2018活動日誌10月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2018年10月30日 晴れ 17℃
不祥事の言い訳と責任逃れにうんざりしている!
公務員は「原則として」や「例外」の言葉を、都合よく使いこなす術[すべ]を心得ているらしい。国と地方の役所が、職場で働く障害者の人数を多く見せかけたり、誤って数えたりしていた。言い訳には身勝手さがにじむ。今の政府の答弁とそっくりであり、都合の良い時は言葉を誇張させ力説するが、都合が悪くなると争点をずらしながら知らんぷりの態度。企業は数値を達成できなければ、納付金を支払う。行政は法令をつくる側であり、率先して手本を示す立場にある。官に甘く、民に厳しい裏切りといえる。民間には官尊民卑とさえ映る。守らない役所には一定の罰や懲戒が必要ではないかと思う次第である。以前に公費が不正に使われた問題が明るみに出た。架空の出張といった手法で裏金をつくり、流用していた。個人の判断というよりも、組織ぐるみの悪い慣習が背景の一つにあった。地方の役人が国の役人を公費でもてなし、飲食する官官接待も批判された。国にも地方にもお手盛りの意識がまだ残っているのだろうか。水増しは行政だけでなく、国会や裁判所にも広がっていたようだ。政府は全国調査を始める。意欲や技能を持つ障害者が、働く機会を狭められた可能性がある。不適切か、不手際か、それとも不正か。国民は不祥事の言い訳と責任逃れにうんざりしている。こんなことに腹を立てず、ストレスをためずと思っている。今日は街中で食事をしながら、じっくりと全国紙の新聞に目を通せ、サラリーマン時代とは別の視点で考えるようになってきている。
2018年10月28日 晴れ 18℃
ビニールごみ袋は環境保全のため使わない習慣を!
コンビニのレジで買い物をする度に、済まないという気持ちが増すようになってきた。誰に対してかというと、相手は地球。ビニールごみをまた増やしてしまう。ちょっとお菓子やおにぎりなどを買った時の袋だ。「袋はいいですよ」と断りたいのに、ついつい入れてもらい、たまる一方で車のごみ入れについつい使ってしまう。サイズは小さいが、何十枚ともなればあっという間にかさばる。スーパーにはエコバッグを持参するけれど、さっと立ち寄るコンビニには財布だけ持って入るのが常である。意識して“マイバッグ”を用意すれば済む話なのだが。。。海洋汚染の一因として問題になっているプラスチックごみ。漂流したビニールを餌だと思って飲み込む生き物もいるという。削減に向けて環境省は、レジ袋の有料化を小売店に義務付ける方針を固めた。コンビニも対象になる。異論、効果への疑問も聞こえる。確かに有料化だけで全てが解決するわけではないが、環境保全を考えるきっかけにはなる。既に多くのスーパーなどは有料化を導入済み。消費者は最初戸惑ったが、バッグ持参派は確実に増えている。身近なレジ袋が地球規模の問題につながっている。人間社会の利便性だけを基準に判断している場合ではなさそうだ。地球に共生する「生き物」として気配りを忘れてはいないか。快適な生活がある一方で、別の生き物の生活が破壊されていることを思い浮かべてビニールゴミ袋は意識して使わないようにしていきたい。
2018年10月25日 晴れ 19℃
消費税10%の話題が盛んになってきた!
