「オアシス運動」。「おはようございます」「ありがとうございます」「失礼します」「すみません」の頭文字をとったあいさつ運動である。あいさつは漢字で書くと「挨拶」。挨は開く、拶には迫るという意味があるそうだ。心を開いて相手に迫っていくのがあいさつの基本という意味だろう。元プロ野球選手の中畑清さんは大きな声のあいさつで知られた。そして、例えばこんにちはの後に「きょうはいい天気ですね」「おばあちゃんいつも元気ですね」などと必ず一言付け加えた。駒沢大学野球部の元監督・太田誠さんは心を通わそうとする姿勢に感心し、「中畑清の二言あいさつ」と名づけたエピソードがある。あいさつは人と人の縁を強くする手段と思う。ただ、今は「オアシス運動」ではなく「いかのおすし」に変わっている。知らない人に声をかけられたら、ついて「いか」ない、車に「の」らない、「お」おごえを出す、「す」ぐ逃げる、大人に「し」らせるという標語である。犯罪から身を守るための教えは大切だが、寂しさも感じる。オアシスというきれいな響きに一言を添えるあいさつを大切にしたい。今、町内会活動でいそがしくしている身ではあるが、町内会でも「オアシス運動」を展開してみたい。「おはようございます」「ありがとうございます」「失礼します」「すみません」。何かすがすがしい気分となるのでは?
明日は敬老の日。若く生きる価値ばかりが語られ、老いていくことの値打ちは見向きもされない傾向に感じる時がある。いかに老人らしく老いるか。たまには考えてみてもいい。「気持ち」とか「心」とか、ひとの胸の内をあらわす言葉がある。「気持ち、右へ寄せる」「心持ち、短く切る」「心ばかりのお礼」…。どれも「わずか」「いくぶんか」「ほんの少し」と遠慮がちな今日この頃である。
総務省が発表した今月15日時点の人口推計によると、日本の総人口は去年より59万人減少した一方、65歳以上の高齢者は去年より2万人増え、過去最多の3625万人でした。男性は1572万人、女性は2053万人でした。65歳以上が総人口に占める割合も去年に比べ0.2ポイント増え、29.3%と過去最高で、世界200の国と地域の中で最も高くなっています。また、2023年時点で仕事に就いていた高齢者は914万人と、20年連続で過去最多を更新しています。高齢者の就業率は25.2%に上り、仕事に就いている人全体の割合でも13.5%を占め、およそ7人に1人が高齢者でした。年を重ねて角も取れ、物わかりがよくなったつもりでも、なかなか性格は変わらないもんだ。たしかに年齢によって価値観が変化するとは限らない。元気でデジタル機器も難なく使いこなせるシニアが増え、その傾向は強まっている。趣味や食べ物の好みなど、若い世代と似通ってきているとか。年齢ごとの際立った違いがない「消齢化」が進んでいる、との分析もある。そんな時代だからか、政府も年齢だけで「支える側」と「支えられる側」を分けない高齢化対策の指針を打ち出した。働き手や社会保障の担い手が求められる社会で、「年相応」などという言葉はいつか死語になるかもしれない◆若く生きる価値ばかりが語られ、老いていくことの値打ちは見向きもされない。あすは「敬老の日」。いかに老人らしく老いるか、たまには考えてみてもいい。
この夏、土用の丑(うし)の日は7月24日と8月5日の2回ある。ウナギ好きには今年はいい年である。やはり夏の丑の日は少しぜいたくをしたくなる。ただ成魚の国内供給量は大きく減っている。輸入も含めピークだった2000年の約16万トンから、いまは5万トンほどになっているらしい。この辺の事情からもウナギの値のがわかるような気がする。先日、水産庁から朗報が届いた。人工ふ化や飼料の研究が進み、稚魚1匹当たりの経費が1800円程度まで下がった。この3年ほどでコストを半減でき、天然の稚魚は現在180円から600円程度だから、商業化に徐々に近づいてきたような気がする。今の養殖は天然の稚魚を捕獲して育てているが、稚魚の減少が続いている。国は2050年までに全て人工的に受精させて生産した稚魚に切り替える目標を掲げている。研究が順調に進めば、懐を気にせず舌鼓を打てる日が来るかもしれない。そんな国産化を楽しみにしている。現在、ニホンウナギは絶滅危惧種に指定されており、トキと同様に水辺の生物多様性を計る指標種といわれている。蒲焼きの値段ばかりに目が行って、ウナギがすめる環境の保全にも気を使っていかねばと思っている。
子いわく、と『論語』の一節。…三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り。六十は「耳順(したが)う」。耳に入ったことばの理が、すぐにわかるようになった、と。相手が間違ったことを言っても、正しく判断できる力を持つのだろう。いま高齢者の一般的な定義は65歳。これをさらに「5歳延ばすべき」と政府の経済財政諮問会議が提起した。厚労相がすぐに否定したものの、国や経済界の本音は「耳順」ならずとも聞き取ることができる。少子高齢化で担い手不足は深刻化し、年金財政も厳しくなるばかり。つまりは「元気な年配者はもっと働いて、社会を支えてもらわないと」ということだろう。ただ、不足を補うばかりで、やりがいは得られるだろうか。その先に「豊かな老後」は約束されているだろうか。子いわく、七十は「従心」。自分の思うままに行動しても道を踏み外すことがなくなるらしい。ああ、先行きの不安さえなくなれば、そんな自由に生きられるのに。
初夏の常とう句〈目には青葉 山ほととぎす…〉の季節を迎えた。泉ヶ岳や陸前高田市まで車で走ってきた。まだ麦の黄金色が波打つ平野部や、木々の緑と青空、青い潮騒の輝きが陽光と一体となってきらめいていた。そして夕刻に染まる朱色と石垣の陰影が自然の美しさを感じる。海岸線に迫る斜面や谷あいの至る所に棚田が連なる。狭あいな土地を耕した水面には早苗がそよいでいた。民俗学では「さなえ」の「さ」は、田植えや田の神を意味するという。早乙女もしかり。植えた後の「さなぼり」は田の神が「昇る=天上に帰る」。旧暦の田植えの時期は五月(さ月)、降るのは五月雨(さ水垂れ)である。瑞穂の国。稲の豊かな実りへの願いが言葉に込められている。晴天続きになると、今年は程よい「恵みの雨」になるだろうかと心配にもなる。これから平地の田も緑に変わっていく。近年を振り返れば、「警報級」が少ないことを願うばかりだ。〈初鰹(はつがつお)〉。縁起がよく、寿命が延びるという〈初物七十五日〉のことわざもあるが、旬を味わうのはおいしさや健康だけでなく、心も満たしてくれるからだろう。さまざまに「四季」のありがたさをつくづく思う。
家の縁側から眺める景色は緑一色となり始めている。やらなければと義務感にさいなまれながらも、現実から目をそらしたくなるのが、畑・農道そして庭の草取りである。若いうちはあまり気が付かないで苦にならなかったが、加齢を重ねていくうちに次第に気が済まなくなってきている。しかし雑草は「また生えてくるんだから」とか、葉っぱも「明日も落ちてくるんだから」と考えが脳裏に浮かぶ。多少、草が残っていても、「これでいいのだ」と思うようになってきた。ある本を読んでいると哺乳類は生まれてからの心拍数が20億回ぐらいに達すると止まってしまうらしい。それが寿命である。人間は50歳前後で20億回を迎えるが、例外的に長生きをする。進化の過程で老いた人のいる社会が安心でき、繁栄すると学んだからではないだろうか。それは「ほどほど」を許容する居心地のよさだったかもしれない。誰もが介護の世話にならず、元気で、できる限り自立した暮らしがしたいと願う。そのためには1日9000歩を目標にすればいいという研究もある。頑張ってそれ以上歩いても効果は変わらないそうである。キリのいい1万歩には届かなくても、いくらか気持ちは楽になる。無理はしないけれど、あきらめもしない。これでいいではないだろうかと自分に言い聞かせている。
今年のGWはお日さまが上機嫌なようだ。川崎の田んぼも数日で、乾田が鏡のような水面に変わった。田んぼに水を入れ代かきをして、田植えは進む。夏の季語「薫風」が、早苗をなでて揺らす
この時季は風薫る水田を見渡す時、川崎の田舎で暮らす幸運感は満ちてくる。昔は家族総出で稲を植える。作業の合間におにぎりを頰張る。そんな小休憩の風景を思い出す。今は「車があるから昼は家に帰るし、小腹がすけばコンビニに直行だ」。「去年は稲も熱中症みたいにやられた。今年は1等米を育てんと」と笑顔を見せtりる。田んぼでは、おにぎりの出番は減ったかもしれない。でも街中では専門店がブームという。東京では、コシヒカリを出す専門店に行列ができているともいう。わが国の食料自給率は4割に満たない。でもコメは、ほぼ全てが自給だ。パンやパスタの原料である小麦は8割以上が輸入で、長引く円安も重なり、高コストが続く。ウイルス禍で巣ごもりが増えた頃あたりから、価格競争力があり、具材も多彩なおにぎりの魅力が再評価されているようだ。量でも味覚でも、食の安全保障を支える力が郷土にある。初夏の陽光きらめく田んぼを眺め、おにぎりをガブリとやるのもいいもんである。
「どっこいしょ」。立ち上がったり重い物を持ち上げる時、口にすることが増えたような気がする。年を重ねた証し? 周りに聞こえていないか、どこか気恥ずかしくなる◆ある定例の会合では毎回、身近な仏教語の紹介がある。その「どっこいしょ」は、霊山登山など修行の際に唱える「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が語源だという。目、耳などの五感と心を合わせた「六根」を清めて欲や迷いを断ち切る。これなら気兼ねせず、堂々と言えそうだ。人口減、高齢化に加えて未婚率も上がる日本。世帯数の推計によると、2050年には65歳以上の1人暮らしが全体の2割になるという。どんな言葉を発しても気兼ねのない日々だろうが希薄な人間関係、孤独、貧困、見守りや医療、介護は…。重い課題が横たわる。声をかけ、みんなの力を合わせて引っこ抜く。地域社会の「うんとこしょ、どっこいしょ」がますます大切になる。
ローカル線みちのくさくら巡り紀行も終了した。かれんな花びらを見せ始めたら、もう満開そして散り終わりを迎えた。築山を覆うように咲く桜は花火のように美しい。だが、「花に嵐」の例えがあるように、林芙美子が「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と書いたように、必ずといっていいほど花散らしの雨が降る。咲き満ちた花も自らの散る時を知るかのよう。日本人が桜に殊の外ひかれるのは、この花に人生を投影するからだろうか。ある本の「日本列島桜花巡礼」を思い立ち、この季節になるとなぜか全国の桜を巡ってみたくなる。北上する桜前線の速度は時速1キロに満たず、人がゆっくり歩くくらいの速さと聞いたことがある。若い頃は花より団子だったが、年齢を重ねるにつれ、巡り合ったすてきな景色を心に焼き付けておきたいと思うようになった。そのためか、桜巡礼を思いつき巡り続けている。桜は新たな出会いを演出してくれる。まだ見ぬ名木もまだまだある。訪ねてみようか、「桜めぐり」をガイド本とともに。
NHKの名物アナウンサーとして活躍し、ベストセラー「気くばりのすすめ」をはじめ多くの著作を残した鈴木健二さんが亡くなった。95歳。91歳になった2020年には「最終版 気くばりのすすめ」を書き下ろしている。失われた食事の作法、良き日本語の退廃、歩きスマホの罪深さ…。昭和、平成、令和を通じ鈴木さんが見た日本人の心の変容について嘆くとともに、改めて気くばりの大切さを説いている。気くばりは、愛、優しさ、思いやり、親切、勇気といった人間が持っている美点がなんらかの動作として表れるものだという鈴木さん。こうした考え方の根底に、中学卒業直前の大空襲で焦土と化した故郷・東京の姿と、その半月後に旧制弘前高校に進学し3年間を過ごした弘前での日々があった。「津軽は私のいのちである」。かつて鈴木さんが本紙に寄せた文章に当地への思いにあふれた言葉が見える。誇らしくも輝かしい10代の青春だったと回想し「私のすべての思考と行動は、今日でもここを原点として出発している」。そして最後は1999年から5年間、県立図書館と県近代文学館の館長を務めた。私も弘前が大好きである。鈴木さんと同様に学びの心にたくさんの種をまいた弘前へ出かけたくなった。
酒の代わりは番茶、かまぼこは大根、卵焼きはたくあん…。家主の提案で代用品をそろえ、長屋の住人たちは向島へ花見に出かける。落語「長屋の花見」はもともと上方落語の「貧乏花見」で、明治末期ごろ東京に移入されたという◆桜の季節を迎えると酒や料理がなくても出かけたくなるが、貧乏花見は一向に盛り上がらない。〈長屋中 歯を食いしばる花見かな〉と俳句を詠んだり、番茶の飲み過ぎで気分が悪くなったり。噺(はなし)はそこから展開する。長屋の住人がけんかを始めると、周りの花見客が逃げ出し、残された酒と料理で本物の酒盛りを楽しむ◆桜と聞けば、心が弾むのは昔も今も変わらない。全国トップを切って、高知で開花が発表された。東京では一足先に乾通りの一般公開「皇居の通り抜け」が始まっている。佐賀の開花が待ち遠しいが、つぼみが開けば一気に淡紅色の春景色が広がる◆きのうは雨の中、「さが桜マラソン」が開かれた。花を愛(め)でながらのレースとはいかなかったが、桜と聞いて全国から集まったランナーがそれぞれの走りを楽しんだ◆新型コロナが5類に移行したのは昨年5月で、移行後初めての桜の季節である。県内各地の桜の名所は多くの花見客でにぎわうだろう。豪華な花見であれ、貧乏花見であれ、花の景色は楽しめる。ランナーたちもぜひ再訪を。
俳句にはたくさんの季語があるが、例えば雨に関する季語で春雨、五月雨、時雨などさまざまな言葉で四季を紡ぐんでいる。春と秋の2回ある「彼岸」は春の季語だ。17日は彼岸の入り。3日後の今日の春分の日には昼と夜の長さが同じになる。日脚の伸びに風も光り始めた。ただ、「3月はライオンのようにやって来て子羊のように去って行く」と英国のことわざがあるように、まだ寒さも残る。地球温暖化で春の訪れがずいぶん早くなったと思う。秋の彼岸が暑いのは我慢できても、春の彼岸まで暑くなれば四季の移ろいも崩れてしまう。春の季語には「春愁」もある。桜のつぼみが膨らみ、心浮き立つ時季なのに、なんとなく気持ちがふさぐことをいう。このまま温暖化が進めば、四季や季語を失うかもしれない。気候変動に歯止めをかけたいと改めて思う彼岸の日である。
竹内まりやの「人生の扉」の歌がある。何か意味合いがわかるようになった時節を迎えた。
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春がまた来るたび ひとつ年を重ね 目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く 気がつけば五十路を越えた私がいる
信じられない速さで 時が過ぎると 知ってしまったら
どんな小さなことも覚えていたいと 心が言ったよ
I say it's fun to be 20 (20歳になるのが楽しいことよと私は言う)
You say it's great to be 30 (あなたは30歳がすばらしいと言う)
And they say it's lovely to be 40 (みんなは40歳がステキだと言うわね)
But I feel it's nice to be 50 (でも50歳になるのがいいと思うわ)
満開の桜や 色づく山の紅葉 この先いったい何度見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60 (60歳になるのがすばらしいと私は言う)
You say it's alright to be 70 (あなたは70歳になっても大まだ平気と言うわね)
And they say still good to be 80 (みんなは80歳でも大丈夫という)
But I'll maybe live over 90 (でもわたしは90歳を超えても生きると思う)
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「春眠暁を覚えず」は唐の詩人・孟浩然の言葉。寒さが和らぎ、夜が明けても寝ていたい時季が巡ってきた。昔、絵若いころは寝坊したと慌てて起きようとした朝、休みだったことに気づき、もう一度布団をかぶるのは幸せそのものだった。それが今は、ゆっくり寝ていても、いつもの起床時間に目が覚める。長く眠るにも体力が必要なのだと加齢を実感している。生き物は冬と夜にエネルギーを蓄えるらしい。1日の睡眠時間を8時間とすれば、人生の3分の1は寝ていることになる。睡眠の良しあしは人生を大きく左右する。睡眠時間は長ければいいわけではない。ぐっすり眠れれば短い時間でもすっきりする。昼休みのうたた寝で午後の仕事の効率が上がることも多い。嫌なことがあっても一晩寝れば切り替えられる。だが、不眠や睡眠不足など「眠りの悩み」を抱えている人は多いようだ。そして目覚めた後の朝のコーヒーがおいしい。何らかの縁で珈琲好きの人と知り合いになり、コーヒーの木、そして生豆を自前焙煎した豆をいただく。香り・苦味・深み・雑味を味わいながら自分好みのコーヒーを見つけるのも楽しい。結局はいろいろあれど珈琲はおいしい。さあ今日もおいしくいただき目を覚めす。まさに春の日差しを浴びるような気持ちになる。珈琲ありがとう!
国会中継をみている。衆院政治倫理審査会(政倫審)でいつもの「やっている感」が透けて見える。安倍政権時、「地方創生」や「1億総活躍」「女性活躍」など、看板政策を次々に打ち出し、課題に取り組む姿勢をアピールする一方、成果の方はいまひとつであった。今回も「やってる感」の演出のように見える2日間にわたった政治倫理審査会である。自民党派閥の裏金問題について、不適切な処理を問われた議員が「説明責任を果たしたい」と出席したが、実際には曖昧な弁明に終始している。そもそも、開催に至るまですったもんだした。国民の心証を思えば、当初からすんなり公開した方が良さそうなものだ。政倫審は原則非公開だが、本人の了解があれば公開される。当初は非公開にこだわった人がいたらしい。結局は公開されたが、それなら最初から…すればいいのではないかと思う。公開のハードルを上げることで、厳しい環境の下で説明する姿をアピールしようとでも思ったか。そんな勘繰りの一つもしたくなる。説明責任を果たすと宣言したものの、肝心なことは「知らない」では疑惑が晴れるはずもない。空虚な弁明で「やってる感」を演出しても、国民は納得するはずがない。偽証の責任が問われない政倫審で真相究明が一段落するようなら、政治不信はますます高まる。不透明な資金の使途も明らかにしないのに、政治活動に使ったから課税対象ではないという。納税の義務も「やってる感」でごまかしている姿がみえてしょうがない。
降る雪が雨に変わり、雪解けが始まる季節である。雪解けにまつわる言葉はいくつかある。「雪しろ」といえば、川に流れ出した雪解け水のこと。「雪滴(ゆきしずく)」は緩んだ雪からしたたる水だろう。「雪解風(ゆきげかぜ)」は早春に吹き、雪消えを促す暖かな風をいう。いずれも春の季語になっている。季節の移り変わりを実感する時季のはずだが、そもそも今冬は雪が少ない。拙宅の周囲の本格的な除雪は今のところ2から3回で済んでいる。とはいえ、冬らしくない冬に頭を抱える人も多い。川崎町の線とメリースキー場は土が露出した斜面が見られ雪不足で今後も見込めないとのことで閉鎖されることとなった。さらに行政から除雪を請け負う業者は大打撃を受けている。稼働時間が基準に満たなくても待機料は支払われるが、売り上げ減をカバーするには程遠い。担当者は「会社全体の利益を圧迫してしまう」とうめく。冬を彩る雪関連イベントも、中止や規模縮小が目立つ、今日この頃である。誰もが「ほどほどの冬がいい」と願うが、少雪に泣かされる年があれば、ドカ雪に脅かされる年もあるのが実情だ。気象エッセイストの倉嶋厚さんは「天気や気候に中庸の美徳を期待し過ぎてはいけない」と書いていた。分かってはいるのだけれど。これも温暖化の現象そして象徴なのだろうか?
