■2015活動日誌10月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。コメントをお寄せください。
10月31日(土)曇り 15℃
ハロウィーン - 一夜限りの変身を楽しもう!!!
いつのころからだろう。この時期になると、商店の店先やアーケードにオレンジ色のカボチャのお化けが飾られるようになった。今年もハロウィーンを迎え、街はお祭り気分に包まれている。もともと欧州の古代ケルト人が秋の収穫に感謝し、悪霊をはらうために行った祭りである。移民とともに米大陸へ渡ってから、子どもたちが魔女やお化けの仮装をして近所を回る行事に変わった。「お菓子をくれないといたずらするぞ」というふうに叫ぶそうだ。孫の保育園でも衣装をまとい、街中を練り歩くとのこと。ハロウィーンはいまや“お化け市場”に急成長した。日本記念日協会によると、お菓子や仮装用衣装などの今年の市場規模は1220億円で、バレンタインデー市場を越えそうな勢いでもあるといわれている。日本に定着したきっかけは、テーマパークや幼稚園などで行事に取り入れたことからといわれる。衰退しつつある日本古来の秋祭りに代わって、その役割を果たしているとの指摘もあるそうだ。首都圏では若者たちによる仮装パレードが数千人規模に膨れる。昨年は渋谷駅前が混乱状態になったため、今年は警視庁が警備人員を大幅に増やし、おなじみのDJポリスも準備しているという。その日は異界の口が開くと信じたというケルト人も、その光景を見たら驚くのではないだろうか。仮装イベントと言って一夜限りの変身を楽しむのもいいだろうが、私はTVニュースで、この変身ぶりを楽しませてもらうが、お化けさんもマナーは守って、楽しんでほしいと思う。今日の焼き芋はおいしくいただき感謝です。
10月29日(木)晴れ 22℃(倉敷・尾道)
倉敷美観地区 - 川ぞい荷車が往来した石畳の路地と白壁の土蔵
早朝5時頃、岡山県の倉敷の美観地区を訪れた。まだ周りは暗く、満月に映る倉敷川畔には、豊かな商人の町家や白壁の土蔵が立ち並んでいる。なんて素晴らしい景観だろうと思わずため息は出るくらい美しい。同じような景観として茨城の潮来や柳川の川畔を思い出すが、ここ倉敷の景観はとにかくすごい。川ぞい荷車が往来した石畳の路地も白壁の土蔵と相まって懐かしい風景を今に伝えている。現在でも、小さな路地裏に当時の建物が修復・再生され、ギャラリーや喫茶店、土産物などの個性的な店舗として利用され、当時の空気が流れ込んでくるようである。周りは和と洋、古さと新しさが融合した独自の落ち着いた雰囲気は倉敷ならではの佇まいである。そして空気が入れ替わったのではと感じるくらい、前日の生温い風がにわかに冷たくなったような気がする。タイムトリップしたかのように、今にも江戸商人が現れてきそうである。山の紅葉前線は「1日に50メートル下る」といわれている。時速に直すと1時間で2メートル移動することになる。それを目にするわけではないが、季節の移ろいとともに江戸時代から現在に至っている。幕府直轄地である「天領」として栄えた倉敷。高瀬舟を使った水運によって備中地方の特産物が集まり、その中心である「倉敷美観地区」は伝統的建造物群保存地区であると同時に今を生きる人々の生活の場でもあり、そして未来になっても倉敷の心意気を伝えてくれそうである。次回はゆっくりと旅行で訪れたいと思う。ぱらぱらと通り雨かと思えばすぐ青空も。寒さを身近に覚えるそんな時雨は冬仕度の合図にぴったりのサインかもしれない。
10月28日(水)晴れ 21℃(倉敷)
柿の赤い色 - 正岡子規 - 日本の原風景
きょうは福岡の小倉から岡山の倉敷に向かう。九州・山陽高速道を駆け抜け、走行距離450km(5時間)の道のりだが、気持ちよいドライブでもある。お天気がよく暖かい陽ざしが降り注ぎ、瀬戸内海がキラキラと輝いている。秋が深まるこの季節、道路沿いの柿の赤い色を見つけると、ほっと心なごむものがある。今頃、正岡子規は<柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺>と詠んだ。この句は奈良に遊んで詠んだとされる。脊椎カリエスという病で寝たきりになる前年のことである。子規は果物の中でとりわけ柿を好んだらしく、一度に16個を平らげたという逸話もある。子規が食べた柿は、奈良名産の「御所柿」だという。彼は柿が大好物で、多くの句を詠んでいる。体の自由が利かなくなった晩年の手記「仰臥漫録」には日々の献立を書き留めており、今の時季には柿がしばしば登場する。襲ってくる激痛にもだえながら、子規は病気に挑むように食べ続けた。朝、昼、晩と粥を3、4椀ずつ食べた。<食過(くいすぎ)のためか苦し>と記しつつ間食の菓子パンや果物を次々と口に運んだという。子規にとって、食べることは生きていることの証しだったのだろう。その姿は壮絶さを突き抜けて、おかしくも切ない。秋が深まるにつれ、柿の実はいよいよ色づいている。知人Kさんから11/23に(福島五十沢地区:あんぽ柿)恒例になっている柿もぎ応援依頼の電話がはいる。収穫の日を待っているかのように、秋の赤い色の思い出(干し柿の風景)は日本の原風景でもあり風物詩でもある。
10月26日(月)晴れ 16℃
苗場・清津峡 - 青空に映える紅葉のパッチワーク!