蔵王は紅葉が本番の時季を迎えた。我が家から見える蔵王連峰のほのぼのとした赤や黄色の色どりと青空との山の稜線がくっきりとして美しくなってきた。お天気もよく、冬に備えていよいよ薪の準備を始めた。薪ストーブ近くの薪棚の取入れ口の動線を考慮しながら片づけながら整備を行った。そして屋外の古い薪のある薪棚から薪を運び始めた。いつもの光景かもしれないが、8年近く薪ストーブを使っていると、なぜか、やりやすい方法を自然体で覚えてきたような気がする。最近、消費税10%の話題が盛んに放映されている。「税のしくみ」「納税は国民の三大義務」―。誰もが子供の頃から教科書で学んできた。税金は、暮らしに必要な施設やサービスにかかる費用をみんなで負担するもの。素直に納得できていた気がする。ところが、大人になって実際に納め続けても、この国の財政難は一向に収まらない。それどころか、借金は増え続けて今後さらに厳しくなるという。消費税が10%に引き上げられる増税に伴う看板政策は「全世代型社会保障」。響きはいい。実現するなら負担もやむを得ないと思うが、何か釈然としない。今までの税金の使途に疑問符が付くからである。「日本人には、税金はどうしても“取られるもの”という意識が強い。「取られる」から「納める」意識になれば、税金の見方も変わるのだが。。。納得できる使い方になっているか、透明性が保たれているか。なぜか最近は不信感が増してくるばかりである。
2018年10月23日 晴れ 19℃
「霜降」季節がひたひたと歩みを進めている!
日本人にとって、快適で過ごしやすい季節は春と秋という人が多い。特に、収穫の秋はよい季節といえる。「いつも月夜に常(じょう)九月」ということわざがある。いつも明るく穏やかな月夜が続いて、常に9月のような気候なら申し分ないというわけだ。旧暦9月はだいたい今の暦で10月ころに当たる。少し前までは台風がたびたび接近して、慌ただしく備えに追われた。それにくらべると、このところの天候はわりあい落ち着いている。このまま穏やかに実りの秋が過ぎてくれればいい。今日は収穫の秋にふさわしく、家の前の田んぼで試行的に種からまいた稲の刈り取りを行った。まばらながらも青い稲穂であまり実入りがよくないようではあるが、何とか育ってくれた。量としては約30束程度であった。刈り取り後、天干しを行いながら。どんな新米の味なのかを思い浮かべている。そして落花生もおなじように掘り返し、馳せ掛けを行った。秋の日差しを浴びながら実りの秋を楽しんだ。夜になると、屋外に出れば少々寒いが、明るく穏やかな月夜を楽しめればいいと思う。今日23日は二十四節気のひとつ「霜降(そうこう)」。秋が深まり、霜が初めて降りるころという。季節がひたひたと歩みを進めているのをひしひしと感じている。
2018年10月22日 晴れ 18℃
原油高騰で寒い冬にならなければいいが。。
蕎麦の収穫もひと段落しホットしているが、最近は朝晩が冷え込むようになってきた。いよいよ薪ストーブの季節が近づいてきた。ガソロンスタンドの価格表示に驚いたのは灯油価格。店頭で18リットル1700円台、昨秋より3割高く、ガソリンも1リットル150円台で、上昇曲線が続いている。1970年代、100年続いた原油価格が2度にわたり急騰して世界経済が混乱。日本では便乗値上げを恐れ、トイレットペーパーの買い占めに走る騒動に発展した。中東戦争が招いたオイルショックである。サウジアラビアの反体制記者がトルコの総領事館で殺害された。サウジ当局は関係した同国籍の18人を拘束、サルマン国王は政府高官らを更迭した。外交施設で記者を殺害、言論を封ずる蛮行に世界が身震いした。本人は関与を否定しているがムハンマド皇太子の右腕も含まれ、疑惑は深まる一方。早期幕引きを狙って殺害は認めたが、トランプ米大統領の処罰発言に、原油供給の急減など“禁断の報復”も示唆している。米国のイラン産石油への禁輸制裁に、サウジの対抗策が上積みされたら―考えたくはないが、背筋が凍る。かつて米国がクシャミをすれば日本が風邪を引き、高度経済成長はオイルショックによって終焉を迎えた。事件の真相は“権力の藪の中”に突っ込み、人命も報道の自由も国益で丸め込まれていくのだろうか。事件と原油はステージの異なる事案のはずである。薪棚から薪を取り出しながら、寒い冬にならなければいいがと思っている。寒くなる前に家の前にある田んぼでは手撒きした稲穂がそろそろだよと合図のサインを送っている。もうひと仕事が残っているなあ。。。。
