いつ桜を見に行こう」「早く行かないと散ってしまう」と。もうすぐゴールデンウイークも始まる。家族と、あるいは友人と、行楽を考えている方も多いだろう。そんな華やぎの季節に、散りゆく人も。今週は、重い職責を担う人の辞任劇が続いた。けっして美しい「散り方」には見えなかったが…。セクハラ疑惑が報じられた財務省の事務次官が辞任を表明した。本人は疑惑を否定するが事実上の更迭だ。このセクハラ疑惑への財務省の対応に批判が噴出した。被害女性に「名乗り出て」と求めるなど配慮を欠いていた。セクハラ問題への認識はその程度か。政権が目指す「女性が輝く社会」への本気度はどれほどのものか。疑問符が付いたかたちだ。財務次官の辞任表明と同じ日に、新潟県の知事が辞表を提出した。こちらは女性問題が理由というから、ため息が出た。うんざりするような現実を思うにつけ、この春は花の美しさがとりわけ目にしみ入りそうだ。
2018年4月20日 晴れ 23℃
適材適所とは?
「鯉のぼり」が似合う季節になってきた。青空のもと、我が家でも鯉のぼりを掲げた。鯉のぼりはまさしく青空に映えるものである。この青空とは裏腹に政界は曇ったままである。政治家がしばしば口にする「適材適所」は、どうもあやしい。10年前、当時首相だった麻生太郎氏が適材適所で配置したとする閣僚の1人、中山成彬国土交通相は、就任後に「日教組は解体しなきゃいかん」と発言。在任わずか5日で辞任に追い込まれた。今度は閣僚ではないが、これも要職の佐川宣寿国税庁長官の辞任。森友学園への国有地売却問題で批判されていた。麻生氏は財務相として記者会見。「役所の資料の信頼を損ね、騒ぎが大きくなった」ための引責辞任だとし、懲戒処分を科すことも明らかにした。そして今度は福田事務次官。佐川氏の仕事ぶりに関し麻生氏は「職務を適切に行った。適材適所だと思っている」と評価。安倍晋三首相も「適材適所」と国会答弁していた。有能な官僚であれば、こんな形で辞任することになるはずはなかったのだが。適材適所の意味を四字熟語の辞典(三省堂)で調べたら「その人の能力・性質によくあてはまる地位や任務を与えること」とあった。同じページには敵前逃亡という熟語も。こちらは「物事に直面して責任を放棄するたとえ」。今回の福田次官の辞任についても、政府は国民へきちんとした説明責任を免れられない。本当にこの政権での不祥事が連続して続いている。元凶は安部政権自体であり膿の元ではなかろうか。
2018年4月18日 小雨/曇り 13℃
今天下の執権を天道よりあづけたまえり!
今日午前中に川崎に行く途中、太白区富田での個人宅の雑木林の伐採中に木の下敷きになり作業員が死亡したとのことで、パトカー・救急車がかなり並んでいた。この事例を見ながら薪調達の際に注意せねばと改めて思った次第である。春めいた陽気が続き車でぶらっと旅にでも出かけたくみたくなってきた。旅と言えば江戸時代には庶民が物見遊山の旅を大いに楽しんだという。それだけ街道や宿泊施設が整っていたし、女の一人旅も可能なほど安全でもあった。そのうえ旅人を手厚く保護していた。道中で発病でもすれば、街道を統括する道中奉行に村役人が報告し、投薬するなどの手当てを尽くす仕組みになっていた。病死の実例が文書に残っているらしい。まさか改ざんされてはいないだろうから事実だとしても、このこまやかな施政はなぜ出来上がったのだろうか。固い意志を幕府が持っていた、と原田伊織著「日本人が知らされてこなかった『江戸』」にあった。「徳川の治世」の誇りにかけ、旅人の行き倒れといった不幸は許さない、と。現代ニッポンにいま展開されているのは、旅人どころか全国民をないがしろにした役人たちの不祥事。目覚めても悪夢を見せられては怒りがこみ上げる。最近の役人の発言は、どうも人ごとに聞こえ釈然としない。「今天下の執権を天道よりあづけたまえり」。徳川家康の遺訓である。もし自分たちが道を誤り悪政を行えば、天はたちまち執権を取り上げるだろう、と続く。この遺訓と250年の天下太平が無縁だったはずはない。うらやましい。政権・官僚は初心に帰り国民をみた世つくりを行ってほしい。
2018年4月17日 曇り 14℃
自然界の「なぜ?」が想像力と観察力を育てるのでは!