天体マニアではないが、今の時期の星座を調べるのも楽しいものである。ホテルの屋上にある露天風呂に入りながら天体ショーを眺めているとちょっと優雅な気分にもなる。これだけ夜空がきれいだと翌朝の天気もきっといいだろうと思いながら眼をさます。予想通り、「今年最後の紅葉シーズンの見納めですよ」と言っているかのように暖かい日差しが注ぎ、スカイブルーが一面に広がっている。まさに天の恵み・ご褒美なのかもしれない。今日出かけるのはスキー場でお馴染みの苗場スキー場。青空も眩しく、キラキラと輝いている。田代ロープウエイ(約5500m)(通称ドラゴンドラ(苗場~田代))に乗り込み、一気に約25分かけて頂上1400m近くまで登り切る。ここはスキーリゾートエリアと呼ばれ山全体が整備され、ゴンドラから眺める色とりどりの山々の斜面は秋本番を思わせるようだ。とにかく山々の広さと青空のコントラストが眩しく、まさに壮大な空中パノラマによる紅葉狩りであった。まずは文面よりも写真でその壮大さを味わってほしいと思う。約2時間散策した後は、日本三大渓谷のひとつである豪壮雄大な上信越高原国立公園にある「清津峡」(他は富山の黒部渓谷、三重の大杉渓谷)へと車を走らせた。清津峡渓谷トンネル(750m)を歩きながら雄大な渓谷の柱状節理を3箇所の見晴所より見ることができて、まさに日本の自然美の壮大さに驚かされてしまう。自然の極限の極みに触れた地上の紅葉美は、昨夜見た夜空に広がる天体ショーと同じく魅せられてしまった。昨日よりお天気に恵まれた福島・新潟・長野の3県にまたがる絶景の紅葉ドライブであった。
俳句第2弾!
★パッチワーク 苗場の秋に 染まりつつ
★清津峡 きみに見せたい 秋の夢
10月25日(日)晴れ/曇り 15℃
秘境・奥只見の旅 - 俳句の一句でも!
東北・磐越・北陸・関越の4つの高速道を乗り継ぎ、小出ICより奥只見シルバーラインの長いトンネル(19か所:18kmトンネル/22㎞) を抜けた先は、ブナ林と切り立った2,000m級の山々に囲まれた、ちょっと日本とは思えない所、そこが秘境・奥只見です。遊覧船に乗りながら日本最大の水の貯蔵量を誇る奥只見ダム(昭和36年完成:黒部ダムの約3倍の貯水量、深さ150m)を眺める。今年は平年に比べ1週間ほど早く紅葉がはじまったため、今週が紅葉の見納めの時期かもしれない。新潟屈指の紅葉スポットで、日本紅葉の名所100選に選ばれている。奥只見湖でも国道352号線の銀山平エリアから紅葉が始まり、奥只見ダム周辺が遅い。ブナの原生林が広がるため、黄葉~茶葉が多く、次いでカエデ系の赤、紅、紫、朱、など。ほとんどが広葉樹のため、ほぼ全山色が変わっていき、山の尾根部分にのみヒノキやマツなどの常用樹がある。また銀山平の裏に聳える荒沢岳(二百名山)は万年雪を見ることができ、今の紅葉最盛期には、山頂は雪、中腹以下は見ごろといった景色でもある。夕方4時を過ぎると日暮れも早くなり、夜になると肌寒さを覚える。今宵の宿である越後湯沢温泉につかりながら、久しぶりの温泉の旅を味わいたい。東京では木枯らし1号も吹き始めたとの便りも聞く。冬も近い。そして、熱燗とともにおでんが恋しい時期でもある。竹輪、卵、大根、はんぺん…。ぐつぐつと煮込んだ具材を口に入れる。思わず舌も焼けるほどに熱々で、体の芯(しん)まで温まる。これにはやはり新潟のお酒が合うのではないだろうか。。。。
俳句第一弾
★ 奥只見 化粧落として 冬を待つ
★ 紅葉狩り 妻にみとれて 頬染める
10月24日(土)晴れ 21℃
「霜降」-秋の最後の二十四節気 -春は遅く植えよ 秋は早く植えよ!
