■2016活動日誌4月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。コメントをお寄せください。
新緑がまぶしい季節だ。〈目には青葉〉とくれば〈山時鳥(ほととぎす) 初鰹(はつがつお)〉と続く。江戸時代の俳人山口素堂が、春から夏にかけて江戸の人たちが好んだものを句に詠み込んだ。
中でも、旬の走りの初ガツオは「女房を質に入れてでも食べろ」と言われたほど、粋を気取る江戸っ子たちに人気が高かった。それだけに値も張ったらしい。そんな季節ではあるが、今日は朝から雨模様。我が家の鯉のぼりも雨に濡れてうつむいているようだ。GWもはじまり、29日から子供や孫も集まり久しぶりに家族全員が出そろった。そして束の間のにぎやかさは、30日はみちのく公園エコキャンプで開催される「ARBSAKI.ROCK.FES16」へと続く。数万人も観客が集まるそうで国道286号線は混雑が始まっている。我が家からは裏道を通り早朝から車で送り、帰りは迎えにと、すっかり運転手である。聞けばARABAKIは自然と同化し今年で11年目を迎え川崎町のGWの風物詩になった感がある。来年あたりは一緒に行ってみようかとも思ってきたくらい楽しそうである。蔵王連峰をのぞみながら広大な風の草原で風と光と水と音楽が融合し、人・自然・音楽が溶け合う雰囲気がたまらないそうだ。昼間の孫との遊び相手もいいが、今度は家族全員で一緒に風の草原へでかけてみようかと思う。もう一度青春にかえって。。。。
4月28日(木) 雨 14℃
虎は死して皮残す。人は死んで名を残す!
朝から、本格的な雨が降り続いている。被災地熊本地方も雨とか。復旧の妨げにならねばと祈るのみである。悲しいかな今、日本が誇るメーカであるシャープ本体、東芝の白物家電事業、そして、今度は、三菱自動車が存続に関わる事態になっている。燃費データ改ざん問題が泥沼の様相だ。25年間も不正な方法で燃費データを計測していたことが分かった。三菱自に弁解の余地はない。私も以前に3台も三菱の車(シグマ、パジェロイオ、パジェロミニ)を愛用していただけに本当に残念である。信じた客を欺き通したのだから。相川哲郎社長いわく。「当時これで良いと思ってやり始めた方法が、伝承されて疑われずにやられていた可能性もある。自浄作用が働かなかった」。不正が「伝承」されるとは、一体どんな会社なのだろう。だまされた客の怒りは収まるまい。気になったのは、相川社長の窮地に陥った政治家のような言動である。「全く承知していなかった」。何だって? それを言っちゃあ、おしまいだよ。なんたって、企業のトップなんだから。そう、フーテンの寅さんふうに言いたくもなる。「虎は死して皮残す。人は死んで名を残す」。調子のいい啖呵売で、フーテンの寅さんが虎の絵を売っていたシーンを思い出す。商売人には最低限のモラルがいる。日本を支えてきた企業人の誇りは一体どこへいったのだろうか。
4月27日(水) 晴れ/曇り 17℃
初心に戻り、身の回りを点検を!
