2019活動日誌 12月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2019年12月29日 晴れ 8℃
里山のお正月そして餅つき
小春日和の中、ペタン、ペタン。一升枡の中に入れたつきたての餅。それを男の子が食べる。あるいは食べるまねをする。「一生のうちに城持ちになれますように」。そんな語呂合わせからきたまじないである。家族が見守る前で、小さな男の子が顔を赤らめながら餅を食べる。味わいのある田舎の風景だった。もち米を蒸し上げるせいろ。もくもくと湯気が上がる。杵を振り上げ、つきおろすのは男の役目。杵を上げている間に、すばやく水をつけ餅をかえす。かえし手の多くは女であった。つき手との呼吸がぴったり合って餅ができあがる。面倒な餅つきよりスーパーに買い物に行くほうが、手軽に年末を楽しめる。だが、年の瀬らしい思い出を子どもと残したいと思う気持ちで今年もついている。孫も30日やってくる。元旦の朝には家族全員で餅つきを行う。川崎で過ごす里山のお正月。こうした餅つきの風景が孫の代そして先へと続いていくことを期待している。
2019年12月26日 曇り/雨 7℃
「どうも」という言葉は、なかなか便利がいい。
「どうも」という言葉は何かと使い勝手がいいし、便利がよい言葉である。「どうもうまくいかない」と首をかしげてみたり、「どうもありがとう」と頭を下げてみたり、「や、どうも」と調子を合わせてみたりする。例えば通夜の席。「このたびはドーモ…。とんだことでございまして、何と申し上げてよろしいか…。ドーモねぇ」。そう言って口をもぐもぐさせて引き下がれば、何とか格好がつく。この「どうも」は、気候の話題と相性がいいような気がする。冬至も間近だというのに11月並みの暖かさ。どうも冬らしくない。思えば年中、空を仰いで「どうもおかしい」と繰り返してばかりいる。誰もが原因はうすうすわかっている。地球温暖化対策を定めた「パリ協定」は、どうも各国の足並みがそろわないまま、来月から始動するようだ。会期を延長し、夜を徹して論議した国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)は温室効果ガス削減への詳細ルールを決められなかった。「どうも国内調整がうまくいかなくて…」と石炭火力の抑制策を打ち出せなかった日本は、不名誉な「化石賞」を期間中2度も受けるはめになった。経済優先のアイマイな姿勢で、いつまで、すまされるのだろうか。「どうも、どうも」を言い続けているうちに、日本が消滅しないことを祈るだけだ。
2019年12月24日 晴れ/曇り 8℃
年輪を重ねながら後世へ残す言葉を!
女優の故樹木希林さんの今年のベストセラーになった本「一切なりゆき」。<不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる>。「全身がん」と公表し、欲望を捨てたその生き方の美しさは共感を呼んでいる。よく考えると、亡き人の言葉にはふと立ち止まらせる力がある。家内は本はいつも図書館から借りてくるが、この本は愛読書として購入し何度も読み返している。含蓄のある言葉が心に響いているようだ。1月に亡くなった哲学者の梅原猛さん。壮大な人類哲学を考える視点から世の風潮を戒めた。<今の日本は言葉の権威が失われ、政治の世界にも詭弁がまかり通っている>と。文学研究者ドナルド・キーンさんは、日本文学を貫く美意識を教えてくれた<季節の移り変わりや自然の美への表現の豊かさが日本語の本質>と。人道支援に尽くした2人も忘れられない。国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんは、生存や尊厳を守る「人間の安全保障」を訴えた。<生きていさえすれば難民には次のチャンスが与えられる>。かんがい事業に取り組み、凶弾に倒れた医師中村哲さんは論語の一節から<恕(じょ)>、思いやりを表す語を残した。重い・思い言葉である。今年もあと1週間余りになった。年輪を重ね、心に響く執筆を重ねられればと思っている。
2019年12月19日 晴れ/曇り 12℃
北欧フィンランドの多色のしなやかさを学ぶ!