楽器の特徴と奏者の個性を理解し、タクトで対話しながら、一人一人の「心の中の音色」を引き出す。それぞれの旋律が相乗効果を生み、音がまとまっていく。そして一種の没我の領域に入った時、見事な調和を生み出す。そこに導くことが指揮者の仕事だと思い、その姿勢に感動を覚える。そんな力を身につけ、「音楽に国境はない」を体現した指揮者の小澤征爾さんが亡くなった。享年88。欧米の名だたる楽団でタクトを振り、「世界のオザワ」と評された。まさに世界に誇る指揮者でもあり、日本人として誇りに思う。それぞれに哲学を持った一流奏者を一つにまとめるのは大変だろうと思うが、いや、それは素人考えで、小澤さん自身も没我の領域に導く過程を純粋に楽しんでいたのではないだろうか。指揮者は「マエストロ」とも呼ばれる。その響きには畏敬の念が込められている。小澤さんに影響を受けた多くの音楽家が今頃、鎮魂歌を奏でているかもしれない。小澤さんもきっと、その音色にタクトを合わせているだろう。さようなら、偉大なマエストロよ。今、曲を聴きながら涙がこぼれてきた。
最近、体調がよく外でのアウトドア活動を好むようになり、このHPの執筆も怠りがちである。昨夜から雪も降り積もり、今日はまさしくインドア活動でPCに向かっている。寒さがこたえるこの季節、温かい風呂はありがたい。たっぷり湯を張った浴槽にどぼんと身を沈める。急激な寒暖差は体に毒だから気をつけねばならないが、全身が湯に包まれると幸福感に満たされる感じがする。川崎の我が家の近くに温泉施設「やすらぎの湯」があり、時間を作っては入りに行く日々が続いている。日本人は特に風呂好きはよく知られている。非常時でもそれは変わらないらしい。体を清潔に保つためだけの理由なら、シャワーや行水でいい。多くの人は、この上ないリラックス効果を求めて湯につかる。能登半島地震の被災地で、人々が久しぶりの入浴に、心からほっとした表情を見せていた笑顔が印象的である。日常の営みが断ち切られた災害時は、なおさら癒やしの効果が感じられるようだ。被災地でも、公共施設の浴場や自衛隊が設置した簡易の湯船につかった人々が、ひととき被災の疲れを忘れたと話していたのを思い出す。湯のぬくもりは、打ちのめされた人々が生きる気力を取り戻す手助けになるのだろう。地震の発生からきょうで1カ月が過ぎた。吹く風はまだ冷たい。悲しみに沈み、疲れ切った人々の心と体を少しでもお風呂で温めてほしいと思う。
つい先日、正月を迎えたと思ったら、もう1カ月が過ぎた。早いと感じるのは何とか平穏な日常を送れているからだろう。先月は、元日に能登半島地震、2日に航空機衝突事故、3日に福岡県北九州市の食堂街で大規模火災が起きた。被災者にとっては長く厳しい1カ月だったはず。特に、冬の日本海には見る人の心を凍らせるような寒さがある。それでも1月をなんとか乗り切り、暦の上では冬に別れを告げた。節分のきのうは災禍を招いた鬼を豆で追い払い、東北東を向いて恵方巻きを食べた人もいるだろう。寒さの中にも「光の春」がやってきた。その象徴として我が、梅林の梅も蕾も赤くなってきた。ただ、能登半島地震の被災者が光を感じるのは季節より「人の支え」と思う。断水が続く中、被災した飲食店が屋台村を開いたというニュースを見た。互いを思いやる気持ちは復旧・復興の推進力になる。みんなで支え合えば一つの芯にきっと、たくさんの花が咲く。日脚の伸びを感じながら、そんな思いを強くするきょう立春。一年の新たな始まりにしたい。
能登半島地震の被災地に雪が降っている。余震も続き、捜索、支援活動は厳しさを増している。道路は土砂崩れや亀裂で分断され、復旧は見通せない。そうした中で、90代女性の奇跡的な救出を伝えていた。消防や警察など危険な作業を担う人たちの「プロの仕事」が命を救った。羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突した事故でもプロの仕事があった。炎上する映像は衝撃的で、乗客乗員379人全員が脱出できたことが信じられない。海外メディアから「奇跡」と称されたが、そこには客室乗務員(CA)の冷静な対応があった。動揺する乗客に声をかけ、安全に避難できる非常口を確認。機内に煙が広がる中で機長とは通信できず、自らの判断で脱出シューターを下ろしたという。まさに、CAによるプロの仕事だった。人の命に関わる業務に従事する人は日ごろから訓練を積んでいる。緊急時に備えたマニュアルもあり、確実に対応できるのが「当たり前」でなければならない。それでこそプロフェッショナルといえるのだろうが、現実はそう簡単ではない。当たり前にできるプロの仕事が人を助け、社会を支えている日本を誇らく思う。
能登半島地震の発生からきょうで7日目。最大震度7の爪痕が救助活動を阻む。犠牲者は100人を超えた。きのう寒の入りを迎え、寒さも厳しさを増す。温かい食べ物で元気づけたい◆東日本大震災や佐賀豪雨の際、炊き出しで被災者を支えたNPO法人「BOND&JUSTICE」代表の大圡(おおど)雅宏さんは2年前に佐賀で講演した時、「数日頑張ってもらえたら、私たちが必ず炊き出しに来る」と話した。SNSで確認すると、既に石川県に向かっていた。頭が下がる◆地震発生直後、津波警報を伝えるニュースで女性アナウンサーが「今すぐ逃げて」と連呼していた。あの大声が、石川県のどれくらいの人に届いたかは分からない。でも、心に刻んだ人はきっといる。だから、仮に同じような災害が起きた時、あの声がよみがえり、迅速な避難に結びつく可能性はある◆結果はすぐに出なくても、いつか実を結ぶ。「仕事」や「努力」って、きっとそういうもの。一人でできることは限られるからこそ、一人一人が目の前の役割に力を尽くしたい◆ところで、被災者に寄り添う姿勢は大事だが、感受性が強く、自分まで疲弊してしまう人がいる。「共感疲労」という。寄り添う心を大切にしながらも気分転換に努め、心身の健康を保つ。被災地から遠く離れた私たちに与えられた仕事と思う。
作家の伊集院静さんが元日の天気について書いている。「元日の朝の空が、まぶしい青空である印象が強いのは、なぜだろうか」。少年の頃を思い起こすと、仰ぎ見た空は青く透き通っていて吸い込まれそうな気がしたという◆元日といっても冬の一日にすぎない。冷たい雨や風雪で荒れた日もあったはずだが、青空として記憶される。それは人の心に「新年」に対する特別な思いがあるからだろう。実際の天気はどうなのか。調べてみようかと思ったが、伊集院さんは「確率の話になって、つまらないことが多いに決まっている」と書いていたのでやめにした◆正月は科学的な思考から離れた習わしが多い。一年の幸運を祈り、初日の出を拝む。仏様の「ご来迎」との語呂合わせで「ご来光」と呼ばれるようになったという◆早朝に若水をくみ、神様に供えたり、雑煮に使ったりして邪気を払う。屠蘇(とそ)は中国の唐代から始まったとされ、若水と同じように邪気を払い、不老長寿の薬酒とされた。初詣や初夢、書き初めなど、いろんな「初」にも願いを込める一年の始まりである◆急速に進化する生成AI(人工知能)をはじめ、科学技術の発展で仕事も生活も変わっていく。その恩恵と弊害が絡み合う現代社会。あらがわず、流されずに過ごすには「元日は青空」と記憶する感覚も大切にしたい。
現在、政治資金を巡る裏金疑惑の渦中にある自民党最大派閥である安倍派。「清和政策研究会(清和会)」の意味を調べてみると「まつりごと清ければ人おのずから和す」らしい。中国の史書「晋書(しんじょ)」に出てくる「政清人和(せいせいじんわ)」との言葉が出典という。清廉な政治は人心を穏やかにする。まさにその通りであるのだが。。。。名前だけは立派である。1972年の自民党総裁選。田中角栄氏とトップを争う福田氏は、田中氏を支持するとみられた中曽根康弘氏と会談することになった。会談を前にした車中で側近の森喜朗氏が進言した。「ここまで来たら道は二つ。一つは中曽根氏に幹事長ポストを約束してください」。福田氏ははねつけ、もう一つの道を尋ねた。「それはカネです。ドンと積んでください」。福田氏は車を止めさせ「ここで降りろ! 不愉快だ!」と怒りをあらわにしたと言ういきさつが残っていた。森氏が後年のインタビューで振り返っている(五百旗頭(いおきべ)真(まこと)ら編「森喜朗 自民党と政権交代」)。この総裁選で、福田氏は敗れた。歳月は流れ、福田氏が創設した清和会も金権政治に染まってしまっている。臨時国会が閉会し、裏金疑惑は検察の捜査が本格化する。清和会だけではない。岸田文雄首相が領袖だった派閥にも、パーティー収入の過少記載の疑いが浮上した。自民党全体の問題と見るべきなんだろうが、どこまで根深いのか計り知れない裏金地獄である。
先月から喪中はがきがぽつぽつと届く。送り主にとって、大切な人との別れを思い出す年末だろう◆突然の訃報に驚く時、「がん」と闘っていたのだと後で知ることが多い。今年、娘がお世話になった保育園の先生と、子どもの頃からよくしてもらった近所のおばさんががんで亡くなった。治療技術は格段に進歩したものの、告知されたら平常心を保てないかもしれない◆なぜ自分が…。答えが見つからない疑問を繰り返しながら、人は家族や周囲の支えを受け、がんと向き合う。言うほど簡単ではない。だからこそ、その時の葛藤や生きた証しを伝えたいと思うのだろう。そんな思いがこもった一冊である◆NPO法人「クレブスサポート」が、がんの体験記『がんとともに生きる佐賀』の第二集を発行した。収載された27編は全て実名。がんを乗り越えた話の一方で、悲しい別れもある。実体験だからこそ伝わるものが多い。一読後、あらためて感じた。仮にがんで最期を迎えたとしても、「がんに負けた」わけではない。その人らしく、最後まで生ききったと敬意を表さなければならない◆クレブスはドイツ語で「がん」を意味する。がんを早期発見できれば、完治の可能性がさらに高まる。がんと共生するためにも検診を忘れずに。クレブスサポートと、27編の全てに通底する願いである。
盛岡市街を流れる中津川沿いを散策してみた。川辺は落ち葉やフカフカの草で覆われている。街中の川は何かすがすがしさを感じる。そして今、盛岡は話題の街ともなっている。ニューヨーク・タイムズ紙が「2023年に訪ねるべき世界の52カ所」として盛岡を取り上げたからだ。地元の観光関係者にとっても驚きだった。なぜ選ばれたのかよく分からない。戸惑いを口にする人もいる。どうやら歩いて心地良い街であることが評価されたようだ。確かに歩けば、歴史を感じさせる城跡の石垣があり、蔵があり、ほどよい日陰がある。米紙の紹介は、それが観光資源であることに気付く契機になったのではないだろうか。歩いてみて分かることがもう一つあった。選ばれたからといって浮かれた感じがないのだ。そういえば岩手県出身の大谷翔平選手があれだけ活躍しているのに、あやかった観光宣伝も見かけない。それが県民の性分だと教えてくれる人もいた。私もサラリーマン時代、盛岡で独身生活を送った。コンパクトな街づくりで行動しやすい面があると感じていた。観光協会で聞いてみると、あからさまにやるのは品がないし、そもそも派手なことに慣れていないのが盛岡市民の本性ですよと教えてくれた。世界で評価されたことは皆、心の中で「こっそり喜んでいるはず」という。控えめこそ美しいのだ。その謙虚さが人を引きつけるのかもしれない。やはり白龍(ぱいろん)で本物の「じゃじゃ麺」を食べに訪れたい。
上杉謙信が無類の酒飲みであったことはよく知られる。日頃は縁側に座り、梅干しをさかなに静かに飲んだと伝わる。量は相当だったようだ。戦場で馬に乗る際も「馬上杯」と呼ばれた酒器を手に、ぐびぐびと飲み干していたらしい
▼しかし、晩年にそのツケを払うことになる。関東への出陣を控え、厠(かわや)で昏倒し数日後に息を引き取った。49年の生涯だった。脳卒中だったとみられる。塩辛いものを好み、大酒を飲んでいたなら、かなりの高血圧だったのかもしれない
▼戦上手で知られた「軍神」の命を酒が奪ったのか。乱世に秩序を取り戻そうとした志は半ばでついえることになった。その生涯は、過度な飲酒がリスクを伴うことを今を生きる私たちに伝えている
▼アルコールによる健康障害を防ぐため、厚生労働省の検討会が飲酒に関するガイドラインを取りまとめた。生活習慣病リスクを高める飲酒量として、1日当たりの純アルコール量の目安を「男性40グラム以上、女性20グラム以上」と示した。20グラムは、ビール中瓶1本や日本酒1合に相当する
▼朝晩の寒さが募り、熱かんが恋しくなる季節。飲んべえを自認する身としては、この目安に「もう少し…」と言いたくもなるが、そもそも健康を害せば飲めなくなる
▼筑波大の研究チームが、こんな実験結果を発表した。酒をよく飲む人にノンアルコール飲料を提供すると、飲酒量が減り、その効果は提供終了後も続いたという。酒を買い求めるついでに、ノンアル飲料もかごに入れてみようか。
最近、「還元」という言葉をよく聞く。辞書で引けば「根源に復帰させること」「元に戻すこと」などとある。良寛和尚は、貧しい農民ら庶民と喜怒哀楽をともにする暮らしの中に豊かさを見つけていったと言われている。いまの現代では今秋、この国のリーダーが幾度も繰り返した「還元」の心はどこにあるのだろうか。2022年度までの2年間に増えた税収を減税の形で還元すると述べた。国民1人当たり4万円の減税というが、世論調査では6割以上が評価せず、内閣支持率は危険水域とされる3割を切り、近いうちには2割以下になるのではないかと思われる。税収が増えた分のお金は、とっくに国債償還などに使われていたことも明らかになった。結局の元手は借金(国債)である。国債など国の借金は1200兆円を突破し、1人当たり1千万円を超えた。財政危機が深刻化する中、さきの見通しも不透明の中、借金を膨らませて減税するというのだろうか。まさに愚の骨頂である。これが日本の経済政策なのだろうか。借金は全て国民の税金であることが分かっているのだろうか。いかにも自分の財布のように気楽に使われることに思わず腹がたってしまう。チラシの客寄せ文句「利益還元セール」と同じような軽さで「税収還元」が響く。納得できる説明はまだ聞けないが、無理だろうなあと思ってしまう。。
11月は「いい○○の日」が並んでいる。語呂合わせの記念日が多いことに気が付く。1日は「いい医療の日」、8日は「いい歯の日」、14日は「いい上司の日」と続き、16日は「いいいろ塗装の日」、22日は「いい夫婦の日」となっている。最近は肌寒くなってきたが、仲よく肩寄せ合いながら11月は毎日が「いい月」の一日であればいいなあと思っている。そんな中、結婚式で友人の披露宴で歌った「愛は勝つ」を思い出す。苦しい時に聞きたい応援ソングでもあった。その歌い手のKANさんが亡くなった。享年61。早すぎる。「結婚生活で一番大切なものは忍耐」とはチェーホフの言葉。うなずく人がいるかもしれないが、大切なのはやはり愛情と感謝ではないだろうか。よく友人の夫婦とお茶や食事をする機会が多い。会話はたわいのない話が多いが、コミュニュケーションは楽しいし勉強にもなる。高齢になってもKANさんの曲のようにいつも口ずさんでいたいと思う。〈♪どんなに困難でくじけそうでも信じることさ必ず最後に愛は勝つ〉
「8度のスイッチ」。こんな紅葉の目安があるそうだ。最低気温が8度を下回る寒さになると、落葉樹の葉が赤やオレンジ、黄色へと色づき始めるという。立冬を過ぎると、最低気温が8度を切る日も出てきた。イチョウは黄緑から明るい黄色へ。ケヤキはだいだい色や茶色のまだら模様になってきた紅葉や落葉は木々の冬支度とされる。陽光が弱まり光合成の効率が落ちると、落葉樹は葉に養分を送ることをストップする。越冬を見越してエネルギーを節約するためだ。木々の冬支度は私たちの心を和ませたり、落ち葉が地を肥やして生物の多様性を守ったりする作用がある。そんな中、J2サッカーのホーム最終戦ベカルタ仙台対町田戦に出かけた。灰色の曇り空で今にも雨が降りそうな寒い中、
周りに誘われ大声を出して声援を送った。近くの七北田公園は丁度、晩秋の紅葉の鮮やかさである。▼一方、東欧・中東からは背筋が凍るような冬支度のニュースが連日届いている。厳冬期を前にロシアがウクライナへの空襲をいったん手控え、ミサイルを温存しているという。暖房のためのエネルギー関連施設を集中攻撃する準備だと指摘されている。ウクライナやパレスチナなど世界には、冬の寒さを耐え忍ぶどころか、命の危険と隣り合わせで日々を過ごさねばならない人が多数いる。スポーツや紅葉を楽しめる日本の平和に感謝しながら、何かできることはないかと自問している。
11/3文化の日。山仲間と山形の天童にある面白山への登山に向かった。当日は雲ひとつない晴天で山並みの紅葉のグラデーションが青空に映えて美しい。「グラデーション」は明暗や色調が少しずつ変わっている状態をいう。今の季節、山から里は紅葉のグラデーションのようで鮮やかで心がなごんでくる。絵画や写真、映像などにとどまらず、本物の自然の造形は鮮やかに目に染みてくるような気がする。最近、平らな場所でつまずくことがよくある。筋力が衰えたような気がする。登山でもそうであり、以前と同様に脚を運んだつもりでも、つま先はさほど上がっておらず地面に引っかかる場面が多くなってきた。ウオーキング等を通して足は鍛えていると自覚している。でも若い頃と同じように歩いたり、走っているつもりでも、年齢を重ねた体はついてこないのを自覚しはじめている。とかく人は、自分が充実していた頃のイメージを持ち続けたいのかもしれない。「昔はよかった」などと言ってしまうのもその類だろうか。思い出や郷愁に浸るのは悪いことではないが、こだわり過ぎると現実に目隠しをしてしまうような気がする。今の日本をみていると、かなり国際的な地位低下しているような気がする。2023年の名目国内総生産(GDP)は世界3位から4位に転落する見通しという。スイスの研究機関が発表した2023年版世界競争力ランキングでは35位と過去最低だった。ランクの発表が始まった1089年から4年間は首位だったが、その後は低落傾向が続く。「昔はよかった」と言いたくなるのは、年を取った証拠なのだろうか。まずは現実をしっかり把握して過去の成功体験の押しつけはやめたいと思う。とりわけ若い人に向かって。。。。。。
6月下旬にコロナ感染したが体調も回復したと思っていたが、なぜか疲労感・怠惰感が今も残っている。 毎朝起きてもなぜかスッキリしない状態が続いている。 時間が解決してくれるものと信じているが、なぜかピリットしない日々が続いている。 縁側から水が張られた田んぼを見つめていると、カエルが一斉に鳴いている。 どこから集まってきたかと驚くほどで、目覚まし時計のようにちょうどいい時間ならまだしも、早くに目が覚めたり、寝つけなかったり。 しばらくは悩まされそうな農村の暮らしである。 でも。 この事象は「1/f(エフ分の1)ゆらぎ」という言葉に通じていることを知った。 電車や炎の揺れ、小川のせせらぎ、木漏れ日などにみられ、精神的な安定や癒やしの効果があるとされている。 カエルに負けじと、セミもけたたましく鳴き始めた。 どこかに「1/fゆらぎ」はないだろうか。 体調もコロナの影響でイマイチであるが、気持ちが落ち着き、暑さも忘れるような夏のゆらぎをゆっくりと味わいたいと思っている。
ベニシアさんが亡くなった。赤い猫じゃらしのような花を付ける多年草アカリファは「猫のしっぽ(キャットテール)」と呼ばれる。カエデは葉の形から「カエルの手」。NHKで放送されていた『猫のしっぽ カエルの手』は植物に対する深い愛情を込めたタイトルだったのだろう。京都・大原の古民家で暮らす英国出身のハーブ研究家ベニシア・スタンリー・スミスさんが穏やかな語り口で山里の四季を伝えた。1971年に来日し、1996年から大原に家族で移り住んだ。草花を育て、ゆったりと営む暮らしの様子は時間に追われる現代人に多くの示唆を与えた。講演などでも庭造りなど日々の暮らしを楽しむヒントを語ってくれた。近年は目を悪くしていたという。夫の写真家・梶山正さんは「好きな本が読めないし、絵も描けない。ガーデニングだってできない」と沈み込んでいたが、少しずつ元気を取り戻して庭に出る時間も増えたとつづっていた。また元気な姿が見られるかと思っていたが。。。。。。享年72。記事には自宅で死去とあった。まぶたには親しんだ庭の草花が映っていたのではないだろうか。日本の四季の美しさ、自然に寄り添った暮らしの豊かさに気づかせてくれた英国女性だった。本当にさみしい、同世代の仲間で同じ感覚でいきてきたのに。。。。
1.のと鉄道を呑む! (初回放送・2015/4/12)
2.夏・山形鉄道を呑む! (初回放送・2015/8/23)
3.秋・留萌本線を呑む! (初回放送・2015/12/5)
4.春・小湊鉄道、いすみ鉄道を呑む! (初回放送・2016/4/9)
5.夏・根室本線(花咲線)を呑む! (初回放送・2016/8/7)
6.秋・指宿枕崎線を呑む! (初回放送・2016/11/30)
7.冬・津軽鉄道、弘南鉄道を呑む! (初回放送・2017/3/5)
8.春・島原鉄道を呑む! (初回放送・2017/4/12)
9.夏・石勝線(夕張支線)を呑む! (初回放送・2017/8/23)
10.秋・三江線を呑む! (初回放送・2017/11/29)
11.冬・野岩鉄道、会津鉄道を呑む! (初回放送・2018/2/18)
12.春・予土線、土佐くろしお鉄道を呑む! (初回放送・2018/4/28)
13.夏・釧網本線を呑む! (初回放送・2018/8/18)
14.秋・天竜浜名湖鉄道を呑む! (初回放送・2018/12/1)
15.冬・肥薩線・くま川鉄道を呑む! (初回放送・2019/2/23)
16.春・九頭竜線・長良川鉄道を呑む! (初回放送・2019/5/18)
17.夏・石北本線を呑む! (初回放送・2019/8/24)
18.秋・近江鉄道・信楽高原鐵道を呑む! (初回放送・2019/12/18)
19.冬・日南線を呑む! (初回放送・2020/2/12)
20.春・京都丹後鉄道を呑む! (初回放送・2020/4/24)
総集編 (初回放送・2020/8/29)
21.秋・関東鉄道・真岡鐵道を呑む! (初回放送・2020/11/27)
総集編パート2(初回放送・2021/3/6)
22.春・秩父鉄道を呑む! (初回放送・2021/4/30)
夏の特別編(初回放送・2021/8/27)
23.秋・宗谷本線を呑む! (初回放送・2021/12/17)
24.がんばれ東北・三陸鉄道を呑む! (初回放送・2022/3/12)
25.春・鳥取の鉄道を呑む! (初回放送・2022/4/30)
回 初回放送 サブタイトル 六角精児が降りた駅(降りた順) 旅した路線名 訪れた鉄道遺産など 訪れた酒蔵(最寄り駅)
2015年
1 4月12日 のと鉄道を呑む!
金沢駅(石川県金沢市)
羽咋駅
能登部駅
七尾駅(1泊)(石川県七尾市)
和倉温泉駅
能登中島駅
西岸駅
能登鹿島駅
穴水駅(1泊)(石川県珠洲郡穴水町)
IRいしかわ鉄道(金沢 - 津幡)
西日本旅客鉄道・七尾線(津幡 - 和倉温泉)
のと鉄道(和倉温泉 - 穴水)
のと鉄道の廃線になった区間
(穴水駅 - 蛸島駅)をバスで移動し、
蛸島駅へ
数馬酒造(旧・宇出津駅)
宗玄酒造(旧・恋路駅)
2 8月23日 夏・山形鉄道を呑む![11]
山形駅(山形県山形市)
高畠駅
赤湯駅(山形県南陽市)
西大塚駅
今泉駅※ホームのみ
長井駅(1泊)
羽前成田駅
白兎駅
荒砥駅(山形県西置賜郡白鷹町)
東日本旅客鉄道・奥羽本線(山形 - 高畠 - 赤湯)
山形鉄道フラワー長井線(赤湯 - 荒砥)
山形交通・高畠線の旧・高畠駅へ徒歩で行き
高畠石で造られた駅舎を見たり、
静態保存されている車両を見る
樽平酒造(西大塚)
鈴木酒造店・長井蔵(長井)
3 12月5日 秋・留萌本線を呑む![12]
滝川駅(北海道滝川市)
深川駅
石狩沼田駅
真布駅
藤山駅
留萌駅(1泊)(北海道留萌市)
峠下駅
礼受駅
阿分駅
増毛駅(北海道増毛郡増毛町)
北海道旅客鉄道・函館本線(滝川 - 深川)
北海道旅客鉄道・留萌本線(深川 - 増毛)
※留萌 - 増毛間は
2016年12月5日に廃線
函館本線の旧線で廃駅になった
神居古潭駅へバスで移動し
静態保存されていたSL3両や駅舎を見る
翌年、廃止が予定されていた
留萌 - 増毛間をじっくり味わう
国稀酒造(増毛)
2016年
4 4月9日 春・小湊鉄道、いすみ鉄道を呑む!
五井駅(千葉県市原市)
上総牛久駅
里見駅※ホームのみ
月崎駅
久留里駅※タクシーで訪れた
養老渓谷駅(1泊)(千葉県市原市)
上総中野駅
国吉駅
大原駅(千葉県いすみ市)
小湊鉄道(五井 - 上総中野)
いすみ鉄道(上総中野 - 大原)
国吉駅で保存されている
国鉄キハ30系気動車を見る
吉崎酒造(久留里)
木戸泉酒造(大原)
5 8月7日 夏・根室本線(花咲線)を呑む!
釧路駅(北海道釧路市)
厚岸駅
厚床駅
浜中駅(1泊)(北海道厚岸郡浜中町)
落石駅
根室駅(北海道根室市)
北海道旅客鉄道・根室本線(花咲線)(釧路 - 根室)
廃線になったJR標津線・厚床支線の
旧・奥行臼駅へバスで
別海村営軌道の廃線あとへ
碓氷勝三郎商店(根室)
6 11月30日 秋・指宿枕崎線を呑む!
鹿児島中央駅(鹿児島県鹿児島市)
瀬々串駅※ホームのみ
宮ヶ浜駅(山形県南陽市)
山川駅
指宿駅 (1泊)(鹿児島県指宿市)
西大山駅
開聞駅
枕崎駅(鹿児島県枕崎市)
九州旅客鉄道・指宿枕崎線(鹿児島中央 - 枕崎)
かつて伊集院駅から枕崎駅までを
結んでいた鹿児島交通枕崎線の
廃線跡がある旧加世田駅跡へバスで
大山甚七商店(宮ヶ浜)※焼酎
田村合名会社(山川)※焼酎
薩摩酒造・明治蔵(枕崎)※焼酎
2017年
7 3月5日 冬・津軽鉄道、弘南鉄道を呑む!
弘前駅(青森県弘前市)
柏農高校前駅
黒石駅(青森県黒石市)
五所川原駅(1泊)(青森県五所川原市)
津軽五所川原駅
金木駅
芦野公園駅
津軽中里駅(青森県北津軽郡中泊町)
弘南鉄道・弘南線(弘前 - 黒石)
東日本旅客鉄道・五能線(弘前 - 五所川原)
津軽鉄道(津軽五所川原 - 津軽中里)
廃線跡は特になし
現役では唯一、津軽鉄道と
弘南鉄道を走るラッセル車国鉄キ1形貨車を見る
鳴海醸造店(黒石)
8 4月12日 春・島原鉄道を呑む!
諫早駅(長崎県諫早市)
古部駅
島鉄湯江駅
島原駅(1泊)(長崎県島原市)
大三東駅 ※ホームのみ
島原外港駅(長崎県島原市)
島原鉄道(諫早 - 島原外港)
島原鉄道の廃線になった区間
島原外港 - 加津佐駅間をバスで
山崎本店酒造場(島原)
9 8月23日 夏・石勝線(夕張支線)を呑む![13]
千歳駅(北海道千歳市)
追分駅※ホームのみ
新夕張駅(北海道夕張市)
清水沢駅
夕張駅 (1泊)
鹿ノ谷駅
新得駅(北海道上川郡新得町)
北海道旅客鉄道・石勝線(千歳 - 新得)
同・石勝線・夕張支線(新夕張 - 夕張)
※夕張支線は2019年4月1日付けで廃止
廃止が予定される夕張支線を堪能
かつての運炭鉄道、
大夕張鉄道線の廃線跡へタクシーで
小林酒造(栗山)
10 11月29日 秋・三江線を呑む![14]
江津駅(島根県江津市)
川戸駅
潮駅
石見川本駅(1泊)(島根県邑智郡川本町)
宇都井駅
口羽駅
江平駅
作木口駅
三次駅(広島県三次市)
西日本旅客鉄道・三江線(江津 - 三次)
※2018年4月1日付けで全線廃線
廃線まで半年を切った三江線を
まぶたに焼き付ける旅
池月酒造(宇都井)
2018年
11 2月18日 冬・野岩鉄道、会津鉄道を呑む![15]
鬼怒川温泉駅(栃木県日光市)
新藤原駅※ホームのみ
川治湯元駅(栃木県日光市)
男鹿高原駅
会津高原尾瀬口駅(福島県南会津郡南会津町)
会津田島駅(1泊)(福島県南会津郡南会津町)
湯野上温泉駅
西若松駅(福島県会津若松市)
東武鉄道鬼怒川線(鬼怒川温泉 - 新藤原)
野岩鉄道(新藤原 - 会津高原尾瀬口)
会津鉄道(会津高原尾瀬口 - 西若松)
廃線跡は特になし
東京から最も近い秘境駅
男鹿高原駅を楽しむ
国権酒造(会津田島)
宮泉銘醸(会津若松)
鶴乃江酒造(会津若松)
12 4月28日 春・予土線、土佐くろしお鉄道を呑む!
宇和島駅(愛媛県宇和島市)
江川崎駅(高知県四万十市)
半家駅
土佐大正駅
窪川駅(1泊)(高知県高岡郡四万十町)
佐賀公園駅
中村駅(高知県四万十市)
宿毛駅(高知県宿毛市)
四国旅客鉄道・予土線(宇和島 - 窪川)
土佐くろしお鉄道・
中村線、宿毛線(窪川 - 宿毛)
廃線跡は特になし
四万十川の絶景を愉しむ
無手無冠(土佐大正)※焼酎
文本酒造(窪川)
13 8月18日 夏・釧網本線を呑む![16]
網走駅(北海道網走市)
止別駅
知床斜里駅
清里町駅
川湯温泉駅(1泊)(北海道川上郡弟子屈町)
釧路湿原駅
標茶駅
東釧路駅(北海道釧路市)
春採駅
北海道旅客鉄道・釧網本線(網走 - 東釧路)
太平洋石炭販売輸送 臨港線
※2019年3月末をもって廃止
国鉄・根北線の使われなかった橋、
越川橋梁へタクシーで
日本最後の運炭路線
太平洋石炭販売輸送・臨港線の
春採駅へ徒歩で
清里焼酎醸造所(清里町) ※焼酎
福司酒造(釧路)
14 12月1日 秋・天竜浜名湖鉄道を呑む![17]
掛川駅(静岡県掛川市)
桜木駅
遠江一宮駅
天竜二俣駅(1泊)(静岡県浜松市)
宮口駅
寸座駅
浜名湖佐久米駅
新所原駅(静岡県湖西市)
天竜浜名湖鉄道(掛川 - 新所原)
天浜線の前身、国鉄二俣線時代から
残る転車台などを見学
未成線だった国鉄・佐久間線の
使用されなかったトンネルへタクシーで
国香酒造(遠江一宮)
花の舞酒造(宮口)
2019年
15 2月23日 冬・肥薩線・くま川鉄道を呑む![18]
八代駅(熊本県八代市)
人吉駅
人吉温泉駅(熊本県人吉市)
あさぎり駅
湯前駅
人吉駅(1泊)(熊本県人吉市)
吉松駅(ホームのみ)
大隅横川駅
隼人駅(鹿児島県霧島市)
九州旅客鉄道・肥薩線(八代 - 人吉 - 隼人)
くま川鉄道 (人吉温泉駅 - 湯前)
廃線跡はないが、肥薩線の山線の
スイッチバック、ループなどを堪能
松の泉酒造(あさぎり)※焼酎
高田酒造場(あさぎり)※焼酎
松下醸造場(湯前)※焼酎
大石酒造場(湯前)※焼酎
寿福酒造場(人吉)※焼酎
繊月酒造(人吉)※焼酎
16 5月18日 春・九頭竜線、長良川鉄道を呑む![19]
福井駅(福井県福井市)
越前大野駅
九頭竜湖駅(福井県大野市)
美濃白鳥駅
北濃駅
郡上八幡駅(1泊)(岐阜県郡上市)
美濃市駅(岐阜県美濃市)
美濃太田駅(岐阜県美濃加茂市)
西日本旅客鉄道・越美北線
九頭竜線(福井 - 九頭竜湖)
長良川鉄道(北濃 - 美濃太田)
※かつての越美南線
廃線になった名古屋鉄道・
美濃町線の美濃駅へ徒歩で
南部酒造場(越前大野)
布屋 原酒造場(美濃白鳥)
小坂酒造場(美濃市)
17 8月24日 夏・石北本線を呑む![20]
新旭川駅(北海道旭川市)
上川駅(上川町)
丸瀬布駅(遠軽町)
遠軽駅(1泊)(遠軽町)
北見駅(北見市)
網走駅(網走市)
北海道旅客鉄道・石北本線(新旭川 - 網走)
廃線になった国鉄・士幌線、
第五音更川橋梁、幌加駅、
タウシュベツ川橋梁へタクシーで
動態保存されている森林鉄道のSL「雨宮21号」を
見に丸瀬布いこいの森まで市営バスで
廃線になった国鉄・名寄本線の鉄道跡を徒歩で
廃線になったふるさと銀河線の鉄道跡を徒歩で
上川大雪酒造・緑丘蔵(上川)
オホーツクビアファクトリー(北見)
18 12月18日 秋・近江鉄道、信楽高原鐵道を呑む![21]
米原駅(滋賀県米原市)
彦根駅(彦根市)
五箇荘駅(東近江市)
八日市駅(東近江市)
新八日市駅(東近江市)
近江八幡駅(1泊)(近江八幡市)
水口城南駅(甲賀市)
貴生川駅(甲賀市)
信楽駅(甲賀市)
近江鉄道(米原 - 貴生川、八日市 - 近江八幡)
信楽高原鐵道(貴生川 - 信楽)
彦根駅で近江鉄道の車両区へ
西武401系電車を改造した
近江鉄道800系電車を見る
大正時代に作られた電気機関車ED31形を見る
中澤酒造(五個荘駅)
ヒトミワイナリー(八日市) ※ワイン
美冨久酒造(水口城南駅)
2020年
19 2月12日 冬・日南線を呑む![22]
宮崎駅(宮崎県宮崎市)
南宮崎駅(宮崎県宮崎市)
小内海駅(宮崎市)
内海駅(宮崎市)
飫肥駅(日南市)
油津駅(1泊)(日南市)
榎原駅(日南市)
志布志駅(鹿児島県志布志市)
九州旅客鉄道・宮崎空港線(宮崎 - 南宮崎)
九州旅客鉄道・日南線(南宮崎 - 志布志)
宮崎駅で日本で8両しか造られなかった
国鉄713系電車に乗る
小玉醸造(飫肥駅) ※焼酎
京屋酒造(油津駅) ※焼酎
井上酒造(榎原駅) ※焼酎
20 4月24日 春・京都丹後鉄道を呑む!
