2017 活動日誌 10月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2017年10月29日 雨(台風22号)13℃
人生観・友情・季節・恋愛を語り合う!
「徒然草」は兼好法師の手による鎌倉末期の随筆集である。序段でいきなり「手持ちぶたさに任せてとりとめも無く書くのは、実にくだらない」と自作を卑下している。しかし全243段のテーマは人生観や仏道から友情、恋愛、季節の情緒まで幅広い。筆さばきも時に辛らつ、時に軽妙で、現代人にも通じる奥深い内容であり、思い出したように私も時々読んでいる。季節も人生も深まる中、我が家の収穫祭を開催した。いつもの野菜つくりのメンバのほか友人・知人も含め14名が参加し大笑いの収穫祭であった。定番の芋煮のほか、あんこ・ごま・きなこ・納豆餅とおいしくいただくことができて感謝である。各自の近況報告をしながら、改めてコミニュケーションの大切さを切に思う。人生の下り坂を迎えはじめた面々であるが、大きな夢を思い描いた青春時代、なかなか理解されず、社会との間に壁を感じてしまったこと。わが身を振り返えりながら仲間の話を聞いていると昔を思い出しタイムスリップしたかのように、ついつい聴き入ってしまう。分かり合える仲良しとだけ話していても、世界は変わらない。分かり合えない人々とどう意思疎通を図るかが、社会ではとても大切でもある。いかにも「分かった大人」風にしゃべるが実は先輩の受け売りや友人知人からの教えがたくさんある。いつかコミュニケーションを通して、若者が参考にできるような大人になればいいなあと思ったりしている。この集いも、若者の手本になるような大人の議論に発展していければと思う。
2017年10月28日 曇り 14℃
野分さんー静かに収まってほしい!
この週末、また台風22号が来ている。こんな時期に台風とは?ちょっと驚く次第である。台風という語が定着する以前は〈二百十日〉〈二百二十日〉前後に野を吹き荒れる強風を〈野分(のわき)〉といっていたらしい。恐ろしいものとする一方で風流に見る傾向もあったという。清少納言は「枕草子」で「野分のまたの日こそ いみじうあはれにをかしけれ」と綴った。「庭の草木が乱れ、大きい木が倒れて枝を吹き折られて萩や女郎花(おみなえし)の上に被いかぶさっているのなども実に思いがけない、と感銘を受けたように書いている」と「辞典」は解説している。台風22号は先週の21号と同じく北上し、温かく湿った空気を運んで前線の活動が活発化する。明日に予定している収穫祭は、終日雨模様との予想である。でも、降りしきる雨にもかかわらず、多くの仲間が集結し去り行く秋を楽しみたいと思う。パートナーと朝から食材の準備やファーム周り・駐車場の草刈り等動き回る。家の前にある一面の白い花がひろがるソバ畑を見ながら「新蕎麦」が食べたくなってきた季節でもある。本HPで皆さんからの「おいしい蕎麦屋」さんの情報を求めている。蕎麦屋の前にある「新蕎麦」の張り出しを、見るたびになぜか食べたくなる。二十四節気の霜降も過ぎ、朝夕の冷え込みが強まり、霜が降りる頃とされ、野分には雅味があるものの、静かに収まってほしいものである。
2017年10月26日 晴れ 18℃
残り少ない里の秋を満喫しよう!
久しぶりに晴れ間を見るようである。周りの秋色は一段と深まってきた。蔵王連峰を見上げると黄金色に染まり、時折差し込む陽光が、ブナの黄葉に反射して、キラキラと揺れる。風がこずえを揺らすと、葉ずれの音とともに目前をハラハラと舞うように見える。悠々ファームのブルーベリーの葉も真っ赤に染まり、紅葉真っ盛りである。もみ殻を先日定植した玉ねぎやブルーベリーに撒きながら手入れをする。もみ殻は保水力があり、もみ殻は黄金色の自然の水がめでもあり、落ち葉のじゅうたんを敷き詰めたようである。玉ねぎは霜により苗が浮き上がり防止にも役立ってくれる。作業を終えた後、悠々ファームから見上げると蔵王連峰の遠景近景、赤や黄色が散らばる山の風情は、厳しい冬を前にした贈り物のように感じ、ホットするひとときでもある。今週末(10/29)には我が家で収穫祭を行う予定で準備しているが、また台風がやってくるとのことでお天気が心配でもある。残り少なくなってきた里の秋を多くの仲間と満喫したいと思う。
2017年10月23日 雨/曇り 13℃
酒蔵と陶器は独特の雰囲気を醸し出してくれる!
