■2021活動日誌1月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2021年1月31日 晴れ/曇り 2℃
ネットと紙の文化を使い分けて温かさを届けたい!
先日、お年玉が当たっていないかと年賀状を見返した。その中に自作の短歌を書いた旧友の賀状が一通。「ともに観(み)てともに信じてともに為(な)すともに学ぶはともに生きるなり」。コロナ禍の今、「共に」の連呼に思いがこもっている。ある週刊誌のコラム欄にこんなコメントがあった。紙とネットは共に乗り物。両方とも心をどこかへと運ぶことができる。ただネットに乗りやすいのは信念や明確に言いたいことなど心の硬い部分だけだ。これに対し、「心の柔らかい部分は紙の方がいい。何を言いたいのか分からないけれど、それでも何かを伝えたいと思っているならば、その複雑で多義的な言葉たちはゆっくり運ばれたくらいがちょうどいい」とし、「心には情報以上のものが詰まっている。そのニュアンスは壊れやすく失われやすいが、紙がその柔らかい部分をふんわりと包んでくれる」と記してあった。思いや情報は表現されて初めて形になり、質量を増やすためには卵からひながかえるように温める時間が必要だ。いただいた賀状にも、友の歌のように、ふんわりと包まれた言葉が乗っていたような気がする。私も、もう少し気の利いた言葉でも記せばいいのにと後悔する。今年は日本の郵便事業開始から150年。ネットも「紙」も大事にし、上手に使い分けたい。ちなみに、お年玉は3等が3枚だけだったが、やはり温かいものである。
2021年1月28日 晴れ/曇り 3℃
今!コロナ禍を乗り切る力量が政治に問われている
久しぶりに某病院で日帰り手術をうけた。約1時間とは言え、全身麻酔のため、あっという間に無事終わった。安静にしながら現在はゆっくりと家で過ごしている。くつろぎながらTVニュースをみていると、緊急事態宣言下にもかかわらず、2人の与党議員が夜のクラブに行っていたらしい。感染拡大に歯止めがかからず、政府は国民に「夜8時以降の外食・飲食や不要不急の外出をしないよう」協力を求めている。その要請を無視することは裏切りに等しい。広く知られることわざに「医者の不養生、坊主の不信心」という言葉がある。でも今のコロナ禍の中で、医療関係者が新型コロナウイルスの対応に、日夜奮闘していることには敬意を払う。医者は人には養生の大切さを説教しながら、自分の健康にはさほど頓着しない。そこから他人に立派なことを言うくせに、自ら実行しないことのたとえをも表わしている。与党議員の行為は「不謹慎」「無自覚」と非難されても仕方がない事例である。菅義偉首相は国会で「大変申し訳ない」と陳謝したが、自身も年末のステーキ会食の前歴がある。世界のコロナ感染者の総数が1億人を超えたという。変異種の増加やワクチン接種の遅れなど悪化の可能性も拭えない。この難局を乗り切れるかは、各国政府の指導力次第。まさに世界が競う共通テストの様相だ。日本の政治の力量が問われているような気がしているが、特に今の日本政府を見ていると情けなく思う。
2021年1月24日 曇り 5℃
安全祈願ウオーキング敢行!
24日の日曜日12時集合で山仲間グループ「やまびこMLC会」6名で安全祈願ウオーキングを実施しました。コロナ禍の中、市内は空いており、これが日曜日なのかと思うくらい仙台駅、そして街中は広い空間となっておりました。仙台駅⇒亀ヶ岡八幡宮⇒成田山⇒山居沢⇒大崎八幡宮と約20000歩・約16kmの距離を歩き、心身ともに心地よい疲れがのこり、ぐっすりと眠ることができました。今、日本は新型コロナ対策を巡り経済優先か感染防止かで揺れ、結局感染拡大を招き11都府県に緊急事態宣言が発令される中、ワクチン接種の工程が明らかになった。一定の安心感にはなってきた。2月中旬にも医療従事者の先行接種が始まり、3月中旬以降から順次接種が進められるようだ。ただ接種が始まっている欧米では十分に浸透していないため、沈静化には至ってはいな。感染症専門家からの「無症状の若年者も多くおり、仮にワクチンの有効性が高くても制圧には数年必要なのでは」との指摘を踏まえると接種で収束とするのは早計かもしれない。こうした中、コロナ後社会を見据えての考えを整理する必要がある。「新型コロナが問うているのは感染対策か経済か二者のうちどちらを優先するのではなく、どんな社会を構築するのかである」。感染症との共生社会像に思いを巡らすことも肝要ではないがろうか。
2021年1月18日 曇り/小雪 1℃
「密の文化」を取り戻したい!
