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2021年10月7日
安倍・菅政権の終焉!
いよいよ菅義偉首相が政権の座を降りる。新型コロナウイルスの烈風に吹き飛ばされ、あっけない幕切れである。2012年に発足した安倍晋三政権から続いた安倍・菅政権も終焉を迎えた。アベノミクスを展開し、国政選挙で勝利を重ねたこの政権は、国民への十分な説明を欠き、野党力不足を見計りながら自分等の都合で選挙を重ねてきた。そのためか多くの腐敗も生んできた。自民党は次期総裁の下で再スタートするが、安倍・菅政治をどう清算するのかが問われている。最後の審判は総選挙での国民の判断に委ねられる。安倍政権は「結果」をアピールすることが多かった。アベノミクスの金融緩和で株価は上昇、雇用は改善した。安倍氏は「結果を出した」と胸を張った。 「結果」の中身については議論があるだろう。だが、国民の家計は豊かになっていない、格差が拡大しただけだという指摘もされている。ただ、景気回復の中で成長戦略や構造改革が進まなかったことは確かである。具体的には社会保障などの分野で改革に踏み込めなかった。既得権益に切り込まなかった。例えば感染症拡大に備えた患者の受け入れ態勢を構築しなかった。安倍政権がコロナ感染に先駆けて、国や都道府県が民間病院や医師会に病床確保を指示できるよう関連法の改正に踏み出していれば、今回の感染拡大に対応できたはずだ。だが、安倍政権は手を打たなかった。理由は簡単である。自民党の支持基盤の医師会に配慮したからだ。成長戦略や構造改革に本気で取り組むには、自民党の支持基盤の既得権益に切り込まなければならないが、自業自得のため、特に安倍政権の動きは鈍かったと思う。デジタル社会の基盤となるマイナンバーカードが広がらなかったのは、所得が把握されるのを嫌がる一部の経営者に気兼ねしたためだ。彼らも自民党の支持基盤だ。その結果、衆院選や参院選で自民党は勝利を重ねたが、改革は停滞したままであった。厚生労働省や都道府県が民間病院や医師会に病床確保を呼び掛けても、強制力が弱いから病床は逼迫したままであった。自宅で亡くなるケースが相次いでいる。そして給付金の支給ではマイナンバーカードを使っても銀行口座に紐づいていないから、振り込みに手間取った。先進国では考えられない事態が続いた。それでも安倍氏は「結果を出している」と言い続けた。野党(民主党は民進党、立憲民主党などに党名変更)が批判すると、安倍氏は「民主党政権は悪夢だった」と切り返した。国会審議で安倍氏は、辻元清美氏ら野党議員に向かってヤジを飛ばし、対決姿勢をむき出しにした。安倍・菅政権では不祥事が相次いだ。森友問題では国有地が大幅に値引きされて払い下げられ、安倍氏は「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と大見えを切った。この発言が昭恵夫人の行動を記載した財務省の公文書の改ざんにつながった可能性が大きいが、真相はまだ、明らかにされていない。改ざんを求められた近畿財務局の職員が自殺に追い込まれたのに、安倍氏や財務省は遺族らへの説明責任を果たしていない。虚偽答弁を繰り返した 「桜を見る会」の疑惑も深刻だ。安倍氏の後援会員が大勢招待され、飲み食いに興じたのは公私混同の極みだった。後援会員を集めた「前夜祭」への資金提供について安倍氏は国会で否定し続けたが、東京地検特捜部の捜査で資金提供が発覚。安倍氏の秘書が立件された。安倍氏の国会答弁の虚偽は118回にのぼった。国権の最高機関である国会が政府をチェックするはずなのに、首相が野党議員をやじったり、虚偽答弁を繰り返したりした。公文書の改ざんを含めて安倍政権下で日本の民主主義は大きく傷つけられた。 菅氏の長男が勤める衛星放送関連会社が、総務省幹部の接待を繰り返していたのは、まさに長期政権の「膿」である。 その安倍・菅政権がコロナに見舞われた。感染は徐々に拡大していった。全国一斉休校やアベノマスクの配布などで政権は右往左往した。病床の逼迫が深刻になり、経済情勢も悪化し続けた。「結果」が出せなくなり、民主党批判も通じなくなり、安倍氏は20年8月、持病の悪化を理由に退陣を表明した。
自民党総裁選の結果、官房長官だった菅氏が総裁・首相に就任した。国民を説得する術なしの人物であったが、官房長官として人事権をテコに霞が関ににらみを利かせ、常に上から目線で権力を使い続けてきた菅首相。安倍氏の政策を引き継ぐと表明したが、政治姿勢はやや異なっているようにみえる。憲法改正に前向きの安倍氏に対し、菅氏はあまり興味がない。菅氏は携帯電話料金の引き下げといった実務的な政策や省庁の縦割り是正に関心があった。野党に対しても、菅氏は安倍氏のような対決姿勢一色ではなかった。菅政権のコロナ対策も安倍政権同様、後手に回り続けた。感染が少し収まると、景気対策として「Go Toキャンペーン」を始めた。感染は再拡大したが、東京五輪・パラリンピックの開催は強行。菅首相は開催の意義や理由、感染対策などについて国民が納得できる説明をすることはなかった。菅氏には国民と目線を合わせて説得する術がないことが露呈した。説明不足の典型が8月初旬に打ち出された感染者の入院制限だ。菅首相は感染の急拡大を受けて、中等症や軽症の感染者に対して、それまでの原則入院という方針を変更した。自宅療養とすることを突然、表明して強い反発を受けた。こうした危機管理の中では・まず見通しの甘さを率直に認めて反省の姿勢を示す・政府にできることとして、臨時の医療施設の設置や医師会への協力要請などを打ち出す・そのうえで国民に向かって、自宅療養が必要になることがあるかもしれないが、我慢してほしいと呼びかける──という手順が不可欠なのに自宅療養だけが求められた。感染症の全体像を把握し、政府や自治体にできることを明確にしたうえで国民に我慢を求める。危機の指導者に必要な説明能力を兼ね備えていないことが明らかになったのである。こうした危機管理の中、事態を甘くみていたのと、残念ながら、首相としての世界観や国家観を持ち合わせていなかった。答弁能力不足により国会への出席を拒み続けている姿勢は滑稽にも覚えてくる。退陣理由については「総裁選を戦うのはとてつもないエネルギーが必要」で「コロナ対策に専念すべきと判断した」と6日前と同じ内容を繰り返した。これでは政府のコロナ対応の説明としても、首相の退陣会見としても不十分だ。官邸ではさすがに二つの会見を分けることも検討したが、首相がその必要はないと判断したという。理解してもらわなくても結構、と言わんばかりの姿勢はここでも変わらなかった。コロナ対策に専念する、とは表向きで、党役員人事の画策など露骨な延命策が反感を買い、総裁選で再選の見通しがなくなったから辞めるのだろう、と大方の人は感じ取っている。カメラやプロンプターの向こうにいる国民と、最後ぐらいは本音で対話してほしい。なぜ国民の気持ちが離れてしまったのかを受け止めてほしい。安倍の緊急リリーフとは言え、人に対して説明・納得・共感を覚えるような姿勢及び能力不足により終焉しただけである。権力を行使すれば世の中は回せると思い続け、人間としての人格・品性を磨いてこなかった哀れな首相でもあった。