2018年10月19日 曇り 18℃
仙台歴史民俗資料館と自然エネルギーについて
今日は老壮大学で仙台歴史民俗資料館(仙台榴ヶ岡)を訪ねた。この建物は、明治7年(1874)竣工の陸軍歩兵第四連隊の兵舎を移築したもので、宮城県内に現存する最古の洋風木造建築物です。構造は、木造二階建て寄棟造瓦葺よせむねづくりかわらぶきで、布基礎ぬのきそは安山岩あんざんがんの切石積み、壁は漆喰しっくい塗りです。外観には、洋風円柱のポーチや建物の角隅を装飾した玄昌石げんしょうせきのコーナーストーン、館内には、雲形の彫刻をもつ階段、ガラス入り上下窓などの特徴がみられます。兵舎は、第二次世界大戦が終結する昭和20年(1945)8月までの約70年間、旧日本陸軍に使用されました。終戦後は、昭和31年(1956)6月まで米軍が駐留し、返還後の同年11月から昭和50年(1975)まで東北管区警察学校となりました。その後、榴岡公園の整備に伴い昭和52年までに建物の多くは解体されますが、最も保存状態の良い兵舎1棟が残され、昭和53年(1978)6月16日に仙台市有形文化財に指定されました。初めて訪問しましたが公園内で歴史の重みを感じさせられる歴史館で、とっても素敵でした。そして休憩室でシニア同士で自然ネネルギーについて話を。太陽光発電の一部事業者に、発電の一時停止を求める「出力制御」を、九州電力が実施した。電力需給のバランスが大きく崩れ、大規模停電に陥る事態を防ぐのが目的だそうだ。離島を除いて国内では初めてのケースとなる。要するに電力が余って困った、というわけである。多くの批判を受けつつも、原発の再稼働を急いでいるのは、一体全体どこの国の話か、という気がしないでもない。九電管内でも既に4基が再稼働している。供給は常に需要と一致させる必要がある。失敗すれば北海道で起きたような大規模停電につながるが、天気に左右される太陽光は、あらかじめ定めた量の供給が難しい 九州は全国でも太陽光発電の導入が盛んな地域だ。エアコンもいらず需要の減少する秋の週末、好天で発電量が急増すれば、火力発電所の出力を落とすなどしても調整が間に合わないと判断したという。政府はエネルギー基本計画で、再生可能エネルギーを主力電源化し、2030年度の電源構成比率22~24%を目指すとしている。出力制御が頻発すれば、再エネ普及の足かせとなろう。電力は国の大本だ。広域で電力融通をしやすくする送電網の増強や、余剰分を取り置く蓄電池の増設など、国と電力会社には、再稼働よりも急ぐべきことがたくさんある。自然エネルギーを大事に有効に使う施策をもっと考えてほしい。
2018年10月16日 晴れ 19℃
外来生物・セイタカアワダチソウが秋の光景に変わろうと!
花が一面に咲き乱れる春より、しみじみとした情緒は秋の方が優れているが、ちょっとさみしくもなる。古代から日本人は季節の移ろいに敏感で、とりわけ秋のもの悲しさに心を寄せている。燃え盛る暑さの夏を過ぎ酷寒の冬へと向かう秋は、生命感あふれる春とは違ううら寂しさが漂う。草花もまたススキやハギが秋らしい。ハギは漢字で「萩」と書くように、秋の七草の一番手を飾る楚々とした花である。ところがどうだろう。休耕田では、あちこちで派手に咲き誇る黄色い花がある。要注意外来生物・セイタカアワダチソウだ。昔ながらの秋の花々とはまるで趣が異なる北米原産の植物。人の手が入らない田んぼや畑、あぜ道、空き地などに侵出し、わが物顔で振る舞っている。農業の先行き不安から耕作放棄地は増加の一途である。最近ではその光景が秋の光景になろうとしている。蕎麦の刈り取りをブルーシートに広げ乾燥させながら、少しでも繁殖を防ごうと我が家の周りのセイタカアワダチソウの草刈りを行った。ささやかな抵抗かもしれないが、日本古来のものがセイタカアワダチソウに乗っ取られるような気がして哀れを感じている。蕎麦の助っ人も表れ、汗水流し労力をかけて、収穫した秋そばを何とか脱粒・乾燥して脱穀して新そばを味わいたいと家内と昨日から頑張っている。
2018年10月13日 晴れ 19℃
生きがいについて→人の一生は筋書きのないドラマだ!