今日は暦の上で「霜降(そうこう)」にあたる。秋の最後の二十四節気で、「しもふり」とも言う。地表の温度が0度以下に下がり、土や草を濡らしていた露が結晶となって白く見えるのが霜だ。寒気が厳しくなるにつれ「強霜」「深霜」「大霜」などと表現される。しかし、何かそんな気がしないくらい暖かい一日であった。家の前では牛の飼料用に、稲刈り後のわらを丸めてロールにする作業が急ピッチで行われている。いつもの風景とはいえ、見事な手さばきである。そして悠々ファームではネギが太さを増し、ハクサイも結球し始め、大根もだいぶ大きくなってきている。これからは霜に耐えて甘みを増していくに違いない。葉っぱが少し枯れたサトイモやヤーコンは収穫間近かのサインが出始めている。手元の農事暦には、玉ねぎの定植、キャベツの追肥とあり、明日からの旅行前にとパートナーとせっせと作業に追われ、作業にも自然と力が入る。そしてファーム仲間も続々と集まり、玉ねぎ定植をせっせと行っている。格言に「春は遅く植えよ 秋は早く植えよ」とある。日ごと日脚が伸びて気温も上がる春は慌てて植えてはいけないが、秋は逆。種まき時機を逸せぬようにと説いている。無農薬で、化学肥料はなるべく使わぬようにと気を付けており、病害虫に強い丈夫な野菜を育てるには最も適した季節に農作業を行わねばならない。でも、時に自然は気まぐれであり、毎年しくじりを重ねてきている。おいしい野菜づくりのコツは「一種、二肥、三手入れ」とO会長がよく言っているのがよくわかる。基本は手間暇を惜しまないに尽きることであり、経験則通りにはいかないこともあるが、野菜つくりは難しく、なかなか奥が深いものである。
10月22日(木)晴れ 19℃
日本は「手の国」 - 腹腔鏡手術・手つくりハンバーク・小欲知足
今日は先日、手術後2年目の採血・CT検査結果を聞くため、再び病院を訪れた。結果としてはガンの転移もなく、順調に回復しているとのことで、ひと安心であった。今後は1年に1回の検診でよいとのことで、パートナーと共に安堵した。今回の手術は腹腔鏡の手法をとり、まさしく、人の手の動きがポイントで熟練された技術でもある。日本語には「手」を使った表現が多く多彩でもある。ぱっと思いつくだけでも「手探り」「手柄」「手際」「手勢」「手当」「手堅い」「手本」「手前」「手並み」-と、際限がない。「日本語では、『読み手』、『書き手』、『聞き手』、『騎り手』などの如く、ほとんど凡ての動詞に『手』の字を添えて、人の働きを示している。言葉通り、膨大な語彙は手先が器用で、ものづくりにたけた国民性に通じ、まさに日本は「手の国」ではないだろうか。そして病院帰りに、近くの行列のできるレストラン「はせくら」に一番乗り(11:30)して、ふっくらとした柔らかい肉で定評のあるハンバーク定食をいただいた。いつか食べようと思っていたが行列と混雑で敬遠していたが、検査結果のお祝いも兼ねておいしく食べることができて感激である。そして午後からはTV等でおなじみの北野大教授(ビートたけしの実兄)の講演を聞いた。その中でこれからのライフスタイルは物ではなくて「心の豊かさ」であり、生きがいや感動・感謝の気持ちで「小欲知足」が基本であると。。。幸福度の指数は「財産・お金等/欲求」=すなわち物や金の欲求を小さくすることが、万事うまくいくものですと、たけしのエピソードを交えながらユーモアたっぷりに話してくれた。うなずくことも多く、「地球環境を救う新しいライフスタイル」であると思わず微笑んでしまった。
10月21日(水)晴れ 20℃
ガンとの闘い - 改めて知る家族・友人との絆のありがたさ!
同世代の友人の奥さんが亡くなった(享年65歳)との知らせで、夕方お通夜に出席した。ガンとの闘いで、ちょうど3年になり、友人が最後まで病院で看病し続けたが、ついに命尽きてしまった。私も同じガンを患い、励まし合ってきた仲で言葉も出ないくらい無念の気持ちになり涙が止まらない。花が大好きな奥さんで、川崎の我が家にも来て、バラやシクラメンの話をよくしてくれた。植物にも世話をする人の優しさが伝わっていたのではないだろうかと思えるほど花が大好きだった。寄り添って歩いたおふたりの姿を想像するだけでせつない思いになってくる。最近、芸能人がガンとの闘いについての知らせをよく聞く。音楽プロデューサーのつんく♂さん(46)は声帯を、タレントの北斗晶さん(48)は右乳房を摘出。俳優の今井雅之さんと女優の川島なお美さんは54歳の若さで逝った。本人や家族の胸中を思うと胸が痛む。ただ、強く生きようとする姿には勇気づけられる。「家族と音楽に救われた」とつんく♂さん。術後、再出発の仕事に選んだのは、愛娘への思いを込めた子守歌の作曲だった。北斗さんも支えてくれる家族への感謝をブログでつづっている。あらためて思い知るのは、家族・友人の絆のありがたさだ。「あなたなしに、私は在り難い(生きていけない)」。そんな思いが「ありがとう」という言葉の母になり、共に生きる覚悟が父になる。この世に生を受けて、何らかの縁を通して家族・友人との絆に支えられ生きていく素晴らしさを改めて自分に問うてみた。
10月20日(火)晴れ 21℃
秋の夜長 - ”赤ちょうちん”で話し込むマイナンバー制度!