福知山駅(京都府福知山市)
天橋立駅(宮津市)
西舞鶴駅(舞鶴市)
宮津駅(1泊)(宮津市)
与謝野駅(与謝野町)
かぶと山駅(京丹後市)
久美浜駅(京丹後市)
豊岡駅(兵庫県豊岡市)
京都丹後鉄道・宮福線(福知山 - 宮津)
京都丹後鉄道・宮舞線(宮津 - 西舞鶴)
京都丹後鉄道・宮豊線(宮津 - 豊岡)
加悦鉄道で使用された列車が
展示された加悦SL広場へ
※加悦SL広場は2020年3月末で閉鎖
向井酒造(伊根町)
木下酒造(かぶと山・久美浜町)
EX1 8月29日 総集編
21 11月27日 秋、関東鉄道、真岡鐵道を吞む!
取手駅(茨城県取手市)
水海道駅(常総市)
石下駅(常総市)
下館駅(1泊)(筑西市)
友部駅(笠間市)
真岡駅(栃木県真岡市)
益子駅(益子町)
茂木駅(茂木町)
関東鉄道・常総線(取手 - 下館)
東日本旅客鉄道・水戸線(下館 - 友部)
真岡鐵道(下館 - 茂木)
戦前に茂木 - 長倉間を繋ぐ予定だった
未成線の国鉄・長倉線のあとを歩く
野村醸造(石毛駅・常総市)
須藤本家(友部駅・笠間市)
外池酒造店(益子駅・益子町)
2021年
EX2 3月6日 総集編パート2
22 4月30日 春、秩父鉄道を吞む!
羽生駅(埼玉県羽生市)
新郷駅(埼玉県羽生市)
大麻生駅(熊谷市)
武川駅(深谷市)
小川町駅(小川町)
秩父駅(1泊)(秩父市)
寄居駅(寄居町)
皆野駅(皆野町)
上長瀞駅(長瀞町)
三峰口駅(秩父市)
秩父鉄道・秩父本線(羽生 - 三峰口)
東武鉄道・ 東武東上線(寄居 - 小川町)
武川駅で貨物専用線の三ヶ尻線の
貨物列車を見る
秩父市で廃線になった貨物専用線を見る
南陽醸造(新郷駅)
武蔵鶴酒造(小川町駅)
松岡醸造(小川町駅)
晴雲酒造(小川町駅)
武甲酒造(秩父駅)
ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所(皆野駅)
EX3 8月27日 夏の特別編
23 12月17日 秋、宗谷本線を呑む!
旭川駅(北海道旭川市)
名寄駅(北海道名寄市)
美深駅(美深町)
音威子府駅(音威子府村)(1泊)
雄信内駅 (幌延町)
南幌延駅(幌延町)
豊富駅(豊富町)
稚内駅(稚内市)
宗谷本線(旭川 - 稚内)
名寄で、廃線になった名寄本線の
中名寄駅を見る
名寄で、廃線になった深名線の
天塩弥生駅跡地を訪ねる
美深で、廃線になった美幸線の終点、
仁宇布駅の観光用トロッコを訪ねる
3月に廃駅になった旧・安牛駅を訪ねる
美深白樺ブルワリー(美深駅)
2022年
24 3月12日 がんばれ東北・三陸鉄道を呑む!
久慈駅(岩手県久慈市)
陸中宇部駅(久慈市)
十府ヶ浦海岸駅(九戸郡野田村)
田老駅(宮古市)
新田老駅 (宮古市)
宮古駅(宮古市)(1泊)
織笠駅(下閉伊郡山田町)
岩手船越駅(山田町)
釜石駅(釜石市)(1泊)
小佐野駅(釜石市)※東日本旅客鉄道
吉浜駅(大船渡市)
恋し浜駅(大船渡市)
陸前赤崎駅(大船渡市)
盛駅(大船渡市)
三陸鉄道(久慈 - 盛)
東日本旅客鉄道・釜石線(釜石 - 小佐野駅)
釜石市で、廃線になった釜石鉄道の
カルバート橋を見る
大船渡市で、貨物専用線の岩手開発鉄道の
赤崎駅を訪ねる
福来酒造(陸中宇部駅)
菱屋酒造(宮古駅)
浜千鳥(小佐野駅)
酔仙酒造(盛駅)
25 4月30日 春・鳥取の鉄道を呑む!
上郡駅(兵庫県赤穂郡上郡町)
郡家駅(鳥取県八頭郡八頭町)
若桜駅(鳥取県八頭郡若桜町)
鳥取駅(鳥取県鳥取市東品治町)
倉吉駅(鳥取県倉吉市)(1泊)
御来屋駅(鳥取県西伯郡大山町)
伯耆大山駅(鳥取県米子市)
岸本駅(鳥取県西伯郡伯耆町)
米子駅(鳥取県米子市弥生町)
境港駅(鳥取県境港市大正町)
智頭急行(上郡 - 智頭)
西日本旅客鉄道・因美線(智頭 - 鳥取)
若桜鉄道(郡家 - 若桜)
西日本旅客鉄道・山陰本線(鳥取 - 米子)
西日本旅客鉄道・伯備線(伯耆大山 - 岸本)
西日本旅客鉄道・境線(米子 - 境港)
倉吉からバスで廃線になった倉吉線を訪ねる
太田酒造場(若桜駅)
中川酒造(鳥取駅)
ビアホフ ガンバリウス(岸本駅)
26 7月30日 サンライズ&四国の鉄道を呑む!
東京駅(東京都千代田区丸の内)
高松駅(香川県高松市浜ノ町)
高松築港駅(香川県高松市 浜ノ町)
瓦町駅(香川県高松市常盤町)
徳島駅(徳島県徳島市)
池谷駅(徳島県鳴門市)
鳴門駅(徳島県 鳴門市)(1泊)
桑野駅(徳島県阿南市)
木岐駅(徳島県海部郡美波町)
田井ノ浜駅(徳島県海部郡美波町)
阿波海南駅(徳島県海部郡海陽町)
海の駅東洋町(高知県安芸郡東洋町)
東日本旅客鉄道・東海道線(東京 - 熱海)
東海旅客鉄道・東海道線(熱海 - 米原)
西日本旅客鉄道・琵琶湖線〜山陽本線(米原 - 岡山)
四国旅客鉄道・瀬戸大橋線(岡山 - 高松)
高松琴平電気鉄道・長尾線(高松築港 - 瓦町)
四国旅客鉄道・高徳線(高松 - 徳島)
四国旅客鉄道・鳴門線(池谷 - 鳴門)
四国旅客鉄道・牟岐線(徳島 - 阿波海南)
阿佐海岸鉄道(阿波海南 - 海の駅東洋町)
鳴門の渦潮を見に行って、大鳴門橋の下に
四国新幹線のために造られたトンネルを発見する
勢玉(徳島駅)
本家松浦酒造場(池谷駅)
津乃峰酒造(桑野駅)
27 9月17日(4K)
9月18日(BSP) 夏・室蘭本線&日高本線を呑む!
脚注
今日はまさに五月晴れのすがすがしいお天気である。仙台メデイアテークでアフガニスタンで活躍された中村哲医師の映画会が開催された。乾いた大地、泥でできた家屋、たびたび起こる天災。これらがアフガニスタンのすべてだった。日本人医師・中村哲は、対テロ戦争の最中でも、アフガニスタンで医療活動を続けていた。「この国ではどうして毎日患者が増えるのだろう。問題はどこにあるのだろう」中村がたどり着いた答えは、“水”だった。アフガニスタンに新たに川筋を作り、現地では親しみを込めて、「カカ・ムラド」=中村のおじさんと呼ばれた中村哲医師。2019年12月に武装勢力に銃撃されこの世を去ってから約2年半が過ぎた。1991年、中村は医師として派遣されていたパキスタンから、隣国アフガニスタンの険しい山岳地帯ダラエヌール地区に初の診療所を作り、多くの人の命を救っていた。
後編では多くの命を救った井戸掘りが禁止されたことで始めた“緑の大地計画”と、中村を形作った源流に迫った。
6月に入り、人気のご当地パンも、好きなアイスも、ひいきのビールまで。スーパーへ行くと商品はほとんど値上げラッシュで悲鳴が上がる。食品メーカーは6月以降の値上げも続々発表しており、秋口あたりから本格的になるという。世界的な資源高と円安の影響によるコスト上昇分を、価格に上乗せする動きが広がっている。食品主要105社の値上げ品目は年内に1万品目を突破する見通しだ。値上げは外食、光熱費、日用品と幅広い分野に及び、家計に逆風が吹いている。買い物等に家内と一緒に出掛けて、値札をみると、いつもと同じような肉や魚、調味料などの買い出しも、合計金額が以前よりかなり膨らんでいる。明らかにステージが変わってきたと肌で感じる。物価上昇が賃金上昇につながる好循環が期待できればいいのだが、生活防衛力の強化を意識せざるを得ない。
割引につながるクーポンやポイントは積極的に活用しているし、自炊や手作りを増やすのも手だろうが、幸いに野菜等は自給しているので助かる面もある。家計の専門家は、携帯電話料金や使わないカードの会費など「固定費を見直せ」と提案する。在庫管理が甘く冷蔵庫の隅でうなだれているキュウリやモヤシ、食材を無駄にせず、使い切る知恵も発揮したい。県内は夏の終わりから秋になると、値ごろ感のある旬の地場野菜やリンゴなどの果実が豊富に出回る。新米も登場する。今年はとりわ
け出来具合が気に掛かる。天候だけは穏やかにと願わずにいられない。
日もだいぶ長くなり、ちょっと時間が空いたので夕方、家の周りをウオーキングしてみた。もう5月も終わりに近づき、梅雨の6月を迎える時季でもある。この時季は心地良い水の音を聞きながら、蛍の光を探して歩く田んぼの用水路がメインの散歩道である。桜が咲き、新緑がまぶしくなったと思っていたら、周りの田んぼは麦秋。収穫作業と並行して苗代作りも進んでいる。若い頃は気にも留めなかった風景がありがたく思えるから不思議である。この2~3年はコロナ禍や大雨被害、外に目を向ければロシアのウクライナ侵攻と「明」よりも「滅」の時間が長かったように感じる。そろそろ、明るく飛びたいなあと思っており、すこしづつ外に向かっての活動を始めた。最近「フレイル」という言葉をよく聞く。体の機能が低下する身体的フレイルや外部との関わりが少なくなる社会的フレイルなどが指摘される。「滅」の時間が長くなり、フレイルが進んではいないかと心配になるが、多くの仲間がいろんな形で挑戦する姿勢に元気づけられる。還暦を過ぎて短歌、俳句を始めたという友人もいる。若い頃のように勢いよく、遠くまでとはいかないが、いくつになっても飛べる。さあ、蓄えた力で外へ向かって歩み始めたい。
北海道の知床と聞けば、真っ先に森繁久弥さんが作詞・作曲した「知床旅情」を連想する。初夏、ハマナスが咲く岬の景色を思い浮かべる。今、その映像を見ていると、耳に残っている歌のイメージが浮かんでくる。ハマナスはバラ科の低木で、海岸の砂地などに自生する。北海道では群落が見られるが、歌詞にある「はまなすの咲くころ」はもう少し先である。まだ寒さが残る知床の最低気温は3度を下回り、海水温は2~4度ほどだった。強風で波も高く、観光船を出すには厳しい状況だったのかもしれない。今季のツアー初日となった23日、子ども2人を含む26人が乗った船が消息を絶った。事故発生から時間が経過するとともに、現場の状況が徐々に分かってきた。救出のニュースも流れてくるが、その後に死亡確認の悲しい知らせが届く。さぞや怖かっただろう、冷たかっただろうと胸がふさがる。ハマナスの花言葉の一つに「旅の楽しさ」がある。世界遺産の知床観光を楽しみに出掛けていたはずなのに…。そんな中、今年も鯉のぼりを上げた。白色の蔵王連峰と、ピンク色の八重桜との競演がまぶしく感じる。知床の冷たい海から助け出したい。いまはただ、生存を祈るほかないがやりきれない思いである。
いよいよ今日は大晦日である。今年は雪が多く、今も外は吹雪いている。真っ白な雪の草原も見るにはいいが、そろそろ止んでほしい気分でもある。年末年始に牛乳や乳製品の原料になる生乳が供給過剰により、大量廃棄される可能性があるそうだ。「牛乳信仰」と言ったら大げさだが、昔は親から「骨が丈夫になり、背が伸びる」と聞かされ育った世代にとって何とももったいない話である。乳牛の成育環境がよく生産量が増えたことも重なった。コロナ禍で飲食店向けなどの販売が振るわず、冬休みで学校給食向けの需要もなくなり余剰が生じかねない。生乳は長期保存できる脱脂粉乳にも加工されてきたが、在庫が急増しているという。生乳の生産はおいそれと減らせない。乳牛は毎日搾乳をしないと乳房炎になる。丑(うし)年の終わりにとんだ災難である。どうやら牛乳への逆風は強そうだ。飲み物の選択肢が増え、少子高齢化の影響で学校給食などで牛乳を飲む子どもの数は減る一方である。日常的にスーパーなどで売れ残った賞味期限切れの牛乳が大量廃棄されていると聞いた。せめて支援の気持ちを込めて今夜もホットミルクをモ~一杯。冷え込む夜はホットミルクで温まり、よく眠れるような気がする。
<アベノマスク我が家も依然保管中>。「世相川柳」欄にこんな句が載っていた。そういえば、わが家もどこかにしまったままだ。流行語にもなった「アベノマスク」は、安倍政権が新型コロナの感染拡大に伴うマスクの品薄を改善しようと調達した布マスクを揶揄(やゆ)する。税金の無駄遣いなどの批判が続出。ちぐはぐな政府のコロナ対応を象徴している。厚生労働省は昨年、介護施設や全世帯向けに布マスク約2億8700万枚を調達した。施設向けの多くが配布しきれず倉庫に保管され、昨年8月から今年3月にかけての保管費は約6億円に上った。不評を買った布マスクに関し、岸田首相は今月14日の衆院予算委員会で「検証、反省すべき点があった」ことを認め、保管費が高額だとの指摘には「費用対効果の観点から何か道がないのか検討させたい」とした。11月末時点での在庫約8千万枚を廃棄処分した場合、費用は約6千万円に上る見通しだ。政府は希望する個人や自治体に配布した上で在庫を処分する方針。配布希望は来年1月14日まで受け付け、余った分はマスク以外の用途などでの購入希望者に売却した後、廃棄処分の手続きを進める。マスクの調達ばかりか、保管にも廃棄にも多額の我々の税金を要する。本当に世紀の愚策を安部さんは大いに反省と同時に、自ら小さなマスクをしつづけてほしいものだ。
寒い夜はお風呂が一番。湯船につかると幸せを感じる。そして、食卓にはカボチャ料理が一品。「冬至」も過ぎた。北半球では昼間の時間が最も短い日。これから寒さがますます厳しくなるが、「一陽来復」といわれるように、冬至を境に陰気が陽気に転じ、いいことが巡ってくる、ともいわれる。冬至の日から一筆ずつ描いていくと81日後に梅の花が満開となる絵が完成し、その頃には寒さが和らぐという「九九消寒図(くくしょうかんず)」もある。同じ時間を過ごすなら、楽しみを探そうという知恵なんだろう。久しぶり日誌を書いている。なぜか最近、おっくうになってきた。加齢が追い打ちをかけているような気がする。昨夜のクリスマスコンサート・パーテイを楽しみ、今日は薪集めの予定であったが、昨夜から雪が舞い始め、朝起きたら窓越しの庭・畑は雪一面であり、あっさりと中止の連絡が入る。銀世界をながめながら、いろんな思いが駆け巡る。外からみると人は不足や不満もなく、幸せそうな日常に見えても、多くの人は何かしらの「荷物」を抱えて生きている。だから、さまざまな感情にどう折り合いをつけるかが大切ではないかと思うようになってきた。どん底に落ちたように感じても、踏ん張る地面がようやく見えたと思えばいい。悩み事は夜考えるより、昼間に考えよう。だんだん、ほんの少しでも昼間の時間が長くなるのだから。。。。
国の賠償責任受け入れは当然だとしても、唐突過ぎる方針転換であり不自然さが拭えない。
審理が尽くされない中で裁判が終結し、原告が裁判の目的としていた真相解明には大きな妨げとなろう。国の対応はあまりに不誠実だ。
森友学園問題に関する財務省の決裁文書改ざんを巡り、自殺した近畿財務局元職員赤木俊夫さんの妻が国と同省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官に損害賠償を求めた訴訟で、国が賠償責任を認めた。請求棄却を求め争っていた国が、従来の姿勢を一変させた。
俊夫さんの妻雅子さんの代理人弁護士によると、大阪地裁であった非公開の訴訟の進行協議冒頭、国側代理人が「請求を認諾する」と突然表明した。
認諾は被告が原告の請求を全面的に認めるもので、手続きを取ると対抗できない。国家賠償請求訴訟で国が訴えをそのまま認め終結させるのは異例だ。
雅子さんが提訴したのは夫の死の真実を知りたいとの思いからだったが、訴訟は非公開の協議で終わってしまった。
「ひきょうなやり方で裁判を終わらされた」「夫は国にまた殺された」。雅子さんは厳しい言葉で非難した。無理もない。
財務省が2018年に公表した調査報告書では、当時の安倍晋三首相が自らと妻昭恵氏の関与を全面否定した国会答弁を機に、理財局が改ざんに手を染めたことをうかがわせる。
だが安倍氏や当時の麻生太郎財務相は説明を避け続け、その後の政権も全容解明に消極的な姿勢を示してきた。
訴訟では、俊夫さんが改ざんの過程をまとめた「赤木ファイル」の証拠提出を雅子さんが求めても、1年以上存否すら明かさなかった。遺族の求めに真摯(しんし)に向き合ってきたといえない国が、なぜ責任を認めたのか。
雅子さんの代理人は「国は隠したい事実があるのでは」と批判したが、指摘されるのは真相解明回避の思惑だ。
訴訟で改ざんに関わった人物の証人尋問が行われたり、新証拠が出たりすれば政権はダメージを受ける。それを避け、幕引きを図ろうとしているのではないかというのだ。
来夏に参院選を控える中、自殺を国の責任だと認め批判を浴びたとしても、安倍・菅両政権の「負の遺産」を早期に決着させた方が得策-。政権側にはそんな本音があるのではないかとの観測も出ている。
事実なら、俊夫さんの死を軽んじているというほかない。鈴木俊一財務相の謝罪の弁も額面通り受け取れなくなる。
今回の対応に当たり岸田文雄首相は財務相に「さまざまな場で真摯に説明するように」と指示したというが、政府対応の正当性を訴えるだけでは国民の納得が得られるとは思えない。
決裁文書の改ざんは、国民のためにあるべき行政がゆがめられ、職員が自ら命を絶つまでに追い込まれた深刻な問題だ。真相を解明し、再発を防ぐことこそが首相と政府の責任だろう。
今日、衆院選が公示された。主要な争点の一つは、言うまでもなく経済だ。第2次安倍政権以降、9年近く続いた現在の自公連立政権の成果と課題をどう総括するか。野党が提示する構想をどう評価するか。ともに有権者の重要な判断材料となる。
今回の一つの特徴は、ほとんどの政党が現金給付を訴えている点だ。コロナ禍であぶり出された経済格差を受け、分配がより重視されるようになったことは評価したい。だが、財源議論を置き去りにし、各党が給付や経済対策の規模を競い合うような状況は無責任で、甘言で票を集めようとしているに等しい。
立憲民主党は低所得者を対象に年12万円、公明党は18歳までの子どもに一律10万円、共産党は年収1千万円程度までの収入が減った人に10万円の現金給付を打ち出した。自民党の岸田文雄総裁(首相)も、18日の党首討論会で「国民に十分な現金給付」を実施する考えを強調した。
コロナで多くの人々の所得が落ち込んだ中、現金給付は痛みを和らげる一つの方策だ。大半が貯蓄され、消費刺激効果が乏しいとの批判もあるが、経済的な不安を抱える世帯にとっては、貯蓄が増えるだけでも生活上の安心感につながる。政策としての有効性を一概に否定するべきではない。
問題は財源だ。幅広い層を対象とした現金給付は米国や英国でも行われたが、いずれも法人税率引き上げや富裕層への増税とセットで提案・導入されている。国内では立民と共産が法人税増税などに触れただけで、大半は国債発行による借り入れを主張している。
野党が足並みをそろえた消費税率引き下げも、減税自体は検討に値しても、代替財源が伴わなければ非現実的だ。
いくらでも借金を重ねればいいという発想は危険極まりない。たしかに国は企業や家計と異なり、借金を完済する必要は必ずしもない。だがそれは、借金がどれだけ増えても破綻しないということを意味しない。
借金がどの水準まで増えれば財政危機が訪れるのかは誰にも分からない。だが、起きたときの国民生活への打撃は計り知れないという当たり前のことを、各党ともいま一度思い起こす必要がある。
一方、コロナという非常事態を受け、ひとまず財政赤字拡大を許容するとしても、その後の経済成長をどう実現するかは、国民生活を向上させる上でも、財政危機を招かないようにするためにも極めて重要だ。
この点で、規制緩和を徹底して企業が活動しやすくすれば国民全体が豊かになるという、いわゆる新自由主義的な主張から、多くの党が距離を置くようになったのは注目に値する。富める者がますます富めば、経済全体に恩恵がしたたり落ちる(トリクルダウン)という考えは、現実に起きた格差拡大によって明確に否定されたといっていい。
自民は引き続き税優遇措置によって企業の賃上げや設備投資、研究開発を後押しすることを前面に打ち出した。これに対し、立民や共産は労働者派遣法の見直しによる非正規労働者の正社員化を掲げる。いわば企業の負担増によって賃金の底上げを図り、経済を刺激する政策で、方向性は大きく異なる。
各党の主張に耳を澄ませ、納得の行く一票を投じたい。
大人の休日倶楽部を利用した小さな旅も終わり、疲れのリハビリも兼ねて、今日から薪割りにいそしんでいる。そんな中、ラジオからクリスマスソングが流れてくる。ワム!、マライア・キャリー、山下達郎、松任谷由実、ジョン・レノン&オノ・ヨーコ、ビング・クロスビー…。定番の曲は色あせることなく流れてくる。時代の空気と一緒に聞く人の記憶を呼び覚ましてくれるような気がする。師走に入ると気ぜわしいが、ちょっとウキウキ気分になりイルミネーションが街を彩りの景色が脳裏に浮かんでくる。ファームもひと段落し、これからは木こりの生活が本格的に始まる。怪我しないよう、あわてず、ゆっくりと無理をせず、楽しむことを最優先にして健康的な生活を送りたいと思っている。そして、ある書店より、この活動日誌や小さな旅を書籍にしませんかとお誘いを受けている。人生の集大成としてまとめてみるかと心が動きはじめている今日この頃である。
先月末に74歳で死去した作詞家の喜多條忠(まこと)さんの「神田川」も時代の空気を色濃く映す。1960年代後半に学生運動に関わった自身の体験がモチーフ。東京・新宿区を流れる神田川の側の<三畳一間の 小さな下宿>で女子学生と暮らした。
デモから帰ると彼女は料理を作り待っていた。感謝の気持ちを抱くとともに平穏な暮らしに心を奪われそうになった。このまま活動をやめていいのか。<ただあなたのやさしさが こわかった>。全共闘世代としての葛藤、ほろ苦い記憶がつづられた。
73年の「神田川」発売から7年後、学生時代にたまたま喜多條さんが暮らした街に住んだ。神田川沿いの道を歩き、銭湯の行き帰りに歌詞を思い出した。石けんはカタカタ鳴らなかったが洗い髪は芯まで冷えた。「政治の季節」を過ごした若者たちの残り香をかすかに感じた。
喜多條さんは19~20歳の頃の日常を書き留めた著書「神田川」のあとがきに記した。「青春にはきっと時効が無い」と。喜多條さんと同じ「団塊の世代」も同じ思いではないか。
♪僕の髪が肩までのびて君と同じになったら-。フォークソング全盛の1970年代、吉田拓郎さんが歌った「結婚しようよ」。若い2人が口ずさんだとは思えないが、長い髪を後ろで結んだ姿を見て頭の中に流れてきた◆秋篠宮家の長女眞子さま(29)とお相手の小室圭さん(29)である。小室さんが滞在先の米国から約3年ぶりに帰国してから、髪型や服装など余計なお世話と思うような情報も含め、ワイドショーはにぎやかだった◆学生時代に知り合った2人は2017年9月、婚約が内定。記者会見で互いの存在を太陽と月に例えて見つめ合う様子は初々しく、国民の間にはお祝いムードが広がった。それが一転、金銭トラブルが問題となり、結婚は先延ばしになっていた◆小室さんの生活基盤にめどが立ち、環境が整ったという判断だろうか。今月26日に婚姻届を提出、記者会見を開く日程を宮内庁が発表した。結婚関連の儀式は実施せず、皇室を離れる際の一時金も辞退される異例の形になる◆秋篠宮さまは結婚について、多くの国民が納得し、喜んでくれる状況が必要と述べられていた。国民の感情はさまざまだろうが、祝賀の空気に包まれればいい。歌の最後は〈結婚しようよ/僕の髪はもうすぐ肩までとどくよ〉と結ばれる。ようやく、ここまで。春秋に富む2人に幸あれ。(
久しぶりに手紙が届いた。普段はメール等のSNSで済ませる機会が多く、今となっては珍しくなってきた。「手紙」という言葉は元来「手元に置いて雑用に使う紙」のことで、そこから「簡略な書き付け」を指すようになったらしい。現在のような通信手段の意味に転じたのは江戸時代。それ以前は何と呼んだのだろうかと思い、調べてみると、「書簡」「尺牘(せきとく)」「消息」「往来」「玉章(たまずさ)」「雁(かり)の便り」「雁の使い」だという。いかにも日本的なソフトな言葉である。ただこれにしても中国故事が由来とされ、「雁書(がんしょ)」などの漢語が存在する。前漢の武将・蘇武が匈奴(きょうど)に捕らえられたとき、雁の足に手紙を結びつけて放った。それが都に届き本人の無事が確認されたという(「漢書」蘇武伝)▼ただわが国最古の「万葉集」にも同じような表現が登場する。「天(あま)飛ぶや雁を使ひに得てしかも奈良の都に言(こと)告げ遣(や)らむ」。空を飛ぶ雁を使いとして得たいものです。奈良の都に言づてを託せるように…。天平時代、新羅に派遣される使者が九州で詠んだ一首である▼古代から親しまれてきた手紙も、昨今は電話やメールの普及でなじみが薄くなった。それに応じてか、きょうから普通郵便の土曜配達が中止される。情趣ある手紙文化の衰退に拍車がかかるようで忍びない。「小筆の穂なだめてをれば雁の声 鷹羽狩行」
9月に入り、空気も澄んで夜空には美しい月が輝く時季である。まさしく「月見る月」。月を調べてみると、月見の風習は中国伝来で、中秋節に月餅を食べ黄金色の月を観賞した。しかし日本では十五夜に限らず、その後も十六夜(いざよい)や立待(たちまち)月、寝待(ねまち)月などの呼称で月を愛でた。一人で月を見ていると何とも悲しくなるので、月見団子やサトイモを供え、こうこうと光る月をみんなで楽しむ。それが日本人特有の感性ではないだろうか。9月は「月見る月」だから、ゆっくりと鑑賞したい月でもある。
9~10月は自然災害が多い月である。人々が農作物を育てるのは、水を利用しやすい断層に沿って形成された川や沼の近くにある。火山によって、できた傾斜地には肥沃な土壌があり、海岸線は漁業や交易にとても便利で、人間はそこを居住地にしてきた。しかしそうした土地は、洪水や暴風雨、地震など恐ろしい災害の危険と背中合わせでもある。気象災害で最大の脅威となるのが熱帯低気圧だ。発生する場所によって、ハリケーンや台風、サイクロンなど異なる名前を持つが、基本的には高速で渦を巻いて回転する現象で、強い風と激しい雨をもたらすのが特徴である。日本を襲撃する台風も近年は被害が甚大である。過去40年の上陸数を見ると、8月と9月が39個、37個と群を抜いて多い。ただ秋台風は偏西風の影響で、夏台風に比べ本州を通過する確率が高い。また秋雨前線を刺激し強風や豪雨を誘発しやすい。東シナ海で停滞していた台風14号が、急きょ東向きに進路を変え九州北部に上陸した。このまま日本列島を横断するとみられ、大雨による土砂崩れや河川氾濫などの恐れもあった。何しろ人間は災害リスクの高い土地に住んでいる。今穏やかな日々が続いているが、秋台風の警戒は怠りなく備えたい。