蕎麦ファームの最後の刈り取りや雨により濡れた蕎麦の束を乾かしながら、色づきはじめた蔵王連峰を眺める。昨夜の歴史講座「戊辰戦争と秋田藩」の話内容を思い浮かべ、昔の武士の生き方に共感を覚えた。そして働き・学べることに幸せを感じている。そんな中NHK「西郷どん」にも最後の語りで登場する島津有理子アナが退局した。医師への道を目指し、勉強を始めるという。44歳の背中を押したのは、「生きがいについて」と題する本だという、「読んでいるうちに、自分の内面と向き合い、幼い頃からの思いをかなえるべきではないかと思うようになりました」。案内役を務めていた番組で紹介した本が、司会者自身の人生を変えた。著者の神谷美恵子さんは、ハンセン病で隔離された人々に寄り添った精神科医だ。未来を絶たれた人は、生きる喜びを見いだせるのかと患者たちの肉声が読者の胸を貫いている。「点字舌読」。視覚と指の感覚を失った患者は、舌と唇で点字を読み解くという。音楽や文学と出合い、光明を見いだした者は「唇がしびれ、舌先から血がにじみ出る」努力もいとわない。勉強でも、社会貢献でも、一念発起に「遅すぎる」はない。島津さんの決断に胸が熱くなった。それぞれの生き方があってもいい。私は川崎の山里に根差して農業そして音楽・歴史を自然体で見直している。楽しい。日々新たなりの心境でもある。人生100年時代と諭されても、人の一生は筋書きのないドラマだ。ぜひとも、この本を読みたくなった。
2018年10月11日 曇り/小雨 20℃
CT検査も終わり、いつものハンバーグをいただく!
今日は年1回のCT検査の日であり、がん手術より5年を迎えた。毎年この季節、仙台厚生病院の周りはうっすらと紅葉しはじめている。慣れているとは言え、緊張感も漂いながら手慣れた経路そして手続きを踏んで、無事に検査は終わった。そして、いつもの通り、昼食は「はせくら」のハンバーグ定食をいただく。このボリューム感にいつも腹も心も満たされホットする瞬間でもある。そして夕方からは友人と一緒に弁護士会館にて「憲法改正議論の現状とこれからについて」の講演を聞きながら意見交換を行った。自民党総裁選で憲法改正への意欲を繰り返し明らかにしてきた安倍晋三首相が執着しているのは、自民党がまとめた憲法改正案の提出である。首相本人が前のめりになればなるほど野党は反発し、国民は警戒する。与党の中でさえ合意形成は進んでいない。各種世論調査でも憲法改正の優先度は極めて低い。共同通信社が9月に実施した世論調査では、臨時国会への党改憲案提出に51%が「反対」と回答した。安倍首相の姿勢が改憲の「私物化」だと批判されるのは、こうした状況を無視して強引に改憲を進めようとしているからである。改憲を発議するのは国会であって首相ではない。首相が気負って旗を振れば振るほど「安倍改憲」への疑問と懸念は深まるばかりだ。一体、どのような深謀遠慮が働いているのか。安倍首相は、臨時国会に自民党の憲法改正案を提出し、来夏の参院選前に国会発議するスケジュールを描いていたといわれる。党役員人事で安倍首相は、側近の下村博文・元文部科学相を党改憲本部長に起用するなど改憲シフトを敷いた。だが、憲法改正原案を臨時国会に提出するのは現状では不可能である。首相が考えているのは、衆参両院の憲法審査会に4項目の自民党改憲案を提示し、その中で与野党が協議し、必要があれば一部修正をした上で、憲法改正原案を策定する、という流れだ。間違っても、来年の参院選前に発議したり、参院選と同時に国民投票を実施するというような、強引な改憲が行われてはならないと改めて感じた。
2018年10月9日 晴れ 24℃
ガンの「免疫療法」に見る基礎研究の大切さを思う!