夕方、行きつけの歯医者のビルを出ると、周りはもう暗くなりはじめている。夕暮れが早く、日増しに秋の夜長を実感できるようになった。仕事帰りのサラリーマンを誘うのは赤ちょうちん。ちょっと立ち寄りたくなった時代の頃が自然と思い浮かぶ。そして書店では来年の手帳やカレンダーが並び始めている。同じく買うなら町内でと、早速、「3年日誌」を購入した。お酒と言えば、今日、秋田の知人から秋田の銘酒「高清水」(純米酒、本吟醸、特別吟醸)の3本セットが届いていた。何か年末のお歳暮の季節が到来したかのような感じである。先日、始まったばかりのマイナンバー制度。案の定、ナンバーの流出を理由に数百万円をだまし取る詐欺事件が発生し、さらに類似の不審電話も相次いでいるという。事もあろうに、霞が関で汚職事件が明るみに出た。厚生労働省の役人がIT業者から現金を受け取った収賄容疑である。個人の給料や病歴などの情報が知られるため、制度導入に否定的な人も多い。そこに今回の汚職である。システム研究の受注に絡む便宜供与であり、制度そのものとは関係ないが、しかし疑心暗鬼の国民からすれば、管理する公務員の情報漏えいや悪用は大丈夫なのか気に掛かる。新制度は出はなをくじかれた格好でダメージも大きい。ナンバー制度導入の特需は2〜3兆円ともみられる。これほどの巨大事業ならば、“群がるアリ”も多くいるはずである。どこかで耳にした話だが、腐敗の「腐」の文字は政府の「府」の下に「肉」がついている。昔から官の汚職体質と民との癒着は語りぐさとなっている。単なる言葉遊びとはいえ、的を得ているような気がする。
10月19日(月)曇り/霧雨 17℃
最近の信用問題 - 横浜マンション・東洋ゴム・維新の党
今日は昨日までの秋晴れとはいかず、曇りがちで夕方ころには霧雨模様となり寒い一日であった。そんな中、手術した仙台厚生病院へ出かけ、採血、CT検査といつものような検査メニューが続く。本病院の先生、設備、入院検査部屋等もだいたいはわかってきており、なじみの先生、看護士も多くいる。さらに今までの手術実績や経験、ブランド名でこの病院を信用もしている。しかし、最近のニュースをみると、信用できない記事が多く目につく。マイホームは多くの人にとって生涯にそうある買い物ではなく、大きなローンも抱える。だから慎重にもなる。それでも、基礎のくい打ちまで確認した人が、どれほどいただろうか。横浜市の大型マンションが施工不良で傾いた。くいを打ち込む際、地盤の強固な部分まで届いていなかったり、打つ深さが足りなかったりしたという。虚偽の工事データも使われていた。専門家でもなければ、地中の不正までは見抜けない。頼りになるのが「信用」である。家を買うとは、ある面で信用を買うということでもある。ブランド(三井不動産グループ)を信じて購入したのに、と住民ははらわたが煮えくり返る思いだろう。そして東洋ゴム工業では断熱パネルや免震ゴムに続き、防振ゴムでも不正が発覚した。信頼・信用を最も大切にしなければならないはずの政界でも、維新の党の内紛が、政党交付金の分配も絡んで泥沼化し、結局は国民不在で党利党略が丸見えで、調子のよい言葉だけが上滑りする信用できない党になってきている。築くには時間がかかる。しかし失うのは一瞬。信用とはそういうものである。大丈夫だろうか!この国、日本は。。。
10月18日(日)秋晴れ 20℃
山粧う - 山々は錦秋の絵柄が紙面を飾り始めているようだ!
澄んだ空気の中で山々が紅葉に彩られている。蔵王連峰にも初冠雪の便りも届くのも、もうすぐだろう。まさに今は紅葉シーズンであり、川崎町の山々も錦秋の絵柄が紙面を飾り始めているようだ。情景を眺めながら、今日は小麦の会の仲間10人が集まり、種まきを行った。早速、小麦ファームの石ひろい、肥料まき、そして種まきと暖かい日差しを浴びながら、せっせと汗を流した。「来年もまたおいしい小麦やうどんが食べられるように」と会員同士でおしゃべりしながら午前中には完了した。午後からは「NPO川崎町の資源をいかす会」イベントの写真撮り(HP用)に青根地区の松森山へ向かう。この山にも会員20人ほど集まり、檜で製作した薪コンロを囲んで芋煮会を行い、思わず微笑がこぼれている。この松森山の山々もまさに青空に映える紅葉に覆われはじめようとしている。山を擬人化した季語を調べてみると面白い。秋の季語は「山粧(よそお)う」。春は「山笑う」、夏は「山滴(したた)る」、冬は「山眠る」。青空を背景に赤や黄や緑の競演も趣が感じられ、もうじき山から里へ徐々に下りてくるのだろう。やはり日本の四季の風景はいいもんである。今日も楽しく、情緒を感じられた秋の一日を過ごすことができて幸せである。
10月17日(土)秋晴れ 21℃
秋風のしらべ - ふと”宙”を見上げたくなる!
今日は朝から晴れ渡り、風もなく穏やかな秋日和の暖かい一日であった。午後から楽しみにしていた旅の音楽家「マリオ&はる」の演奏会に仙台市太白区茂庭台市民センターへ出かけた。太白山が見える児童館のある広場で子どもたち、先生方、地域住民の方々が集まり、屋外コンサートにはもってこいのさわやかな天気であった。「天空の街風のしらべ」と題して、”はやぶさ”、”百年後の君に”、”心の川”、”見上げてごらん夜の星を”、”ふるさと”等、中学校の吹奏楽団との共演、ブラジル民族楽器による演奏、朗読。。。盛り沢山の演奏会でほっこりと心温まる演奏会であった。愛車ランクルで世界を駆け巡り、年の半分以上を旅し演奏活動を行い、自然の大切さ、子供たちへ音楽を通して心の種まきをしている。好きな道とはいえ、純粋に音楽が好きでこうした地道な活動には頭が下がる思いである。特に”百年後の君に”は別途、You TubeにてUP(本人了解済)する予定ですので、ぜひとも聞いてほしいと思う。演奏会の帰りには仙台天文台へ立ち寄り、プラネタリウムの満天の秋の星座を見ながら星空の散歩を行った。特に土曜日の夜はトワイライトサロン(天文台長 土佐誠氏の宇宙物語)、ナイトプラネタリウム、天体観測会とイベントが目白押しで魅力的な夜を過ごすことができた。11月~12月にかけては数多くの星空コンサートが開催されるので、楽しみのひとつに加えておこうと思う。音楽、星座、珈琲と秋の夜を思う存分楽しむことができ、今夜は素敵な夢がみられそうである。
10月15日(木)晴れ 20℃
鉄道の旅 - 紅葉が広がる車窓から何が見えてくるのだろうか!