昨日に引き続き、大工作業の続行。今日は庭にある東屋の屋根(単なる”よしず”を板で留めている)をとりはずすことにした。すっかり雨風でボロボロ状態になっており、もう屋根とは言えない状況である。次回にでも屋根つくりを行いたいと考えているが、今度はどんな屋根にしようかと考えるのもまた楽し。でもアケビもだいぶ伸びてきたし、植物のグリーンの屋根も自然任せでいいのかなあとも思っている。最近、備えの大切さを深く記憶に刻んだはずなのに、だんだんと薄れている気がする。東日本大震災、熊本地震を契機に改めて身の回りを点検してみた。非常食は消費期限に合わせて最初は補充していたが、そのうち買い足さなくなっていた。倉庫には飲料水が入ったペットボトルは普段使っているので多数在庫がある。台所の床下収納庫には無洗米、缶詰、乾パン…。消費期限も迫っていた。道路や鉄道が寸断され、物の流れが止まる。停電、断水が追い打ちを掛ける。コンビニ、スーパーから商品がなくなり、救援の食料や水を求める人たちが避難所に殺到する-。熊本、大分両県の被災者が直面した苦境を目にしチェックしながら、東日本大震災後の県内の過酷な日々がよみがえってきた。車のガソリンも満杯にしねば。予備ガソリンタンクにも補充せねば。大地震が起きたらすぐに逃げられるよう、寝室に家族分のサンダルも用意せねば。やはり年月とともに風化が進み、風化の芽が潜んでいることも忘れがちである。もう一度初心に返り、月に1度は確認日を設定したいと思う。
4月26日(火) 晴れ 20℃
手作り屋外テーブル完成
暖かい日が続き、何をするにも気持ちのよいお天気である。今日も外で大工仕事。いただいた廃材を利用して屋外用のテーブル作りを行った。手持ちの材料や釘だけでは間に合わず、田舎のコンビニでもある「コメリ」で板材の材料を買い求めに出かけた。そして出来上がったあとはペンキ塗り(クリーム色)と。。。何か夢中になることは楽しいものである。汗をかいた後、飲む山水もキリットとして、とにかくおいしい。ところで「火の国」九州熊本は「水の国」でもある。熊本県は水道水の80%を地下水で賄う。中でも、熊本市は100%。少雨による断水経験がないらしく、水資源の豊かさのあらわれでもある。供給源は「火の国」のシンボル阿蘇山周辺に降る大量の雨だ。地下に浸透して蓄えられ、熊本市東部から中心部にかけては自噴井戸も多い。日量40万トンを誇る江津湖周辺の湧水群は、平成の名水百選にも入っている。 地震の激しい揺れは地下水にも影響したのだろうか。湧水群を構成する「水前寺公園」の池は、水位が大幅に下がったという。濁りが出て飲めない地域もある。ほとんどの自治体が最低限の滅菌と塩素処理だけをして給水するため、ろ過設備を持たない。「蛇口をひねればミネラルウオーター」―自慢の水質の良さが、まさか裏目に出ているようである。益城町や南阿蘇村など、被災地の広い範囲で今なお断水が続く。熊本市の一部地域も、水道管補修のため夜間の計画断水を余儀なくされている。全国から技術者や工事業者が派遣されており、一日も早い完全復旧へとつながってほしいと思う。我が家の水源は笹谷地区の山水。そしていつも飲料水としているのは青根地区の山水である。「水の国」の苦悩を目の当たりにして、普段、何げなしに飲んでいる「水」について、ちょっとチェックしながら気を付けたいと思う。
4月25日(月) 晴れ 19℃
桜がりきどくや日々に五里六里 - すがすがしい季節となった!
我が家の八重桜も23日に開花したと思ったら、もうすでに満開を迎えている。温暖化の影響かもしれないが、いつもと比べて2週間程度早くなっている。桜の名所を訪ね歩くことを「桜狩(さくらがり)」という。芭蕉の句に<桜がりきどくや日々に五里六里>がある。「きどく」は「奇特」、「きとく」とも。殊勝なさまを意味する。毎日五里、六里と歩いて桜狩に浮かれているが、われながらご苦労なことだなあ-という心境らしい。桜に心を奪われてしまう気分は昔も今も変わらない。鯉のぼりに桜、春の花々も咲き始め、リビングから眺める朝の風景がすがすがしく1年で美しい季節にさしかかってきたようである。目を外に向ければ熊本・大分の地震災害が絶えない世だが、熊本では小学校も再開したとのニュースも聞こえてきた。まだ避難所ではあるが地域と学校が穏やかに見守りあう開放的な社会空間を築き、地域の方々や子供たちの笑顔を提供してくれることを期待したい。そんな中、愚息の設計した「流山市立おおたかの森小・中学校、おおたかの森センター、こども図書館」が千葉県建築文化賞(3/19)に引き続き、日本建築学会賞(作品)を受賞したニュースを外部の方より連絡を受けた。我が家の桜の下で思わず口元が緩んでしまい、パートナーとすこし立ち止まり、しばし平和な心地に満たされた気分にもなった。春の珍事ではあるが延べ面積22000㎡、児童数1800人という極めて大規模な小中学校の子供たちがのびやかに育ってくれ、学校建築を語る上で語り継がれていく建築に成長していってほしいと思う。
