■2017活動日誌 8月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2017年9月1日 晴れ 25℃
9月1日は「重い日」である!
いよいよ9月に突入した。9月1日は、いわば「重い日」と言われている。1923年に関東大震災が起き、10万人以上の死者・行方不明者が出た。この惨禍を受け「防災の日」になった経緯でもある。今年がそうだが、大抵の年の1日が「二百十日」に当たるのも印象を重くする。農家の厄日で台風の襲来が多いとされる。が、統計ではむしろ台風は少ないのも不思議でもあるが印象に強い台風が多く、多いと感じるのではないだろうか。深刻なデータがある。やはり「重い日」だ。子どもの自殺は9月1日が1年で最も多い、という統計データがある。誰もが思い浮かべるキーワードは「学校」だ。友達や先生とソリが合わずに悩んでいる子、学校そのものになじめない子。長い夏休みの後の登校は、彼らにとって命を絶つほどの苦痛なのに違いない。学校、地域、父兄の方々も十分に注意をしてほしいと思う。夏らしい日々が少なかったが、もう秋に入り実りのシーズンでもある。ファーム作業でトウモロコシの後始末をしながら、緑のじゅうたんが黄金色に変わるころである。白菜、大根、里芋、ヤーコン等。。。。新鮮な無農薬野菜のおいしさに浸る収穫祭シーズンの秋がもうすぐである。
2017年8月29日 晴れ 30℃
のど越しのよい庶民の味方”ところてん”はおいしい!
朝晩は少しはしのぎやすくなってきた。今年は長雨でお日様が恋しく終わりを迎える夏の貴重な時間でもあるが、日中は残暑がまだまだ厳しい。そんな中、草刈りもひと段落し、今度は薪の準備を始めねばと思っている。先日、増設した薪棚に廃材を利用してこう配をつけた屋根を設置することとした。6月に工事の際、怪我をした経験をもとに脚立、梯子を使う場合は足場や足元のチェックしながら慎重に行うこととした。そして、時間があったので、久しぶりに2台の車の洗車・WAXSかけと汗だくだくにながら気持ちのよい汗を流すことができた。うだるような暑さの中、のど越しよく涼しさを運んでくれる、昔からの庶民の友が、ところてんを食べたくなった。俳句の世界ではもちろん夏の季語で、江戸後期の俳人、小林一茶に<軒下のこしらへ滝やところてん>の句がある。街道の茶屋の軒下に、樋を引いて、冷たい山の水を落とした滝の下には、桶にところてんが沈んでいる。旅人が立ち寄り、冷えたのを味わう図が浮かんでくる。ひんやりしてスルスルと入る。酢醤油(すじょうゆ)に砂糖を加えながらいただく夏の涼味はとにかくおいしい。やはり夏はフーフー汗をかく暑い日々が一番である。
2017年8月27日 晴れ 28℃
緑から黄金へーパッチワークの彩りの変化が美しい!
