■ 2018 小さな旅 11 ■
今回は孫が夢中になっている電車群が一同にそろっている鉄道博物館(大宮)、そして上越の山城巡り(高田・春日山城)、老舗割烹巡り、ローカル線撮り鉄、最後は北上し盛岡城の城下町散策を楽しんできました!!
◎12/2 鉄道博物館(大宮:JR東の戦略基地)
◎12/3 高田・春日山城(上越の山城と老舗割烹)
◎12/4 ローカル鉄道(えちごトキめき鉄道・信越・白新・羽越・米坂線:峠を越えて⇒高田⇒直江津⇒長岡⇒新潟⇒坂町⇒米沢⇒福島⇒仙台)
◎12/5 盛岡(舟越保武・原敬記念館・盛岡城址・てがみ館・町屋・下~中~上ノ橋)
12/2 大宮鉄道博物館
仙台⇒大宮⇒ニューシャトル線⇒大成
埼玉県さいたま市大宮区にある鉄道博物館。愛称は「鉄博(てっぱく)」。JR東日本の創立20周年記念事業として2007年に開館した。現代に至るまでに活躍した実物の鉄道車両が41両(2018年時点)展示されており、また運転の疑似体験ができるシミュレータや日本最大級のジオラマは鉄道ファンだけでなく多くの見学者の人気施設となっている。車内販売さながら駅弁の販売や食堂車をテーマとしたレストラン、オリジナルメニューをそろえたキッズ向けの カフェも併設されている。電車のアクセス:JR大宮駅よりニューシャトル「鉄道博物館(大成)駅」下車徒歩1分(\190)、入場料\1300です。
12/3 上越高田城(松平忠輝)
大宮⇒上越妙高⇒高田・春日山
高田城は慶長19年(1614年)、徳川家康の六男 松平忠輝が築いた大規模な近世城郭です。築城にあたっては高田平野の菩提ヶ原が選ばれ、本丸をはじめ二の丸・三の丸の周囲に河川を利用した堀が設けられました。城は、13もの大名が動員された天下普請(幕府が命じて行わせた土木工事)により、4ヶ月ほどで完成したといいます。これほど短期間での築城は、豊臣氏との決戦(大阪冬の陣)を見据えてのことです。高田城は明治4年に廃城となり、陸軍の駐屯地となりました。明治41年、陸軍第十三師団の入城に伴って二の丸・三の丸の土塁は撤去され、堀の一部も埋められてしまいました。現在、高田城跡は高田公園として整備され、その全体が新潟県の史跡に指定されています。高田城の普請には加賀の前田利恒をはじめ多くの大名が任命されていましたが、総監督として指揮をとったのは伊達政宗であったといいます。政宗は松平忠輝の舅でした。
12/3 春日山城(上杉謙信)
戦国時代の名将・上杉謙信公の居城として知られる春日山城跡。国の指定史跡であり、日本百名城にも数えられています。築城の時期についてはよくわかっていませんが、南北朝時代(約600年前)には既に存在していたようです。ただ、現在見られるような広大な城に整備されるのは後のことで、上杉謙信公・景勝公と堀氏によるものと考えられています。「城」という字が「土偏」に「成る」と書くように、春日山城はまさに「土の城」であり、複雑な自然の地形を巧みに利用した堅固な城塞は、難攻不落の天下の名城といわれました。現在も、空堀(からぼり・尾根を掘って作る人工的な凹地)や土塁(どるい・土を盛って作った障壁)、大井戸など山城の特徴が残ります。屋敷や空堀が展開する山の裾野に、延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構(そうがまえ・防御のため外周を囲った日本の城郭構造)が築かれている点が大きな特徴です。標高約180mにある本丸跡からは、日本海や頸城平野、それを取り巻く山並みをも一望できます。また、春日山城跡の中腹には、昭和44年の大河ドラマ「天と地と」放映にあたり制作された、上杉謙信公の銅像があります。
12/4 新潟市内観光循環バスに揺られて
空き時間が1時間半あったので、新潟市内循環観光バス(¥210)で白山公園ルートを1時間で駆け巡りました。「えび千両」の駅弁は旅番組で紹介があったためか、大人気で新潟のメインの駅弁に昇格したようです。あまり知られていないが、日本ワインの発祥地である「岩の沢ワイン」は新潟県内だけの発売限定品で幻のワインと言われております。お米もおしゃれなパッケージに包まれ1kg程度に小分けされ、いかにもおしゃれと品質を大事にする姿勢が見え、現代の社会にアピールできる商品に進化したように思えました。
ローカル鉄道
〇大宮(ニューシャトル線)⇒大成(鉄道博物館)
〇上越妙高(えちごトキきらめき鉄道)⇒高田⇒直江津(信越本線)⇒新潟
〇新潟(白新線)⇒新発田(羽越線)⇒坂町
〇坂町(米坂線)⇒米沢
12/5 岩手の広大さと城下町の町屋を訪ねて(盛岡城:南部信直)
仙台⇒盛岡⇒仙台
盛岡城は,三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が,慶長2年(1597年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌慶長3年(1598年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ,北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し,それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)=御城内(ごじょうない)としています。
さらに,内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀で囲み,南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。また,外曲輪の北側と東側の中津川対岸の城下を堀で囲み,武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ)=総構(そうがまえ)が配置されています。築城工事は,北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ,築城開始から36年後の寛永10年(1633年)に南部重直(しげなお)=(代藩主)が入城して以降,藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。盛岡城は,明治の廃藩置県の後明治5年(1872年)に陸軍省所管となり,明治7年(1874年)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され,城内は荒廃しました。その後,明治39年(1906年)に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され,市民の憩いの場として親しまれています。
平成18年(2006年)には開園100周年を記念し,「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。
終わりに
今回は川崎にある前川本城の視察及び解説を聞いて、山城巡りしたくなった。戦国時代の古人を忍びながら各地を散策してみました。新潟上越地区の高田城、春日山城の戦国時代の山城。独特な石垣を重ね風雪に耐えた平城の盛岡城。そして、大好きなローカル線(えちごトキめき鉄道、信越本線、白新線、羽越線、米坂線)を乗り継ぎながら、初冬の景色を楽しんだ。その中でも「高田・盛岡」はちょうどよい規模のお城で自然要塞の意味を実際に肌で感じることができて大変良かった。そして地酒と郷土料理を楽しんだ。その中でも高田にある百年割烹「浮喜世」の地元料理は大変素晴らしかった。新潟はお米、お酒、つまみ(海鮮料理)がとにかく最高においしい。寒い肥沃な大地が生み出した自然の産物なのだろうか。高田には、もう一度、桜や蓮の花が咲く時期に訪れてみたいと思うくらい印象に残る町であった。今回の小さな旅11は心の想い出に残る旅であった。