■2024 活動日誌8月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2024年8月28日 曇り
もてる男の条件とは?
もてる男には条件があるらしい。(1)見栄(身なり)(2)男(顔かたち)(3)金(4)芸(5)精(勤勉)(6)おぼこ(かわいげ)(7)せりふ(弁舌)(8)力(9)肝(度胸)(10)評判。一つでも備わっていたら何とかなるらしい。私には関係ない話であるが。。。この人はいくつ手にしていたのだろうか。訃報が届いたフランスの俳優アラン・ドロンである。二枚目の代名詞。紳士服のCMでは「男のエレガンス」を語り、アル・パチーノさんを足して彼氏と比べる、大胆な歌謡曲もあった。スターの座をつかんだ映画『太陽がいっぱい』の日本公開は昭和35(1960)年6月。国会議事堂周辺は安保条約改定阻止のデモ隊で騒然としていた。富豪の息子を殺害してなりすまそうとする貧しい青年の物語を、「政権打倒」のシュプレヒコールを上げた若者たちはどんな思いで見たんだろう。幼いころ父を亡くし母親の再婚相手となじめず、高校卒業後インドシナ戦線に従軍した。よからぬ人たちとつきあいも深かったという生い立ちが役柄に陰影を与えた。小鳥を飼う孤独な殺し屋を演じた『サムライ』なども忘れがたい。でも、もてる男もやがては枯れる。88歳。近影を銀幕で見ることはなかったが、野望を浮かべた若い時がまぶしくなつかしい。
2024年8月27日 晴/曇り
40-40の偉業!
セミの鳴き声がツクツクボウシに変わってきた。夜になると秋の虫たちの声もする。日中はまだまだ油断ならないものの、朝夕はいくらか過ごしやすくなった。日めくりの暦のように季節は少しずつうつろっていくい弱々しい存在だった。そんな中、大谷翔平選手は大リーグ史上6人目となる40―40(40本塁打、40盗塁)」の偉業を成し遂げた。しかもサヨナラ満塁本塁打での達成だった。節目の記録に付加価値をつけ、見る人の心により深く刻まれた。そしてまさしくスーパースターの証しでもある。大谷選手の打席はワクワクする。3月の開選手のけがで7月から1番に。大谷選手の1番は初めてではない。日本ハム時代の2016年7月、栗山英樹監督が初めて「1番・投手」で起用した。狙いは好調な打者に多くの打席を回すことだったという。勝つ時は「頼りになる人」に好機が回ってくる。単なる巡り合わせではなく、みんながつなぐ役割に徹するからではないだろうか。ここまできたら「50―50」も達成してほしい。身勝手なファンの一人として、世界一をかけた一戦に1番・投手で起用されることも期待してしまう。願わくは今秋にと勝手に思ってしまう。
2024年8月21日 晴/曇り
雑草との戦いが続く!
熱戦に沸いたパリ五輪そして全国高校野球とは次元が異なるが、まだまだ終わらない夏場の戦いがある。帽子をかぶり、手袋をはめ、敵に向かう。エンジン式刈り払い機・ハンマーモア草刈り機。手ごわい雑草との戦いに挑んでいる。この時季、農村部にある我が家の畑や農道そして庭はあっという間に伸び放題の草でジャングルと化す。雑草を表す外国語の意訳が興味深い。ドイツ語は「植物にあらず」。フランス語とスペイン語は「質の悪い草」。イタリア語では「醜くて役に立たないもの」を指すという(ニーナ・エドワーズ「雑草の文化誌」)。国境を超えた共感がうれしいような気がする。「雑草という名の草はない」と言ったのは植物学者の牧野富太郎だが、草刈り中にそんなまなざしを向ける余裕はない。切って切って切りまくるだけだが、シソやアスパラガスが交じっているのは見て分かる。これは雑草とも言えない。「生えてはいけない場所に生えたら雑草。バラが小麦畑に繁茂したら雑草になり、根こそぎ抜かなくてはならない」とある。雑草かどうか決めるのは環境や人の主観であり、草に罪などないが。。。。。。今日も目の前の雑草の制圧にいそしみ、そして日々追われる夏である。
2024年8月20日 晴/曇り
ふるさとを思う心
高倉健さんの遺作となった映画「あなたへ」は遺骨をふるさとの海に散骨してほしいという妻の遺志を受け、主人公が富山から長崎県平戸まで車で旅する物語。妻がそう望んだ理由は分からないが、人生の最後はふるさとに戻りたいと思う人は結構多いのではと感じた。ふるさととは単に生まれた土地をいうのではなく、その人の人格形成に最初に大きな影響を与えた土地、言い換えればその人の土台が築かれた土地と思う。苦くつらい経験があっても、年をとれば懐かしく振り返ることができ、戻れば安らぎを感じられる。そんなふるさとの良さが伝わってくる。夢と大志を抱いてふるさとを離れる人もいれば、生計のため仕方なく離れる人もいる。でも、心のどこかにふるさとが息づく。苦しい時に励ます声が聞こえてくる。この夏は「南海トラフ地震臨時情報」が初めて出された。この川崎の地も高温多湿の状態が続いているが子供や孫たちと一緒に過ごせたことは幸せであった。さまざまな出会いに支えられて今がある、帰れる場所があるって幸せなこと。子供たちもきっとそう感じていると思う。