立秋を過ぎ、車窓から眺める水田風景が色合いを変えつつある。緑から黄金色へ。パッチワークのように組み合わされた彩りの変化が美しい。しかし、仙台は雨の連続記録36日と雨が続く日々で、室内も除湿器が大活躍の日々が続いている。でも、やっと今日は青空の朝を迎えることができホットしている。古来「瑞穂の国」に稲を詠んだ句は多い。だが、季語の稲掛(いなかけ)、干稲(ほしいね)、稲叢(いなむら)などは、もはや見ること自体が珍しくなった。機械化で刈り取りや乾燥の方法がすっかり変わったからだ。稲に付きもののスズメが減ったという話もある。少し古いデータだが、専門家の調査では、1990年ごろから2008年までに半減、高く見積もれば1/5になったという。コンバインの普及で落ちもみが減り、冬季の餌が不足したことや、都市化などが原因とも考えられているが、はっきりしたことは分からないそうだ。変化といえば、稲作農家にとって厳しいのは、人口減や食の多様化でコメの需要量が減り、ピーク時の半分近くになったことだろう。国は対策として主食用米から飼料米や加工米、他作物へと誘導しているが、多面的な価値を持つ水田を荒廃させないよう、うまくリードしてほしいと思う。今夏は日照時間が少なく、農作物への影響も心配されている。飽食の時代はいつまでも続くとは限らない。身近な場所に食の基盤を持つ有り難さを、色づく水田風景に思う。
2017年8月25日 雨/晴れ 31℃ 仙台雨連続記録 35日
カナカナ蝉の鳴く声を聴きながら。。。
やっと暑い夏が戻ってきたと思い、暑い暑いと、口癖のように言っているうち、もう、朝方にはさっと冷たい風が吹きこんでくる。首すじがヒヤリとする。私は、いまごろの時候が苦手で「秋だな」と思う瞬間に、何とも言えない心細さを感じた。小学生のころの思い出である。残り少ない夏休みが一日一日、消えていくことが憂鬱であった。山のようにたまった宿題帳が目の前にある。<カナカナ蝉(ぜみ)の鳴く声をききながら。。。。。。>。二十四節気のひとつ「処暑(しょしょ)」も過ぎた。多くの小中学校生にとって夏休みも終わりに近づいている。子供や孫も日焼けした元気な顔で、目を輝かせて、楽しかった思い出をつくれただろうか。いよいよ今日、帰京の日を迎えた。処暑の「処」には「止まる」という意味がある。楽しかった思い出も止まってほしい気もする。きびしい暑さも峠をこえて、おさまりはじめる時節である。残暑がつづくものの、朝晩は涼気がくわわる。天気がくずれたり、夏バテや食中毒になりやすいころでもあり、油断はできない。真っ白なページは思い出で埋まっただろうか。さあ、明日から普段の生活に戻りホットしているが、何か、さみしい気分になってくる。
2017年8月23日 曇り/晴れ 28℃
音や秋の虫の鳴き声は風流心をくすぐる。。。
やっと長雨から解放され、お日様が拝めるようなってきた。でも湿度が高く蒸し暑い日々が続き体調管理には気をつけねばと思っている。あと1週間程度で9月の声をきく。音や秋の虫の鳴き声は風流心をくすぐる季節となってくる。しかし、欧米人は特別な感情を抱くことがないそうだ。日本人は長年の経験で音から情緒的なものを感じ取るようになったらしい。繊細な感性は鳥や虫の鳴き声を言葉で表す「聞きなし」を生み出した。暮らしの中で耳にする音にも、着物の裾が擦れ合う時の「きぬ擦れ」など、独特の言い方を用いた。生活様式が変わり、こうした言葉を聞く機会は減った。昔に比べると、現代社会には多種多様な音があふれている。「喧噪(けんそう)」という言葉は今や都会の専売特許ではない。車の騒音に限らず、近隣の住宅から聞こえる笑い声や乳児の泣き声さえ、周囲の人にストレスを与えることがある。でも我が家の周りは田んぼ、畑で堀を流れる水音は意外なほど大きく、風の音、カエルや虫や小鳥の声で満ち溢れている。このさえずりの音と子供のはしゃぐ声がマッチしている。自然の中で遊びまわる子供の成長が音とともに進化しているようで、人は自然を味方につけることも大事であると思う。
2017年8月20日 曇り/小雨 23℃
夢を語れる会話は楽しくワクワクする!