村田町の恒例の陶器市へ出かけた。あいにく台風21号がきており雨模様であるためか、人出もイマイチである。陶器を見て、触って、五感で味わう。何とも言えない雰囲気を醸し出してくれる気がする。そして陶器市を開催している村田町にある老舗の酒蔵(乾坤一)を訪れた。これまで何度か造り酒屋へ行くとき、玄人は蔵の人へのマナーとして「納豆は食べていません」と言う話を聞いた。すると相手の表情が和ぎ、「つくり酒をわかっているな!」と思うらしい。日本酒の出来を左右する米こうじは繊細な菌で、強い納豆菌の混入は厳禁である。蔵人は酒造りの期間中に納豆を断つ。年中、口にしない人もいる。今は優良種こうじの導入や衛生管理の徹底で、昔ほど神経質にならずに済むらしいが、それでも、酒造りがデリケートな作業の連続であることに変わりはない。酒はこうじに水を加え発酵させて造るが、原料や気温などの条件は毎年異なる。杜氏は微妙な違いに気を配り、目指す製品に仕上げるスペシャリストだ。穀物などをこうじにして発酵させ、酒やみそ、しょうゆなどを造ってきた歴史は古く、日本は醸造技術では世界の先進国だ。醸造を指す「醸す」という言葉には、独特の雰囲気を生み出す意味合いも生まれている。最近は「醸す」に代わって、コラボレーションや化学変化という用語がよく使われている。陶器もそんな中で生まれた自然の産物であるような気がする。お気に入りの珈琲カップを眺めながら増え続ける珈琲棚に収まりきれなくなり、パートナーの断捨離の雰囲気が伝わってきそうである。
2017年10月20日 曇り/小雨 14℃
伊達政宗生誕450年企画展にふれて!
秋の台風が日本列島を直撃するとの予報の中、今日は朝から区民センタ主催の老壮大学へと出かけた。今回は戦国武将であり、初代仙台藩主である伊達政宗の生誕から、今年で450年を迎えた企画展が開催されている博物館での講義である。本展は、その節目の年を記念して開催され、仙台市博物館の館蔵資料はもとより、国内各地にのこる多彩な関連資料230件から彼の足跡や生涯をたどっている。動乱の時代を駆け抜け、泰平の世を生きた伊達政宗の人物像に迫る、かつてない規模の「大政宗展」でまさに見ごたえのある展示会であった。パートナーと戦国絵巻の世界に誘われ飛び込んだような感覚に襲われ、しばしタイムスリップしたかのようであった。これを契機に歴史物に少しかじりたくなるような意欲に駆られるような思いでもある。学ぶ・知る・発見する・営みを振り返る。。。。頭の体操も兼ねてもう一度勉強したくなってきた。そして偶然にも昔の職場仲間にも遭遇し、ここでもタイムスリップしたかのようである。やはり、時々は街中で出かけ刺激と変化に遭遇することが必要であるなあと感じた。博物館の周りの木々の紅葉も始まり、雨に濡れて秋の風情を漂わせロマンチックなひとときを過ごすことができた。
2017年10月19日 曇り/小雨 14℃
見守り・見守られ・支え・支えられる大切さを!