いよいよ菅義偉首相が政権の座を降りる。新型コロナウイルスの烈風に吹き飛ばされ、あっけない幕切れである。2012年に発足した安倍晋三政権から続いた安倍・菅政権も終焉を迎えた。アベノミクスを展開し、国政選挙で勝利を重ねたこの政権は、国民への十分な説明を欠き、多くの腐敗を生んできた。自民党は次期総裁の下で再スタートするが、安倍・菅政治をどう清算するのか。最後の審判は総選挙での国民の判断に委ねられる。安倍政権は「結果」をアピールすることが多かった。アベノミクスの金融緩和で株価は上昇、雇用は改善した。安倍氏は「結果を出した」と胸を張った。 「結果」の中身については議論があるだろう。だが、国民の家計は豊かになっていない、格差が拡大しただけだという指摘されている。ただ、景気回復の中で成長戦略や構造改革が進まなかったことは確かである。具体的には社会保障などの分野で改革に踏み込めなかった。既得権益に切り込まなかった。例えば感染症拡大に備えた患者の受け入れ態勢を構築しなかった。安倍政権がコロナ感染に先駆けて、国や都道府県が民間病院や医師会に病床確保を指示できるよう関連法の改正に踏み出していれば、今回の感染拡大に対応できたはずだ。だが、安倍政権は手を打たなかった。理由は簡単である。自民党の支持基盤の医師会に配慮したからだ。成長戦略や構造改革に本気で取り組むには、自民党の支持基盤の既得権益に切り込まなければならないが、自業自得のため、特に安倍政権の動きは鈍かったと思う。デジタル社会の基盤となるマイナンバーカードが広がらなかったのは、所得が把握されるのを嫌がる一部の経営者に気兼ねしたためだ。彼らも自民党の支持基盤だ。その結果、衆院選や参院選で自民党は勝利を重ねたが、改革は停滞したままであった。厚生労働省や都道府県が民間病院や医師会に病床確保を呼び掛けても、強制力が弱いから病床は逼迫したままであった。自宅で亡くなるケースが相次いでいる。そして給付金の支給ではマイナンバーカードを使っても銀行口座に紐づいていないから、振り込みに手間取った。先進国では考えられない事態が続いた。それでも安倍氏は「結果を出している」と言い続けた。野党(民主党は民進党、立憲民主党などに党名変更)が批判すると、安倍氏は「民主党政権は悪夢だった」と切り返した。国会審議で安倍氏は、辻元清美氏ら野党議員に向かってヤジを飛ばし、対決姿勢をむき出しにした。安倍・菅政権では不祥事が相次いだ。森友問題では国有地が大幅に値引きされて払い下げられ、安倍氏は「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と大見えを切った。この発言が昭恵夫人の行動を記載した財務省の公文書の改ざんにつながった可能性が大きいが、真相はまだ、明らかにされていない。改ざんを求められた近畿財務局の職員が自殺に追い込まれたのに、安倍氏や財務省は遺族らへの説明責任を果たしていない。虚偽答弁を繰り返した 「桜を見る会」の疑惑も深刻だ。安倍氏の後援会員が大勢招待され、飲み食いに興じたのは公私混同の極みだった。後援会員を集めた「前夜祭」への資金提供について安倍氏は国会で否定し続けたが、東京地検特捜部の捜査で資金提供が発覚。安倍氏の秘書が立件された。安倍氏の国会答弁の虚偽は118回にのぼった。国権の最高機関である国会が政府をチェックするはずなのに、首相が野党議員をやじったり、虚偽答弁を繰り返したりした。公文書の改ざんを含めて安倍政権下で日本の民主主義は大きく傷つけられた。 菅氏の長男が勤める衛星放送関連会社が、総務省幹部の接待を繰り返していたのは、まさに長期政権の「膿」である。 その安倍・菅政権がコロナに見舞われた。感染は徐々に拡大していった。全国一斉休校やアベノマスクの配布などで政権は右往左往した。病床の逼迫が深刻になり、経済情勢も悪化し続けた。「結果」が出せなくなり、民主党批判も通じなくなり、安倍氏は20年8月、持病の悪化を理由に退陣を表明した。自民党総裁選の結果、官房長官だった菅氏が総裁・首相に就任した。国民を説得する術なしの人物であったが、官房長官として人事権をテコに霞が関ににらみを利かせ、常に上から目線で権力を使い続けてきた菅首相。安倍氏の政策を引き継ぐと表明したが、政治姿勢はやや異なる。憲法改正に前向きの安倍氏に対し、菅氏はあまり興味がない。菅氏は携帯電話料金の引き下げといった実務的な政策や省庁の縦割り是正に関心があった。野党に対しても、菅氏は安倍氏のような対決姿勢一色ではなかった。菅政権のコロナ対策も安倍政権同様、後手に回り続けた。感染が少し収まると、景気対策として「Go Toキャンペーン」を始めた。感染は再拡大したが、東京五輪・パラリンピックの開催は強行。菅首相は開催の意義や理由、感染対策などについて国民が納得できる説明をすることはなかった。菅氏には国民と目線を合わせて説得する術がないことが露呈した。説明不足の典型が8月初旬に打ち出された感染者の入院制限だ。菅首相は感染の急拡大を受けて、中等症や軽症の感染者に対して、それまでの原則入院という方針を変更した。自宅療養とすることを突然、表明して強い反発を受けた。こうした危機管理の中では・まず見通しの甘さを率直に認めて反省の姿勢を示す・政府にできることとして、臨時の医療施設の設置や医師会への協力要請などを打ち出す・そのうえで国民に向かって、自宅療養が必要になることがあるかもしれないが、我慢してほしいと呼びかける──という手順が不可欠なのに自宅療養だけが求められた。感染症の全体像を把握し、政府や自治体にできることを明確にしたうえで国民に我慢を求める。危機の指導者に必要な説明能力を兼ね備えていないことが明らかになったのである。こうした危機管理の中、事態を甘くみていたのと、残念ながら、首相としての世界観や国家観を持ち合わせていなかった。答弁能力不足により国会への出席を拒み続けている姿勢は滑稽にも覚えてくる。安倍の緊急リリーフとは言え、人を説明・納得・共感を覚えるような姿勢及び能力不足により終焉しただけであった。権力行使で世の中は回せると思い続け、人間としての人格・品性を磨いてこなかった哀れな首相であった。
5年前の9月9日「沢田研二コンサート」へ出かけた。パワフルで派手な活動の裏では反戦・脱原発に向けて自分自身の信念を貫いている姿勢にちょっと感銘を受けた。青春時代にタイムスリップした非日常生活に遭遇した楽しいひとときであった。還暦記念アルバム『Rock’n Roll March』に収録されている⇒【窮状(きゅうじょう)】(you tube) ⇒胸にジーンときて涙がこぼれてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=7qSXoq2ZZbw
地方の方言は面白く、そして味わいがある。作家の井上ひさしさんは中学生のとき、何度も転校している。わずか半年ほどの間に、山形県南部の村から八戸(青森県)へ、さらに一関(岩手県)、仙台(宮城県)と目まぐるしい。新しい土地の言葉をそのつど単語帳に書きとめたそうだ。例えば山形で「おどっつぁ」と呼んでいたのが八戸で「とっちゃ」となり、一関なら「おどっつぁん」、仙台では「とーちゃん」…といった具合である。菅総理も秋田の湯沢(秋の宮)出身であり、言葉の中に、多少、言葉訛りも聞こえてくる。本来、生真面目そうな性格ではあるが、都会横浜の中で、すっかりもまれ、言葉の節々には、東北人とは思えない強引な詭弁や圧力を感じる。地方出身なら、時々はお国の言葉でしゃべった方が親しみもわくのではないだろうか。今月でやっと安倍・菅政権も終焉を迎える。アベノミクスを展開し、国政選挙で勝利を重ねたこの政権は、国民への十分な説明を欠き、多くの腐敗を生んだ。自民党は次期総裁の下で再スタートするが、安倍・菅政治をどう清算するのか。最後の審判は総選挙での国民の判断に委ねられる。でも日本国民はすぐに忘れるから。。。 私は忘れないうちに、この2人の首相の功罪を総括の執筆を考えている。
海外旅行では必須となっているパスポート。それは人々の移動の自由を保障する一方で、個人の移動を制限する手段にもなる。仮にパスポートが発給されなければ出国もできない。自由という観点からすれば二面性のある証明書とも言える。新型コロナワクチンの接種が進んだ場合の出口戦略を巡り、政府の分科会は接種証明や検査の陰性証明があれば行動制限を緩和する「ワクチン・検査パッケージ」の活用を提言した。緩和対象は入院患者との面会や県境を越える旅行、大規模なイベントなどを想定しているという。分科会は接種証明書を「ワクチンパスポート」と呼ぶべきではないとも指摘した。接種証明がないと社会活動に参加できないように思われ、人々の分断につながる恐れがあるという。アレルギーなどで接種できない人にとってパスポートは確かに耳障りな言葉かもしれない。ワクチンだけでは感染拡大を防げないので、分科会は提示した緩和策を議論のたたき台にしてほしいと強調している。提言を踏まえ、菅政権は経済活動の再開に向けた工程表を作ると言うが、あまりに楽観的な道標ならば扱いに困る最後の置き土産となるので、科学的根拠に基づくきちんとした案を提示してほしい。
「もう選挙には立候補しない」――。横浜市長選で惨敗した小此木八郎前国家公安委員長が政界引退に追い込まれた。閣僚を辞してホンの2カ月。当初は圧勝と思われたのに、感染爆発・医療崩壊でいや応なくコロナ無策政権の矢面に立たされた。菅首相の全面支援は完全に裏目で、その“戦犯”からはメールで「ご苦労さま」のひと言。無常感すら漂うが、菅に関わって人生が暗転したのは小此木氏だけではない。
黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世
菅側近の菅原一秀前経産相や、河井克行元法相と案里夫妻はいずれも議員辞職。菅ブレーンで内閣官房参与だった高橋洋一、平田竹男の両氏も、前者はコロナ「さざ波」ツイート、後者はライザップからの“ゴチ”ゴルフレッスンで辞任した。
「首相肝いりのデジタル庁で初代事務方トップに内定していた米・マサチューセッツ工科大メディアラボ元所長の伊藤穰一氏も先週、起用が白紙に。少女への性的虐待などの罪で起訴された米資産家からの資金提供が問題視されていました」(霞が関関係者)
菅首相が「検事総長に」と固執した元東京高検検事長の黒川弘務氏は賭けマージャンで辞職。賭博罪で略式起訴された。総務相時代から菅が懐刀として目をかけてきた次官候補の谷脇康彦元総務審議官は、NTTからの高額接待で引責辞職。菅首相のお気に入りだった総務省出身の山田真貴子前内閣広報官は、東北新社勤務の菅首相長男からの接待が発覚した直後、体調不良を理由に辞職と“死屍累々”である。
むろん、失脚した面々は自業自得。全員、菅首相の威光をカサに着てふんぞり返っていた連中ばかり。菅首相の周囲には不幸の連鎖だけでなく傲慢さも伝播するようだ。そして誰もいなくなり、次に沈むのは、いよいよ“疫病神”の菅首相本人かもしれない。
「菅首相の選挙区の衆院神奈川2区(横浜市西区、南区、港南区)でも、市長選で勝利した野党系の山中竹春氏は小此木氏の得票を上回りました。得票率の差も3つの行政区でそれぞれ約7~11ポイント離され、投票率は西区50.69%、南区46.37%、港南区51.43%。南区以外は市全体の49.05%を超えました。従来は棄権していた多くの無党派層が『菅政権ノー』に雪崩を打った証しで、首相自身の次の選挙も決して安泰とは言えません」
夕焼けは四季を通じて見られるが、夏の季語でもある。夕暮れが長く、夏の空に壮大な美しさが際立っている。そして見る人の心を揺さぶる力がある。明日は好天だという吉兆とされ、明るい気持ちにしてくれる。稲も夕焼けにきらきらと輝いている。まるで日本の原風景を見るようである。お盆過ぎあたりから、雨が多く、夏の晴れ間も少ない。しかし、やっと残暑も厳しくなってきている。今後は晴天が多く、夕焼けに出合えるのはありがたい。今日も畑で、にっくき雑草(すべりひゆ)との戦いがまだまだ続く。体力的に時刻・時間を決めて作業をしているものの、結構疲れてくる。でも終わったひととき、シャワーを浴びて、うちわ片手に縁側で夕涼みをするのもいいもんである。夕焼けに照らされながら、暮色に包まれるまで夏の思い出とともに時間を過ごす。もちろん、傍らには冷えたビールにトマト・桃があればさらに絵になるが、350ml缶ビールで、すっかり酔ってしまい体力とともにアルコールもだいぶ弱くなったと感じる今日この頃である。
里山をのんびり歩けば、稲刈りの光景に出合う季節となった。ヒガンバナの咲くあぜ道と、涼やかな音をたてて流れる水路。空は高く澄んで、こうべを垂らした稲穂が時折、風に揺れる。今の時季はちょうど、日本の原風景に出会える季節でもある。米はうまさの極致、だから毎日食べられる。そう礼賛したのは美食家の北大路魯山人だったが、白米が何よりのごちそうである。新米にときめき、手にとった。きっとツヤよし、香りよし。心して炊くとするかと思いながら、早く新米を食べたい気持ちが募ってくる今日この頃である。
東京五輪がきょう23日に開幕する。振り返ると、まさかのトラブル続きだった。新国立競技場当初計画の白紙撤回に始まり、関係する要職では組織委の森喜朗会長らが退いた。何よりコロナ禍による1年延期は想像さえできなかった。加えてきのうは開会式の演出担当者が解任され、迷走が続く。未来は誰にも分からない◆東日本大震災からの復興アピールが目的の一つだった東京五輪。選手の全力プレーに力をもらい、世界から訪れる人たちと東北をはじめ日本各地で交流し、平和の大切さを実感する。東京五輪の目的と思うが、いつの間にか開催自体が目的になってしまった感は否めない◆それでもスポーツの力を思う。既に始まった競技にテレビの画面越しでも熱くなり、元気をもらう◆人はスポーツでも人生でも、逆境の時に振り絞る勇気で成長すると思う。きょうの苦しみ、悲しみがあすの出会いや誰かの支えで、大切な思い出に変わることもある。今をどう生きるかで過去も未来も変わるのだと思う◆開会式の関心事は最終聖火ランナー。1964年の前回東京五輪では原爆投下の45年8月6日に広島県で生まれた坂井義則さんだった。今回は誰だろう。聖火は見る人の心を震わせ、前に進む力を与えてくれる魔法のような火。今夜の開会式で無事にともされることを願うばかりだ。
清少納言が著した「枕草子」は平安時代の名著。季節の移ろいや風物を描く情趣豊かな文章は秀逸で「をかしの文学」といわれる。その冒頭、夏の魅力についてこう書いている▼「夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ蛍(ほたる)の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」。新月の闇夜にホタルがたくさん飛び交う光景がいい。1匹、2匹ほのかに光りながら飛んでいくのも趣がある▼電気の明かりのない時代、夏の夜を彩る光の乱舞は幻想的で、また静かに揺れる光の明滅にも魅了される。音ひとつしない夜のしじまに降る雨の響きも情緒があり、まさに「いとをかし」の境地だろう。清少納言が称賛した景色は、ズバリこの時季の日本列島である▼さて今は、七十二候の「腐草為蛍(ふそうほたるとなる)」を迎え、ホタルが飛び交う頃合いとなった。農薬や護岸改修などで一時激減したホタルも近年は復活してきた。しかし、新たな危機が迫っていると聞く。真夜中も明るい街灯や店舗照明など人工光害である▼ホタルの発光はもちろん求愛行動だが、成虫の寿命はわずか1~2週間と短い。“光の会話”を邪魔され相手を探し出せない個体が増えているとか。事態は切実らしい。「鳴く蝉(せみ)よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」のことわざ通り、ホタルは何も語らぬが…。
隣の芝生は青い」は古代ローマの詩の一節が由来で、他人のものは何でもよく見えることの例えである。わが国でも類似の表現として「他人の飯は白い」ということわざがある▼反対にドイツ語の「シャーデンフロイデ」は、他人の不幸を喜ぶ恥知らずのことを指す。日本語の「隣の貧乏鯛(たい)の味」と同じ意味である。どうやら人は古今東西、相手が自分より恵まれているか、あるいは不遇な状況にあるか、いつも誰かと見比べながら生きている▼こうした人間感情を、心理学用語で前者を「上方比較」、後者を「下方比較」と呼ぶそうだ。つまり劣等感と優越感、嫉妬(しっと)心と自尊心の葛藤。この心理こそ移民問題や人種差別の背景にあるという(「ランキング 私たちはなぜ順位が気になるのか?」日本評論社)▼移民大国・米国の歴史を見ると、アイルランド移民がその典型らしい。先行組のアングロサクソン系白人プロテスタントから抑圧され、仕事を確保しようとアフリカ系黒人を差別。さらに後発のイタリア移民を見下すことで、社会階層の相対的な上昇を図ったという▼昨年5月にミネソタ州で起きた黒人暴行死事件で、元白人警官に有罪の評決が下された。事件を発端に人種差別の抗議デモが広がり、それが追い風にもなった。上方および下方比較は人間の性(さが)とはいえ、米国の根深い差別を解消する貴重な一歩である。
憲政史上最長の政権となった安倍政権が終わろうとしている。
約5年半続いた小泉内閣の後、自民党は安倍、福田、麻生と1年前後しか持たない不安定な政権が3代続き、2009年には政権政党の座から転落した。しかし、2012年に捲土重来、安倍晋三総裁の下、政権の奪還に成功し、そこから7年と8ヶ月の長きにわたる安定政権を維持してきた。安倍政権前半はアベノミクスを前面に押し出すことで経済的な安定を確保した上で、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を可能にする安保法制、共謀罪など、歴代政権がたびたび挑戦しては挫折してきた大きな政策課題に積極的に取り組み、足並みの揃わない野党にも助けられ、これをことごとくクリアしてきた。特に上記の3つはいずれもアメリカの意向を強く反映したものだった。
その一方で、政権の後半はこれといった成果もあげられず、次々と噴出するスキャンダルで立ち往生する場面が多かった。政権としては憲法改正という大きな課題を前面に押し出すことで、なんとか推進力を得ようと務めたが、相次ぐ閣僚の失言や不祥事、辞任や、統計偽装、森友・加計学園問題や桜を見る会、検察官の定年延長問題など、常に政権の足下がぐらついている状態が続いた。
そうした中で、日本が新型コロナウイルス感染症に見舞われると、PCR検査の「目詰まり」やアベノマスク、星野源の「うちで踊ろう」ビデオ、利権丸出しのゴートゥー・トラベルなど、安倍政権は多くの国民の嘲笑を誘うような稚拙な施策ばかりを打ち出す結果となり、最後は健康問題から辞任に追い込まれるという、「歴代最長政権」と呼ぶにはあまりにお粗末な最後を迎えることとなった。
しかし、日本が25年に及ぶ政治や行政の制度改革を通じていわゆる「官邸主導」体制の構築を進めた結果、常にお家騒動が絶えなかった野党の体たらくに助けられ、安倍政権は7年余にわたり「一強」状態を享受することができた。そして、その絶大な権限を使い、安倍政権はこれまで日本の政治で不文律とされてきた様々な政治文化をことごとく破壊してしまった。
また、安倍政権の下では、政治とメディアの関係も大きく変質した。元々、新聞、テレビ、通信者など記者クラブに所属する既存メディアは政府から多くの特権を与えられ、それを当然のように享受してきたが、過去の政権はさすがにそれを人質に取ることで、メディアを政権の宣伝や延命に利用することまではしてこなかった。しかし、政権交代を経験し、権力の維持のためにできることは何でもするのが当たり前となった安倍政権の下では、それはデフォルトになった。
比較政治や政治思想が専門の中野晃一上智大学教授は、安倍首相の後継と目される菅義偉官房長官が、安倍政治の継承を掲げていることを指摘した上で、安倍政権下で醸成された、いわば「何でもあり」の政治文化は今後も引き継がれていくことになるだろうと指摘する。安倍首相の辞任で「安倍内閣」は終わるが、安倍政権はこれからも続くと中野氏は語る。つまり、菅内閣は安倍政権の菅内閣という位置づけになるだろうというのが、中野氏の見立てだ。
安倍政権とは何だったのか。なぜ安倍政権は歴代最長の長期政権を維持することができたのか。安倍政権の下で日本の政治はどう変質したのか。もはや自民党はかつての自民党とはまったく別物の政党になってしまったのか。シリーズでお送りする『安倍政権の検証』、第1回目は中野晃一氏とともに、安倍政権の政策や政治スタイルを検証した上で、それが日本の政治文化や社会に与えた影響を議論した。
1998年に伊藤忠商事の社長に就任した丹羽宇一郎さんは自らの任期を6年にすると公言した。会社は巨額の不良債権を抱え、その処理が懸案だった▼なぜ6年か。経営再建にはそれくらいの期間が必要であり、自分の情熱が続くのもそれぐらいだと判断したから-と著書に記す(「社長って何だ!」)。就任翌年に不良債権の一括処理に踏み切り、発言通り6年後に退任した▼トップが自分の任務を的確に認識し、集中力を持続させていくことの重要さを物語る。7年8カ月も政権の座にあり、先月28日に辞任表明した安倍晋三首相は政治の課題を把握し、集中力を保てていたのだろうか▼体調不良とはいえ、コロナ禍では対応が遅れ、国民に説明する姿勢に欠けていたように見える。そもそも首相就任4年を過ぎたころから森友・加計問題などが次々に表面化し、国会答弁にも余裕を失っていた。近年は政権維持が目的化していた感もある▼権力の甘い味を一度経験すると、「今、辞めてもらっては困る」とのお世辞を本気にしてその座にしがみつく-。丹羽さんは任期を公言した理由をこう語る。トップは引き際も難しいということだろう▼権力の魔力に屈せず、やるべき課題に全力で取り組めるか。安倍氏後継を狙う人々は、そんな能力も問われている。
「検察庁法では検事総長を除く検察官の定年を63歳、総長を65歳と規定していますが、現在の稲田伸夫総長は1956年8月生まれのため、最長で来年8月まで今のポストにいられる計算になります。ただ、総長在任は2年間が相場のため、この夏までです。検察内部で従前から稲田総長の後任と目されてきた林真琴・名古屋高検検事長は1957年7月生まれなので、63歳を迎えようとするこの夏までのタイミングで“禅譲”が行われるはずだったのです。 しかし、安倍政権が政権ベッタリの黒川氏を総長に据えようと、稲田総長に退任をいくら迫っても総長がどうしても首を縦に振らなかったことから、黒川氏が63歳の定年を迎える2月8日を前に、定年延長制に基づき定年延長を決めたというわけです。しかし、検察官は定年延長制の対象外とした1981年の政府見解があると指摘されると、安倍政権は法解釈を変更したと強弁。変更の経緯が文書で残っていないと追及されると、口頭で決裁したと釈明し、ついには脱法措置を正当化させるかのように定年延長制度を盛り込んだ検察庁法改正案を国会に提出したのです」 結局、安倍総理は5月18日、自民党の二階幹事長と会談し、改正案の今国会での可決・成立を事実上見送る方針で一致した。「週刊文春」が黒川氏の緊急事態宣言下での賭けマージャンについて同17日に黒川氏を直撃したことに加え、俳優の西田敏行さんや歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんら著名人を含めインターネット上に批判の声があふれたことが大きかった。それでなくとも「アベノマスク」など新型コロナウイルスへのまずい対応で支持率が落ちていることに危機感を強めていた。そして、「週刊文春」がスクープ速報で同20日、賭けマージャンを報じたことで、黒川氏は辞任の意志を固め、同21日に辞表を提出したという顛末だ。「花の35期」本来のエースは若くして病に……「『花の35期』と呼ばれた司法修習35期の黒川、林の両氏について、当初から2人が検事総長の有力候補としてシノギを削っていたといった報道が一部でありますが、それは事実ではありません。確かに35期にはほかにも、東京地検特捜部長を務めた佐久間達哉弁護士、特捜部の副部長を務め、一時は代議士も務めた若狭勝弁護士、特捜部経験がありテレビのコメンテーターなどもしている郷原信郎弁護士らタレントぞろいです。ですが、当初同期のトップと目されていた人物はほかにいました。 ただ、若くして病になり、その後、35期は法務官僚畑の『赤レンガ派』は林氏、特捜部畑の『捜査現場派』は佐久間氏と言われるようになりました。黒川氏も若い頃は特捜部で四大証券利益供与事件などの捜査に関わりましたが、ぱっとはせず、法務官僚畑の道を進むことになりました。林氏が稲田氏の後任として法務省の人事を差配する人事課長に就任した2008年1月の異動で、黒川氏は秘書課長から官房審議官に就任しています。『すでに検事総長コースに乗っていた稲田氏の後継者は林氏』という規定路線はこの時点で鮮明となっており、黒川さんが後塵を拝している印象は拭えませんでした。「黒川氏は陰で『猛獣使い』などと呼ばれていた」 ただ、この頃から黒川氏の“特異”な感性が発揮されるようになってゆきました。政治家の扱いがとてもうまいのです。法務大臣の秘書業務を担う秘書課長としては、第1次安倍内閣改造内閣で鳩山邦夫法相に、次の福田内閣でも鳩山法相に仕えました。鳩山氏は法務省が死刑執行を公表するようになって以降、当時最多となる13人の死刑執行を法相として命令してますが、その執行に先鞭をつけたのが黒川氏です。鳩山氏は法相時代に『友人の友人がアルカイダ』と問題発言をしていたため、黒川氏は陰で『猛獣使い』などと呼ばれていたのです。そのことは自民党政権内部でもよく知られていたはずです」(同前) ただ、黒川氏の本領が発揮され始めたのは、民主党政権下だったと言われている。別の法務・検察関係者が解説する。「政務を担う官房審議官として黒川氏は、言葉は悪いですが千葉景子法相を完全に“手なずける”ことに成功したのです。黒川氏は千葉法相の歓心を買うべく努め、厚い信頼を得ました。その証左が、アムネスティ議員連盟の事務局長を務めるなど人権派の弁護士として知られた千葉法相が、2人の死刑執行の命令書にサインをしたという事実です。また、黒川氏は2010年8月に松山地検検事正へ転出しましたが、なんと2カ月後の10月に法務省官房付として本省に戻されています。これは実は、大阪地検特捜部による証拠改竄事件に絡んで設置された検察の在り方検討会議の座長に、法相を退任したばかりの千葉氏が指名されたことを受けて、検討会議の事務局は黒川氏に任せたいと千葉氏たっての希望があったからなのです。ようするに黒川氏は、類い希なる『政治家たらし』なのです。それが現在の安倍政権内でも、いかんなく発揮されてきたということなのです」「週刊文春」の2016年1月28日号がスクープした、当時の甘利明経済再生担当相と公設秘書が建設業者から口利きの見返りに現金を受け取りながら政治資金収支報告書に記載していなかった問題では、甘利氏の大臣辞任後にあっせん利得処罰法違反容疑で2人は東京地検特捜部に刑事告発されたが、不起訴となるなど、黒川氏の“暗躍”が噂された「政治とカネ」の疑惑も少なくない。林氏の前に割り込ませる形で黒川氏を次官に「あっせん利得処罰法はもともと適用しづらい法体系になっているので、暗躍はあくまでも噂でしょう。ただ、安倍官邸が2016年に林氏の前に割り込ませる形で黒川氏を事務次官に据え、さらに黒川氏を次官に留任させるために林氏を名古屋高検検事長に追いやったのは、政治家案件で行われる検察首脳会議に出席できる事務次官に黒川氏を留まらせ、森友学園と加計学園をめぐる問題で重しとなることを期待したからだと思います。捜査を止めることはできませんが、次官ポストに安倍官邸の“代理人”がいることで現場にはプレッシャーとなるうえに、官邸側としても黒川氏を通じて検察側の思惑を知ることができるからです。黒川氏はその役割を十分に果たしたのです」(同前) 検察ナンバー2のポストは安倍政権が最も窮地に立たされたモリカケ問題を無事乗り切ることができたことへの論功行賞というわけだ。だが、安倍政権に新たな疑惑が発覚する。桜を見る会の問題だ。そしてこの問題は昨年末の国会閉会段階でも収束せず、越年となったことで、今年2月8日に黒川氏を定年退官させるわけにはいかなくなってしまったというわけである。