4月24日(日) 晴れ 20℃
ことしは「国際豆年」ー 「まめに働く」
国際豆類貿易産業連合の略称、「CICILS」を片仮名読みにすると、シシルズと読むそうだ。アラブ首長国連邦のドバイに本部を持つ国際的な豆類の団体だ。あまり知られていないようだが、ことしは「国際豆年」なのである。シシルズが国際年の制定を働き掛けて、国連総会で採択されたニュースを聞いてちょっと、うれしくなった。安全保障関連法に反対する若者グループ、シールズは有名だけれど、こちらは「シシルズ」の言葉は初めて聞いた。豆類は栄養に優れ、痩せた土地でも育つ。人口爆発と環境悪化が世界的な課題となる中、有望な食料なのだとか。和食にも大事なパートナーだ。みそやしょうゆ造りを考えても、我が家では大豆さまさまである。納豆は腸内環境を整えてくれる。今日、青空のお天気でアウトドア作業には絶好の日よりである。野菜大好きクラブ会長のOさんと一緒に悠々ファームで畝作りしながら、今年も大豆を植えようかと語り合う。大地と向き合い汗を流して働くことがうれしい。この自家製大豆の上手さを知ったならば、もうやめられなくなってきた。豆といえば、最近、「まめに働く」といった言葉を最近とんと聞かない。株価に一喜一憂、グローバル経済のご時世に合わないのか。偉ぶらずまめに働き、他人を思いやれる。そんな人がたくさんいる社会こそが文化的生活だと思うのだが。こうしたコツコツと地道に汗を流して働くことが美徳とされ育ってきたんだがなあ。。。。。
穀雨といえどせめて復旧する間は晴れよと祈る!
4月21日(木) 曇り/小雨 15℃
一雨ごとに道すがらに見る花木が美しさを増してきた。今年はいつもと比べて早い新緑があらわれてきたように思う。生け垣で目立つのはベニカナメモチ。若葉が鮮紅色に輝いている。風にそよぐと緑がちらちらと。街路樹ではハナミズキもある。白花もいいけれど、やはり薄紅色のに引かれる。空を押し上げて、と一青窈さんのあの歌を、知らないうちに口ずさんでいたりする。余談ながら、ハナミズキは昔の東京市が桜を贈った返礼として、米国から日本へやってきた。昨年が来日100年で、わが国土にもすっかり根を下ろした感がある。二十四節気の「穀雨」も過ぎ、百穀を育てる雨が乾いた空気にほどよい湿りを与えてくれた。田畑に優しく降って潤すこの「春の雨」は、桜のころの冷たい「花の雨」、長く降る「菜種梅雨」とは趣を異にする。百花が咲き乱れ若葉がもえるこの季節は、眼福を喜びたい。雨もいとおしみたい。だが、そんな心のゆとりなど持ちようもない人々が九州にいる。きのうは、車中泊をしていた被災者の女性が「エコノミー症候群」で命を落とした。熊本地震は間接的にも惨禍を広げている。穀雨といえどせめて復旧する間は晴れよと祈る。
4月20日(水) 晴れ 17℃
この地震でなぜ原発を止められないのか?
食後の腹回りの重苦しさ、めまい等が少しよくなってきた。先週あたりから体調不良状態が続いてきたが、S治療院後、だいぶ緩和されてきた。ニュースでは連日、熊本地震の模様が伝えられている。その中で原発の様子を知らせるニュースは少ない。今回の地震はその規模も発生のメカニズムも、過去に類例のない、極めて特異な地震である。 複数の活断層が関係し、断層帯を離れた地域にも、地震が飛び火しているという。通説とは異なり、布田川断層帯は、巨大噴火の痕跡である阿蘇のカルデラ内まで延びていた。海底に潜む未知の活断層の影響なども指摘され、広域にわたる全体像の再検討が、必要とされている。正体不明なのである。新たな規制基準は、3・11の反省の上に立つ。「想定外」に備えろ、という大前提があるはずだ。未知の地震が発生し、その影響がさらに広域に及ぶ恐れがあるとするならば、少なくともその実態が明らかになり、その上で「問題なし」とされない限り、とても「安全」とは言い難い。過去の想定内で判断するということは、3・11の教訓の否定であり、安全神話の時代に立ち戻るということだ。 川内原発は、1、2号機とも運転開始から三十年以上たっており、老朽化も進んでいる。小刻みに続く余震で、複雑な機器がどのようなダメージを受けているのか、いないのか。 交通網が断ち切られ、食料の輸送さえ滞る中、十分な避難計画もできていない。その上、九電は、重大事故時の指令所になる免震棟施設の建設を拒んでいる。原発ゼロでも市民の暮らしに支障がないのは、実証済みだ。それなのに、なぜ原発を止められないのか?