わが国で、最初に鉄道が開通した10月14日(明治5年新橋~横浜間)を「鉄道の日」とし、「鉄道の旬間(10月11日~20日)」が始まっている。各駅で鉄道の魅力や素晴らしさを発信する行事が繰り広げられている。そして今、まさに窓の外に色鮮やかな紅葉が広がろうとしている。季節の先には情緒あふれる深遠な雪景色が待っているかもしれない。鉄道の地図を眺めながら、今度出かける予定の東北本線、只見線、磐越西線(SLばんえつ号)。その沿線には四季折々に風光明媚な光景が広がり、車窓から彩り豊かな世界が繰り広げられていることを期待している。 沿線に住む農林業で地域を支えている住民の明るい営みが見えてくるだろうか。先日、大筋合意したTPPの内容が明らかになるにつれて驚いている。関税の撤廃は時間をかけて進められるが、コメ、畜産、果実…。どれも地域の農業の柱であり、輸入圧力によって柱がなぎ倒された後の農村はどうなっていくのだろうかと案じる。農産物輸入自由化によって食卓は安上がりになる。消費者の立場からは歓迎したくなる。しかし安上がりの味に農村の荒廃という隠し味も含まれているのではないだろうか。もし国内の生産が落ち込んだ中で、環境の変化や戦争などによって、食料の輸入が止まったらどうなるのだろう。日本人が飢える時代が来るのではないか。こうした危惧が現実になるかもしれない。今でも食料自給率は40%以下なのに、生存に欠かせない農業を大切にしない国に未来はあるのだろうか。
10月14日(水)晴れ 19℃
空の高みと青さに目を奪われる - 秋の月を愛でながら!
日中、秋色の空は空の高みと青さに目を奪われ、吸い込まれるような感覚になる。そして沈む夕日は赤々として胸にしみ、すっかり日が落ちると情趣の極みとなる。月のさやかの下、風の音、虫の音が心を騒ぎ立てるようだ。秋の月は、中秋の名月を中心に「盆の月」から「十三夜」までの2カ月間にわたって愛でるものだという。満月だけでなく、満ち欠けのさまざまな表情の変化に魅了される。この季節、最も優れた演出家は芸術的センスをもちあわせた月をおいてほかにないのではないだろうか。こんな月夜の中で音楽を聴きたい。先日、みちのく公園で聴いたギター演奏(マリオ&はる)を思い出す。今週17日(土)13:30より茂庭台市民センタ広場で、再び演奏会がある。ギター音楽の虜にでもなったようで、パートナーとともに、音色に誘われるように出かけてみたいと思う。そして帰りには近くの仙台天文台(錦が丘)での「今夜の星空散歩」と題し、土曜の夜だけの極上エンターテイメント「オーロラの調べ~神秘の光を探る」のナイトプラネタリウムを楽しみたいと思う。星空とともに日々の生活の中にしみこんだ月に寄せる思いを募りながら、秋空の芸術を堪能したい。予報では晴れマークとのことで、今から楽しみである。
10月13日(火)曇り 20℃
味覚の秋が到来! - 秋刀魚・柿と。。。
今日、気仙沼の知人Kさんから日本の秋の食卓には欠かせない秋刀魚30匹ほど届いた。そして花巻の友人Hさんからは柿が50個ほど届いた。いずれにせよ味覚の秋の到来である。秋刀魚は、今年は不漁で値段もやや高めのようだ。日本最大の水揚げ量を誇る北海道根室でも、漁師たちは「例年の半分の量、サイズも小さい」と嘆いているらしい。知人の気仙沼でも思うように水揚げが少なく、いつになるかも不明とのことだったが、やっと入ってきたので送るよとのうれしい便りも添えられている。日本の排他的経済水域(EEZ)に接する公海上で台湾や中国の大型漁船が秋刀魚を“先取り”している。このため日本沿岸にたどり着く数が減ってしまったようだ。背景にあるのは中国の需要拡大だ。脂の乗った塩焼きの美味を中国人も知ったとのこと。巨大な人口の胃袋を満たすため、台湾は多くを中国に冷凍輸出する。魚食の時代、このままでは日本の秋刀魚資源も危ういのではないかと思う。おなじみの江戸落語にある「目黒の秋刀魚」。殿様の体を気遣って調理した秋刀魚は、小骨を取り除き蒸して脂まで抜かれていた。これでは旨いはずもない。そもそも下魚(げざかな)とされる秋刀魚は庶民の味、アジやイワシ同様に大衆魚である。佐藤春夫の詩に「秋刀魚の歌」がある。<さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか>。はらわたの苦味に塩焼きのしょっぱさ。油の乗った秋刀魚に大根おろしや酸橘で食べる味は何といっても格別だ。近くの友人にもおすそ分けしながら、今となっては貴重な魚になってきた秋刀魚をじっくり味わいたいものである。
10月12日(月)晴れ 22℃
体育の日 - 悠々ファームで流す汗はスポーツと同じで気持ちいい!