反対世論の急速な高まりや検事総長経験者をはじめとした検察OBの反発に政権側が抗しきれなかった形だが、法案の内容そのものが元々無理筋だったということだ。 政府、与党は批判をしのぐための先送りで国民の目をごまかすのではなく、改正案の内容を根底から再考すべきだ。 検察官の定年を延長する自民党の二階俊博幹事長との会談で、国民の理解なしに前に進めることはできないと確認した。 改正案は、現行63歳の検察官の定年を検察トップの検事総長と同じ65歳とする。 検事長らに63歳で役職を降りる「役職定年制」を導入する一方、内閣や法相が認めれば最長66歳まで定年を延長できる特例規定を盛った。検事総長は最長68歳まで留任できる。 問題視されたのは、時の政権の都合で検察首脳らの定年延長が可能になるこの特例だ。野党は、政権が恣意(しい)的に運用すれば「検察官の中立性を損なう」と主張してきた。 政府は1月末、黒川弘務東京高検検事長の定年を延長する異例の閣議決定をし、政権に近いとされる黒川氏を次期検事総長に充てるためと疑念を呼んだ。 野党は改正案を巡り、黒川氏の定年延長の「後付け」などと厳しく批判している。 一連の動きを通して際立ったのは、国民の懸念を置き去りにし、自己都合優先で事を進めようとする政権の姿勢だ。 黒川氏の定年延長を巡る森雅子法相の国会答弁は迷走を重ねた。森法相は先週の衆院内閣委員会でも、改正案の特例が想定される要件を「現時点で具体的に全て示すのは困難」とし、明示できなかった。 森法相の答弁に先立ち、安倍首相は国会で「恣意的な人事が行われるといった懸念は全く当たらない」と述べていたが、要件が定まっていない中で、なぜそう約束できるのか。 検察庁法改正案を国家公務員法改正案との「束ね法案」としたことや、法案審議で森法相の出席を渋ったことを含めて、政府、与党に誠実さはうかがえなかった。 松尾邦弘元検事総長らロッキード事件捜査に従事した検察OBらは先週、改正案反対の意見書を法務省に提出した。 18日には、元東京地検特捜部長らリクルート事件やゼネコン汚職などの政界捜査に携わった検察OBが改正案の再考を求める意見書を提出した。 検察は、厳正な独立性や中立性を基盤とした国民の信頼を背景に権力者の追及に当たってきた。OBの異例の行動は、改正案の危うさを如実に物語る。 新型コロナウイルス禍で国民が疲弊する中で、不要不急な法案成立を目指す。世論はこうした独善的な政権運営にも厳しい目を向けている。 安倍首相は自らの足元を真摯(しんし)に見つめ、感染症対策に全力を尽くさなければならない。検察と政治のあるべき距離感が分かっていない「そもそも、検察権力と政治権力のあるべき距離感が分かっていないという点で、安倍政権は民主党政権とよく似ています。検察人事に手を突っ込み、検察庁法まで改正しようとした安倍政権は、法相が検事総長に捜査の是非について指示することができると検察庁法で規定している『指揮権』の発動は、聖域ではなく、発動すべきものだと主張した民主党政権と変わりません。 歴史上唯一、法相に指揮権を発動させて逮捕を免れた佐藤栄作を大叔父に持つ安倍総理が検察権力を恐れ、コントロールしたがるのは、民主党政権の実力者だった小沢一郎氏が田中角栄と金丸信という2人の『オヤジ』を検察によって逮捕され、自身も陸山会事件で窮地に立たされたことから、検察を目の敵にしていたことと重なります。安倍総理は民主党政権を悪夢と評していますが、実は似たもの同士なのです」(同前)ロッキード事件で逮捕された田中角栄でさえ…… 東京地検特捜部でロッキード事件を手掛けた吉永祐介氏は検事総長時代の1995年7月、次期総長と目されていた根來泰周・東京高検検事長(当時)が政界に近すぎることを嫌い、総長ポストを譲らずに根來氏を63歳で定年退官させている。この定年年齢の“ラグ”は、このように検察権力と政治権力の距離感を維持することにも寄与してきた歴史的背景もあるのだ。「ロッキード事件で逮捕された田中角栄さんは、逮捕後も『今太閤』などと呼ばれ、キングメーカーとして政権の中枢で影響力を発揮していました。検察を恐れた角栄さんは田中派の政治家や『隠れ田中派』と呼ばれた自分の息がかかった他派閥の政治家を歴代法相に据えて、検察を牽制していましたが、それ以上のことは一切しませんでした。検察権力と政治権力のあるべき距離感を熟知していたからです。そういった意味でも安倍政権は未成熟で幼稚だと言えるのではないでしょうか」(同前) 検察とは「治安の両輪の関係にある」と言われる警察の最高幹部に以前、黒川氏の人物評を聞いてみたことがあるが、「能吏だと思うが、彼には正義がない」と言っていたのを思い出す。黒川問題の本質とは、正義を体現すべき検察官としての自覚に乏しく、犯罪である賭けマージャンに興じる奇異な官僚と、未熟な政権が組み合わさったことで起きた悲喜劇だったということではなかろうか
検察庁法改正案について、安倍晋三首相は18日、今国会での成立を断念した。政府、与党は批判をしのぐための先送りで国民の目をごまかすのではなく、改正案の内容を根底から再考すべきだと改めて感じる。政府は1月末、黒川弘務東京高検検事長の定年を延長する異例の閣議決定をし、政権に近いとされる黒川氏を次期検事総長に充てるためと疑念を呼んだ。野党は改正案を巡り、黒川氏の定年延長の「後付け」などと厳しく批判している。一連の動きを通して際立ったのは、国民の懸念を置き去りにし、自己都合優先で事を進めようとする政権の姿勢だ。黒川氏の定年延長を巡る森雅子法相の国会答弁の迷走や幼稚な言い訳が際立っている。森法相は先週の衆院内閣委員会でも、改正案の特例が想定される要件を「現時点で具体的に全て示すのは困難」とし、具体的に明示もできない。そして「束ね法案」としたことや、法案審議で森法相の出席を渋ったことを含めて、政府、与党に不誠実きわまりない。検察OBの異例の行動は、改正案の危うさを如実に物語っている。新型コロナウイルス禍で国民が疲弊する中で、不要不急な法案成立を目指す独善的な政権運営にも厳しい目を向けている。安倍首相は実行が伴わない形容詞(しったりと、ちゅうちょなく)の言葉ばかりでなく、自らの足元を真摯に見つめ、まずは感染症対策に全力を尽くしてほしい。
世界の市場経済のグローバル化・移動自由化を追い掛けるように拡散した新型コロナウイルス感染症。マスクをはじめとする医療物資の調達競争に続き、食料を自国で囲い込もうとする動きも出てきている。日本では江戸時代、飢饉になると諸藩はコメが他領に流出しないよう番所での監視を強める「穀留(こくどめ)」を行ったとの記録があった。領内の被害を減らす自衛策だが、結果としてコメの広域的な流通が滞り、窮状拡大の一因になったとの報告もある。農林水産省によると農産物や食品の輸出を規制している国は13カ国に上る。例えばロシアは小麦の輸出に上限を設け、カンボジアはコメや魚、タイは鶏卵の輸出を禁止している。この事態を受け、G20の農相臨時会合は22日、世界には十分な食料供給能力があるとし、不当な輸出規制を行わないよう呼び掛ける共同声明を採択した。日本の2018年度の食料自給率はカロリーベースで37%、生産額ベースで66%。非常事態を想定すると心もとない数字だ。農業を巡る環境は担い手の減少と高齢化、耕作放棄地増加などの課題を抱えている。コロナ禍の今こそ農業と食の在り方を考え、自給率向上に向けて策を練る必要があると思う。今、多少なりとも自給生活を営んでいて食の大切さを痛切に感じている。募集
あごが丸出しで、鼻のまわりに隙間も見える。安倍晋三首相が着けているマスクはいかにも小さい。それと同じものなのだろうか。政府が全国5千万世帯に2枚ずつ支給するという布マスクの配達が始まった▼不織布のマスクに比べてフィルター機能が弱く、新型コロナウイルス感染を防ぐ効果は薄いといわれる。世論調査でも7割以上が「評価しない」とするが、政府は466億円をつぎ込んだ▼感染防止の手本となるべき首相が防御機能の劣るマスクを着用し続けているなら、封じ込めへの本気さも疑わしい。全世帯配布としたため、布マスクにこだわっているかにみえる▼首相のこだわりは国民の感覚とのずれを生んでいる。緊急事態宣言を受けて東京都が出そうとした休業要請の対象業種に注文を付けて決定を遅らせ、自宅でくつろぐ自らの動画を投稿して「外出自粛による痛みを理解していない」と批判された▼当初の経済対策に盛り込まれ、取り下げられた減収世帯限定の30万円給付は「共働き世帯への考慮がない」などと不評で国民の生活実感と乖離(かいり)していたことが露呈した▼中途半端な対策は、国民に向き合う姿勢の乏しさを丸出しにし、政策立案に隙があることを浮き彫りにした。感覚のずれがさらに広がれば、小さなマスクでは隠しきれまい。
アメリカの株式市場が1週間で12%以上も下落するなど、リーマンショックを超える株価暴落が世界経済を揺るがしている。中国・武漢から始まった新型コロナウイルスの感染拡大は、いよいよパンデミック(世界的な感染爆発)にまで拡大しようとしている。【データビジュアル】新型コロナウイルス 国内の感染状況 そんな中で、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の対応に失敗した日本は、今や「感染国」に認定され、日本からの渡航を拒否したり、制限したりする国も現れてきた。クルーズ船での感染拡大阻止に失敗したばかりか、検査で陰性になった乗客について公共交通機関を使って帰宅させたことなどに世界中から非難の声が集まっている。 そんな中で、安倍政権は危機管理がないと批判され支持率が急落すると、今度は一転して全国の小中高校を春休みまで休校するように求めるなど、突然の政治判断が下された。 これについては、場当たり的な政策ではないかと国会でも追及されている。今回の全国的な休校措置要請は、安倍首相の独断的な政治判断と言われており、感染症の専門家に相談してその効果を検証したプロセスが確認されていない。 総理大臣の個人的な政治判断だけで、国民全体の生活や未来を決められてしまう。これでは健全な民主主義国家とはとても言いがたい。「責任はすべて私がとる」というのが安倍首相の口癖だが、これまで責任を取った形跡は見られない。 不思議なのは、独断的な政治判断を繰り返す首相を取り巻く閣僚や自民党の存在だ。組織運営と言う点で、現在の安倍内閣や自民党を見た場合、本当に健全な組織運営がなされているのか。 消費税引き上げで景気の悪化が叫ばれている中で起きた今回の感染拡大だが、このままでは日本国民の将来を脅かしかねない。安倍政権は、これまでキチンとリスクマネジメントをやって来たのか。危機管理という観点から検証してみたい。■リスクを洗い出して現実化したときにどうするか 企業のリスクマネジメントと国家のそれとでは、例えば国家には「公共の福祉」「国益」そして「国防」といった特殊な分野があるため、その考え方は根本的に違うのかもしれない。しかし、例えば「コンプライアンス(法令順守)」や「情報公開」「誠実な対応」といった分野では共通のものがある。 もともと、リスクマネジメントというのは、危機を予防するために日常的に行われるものであり、想定されるあらゆるリスクを洗い出し、そのリスクが現実のものになったときにどうすればいいのかを考える。簡単に言えば、日常的な危機の予防措置だ。このリスクマネジメントがきちんとできていて初めて危機管理ができる。今回の新型コロナウイルスの感染拡大でわかったことは、安倍政権がリスクマネジメントを怠ってきた可能性が高いということだ。リスクマネジメントは、政府の最も重要な仕事の1つだ。 国民を感染症から守るといった危機管理は、企業の危機管理と原則的に同じと考えていいだろう。ここ数年、企業の不祥事が数多く重なったが、そのときの対応のよし悪しで、企業イメージが大きく変化してしまうことは、われわれもよく知るところだ。同様に、危機管理のなさは政権のイメージを著しく傷つけ、国民に失望感を与える。 例えば、企業でも記者会見の対応のまずさがあると「炎上」のきっかけとなるケースがよくある。最近では、大学アメフト部の不祥事や大手芸能プロダクション社長の記者会見などは、まさに大学や企業のイメージを大きく毀損してしまった。■危機管理に必要な3条件 ちなみに、企業の危機管理では次の3つが要求されると言われる。1. コンプライアンス(法令順守)の徹底2. 正確で迅速な情報公開3. 誠意ある真摯な対応 例えば、ある外食産業が転売した食材をリサイクル業者が勝手に不正転売した事件では、不正転売の事件をすぐに警察に通報し、その会社に直接の責任はなかったのだが、素早く対応してメディアに正確で迅速な情報を流し、不正転売された食品を食べないようにとアナウンスした事件があった。 このスピーディーな対応は「神対応」と言われて高く評価されたが、そのときにポイントになったのは、リスクに対して「誰をどういうリスクから守ればいいのか」が明確に認識されていたことだと言われる。 そのためには、やはりキチンと普段からリスクマネジメントを通して「被害者は誰なのか」を明確にしておく必要がある。 現在の政府やそれを支える与党にこの認識があるかどうかを問いたいところだが、古今東西、政治家には難しい質問なのかもしれない。いずれにしても、今回の感染症対策では、明らかに安倍政権の“危機管理”のなさが際立っている例えば、今回の新型コロナウイルスの感染拡大で、国民が最も不信に思っているのは、なぜ日本は中国や韓国のようにスピーディーなPCR検査ができないのか、という点だろう。真偽のほどは定かではないものの、感染者数を小さく見せるために政府が恣意的に検査を妨害しているのではという疑念を抱かせている。 そもそも今回の、新型コロナウイルスに関する安倍政権の対応では4つの大きな誤りがあった。簡単に紹介すると―― ① リーダー不在 クルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号での対応でもわかるように、現在の政権は危機管理のなさが際立っている。その背景には、行政の長である安倍晋三首相のリーダーシップのなさと危機感のなさがある。 国会での対応や記者会見などを見ていても、首相の口癖である「私の責任で」「私がリーダーシップを取って」といった発言とは異なり、感染症対策専門家会議に出てもわずか10分足らず出席して「やってる感」を演出しているにすぎない。メディア用のポーズをとって、その後2~3時間ものパーティーに出ていた経緯がある。 そもそも専門家会議を開催したのは、支持率が急落した2月16日になってからだ。中国で武漢が事実上閉鎖されたのは1月23日。中国での感染症拡大が表面化してから1カ月以上も経過してからだ。 クルーズ船のような密室に3700人もの人員を隔離した決定プロセスの説明がなかったし、最終的に誰がその判断を下したのかも見えてこない。 さらに、540人もの感染者が出てきた段階で、陰性かどうかのPCR検査を1回だけ実施して、乗員、乗客を開放。しかも公共の交通機関を使わせて自宅に帰すなど、危機管理意識が低すぎると言われても仕方がないだろう。 外国メディアが批判するように、日本は想定外の異常事態が起きても「普段と同じ対応を取りたがる」傾向が強い。これは、強力なリーダーシップを発揮できる人材がいないからだ。日本の「画一的な教育制度」の弊害であり、「出る杭は打つ」ことを許す社会的な認識が関係していると言える。■北海道は2月25日時点で940人の感染者がいた? ②問題や被害を矮小化しようとする? 安倍政権の体質と言っていいかもしれないが、政権にとって都合の悪いことは過少に、都合のいいものは過大に見せようとする傾向がある。新型コロナウイルスの患者数も過少に見せようとする傾向がある。例えば、すでに北海道では2月25日の段階で940人のキャリア(感染者)がいると推定されていると、政府の専門家会議のメンバーがコメントしている。1000人近い感染者がいると推測されながらも、政府はまだ感染者数を少なく見せようとしているのか。それは東京五輪を予定どおり開きたいからなのかと邪推してしまう。 一方の中国は、2月29日に発表した2月のPMI(製造業購買担当者景気指数)で、35.7という衝撃の数字を発表しており、以前なら考えられないような数字を堂々と発表してきている。より正確な数字を提示することが、最終的にはベストな選択であり、国民および世界に中国経済の現状を正確に伝えようとしている。これも危機管理の姿勢としては極めて大切と言っていい。 正確な数字を可能な限り迅速に把握する。そのうえで正しい情報を世界に発信する。それが本来の優れた政権の姿勢と言っていいだろう。 ③隠ぺい、恫喝……、報道管制があるのかも さらにひどいのは、外部からさまざまな指摘を受けても政府は自らの非を認めないことだ。菅義偉官房長官や加藤勝信厚生労働大臣の言い訳は、多数派を握る国会や従順な記者クラブでは通用しても、国際社会では通用しない。 しかも感染症対策のような、はっきりと数字になって現れてくる事態ではごまかしようがない。 神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授が体を張って内部告発をすれば、寄ってたかって圧力をかける。自民党の医療族の重鎮が、専門家でもないのに「ああいう形で告発するのはけしからん」と恫喝する。 さらに、首相の記者会見ではあらかじめ用意された原稿を読んで、あらかじめ用意された質問者の質問に対してさっさと終わらせる。あのアメリカのトランプ大統領でさえ、用意されていない質問に延々と答えるシーンをよく見かける。文字どおり、日本にはすでに事実上の「報道管制」が敷かれているのかもしれない。安倍政権は、大手芸能事務所に対しても“特別な配慮”をしてきたが、こうした一連の流れは大手広告代理店などの助言を得て進めてきたものだろう。
問題は、世界的なパンデミックのような緊急事態にはまったく役に立たないということだ。
■問題は日本経済の行方
今後の感染爆発の状況次第だが、緊張感をもって世界はリスクに対峙しなければならない。しかし、現在の安倍政権にはその緊張感が薄いようにしか見えない。緊急事態宣言などを織り込んだ特別措置法を制定し、そこからさまざまな対応をしていくというのんきなスケジュールを提示している。
いずれにしても、新型コロナウイルスはいつか収束し、世間は落ち着くことになるのかもしれないが、問題は日本経済の行方である。ただでさえ消費税増税で疲弊した経済に対して、唯一の望みであった東京五輪=観光立国というシナリオが崩壊しつつある現在、日本経済は持つのかという懸念が日々高まっている。
ほとんどの業界で大きなダメージが予想されており、企業の資金繰りなどを考えると6月以降あたりから、企業倒産件数がすさまじい勢いで上昇するかもしれない。リーマンショックや東日本大震災に匹敵する、もしくはそれを上回るダメージを日本経済に与える可能性がある。
古今東西、国家が行き詰まるとすれば、それは愚かな為政者(政府)による自滅である場合が多い。
“クソ側近”のあまりにも軽率すぎる言動に日本国民の怒りは収まらない! 新型コロナウイルスによる肺炎拡大防止のため、政府が大規模なイベントの自粛を要請した26日当日、秋葉賢也首相補佐官、小野寺五典元防衛相がパーティーを開いていたことが発覚。これにはライブなどのイベントを開催できず、倒産・破産の危機に立たされている芸能関係者からも猛批判が起きている。また、小野寺氏のパーティーでは国民が手に入れられないで困っているマスクが“大量配布”されていたというのだ。
小中高校の全国一斉休校要請など、方針を急転換させた政府に日本中が振り回されている。
安倍晋三首相が大規模イベントの自粛を要請したのは26日。「Perfume」の東京ドーム公演、「EXILE」の京セラドーム大阪公演が当日直前になって中止になるなど、芸能界も大混乱だ。
それでも政府の「これ以上、感染を拡大させない」という強い意思に共鳴して、莫大な損害を被ることになりながらも、泣く泣く中止や延期を決めたのだが…あきれることに秋葉補佐官は当日夜に、地元の仙台市内で出版記念パーティーを開いていた。しかも政府の専門家会議が、集団感染が起きやすい例として挙げていた立食パーティー形式だった。
当然批判が集まり、安倍首相は28日の衆院予算委員会で苦言を呈した。ただ、更迭に関しては否定した。
政府の要請により、中止に追い込まれた某イベント関係者は「われわれには自粛要請という名の下、事実上の中止や延期“命令”を出しているにもかかわらず、側近が出版記念という名の政治資金パーティーを開くなんて許せない! 芸能界ではイベントの中止や延期により、倒産の危機と背中合わせなのに、政治家がそれを守らないとは、やるせない気持ちでいっぱい」と憤慨している。
バンド「RADWIMPS」のボーカル、野田洋次郎はツイッターで“自粛倒産”の可能性を指摘しつつ「自粛や休校の“要請”を出し続けるだけではなく国は具体的な対策をもう少し出すべきではと思う」などと提言した。
怒りを買っている秋葉氏は「パーティーの中止は難しかった。例年よりも規模を半分に縮小するなど、補佐官の立場だからこそ慎重に判断した」と釈明しつつ「同じ地元の小野寺五典衆院議員が感染者の出ている東京でやっている」と小野寺氏の名を挙げて“暴露”し、道連れにした。
その小野寺氏のパーティーをめぐっては、マスクの“大量配布”が波紋を呼んでいる。
同氏は26日、都内のホテルでパーティーを開催。出席者同士が対面しないよう立食形式からテーブルとイスを横に並べたセミナー形式へ、食事はビュッフェから弁当へと切り替えたが、出席者の一人によれば「テーブルの各席に弁当が用意され、その上にマスクが添えられていた。数百人分はあった」という。首都圏を中心に品薄状態が続くマスクをどうやって大量備蓄できたのか――。
小野寺氏の国会事務所は本紙の取材に、マスクは各席に300枚置いたと説明しつつ、同氏のモノではないと回答。「事務所スタッフに重度の花粉症の者がいる。昨年、“段ボール買い”したそうだ」と答えた。事務所スタッフが昨年の段階で数百枚単位で備蓄していた私物のマスクを出席者に提供したという。
マスクは需要に生産が追い付かず、プレミアムが付いている。そのため、小野寺氏のパーティーで提供されたマスクは「閉会後、1人で5、6枚こっそりくすねて持ち帰った人もいた」(前出出席者)という。この切実な現状が政府には分からないのか。
首相の右腕である麻生太郎財務相は28日の閣議後記者会見で、臨時休校要請に関する対応を質問した記者に対して「つまんないこと聞くねえ」と発言。「働く母親などがいる家庭では(勤務先の)企業活動にも影響がでる可能性があるのではないか」などと質問した記者とのやりとりが終わった後、小声でつぶやいた。さらに質問をした記者に対し「上(司)から(質問をするよう)言われてるわけ。かわいそうだね」とも発言した。
政府の超絶ノーテンキな姿勢に国民の怒りは爆発寸前だ。
自らの利益のみを追求するのではなく買い手と世間の幸せも共に願う「三方よし」は近江商人の心得として知られる。企業の社会的責任が重視される現代においても通じる理念であり、経営の根幹に据える会社は多い。 ▼▽本県をはじめ全国各地の商業発展に貢献した近江商人は、織田信長が安土城下に敷いた「楽市楽座」などの経済政策で繁栄の基礎を築いたとされる。新興商人にも営業の自由が与えられたことが大きかった。買い手に喜ばれる商売の在り方などでも切磋琢磨(せっさたくま)したに違いない。 ▼▽楽市楽座に因(ちな)んで命名された国内最大のインターネット通販サイト「楽天市場」が送料無料化で揺れている。負担を強いられる出店者側は反発し、公正取引委員会も優越的地位の乱用を禁じる独禁法違反の疑いがあるとするが、楽天の三木谷浩史会長兼社長は断行の構えだ。 ▼▽ネット通販は市民生活に根付き、商業の形も変えた。売り手、買い手、サイト運営者、配送業者で成り立つ関係性である。消費者の利便性が高まる一方で配送業者の負担増といった課題も派生している。しわ寄せがどこにも及ばない「五方よし」の解は望むべくもないのか。
1990年代初頭のバブル崩壊で、日本は長い不況のトンネルに突入した。2008年のリーマンショックが追い打ちをかけ、経済の回復は思うに任せず「失われた20年」と呼ばれた▼この間、企業の採用中止や給与カットが相次ぎ、若者たちの貧困が大きな社会問題となった。94年の新語・流行語大賞で「就職氷河期」が審査員特選造語賞。06年になると「格差社会」「下層社会」「勝ち組・負け組・待ち組」といった言葉が名を連ね話題になった▼こうした状況下、「ビンボーハッピー」という風変わりな言葉が登場した。命名したのはパソコン誌「月刊アスキー」の元編集長、遠藤諭さん。モノを買わない、クルマはいらない、酒は飲まない、デートもしない…。欲しがらない若者たちのトレンドに目を向けた▼彼らはモノがなくても不幸ではなく、意外に幸せだという。生まれついてのインターネット世代。スマートフォンやネットを介したソーシャルメディア、無料コンテンツやファストファッションなどがあれば不自由はない。友達もできるし楽しい生活も送れるからだ▼日銀の12月短観も、財務省などの10~12月期景気予測も、ともに悪化した。消費税増税で個人消費に陰りが見え、中国の経済減速も影響しているらしい。年の瀬に向けて不安な状況。若者たちの「ビンボーハッピー」の知恵を少しは参考にしたい。
小春日和の中、ペタン、ペタン。一升枡の中に入れたつきたての餅。それを男の子が食べる。あるいは食べるまねをする。「一生のうちに城持ちになれますように」。そんな語呂合わせからきたまじないである。家族が見守る前で、小さな男の子が顔を赤らめながら餅を食べる。味わいのある田舎の風景だった。もち米を蒸し上げるせいろ。もくもくと湯気が上がる。杵を振り上げ、つきおろすのは男の役目。杵を上げている間に、すばやく水をつけ餅をかえす。かえし手の多くは女であった。つき手との呼吸がぴったり合って餅ができあがる。面倒な餅つきよりスーパーに買い物に行くほうが、手軽に年末を楽しめる。だが、年の瀬らしい思い出を子どもと残したいと思う気持ちで今年もついている。里山のお正月。こうした餅つきの風景が孫の代そして先へと続いていくことを期待している。
桜前夜パーティ、安倍首相の怪しい説明
来年の「桜を見る会」は、あっさり中止となった。安倍首相の判断だという。もともと外国の要人や国内の功労者をもてなすのが目的だった吉田茂以来の恒例行事も、“ツルの一声”でどうにでもなるらしい。
文芸評論家を自称する“アベ友”の一人とツイッターで交信した安倍首相は「参加者が委縮してしまう…ブログから何から追跡されて嫌がらせされたり」とぼやいてみせたとか。
総理大臣から招待を受ける栄に浴した人々が、自分のブログやフェイスブックに、誰それも一緒だったなどというコメントを、“証拠写真”とともに投稿する。彼らは素直に喜びを表現したにすぎない。
ところが、国会で問題視され、メディアが報じるや、次々と投稿内容の削除の動きが広がった。安倍首相と一緒に写真におさまったタレントなどはイメージダウンが心配される事態に。
安倍首相は「嫌がらせ」の被害のごとく言うが、当初の目的とはかけ離れた性質のイベントに変えてしまったのは、ほかならぬ安倍首相自身の慢心が原因ではないのだろうか。