新聞を見ているとコラム欄で花が咲くの「咲」にはもともと、「笑う」という意味があるという記事がのっていた。この社会には、さまざまな人がいる。黙って人のために尽くす人、弁は立つが行動しない人、そもそも何も考えていない人。会うたびに愚痴をこぼす人もいるし、人の悪口を言い始めると元気になる人もいる。日々、そういう人たちと出会い、会話を交わし、ではまた、と別れる。消耗することも多いが、好奇心の強い人間にとっては、それが楽しみでもある。最近、楽しい出来事が三つあった。一つは川崎青根地区の別荘ライフを楽しむメンバが集まった。霧雨の中ではあったが、バーベキューを楽しみながら、古今東西の世間話そして情報の知恵袋の話が出るわ出るわ。。。こうした気の許す面々との対話はあっという間に時間が過ぎてしまい楽しかった。そして二つめは東京の孫がやってきた。リックを背負いながら新幹線改札口から出てくる姿に、思わず涙ぐんでしまう。これから一緒に夏休みを過ごす楽しみが増してきた。そして三つめは全国高校野球で地元の仙台育英高校が優勝候補の大阪桐蔭高校に奇跡に近い逆転サヨナラのドラマを演じてくれた。どんなことでも、決して最後まであきらめないことの大切さを教えてくれた。今週の水曜日23日あたりから、雲を突き抜けた快晴の空が広がる予報に期待しながら楽しみも増してくる。年をとっても子供のように夢を語れる会話は、いつもながら心地よい。喜びを倍にして、悲しみをぬぐい去る。遅れてやってきた夏休みが花咲くことを期待したい。
2017年8月18日 曇り 24℃
広瀬川花火大会は晴れてほしい!
今年はオホーツク海高気圧が張り出し、22日までは小雨や曇りの天気が続き、まるで梅雨が明けないまま夏が終わりそうな感じである。20日に行われる仙台広瀬川花火大会も心配になってくる。戦国武将伊達政宗が居城米沢城で1589(天正17)年に花火を鑑賞したという記述が、伊達家の古文書にあるそうだ。外国人客の見せる花火がよほど気に入ったか、政宗は10日間で計4回も花火を披露させたという。最初に花火見物を楽しんだ日本人は1613(慶長18)年の徳川家康が通説だったが、政宗説も検証に値するらしい。とはいえ鉄砲と共にもたらされた火薬が、もっぱら武器に使われた戦国の世だ。政宗は花火に束の間の癒やしを求めたのではないだろうか。平和が訪れた江戸時代にやっと火薬は庶民の手に渡る。そうして花開いた花火文化を、まさに平和の象徴らしく、享保年間には飢饉や疫病による死者を弔い悪霊退散を祈った江戸の花火が、今の隅田川花火大会につながっている。広瀬川灯篭流し&花火大会は、先祖の霊に心を寄せる月遅れ盆の迎え火や送り火にも通じ、灯籠流しなどの風習と重なる。夜空を彩る華やかな光跡にも情緒を感じ取る日本の夏であるので何とか晴れてほしいものである。ただし、日本上空をまたいで飛ぶミサイルの火花だけは願い下げだ。
2017年8月16日 曇り/小雨 21℃
エッセーの名手倉嶋厚さんを偲ぶ!
NHKの気象解説で親しまれ、エッセイストとしても活躍した元気象キャスターの倉嶋厚さんが8月3日亡くなった。93歳。気象庁で予報官として活躍し、1984年に定年退職。同年4月からNHK解説委員に就任し、ニュース番組「ニュースセンター9時」で気象キャスターを担当した。「熱帯夜」という言葉もつくったことでも知られる。エッセーの名手で、天気を通して見た季節の移り変わりを軟らかい文体でつづった。著書に「暮らしの気象学」など。2002年には、妻の死と自らのうつ病について著した「やまない雨はない」を発表。気象キャスターであり、季節の旅人であった倉嶋厚さんは、伝える情報に古今の人の悲喜を添えている。自身の苦しんだことも書いている。仕事を辞めようかと悩んだ夏は、浜に腰を下ろした。