我が家の家の周りの田んぼや畑も昨夜の雨で黒々と変身し、まわりの山や庭の若葉が日ごと緑を増している。川崎の桜も葉桜に変身しようとしており、だんだん桜の名所も青葉に変わってきている。桜は不思議なもので花が咲いている間は虫はこない。だから桜の下で花見が楽しめるわけだが、これからは、毛虫の季節でもある。毛虫は嫌われ者の代表格のようだが、宮崎駿監督の話題の新作短編アニメは「毛虫のボロ」。生まれたての毛虫の冒険物語とは、さすが宮崎監督である。「ちっぽけな毛虫に世界はどう見えるかな」。20年以上前の構想から想像を膨らませ、今回の完成となった。宮崎監督のこんな豊かな発想の原点は小学校時代にさかのぼる。「毛虫が葉っぱをかじるとどんな味だろう」。宮崎さんは不思議なことにじっとしておられない子どもらしい感性と言えるが、幼いころから虫や動物のやることをじっと見るのが大好きだったらしい。宮崎さんは「僕は虫と話がしたかった」と言うだけあって一日中、芋虫を見てても飽きなかった。「じっと見ていると芋虫の気持ちが分かる気がした」。まさに自然界の「なぜ?」に対する、とてつもない興味、関心が想像力と観察力を育て、芸術や学問への道を開かせたに違いない。虫動き、草木そよぐ今、子どもたちの好奇心にスイッチを入れてやりたい季節である。GWに孫が来るということで、青葉のすがすがしい空気に鯉のぼりを掲げようと思っており、虫や草木を思う存分味わってほしいと思う。
2018年4月15日 晴れ 17℃
無我夢中になれる工作は楽し!
連日、TVニュースは「もりかけ」問題で大賑わいである。政権に関わる重大な問題が各所で噴出している。しかも最近は、日替わりメニューのようなありさまだ。追及する野党側も、追及される政府側も、息つく暇もない緊迫した状況にあるだろう。森友学園に関する文書改ざんや口裏合わせ、自衛隊の日報隠蔽に加え、今度は加計学園の獣医学部新設を巡る疑惑が再燃した。当時の首相秘書官が「本件は、首相案件」と発言したとする、愛媛県職員が作成した文書が明るみに出たからだ。「明けても暮れてもこういうことに終始するのは、国民もわれわれもうんざりしている」。安倍政権を支える自民党の二階俊博幹事長の発言だが、まさにその通りであろう。ただ、中途半端な調査や火消しでは問題解決は望めない。なにしろ「ない」とされていたり怪文書扱いされていた文書が、よく調べると見つかるのだから。文書管理の失態は、もうたくさんだ。もうストーリーはよめているので、ロスタイムなしに早く自白すれば楽なのになあと思ってくる。愛媛県知事は県の立場で明らかにできる情報は全て公開しているとした上で「国が正直に言ったらいいのではないか」と情報公開を促した。政府はどう対応するのか、みものである。もう国民をうんざりさせないでほしいと願う。そんな中、連日の薪棚製作及び仕上げの塗装が完了した。塗料の残り物であり、結果的に製作費は0円である。出来上がった薪棚を見ながら、廃材でよくここまでできたなあと自分ながら感心してしまう。でもよく考えてみると家の周りは薪だらけであり、これでいいのかなあと考えてしまうが、とにかく無我夢中になれる工作は楽しいものである。
2018年4月12日 晴れ 18℃
春の到来を告げる「木の根開く」
春になると深雪に覆われていた山々が次第に色付く。雪は樹木の根元から次第に解けて地面が顔を出す。よく見ると木を中心にあちこちに窪地ができ、大きなものは塹壕のようでもある。さて、この現象を何と言うのだろうか。少し調べてみると「雪根開(ねびら)き」「根開(ねあ)き」と言うらしい。若いころ、八甲田で春スキーを楽しんでいた。緩斜面で休んでいると眼前を猛スピードで通り過ぎた男性ボーダーが根開きの巨大な穴に落ち、姿が消えた。気を失っていた。慌てて助け起こすと幸い意識が戻った。穴の深さは人の背丈もほどあり容易にはい上がれない。なぜあんな穴が開くのか。樹木が吸収する日射熱、光合成の生命活動、木が吸い上げる地下水の温度、風の流体力学、枝や幹から流れた雨など諸説ある。いずれにせよ樹木の太さに関係なく根元に窪地ができ、隣の窪地と繋がって大地がどんどん姿を現すと春は駆け足でやって来る。春の到来を告げる「木の根開く」は春の季語でもある。根開きが始まったブナ林に足を踏み入れ、コンロで沸かした珈琲は特別においしかった。若いころ、スキーに夢中になり滑りまくり、寒さにかじかんだ心身も一気に蘇った記憶が思い出された。
2018年4月11日 晴れ 14℃
白き蔵王連峰と釜房ダムの桜の競演は見事である!
