■2015 活動日誌1月■
季節の日々の移ろい、自然に中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴ってみました。おつきあいください。
1月31日(土)晴れ 3℃
青森県五所川原市金木町で地吹雪体験ツアーが始まった。厄介ものの雪や寒さを逆手に取った催しで28年目を迎えた。もんぺに角巻姿、かんじきで雪原に繰り出す非日常の体験が南国や海外の旅人を引きつけている。岩木山より吹き降ろす風が一面の原野の雪を舞い飛ばしてしまう。我が家の周りも地吹雪ができそうであるが、こちらは雪の量がだいぶ違う。今日3日目のコースは
青森から秋田まで五能線の旅(リゾートしらかみ2号)×秋田新幹線
青森 ⇒ 鯵ヶ沢 ⇒ウエスパ椿山⇒十二湖⇒ 秋田ー秋田新幹線ー仙台(泊)
8:02 → 9:58 → 11:15 →11:25 →13:31/16:34 → 18:55
昨年は秋田から青森へと北上したが、今年は逆のルートで青森から秋田へと南下するコースを辿った。冬の荒々しい日本海を期待していたが、天気は予想外で青空の晴天が広がり、風もなく穏やかな日和となった。この沿線はすぐ間近に迫る崖の海岸線を走るため、見応え・乗り応えが感じられ、今までの太平洋側とは違う荒々しさがある。地吹雪の五所川原から鰺ヶ沢までの間では、津軽三味線の生演奏を聴かしてくれる。このバチさばきが車窓の景色を一段とリズミカルにしてくれる(生演奏の動画を収録しましたので聴いてみてください)。そして深浦駅では秋田からのしらかみ白神1号とご対面する場面を演出してくれる。千畳敷駅では岩場に凍りついた氷結が間近に見え、広々とした岩場を15分程度散策できる時間を作ってくれる。途中の海岸線の見どころの説明や白神山がよく見える場所では車掌さんがアナウンスしてくれたり、列車を減速したりとお客さんの満足感を満たすような盛りだくさんの演出をしてくれ、うれしいものである。本当にいつ乗っても楽しいリゾートしらかみ号である。約5時間30分と長丁場の列車の旅であるが、あっという間に時間が過ぎる。ローカル線では五能線が何と言っても私にとっては一番である。そして終着点の秋田駅に降り立つと、意外と雪は少なく一面に青空が広がっている。秋田市民の憩いの場である千秋公園、県立美術館・赤レンガ郷土館ではアートにふれることができる。そして夏場の竿灯でにぎわう川反付近をゆっくりと散策しながら秋田の佐竹氏二十万石の城下町を約3時間をかけて堪能しつつ、珈琲屋で「ふわふわラテ」で温まりながら旅を締めくくった次第である。
1月30日(金)曇り 2℃
日本酒の寒仕込みが最盛期だ。「甘、酸、辛、苦、渋」。五つの味がほどよく調和したものが美酒とされる。それも適したコメ、適した水、優れた技術があればこそである。青森は津軽、下北、三八、上北と豊かな自然と風土に恵まれ山海の新鮮な食材や郷土料理も豊富であり今晩が楽しみだ。2日目のコースは
北リアス線×八戸線×青い森鉄道×大湊線
田野畑 ⇒久慈 ⇒八戸 ⇒野辺地 ⇒大湊⇒青森(ホテルサンルート青森泊)
8:52 →9:47→12:13→12:57→14:05→16:07
薄曇りのお天気で残念ながら日の出は拝めなかったが部屋から見える海岸は美しい。川崎では山々からの朝日であるので格別新鮮な気分である。今日は田野畑からじぇじぇじぇのあまちゃんでお馴染みの久慈へと向かう。ドラマで目にした風景を眺めながらの海岸線は何かなつかしい気がする。そして久慈から八戸へと向かう。三陸海岸の北端となる八戸までは穏やかな海岸線が続き、海辺ではサーフィンに興じる若者も見かける。八戸からは「はまなすベイライン号」で野辺地を経由して下北半島の大湊まで向かう。大湊線沿いは陸奥湾を挟んで津軽半島を車窓に眺めながら、砂浜の海岸沿いを北へと走り続ける。春には菜の花畑が広がる陸奥横浜、そして「はまなす」の花が広がる海岸沿いを想像しながら単調な単線をひたすら走り続ける。終着の大湊を起点として、恐山や大間・下風呂へと続く。今回は時間の関係で「あすなろ下北号」で野辺地へと引き返し、野辺地からは青い森鉄道へ乗り換え、青森へと向かう。ベイエリアにあるアスパムで夜景を眺めながらちょっぴり青森の新酒と海鮮料理をいただいた。その後、青森にあるJazz喫茶ブルーノートを思い出し、雪の明かりをたよりに久しぶりに訪れた。サイフォンで入れたコーヒーを飲みながら、じっくりと昔のLPレコードの音に酔いしれ、心が昔に帰り、心が躍るような気分にさせてくれた。今日はローカル線を乗継いで、雪の青森を眺めながら、鉄道のユックリズムな旅を終えた。数ある乗り物のなかでも、鉄道が多くの人をひきつけるのはなぜだろう。「時刻表2万キロ」などの著作で知られる宮脇俊三が、旧国鉄の全路線を走破し、「道楽の極致」に浸った気持ちがわかるような気がした旅である。