自分のやることは常に正しい。ゆえに、野党の指摘は無視し、国会で総理の席からヤジを飛ばしてはばからない。先日は、質問中の立憲民主党の議員に向かって「共産党!」と叫び、議事を滞らせた。
森友で、加計で、虚偽答弁や、えこひいきがどんなにひどくとも、左遷をおそれる官僚は忖度して情報隠蔽や公文書改ざんに手を染める、ポストが気になる自民党議員は黙り込む。
メディアや記者の選別も目に余る。報道が気に入らないと、その記者の携帯に電話して、いちいち文句を言う首相はかつて存在しなかった。
首相がわがまま放題でも支持率は下がらず、立て続けの不祥事とて、時がたてば世間は忘却の彼方。ますます安倍首相は増長する。
税金がつぎ込まれる「桜を見る会」に850人もの自身の後援会関係者を招待し、当然のような顔をしていられたのも、増長のなせる緩みのせいだろう。
「桜を見る会」の前夜、ホテルニューオータニで開かれた「あべ晋三後援会」主催のパーティーにも不可解なところがある。参加料が安すぎるのだ。足りない分を安倍事務所側が補てんしたとすれば、公職選挙法や政治資金規正法に抵触する。
「桜を見る会前夜祭」と銘打ったそのパーティー。「桜を見る会」を中心とした「あべ晋三後援会」の東京ツアーに心を弾ませ、山口県から850人ほどの後援会関係者が上京して同ホテルに宿泊したというから、同数ていどが参加したのだろう。
鶴の舞をイメージした創作シャンデリアが配されたゴージャスというほかない広大な空間。その場にふさわしい高級料理が並べられたに違いない。この参加費が、たったの5000円。野党各党は信じられないというが、筆者も同じだ。
野党は国会で説明するよう、メディア各社は記者会見するよう求めたが、安倍首相はそれには応じず、11月15日、答えを用意したうえ官邸のぶら下がり記者団に自ら近寄って、次のような弁明をした。
「事務所から詳細について報告を受けました。夕食会を含めて旅費、宿泊費等のすべての費用は参加者の自己負担で支払われております。各参加者が旅行代理店に支払いし、夕食会費用については、会場入り口で安倍事務所職員が1人5000円を集金し、ホテル名義の領収書を手交し、受付終了後に集金した現金をその場でホテル側に渡すという形で、参加者からホテル側への支払いがなされたということです」
つまり、ホテル側はカネを受け取りもせず、何人分必要かわからないまま、5000円の多数の領収書を、前もって安倍事務所に渡していたということだ。
ニューオータニの宴会料金は最低でも1万1000円というから、半額以下のディスカウントをしてくれたことになる。相手が違えばこんな大サービスをしてくれるホテルなのか。
安倍首相は言う。「夕食会の価格設定が安すぎるという指摘がありますが、それは大多数がホテルの宿泊者であるという事情を踏まえホテル側が設定した価格であると報告を受けています」
ホテルの宿泊者が多く参加する大宴会なら最低でもホテル側が半額以下にしてくれる。よくもそんな非常識な言い訳ができるものだ。
こうなったら、その道の専門家の意見を聞くほかはない。ニューオータニの元取締役で、業界の裏面をよく知るA氏に、久しぶりで連絡を取ってみた。
「ニューオータニが5000円にするなんて、あり得る?」。そう率直に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「政治資金パーティなら、料理が少なくていいから5000円もあり得るけど、後援会のパーティーだから料理はしっかりそろえなければならないので、どんなに値引きしても7000円か8000円はもらうだろうね」
政治資金パーティーの場合、ホテル側は料理の用意をあまりしなくていいので、参加者一人5000円で十分やれる。政治家は3万円でパーティー券を売れば、2万5000円の収入になる。だが、ツアーのお楽しみの一つとしての宴会である「前夜祭」に、十分な食事とお酒がなければ話にならない。
だから、どんなにまけても7000円はもらわないと赤字が出るというのだ。まさか赤字を出してでも安倍事務所にサービスせよと、そこまで厚かましいことは言わないだろう。
そうすると、一人2000円~3000円は少なくともどこかから補う必要が出てくるのだ。安倍事務所が補てんしたのでは、とA氏に聞いてみたが、「ホテル側はカネが入ればいいんで、どこが出したのかまでは知ったことではないよ」と言われてしまった。
たとえ5000円で請け合ったとしても、一般常識として、ホテルは参加者数に合わせて料理や飲み物、スタッフを用意するのであり、850人が想定されるのなら、850人×5000円、すなわち425万円を支払ってもらう約束をしなければならない。当日に集金する結果任せの不確定な収入見込みではやれないだろう。
だとすると、参加者から受付で集金した結果、たとえ1人でも想定参加者数を下回った場合、安倍事務所が補てんせざるを得ない。補てんしていれば額の多寡にかかわらず、公職選挙法上の寄付になり、違反である。逆にホテルに支払う額より集金した金額が多ければ、安倍事務所側に現金が残るので、政治資金収支報告書に記載がなければ、まずいことになる。
安倍首相はこう言う。「ホテルが領収書を出し、そこで入ったお金をそのままホテルに渡していれば、収支は発生しないため、政治資金規正法上の違反にはあたらない」
安倍事務所が「桜を見る会ツアー」の参加者を募集しているのだから、ふつうなら、集金したものは政治資金の収入、ホテルに支払ったのは政治資金の支出となるはずだ。その収支を報告書に記載していない点については、やはり政治資金規正法違反の疑いが濃いといえよう。
そもそも、安倍首相が言うように、「ホテルが領収書を出し、そこで入ったお金をそのままホテルに渡す」というやり方は、順序があべこべだろう。
お金をもらっていないのに、日本を代表するホテルが領収書を出すなどということがあるだろうか。先にホテルの領収書が欲しいなら、安倍事務所が想定人数分を立て替え払いしておいて、その人数分の領収書を受け取り、受付で宴会料金と引き換えに手渡すという以外に方法はないのではないだろうか。
安倍首相の説明では誰も納得できないだろう。ぶら下がり取材では時間も限られ、突っ込んだ質問ができない。言いたいことだけ言って、さっと立ち去るスタイルでは安倍首相に好都合でも、肝心なところがわからない。
真相解明は、安倍首相さえその気になればたやすいことだ。安倍事務所が何年もにわたり同じやり方で続けてきたツアーであり、多忙なはずの安倍首相が二日連続でこのための時間を空けておくほど重要な行事である。すみやかに国会で説明責任を果たし、議員たちが心置きなく国内外の重要課題を議論できるようにするのが、首相としてのつとめだろう
昭和歌謡で一時代を築いた作詞家・阿久悠さんについて、作家の藤田宜永さんはこう書く。「言葉を大切に扱いながらも“軽み”を否定しないところが阿久悠の“深み”と理解している」▼恨みや諦めが定番だった演歌の世界で、阿久さんは主人公の女性が決然と「さよなら、あなた。私は帰ります」(「津軽海峡・冬景色」)と飛び立つ姿を描いた。「UFO」では「地球の男に飽きた」と言い放つ▼「軽み」は、俳人の松尾芭蕉が説いた創作の理念としても知られる。身近な事象の中に詩美をとらえた軽妙な風体-。辞書には、こんな解説が載っていた。ふわりさらりと切り取った日常にこそ、味わいが宿るということか▼安倍晋三首相の在職日数がきょうで憲政史上最長となった。桂太郎ら追い抜いてきた顔ぶれには重みのある宰相が目立つが、現首相の場合は善きにつけあしきにつけ、軽さを感じる。軽快でもあり、軽薄でもあるような▼委員会でやじを飛ばして委員長にたしなめられる。不祥事で閣僚が辞任すると「任命責任は私にある」と明言しつつ責任の取り方は判然としない。追い詰められると逆ギレ気味に強弁する。主張が異なる人を「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と敵視したかと思えば、お友達や身内には殊の外、親切である▼取り組みは一定の支持を集めており、選挙にも強い。ただ、周囲に安心感をもたらす重厚さには乏しい。軽いことが一概に悪いわけではないけれど、せめて味わい深い軽みがあれば。
ジックワードと呼ばれる言葉がある。手元の辞書には見当たらない表現だが、魔法のように会話がスムーズになったり自分の思う方向に結論を導きやすくなったりする言い回しを指すようだ▼「ありがとう」と言われて悪い気がする人は、そういないだろう。人間関係の潤滑油にもなりそうだ。一方で、そう言われると、なんとなく納得した気になる言葉もある。こちらは少々やっかいだ。「断固たる決意で臨む」「一人一人ができることをする」「意識改革すべきだ」...▼主張のトーンが上がり、高揚感が漂う。ただ、これだけでは具体的に何がしたいのか分からない。いかにも大切なことを言っているようでいて、自分の都合のいいように話を持っていこうとしているような(吉岡友治「その言葉だと何も言っていないのと同じです!」)▼ここにも都合よく使えそうな言葉遣いがあった。厚生労働省が公表したパワハラ指針の素案が労働者側から批判されている。パワハラには当たらない例として「経営上の理由で一時的に簡易な業務に就かせる」などを挙げた。これでは「経営上」「一時的」といったあいまいな理由を言い訳に、不当な降格や嫌がらせも可能になりそうだ▼永田町かいわいでは「責任を痛感している」「遺憾に思う」といった言い回しをたびたび耳にする。これらもやはり、具体的な責任の所在は見えにくい▼もっとも、紋切り型の表現はマスコミ界でもよく見られる。自戒を込めつつ、マジックワードにはご用心。
総務省のホームページにある「なるほど!選挙」の項には、実にいいことが、分かりやすく書いてある。すなわち、「政治家と私たち有権者とのつながりはとても大切です。しかし、金銭や品物で関係が培われるようであれば、いつまでたっても明るい選挙、お金のかからない選挙に近づくことはできません」
その第一、寄付の禁止。政治家が選挙区内の人に寄付を行うことは、名義のいかんを問わず禁止されている。有権者が求めてもいけない。「冠婚葬祭における贈答なども寄付になるので、注意してください」と丁寧に記す
菅原一秀経済産業相が辞任した。選挙区内の有権者に秘書が香典を渡したなどと、週刊文春に報じられてのことだ。事実なら公選法違反の疑いがある
当選6回。注意の第一を知らないわけはあるまい。元秘書が作成したとするメロンやカニの贈答リストも飛び出した。事務所の慣習になっていたのかもしれない
関西電力の金品受領問題では、慣習にまみれた幹部に対して、即座に「言語道断」と言い切った。その言葉が、そっくり返ってくるとは思わなかったようだ。甘すぎた
第2次安倍内閣以降、閣僚辞任は9人目となる。長期政権とはいえ多い。憲法改正にも挑む安倍首相。足元を固めないと、レガシー(政治的遺産)作りへ、積んだレンガも崩れ去る。
携帯電話やメールの発達で、サラリーマンは四六時中会社に身柄を拘束されている“軟禁状態”。家族旅行の最中に連絡が入り、取引先と打ち合わせをした経験は誰にもあるだろう▼しかし働き方改革が叫ばれる中、日本でも「つながらない権利」を導入する動きが徐々に出始めている。というのも長期のバカンス制度が整備された欧州では、公私の区別をはっきりさせるため、この権利を労使で協議するよう法律で義務づけている国もあるからだ▼ドイツで20年勤務した隅田貫(すみたかん)さんは「仕事の『生産性』はドイツ人に学べ」(KADOKAWA)でこんな話を紹介する。「ウアラウプ」と呼ぶ長期休暇を取る場合、不在であることを知らせる「out(アウト) of(オブ) office( オフィス )」メールを設定するのがお決まりらしい▼「○日から○日まで休暇を取っています」とメッセージを入れ、急用のときに対応する担当者を明示しておく。そのため事前にしっかり引き継ぎを行うが、海外に滞在中も電話に悩まされる心配はなく、休暇を満喫できる。相手もお互いさまで帰るまで待ってくれる▼4月に働き方関連法が施行され、はや半年が経過した。残業時間の上限が定められ、有給休暇の年5日取得が義務化された。日本人は休むことに遠慮があるが、働き方改革はまず「休み方改革」から。手始めに「つながらない権利」を普及させたい。
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、物議を醸した企画展「表現の不自由展・その後」が、安全対策などを講じて近く再開される見通しという▼少女像などの展示を巡って「反日的だ」などと脅迫を含む電話やメールが相次ぎ、開幕から3日で中止に追い込まれた。再開できれば、表現や展示を萎縮させかねないあしき前例となる事態はひとまず避けられそうだ▼だが県が芸術祭への補助金を申請する際、円滑な運営を脅かす事態を認識していたのに申告しなかったとして、交付を中止した文化庁の決定については変更しない方針を萩生田光一文部科学相が示している▼これには釈然としない点もいくつかある。一つは議事録を「庁内部の事務協議」として残していないことだ。このため支援事業への交付を覆す重要な決定なのに議論したのかも分からない▼しかも採択に携わった6人の外部審査員の意見聴取をせずに内部だけで中止を決めたという証言もある。事実なら補助金の公正性を損なうことにならないか▼宮田亮平文化庁長官が沈黙を続けているのも謎だ。金工作家で東京芸術大学長も務めた人である。交付中止が表現の自由への無言の圧力となりかねないことぐらい百も承知だろう。中止は本意なのか、肉声を聞きたい。
いつの時代も増税は歓迎されない。初の大型間接税として3%の消費税が導入されたのは、激動の「昭和」が終わり、「平成」と改元された1989年だが、国民の反発は強かった。当時の小紙投稿欄に載った<近ごろは数字の3が嫌になり>という川柳が、庶民の心情をよく伝えている▼前年に未公開株ばらまきのリクルート疑惑が発覚。政官財の癒着が浮き彫りになる中、消費税法案が強行可決された。新聞論調は「世論に背を向け、消費税導入の無理が通った」と手厳しい▼2度も先送りされていた10%への引き上げが、きょう1日実施された。<3が嫌に>どころか、5%、8%と増率され、「令和」の幕開けに合わせ、ついに2桁に▼とりわけ今回は増税への抵抗感に加え、新導入の軽減税率やキャッシュレス決済のポイント還元など仕組みが複雑で分かりにくい。不満も倍増か▼2%分で年間約5兆7千億円の増収を見込む。少子化対策などに投入し、残りを1千兆円を軽く超す「国の借金」減らしに充てる。だが増税対策に2兆3千億円も大盤振る舞いしていては財政健全化は程遠い▼安倍晋三首相は先の参院選で、今後10年ほどは消費税再増税が不要だ、と語っていた。さて真に受けていいのやら。まずは税がどう使われるのか、目を凝らしたい。
新聞に折り込まれた不動産広告の文句が面白いと、作家の井上ひさしさんはいっとき収集と分析に励んだそうだ。「羨望(せんぼう)の」や「人気の」が枕ことばにつく地名はかなりの好立地らしい◆「将来性豊かな」とか「気分は都心の」とか立地の悪さを明るく覆い隠す言葉も楽しいが、井上さんは「いま」にも注目していた。「いまトレンディー」「いま誕生」とくれば何やら期待させるではないか、と◆井上さんにならってここ何日か、不動産広告ならぬ日用品のチラシや店頭の張り紙に目を凝らしている。消費税率が8%から10%に上がるのを前に客の心をどう引きつけるか。目立つのは「いま」の誘惑である◆「いまがチャンス」、これは複数見かけた。「いまがお得」「いま必要なものをまとめ買い」などもあり、増税直前セールをアピールしている。家電店をのぞけば「いまこそ急げ」の文字が目に飛び込んできた◆耳にする反応はいろいろである。日用品の駆け込み需要の高まりは5年前の増税時ほどではないともいうし、高額品は活況だともいう。惑わされず、流されず、“いま”買うべき物かどうかの眼識も試されよう◆あるチラシに「ラストスパート」とあった。増税前の準備に追われる店員さんの心の声でもあるだろう。2
江戸時代の参勤交代は藩財政を圧迫するとあって、諸国大名の悩みのタネ。盛岡藩では参勤交代の制度化直後、二代重直が遅参事件を起こし、厳しく処罰されたいわく付きの制度でもある
▼関連する史料は後世に書かれたものが多く、江戸到着が遅れた理由や処罰の背景など、その経緯には諸説ある。徳川三代家光の下、武家諸法度により幕府支配を強める中で、見せしめとされた側面も指摘される
▼大名が1年おきに江戸と領地を行き来する参勤交代は、旅費に加え江戸での生活費も多額だ。財政力の乏しい藩には重圧。中には旅の途中で持ち金が底を突き、行列を中断して工面に奔走する藩もあったらしい
▼費目の中で大きいのは、ご多分に漏れず人件費だ。参加人数を減らせば、その分の費用は減らせるが、行列の見栄えは悪くなる。そこで重宝されたのが「中間(ちゅうげん)」と呼ばれた臨時雇い。今で言うパートタイマーだ
▼大名行列がみすぼらしくては藩のこけんに関わる。江戸入りなどの要所要所で人を増やし、景気の良さを演出した。先頭で毛やりを振る人寄せのやっこも、小藩では多くがパート。江戸では仲介業者が繁盛した
▼台風被害さなかの内閣改造。昨年は、西日本豪雨のさなかの「赤坂自民亭」。何があっても「参勤」を優先するのが永田町の理屈なら、「年貢」を収めるかいもない。
「秋の日はつるべ落とし」。暗くなるのが早くなり、夜が涼しくなり布団なしでは寝られなくなるくらい寒くなってきた。そして寒くなれば温かい食べ物がおいしさを増す。その一つ、おでんが恋しくなる。街の飲み屋さんでも、家庭の食卓でも「おでん」はおいしい。具材は多彩だ。大根、ニンジン、ジャガ芋など野菜類。白滝などコンニャク類。がんもどき、焼き豆腐、巾着。卵、タコ、昆布、肉団子。そして欠かせないのが、さつま揚げ、ちくわ、はんぺんなど練りものだ。練りものは魚肉をすりつぶして成型し、「蒸す」「焼く」「揚げる」「ゆでる」などの加工によって味わいのバラエティーを広げる。豊かな海に囲まれた日本に長く伝わる食材。先人の知恵と工夫に感謝である。しかし心配が出ている。原料のすり身の価格高騰だ。現在、多くを輸入に頼っているが、欧米や中国で魚の消費が増えている影響が大きくなってきた。主力のスケトウダラは2年前より約3割の値上がりという。サンマ不漁などを見るにつけ、水産大国日本の先行きに不安も感じる。世界で激化している魚の争奪戦。おでんの具材一つにも、影響がでてくるのだろう。そんな中、台風15号による千葉県の被害が想定以上である。東日本震災を経験したが、停電に関してはそれ以上の期間が続いている。台風被害さなかの2日後に内閣改造。昨年は、西日本豪雨のさなかの「赤坂自民亭」の飲み会。何があっても自らの都合で決行する政府。建前を優先するのが永田町の理屈なら、「年貢」(消費税増税)を収める国民も自らの抗議の「のろし」をあげたいものである。
新聞ネットに目を通すと、米ニューヨーク・タイムズのこんな旅企画があった。「2019年に行くべき52カ所」というものである。プエルトリコ、インドの古都…で始まり、7位が「瀬戸内の島々」。瀬戸内とその沿岸には「芸術と自然の調和」があるというのがお薦めの理由である。人気の瀬戸内国際芸術祭などを挙げていたが、なるほど優れた芸術には、名だたる観光地にも負けない吸引力があるようだ◆こちらもそんな力が育ったらいい。明日から始まる豊岡演劇祭だ。兵庫初の国際演劇祭は来年からなので、今回はその前触れとして「第0回」としゃれている。早々に前売り券完売というから、滑り出しは上々だ◆ディレクターは劇作家平田オリザさんである。来年以降、世界の劇団が集まる屈指の演劇祭にしようとしている。各国の演劇人が「TOYOOKA」を熱っぽく口にする。そんな時代がくればと、夢が膨らむ◆映画好きの人々が始めた大分・湯布院映画祭は今年で44回を数えた。成功した理由の一つは映画人と観客との交流会と、地元の人が書いている。余韻に浸りながら作品を語り合う。豊岡でもそんな場を増やしたい◆そしていつか、「今年訪れるべき世界の演劇祭」という特集記事があり、その第1位に…なんて夢も膨らむ。
6年半に及ぶ第2次安倍政権において 「業績」を正面から問う初の選挙 7月21日、第25回参議院選挙が投開票された。自民党と公明党の連立与党の獲得議席は、安倍晋三首相が「勝敗ライン」とした過半数を超え、3年前の前回選挙の議席を上回った。しかし、首相の「悲願」である憲法改正の発議を可能とする、「改憲勢力で衆参両院3分の2の議席」は割り込むことになった。野党共闘は、最低限の健闘をみせたといえる。【この記事の画像を見る】 今回の参院選の特徴は、6年半に及ぶ第2次安倍政権において、その「業績」を正面から問う初めての選挙だったことだ。これまで、安倍政権は有権者の「期待」に働きかける国政選挙を繰り返してきた(本連載第106回)。 これまで選挙のたびに金融緩和・公共事業・減税という短期的な景気浮揚策や、政府による企業への賃上げ依頼などを次々と繰り出してきたのだ。「消費税率10%への引き上げ」を、2度も先送りした。毎年のように、補正予算も組まれ続けた(第163回)。 こうなったのは、国政選挙が毎年のように頻繁に実施され、選挙と選挙の間が短かったからである。安倍政権は、前の選挙で公約した政策の成果が出るまでに、次の選挙を戦わなければならなかった。そうなると、有権者の「期待」に訴えるしかなかったのだ。 選挙が頻繁に行われたことは、国民の側にとっても問題が多かった。国民に政策を理解する時間的な猶予が与えられていない。その結果、政策の評価も短期的な観点からしかできなかったからだ(第212回)。 だが、今回は安倍政権6年間の実績を前面に出した。「アベノミクス」による経済成長(第51回)や「働き方改革」(第177回)などの中道的な社会政策、「特定秘密保護法」「安保法制」「テロ等準備罪法」などの安全保障政策(第189回)、そして「安倍外交」(第192回)の実績を示し、政治の安定を訴えたのだ。 一方、自民党の選挙公約はこれまでと比べて、非常に抑制的なものとなった。派手な景気対策のための補正予算や金融政策は打ち出されなかった。加えて、消費税率を8%から10%に引き上げて「教育無償化」を推進するとした。また、国論が二分しており、これまでの選挙では「争点隠し」(第64回)されてきた「憲法改正」を堂々と主張した。 つまり、これまでの業績の評価を国民に求めるとともに、国政選挙に5連勝することで獲得してきた「安倍一強」と呼ばれる圧倒的な権力と政治的リソースを初めて、国民に不人気だが、政権が必要だと考える政策を断固として進めるために使おうとした選挙だといえるのだ。 その結果は、野党が壊滅状態でとても政権を担えるような状態ではないため、安倍政権の実績が「まだマシ」ということになったのだろう。目玉のない地味な選挙となったが、それでも有権者の期待に働きかける国政選挙が続いていた状況に区切りをつけて、「政権選択」ではなく、「政権運営」そのものを評価する本来の健全な参院選の姿になった。一定の評価ができるのではないだろうか。● 24年ぶりに5割を切った投票率 全政治家が厳しく受け止めるべき 今回の参院選は、投票率が24年ぶりに5割を切り、48%にとどまった。これは、与野党問わず、すべての政治家が厳しく受け止めるべきだと思う。 選挙運動中、盛り上がっていたのは安倍首相を熱狂的に支持する人たちと、かつての学生運動の「夢よもう一度」とばかりに「反・安倍」で盛り上がりたい高齢の左派だけではなかっただろうか。山本太郎氏率いる「れいわ新選組」に多額の寄付が集まり、街頭演説が異様に盛り上がっていたが、結局比例代表で2議席にとどまった。山本氏本人も落選となり、局地的な盛り上がりに過ぎなかったといえる。方、日本の「サイレントマジョリティ」である現役世代・若者の「中道層」は、まったく白けていたのではないだろうか。それは、今回の選挙で、誰も将来の日本についての展望を語ってくれなかったからである。 安倍政権は、アベノミクスの実績を誇っている。しかし、アベノミクスとは規模が異次元なだけで、従来型のバラマキ政策による斜陽産業の大企業を守ってきただけだ。今後、日本を成長させてくれる新しい産業は生まれてこない。 その結果、「カネが切れたら、またカネがいる」とばかりに、異次元の金融緩和やマイナス金利政策、緊急経済対策、補正予算が打ち出され続けている(第163回・P.2)。また、年金など社会保障や健康保険などの費用が急増している。要は、政府がバラマキを続けなければ生きていけない経済となっている。あえていえば、日本は「過去に築いてきた遺産を食いつぶし、老人を食べさせていくだけの国」になったということだ。 それでは、野党共闘はどうかといえば、消費増税に反対し、「子ども国債」を発行し、大企業・富裕層への増税で財源を賄うとして、安倍政権以上にバラマキ策を打ち出している。要は、「過去の遺産をもっと食いつぶすことで、老人も現役世代・若者も、政府が食べさせていく国」にするというのだ。 結局全ての政党が、過去の遺産を食いつぶしながら現在の日本を維持していく政策を提示している。しかし、少子高齢化が進んで経済の規模が次第に縮小し、社会のいろいろな場面で人手不足や財源不足が明らかになっている。 国際社会に目を移すと、ドナルド・トランプ米大統領の「アメリカファースト(米国第一主義)」やポピュリズムの世界的な広がり、中国など権威主義の拡大、貿易戦争の様相を呈してきた日韓関係の悪化など、従来の常識が通用しない変化が起きている(第211回)。だが、日本がどういう戦略をもって臨んでいくのかは不透明である。 現役世代・若者の多くは、日本の将来に漠然とした不安を感じているのは間違いない。だが、与野党は口々に「若者に未来を」と訴えていたものの、具体論は乏しかった。日本の未来の国家像を示してくれる政党は、一つもなかったのだ。これが、現役世代・若者が、より本質的な意味での選択肢を失い、投票率が低下した大きな原因だと考える。● 日本維新の会は 野党共闘とは一線を引いていたが…… 安倍首相は強固な政権基盤を持つ今こそ、将来の日本の国家像を国民に提示すべきだ。年金も「100年安心」であるわけがないと、多くの有権者に見透かされている。人口が縮む中、未来の日本をどうするのか、言いにくいことにも触れて未来の日本の姿を示す必要がある。 だが、現行の政治・社会システムで長期政権を築いてきた自民党や、憲法9条の死守という東西冷戦期の観念論から抜けられない野党共闘には、新たな国家論を構想するのは難しいのかもしれない。むしろそれは、地方主権を唱える日本維新の会の役割だったのかもしれない。 日本維新の会は、松井一郎代表が規則権益の打破や無駄の削減を訴え、野党共闘とは一線を引いていた。だが。「大阪府・市での改革の実績」を誇り、それを国会で行うというのはいいのだが、そこから先は、相変わらず取るに足らなかった。この連載では、憲法改正による、(1)道州制を軸とした地方主権の確立のための、参院を地方代表の府とする統治機構改革、(2)全国の大都市圏がそれぞれ近接した世界の地域と経済圏を築く、(3)大都市圏主導の待機児童問題の解決など、日本維新の会が主張するにふさわしい政策を提示してきた(第208回)。
別に私の考えを取り入れてもらう必要はないが、日本維新の会から新たな日本の国家像は何も示されなかった。ただ、現行制度を前提に無駄を削減し、既得権を打破すると言っていただけだ。「大阪では頑張っている」というが、それでは大阪以外の人にまったく響かなかったのではないだろうか。