日本人の桜好きはつとに有名である。花と言えば、何より先に桜を思い出す。和歌や俳句に詠まれた名歌、名句は数知れず。昔も今も人々の心をとらえて離さない。このところ陽光が燦々と降り注ぐ日が多い。この陽気に誘われてウグイスも早く鳴きだした。スイセンが咲き、ハクモクレンの花も見掛ける。甘い香りを漂わせているのはジンチョウゲだ。秋のキンモクセイと同様に季節の到来を香りで告げるが、いったん育つと移植を嫌う。根を傷めると枯れやすい。根を張った所から離れたがらないのは、住み慣れた故郷に住み続ける人とも重なるのではないだろうか。川崎の釜房ダム周辺の桜も満開となった。白き蔵王連峰と桜の競演は見事である。9日から始めた廃材・端材を利用した薪棚2基も、やっと完成した。長さ、厚さ等様々な板材での製作は苦労するが、工夫しながら、楽しみながらの工作つくりのようなものであり、自画自賛ではあるが、頑丈で丈夫な薪棚ができたような気がする。桜の早咲き傾向の今年の花々は桜も例外ではなく、過去2番目の早さで開花が宣言された。今年は学校の入学式が桜で彩られる所もありそうで、まさしく出会いと新生活を早めの桜が演出してくれる。薪棚製作が終わったこともあり、今週あたりから、今まさに花盛り、匂い立つような郷土の桜の絶景をじっくりと堪能したいと思う。
2018年4月9日 晴れ 11℃
「もり」「かけ」蕎麦はのびてまずいだろう!
山形の旅に出かけた。山形といえば、蕎麦、果物が豊富でおいしい。いつもおいしく食べている蕎麦について調べてみると、「生(き)そば」と「生(なま)そば」がある。違いが分かりだろうか。「きそば」は、そば粉だけで打つ十割そばを指す。そば屋さんの店先ののれんで見かける。「なまそば」は、ゆでる前のそばのことだ。「きそば」は、そば粉8、小麦粉2の割合で打った「二八そば」と区別するために使われている。「生(き)」は純粋でまじりけがないことを意味する。ところが面白いことに、辞書によって解釈に微妙な揺れがある。まず広辞苑は「蕎麦(そば)粉だけで他に混ぜ物のないそば」。これはまさに十割そばだ。次に新明解国語辞典は「そば粉以外に小麦粉などを交ぜることがほとんどない、純粋のそば」。これも十割と考えていい。大辞泉は「そば粉だけで打ったそば」。だが続きがある。「また、小麦粉などの混ぜものが少ないそば」。大辞林は「純粋なそば粉を用い、ほんの少量のつなぎを加えただけのそば」。十割にこだわっていない。辞書編集者のそばへの思いが見えて興味深い。人によって蕎麦は十割に限るとか、二八の方がのどごしがよくてうまいと言う人もいる。近いうちに自分好みの蕎麦を自ら打って、自己満足したいものである。政界は昨年来の「もり」「かけ」で揺れている。職人が客より主人を見て打つからではないだろうか。そして次は「イラク日報」という蕎麦。国民(客)を見ず上だけをみて打つ蕎麦はのびてまずいだろうか。国民はいつになったら、おいしい蕎麦が食べられるのだろうか。山形の旅について「小さな旅」で紹介したいと思う。
2018年4月5日 晴れ 15℃
プレ金はどこにいったのだろうか?