見守り、見守られ、支え、支えられる。心を通わせることの大切さが身に染みてくる年代になってきた。今日、CT検査の結果を聞きに(問診)仙台厚生病院へ出かけた。大きな病院へ行くと、その思いを特に感じる。高齢者そして身体的に不自由で病気と闘っている方々を見ると、まさに病院は少子高齢化の縮図を見るようでもある。最近まで好きな番組であったNHK連続テレビ小説「ひよっこ」も、それを教えてくれた。主人公は、茨城県の山あいの農家に育った谷田部みね子。集団就職で上京し、見知らぬ東京を舞台に、しっかりと根を張っていく姿を描いている。立志伝でもなければ、実在したモデルがいるわけでもない。それでも人気で郷愁を誘ってくれるようで懐かしい思いがする。あるのは、名もなき一人一人への共感かもしれない。きのうよりきょう、きょうよりあしたという高度成長期、助け合って生きてきた人たちに心を通わせているのではないだろうか。現在、選挙戦もたけなわで経済成長をと叫んでいるが、今の日本にはもっと人と人との助け合いや支えあう精神そしてそのしくみつくりが大切ではないだろうか。ドラマの延長ではあるが架空とはいえ、みね子も古希を超える。全国の100歳以上の高齢者は過去最多、6万7千人以上に上る。日常生活において、それぞれに励まし、励まされた人の輪の日本ができたならいいなあ。
2017年10月16日 曇り 18℃
新酒に新蕎麦と秋の夜長を楽しみたい!
「秋の日はつるべ落とし」とはまさにその通りで、日が暮れるのが本当に早くなった。深まる秋。朝夕は肌寒さを感じ、長袖や上着が欠かせなくなった。今日は年1回のCT検査で手術後4年が経過した。仙台厚生病院へ行く途中歩きながら入院生活を思い出しながら、深まる秋の風情をなんとなく感じる。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」。宮崎に生まれ、明治から昭和初期に活躍した歌人、若山牧水の一首である。酒をこよなく愛した牧水には、それにまつわる多くの歌があるが、これは代表歌である。若い頃からの大酒豪で、40歳の時に九州を旅し、連日酒を飲んで1日平均2升5合という記録を残している。「酒仙の歌人」ともいわれた人だが、元来、一人静かにしみじみと酌む酒を好んだのは歌の通りである。これから仕込みの季節となるは日本酒であり、新蕎麦でもある。最近は体調もよく、お酒も飲めるようになり各地の人気酒蔵を眺めているとなぜか、うれしくなる。そして蕎麦もおいしくいただけるようになった。杯を傾け、会話も弾み、そして最後に蕎麦で締めるような秋の夜長を楽しみたいと思う。
2017年10月15日 曇り 18℃
ちいさい秋みつけた!
「秋になると口ずさみたくなる曲は何か」という質問があったら私は『ちいさい秋みつけた』と答える。♪だれかさんが だれかさんが だれかさんがみつけた…。子どもから大人まで、よく知っている歌だ。サトウハチローが1954年の秋にNHKから作詞の依頼を受けたが、流行歌から距離を置き、鑑賞に堪える子どもの歌づくりを目指していたため、当初は気乗りしなかったらしい。曲は翌年、発表された。作曲はサトウの指名を受けた中田喜直。「サトウさんの詩にはリズムがあるでしょ。僕は言葉に忠実にと心掛けただけ」と、後に語っている。サトウハチローさんは幼い日の思い出や日常的な風景を優しい言葉で紡いだ。そうして生まれた歌だから、歌詞の情景が鮮明に聞き手に伝わってくる。憂いを秘めた内容も染みる。それで長く愛され、歌い継がれてきたのだろう。とかく慌ただしく過ごしがちな現代人は、季節の移ろいに気付かないでいる。今日はやや肌寒いお天気ではあったが。秋の風物詩である青根地区の野菜つくり仲間の収穫祭(芋煮/カレー)である。楽しそうに皆で、日常の喧噪をちょっぴり離れ、収穫の喜びを語り合う。自然の中で素直に五感を働かせながら、会話の中に身近な自分なりの「小さな秋」を発見したような気がする。ほのぼのとした収穫祭で楽しい一日を過ごすことができた。来年も皆で元気に再会できることを期待したい。
2017年10月13日 雨/曇り 17℃
選挙費用600億ー今度こそ任期をまっとうし結果を残してほしい!