● 野党共闘の先に続くのは 「万年野党」への道にすぎない
この連載では、「野党共闘」を徹底的に批判してきた(第196回)。民主党政権が崩壊したのは、憲法や消費税など基本政策が一致しない政治家が集まった「寄り合い所帯」だったからだという国民からの不信感が根強いからだ。だが、今回の参院選では「改憲勢力で衆参両院3分の2の議席」を割り込ませることには成功した。野党共闘は一定の成果を上げたとはいえる。
これは、安倍首相の主導による憲法改正の動きを止める効果はあるのだろう。だが、野党共闘の議席数はほぼ横ばい、1人区では、自民22議席に対し、野党共闘は10議席にとどまった。前回の参院選では11議席獲得だったので、今回の野党共闘が顕著な成果を挙げたとはいえない。
結局、野党共闘は議席を増やすことについては一定の効果はあるが、共産党が加わることで支持層が左翼だけになってしまう。選挙の勝敗に最も影響する「中道層」というサイレントマジョリティの支持を失ってしまう。政権交代はむしろ遠のき、「万年野党」への道を歩むことになる。
● 今後の政界の行方において鍵を握る 立憲民主・枝野代表の二つの選択肢
そもそも、候補者を一本化すれば勝てるという野党の考え方は、あまりにも楽観的で浅はかすぎたのではないだろうか。自民党は、既に昨年の総裁選が終了した直後から候補者を選挙区に張り付かせて、徹底的に地道な選挙活動をさせていた。一方、野党側は東京の永田町に幹部が集まって、ようやく参院選の1カ月前である6月に候補者が一本化できたら「これで勝てる」と満足していた(上久保誠人「『安倍打倒』に秘策もない、しがない野党共闘はもう飽きた」、iRONNA 2019年6月24日)。野党は選挙の基本動作すらできていなかったと言わざるを得ない。これでは、野党共闘が伸びないのは当然である。 今回、野党の中で顕著な結果を残したのは、改選議席をほぼ倍増させた、枝野幸男代表率いる立憲民主党だ。だが、次期衆院選でさらなる躍進を遂げて政権交代を目指せる政党になれるどうかかは、枝野代表の決断次第だろう。
枝野代表には、二つの選択肢がある。一つは、「野党共闘」の継続である。だが繰り返すが、これは「万年野党」への道である。共産党に政策的に引きずられれば、憲法改正や消費税、社会保障政策などで左傾化を余儀なくされ、政策の選択肢が狭くなる。政界屈指の政策通である枝野代表にとっては、自らの最大の持ち味を制限されることになる。
また、サイレントマジョリティである中道の支持を失い。支持層が日本全体で10%に満たない左翼層に限られてしまうことになる。そうなると枝野代表は、自らの本来の政策的立ち位置である「中道左派」にシフトしようとするだろうが、それは「寄り合い所帯」である野党間の内紛を起こしてしまうことになる。
もう一つは、「野党共闘」と一線を画すことである。小選挙区比例代表並立制という条件下では、野党がバラバラだと勝てないというのは当然だ。しかし、基本政策がバラバラの「寄り合い所帯」では国民に支持されない。この難題に対する一つの答えが、野党の中で「トーナメント」を勝ち抜くということだ。そして、政策的に一致した強い一つの野党を作り、安倍政権への挑戦権を得た上で、政権交代を狙うという戦略だ。
どちらの戦略を枝野代表が選択するかが、日本に「政権交代可能な民主主義」を復活させるか、「自民党の長期政権と万年野党」の時代がずっと続くのかという、日本の議会制民主主義の将来の方向性を決めることになるかもしれない。
農業と農村の持続可能性をどう高めていくか。参院選では、長期的な視点に立った具体的な農業政策を聞きたいと思っていた。候補者や各党は現場の声に耳を傾け、農業再生の道筋について論戦を深めてほしいと思っているが。。。。安倍政権下の農政で気になるのは、安倍晋三首相が語らない部分だ。 首相は、アベノミクスの成果として、生産農業所得が2017年に3・8兆円と順調に伸び、19年ぶりの高水準になったとアピールする。演説では、本県のコメ輸出が大きく増えていることにも触れ、農産品の輸出強化による「攻めの農業」を展開することを強調した。だが、農業所得の増大は、主に野菜や畜産の価格上昇などが影響したためだ。コメを主力とする農家からは、実感に乏しいとの声が出ている。農業の存続に欠かせない担い手の問題もそうだ。安倍首相は49歳以下の新規就農者が過去4年連続で2万人を超えたことを訴えているが、担い手不足をカバーするには遠く及ばない。仕事として主に農業に携わる基幹的農業従事者の数は、2010年には全国で約205万人いたが、2018年は60万人減の145万人になった。平均年齢は67・4歳と高齢化も進んでいる。 担い手の減少と高齢化で、集落の維持が困難になっている地域が増えている状況に歯止めがかかっていない。そうした中で、Iターンの若者を迎えて再生を目指す集落も出ている。若手が担い手となって積極的に農業に従事したいと思える環境をどう整えるかが問われている。 安倍政権下の農政は、自由化や規制緩和を加速させた。環太平洋連携協定(TPP)の締結や、国によるコメの生産調整の廃止などはその象徴だ。 大きな転換期にあって、安定した農業の展望を得られず不安を募らせている生産者は少なくない。候補者や政党は、真剣に向き合わねばならない。 自民党は公約で、主食用米から大豆などに転作する際の交付金などの予算を恒久的に確保することを掲げている。公明党は人工知能(AI)などを取り入れたスマート農業で省力化を図るとしている。 立憲民主党や国民民主党は、旧民主党政権が導入した農家への戸別所得補償制度の復活を訴える。共産党はTPPからの離脱、社民党は食料自給率の向上を掲げている。 ただ、個別の政策を訴えるだけでは物足りない。 農業は、人間が生きるために不可欠な食料の確保だけでなく、環境保全や国土保全の役割も担っている。それに見合った骨太な議論を望みたい。
母の日と比べ、何となく影が薄い気がする父の日。16日を前に、デパートやショッピングセンターでは告知するポスターや、ギフト用にラッピングされた商品を多く見かける時季になった
▼服飾雑貨や食品、ビールなどのお酒が定番。靴下や肌着といった、数があっても困らないアイテムも売れ筋だ。家族が集まる機会に日頃の感謝を伝え、ごちそうを囲んだりするのも、うれしい1日かもしれない
▼父親にプレゼントを贈る習慣には、地域差もあるらしい。日本生命保険がインターネットで調査した結果、最も高かったのはお隣、秋田県の87%だった。控えめな県民性を反映したのか、本県は61%で全国37位
▼ところが父親の3人に1人は「お金をかけなくてもいい」と回答している。希望するプレゼントの上位には手紙やメール、絵が入る。子ども世代への遠慮や、気持ちを伝えてもらうだけで十分との思いがにじむ
▼この調査、夫婦の役割分担についても聞いている。子育てに関わっていると自己評価する夫は74%。若い世代ほど高い一方、積極的に携われない理由に「忙しさ」も挙がる。「自分の役割でない」との声もある
▼2018年の合計特殊出生率は1・42。「子どもを最低3人くらい産んで」発言が炎上した。安心して産み育てられる環境へ越えるべきギャップは、まだありそうだ。
「ひしひしと青田の青き息づかひ 笠原清英」。田植えが終わった田園地帯はいま、日に日に緑の色彩を濃くしている。ひ弱だった早苗も水と土の恵みを受けてぐんぐんと伸びている▼日本などアジアでは毎年目にする米づくりの風景だが、世界的には非常に珍しいという。農作物の栽培には「連作障害」がつき物で、生育が悪くなったり病虫害が発生したりする。だから欧州では麦を刈り取ったら、家畜を放牧して畑を休める三圃(さんぽ)式農業が普及した▼では、稲作はどうして大丈夫なのか。それはひとえに水のおかげ。田んぼに水を流すことで、余った養分や有害物質が洗い流され、新しい養分も供給される。水を入れたり乾かしたりすれば、同じ病原菌も増殖しにくい。要するに豊富な水資源があればこそといえる▼水田を利用した米づくりは、理想的かつ奇跡的なシステムだ―と植物学者、稲垣栄洋(ひでひろ)さんは力説する(「雑草が教えてくれた日本文化史」A&F刊)。ところが今年はそのシステムに狂いが生じる恐れがある。冬の少雪、春の少雨の影響か各地で水不足が起きている▼愛知県東部の宇連(うれ)ダムは34年ぶりに貯水量ゼロを記録。水田にはひびが入り、一部の稲が枯れ始めたという。福井市の1~5月の積算降水量は631ミリで、平年より3割も少ない。暑さ本番はこれから、青田が青息吐息にならないか気が気でない。
米中の対立は、歴史上で繰り広げられてきた大国同士の争いとは本質的に異なり、単純にどちらかが勝つ、というものではありません。古来、大国の争いと覇権の移行が世界史ともいえますが、米ソ冷戦後の世界では、底流で二つの構造変化が進行しました。
背景には「IT革命」と「金融革命」があります。軍事技術の民生転換です。インターネットという発想は、ソ連から核攻撃を受けても壊滅しないように、開放、分散型のネットワークをつくろうとしたのがルーツです。それによって、いま世界がより密接につながっています。冷戦期の米国とソ連と比べ、米国と中国はあらゆる面で相互依存が深まっていて、簡単に国境で分断することができない状態になっています。
トランプ米大統領が華為技術(ファーウェイ)など中国製品を米国から排除しようとしても、それは自分の身体の一部を切り離そうとすることになり、米国も痛みを負うのです。
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冷戦後の大きな変化たる中国の台頭をどうとらえるべきでしょうか。平成がはじまる直前の1988年、日本の国内総生産(GDP)が世界経済に占める割合は16%でした。米国は28%。中国のGDPは日本の8分の1で世界の2%に過ぎませんでした。それが昨年、中国は世界の16%です。米国はまだ24%を占めますが、日本は6%。とりわけ21世紀に入ってからの日本と中国の立場の変化は劇的でした。経済だけを尺度に世界を見ていた日本人の心象風景が、一気に優越感から焦燥感に反転したのです。
そこで、日米の連携で中国の脅威に立ち向かうべきだという考えに流れる傾向も目立ちます。日米首脳の行動の変化も象徴的です。3年前、オバマ大統領(当時)と安倍晋三首相が広島を訪問し、かつての戦勝国と敗戦国の指導者がともに被爆者と対話し、戦争のむなしさを確認しました。紛争の解決は武力によっては行わないという、戦後の日本が大切にしてきた価値を再確認したはずでした。
ところが、先月訪日したトランプ氏は、海自護衛艦を安倍首相と視察し、自衛隊と在日米軍を前に「力こそ平和」と演説をしました。この変化は、中国の台頭を前に、力で抑止する誘惑にかられているかのように映ります。
米中はともに大国主義的な行動をする傾向を有します。15世紀から16世紀にかけて、当時の大国だったポルトガルとスペインが大西洋上に線を引いて、世界をどう分割するかを取り決めたように、結局は米中の2極が日本を含めた他の国々の頭越しに、世界秩序やアジアにとって重要な決定をする可能性があると思います。
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日本には、米国の周辺国でも中国の周辺国でもなく、どう主体的に生きていくかが問われています。アジアの国々をはじめ、世界はじっとそれを見つめているでしょう。
いま必要なのは大国に過剰に同調することではありません。世界に貧困と格差が広がるからこそ、力による問題解決とは別次元の構想力に基づいた旗を掲げることです。そうすることで世界の人びとが、民主主義と技術イノベーション力を持つ日本に、信頼と期待をしてくれることになるでしょう。
米国について行くだけの国。民主主義の基盤である公文書を、官僚が権力に忖度(そんたく)して改ざんする国。米国から大量の武器を買い、基地を提供し続けるだけの国ならば、未来は限られます。アジアがダイナミックに発展していく時代がこれからも続く中、アジアの成長力と創造力を、ネットワーク化された経済構造を通じて吸収することが日本に不可欠です。「日本愛」だけのナショナリズムに埋没せず、成熟した民主主義国家として、アジアに基盤を持つ構想が日本に求められています。
目にとまった社説の見出しである。いずれも28日付の地方紙だ。「演出ばかりで中身がない」「何のために招いたのか」「誰のための厚遇なのか」。本紙は「親密さの裏で認識の溝も」◆テーマが何か、お分かりだろう。トランプ米大統領を国賓として迎えたことを受けての社説だ。好きなゴルフに大相撲観戦、高級居酒屋の宴。最後は護衛艦上での満面の笑みで、4日間に及ぶ劇は幕を閉じた◆前述の見出しではないが、何のために招いたのか、いまだに分からない。日米貿易交渉は日本農業を直撃するかもしれない。だから参院選後にしよう。トランプ大統領にそう念押ししたいのなら、1日で事足りる◆参院選への思惑があるにしても、あまりに過剰な接待だった。辛口の海外メディアは「ごますり戦略」と伝え、政治評論家森田実さんも「へつらい」と思ったそうだ。騒がしさは消えたが、疑問符は消えない◆魏志倭人伝(ぎしわじんでん)が古代日本人の風習を書きとめる。高位の人と会えば、後ずさりして草の中に入る。言いたいことは、ひざまずいて手をつき、うやうやしく。要はへりくだる◆今もそうだとは思いたくない。予測不能な大統領のご機嫌を損ねようが、おもねらず、耳に痛いこともきちんと言う。…のはずですよね、安倍首相。
野菜のおいしい季節になった。春キャベツやアスパラガス、新ジャガイモなどが旬を迎え、食卓を彩る。煮ても焼いても炒めても、滋味深い。口に入れると自然の恵みが体全体に染み渡る。工夫次第で、より効果的に栄養が取れる。 肉や魚、ご飯よりも野菜を先に味わう心掛けは健康につながると、数年前からいわれるようになった。食物繊維が糖分や脂質、コレステロールなどの吸収を抑えてくれる。食事後の血糖値の上昇がゆっくりになって体への負担が少ない。ダイエットにも効果的とされている。 県や企業、団体などでつくるチャレンジふくしま県民運動推進協議会は今年度、「ベジ・ファースト」に取り組む。ベジは英語で野菜の意味のベジタブルを略した。既に実践している人は多い。福島県はメタボの人の割合が高いとのデータがある。気軽な改善策といえるかもしれない。 実は、県民は全国屈指の野菜好きらしい。厚生労働省の二〇一六年の国民健康・栄養調査報告では、福島県の摂取量の一日平均は男性が約三百四十七グラムで熊本を除く四十六都道府県中一位、女性は約三百十四グラムで二位だった。全国トップクラスをこれからも守り、健康県を目指そう。
誰しもいつか第一線を退く時を迎える。とりわけプロスポーツの世界では引き際が難しい。燃え尽きるまで続けるか、華のあるうちに惜しまれて身を引くか▼大相撲初場所に背水の陣で臨んだ横綱稀勢の里関が引退を決めた。馬力あふれる真っ向勝負で観客を魅了したが、32歳の肉体のもろさに「名誉の負傷」が加わり、力強さが影を潜めて初日から3連敗。残念とはいえ致し方あるまい▼横綱は相撲の強さに加え、最高位の品格が欠かせない。威厳を示せなくなれば、選択肢は引退しかない。現役への執念や未練をかなぐり捨て、決断しなければならない▼引き際はさまざまだ。北の湖関は晩年、満身創痍(そうい)で休場を重ねつつも両国国技館のこけら落としを待った。佐田の山関は連続優勝の翌場所に潔く去った。不祥事で不本意な退場もあった▼外国人力士の活躍で土俵の国際化が進む中、稀勢の里関は19年ぶりの「和製横綱」として期待された。それゆえ大声援に応えたいとのプレッシャーもあったに違いない▼「もうやり切った」「横綱として皆さまの期待に沿えないのは悔いが残るが、私の土俵人生に一片の悔いもない」。時に涙ぐみながらの引退会見だった。多くのファンが長らく待ち望んだ復活劇こそ見られなかったものの、お疲れさまと声を掛けたい。
「人の一生を四季に喩たとえるようですが、春を小生わたしのような時として、小春は人の幾歳位に喩えて可いいでしょう」。青年に聞かれた初老の男が答える。「君が春なら私は小春サ、小春サ、いまに冬が来るだろうよ」―。国木田独歩の短編小説『小春』にある◆「を思いやるものであると歳時記にもある。「小春」が、多くの句の題材になってきたのも分かるような気がする
明治時代の決然とした文章を、思想家福沢諭吉の創刊した日刊紙「時事新報」からお借りする。家族関係に残る封建制の悪風を嘆き、新報は書いた。<その醜態を満世界に評判せらるるは、国光上の一大汚点、日本国民として断じて忍ぶを得ず>
桜田義孝五輪相の常識外れの発言が続いている。相次ぐ失敗に懲りたか、こんなことを言い出した。「多くのスタッフの協力に基づく答弁書を、間違いのないように読むことが最大の仕事だ」
大臣の職務がこの程度とは、初耳である。国会での発言に正確さを期す、といった趣旨だそうで、「感情に任せて答えることはしない」と補足した。どうやら、そちらのコントロールも苦手らしい。本当に大丈夫か、東京五輪・パラリンピック
五輪を控えて焦眉の急、サイバー攻撃対策も担当する。でありながらパソコンは使わず、知識もないと公言し、全世界を仰天させた。当人は「有名になった」と悪びれるふうもない。国光、すなわち国の名誉も形無しだ
桜田五輪相といい、国税庁への口利き疑惑が浮上した片山さつき地方創生担当相といい、在庫一掃組が懸念された通りの醜態を見せている。いつまで放置するのか、安倍総理
新報は、続けてこうも書いている。<之(これ)を矯正する一日を遅くすれば則(すなわ)ち一日の恥を永うす可(べ)し>。決断を急ぐべし。
平成の世を象徴する言葉をいくつか挙げるとすれば、最上位の一つは「デジタル」の言葉ではないだろうか。対照的な「アナログ」を蹴散らすように、デジタル機器が社会を席巻していった。目覚ましいというより目まぐるしかった。パソコンを支給されても文字を不器用に打ち込むだけで、ネットも満足に使えず、慣れるだけで精いっぱいであった。そんな初期の頃が懐かしく思い出される。たかが20年ほど前のことである。それがいまや電話付きパソコンと言った方がいいスマホを、肌身から離せない。手元にないと数日先の予定さえあやふやになるし不安にもなってくる。先日、購入したいつもの「3年手帳」を眺めてみた。来年5月1日、皇太子さまは新天皇に即位される。10月22日には「即位礼正殿の儀」が行われる。この二日について、各手帳メーカーがどう扱ったのか確かめた。政府は来年に限って祝日とする考えだが、そのための特別法はまだない。そのためか、日付は黒字。この国会で法が成立し、新たな祝休日ができても改訂版は出そうにない。持ち主自身が日付を赤く塗るなり工夫の必要がある。いかにもアナログながら、デジタル全盛の世にこんな手作業をするのも面白そうだ。私にとって時計もはじめ、まだまだアナログもまだ捨てがたい。両者の共存が面白く眺めている。
平和ブランドを崩壊させ、米国追随の戦争国家への転換を始めた。“逮捕されなければ何をしても良い”という倫理規範を政官界に蔓延させた」(元通産官僚・古賀茂明)、「権力を私物化し、三権分立のバランスを壊し、政治に対する信頼を地に落とした。日本国憲法を破壊した」(慶応大学名誉教授・小林節)、「外交ではトランプの後追いばかり。イデオロギー的には超保守派で対米自立を言っているようで、現実にはアメリカへのポチぶりも甚だしく矛盾が著しい。世界秩序が変わる中で日本の存在感は薄れている」(前参議院議員・江田五月)。
〈この世をばわが世とぞ思ふ望月の虧(か)けたることもなしと思へば〉。平安中期、娘を次々と天皇の后(きさき)にし、自らは摂政として絶大な権限を握った藤原道長がふと口にした歌である▼この世は自分のためにある。満月のように足りないものは何もない―と。娘が幼い後一条天皇の中宮となり、喜悦の余り道長が祝宴で詠んだ歌とか。誰にも絶頂期はあるが、そんな思いにはそうそうなれない▼ただ、総裁3選を果たした安倍首相がその晩、美酒に酔ってふとそんな思いを漏らすのではと思ったが、せっかくの望月は叢雲(むらくも)に隠されてしまった。開票で「反安倍」を叫ぶ地方の声がはっきりと聞こえたからだ▼「安倍一強」に党員の45%が首を横に振った。おまけに絶対支持だった国会議員のうち20数人が面従腹背に走った。〝犯人捜し〟に躍起というのが今の党と官邸らしい。だが捕まえて一体どうするというのか▼確かに短命政権で決められない政治に苛立(いらだ)ちもした。だが一方で国民は有無を言わさず力で押さえ込む政治を望んだだろうか。〝モリカケ〟はじめ言葉が無意味化していく不条理劇を、嫌と言うほど見せつけられた▼「謙虚で丁寧
に」と首相が反省する傍らで麻生副総裁は反安倍なら「冷や飯覚悟」と放言。国家同様、政権にも「品格」が要る。3期目は9条改憲を問うとか。奢(おご)りは見苦しい。謙虚で丁寧に議論する品格がほしいものだ。
年老いて痩せ細った母。いたずら心でおぶってみたら、あまりの軽さに驚く。<たはむれに母を背負ひてそのあまり軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず>。極貧にあえぎ労苦をかけ続ける母を思うと、涙がこぼれ歩を止めた。日本人に最も愛される歌の一つだろう。石川啄木、明治41(1908)年の作。
<ランドセル人生の荷をかつぎ春>中原道夫。時代は移って、平成の句集から引いた俳句である。ぴかぴかの1年生が張り切ってランドセルを背負う。子どもの無垢(むく)な姿がほほえましい。が、背中からはみ出した大きなランドセルを見ると、こりゃ大変だと案じたりもする。
「通学のランドセルが重すぎる」「首や背中を痛めないか心配」。父母らのこうした声を受け、文部科学省は今月に入って通学時の子どもの負担軽減に配慮するよう、全国の教育委員会に通知を出した。
ランドセルの中身は教科書や教材だ。教科書のページ数は「ゆとり教育」期に比べ小学校で3割も増加し、1週間のうちランドセルを含め平均6キロもの重量になる日もあるという。
空っぽのランドセルでも、夢がいっぱい詰まっているなら、それでいいではないか。小さな背中が教科書に押しつぶされては気の毒だ。冒頭の啄木のごとく、子どもも成長するにつれ、重い人生の荷を背負っていくことになる。黒、赤、青…。色とりどりのランドセルに幸あれ、と願う。
こちらも騒音と埋め立てが絡む。1縄の米軍普天間飛行場の辺野古沖への移設問題だ▼沖縄県は8月末、故翁長雄志(おなが・たけし)知事の遺志に従い、国への辺野古沖の埋め立て承認を撤回。県と国の間には今、先の見えない猛風が吹き荒れている▼翁長知事の死去に伴う知事選は、13日に告示される。選挙戦は、自由党の現職の国会議員と、移設を進める自公などが推薦する前宜野湾市長という2新人の一騎打ちの様相。議員側が移設反対を打ち出す一方、前市長は移設の是非を表明しないまま、選挙戦に入るつもりのようだ▼ともに集票に思惑はあろうが、基地問題は揺るがぬ争点。うやむやな態度で結果を出し、国とのすきま風が収まっても、沖縄に吹く風がやむことはあるまい。
ことわざは古くから語り継がれてきた教訓だ。「名を捨てて実(じつ)を取る」もその一つ。名誉や外聞にこだわらず、実利を得るほうを選ぶのが賢明-と教える。「名よりも実」「名を取るより得を取れ」も同じようなことを表す。
ところが、まったく逆の教えもあるから複雑だ。「得を取るより名を取れ」「利を取るより名を取れ」。実利より名誉を重んじよ、目前の利益のために名誉を失ってはならない-と説く。名と実、どちらを選ぶかは、その人の考え方や置かれた状況により異なるだろう。
「究極の選択」と語ったのは、サッカー日本代表の西野朗監督。ワールドカップロシア大会のポーランド戦。決勝トーナメント進出という「実」を得るために、リスクがありながら、時間稼ぎに徹する「不名誉」とも言える戦い方をチームに指示した。
試合終盤、パス練習のようにボールを回すだけで、敵陣へ攻め込もうとしなかった。猛烈なブーイングが吹き荒れ、会場は異様な雰囲気に包まれた。試合に敗れながらも、日本は1次リーグ突破を決めた。
「結果が全て」「正しい判断」という評価の一方で、サムライらしからぬ消極的な姿勢に批判も起きた。西野監督は「今日の分まで強気で」と次戦を見据えた。相手は優勝候補に挙げられるベルギー。歴史に残るような戦いぶりで初の8強入りを果たし、名も実も手にしてほしい。
『上を向いて歩こう』が米国のビルボード・ヒットチャート1位に輝いたのは1963年。もう55年も前のことになる。世界の人にこれほど愛されている日本の歌はないだろう▼作詞が永六輔、作曲は中村八大、歌手が坂本九の〝六八九トリオ〟。61年に売り出され、英国でジャズ風の『SUKIYAKI』に編曲されると10位入り。米国の反応は薄かったが九本人の歌唱で火が付いた▼63年6月に3週連続1位の歴史的快挙を達成。瞬く間に世界の大ヒット曲になった。だが、子供の耳には「ウヘッフォムフィテって変な歌い方」としか聞こえなかった。そんな違和感を覚えた人も多かったようだ▼六輔も最初耳を疑ったとか。八大に「歌手を変えて」と訴えたが、却下された。実は「言葉足らずだった歌詞を、お母さんの三味線で育った九が邦楽の歌い方で埋めてくれた」(隈元信一著『永六輔』)のだ▼トリオの誰もヒットするとは思わなかった。だが、補い合うことで〝悲しみの琴線〟に触れた。歌曲風に朗々と歌うのではない。悲しみに打ち拉(ひし)がれた時、思わず唇からこぼれる、世界の皆が求めている歌だった▼日航機墜落事故で父の九を失った大島花子さんが、16日に八戸市で「歌があれば悲しみの底でも生きられる」と講演。大阪の地震に富山の発砲事件、世界では紛争が絶えない。歩きながら歯を食いしばって口ずさめる歌がないと。
この瞬間、直下型の地震に見舞われたら―。瞬間とは自室でこの原稿を書いている今のことだ。前触れもなく大地震がガツンと来たら、左右の壁と後ろの書棚に直撃されるか、崩れた本に埋もれて圧死するかもしれない▼書棚は天井まであるので何トンもあるだろう。だが、ただ手をこまねいている訳ではなく、自分で十分と思う対策は講じている―つもりだ。狭い部屋なので左右に突っ張り棒を5本食い込ませ、釘(くぎ)を打ち付けた▼ユラッと来たら震度を瞬時に予測、大ならパソコンを持って逃げる―という算段だが、自信はない。初期微動なしの直下型は打つ手もなし。突っ張り棒と違う角度からの揺れにも弱く“本の海の藻屑(もくず)〟と化すかも▼18日朝の大阪北部地震で、男性(85)が自宅で倒れてきた本棚の下敷きになり死亡。登校中の女子小学生(9)が倒壊した学校のブロック塀に、男性(80)が民家のブロック塀に挟まるなど4人が亡くなった▼内陸の典型的な活断層地震とか。大都市の直下で震源は浅く、身構える間もなかったのか。江戸時代からの古い家並みが突如揺さぶられ、ブロックや瓦が弱者を直撃した▼地震で倒れやすいのは本棚と食器棚らしい。家屋の倒壊は免れても家具の下敷きで命を落とす人が意外に多い。棚から降ってきた大量の本に埋もれて窒息死した事例も。弱った家屋は余震が怖い。ユラッと来たら逃げるが一番か。
