■2024 活動日誌5月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2024年5月28日 小雨
さまざまな四季の恵みに感謝!
初夏の常とう句〈目には青葉 山ほととぎす…〉の季節を迎えた。泉ヶ岳や陸前高田市まで車で走ってきた。まだ麦の黄金色が波打つ平野部や、木々の緑と青空、青い潮騒の輝きが陽光と一体となってきらめいていた。そして夕刻に染まる朱色と石垣の陰影が自然の美しさを感じる。海岸線に迫る斜面や谷あいの至る所に棚田が連なる。狭あいな土地を耕した水面には早苗がそよいでいた。民俗学では「さなえ」の「さ」は、田植えや田の神を意味するという。早乙女もしかり。植えた後の「さなぼり」は田の神が「昇る=天上に帰る」。旧暦の田植えの時期は五月(さ月)、降るのは五月雨(さ水垂れ)である。瑞穂の国。稲の豊かな実りへの願いが言葉に込められている。晴天続きになると、今年は程よい「恵みの雨」になるだろうかと心配にもなる。これから平地の田も緑に変わっていく。近年を振り返れば、「警報級」が少ないことを願うばかりだ。〈初鰹(はつがつお)〉。縁起がよく、寿命が延びるという〈初物七十五日〉のことわざもあるが、旬を味わうのはおいしさや健康だけでなく、心も満たしてくれるからだろう。さまざまに「四季」のありがたさをつくづく思う。
2024年5月20日 雨
「これでいいんではないだろうか」!
家の縁側から眺める景色は緑一色となり始めている。やらなければと義務感にさいなまれながらも、現実から目をそらしたくなるのが、畑・農道そして庭の草取りである。若いうちはあまり気が付かないで苦にならなかったが、加齢を重ねていくうちに次第に気が済まなくなってきている。しかし雑草は「また生えてくるんだから」とか、葉っぱも「明日も落ちてくるんだから」と考えが脳裏に浮かぶ。多少、草が残っていても、「これでいいのだ」と思うようになってきた。ある本を読んでいると哺乳類は生まれてからの心拍数が20億回ぐらいに達すると止まってしまうらしい。それが寿命である。人間は50歳前後で20億回を迎えるが、例外的に長生きをする。進化の過程で老いた人のいる社会が安心でき、繁栄すると学んだからではないだろうか。それは「ほどほど」を許容する居心地のよさだったかもしれない。誰もが介護の世話にならず、元気で、できる限り自立した暮らしがしたいと願う。そのためには1日9000歩を目標にすればいいという研究もある。頑張ってそれ以上歩いても効果は変わらないそうである。キリのいい1万歩には届かなくても、いくらか気持ちは楽になる。無理はしないけれど、あきらめもしない。これでいいではないだろうかと自分に言い聞かせている。
2024年5月13日 雨
空き家と相続問題が今、深刻である!
人が住まなくなった家はすぐに傷み始める。換気をしなくなるからだ。湿気がこもって老朽化が進み、やがて倒壊の恐れがある「危険家屋」となる。この危険家屋が目につくようになってきた。全国の空き家は昨年10月1日時点で900万戸に上り、過去最多を更新した。理由の一つが「相続放棄」。2022年の相続放棄は過去最多の約26万件。900万戸の中に含まれる空き家もあると思う。家を守ってきた両親もいつかは亡くなる。古里を離れた子どもには自分たちの生活がある。管理に費用がかかる空き家は財産ではなく“負動産”とも言われ始めている。一方で「相続人なき遺産」も増え続けている。相続人が不在で国に納められた財産は22年度で約769億円に上った。少子高齢化が進む中、今後は相続放棄に加え、相続する人がいない、見つからないケースも増える気がする。ただ、財産はあの世には持っていけない。年をとれば、売却や寄付など背負う荷物を減らす方法はあると感じる。帰省していた子どもたちが都会へ戻り、ふと感じる年頃となってきた。
2024年5月7日 曇り/小雨
今年もつばめが飛び回りはじめました!
久しぶりに帰ったのに、どうも歓迎されている気がしない…。すねた寅は、おいちゃんたちとけんかし、ぷいとまた旅に出る。映画「男はつらいよ」お決まりのパターンである。「夏になったら必ず帰ってくるあのツバクロさえも、何かを境にぱったり姿を見せなくなることもあるんだぜ」と。ツバメは南方で冬を越し、子育てのために日本へ渡ってくる。春になって十分な日光と水分を得た木々の葉が一斉に芽吹く。すると、それを食べる虫の幼虫が次々にふ化する。これが子ツバメの栄養源になるのである。自然は互いを支え合う、いのちのいとなみである。暦を持たない生きものたちは、気温や日差し、月の満ち欠けなどを手がかりに季節を知る。ところが近年、木々の葉が早く開き、追われるように虫たちもふ化して、渡り鳥が子育ての時期にえさがない、という地域も出てきているという。世界の平均気温は昨年6月から毎月、史上最高を更新し、この春は10年に1度の暑さとか。地球がじわじわ「沸騰」し、生態系というお決まりのパターンが崩れつつある。魚がとれない。作物が実らない。暮らしの異変は地続きである。でも家の周りではツバメが飛び回っているのを見かけ、ほっとしている。
2024年5月5日 晴
風薫る水田を見渡す時、幸福感が満ちてくる!
今年のGWはお日さまが上機嫌なようだ。川崎の田んぼも数日で、乾田が鏡のような水面に変わった。田んぼに水を入れ代かきをして、田植えは進む。夏の季語「薫風」が、早苗をなでて揺らしている。この時季は風薫る水田を見渡す時、川崎の田舎で暮らす幸運感は満ちてくる。昔は家族総出で稲を植える。作業の合間におにぎりを頰張る。そんな小休憩の風景を思い出す。今は「車があるから昼は家に帰るし、小腹がすけばコンビニに直行だ」。「去年は稲も熱中症みたいにやられた。今年は1等米を育てんと」と笑顔を見せtりる。田んぼでは、おにぎりの出番は減ったかもしれない。でも街中では専門店がブームという。東京では、コシヒカリを出す専門店に行列ができているともいう。わが国の食料自給率は4割に満たない。でもコメは、ほぼ全てが自給だ。パンやパスタの原料である小麦は8割以上が輸入で、長引く円安も重なり、高コストが続く。ウイルス禍で巣ごもりが増えた頃あたりから、価格競争力があり、具材も多彩なおにぎりの魅力が再評価されているようだ。量でも味覚でも、食の安全保障を支える力が郷土にある。初夏の陽光きらめく田んぼを眺め、おにぎりをガブリとやるのもいいもんである。