今日は「体育の日」。今は10月の第2月曜日になった「体育の日」は、もともと10月10日。「健康増進を」と1966年に祝日になったのは、その2年前に開かれた東京五輪開会式の日でもある。当日は雲ひとつない秋晴れだった。「世界中の青空を全て東京に持ってきたような」のテレビ実況は有名である。真っ青な空にできた飛行機雲の五輪マークが今も目に焼き付いている。もっとも「晴れ時々曇り」が当日の予報だったという。ところが前日まで台風の影響で雨が降り続き、関係者をやきもきさせた。それが一転、抜けるような青空に。カラリと晴れた見事な秋空が感動の開会式を演出したとのエピソードも残る。選手たちに最良の条件で競技をしてもらおうと当時の関係者は大会日程に苦慮した。探したのは、暑くなく、秋雨や台風の影響もない時期。気象庁の統計や予報官の意見を参考にして決めた「10月10日開幕」だった。記録によると大会期間中の東京の平均気温は最高20℃、最低は13℃とか。さわやかなスポーツ日和が多かったことが数字からもうかがえる。5年後の東京五輪は7月24日から8月9日。今年を振り返れば外に出るのも危険と言われた猛暑の連続であった。国立競技場やエンブレムも気になるが、一番はやはり主役の選手たち。本当に大丈夫だろうか。秋の空気を肌に感じながら、ふと心配になりながらも悠々ファームにて流す汗はスポーツで流す汗と一緒で、すがすがしく気持ちがいい。顔を上げると目の前の蔵王の山々もほんのりと化粧でもしたように色づいてきた。そろそろ紅葉狩りにでも出かけようか!
10月11日(日) 曇り 21℃
童謡「故郷」- コキアがライトアップされた幻想的な夜でした。
童謡の「故郷」を久しぶりに観客皆で一緒に歌った。この歌は子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で、生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人の心情を歌っている。作詞の高野辰之は長野県出身で歌詞に述べられている「かの山」は作詞家高野の故郷を思い浮かべたものとされている。みちのく公園では一万本のコキアがライトアップされ、幻想的な色の波を打っている。星空も見えはじめた頃、旅の音楽家「マリオ&はる」さん(長野県飯山出身で「故郷」の出身地)のギター演奏が始まる。長年、音楽を通して、水の大切さ、命の尊さを次世代の子供たちに”あそび”の中から伝えたい・・・そんな想いで世界各国を旅しているおふたり(夫婦)です。50種類もの民族楽器とギターを愛車走行距離36万km超えたランクルに満載し、相棒のはるちゃんと二人で年の半分以上全国、海外を旅をしコンサート、「水カンリンバ」ワークショップを行っている。お二人のギターの音色に乗ってすがすがしい気分にさせてくれたロマンチックな夜でした。ギターでの童謡もいいもんである。その他に童謡として、夕焼小焼で日が暮れて…。童謡「夕焼小焼」もある。もう90年以上も歌い継がれてきた。「故郷」と同意に親子孫の3世代が一緒に口ずさむことのできる数少ない歌でもある。夕方になると、どこからともなく夕焼小焼のメロディーが聞こえてくる自治体もあるという。時報の代わりに音楽を流す地域は少なくない。暮らしの中に密接にかかわってきた童謡はずっと生きててほしいと思う。友人たちは変わりなく平穏に暮らしているだろうか。風雨のたびに思い出す故郷。自分の夢を叶えて目標を成就させたら、いつの日か故郷へ帰ろう。山青く水清らかな故郷へ。野菜大好きクラブ会長ご夫妻Oさんと一緒に素敵な夜を過ごすことができた感謝の一日でした。
10月10日(土) 晴れ 23℃
日本の底力をみた - 2人の地方出身のノーベル賞!
今週はまさに病院Weekであった。内科・眼科・歯科・整体(オステオパシー治療)と、4病院そして薬局へと出向く。こんなはずではなかったと思いながらも、ここは素直に自然体で治療しようと思っている。歯科以外は順調に回復してきており安心したが、歯は定期的に気長におつきあいがはじまるようである。病院の待合室で雑誌・新聞ではノーベル賞の記事が目につく。ノーベル医学生理学賞の大村智さん、ノーベル物理学賞に梶田隆章さん。2人の共通項は何かないかと調べてみると、ともに農家の長男で、文武両道の顔も持っている。高校時代の梶田さんは弓道部に所属、大村さんはスキーの国体選手として鳴らした。さらに埼玉大、山梨大と地方国立大学の出身である。雑草魂ではないが、エリートコースを辿っていないところがいい。LEDの開発で昨年、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんも徳島大出身だ。優秀な人材は首都圏ばかりではなく、地方大学にも存在する証しでもあると思う。しかし法人化以来、国立大の運営を支える交付金は減額傾向にあるが、古里に残り苦学する学生は多い。「地方創生」と囃し立てるなら、地方大学にもっと光を当てるべきだろう。雑草の中には磨けば光る原石はいっぱいいる。特に大村さん(遠い親戚)のコメントは前回の日誌でも書いたが「何か一つでも人のためになることができないか、いつも考えてきた」が心に響く。次代の研究者のともしびともなると思う。まさしく、日本の底力を見た思いである。
10月8日(木) 晴れ 18℃ 風強し
1億総活躍担当相 ー まずは有言実行!ー 何をしたいのだろう?