4月19日(火) 晴れ 18℃
大学に行くとは『海を見る自由』を得るためではないか」
「家」は温かいもの。あるいは家族そのもの。包み込んでくれる安心感がある。悲しいことに、多くの人たちが家を追われ、雨風の下を逃げ惑っている。地震が人と家を引きはがしている。山が崩れ地も割れ、ぎしぎしと鳴動を増して、日常をのみ込んでいる。熊本県が16日未明、「本震」に見舞われた。マグニチュードは地震1日目を上回り、阪神大震災に匹敵する。断層帯から断層帯への連鎖は大分まで延びている可能性も高く、まだ不明な活断層もあると指摘されている。「大学に行くとは『海を見る自由』を得るためではないか」。東日本大震災のすぐ後、関東地方のある高校で、卒業生に贈った校長の言葉が話題となったことを思いだす。学校で会社で、他者に時間を管理される人生にあって、大学生だけは時間の使い方を自分で決められる。「今日海を見てきたよ」と言える自由がある。志を胸に大海に出よ、とその校長は呼びかけていた。東海大学農学部キャンパスから臨む雄大な阿蘇山に、それぞれの大海を重ね合わせていたのではないだろうか。熊本地震で亡くなった東海大生たちである。崩れた下宿アパートの下敷きになるなどしたという。1年生もいる。海を見る自由を得たばかりのきらめく命だった。まだ連絡のつかない人がいる。胸の張り裂ける思いだ。悪夢よ覚めよ。その一心である。
4月18日(月) 晴れ 17℃
天災に備えた暮らしの石垣は大丈夫かーもう一度確認を!
活断層沿いの地震はいつまで続くのだろう。不安な日々を送る現地の方々、犠牲者や被災者にお悔やみとお見舞いを申し上げたい。築城の名人だった加藤清正が築いた熊本城。堅牢(けんろう)かつ優美な威容は、日本三大名城の一つに数えられている。ちょっと熊本城を調べてみると、熊本城は、現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」と言われている。加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建である。現存する宇土櫓などの櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている。西南戦争で天守閣は焼失したが、清正が工夫を重ねた石垣は薩軍の猛攻をはね返した。薩軍を率いた西郷隆盛は「官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と言ったと伝わる。その石垣が、無残に壊れた。熊本地方を襲った激烈な揺れ。九州では観測史上最大の震度7を記録した地域も。つぶれた家屋。陥没した道路。停電で真っ暗になった街。夜空を染める火災の炎。裂けた水道管から噴き出す水。無情に増え続ける死傷者の数。次々と入る情報や映像に身が震える。日本中に走る活断層。私たちは「地震の巣」の上に暮らしていることをあらためて思い知らされた。天災に備えた暮らしの石垣は大丈夫か。もう一度確かめておく必要がある。
4月17日(日) 曇り/小雨 16℃
手を差し伸べたいーあの時、東北も支援をもらったように!
熊本県益城町で倒壊した家屋から生後8カ月の女児が助け出された。奇跡的にできた僅かな隙間で小さな命が救われた。熊本地震。一筋の光を見る思いだがこうした「明」の知らせが届く。しかし、惨禍を伝える「暗」の多さのニュースに圧倒される。加藤清正が築いた熊本城も無残な姿をさらしている。あの9時26分より3日が経過する。“驚天動地”の大揺れで瞬時にして日常が覆された。ショックは察するに余りある。最近、体調がすぐれず食後の腹部の重苦しさが、続いており、めまいもあり横になる時間が多くなってきた。横になりながら、テレビの地震速報を耳にすれば「もうやめて」と声を上げたくなる。現地の恐怖と不安、疲労は想像もできない。心配である。木曜夜の最大震度7の地震は「前震」で土曜日未明の方が「本震」だったことが明らかになっている。揺れが収まってホッとしていたのは前触れにすぎず、不意を突く形で本震が来て、なお強い余震が続く。地震の心理的恐怖度を測る物差しはないが、極めて高いストレスと発展していく。手を差し伸べたい。あの時、東北も支援をもらったように。避難、情報共有、助け合いという人間の絆に強く期待したい。そのためにも、一日も早く体調を回復したいと思う。体調が回復した次第、みちのく公園の自然共生園の野辺に咲く野花を紹介したいと思います。
4月15日(金) 晴れ/曇り 14℃
平成28年熊本地震 - 自然の指標を見逃さず!