ハマナスが揺れる海辺、静寂に浸った。黙って2時間座り「今の道を行く以外にないなあ」と言うと、傍らに座った妻は「そうよ」と短く答えたそうだ。がんを患うと、妻との一日を丹念に過ごそうとした。「今日もよろしくお願いします」と朝にあいさつし、夜は「一日ありがとうございました」。2人の会話は年を経るほどに丁寧になっていったらしい。今頃は立秋の野を駆けているのだろうか。うつ病に悩んだ経験のせいだろうか、気持ちを穏やかにする知恵を気象コラムにちりばめている。「あきらめる」にさえ「晴れ」を見いだしている。秋の語を調べ、辞書で道草していたら「あきらめる」の語源があったという。「心を晴れやかにする」の意味を見つけた。たまには断念するのも悪くない。「心の養生を」と勧めてくれている倉嶋さんのエッセイが愛おしく思えてきた。
2017年8月14日 曇り/小雨 23℃
渡る老後に鬼はなし
テレビの人気ホームドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の新作特別版が年内に放送されるそうだ。食事処「おかくら」を経営する岡倉大吉と5人の娘の物語で、1990年から21年にわたって10シリーズ放送され、大きな支持を集めた。脚本はご存じ、橋田壽賀子さん。御年92歳で現役というから大したものだ。昨年出した本『渡る老後に鬼はなし』(朝日新書)には、橋田流「終活」の極意が詰まっている。気ままな1人暮らしだが、「何より体が資本」と週3日、ジムで1時間の運動を欠かさない。一番大事なのは老いたことを自覚し、自分の身の丈を知ることだという。「この間までできたことがなぜできないの?」と考えることが最大の不幸のもと、とおっしゃる。「欲」からどう脱するかがPOINTであるらしい。そんな中、ブログ仲間の同世代の知人が300坪近くある大きな屋敷を売却し、老後に備え小さな家に引っ越しするとのこと。先を見据えた決断らしい。2016年の日本人の平均寿命は女性87.14歳、男性が80.98歳。いずれも過去最高で世界2位。誰しも若い日に戻れるわけはない。ならば老いと上手にお付き合いするかと、知恵をしぼっての工夫しながら乗り切れるところもあるが、いつまでか分からないのが老後。でも、それぞれの老後のスタイルがあっていいのではないかと思うが、高齢者の仲間入りの世代として考えさせられた今年のお盆でした。
2017年8月11日 曇り/小雨 22℃
草枕夢路かさねて最上川ゆくへもしらず秋立ちにけり!
朝起きると、今日も雨だった。本当に今年の夏は肌寒く雨の多い日が続いている。1893(明治26)年に東北地方を旅した歌人正岡子規は8月6日、関山峠から山形に向かった。芭蕉の「おくのほそ道」紀行にならい、その足跡をたどる旅だったらしく、芭蕉の旅よりひと月ほど遅く、暑さの最も厳しい頃だった。芭蕉が詠んだ「五月雨(さみだれ)を-」「暑き日を-」の句が脳裏にあったのだろうか。大石田に着き、最上川を下る翌朝の船を待って宿を求めた子規は「ずんずんと夏を流すや最上川」と詠んだ。緑の濃い盛夏の川辺から、豊かな水量で力強く流れる最上川を望んだ情景が鮮やかに浮かぶ。立秋も過ぎたが、みちのくを旅した子規も、暦の上で秋とはいえ暑さと疲れに辟易した様子がうかがえる。「草枕夢路かさねて最上川ゆくへもしらず秋立ちにけり」。行く夏を最上川に重ねてか、川風には少し涼しさが感じられるような子規の歌心だ。こうした夏色の光景やら風情が恋しい気分になる。東北の夏祭りも終わりお盆を迎えるが、なんか物足りない今年の夏である。涼しい風が吹きぬける前にほどほどの暑さに汗をかきながら、もう少し行く夏をゆっくり楽しみたい。
2017年8月10日 曇り 24℃
AIに頼りたいが、絶対譲れないものもある!