今年のノーベル医学生理学賞は、本庶佑(ほんじょたすく)・京都大特別教授に贈られることになった。がん治療の分野で、画期的な「免疫療法」への道を開いたことが評価された。基礎研究を育てることの重要性を改めて示した点でも、受賞には大きな意義がある。がんの治療法は手術、放射線、抗がん剤という従来の手法に加え、現在では免疫療法が定着している。それにつながる発見を成し遂げたのが、本庶氏のチームによる基礎研究だった。1992年に、異物を攻撃する免疫細胞の表面にあるタンパク質「PD1」を発見し、免疫の働きを抑えるブレーキ役であることを突き止めた。今回、蕎麦刈り取りでお手伝い頂いた宮城県ガンセンター所長のSさんも同様にガンの基礎研究に携わっている。とにかく、製薬会社と連携し開発するのには相当のお金がかかり、研究費捻出に秋のシーズンはその申請に向けて頭をいためるようである。同じように本庶氏が基礎研究を実用化につなげる上で膨大な投資やリスクが課題になっていると指摘している。その上で「生命科学は種まき。花が咲くとは限らないが、たくさんまけばまくほど芽が出る確率は高くなる」と述べ、国の積極的支援を求めている。ノーベル賞の賞金を寄付し、京大に若手研究者を支援する基金を設立する意向も示した。背景には、すぐに結果や利益に直結する応用研究に重点が置かれ、短期間で成果の見えにくい基礎研究への予算が冷遇されがちな日本の現状がある。かつて世界第2位だったことがある日本の学術論文数は、最近では4位に転落した。本庶氏は研究の原動力は好奇心と強調し、「若い小中学生に研究の道を志してほしい」と呼び掛けた。効率主義が行き過ぎれば、研究の「芽」を摘むだけでなく、人材の育成を妨げる恐れがある。たくさんの「種」が多様な研究を続けていける環境を整え、支援していくのが国の役割であるというご意見はSさんも同様で蕎麦刈り以上に話が止まらなかった。
2018年10月8日 晴れ 25℃
秋に「風切り鎌」で台風に備える!
大好きなリンゴが色づき、空がさえ渡る季節、里山の紅葉も間近に迫っている。色づきはじめた蔵王連峰を眺めながら蕎麦の刈り取りを行った。蕎麦も今ではコンバイン時代で、みていると一反部などはあっと言う間に刈り取られてしまうが、我がプロジェクトは全て手作業である。全員鎌を持ち寄る。鎌は稲や草を刈る道具だが、別の役割も与えられている。風を「切る」、すなわち台風をよける呪具として。かつては秋に「風切り鎌」を立てる家が見られたと言う。さおの先に研ぎ澄ました鎌を付けて、風の吹く方角に立てる。「日本民俗大辞典」によれば、よく似た風習は全国各地にあるという。豊かな実りを象徴する鎌に、風神を鎮める霊力を期待したのかもしれない。風切り鎌にすがりたくなるような大型台風の進路だったが、列島を駆け抜けた台風24、25号は、何とか被害もなく通りすぎた。稲刈りやリンゴの収穫が本格化する今、農業者や漁業者の方は寝られぬ夜が続いただろう。でも通り過ぎてホットしているのではないだろうか。蕎麦の刈り取りもやっと終わり、我がプロジェクトもホットしている。「鳥の巣が低い年は大風が来る」「ススキの葉にくびれが多いと台風が増える」。古来、各地に伝えられてきた。自力で台風の来襲を予測し、風切り鎌で備える。昔人の心構えには学ぶべきことがある。
2018年10月4日 晴れ 22℃
防災ハザードマップには必ず目を通そう!