朝から春の嵐が襲ってきた。凄い暴風で早速「鯉のぼり」を下げざるを得ないほどの強い風である。そんな中、「平成28年熊本地震(4/14 21:26)」が昨夜起きた。震度7(M6.5)の大きさで5年前の東日本大震災を思い出し、ひとごとではない。今回は震源地が地下11kmと浅いせいもあり、活断層沿いの余震の回数も有感で150回近くあり、かなり多い。まずは犠牲者への哀悼と被害者へのお見舞いの気持ちを申し上げたい。人の命、安否確認そして安全に気をつけ避難所へと迅速な行動避難を心がけていただきたいと願う。天皇、皇后両陛下は15日、熊本県で起きた地震災害について、早速、お見舞いのお言葉並びに災害対策に従事している関係者へのねぎらいの気持ちを河相周夫侍従長を通じて熊本県の蒲島郁夫知事に伝えられた。ありがたいことである。政府は明日、安倍総理が現地に赴くという。混乱のさなか、現地では過剰警備等で余計な迷惑にならぬようにしてほしいと思う。上滑りのお見舞いの言葉はいらない。きちんとした遠隔よりの現場支援をお願いしたいものである。今、東北では「北国の春」を迎えようとしている。千昌男の歌の中に「こぶし咲くあの丘」という歌詞がある。「季節が都会ではわからないだろと」という一節も。自然の中で暮らす田舎のおふくろと、季節を忘れて都会に住む子供の情景の対比が鮮やかである。3番の歌詞にはヤマブキも出てくる。山菜採りの師匠は、この花が咲くとシーズン入りだとそわそわしてくる。これも大事な「自然の指標」でもある。熊本ではまるで春の大嵐そして自然の猛威が襲ってきた。東日本大震災を契機に決して自然の指標は侮れないことを肌で感じた。
4月14日(木) 晴れ/曇り 22℃
人生には喜も怒も哀も楽もある-さわやかな一言で救われる
珍しくバスに乗る機会があった。母親に抱かれた赤ちゃんが泣きやまない。母親の焦りを感じた運転手がマイクで「お母さん、大丈夫ですよ。赤ちゃんですから気になさらないでください」と明るく一言。この運転手は年配のベテランである。人生はまるで乗り合いバスのようである。知らない者同士が袖触れ合いながら向かう。心ざわつくことも、心和らぐこともある。ささやかな物語が日々生まれるのもまた、人生に似ているような気がする。人生には喜も怒も哀も楽もある。この頃は憤も嘆も増えてきてイライラする場面がいくつもある。こんな中、このさわやかな一言が情の一滴となった場面に遭遇した。最近のニュースを見ると保育所設置でこどもの声がうるさいとか、そばに建設される老健施設等は迷惑だとか、日本という国はいつから、各個人がバリアをつくり、高い壁をつくりはじめたのだろうかと思ってしまう。高齢化、人口減少など課題は山積しているが、この場面でのひとことがこれからの時代の豊かさや幸福感をいかにして得ていくのかを考えるひとつのヒントになるのではないかと思う。すべて経済活動優先の政策が日本での幸福度をお金に変えてしまったのではないだろうか。もっと大切なものがあることをきずいてほしいと思う今日この頃である。明治の歌人石川啄木もこんな一首を残している。<新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど->
4月13日(水) 晴れ/曇り 17℃
時間は買うことができない - 蔵王連峰、鯉のぼり、釜房湖、桜
釜房湖畔の桜が満開に近くなってきた。桃色の濃淡が辺りを柔らかな空気で包んでいた。それだけではない。ユキヤナギのまばゆい白、モクレンの紫、レンギョウの黄、アジサイの沸き立つ新芽の緑。蔵王連峰、鯉のぼり、湖と織り重なる風景の美しさに、しばし時を忘れた。川崎の春はいつもより早いペースでやってきた。 山里のあちこちでは菜の花や桜が静かに彩っている。お天気に誘われて午前中に釜房ダムに出かけてみた。平日でもあり人影もまばらでダムより眺める風景は、貸し切り状態で見る人の心を幸せな気持ちで満たしてくれた。その中で50匹近くの鯉が優雅に空中散歩している姿は圧巻である。しばし春の空間に酔いながら、以前にも紹介した先日来日した、清貧で知られるウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領の言葉をかみしめる。「時間は買うことができない」。経済競争に踊らされ、次々新しいものを買うために自分の時間を奪われる愚を説き、幸せを分かち合う自由な時間を大切にと語り掛けている言葉が脳裏に浮かぶ。かけがえのない時間を自分だけでなく、見知らぬ誰かをも思い、使っている人たちがいる。お金で買えない幸せに誇りが持てる社会でありたい。