今週はノーベル賞受賞、TPP大筋合意、内閣改造等の話題が多い週で、毎日、新聞の記事が大見出しで掲載されている。その中で気になるのは今度の3次安部内閣の目玉と目されているのが「1億総活躍担当相」だ。自民党総裁に再選された安倍首相が、新たなスローガンとして「1億総活躍社会の実現」を掲げたからだ。今後の方向性を「アベノミクスの第2ステージ」と位置づけ。新たな3本の矢の政策で国内総生産(GDP)600兆円、希望出生率1・8の達成を目指すという。ところが首相の思い入れとは裏腹に、世間の評判はよろしくない。GDPや出生率の目標はハードルが高く、むしろ看板倒れに終わりそう。また「1億総活躍社会」の具体的なイメージが浮かばない。何よりその言葉自体に嫌悪感を覚え、なにを意味するのか不明である。また耳触りのよい言葉だけが並んでいる。ネットには「1億総玉砕」「―総動員」「―総懺悔(ざんげ)」など戦中、戦後のスローガンを思いだすという書き込みが目に付く。というのも先月の国会で、国民の抗議デモや学者の違憲発言を押し切って安保関連法を成立させた当事者。集団的自衛権の行使を可能にした人である。本意としては、日本人全員が頑張って働けば経済は強く豊かになり、社会保障の財政問題も解消できるという思いだろう。ノーベル賞の大村さんのように「何か一つでも人のためになることができないか、いつも考えてきた」との言葉がある。大村さんのように、純粋に人のために何をなすべきかを常に考える内閣であってほしいと思う。安部首相は国民一億人に総活躍の号令のムチを入れたいと思っているかもしれないが、まずは自分にムチをいれて有言実行してほしい。
10月7日(水) 晴れ 18℃
「秋あかり」「ひやおろし」- お酒がおいしい季節である。
里山を歩くと、木からこぼれ落ちた山栗が目に飛び込んでくる。そして色づき始めた柿が実りの秋が食欲を刺激するようになってきた。10月に入り、食卓には、あまたの美食が彩られ食欲の秋を誘っているようでもある。その中で、今年は裏山で植菌したきのこ(なめこ、ひらたけ、くりたけ)が全然出ない。もうホダ木が寿命のせいかもしれないが、秋の代名詞でもある”きのこ”が食卓に並ばず、何となくさみしい限りである。でもお酒がおいしい季節になってきた。酒の漢字に含まれる「酉(とり)」は酒つぼを表し、十二支で10番目に当たる。酔、酌、醸、酵など、「酉」を使う文字は多く、どれも酒に関係している。春先にできた酒が熟成してちょうど飲み頃となる時期。「秋あがり」「ひやおろし」と呼ばれる円熟の味が料理を引き立ててくれる。最近は地酒店へ出かけると、「ひやおろし」のポスターをよく見かけ、地酒まつりのイベントの案内も食欲をそそる。東北の銘酒を楽しむ集いも数多くあり、今では海外への日本文化発信の期待も担っている。<白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ>若山牧水。病後は多くは飲めなくなってきたが、ゆっくりと、口の中で味わいながら月を眺め、穏やかな秋の声を聞けば、美食・美酒に酔いが進むのは間違いなしであると思う。
10月6日(火) 晴れ 21℃
人生の棚卸を! - シンプルな暮らしに向けて
この季節、物思いにふけることがよくある。仕事や勉強、これからの生き方そして人間関係など具体的な事柄とは限らないが、いろいろと頭の中で思いが巡る。ひと言では表現しにくく、漠然とした感情が胸に広がるときがある。秋の物悲しい夕暮れが、人生のたそがれを連想させるからもしれない。「気持ちを整理したかったら、人生の「棚卸し」をしてみてはどうですか」と 問いかけるエッセイを読んだ。棚卸しとは在庫をチェックし、要・不要を整理することであり、同じように自分自身の周りで、要るものと要らないものを仕分けしてみませんか。使わなくなった身の回り品の処分はもちろん、習慣や人間関係を含めて生活を見直し、今後の人生に生かしていくのだという。人生でたまったアカを落とし、身奇麗になって再出発することだとも言えそうだ。その契機として定年退職、病気の例が多い。私の周りには定年後、第2の人生と名づけ、田舎暮らしを始めた人やボランテイアを中心に活動をはじめた人、気楽に在宅勤務をはじめた人、旅をしながらスケッチやエッセイを描いておられる人、趣味(野菜作り、演奏、写真、絵画)に没頭する人等多く見かける。私も今年の目標として「シンプルな暮らしを」を掲げた。時に流されず自主性とこだわりをもって暮らしたいと思っている。今年も後半に入り、もう一度身の回りを点検してみようと思う。まずは周りの持ち物の整理するうちに思い出の品々をどのように整理、割り切るのかを自問自答しながら、今後のことが少し見えてくるだろうか。夕暮れが早くなってきた。朝夕に寒さを感じる日が増えてきており、重ね着をする気温となってきた。そして薪ストーブの炎も恋しくなってきた。一日一日、秋が深まってきている。
10月5日(月) 晴れ 20℃
おにぎりは日本の食文化の一つ - 何のためのTPPなのか?