コロナ感染がとまらない。失礼だが私の環境周りは田舎でもあるので、ちょっと遠い国のような気がしていてマスクも時々忘れる場面も多く、油断には気をつけねばと思っている。2020年の世相を表す「今年の漢字」は「密」だった。新語・流行語大賞にも「3密」が選ばれた。密閉、密集、密接を避ける。コロナ禍のため、これまでにない生活様式を強いられた1年だった。それが今も続く。人と2メートルほど離れるソーシャルディスタンスが推奨されてきたが、これを聞いたとき、昔読んだ「かくれた次元」という本を思い出した。米国の文化人類学者、エドワード・ホールが書いた名著だ。ホールは人と人との感覚的な距離を分類し、近い方から密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離の四つがあると述べた。その社会距離は1メートル20センチ~3メートル70センチ。2メートルの辺りで近接相と遠方相に分かれる。近接相は仕事場や社交上の集まりでの距離で、遠方相は形式ばった業務、会話のときの距離だという。つまりは2メートルを境に親密ではなくなるということを言っている。飲食店では席の間隔を空けていることが普通になった。ゆったりするのはいいが、居酒屋などでは知人同士あるいは見知らぬ同士が、ホールの言葉を借りるなら密接距離や個体距離で一献傾けるのが何よりだった。密集した路地裏の店が魅力的に思えるのも、人と人とが触れ合う温かみのようなものを感じるからではないか。今年の正月は、家族や親類がこたつに集まって、にぎやかに過ごすことさえできなかった。今年は何とかコロナを収束させ、遠慮なく人と会い、近しい空間で食事をしたり音楽を聴いたりしたい。「密」の文化が戻ってくることを心から願う。
2021年1月13日 晴れ/曇り 4℃
運転免許更新と共にうし年に合わせ、ゆっくりと行きたい!
今日は運転免許更新の日である。幸いにも5年間無事故無違反であっため「優良運転者」となりゴールド免許となった。次回は5年間後ということになり、いよいよ次回で最後かもしれないなあと思っている。最近は加齢のため視野が狭くなり、スピードを抑えたり、夜間運転等も控えるようになった。まだまだ運転できることに感謝しつつ安全運転に心掛けていきたいと思う。今年はうし年で、よく食べてすぐ寝ると、牛になるよと親から子へと伝えられてきた。コロナ禍で自宅で過ごす時間が長くなったこの三が日は、牛になった気分でのんびりできた。そして今年は何がはやるだろうと考えてみた。加齢とともに老後を本格的に考えていかねばと思うようになってきた。里山生活がだんだん身についてきたような気がする。衰えを楽しみながら、下火になった時分に追いつく牛後となれど、頑張ってついていきたい。高村光太郎に「牛」という長い詩があった。〈牛はのろのろと歩く/牛は野でも山でも道でも川でも/自分の行きたいところへは/まつすぐに行く〉。しかも〈牛は為(し)たくなつて為た事に後悔をしない〉そうだ。あたふた急ぐ者には目もくれず、ゆうゆうとわが道を歩き、粘り強く、悔いることなく、争いを好まず、優しくて洞察力のある目を持つ-。何とすてきな牛賛歌だろう。読めばいっぺんに牛のことが好きになってきた。さあ、丑(うし)年である。多難の時代ゆえか、これも何かの巡り合わせに違いない。「ゆっくり行け」と牛が言っているような気がしてきた。
2021年1月12日 雪/曇り -2℃
いつも雪の中にいるイメージの。。。。。!
今日は朝から雪が降っている。この光景を見ると、銀幕のスターだった高倉健さんがいつも雪の中にいるイメージがあり、ついつい思い出してしまう。あだ討ちに向かう夜道も、脱獄囚が駆ける平原も、駅員のたたずむわびしいホームも…。。「八甲田山」や「南極物語」など厳寒の過酷なロケが続くが弱音も吐かず黙々と仕事をこなしている姿はほれぼれしてしまう。この冬一番の寒波で、きのうから雪に覆われた。今年はとにかく雪が多く、除雪車が出道してくれることを心待ちにしている。こんなときにも、ごみ収集や配送の車は早朝から忙しく行き交っている。コロナ禍がきっかけに厳しい状況の中で、医療従事者をはじめとした社会を支え続けてくれる人たちがいる。生活するうえで様々な働く人々が社会を支えてくれている。世の中にとって、かけがえのない大切なものに心を寄せてみるのも必要であると最近は特に感じるようになった。危機管理不足の中であえいでいる現政権も高倉健氏のようにどっしり構え、国民の心に響くようなメッセージがほしい。実行が伴わない形容詞(しっかりと、ちゅうちょなく)の言葉ばかりでなく、自らの足元を真摯に見つめ、まずは感染症対策に全力を尽くしてほしいと願う。
2021年1月8日 曇り/小雪 -2℃
春の七草を迎えて!