4月11日(月) 晴れ/曇り 14℃
四月は風光る。五月は風薫る。
四月は風光る、五月は風薫るという。だが風は光らないし、薫らない。光るのは木の葉や水面のさざ波、薫るのは花や若葉だ。風に光や匂いを感じるのは人間の感性で日本独自の五感から生まれた言葉ではないだろうか。あるブログをのぞいてみるとブログを通じて福島在住の方が地元の野に広がる四季折々の自然の魅力を発信していた。そして原発事故以降は現状や心境をつづっている。言われなき中傷や心ない書き込みに落ち込んだこともあった。ただ、ほとんどは応援や励ましだった。書き込みを通じて新たな交流も生まれた。風評を拭い去ろうと懸命に情報を伝えてきた。だが、震災から5年がたち気持ちが変わった。「普通でいい」。肩の力を抜いて淡々と、でも着実に前に進もうと。郷里の桜は今年も何事もなかったかのように美しく咲きそろうだろう。あらためて自然の力強さを感じたと。。。今週末までは桜も咲き誇る。この旬を見逃さず自然の美しさ・たくましさを「風光る」を通して五感で感じたい。でもこの時期に吹き抜けるのは穏やかな春風ばかりとは限らないなあ。。。。。
4月10日(日) 晴れ/曇り 18℃
今日は結婚記念日ー夜桜・お寿司・北斗七星
夜桜をながめた後、家路をたどりながらふと見上げると、頭上高く、北斗七星が浮かぶ。足を止め、ひしゃくの部分をかざした手で5倍に伸ばしてみる。幼い頃に習った通り、北極星がそこにある。夜空は春景色である。オリオン座に代わって、天頂の主役は北斗七星になった。いてつく冬はさえざえとして美しい。しかし寒さが緩み、ゆったりした気分で見上げる春の夜空もいいものだ。歌舞伎通の知人からこんな話を聞いた。歌舞伎「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」の大川端庚申塚(こうしんづか)の場、七五調の名文句「月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の、篝(かがり)もかすむ春の空。冷たい風もほろ酔いに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏(がらす)のただ一羽」。。なんと春の夜桜にぴったり合うセリフではないだろうか。そぞろ歩きの見物帰り、ほろ酔い顔も寒さですぐに酔いもさめてしまう。今日は結婚記念日。久しぶりにお寿司を食べながら夜桜見物。まさしく見上げてごらん夜の星を。。。。最後の決めぜりふが頭をよぎる。「こいつあ春から、縁起がいいわえ」
4月9日(土) 晴れ 22℃
薄紅色の花に思いを重ねる春を迎えている
今日は妙に生暖かい日である。。温度計を見ると22℃をさしている。花曇りの空ではあるが、それでも明るく春めいて、暖かい。川崎の地でも桜の花が開き万物すがすがしく美しい。薄紅色の花に思いを重ねる春を迎えている。淡く柔らかなパステルカラーの季節だが、清浄な春の源の色は白ではないかと思う。「清白(せいはく)」とは、清らかで汚れのないさま。「清白(すずしろ)」と読めば春の七草の大根になる。ふっくら透明なあの白は、今時分の風や陽光の色でもある。今日は朝から仙台の会社の研修会・親睦会に顔を出した後、急いで川崎へ向かう。川崎ではKIさんがいまかいまかと待っていた。KIさん宅のPC移転設定のお手伝いで、何とかインターネット・ひかり電話接続可能となりやっと我が家へ引き返す。我が家ではパートナーが庭の手入れにいそがしく動きまわっている。先日、友人からいただいた富士桜の苗木の植樹を行った。そして今日は大安で日もいいようなので「鯉のぼり」をあげることとした。蔵王連峰の夕暮れの中にそびえる鯉のぼりもなかなか、いいもんである。木々のあふれる生命力と鯉のぼり。花々の「命の気配」が心を癒やし、元気を与えてくれる季節。一輪の花、一条の光、清白な自然の力が背中を押してくれる春がやってきた
4月7日(木) 雨 11℃
自然の雨と大地の恵み - タマネギが順調である!