連日、曇りや小雨の日々が続き、予報をみても夏が終わってしまうのではないかと思うほど肌寒い天気である。最近、人工知能(AI)が注目の的である。囲碁や将棋界ではAIロボットが人間の名人を打ち負かした。クルマの自動運転はAI技術抜きに語れず、各社しのぎを削っている。データ量や判断力がものをいう勝負事はまだしも、最近は感覚や感性が重要とされる芸術分野まで進出している。小説を書いたり、自動作曲をするAIも登場している。AI小説は文学賞の1次選考を通過し、自動作曲では著作権の帰属が議論になる。昭和世代にとってコンピューターの威力は、驚きとともに恐怖さえ覚えるほどだ。AI関連記事で、大阪で「ピアノとテクノロジー」と銘打った一風変わった演奏会が開かれた。ピアノの最終形態である自動演奏がテーマで、ピアノ・ロボットの技術的、音楽的な可能性を探求している。両手では不可能な演奏や人間以上の精密なリズム、速さを比べたという。ロボットと人間がショパンを演奏した。正直に言うと区別が付かなかったらしいが、しかし人の演奏には大喝采、ロボットに拍手は全く送られなかったという。観客席の聴衆はキョロキョロしてAI演奏に集中できない様子。人間がピアノに向かうと途端に空気が張り詰めた。そして生身の人間に集まる感動の渦。なぜかホッとした。でも、最近、体力・知力等が衰えているので、AIに頼りたくなる場面が多くなってきているが、演奏にもあるように感情そして人情だけは絶対譲れない。
2017年8月9日 雨 23℃(台風5号がやっと日本海で温帯低気圧に。。)
水は命の源ではあるが。。。。。
水は命の源である。こう暑いと体内の水分が汗となり噴き出してくる。7日まで「水の週間」。水の需要が最も増える8月に、水の大切さへの関心を高めてもらおうと制定された。世界を見渡しても、蛇口をひねって安全な水がふんだんに出るという国は、そう多くはない。それもこれも、この列島がたっぷりの雨量に恵まれているからである。しかし、8月に入り滞在期間が長い台風が全国各地に水の災害を引き起こしている。最近の雨に「しとしと」といった風情はなく、降るとなったらドカ雨だ。九州北部豪雨の後も、各地をゲリラ豪雨が襲った。日本近海の海水温が高く、空気中に大量に水蒸気が放出される。雲が巨大化する分、豪雨となり、台風も生まれやすい。甚大な被害を出した九州北部豪雨は発生からまもなく1カ月。なお行方の分からない人がいる。福岡県朝倉市の断水もまだ完全には復旧しておらず、この猛暑を水なしで乗り切る不便さを思う。年々、ゲリラ豪雨で甚大な被害が大きくなってきており、豪雨に対する防災を真剣に考えないと、日本列島が壊れていく感じがする。骨休めには雨はいいもんであるが、これだけ続くと、うっとしさが募りストレスがたまる日々が続いている。
2017年8月5日 曇り/小雨 24℃
「前進、前進、また前進」といきたいが。。。!
「元気の源は、若い人とともに前進したい、という思い」。紀寿を超えても日野原重明さんは「前進、前進、また前進」と日本医学会総会で語りかけた記事が掲載されていた。生活習慣病という言葉を広め、予防医療や終末期医療に尽くした文化勲章受章者の日野原さんが亡くなった。享年105。「生涯現役」として著作や講演をこなし続け、大往生だった。旧制三高から京都帝大へ進んで内科医となり、京都で12年間暮らした。1970年にハイジャックされた「よど号」に乗り合わせて死を覚悟したり、95年には地下鉄サリン事件で院長だった現場近くの聖路加国際病院へ即座に被害者640人を受け入れ、陣頭指揮を執ったり。その人生は波乱に富んでいる。100歳を過ぎても時々、病棟を回診していた。3年ほど前から移動は車椅子に頼る生活だったが、講演などで月に数回出張し、手帳には10年先の予定も書き込んであったという。日本は今、百寿者が6万人を超すが、介護なしに暮らすのは約2割。そんな中、明治、大正、昭和、平成を歩み切って高齢者が元気に生きるモデルを自ら演じて見せてくれた。最近、怪我そして左目が緑内障により全体バランスが崩れ調子がイマイチの状態が続いているが、日野原先生に元気をもらい「前進、前進、また前進」といきたいところだが。