1月29日(木)晴れ 2℃
今日は「冬晴れ」。厳寒の冬の季節にからりと晴れ渡る日和で、抜けるような空の青さや清冽な空気の透明感は、たとえつかの間であっても気分は爽快である。今日から北東北冬巡りがスタートする。1日目のコースはイーハトーブ岩手冬物語と題して、以下のコースを巡る
東北新幹線×釜石線×(山田線不通のためバス)×三陸鉄道北リアス線
仙台 ⇒ 新花巻 ⇒ 遠野 ⇒ 釜石 ⇒ 宮古 ⇒ 田野畑(羅賀荘泊)
8:58 →10:59 →11:02 → 11:58 → 14:39 → 15:55
宮澤賢治の生誕地である花巻から銀河鉄道の世界に飛び込む。山間を通りながらJR釜石駅まで22の駅を潜り抜ける。途中に民話の里で知られている遠野市がある。河童伝説や伝承園、ふるさと村があり民話の舞台でもあり魅力満点である。山間ではあるがJR線沿いはトンネルが少なく、ぐるりと人里を囲む山々、雪に覆われた真っ白な田畑が続いている。木々は薪となるような間伐林が多く、ついつい目に入ってくる。まさに春を待ちわびる日本の原風景そのものである。ラクビーの街「釜石」に到着した。駅前には鉄を象徴するかのように新日鉄の工場が並び建っている。鉄のイメージを形どった駅舎、そして三陸鉄道の南リアス線(盛~釜石)の始終着点でもある。これから宮古に向かうが、JR山田線は震災で不通であり、バスで道の駅「やまだ」へ向かい、そこでもう一度バスに乗り換え宮古駅に向かう。釜石から宮古までの海岸線は震災の復旧工事等で大型ダンプ・トラックの往来やクレーン車が目立つ。そして建設現場の仮設プレパブ小屋がやたら多い。復興までには、まだまだ時間がかかりそうに見えてしまう。宮古駅からは、いよいよ三陸鉄道北リアス線に乗り込む。じぇじぇじぇのあまちゃんですっかり人気となったが、車両は1両のみで乗降客も平日でもあるが5~6人程度であった。途中の田老にある2.5Kmもある津波防潮堤は世界に誇る三陸の万里の長城と言われていたが、その上を襲ってきたのだから今回の津波の大きさは想像を絶する高さである。やっと今日の宿「羅賀荘」のある田野畑駅に着く。夕方4時頃であるが、天気もよく海岸線が澄み切っていてきれいだ。ちょうど6年近く前に訪れたが、このホテルも改装し以前のようなにぎわいの半分程度まで客足も戻ってきたとのことである。夕暮れの海岸線を散策しながら一人旅は何か感傷的にしてくれる。ゆっくりと温泉につかり明日の下北半島の旅への思いを馳せようか。週間予報では明日あたりからしばらく雪マークが続くというが冬を楽しみながら春がやって来るのを待ちたい。
1月27日(火)晴れ 10℃
東京では16.7℃と4月中旬の暖かさで湯島天神では梅の花が3~4分咲きとなり、まさしく春を思わせる陽気である。仙台でも10℃と3月下旬を思わせるほどの暖かい一日であった。今日は所用にて仙台空港に出かけたついでに、帰り道に名取市閖上港に立ち寄った。港近くには津波の高さと同じ9mの記念碑が建てられた。周りが何もない原野の中にそびえたつ碑を見上げると、改めて津波の威力と恐ろしさを思い知らされる。ところで、お隣の山形県では冬に満開になるサクラ「啓翁桜」が有名である。その生産量は全国の8割以上を占めている。開花のメカニズムが面白い。厳しい寒気にさらされた後、暖められることで春と“勘違い”して花芽が膨らんでくれる。気候風土を生かしたプロのなせる技だ。生産額は2億5千万円に上り、冬場の収入源になっている。山形市中心街では観光キャンペーン中で、店先でよく見掛ける。ルーツは福岡県で山形市内の農家が50年ほど前に苗木を導入し、その後、県内に広まった。名前は当初、福岡の“生みの親”に敬意を込めて敬翁桜と付けられたが、後に「啓翁桜」に変化したという。「敬」から「啓」に変化。いずれにせよ、人を敬う丁重な響きがある。花言葉は純潔、淡泊、精神美。合格や卒業の祝いでも喜ばれそうで、明日の送別会では敬意をこめて花束として贈ろうかなと考えている。つぼみと共に顔もほころぶ冬の桜に、癒されてほしいと思う。