今日は朝から雨が降り続ける。鯉のぼりを上げる予定であったが、折角楽しみにしていたが、この雨のため週末に延期。鯉のぼりはやはり青空に泳ぐ姿が映えるし清々しい気分にさせてくれる。結構雨が強くなり、ちょっとファームへ出かけてみると、この恵みの雨でファームではタマネギは大きくなり丈も伸びて元気である。タマネギの原産地はペルシャだが、地中海沿岸、中央アジア、インド北西部とする説もある。当然、地理的に近い欧州の人々にとっても、最も基本的な野菜の一つで、いわば日本の昆布にも相当する「だしの素」でもあるらしい。その昔、フランスの農民は、タマネギを塩味のついた湯で2時間ほど煮た煮汁に、前日の食べ残しのジャガイモを放り込んで1回の食事をすませ、残ったグズグズのタマネギは翌日にとっておいて、さらにもう1回の食事の糧にしたという。実にうまい使い方をするものだと感心する。私の好きなエッセイスト、玉村豊男さんの『森羅万食たべものがたり』で述べている。ファームで冬の寒さに耐えながら元気に育つタマネギ。甘味をひそめてみずみずしく、サラダなど生で食べるのが一番おいしいが、オニオンスープにすると、一段と甘みが主役になる。これぞ大地の恵みである。収穫の6月頃が待ち遠しい。
4月6日(水) 晴れ 17℃
「世界で最も貧しい大統領」来日 - 国民目線で!
2/9活動日誌で紹介した「世界で最も貧しい大統領」前南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(80)が来日した。約100万円の月収をほとんど寄付し、生活費は約10万円。郊外の質素な農場に暮らす。愛車は友人から贈られた1987年製。収集目的で中東の富豪が約1億円の値を付けたが「友人を傷つける」と売らなかった。彼の有名な逸話。こうした方は日本にも、かつてはいた。旧国鉄の分割・民営化などの実績を上げた「土光臨調」を率いた故土光敏夫元経団連会長も、生活費以外を寄付。帽子には穴。髪は家族が切る。食卓のおかずから「メザシの土光さん」と親しまれた。故伊東正義元副総理は自民党の実力者でありながら、金権政治とは一切無縁。自宅はバブル期でさえ雨漏りがした。高級バーで葉巻をくゆらせながら、口をへの字に曲げながら、いかにも俺は金持ち財閥ごとく上から目線の財務大臣は、軽減税率のコメントでカップ麺の価格さえ知らない。企業から現金を受け取り、追及されると病院に“雲隠れ”する前経済再生担当相。昼に3500円のカレーを食べるリーダーは、上滑りの言葉で「この道しかない」とむなしく発言し続けている。震災・介護・保育問題を真に感じるには仮設住宅で2泊3日くらい寝泊りしたり、介護・保育を現場でぜひとも体験してほしい。単なる視察では意味がない。国民と同じ目線で感じ取ってほしいと思う。「大統領は機能を果たすため選ばれた高位の当局者。王様でも、神でもない。国民の大部分と同じような生活をするのが、大統領として理想的な生活」。ムヒカさんに学ぶべき日本の政治家は多いのではないかと思う。
4月5日(火) 晴れ 14℃
桜前線 ー 早すぎず、遅すぎず。いいお目覚めを!