昨日、所用でタクシーに乗った。「選挙になると、商売はさっぱり駄目だね」とタクシーの運転手さんが嘆く。飲食店でも、店主らに選挙の話を振る度に、ため息とともに同じ言葉が口を突く。「夜の街はガラガラだよ」と。公職選挙法は第139条で「飲食物の提供の禁止」を規定。選挙運動に関わって、湯茶や軽い茶菓子などを除き飲食物は提供できない。有権者が候補者激励のため、酒などを選挙事務所に届けることも御法度だという。恩がある人に施しをしたくなるのは人情だが、選挙が絡めば別。疑われたくなければあまり出歩かないのが無難と思うのも人情だ。忘年会シーズンを直撃した前回、前々回の師走選挙は特にひどかったと聞いた。衆院選に掛かる費用は600億円以上。大半が自治体に委託する選挙執行管理費用で、投票用紙の印刷や投開票所の運営に関わる人件費などのほか、選挙カーやポスターの作成など、候補者に掛かる費用もある。市中に出回る筋合いのお金じゃないことは重々承知だが。。。終わったと思えば任期を多分に残して解散。相応の大義が求められるのは当然である。政界地図の激変に、大義や争点は幻惑されがちだが、有権者1億人として、1票に掛かる費用は600円の費用がかかる。日本の借金1061兆円ことなんてすっかり忘れ、議員さんは保身術だけは貪欲である。今度こそは任期をきちんとまっとうし、きちんと結果を残してもらいたいと思う。
2017年10月10日 曇り 23℃
「カタカナ」外来語の氾濫が続いている!
衆議院選挙が10日公示され、いよいよ始まった。TV等で各党党首が、この時ばかりと叫び絶叫しており、しばらくは騒がしい日々が続くのだろうか。その中で「カタカナ」外来語の氾濫が続いているような気がする。今は亡き作家の井上ひさしさんは「クラフツマンシップは、なぜ職人魂ではだめなのか」などと嘆いたことがあったが、同じ思いを抱く人は多いのではないだろうか。言葉の使用はもとより自由だからやむをえない面はあるが、外来語が日本語を豊かにしてきた歴史もある。だが国民各層に語りかける必要がある政治の世界まで、一般になじみの薄いカタカナ語が広がるのはちょっと考えものではないだろうか。希望の党を設立した小池百合子東京都知事が、哲学者ヘーゲルの用語「アウフヘーベン」や、税金の賢い支出を意味する「ワイズ・スペンディング」などのカタカナ語を多用し、もう少し、わかりやすい日本語を使うべきではないだろうかと感じる。英語やアラビア語が堪能な小池氏特有の言い回しではあろうが、政策に「徹底した情報公開」を掲げる人である。分かる人だけ分かればいいという態度では、目指す方向も疑われかねない。伝え合う言葉はもっとわかりやすさを心がけていく努力がもっとほしいものである。秋の夜長においしいお酒をいただきながら、そして自戒をこめてコメントしてみました。
2017年10月8日 晴れ/曇り 24℃
五感で味わう秋の雑木林にて。。
春は曙(あけぼの)…で始まる清少納言の随筆、枕草子によれば、「秋は夕暮(ゆうぐれ)」に趣がある。加えていうには「日入(いり)はてて、風の音むしの音などいとあはれなり」。日が没してから聞こえる風の音、虫の音。空気の澄んだこの季節は耳にするものまでが美しい気がする。秋晴れの日は特に朝晩の澄み切った空気が蔵王連峰を自然色で染めてその美しさに見入ってしまう時がしばしばある。そして五感に染み入るようで生きている実感を味わう時でもある。今日はNPO川崎町の資源をいかす会の芋煮会&チェンソー講習会があり、多くの仲間と里山の暮らしを体験することができた。これから薪ストーブの火の恋しい生活が始まり、薪の活躍するシーズンでもあり、秋晴れの中、ほのぼのとしたひと時を過ごすことができた。先日訪れた盛岡ではナナカマドやオオヤマザクラが良く目につく街路樹だった。東京に行くとハナミズキやイチョウをよく目にする。紅葉と赤い実が美しいナナカマドは北国に多い。イチョウは東京都の木。土地の木が街の個性を演出してくれる季節でもある。街路樹は多様な働きを持っている。炎暑の夏は木陰で一息つくオアシス。騒音を和らげ都市を冷やす。二酸化炭素の削減や空気の浄化にも一役買う。延焼を防ぐ防火帯にもなる。人を癒やし守ってくれる存在だ。この川崎の山々の雑木林ももうじき色彩に染まり、自分の足で歩いてその広さを感じ、自分の目で林を見比べ、耳で落葉の音を聞き、肌で季節の風を感じる。そんな楽しみが秋の雑木林にはあるような気がする。我々に限りなく幸せをもたらしてくれる自然の代名詞でもあり、いつまでも川崎の土壌にしっかり根をはっていってほしいと思う。
2017年10月6日 晴れ/曇り 20℃
「山粧う」のシーズンを迎えた!