ラジオを聴いていると、北欧フィンランド“湖の国”で、3人目の女性首相が選出されたニュースが流れていた。サンナ・マリーンさんは34歳、現職首相として世界最年少という。性別や年齢ばかりに耳目が集まることに、ご本人はいささかうんざりした面持ちかもしれないが、比べてどうというわけではないけれど、安倍首相が戦後最年少だともてはやされたのは13年前、52歳のときである。おしなべて「50代以上・男性」の総理しか知らなかったが、「30代・女性」のプロフィルを見て「へえ」と感嘆の声が出るほど驚いてしまう。マリーン首相と連立を組むほかの4党首がみな女性で、新内閣は女性12人、男性7人と聞くに及べばさすがに「へえ」は「うーむ」へと変わってしまう。世界で初めて女性の被選挙権を認めた国の歴史から学んでみるべきことが多いと感じる。私物化や己の周りの利益誘導、都合悪いことは隠蔽、破棄、知らぬ存ぜぬと開き直る姿勢の我が国の男性首相。そして取り巻き連中の老害をみていると、なぜか新鮮である。今も人気が衰えない「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンさんはフィンランドの人だった。性別、年齢、出身、学歴等いろいろあれど、人として徳を積んでほしいと思う人材が日本にはずらりといる。ちょっと頭を切り替えて、フインランドの多色の社会のしなやかで強いリーダを見つめていきたいと思う。
2019年12月17日 曇り 9℃
過ぎゆく年の瀬を楽しむ
師走も半ば、街中はいよいよ忘年会真っ盛りとなり、今週20日の金曜日が一番のにぎやかさだという。その年忘れが様変わりしつつある。会員制交流サイト(SNS)でこのところ、「忘年会スルー」という言葉が共感を呼んでいるらしい。スルーは聞き流す、無視するの意。忘年会への異議申し立てといった様相である。勤務時間外に、しかも自腹を強いられる。「#忘年会スルー」のハッシュタグには不満や疑問が続々と掲載されている。職場の付き合いは二の次という昨今の社会人たちのドライな感覚がみえてくる。昔のように家族的雰囲気機で差しつ差されつ和やかに懇談するなんて、もう昔の感覚なのだろうか。でも、年輪を重ねた同世代の友人通しの忘年会(懇親会)は楽しい。近況報告を兼ねながら、先日、忘年会旅行に出かけた。福島二本松、米沢と山城や美術館を巡りながら、おいしいお酒をいただいた。飲み会を巡る価値観は多様化しているが、おおらかに年の瀬に酒をくみ交わして、過ぎゆく年の憂さを晴らす習慣ではあるが、親しい仲間と「ワンチーム」を合言葉に日本の良き慣習(?)を楽しむのも良いのではないかと感じている。
2019年12月12日 晴れ/曇り 14℃
歓喜の歌&スパゲテイ
師走になると街のあちこちから聞こえてくるおなじみの「歓喜の歌」。ベートーベンの交響曲第9番「合唱付」が日本で初演されて今年で101年になる。年間の公演回数は100を超すといわれ、実際に歌うとかなりの難曲だ。そんな音楽が流れる中、今日は仕事のお昼休みに家内と久しぶりにランチした。荒町にある「ぴーぷる」のスパゲテイ専門店である。ここのミートソースと珈琲の組み合わせがおいしく、量も多く食べきれないのが悩みであるが、スパゲテイの味付けと珈琲の相性が抜群で、なかなかいいもんである。そして店内のバックグランドに第九が流れてくる。呼応する合唱は人間の声の圧倒的な力を発揮し、渦巻くハーモニーに身を置く実感が第九の醍醐味なのだろう。1年の最後に「フロイデ(歓喜よ)」と声を上げる。「もっと快い、喜びに満ちた調べにともに声を合わせよう」柄にもなく、師走はどこかで、じっくりと「歓喜の歌」を聴きたいものである。
2019年12月10日 晴れ/曇り 12℃
永平寺の極みの美を求めて!
小さな旅を終え、一気に旅行記をまとめている。JR大人の休日倶楽部パスは、小さな旅を楽しむにはもってこいの企画で、年金暮らしの財布を支えてくれている。そして次はどこへ行こうかと時刻表と睨めっこしながら旅行計画をたてるのも楽しみのひとつとなってきている。来年1月は北陸の永平寺町、2月は京都マラソン応援を兼ねて京都旅行を計画中である。その中で福井の永平寺は曹洞宗大本山で冬の季節が特にいい。今は雪の重みから木造の建物を守るための雪囲いがさかんに行われているという。雪囲いは雲水らが竹簀(たけす)で建物の側面を覆う、作務と呼ばれる修行の一つで永平寺の冬の美を象徴する。永平寺や白川郷・五箇山は雪と闘いながら修行する冬ならではの極みの美しさがあると思う。開祖道元禅師は「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり」と四季の美を淡々とリズミカルに詠み込んでいる。ある作家はこう語る。「人間は目に映る「風景」で地域や場所の特色を一瞬のうちに理解する。その上で永平寺に当てはめ、山間の南斜面に石垣を積み、何段もの平たん地を造成し七堂伽藍を配置。山門に至る参道からのアプローチから、伽藍全体を取り囲むように杉の巨木が林立する「風景」を一目見て、直感的に風格と深遠さを実感できる」と言う。今度の旅は冬の座禅を通して非日常性、異文化体験を求めたいと考えている。そしてその国、地方の光輝いている宝を心から深く、観て感じてきたいと思う。
2019年12月4日 曇り 8℃
樋口一葉も人として、じっと見つめているのでは!