今日はお天気も最高でまさしく春爛漫である。仙台の桜もだいぶ開花し、今週中には満開を迎えるのではないかと思う。春を彩る桜だが、実はつぼみは夏にできている。なのに秋に花を咲かせず、越年するのはなぜだろう。答えは子孫を残すためだという。桜が秋に咲いたらどうなるか。冬の寒さのために種を作ることができず、子孫を残せないのだという。コスモスや菊は種を作るまでの期間が短いが、桜は月日を要し冬の前に種を作り終えることができない。だから子孫を残すためにつぼみのまま越冬し、満を持して春に咲き誇る。桜のつぼみは「越冬芽」と呼ばれる硬い芽に包み込まれ、冬の寒さをしのぐ。別名「休眠芽」。秋から冬にかけ芽は眠っている。桜は冬の寒さで眠りから目を覚ます。冬に厳しい寒さを感じるほど、春の暖かさに敏感に反応するらしい。東京などで九州よりも早く開花することがあるのはこのためである。桜の開花は今年は一段と早いようである。釜房湖から眺める桜と蔵王連峰のコントラストは見ごたえがある。あと10日もすれば、この絶景ビューを紹介できるのではないかと思う。今日、午後より知人宅のPC修理・設定にお伺いしPCのハードデスクのクリーンアップしながらCPUが一段とスピードアップした桜前線が脳裏に浮かんできそうである。休みに合わせて開花してほしいと祈りながら、「早すぎず、遅すぎず。いいお目覚めを」と桜に願うほかない。
4月4日(月) 雨 10℃
清明 - 春の色が広がってきたようである!
休みが明けた今日4日は、二十四節気の一つ「清明」である。「清浄明潔」の略だという。全て清らかで、万物が生き生きと輝きを増す。気分一新のスタートにちょうどいい。ため息を一つついたら、倍ぐらい春を吸い込んでみる。胸を満たす季節の輝きが、力になってくれるような気がする。しっとりと雨に濡れた庭をみるとハクモクレンは青空の中で白雲のようにも見える。黄色のレンギョウのつぼみはまぶしい光を放ち始めている。そして桜は水面に伸び伸びと枝を広げて咲くような気配が目に浮かぶ。この春は、新生活の準備を急げと言わんばかりに、足早に駆け込んできた。冬からのバトンタッチが早すぎた。それでも春は準備不足を嘆くことなく、ひたむきな生命力を見せている。今年の暦は、新年度の2日目から土曜日曜という休息を与えてくれている。急がず登りなさい、と諭しているのだろうか。新年度という山を忘れ、川辺に足を運んでみようかなあ。今月中旬には川崎町内の桜も咲き、ゆっくりと散策しながら花々を眺めてみようか、そして花見弁当を広げてみるのもいいなあと思う。庭にも花でも植えて彩を添えたなら。。。。いろいろな思いが交錯する春の色が広がってきたようである。
4月2日(土) 小雨 11℃
言葉は立派だが実行力が伴わない政府 - 不信の氷を解かして!
今日は朝から小雨が降っている。ファームや庭にとってはまさしく恵みの雨である。ぱさぱさ状態で乾ききっている土にとっては最高である。雨でもあるので、私は我が家で音楽三昧。パートナーはパンつくり、パッチワークとそれぞれの束の間のほっとした時間を楽しんだ。最近のニュースを見ていると言葉は立派だけれど実行力が伴わない事柄が多いなあと思う。世の中を見渡せば、そんな例はざらにある。国もご多分に漏れず、では困るのだが…。期待する方が間違っているのだろうか。まずは福島原発。「最終的には事業者が判断する」。県も県議会も求めている東京電力福島第二原発の廃炉について、閣僚からは判で押したような答えしか返ってこない。見事なまでに東電任せの姿勢を貫いている。はて、原発は国策ではなかったのか。電力会社の後ろに身を潜めながら「国が前面に立つ」と言われても、むなしく響くだけだ。中央省庁の地方移転に関する政府方針が近く決まる。「東京にある必要があるのかどうかも含めて根本から考え直す」と政府の掛け声は立派である。文化財が多い京都府には文化庁が移る方向だという。それなら再生が最重要課題の福島県には当然復興庁が、と思うのだが、政府から移転の声は出てこない。根本から考え直さなくても分かりそうなものなのに。もう春だというのに永田町と霞が関の論理であつらえた分厚いコートを、思い切って脱ぎ捨ててはどうだろうか。大企業ばかり見ず、保育所、介護問題等身近な問題の国民目線での体温の伝わってくる決断を下さなければ、国民の心を覆う不信の氷を解かすことはできないと思うが。。。