今年の冬は寒いし、雪も多い。昨年が暖冬で雪も少ないこともあり、今年は特に身に応える。気温も低くちょうど寒波も襲来しており薪ストブが大活躍してくれホットしている。そんな寒い中、七草を迎えた。明治期の文学者、正岡子規が結核を患っていた晩年の歌に、新年に七草の籠をもらった喜びと感謝の意を詠んでいる。子規の随筆集「墨汁一滴」に収められる。病床の子規は七草籠の様子を細やかに描写することで感謝の気持ちを表したのだろう。「病牀六尺」でも七草籠に触れており、「かかる気の利いた贈物(おくりもの)は江戸では昔からあつたものと見える」と記す。無病長寿を願ってあつものにした7種の菜を食べるのは古く中国にあって、日本では平安時代の初期のころからだという。七草の種目は地域や時代で異なってはいるが、「春の七草」は「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」で早速いただいた。七草は病身の子規に贈られたことでも分かるように栄養分が豊富で、七草がゆは栄養補給、薬膳食でもあろう。七草がゆを食して、コロナ禍の邪気も払いたいものである。七草をいただいて身も心も温めて今年も健康に過ごしてていきたい。今日もがんばろう!!!
2021年1月6日 曇り/晴れ 3℃
この時季、薪ストーブは真面目に働いている!
新年の食卓で、ほっとさせてくれるのが雑煮である。立ち上る湯気に顔を寄せれば、ほんのりとだしが香る。汁をすすって、餅を一口。互いの味を引き立て合って、口の中が楽しくなる。我が家では野菜とサケなど具材がたっぷり、そこにイクラが載るのが王道である。その表情も異なるが、イクラ一つ取っても生のままでという流儀もあれば、軽く火を通して表面がうっすら白いものを、という手法もある。雑煮には「保臓」という別名がある。「ほぞう」とか「ほうぞう」と読む。胃に負担をかけず、五臓六腑(ろっぷ)を温める。ごちそうであると同時に、体に優しい食べ物だ。口にすると、ほっとするのもうなずける。その料理では薪ストーブが活躍してくれる。木を燃やすのだから当たり前だが薪ストーブは身も心も温めてくれる。それはある時はぼうぼうと、ある時はちろちろと燃える炎が見えるからだ。薪の燃える匂いも暖かさの源になる。針葉樹の燃える匂いはかすかに脂が焦げる匂いが交じる。それに対して広葉樹のサクラやカエデ、ナラの燃える匂いは生活の匂いでなく、力のある野生のにおいである。薪を焚くと部屋の洗濯物は乾くし、とろとろ優しく燃えて、料理の鍋の肉や野菜でもじっくり柔らかくしてくれ、旨みを引き出してくれる。今日も薪ストーブは洗濯物と鍋と家族の期待をのせて、家の真ん中で真面目に働いている。
2021年1月4日 曇り/小雪 0℃
今日は仕事始め!
新しい年が明け、今日は仕事始めだった。例年なら1年の期待を込め前向きな思いで迎えるはずだが、今年は昨年来の新型コロナウイルスが猛威を振るい、不安の渦巻く船出である。私も仕事始めに薪割りを始めた。今年は寒い精もあるが、ネットを通して昨年末あたりから、薪の注文が相次いでいる。幸いにも多くの薪棚に、まだ在庫があるので困っている人にお譲りしている。軽トラで12台分、そして予約も5台程度ある。そのためか、丸太の薪割りを急ピッチで家内と一緒に黙々と行っている。そして待ちきれず引き取りに多くの人が訪れてくれ、ある意味ではうれしい悲鳴でもある。そんな中、菅義偉首相は年頭記者会見で首都圏1都3県に緊急事態宣言を発令することを検討中だと表明。経済活動の停滞に否定的だった首相も、さすがに感染爆発と医療現場の逼迫を見過ごすわけにいかないらしい。昨年4月に続く2度目の緊急事態宣言に踏み切るようである。株価などでは丑年は年間の騰落率が十二支の中で一番悪いらしい。そして今の最大の関心事はコロナ収束の切り札と目されるワクチンである。ワクチンの名前はラテン語の「雌牛」が由来で、英医師ジェンナーが天然痘予防に牛痘を用いたことらしい。早期ワクチンを願いながら、仕事始めに勤しんでいる。