〈ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな〉。啄木が子供の頃、渋民村(現盛岡市)から仰ぎ見た岩手山を詠んだ歌だ。故郷の山は子をいたわる母の如し。ただ「ありがたい」の一言に尽きる。太宰治も岩木山を「したたるほど真蒼で富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾をぱらりとひらいて―」(小説『津軽』)と妖艶な美女に喩えた。故郷の山はその大小にかかわらず何物にも代え難い存在である。我が家から見える蔵王連峰も白きものがまじるようになってきた。啄木、太宰治と同じく私の故郷の山でもあり、朝晩の風景はホットさせてくれ幸せを感じさせてくれる。「登山家のバイブル『日本百名山』の著者、深田久弥の愛読書はスタンダール著『パルムの僧院』だった。アルプスの山麓グルノーブルからパリに出て来た著者は「高い山がない」と嘆いて花の都を嫌悪したという。深田は主人公が幽閉された塔から遠くアルプスを眺め、恍惚となる場面を何度も読み返した。東北の山々は間もなく紅葉本番。東北の山々八甲田、岩木山、岩手山、栗駒山、蔵王連峰、鳥海山、月山、吾妻山、安達太良山は今年はすでに山頂が見頃で中腹が7割程度紅葉に染まっている。しばしの賑わいを楽しみたいと思う。
2017年10月2日 晴れ/曇り 21℃
ロマンチックな秋を子規の句で詠んでみた!
〈長き夜や千年の後を考へる〉正岡子規。秋の夜空を見上げていると、その巨大なスケールと比べて自らがいかにちっぽけな存在か、と思いが広がっていく。ロマンチックな秋の句を詠んだ子規だったが、その生涯はわずか34年と短い。先日訪れた東京・根岸の子規庵で公開されている。〈寝後れて新年の鐘を聞きにけり〉〈暗きより元朝(がんちょう)を騒く子供哉(かな)〉。元朝は元日の朝の意味で、新年の鐘を聞き、子どもたちの活気で開けた新年の喜びがにじむ。正月に訪問客向けに準備した「歳旦帳(さいたんちょう)」の中に書き込まれていた。だが、長らく伏せっていた子規の心情を考えれば、「これが最後の正月になるかもしれない」という切なさが、胸の片隅をよぎっただろうか。秋の句にも、こんな作品がある。〈柿くふも今年ばかりと思ひけり〉。目にするもの、口にするもの、すべての生きる行為の向こうに、死の影が透けて見えたのかもしれない。子規の命を奪ったのは「結核」だった。当時よりはるかに医学が進んだ現代でも、世界で20億人が感染し、年間死者数は300万人に達するという。日本国内でも1万8千人が新たに発症し、2千人が亡くなっているという。今月は健康診断(10/18)やらCT検査(10/16)がある。きちんと受診をして体の手入れは怠りなく行いたい。