10月に入って風がひんやりと感じられるようになり、日中の陽光が心地いい。最近、河原の芝生で弁当を広げる親子連れが会話を弾ませ、おにぎりをおいしそうに頬張っていた。何気ない光景だったが、幼い頃、運動会や遠足などに母親や祖母がおにぎりやいなりを作ってくれたことを思い出し、懐かしくなった。「おにぎりは日本の食文化の一つ。固く結んだ素朴な味は人を力づける最高の食べ物である」と言われている。一見、粗塩や味噌をつけて握るだけの単純な料理であっても、腰を据え、程いい固さまで手でごはんを押し込みながら円形や三角形などに仕上げていく姿を思い浮かべると余計、温もりを感じる。忘れたくない日本の食文化である。そのお米に関しての交渉が最終局面を迎えている。日本も途中参加した環太平洋連携協定(TPP)だ。米アトランタを舞台にした閣僚会合も5日目に入り、土壇場の攻防が続いている。日本は2年前に交渉に参加した。安倍政権はTPPを成長戦略の柱として位置づけ、構造改革に必要な規制緩和の起爆剤として期待する。農業改革はその一端だ。交渉が合意すれば、コメの無関税輸入枠が創設される方向という。恩恵を受ける輸出産業とは対照的に、農業は大転換を迫られる。交渉が長引くにつれ、何のためのTPPなのかとの疑念が頭をもたげる。当初から「秘密交渉」とされたTPPだ。情報開示は不十分で、国民は詳細を把握できない。政権が強調する「経済効果」についても試算自体が検証不能に近い。日本にとって、負けに等しい引き分けに持ち込まれないかと案じてしまう。
本日、ノーベル賞に大村智さんが受賞 → 大村一智(孫)→ 一抜けた!(失礼しました)
10月4日(日) 晴れ 23℃
実りの秋 ー 収穫祭・芋煮会 ー 野菜談義に華が咲く!
今日、青根に行く途中で稲刈りが終えた田んぼを見渡すと、わらの匂いがする田んぼ道に彼岸花が咲いている。燃えるような赤色はややあせたけれど、冠の高さを競うように林立し秋本番を告げている。青空の下で秋の味覚を味わう。なんて贅沢なんだろう。土・日曜日2日続けて、収穫祭兼芋煮会に出かけた。採れたての野菜に本命のサトイモの甘く、とろけるようなやわらかな食感はたまらなくうまい。多くの仲間と舌鼓を打ちながら、この1年の野菜栽培談義にぱっと花が咲く。今年の出来具合、肥料や水のやり方、畝の高さや間隔等、各自の創意工夫模様、料理方法まで丹念こめて育てた野菜に対する情熱・楽しみを語り合う。それじゃ来年はこうしよう、と笑顔で学習しあう。青空に笑顔がよく似合う。多くの仲間と、情報を交換することにより、次回(来年)の栽培の楽しみも増える。そして、そのノウハウを心にきちっと留めておきたいものである。透き通った青空に、ほんのりとお化粧したかのような紅葉した山々が目の前に広がる。そしてススキがなびいている。今年は中秋の名月に続きスーパームーンが話題になり、秋の寛雅に違いないが、秋も深まり、実りの秋にこうした収穫祭は欠かせない行事となってきた。11月は我が家で開催する予定であり、今度はどんなメニューにしようかとパートナーと思案しはじめている。
10月1日(木) 晴れ 22℃
今日から10月-道端のススキの穂波はグラデーションを描く織布!
秋も深まり、きょうから10月。会計年度でいえば、上半期が終わって下半期に入る端境期。マラソンに例えれば1年の折り返し地点でもある。最近は朝方の最低気温が10度台となり、ひんやり感が漂う。秋の移ろいは心なしか急ぎ足に感じる。道端のススキが幾重にも揺れていて、柔光を浴びた穂波はグラデーションを描く織布のように見えて殊のほか美しかった。新聞を見ると、安保法案の記事も少なくなってきており、片隅に法の番人である内閣法制局での記事が掲載されていた。集団的自衛権行使を可能とした憲法9条の解釈変更をめぐり、検討の経緯を示す公文書自体を残していなかったという。歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権行使が、どんな議論を経て認められたのか。多くの憲法学者らが「違憲」とする安保法制の肝の部分だけに、国民が知りたいところだ。それがベールに包まれては判断の妥当性を検証できない。安倍政権は人事権を使い、行使容認派を内閣法制局長官に起用した経緯もある。法制局は閣議決定原案が送付されてきた翌日に「意見はない」と回答したというが、結論ありきではなかったのではないだろうかと疑いたくもなる。「歴史とは現在と過去の対話である」と説いたのは、歴史家のE・H・カーだ。過去が隠されれば、対話は不可能になり、未来への礎にできない。「きちんと議論したというのであれば、速やかに公文書にすべきであると」思うが、これも忘却のひとつなのだろうか。