1日休養したおかげで体調が元に戻ってきた。休養といっても、かかりつけの病院巡り(整形外科、内科、歯科)である。でも連日の肉体重作業で昨日は貴重な休養日でもあった。今日も早速、お誘いを受け薪集めに軽トラで出かけた。みずき、くりの木で直径60センチ、高さも20mとクレーン車や昇降機で伐採するプロの技をみることができた。薪はもうたくさんと思いながら、なぜか伐採はスリルがありワクワクするものである。明日は金曜日、週末は温泉旅行と楽しみがあり心もなぜか弾む。2017年の新語・流行語大賞の一つにも選ばれた「プレミアムフライデー」。でも、自分に関係のある話とはとても思えず、最近ではTVニュースでもほとんど取り上げられない状態である。「プレミアムフライデー」、略して「プレ金」である。毎月末の金曜日は仕事を早く切り上げよう、と官民挙げて取り組んで1周年を迎えた。実際に早帰りできたのは10人に1人程度だという。その割に認知度はとても高い。9割の人が知っている。お役所が絡んだ仕事では異例かもしれない。「フライデー仕事の量だけプレミアム」。ネットで見つけた川柳である。「流行(はや)り物好きな社長が不採用」というのもあった。プレ金が新語・流行語に入賞したのは、実は好意的に評価されたからではないという。スタートしたときから一部の大企業にしかできないなどといわれ、評判は芳しくなかった。もっとも、悪評も評なりという。政治家なら、悪名は無名に勝ると喜ぶところ。世耕弘成経産相もそんな構えらしい。高い認知度を背に「粘り強く続けたい」と語っている。クールビズのように真夏に軽装で困る人はいないけれど、山と積まれた仕事や人手不足に苦しむ中小企業は多いのではないだろうか。「勝ち組が格差楽しむ早上がり」。ねたみを助長して何のプレ金だろうかとサラリーマン時代を思い出してしまった。
2018年4月3日 晴れ 21℃
今日もアウトドア作業・・・疲労感が残るようになってきたが。。。。
4月に入ったが、初日から力仕事の日々が続く。それは駐車場にある膨大な量の丸太の薪の整理である。軽トラック5台分もある丸太を薪割り機を使い薪ストーブ用の薪を割っていく作業である。丸太を軽トラックに積み込み、運搬し、薪割り機械のところへ運ぶ。薪割り後、また積み込み・運搬・薪棚への積み込み等いそがしい。家内もだいぶ慣れてきたが、男でも重作業である。お互いにヘトヘト気味であるが、達成感からくる開放感もあるが疲労感が体に重くのしかかり、活動日誌も書けない状態が続いた。作業しながらラジオを聞いていると人間には三つのタイプがあるという。自分を第一に、与えるより多くを受け取ろうとする「テイカー」。相手を思いやり、受け取る以上に与える「ギバー」。その間にいる「マッチャー」と呼ぶらしい。ビジネスで成功するのは誰か。テイカーは得するようで、恨みを買う。お人よしで損するが、「与える人」ギバーこそ信頼を集めて高い地位にいることが多いといわれている。「損して得取れ」は世界の共通語らしい。薪に関しては、まさに「ギバー」の状態である。薪に関しては、まさに「ギバー」の状態である。自然体で薪が集まるのはうれしい限りであるが、その整理は我々のような老夫婦にとっては年々、重労働となり、身の丈にあった量、すなわち身の丈にあう生活パターン(マッチャー)が最良であることを身をもって感じてきた。農作業、薪ストーブ、大工仕事を精力的にこなしてきたが、最近は体が続かなくなり、翌日には疲労感がだいぶ残るようになってきた。そろそろセーブする時期かもしれないと思いながら、今日もアウトドア作業にいそしむ自分に思わず笑ってしまう。