改めて北海道厚真町の映像をじっくり見た。海に向かって平野が開き、その手前、役場のある町の中心部は、なだらかな丘陵に緩やかに囲まれている。緑の牧場で馬が草をはみ、田には黄金色の稲穂が実る。地震はこんな優しい風景を襲ったのだ。町の至る所で民家の裏山が崩れている。山といっても、それほどの高さはない。火山灰が厚く積もった崩れやすい地盤とはいうが、こんな山が、というのが第一感。そんな山の大量の土砂が、民家をなぎ倒し、田畑を埋めた。死者は36人に上る。道路はうねり、橋は通行止めになっている。雪に備えて頑丈なのか、倒壊家屋はさほど目立たない。同じ震度7の熊本地震のように、断層沿いに軒並みといったふうではない。屋根がトタンで、瓦より軽いのも一因かもしれない。大規模土砂崩れは、防災ハザードマップに記載された危険区域外の比較的緩やかな斜面でも多く起きている。「雨の被害の延長に土砂災害があると思っていた」と宮坂尚市朗町長。地震による土砂崩れは想定外だったと明かしている。我が宮城県でも防災ハザードマップが公開されている。土砂災害の警戒区域は、全国的に豪雨を前提にしている。「まさか台風の翌日に大地震だなんて」と地元の人。大崩落の原因は、地盤が水を含んでいたことにもあるとされる。災害は「まさか」の集合体でもあるので、ぬかりなくこの週末の台風にもきちんと備えたいものである。
2018年10月2日 晴れ 25℃
秋も深まり今宵も親しい友人と心して飲みたい!
秋空が広がり、身も心もファーム作業は気持ちいいもんである。そして疲れた後などはちょっと一杯やりたくなるものである。酒場を放浪するBSのテレビ番組が面白い。おじさんがビール、焼酎、日本酒を飲み、焼き鳥やモツ煮を食べて、いい気分で店を出る。テレビを見ていると、何だか一緒に酒場にいるような気分になる。いろいろ酒の種類はあるが、ずっと日本酒ばかりの日本酒党。吉田兼好の『徒然草』に次のような記述がある。「立派で奥ゆかしいと思っていた人も、酒を飲むと分別もなく笑い出し、べらべらとしゃべり、かぶっている烏帽子はゆがみ、衣のひもははずして膝を高くかかげ、だらしない姿となる。日頃の人とはとても思えないくらいだ」。はっとさせられる兼好の観察眼である。気をつけなければ。注意しなければ。ただよく考えてみると兼好は酒に縁があり、宴席によく顔を出していたのだなということは想像できる。鎌倉期ごろにもあった仲間との「どんちゃん騒ぎ」。それを垣間見るようで面白い。「酒は百薬の長というけれど、万病のもとでもあるのだ」と兼好は言う。一方で「つれづれなる(退屈な)日、友がやってきて一杯やるのも、心慰められる」とも。親しい人とゆったり楽しむ酒。これなら兼好さん、文句はなかろう。10月1日は「日本酒の日」とのこと。さて、これからの秋も深まり、今宵も親しい友人と心して飲みたいものである。
2018年10月1日 晴れ 28℃
社会通念とは何か?ー原発再稼働
大型台風24号がやっと去り、晴れ間が広がったが、こちらは晴れ間どころではない。広島高裁は四国電力伊方原発3号機の運転差し止めの取り消しを決定した。「社会通念」に照らした判断ということだ。社会通念とは「社会に広く受け入れられている常識」と手元の法律用語辞典にある。決定文を読むと、争点である火山の破局的噴火の予測は困難で、災害の危険をどれくらい容認するかは社会通念が基準になるらしい。国民の大多数は国に対策がないのを問題にしていないので、災害を想定しなくても原発の安全性に欠けることはないとするのが「わが国の社会通念」-というのだ。東日本大震災のあとも火山噴火や地震が相次いでいる。多くの国民は不安を感じ、原発リスクを受け入れているわけではない。世論調査で再稼働反対が過半数だ。高裁が基準にした社会の常識と国民の常識の間に大きな隔たりがある。あなたの常識は世間の非常識、とまぜっ返したくなるときがある。福島第1原発事故で原発の安全を、「これ常識」と言えなくなったはずだ。1960年代に流行した洋傘コマーシャルである。「なんである、アイデアル。常識」。押しの強い植木等さんがパシッと「常識」と決めつけ、なんの説明もない。子ども同士で「これ常識」と言い合ったものだ。その程度の連想から、法律上の「常識」を持ち出すのは恐縮だが、やはり気になる。リスクを少しでも取り除く姿勢がほしい。