この秋、財布を軽くした人が多くいられるのではないだろうか。消費増税に伴う、キャッシュレス決済でのポイント還元のことだ。現金よりもカード、スマホを持つ習慣が徐々に根付きはじめている。特にコンビニではカード払いが便利で、いつも財布にカードを忍ばせている。お金を取り巻く状況が一変すると、この女性の影は薄くなるのだろうか。現在の5千円札の肖像・樋口一葉である。お札の顔だが、一葉はお金に苦労した。兄や父に先立たれ、10代で作家になることを決意する。24歳で早世するまで、名作「たけくらべ」「にごりえ」などで明治女性の厳しい現実と悲哀を描いた。彼女はお金にまつわる言葉も残す。筆一本では家族の生活を支えきれず、知人に借金を申し込むが期待は裏切られる。それでも卑屈にならず、開き直って言う。<我れに罪なければ天地恐ろしからず>。その澄んだ心境を思う。一葉の言葉を裏返せば、後ろめたいことがあれば批判を恐れることだろう。急きょ来年の中止が決まった首相主催の「桜を見る会」。5千万円超のお金が使われ、招待者の選定のいい加減で、まるで政治パーテーそのものである。私物化を巡り首相答弁も揺れている。何かやましいことでも? お札の一葉がじっと見ているのではないだろうか。
2019年12月3日 晴れ 9℃
風と落葉と旅人
師走。急に冷え込み、風が冷たくなった。8月から10月にかけての豪雨で多くの人が甚大な被害を被り、自宅に戻れない世帯も多い。先祖から受け継いできた土地が油にまみれ、途方に暮れる農家の人の表情が多く見受けられた。冬の風がいっそう身にしみるが、人にはささやかな希望を糧に生きる力がある。風も時には励ましもする。はしだのりひことシューベルツが歌った「風」は、吹く風に人生を振り返る切なさが重なって、いまも胸にしみる曲である。はしださんは一昨年12月に亡くなったが、独特の声が郷愁を誘う昭和のフォークソングだった。曲の中に〈プラタナスの枯葉舞う冬の道で〉というフレーズが出てくる。プラタナスという聞き慣れない言葉が新鮮に聞こえた。和名は「鈴懸(すずかけ)」という。街路樹の落ち葉が風に舞い、人々の思いが交錯する冬の景色を描いたらしい。風といえば心引かれた曲がもうひとつある。「風と落葉と旅びと」。かつてチューインガムという中学生の天才デュオが歌った。〈風は友だち 落葉はなかま ひとりで旅する心のなかま〉。子どものころ、どこか励みにしてきた曲だ。〈歩きつかれた旅びとの肩を 落葉がひとつ やさしくなでで 早く帰れとささやくけれど さがしもとめる夢はまだ遠い〉。今年もあと1カ月。風と落葉の物語を思い浮かべながら、今週末からの小さな旅を通して、この季節ならではの物語を訪れてみようと思っている。
2019年12月1日 晴れ 11℃
自然の中で人生を楽しむ!
12月に入ると、なぜか暖かくなったようで、気持ちの良い日差しが注ぎ込んで森林がキラキラと輝いている。登山しながら森林の落ち葉を踏みしめる。黒鼻山(泉ヶ岳の隣の山で標高850m程度)の雑木林のささやきが聞こえるようである。豊かな森林が広がる日本の雑木林は資源の宝庫でもある。古くから木材が生活に欠かせない素材として利用されてきた。木は食膳具、将棋の駒などの遊戯具、建築部材などさまざまな製品に使われてきた。そして樹種ごとに巧みに使い分けていたことが分かる。スギなどの針葉樹材は木目がまっすぐで加工しやすく、容器や建築材に利用された。殺菌性や防虫性のある成分が含まれ腐りにくいクリやヒノキは、柱材や便器の金隠しに用いられた。重くて硬いイスノキは割れにくく櫛の材料に多用された。漆器の場合、耐久性の高いケヤキは上質な品に、ブナやトチノキは普及品に使われた。木の利用はまさに「適材適所」に用いられているんだなあと思う。私の生活の中で、きのこ植菌作業ではシイタケはナラ、コヌギの木を利用し、ナメコ・ヒラタケはサクラ・シデの木を利用している。人間の世界でも適材適所は大事だと思うが、これがなかなか難しい。政治の世界でも「適材適所の観点から任命したが、国民におわびしたい」と謝罪コメントがいつも繰り返されている。それに引き換え、雑木林の木々はそれぞれの特徴を活かしながら役割を担っていきているんだなあ とつくづく感じる。