彼(か)の国には、トロルと呼ばれる巨人がいると言い伝えられてきた。人々に悪さをする存在で、住民は知恵を絞って対抗したという。その国は大西洋の北緯65度に浮かぶ人口約33万人の小さな島国、アイスランドである。 ▼▽例えばこんな昔話がある。夜、皆が祈祷(きとう)に出掛けた後の屋敷では留守番の者がよくトロルに襲われた。ある時、若い娘が留守番を買って出る。するとトロルが屋敷の外に現れ、娘に眠るように迫った。娘が一晩中会話を繋(つな)いで粘ると、トロルは日光を浴び石に変わっていた。 ▼▽サッカーW杯に初出場したアイスランドにとって、初戦の相手アルゼンチンはトロル並みに畏怖すべき存在だったに違いない。何しろ相手は前回準優勝、主将メッシは世界屈指のFWだ。だがアイスランドはメッシのシュートをしのぎ切り、大健闘の引き分けに持ち込んだ。 ▼▽並み居る強豪に立ち向かうという点では、FIFA世界ランキング61位の立場で戦う日本も同じだろう。しかし19日の初戦はコロンビアに見事勝利した。アイスランドを上回る大健闘の発進だ。繋いで突破して、相手が固まるようなプレーを、今後の試合でも見せてほしい。
あの、つるんとした食感を、酢の物と吸い物で久しぶりに楽しんだ。ジュンサイは今が旬。出回っているのは、日本一の産地である秋田県三種(みたね)町産。6月、町の沼は収穫の最盛期を迎えた
▼スイレンに似た水草。「万葉集」に登場するほど食用の歴史は古い。昔は湖沼で普通に自生していたが、生息地の減少や水質の悪化で激減。岩手ではレッドデータブックで「存続基盤が脆弱(ぜいじゃく)な種」に指定された
▼それにしても何とも不思議な食材だ。新芽を覆う透明なゼリー状の物質。その成分はオクラ、ナメコ、ヤマイモなどの「ぬるぬる・ねばねば」と共通する物質だとか。人体にも多くの効用があることで知られる
▼独特な感触ゆえだろう。「関西ではじゅんさいが料理ばかりでなく形容詞にも使われているのをご存じだろうか」。京都生まれの直木賞作家松井今朝子さんが、エッセー「今ごはん、昔ごはん」で紹介している
▼「のらりくらりして態度をはっきりさせない人」「調子のいいことばかり言って、肝腎のところでするりと責任を回避するような人」。そんな人に「あんた、じゅんさいな人やなあ」と、皮肉を言うのだという
朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」が、今度は安倍晋三首相について、「あいうえお作文」を使って批判的な指摘を展開した。
10日ほど前には、同じ欄で麻生太郎財務相に対して同様の手法で皮肉を投げかけ、ネット上で「ただの悪口」と反発する反応が出ていた。今回のコラムに対しても、「まただよ」といった声があがっている。
■「アベソウリハ コタエテイナイ」
2018年5月29日の「素粒子」では、13行の文の頭文字を並べると、「アベソウリハ コタエテイナイ」となる「あいうえお作文」を披露。
「ア 新しい文書が出てるのに」
「ベ べらべら同じ答弁を続け」
「ソ 尊大な態度でヤジに応酬」
(略)
「テ 手前勝手に並べた揚げ句」
「イ 『印象操作』といい返す」
(略)
といった調子だ。安倍首相が、「『うそ』の疑い」が強まった理屈を「こねくり回して」いると指摘する箇所もある。冒頭の「新しい文書」とは、加計学園問題をめぐり愛媛県が新たに公開した文書などを指すとみられる。
このコラムに対し、ツイッターでは、
「こういうのは本当にやめて欲しい。読者として恥ずかしい」
「朝日が嫌っているであろうネトウヨとマジで大差ないよ」
と批判的な声が寄せられた。
「5ch以下だなw」「うまいw」
他にも、19日の「素粒子」での麻生大臣に対する「あいうえお」作文を念頭に、
「またまた あいうえお作文」
「見識のある多くの国民から嘲笑され呆れられたが、全く堪えてないらしい」
「麻生大臣の件で散々批判されたのに、かけらも懲りてないやんけ」
と呆れたような反応も目立った。中には、前回の麻生大臣関係コラムが「内輪受けが良かった」のか、と推測する人もいた。また、ネット掲示板「5ちゃんねる」では、
「5ch以下だなw」
「便所の落書き」
といった批判的な反応に混じり、
「うまいw」
「朝日おもろい!もっとやれ!」
と、賞賛とも皮肉とも判断しがたい指摘も見受けられた。
19日の「素粒子」では、「アソウタロウ ザイムダイジン」となるように、
「ア あっけらからんとした顔で」
「ソ 反っくり返るように座り」
などと、麻生大臣に対し、「高飛車な態度」などの言葉を使いながら、批判的な論旨を展開した。これに対し、ネットでは「ただの悪口!? 」といった声や、「朝日新聞」の「あいうえお作文」を作って、逆に皮肉る人も続出。J-CASTニュースも「朝日『素粒子』、アソウタロウ作文で麻生氏批判(略)」(5月21日配信)の記事で、こうしたネットの声を紹介した。
・柳瀬唯夫元首相秘書官、「不自然な答弁」で野党から猛反発。
・安倍首相と役所との間で“示し合わせ”があったとされても仕方ない。
・不正や忖度がないなら関係者を参考人招致すべき。
中村時広知事 出典:中村時広知事公式HP
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=40091でお読み下さい。】
モリ・カケ問題が治まらない。これまで「記憶がない」と加計学園関係者らとの面会を認めていなかった柳瀬唯夫・元首相秘書官(56)が参考人招致で一転して官邸で3回にわたり面会したことを認め謝罪した。しかし、加計の「人と会ったことを総理に報告したことはない」と答えるなど、一貫して総理を巻き込まないよう“忖度”している様子が浮かび上がり、かえって「不自然な答弁をしている」と野党から猛反発された。
また愛媛県の中村時広知事も“柳瀬氏がこれまで首相案件と語ったとする文書の記述は担当職員が一言一句漏らさず報告したいという気持ちで、ありのまま書いているのに、どうして全て正直に認めないのかわからない。県の信頼を損ねるような発言があったのは非常に残念”と反発した。
安倍首相 出典:安倍首相公式Facebook
また、安倍首相は「柳瀬氏から加計学園の報告を聞いた覚えはない」と柳瀬氏の発言をかばった。ただ、柳瀬氏が首相の友人の加計氏と3回も会って獣医学部創設の話を聞いていたのに首相に報告しないのは不自然と思われても当然とみられる。
また、柳瀬氏は安倍氏のゴルフに同行し安倍氏と加計理事長が長年の友人であることも認識していただけに加計氏との会談内容を伝えなかったことはかえって疑問に思われよう。一方、首相側も加計学園問題を重要案件と受け止め、早急に検討するとしていながら一度も柳瀬氏に問い質さなかったのは不思議と思われても仕方がないとの印象を与えたといえる。
いずれの場合も、互いに問題をよく知りすぎているため、いちいち言われなくても理解できていたとも取れるが、逆に特別の便宜を図ったとみられたくないため、首相の側も聞かなかったし、柳瀬氏も報告せず忖度しながら事を進めていたとも取れる。
しかし、獣医学部認可が加計学園だけに行なわれた経緯を考えると、安倍首相と役所との間に何らかの“示し合わせ”があったと取られてしまうわけだ。
加計学園が獣医学部の申請を行なうことは、何らやましいことではなく堂々とやっていればよいことだし、審査にあたって安倍首相や内閣府が手続きにのっとり、公開して粛々と正しくやっていれば何ら問題はないことなのである。にも拘らず、ここまで事がこじれる背景には余計な忖度が働いたり、答弁に不自然さやあいまいさがあったためだろう。もし不正や忖度などがなかったのなら、加計学園理事長や審査した人々などを国会に呼んですっきりさせた方が早道だし、よいのではないか。
いつまでも加計問題を引きずっていると内閣支持率は上がらないし、「やはり裏に何か問題があったのか」と疑われよう。それにしても最近の官僚は政治や首相を慮っているのか率直にモノを語らず官界全体の信用を落としているのではないか。
石に名前が刻まれた一人一人に、大切な人がいて未来があった。あの日から7年の朝を迎えた。日曜日、県内各地に立つ慰霊碑には、思いを寄せる多くの人の姿がある。 詩人の谷川俊太郎さんに「あなたはそこに」という作品がある。50億人の中から「あなた」は目の前に現れた。恋する気持ちはかわされ妻が嫉妬するほどの友達になった。だが、突然の死が訪れる。残された者の思いを24行の詩につづった。出会いの不思議さ、はかない命の尊さを歌い、世界で一番短い恋愛小説と評された。 詩の最終節は「ほんとうに出会った者に別れはこない」で始まる。別れの日から長い年月が過ぎようとも、亡き人は思い出の中で生き続ける。「あなたとの思い出が私を生かす 早すぎたあなたの死すら私を生かす 初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も」。誰にでも、いろいろなあなたがいる。家族、友人、恋人、同僚…。 多くの人が慰霊碑に花を手向け、あなたの名前を指でたどるだろう。わが子や孫の成長、庭の花の様子、二人の大事な思い出など、語り合いたいことは、たくさんある。きっと、あなたは優しくほほ笑み、うなずいてくれる。
▼この花は散るのではなく、固まったままボタリと枝から落ちる。そのため武家は縁起が悪いとして嫌ったそうだ。一方で「椿寿(ちんじゅ)」「大椿(だいちゅん)」の言葉もある。長寿を祝うめでたい意味で用いるのは、花の命が長いため▼福岡県久留米市や熊本市など市の木や花に選定した自治体も多いが、長崎は全国で唯一、県の木に指定している。中でも自生地として有名なのが五島列島。実から取った良質の油は化粧品や、特産の五島うどんの製造でも使われる▼地元では耕作放棄地に苗木を植えるなど、ツバキを生かした地域の振興計画を策定しているという。2020年には「国際ツバキ会議」も開催予定。多彩なツバキに囲まれ、香ばしいかおりに包まれる島へ。その名が全国、世界へと広がるように施策の開花が楽しみだ▼早くもあすは啓蟄(けいちつ)。虫たちも、そろそろお目覚めの候となる。三寒四温を繰り返しつつ、季節の名も「椿」から木へんが次第に薄れてゆく。
「竹馬の友」とは、誰もが知る故事成語である。一緒に仲良く遊んだ幼なじみのことだが、実は本意はかなり異なる。誤解された意味がそのまま定着したらしい。中国・晋の簡文帝(かんぶんてい)は権勢を振るっていた桓温(かんおん)の抑え役として、賢人の誉れが高い殷浩(いんこう)を登用した。だが殷浩に軍隊を指揮させると、連戦連敗の体たらくだった。これを理由に桓温は政敵を平民に降格し辺地に流してしまった。ところが何かにつけ、失脚した殷浩と比較されることに不満が噴出。そこで二人の関係を説明した。「私は子どものころ殷浩と竹馬でよく遊んだ。でも彼は自分が捨てた竹馬をいつも取っていた。だからあいつが私より下になるのは当然のこと」。要するに自らの優位性を吹聴する弁解というわけだ。ちなみに当時の竹馬は現代と違い、笹竹(ささたけ)を馬に見立ててまたがり走り回る遊びだった。それと同じく古来の「竹馬の友」の意味も、今で言う親しい間柄とはかけ離れていた▼トランプ米政権の内幕を描いた暴露本が物議を醸している。最側近で盟友と目されたバノン前首席戦略官は大統領の諸政策を場当たり的だと批判した▼さらに家族の言動を酷評し無能呼ばわりした。二人三脚で大統領選を勝ち抜いたご両人も今や互いに中傷し合う犬猿の仲。バノン氏が一部釈明したとはいえ、その関係は故事が伝える「竹馬の友」そのものである。
昨年の題は「大切なものを抱いて、進むんだ。」だった。毎年、成人の日のサントリーの新聞広告を楽しみにしている人もいるだろう。作家の伊集院静さんが「二十歳の君に乾杯。」という激励の言葉を寄せている。
「大切なもの」とは何だろう。伊集院さんはこれまで自分と歩いてきたものだという。好きな言葉でも、ヒーローでも、友だちでもいい。それをなくせば自分自身を失うことになる個性だと。「主張せよ。」「君は誰ですか。」「風の中に立ちなさい。」というエールもあった。
開高健、山口瞳といった作家もかつて、この広告の文章を書いていた。偉そうな先生や先輩の説教、うんちくは心を素通りしがちだが、「人生の達人」のような人たちの言葉は、こちらとの距離が少し心を素直にしてくれる。
今日は県内各地でも成人式が行われる。友と語る時間は大きな喜びだ。師との再会に恵まれる人もいるだろう。頭[こうべ]を垂れ、悩みを打ち明けられる師と呼べる人がいるのは幸運なことだ。身近な先人の言葉のありがたみはだんだんと分かってくる。あなたが成人した時、師からもらった激励の言葉は何だったろう。年を食ってからも、かみしめられる。
人のコミュニケーションに革命を起こした電話。きょうは「電話創業の日」である。明治23(1890)年のこの日、東京と横浜の間で、日本初の電話事業が始まった◆発明したのは米国人のアレクサンダー・グラハム・ベルで、1876年のこと。ベルが音やコミュニケーションに興味を持ったのは、彼の母親と妻がともに聴覚障害者だったからといわれる。電話発明の根底には不自由な人とどうにかして話したい、聞こえるとはどういうことなのかという切実な思いがあった◆さて、佐賀県内での電話利用の開始は明治40年から。中でも有田町は早かった。明治44年の加入者は17人と、『おんなの有田皿山さんぽ史』にある。1番は香蘭社で、町役場の13番より先だ。昭和28年の普及率では、全国平均や佐賀市よりも有田町が抜きんでる。陶都の活発な商業活動と、情報への高い感度がうかがえる◆その電話も固定から携帯へ。いまやスマホ全盛時代である。ここにきて、楽天の参入という新たな波がきた。認可されれば新規は13年ぶり。高いと感じられがちの利用料金に、風穴をあけると期待したい◆ちなみに、電話をかける時の「もしもし」は、明治のころの武家あがりの人が「申し申し」と言ったことからという。いくら電話が進化しても、これだけはこの先も変わらないことだろう。
久しぶりに東京へ出かけた際に、東京の盛り場で待ち合わせとなると新橋のSL広場を訪れた。酔客らの背後に鎮座して黒光りする蒸気機関車「C11-292」。実はこのSL、東京を一度も走ったことがない。1945年に製造された後、72年まで播但線と姫新線で活躍した。戦後復興期、満員の乗客を乗せて播磨や但馬などを疾走した実物が、鉄道発祥の地の新橋にあるのも興味深い◆文明開化を告げる新橋-横浜の鉄道開通から4年後の1876年、兵庫では日本初の“高速道路”の「銀の馬車道」が開通した。銀山がある生野から姫路市の飾磨津までの約49キロ。欧州の工法を用いて粗(あら)石、小石、豆砂利などを敷いた画期的な舗装が実現した◆水田より60センチ高い路面は頑丈で水はけがよく、荷物を満載した馬車が高速で走ることができた。この工法は「近代舗装の芽生え」と建設業界で評価される◆馬車から鉄道、そして車へ。歴史に刻まれていた馬車道はこの4月、「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」のストーリーで日本遺産に認定された。沿線には往時の繁栄を示す痕跡とともに、豊かな地域資源がそろう◆都会の喧噪(けんそう)の中で、新橋のSLは故郷を恋うるように1日3回汽笛を鳴らす。静かな田園の馬車道沿線は、地域再生のロマンで応じたい。
〈自衛隊員は選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない〉と自衛隊法61条は定めている。自衛隊員に任用される際の「服務の宣誓」にも〈日本国憲法および法令を順守し〉〈政治的活動に関与せず〉と▼自衛隊員の政治活動が厳しく制限されているのは、天皇の統帥権の下に軍部が暴走し、無謀な戦争に突き進んだ過去を繰り返さないためだ。防衛力は文民が統制する。それが平和国家・日本の根幹である。だが、その文民が考え違いをしたら…▼稲田朋美防衛相が都議選の自民党候補の集会で「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてお願いしたい」と支援を訴えた。自衛隊の政治利用、もっと言えば私物化と指弾されても仕方あるまい。隊員らは「組織を挙げて応援せよ」というトップの“指令”と受け取るかもしれない▼そもそも、選挙の応援は一政治家としての立場だ。防衛相の肩書で、自衛隊を代表するかのように、特定の候補の支援を求めるなどもっての外。発言を陳謝、撤回すれば済むという話ではない▼先般は統合幕僚長が憲法9条に自衛隊を明記しようという改憲案を「ありがたい」と述べて批判を浴びた。トップの姿勢が組織のたがを緩ませているのでは▼弁護士の稲田氏は言葉の重みをよく知るはずなのに、問題発言が相次ぐ。そのたびにかばってきた安倍晋三首相。行政の中立を軽んじた今回はかばいきれるか。
「急がば回れ」のことわざは、古歌の<もののふの矢ばせの舟ははやくとも急がばまはれ瀬田の長橋>が語源とされる▼草津の矢橋(やばせ)と対岸の大津を結ぶ渡し舟は、近道だが突風の危険がある。だから、遠く迂回(うかい)する陸路の瀬田の長橋を渡る方が安全だとうたっている▼悲しいかな、そんな先人の知恵は、「安倍1強」を支える参院の与党議員にはみじんもなかったらしい。「共謀罪」法案を審議する法務委員会の採決を「中間報告」と呼ばれる禁じ手を使ってすっ飛ばし、本会議で採決を強行した。「良識の府」や「熟議の府」といわれる参院にあるまじき乱暴さである▼国民の間に疑問や批判がうずまいても説明責任を果たさず、一方的に審議を打ち切って幕引きを図る。法が成立さえすれば、そのうち忘れるとでも思っているのなら国民も随分と見くびられたものだ▼奇策を使ってまで決着を図ったのは、首相への疑惑封じとの見方がもっぱらだ。加計学園問題への追及を避けるには、極力早く国会を閉じたいというわけである。だが、そんな隠蔽(いんぺい)にも似たやり方は、かえって疑惑を深めることにならないか▼自由や人権を脅かす監視社会を招きかねない法の成立を、回らずして急いだ与党。安倍一党を乗せた舟が荒波を無事に渡り切ったとは、まだ言えない。
「実在したとしても、書かれたことが正しいかどうかは次の話だ」との萩生田光一官房副長官の発言は、これからの方向性を示しているようでもある。政権の思惑通りに進んでいくかどうか 「総理の意向」などと記載された文書の存否について、文部科学省が再調査へ重い腰を上げることになった。政府の国家戦略特区制度を活用した学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設計画を巡る疑惑解明が、新たな局面を迎える やましいことがないのなら調べてみればいい。そんな世論に耳を貸さず、告発した前文科次官への個人攻撃で乗り切ろうとしたのには、少々無理があった。「印象操作」は、うまくいくものではない。首相が常々言っている通りである 文書があったとしても、それがどうしたで済む問題と割り切ったのだろう。一点の曇りもないのなら、ここは徹底した調査をするべきだ。そもそも、学部新設の必然性にさえ疑念は及んでいるのである 「同姓同名の職員はいる」式の、のらりくらりの調査結果となれば、またぞろ内部告発の連発となるのは必至だ。疑惑はかえって深まろう 森を焼き払うには小さな火の粉で十分、と古い格言にはある。とても火の粉とはいえない勢いだが、根も葉もない言いがかりであれば、自然鎮火するに違いない。誠実に、疑問に答えていただきたい。
様子が「将棋倒しをする如(ごと)く」と表現されている。南北朝時代の軍記物語「太平記」の一節。盤上の合戦ゲームが古くから日本に根付いていた証しだろう。手元の辞書で知った▼14歳の中学生棋士・藤井聡太四段の力に押され、先輩プロ棋士たちが、あれよあれよという間に敗れていった。デビュー以来、公式戦で29連勝の新記録。藤井四段の快進撃がお茶の間の話題をさらった▼無論、災難というわけではない。将棋界にとってはむしろ“負の連鎖”を断ち切る朗報だったろう。人工知能(AI)ソフトを相手にプロ棋士は苦戦続き。昨年は棋戦の対局でソフトが利用されたのではないかという“カンニング疑惑”騒動も起きた▼そんな中に現れた新鋭はいわば救世主。生身の人間が知略を尽くし合う将棋の魅力を知らしめ、ファンをつなぎ留めた。素直で礼儀正しい「若武者」に好感を持った人も多かろう▼人の生きざまと重なる格言も改めて思い起こしたい。「歩のない将棋は負け将棋」「桂馬の高跳び歩の餌食」…。従業員を単なる歩とみなしていないか。功を焦って無理筋の手を連発していないか▼経営トップらの慢心や過信はそれこそ、災難を呼ぶ。相次ぐ企業の破綻や不祥事もしかり。大駒にまつわる戒めもある。「高飛車」な姿勢。これも始末が悪い。昨今の永田町が得意とする構えである。
心中や敵討ちに火事、災害-。江戸時代、庶民の興味を引いた情報だ。娯楽からニュースまで、「知りたい」という欲望はいつの世も変わらない。核心を読みたいと思わせる口上で売った江戸期の「かわら版」。新聞の号外のようなものだった◆「読売(よみうり)」「絵草紙(えぞうし)」「一枚摺(ずり)」と呼ばれた印刷物である。ただ幕府は政治批判や言論活動の活発化を恐れ、禁圧した。そうなると知りたいのが人の常で、追及を逃れるため作者不明で出回ることに◆さて、こちらも今のところは出所が分かっていないものだが、表に出て物議を醸している。内閣府が文部科学省に、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を促したとされる文書である。「総理のご意向だと聞いている」「官邸の最高レベルが言っている」-。中にはそんな記述があり、国会で火種に◆新設に慎重だった文科省が急に軟化したのはなぜか。学園理事長は首相の「腹心の友」とされ、またも官僚の「忖度(そんたく)」が働いたのでは、と野党が問いただす。文科大臣は「文書の存在は確認できなかった」というが、職員の個人パソコンは調べていない。もやもやは残ったままだ◆かわら版は庶民の知りたいこと、知らなければならないことを伝えてくれた。くだんの文書だって真偽のほどは無論のこと、核心を知らされないままでは国民は納得しまい。(
在来植物との攻防は、人目に触れる地上だけではなかった。「たたかう植物」(稲垣栄洋著、ちくま新書)によると、セイタカアワダチソウは根から毒性物質を出す。地下では「化学兵器」を使った激しい戦いがあったのである 物事は、見えるところだけで進んでいるわけではない。大阪市の森友学園の問題も、長い地下茎が複雑に絡み合っているのではないか。籠池泰典氏の証人喚問を聞きながら、そんな疑念を強くした 100万円の寄付や国有地の払い下げ、特異な教育方針を掲げる小学校の認可など、籠池氏の一方的な証言だけでは、いよいよ闇が深くなるばかりだ 国や大阪府がどういった判断をしたのか、忖度(そんたく)はあったのか、籠池氏をただしても、もとより明らかになるはずはない。関係者の名も、ぞろぞろ出てきた。ぜひ事情を聴かせてもらいたい。話の流れからすれば、偽証すると罪に問われる証人喚問という形が公平だろう セイタカアワダチソウは、一時の勢いを失っているそうだ。皮肉なことに、他の植物を圧倒した途端、今度は自家中毒を起こしているらしい。根があって花が咲く、植物の不思議である。
ちょうど6年前の今ごろ、ふらりと訪ねた先の光景が脳裏を離れない。岩手県九戸郡野田村の十府ケ浦。リアス式海岸特有の断崖が多い陸中海岸では珍しく、砂浜が緩やかに湾曲しながら3・5キロほど続く▼国道沿いの高台から望む景観は圧巻だが、穏やかな日差しに誘われて、波打ち際に立ちたい衝動に駆られた。駐車場に車を止めて砂浜へ。寄せては返す波をぼんやり眺め、海水が砂を洗う音に耳を傾けた▼有史以来変わらない景観の中に身を置くようで心地よかった。しかし、「あの日」を境に辺りの情景は一変する。東日本大震災。津波が防潮堤を破壊し、防潮林の太い松の木をなぎ倒し、高台を通る国道沿いの食堂までのみ込んだ▼しばらくして訪ねると、駐車場はがれき置き場に。家屋の残骸などが山と積まれていた。言葉を失い、景観を眺めるのも心苦しかった。やがて復興のつち音が響き、防潮堤の工事が本格化した。村内には復興住宅も建設された▼また「3・11」が巡ってくる。被災地の災害復旧は進む。真新しい道路や建物が目立つ。それでも、震災前の暮らしを完全に取り戻し、自力で未来に向けて歩みだしたと言えるかどうか▼被災地では今も多様なボランティアが活動を続けている。福島第1原発の廃炉は先行きが見えず、帰宅できない被災者もいる。復興は現在進行形の課題だ。表層に目を奪われていると、深層を見失う。
高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知恵
浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面皮
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄
広いつもりで狭いのが見識
狭いつもりで広いのが人脈
大きいつもりで小さいのが目標
小さいつもりで大きいのが損失
明るいつもりで暗いのが指針
暗いつもりで明るいのが不正
重いつもりで軽いのが責任
軽いつもりで重いのが権限
早いつもりで遅いのが報告
遅いつもりで早いのが噂話
長いつもりで短いのが人生
短いつもりで長いのが青春
遠いつもりで近いのが因縁
近いつもりで遠いのが血縁
固いつもりで軟らかいのが結束
軟らかいつもりで固いのが思考
熱いつもりで冷たいのが人気
冷たいつもりで熱いのが恋心
辛いつもりで甘いのが自評
甘いつもりで辛いのが人評
速いつもりで遅いのが連絡
遅いつもりで早いのが時間
良いつもりで悪いのが世話
悪いつもりで良いのが友誼
安いつもりで高いのが奉仕
高いつもりで安いのが給与
鋭いつもりで鈍いのが注意
鈍いつもりで鋭いのが中傷
苦しいつもりで楽しいのが仕事
楽しいつもりで苦しいのが生活
はじめの10箇条は東京・奥多摩の高尾山には真言宗智山派の大本山である「薬王院」があり、そこに「つもり違い十ヶ条」という看板があるそうです。
ートルズのジョンレノンが亡くなったのは1980年12月8日。40歳で凶弾に倒れた。「四十にして惑わず」と孔子は言った。惑いが消えた時期だったのだろうか。あれから40年。ジョンが生きた歳月と同じだけの時間が流れた。彼と共にビートルズのメンバーだったポール・マッカートニーは、まだまだ現役で活動している。それを思うと、若過ぎた死はあまりにも惜しい。その死後もジョンの曲を耳にしない年はない。愛と平和を訴え続けたメッセージが色あせることもない。とはいえ、彼が望んだような平和は訪れただろうか。名曲「イマジン」は「世界は一つになる」と歌い上げたけれど、大統領選で国内が割れた米国をはじめ、現代の世界は分断のただ中にある。意見や立場の違いを理解しようとせず、ののしり合うことがある。コロナ禍の中でGOTOをはじめとしたウイルスを拡散させるこの施策を一時中断するように求めても耳を貸そうともしない、この日本は国民の声を分断している。今、感染症を巡る差別や中傷が絶えない。周囲をことごとく敵と味方に分け隔てようとする風潮すらある。私たちは、一体どこに向かおうとしているのか。ともすれば針路を見失い、漂流してしまいそうな気がする。分断をそそのかすような言葉に惑わされたくない。いま一度ジョンの言葉をかみしめたい。「イマジン」にはこんな歌詞もある。「想像してごらん、みんなが世界を分かち合っている情景を」。