1月26日(月)曇り 5℃
多くの友人から、パートナーと共に手創りマフラー、帽子をプレゼントされた。最近はこうした心がこもった物をいただくことが多く、恐縮すると同時に感激している。そして、旅行・HP撮影用として、最近流行の「自撮り棒」をいただいた。長さを調節できる棒の先にスマートフォンを取り付けて撮影する器具で、自分撮りを英語でセルフィーと言うため、セルフィースティックやセルカ棒とも呼ばれている。海外の観光客が使う姿を、昨年あたりから見かけるようになった。国内でも普及し、TVで晴れ着姿の新成人が仲間と一緒に撮影している姿をよく見た。ニュースではこの「自撮り棒」は世代によって反応は分かれるらしい。「便利。欲しい」と「あの邪魔な棒は何?」と。人に頼む必要がなくきれいに撮れるので、恋人や友人との自撮り写真がフェイスブックやツイッター、写真共有アプリが氾濫している昨今、需要はありそうである。早速、今度の旅行で使ってみたいと思う。やっと、味噌作りが終わり、今度は来年用の薪集めである。今日は体調も回復したことより、午前中に薪調達のためチェンソー持参で早速、車で出かけた。今年は薪の消費ピッチも早く、二つの薪棚が空いてしまい、精神上不安定となりがちである。ひとつの棚の半分程度ではあるが薪を積み上げるとホットする。なんか、積み上がっていく薪をみていると、自分の閉じた快適な世界の中で、満足感が積み上がるような境地になる。今後も楽しみながら時間と体調の具合を相談して、夢と薪を積み上げていきたいと思う。薪棚が一杯になりますように!!!
1月25日(日)晴れ 6℃
今日は朝から陽射しが差し込み久しぶりに暖かい一日であった。寒から節分までの1年で最も気温が低い今は、みその寒仕込みの季節。雑菌が少なく、ゆっくり時間をかけて発酵できるので味に深みがでておいしく仕上がる。先週は我が家の味噌つくり。今日は仲間家族6家族分の作業で12人が朝早くから集合する。前日より大豆を薪ストーブの上で煮込み柔らかくし、煮上がった大豆をミートミンサーでつぶす。ほのかに甘い香りが広がる。麹と塩を混ぜる手のひらが癒やされる。全部合わせ団子を握る。空気を入れずに隙間無くたるに詰めるため、団子をたる底にぶつけてはぎゅっと押さえる。重しを載せあとは半年以上の時間を待つばかりで10月ころには食べられるようになる。ここからは乳酸菌や酵母菌といった微生物が担ってくれる。環境を整えて見守るしかない。目に見えない小さな命とともに暮らし、支えられている不思議。みそは今ここで生きている。微生物の状況は場所ごとに違い、そこになじむ味を育てる。大豆栽培から育て、安心安全な無添加みそ、手前みそつくりの会話は人々の心まで元気にしてくれるようである。
1月23日(金) 晴れ&曇り 5℃
大寒から節分までのこの時季は寒さが最も厳しくなるころとされる。寒さの続く日々を一日ずつ数えて乗り越えながら、やがて訪れる春を待つ。今日は久しぶりに青根にある「じゃっぽの湯」へ出かけた。我が家ではいつも湯ノ花(山形蔵王温泉:白い硫黄)を入れて暖まっているが、本物の温泉はやっぱり違う。広々とした湯船に手足を伸ばしながらゆったりとつかる。冬はやっぱり温泉がいいなあ。身も心もほっこりとさせてくれる。そして、靑根の友人Fさん宅へ立ち寄り、木工作品を見学した。やはり木の製品の肌触りは暖かく柔らかく、木つくりのFさん宅同様に息吹が感じられ、ほっこりする。そして身の周りの生き物たちは今は寒さを耐え忍んでいるようである。羽の間に空気をため体が膨らんだスズメは、けなげで愛らしい。地面に葉を広げて寒風をやりすごし、日を浴びるタンポポは頼もしい。自然の営みはじっと春を待っている。「冬来たりなば、春遠からじ」。季節は着実に歩みを進めている。春一番を待ちながら今日も薪ストーブでほっこりと。
1月22日(木)曇り&小雨 4℃
今日でやっと賀詞交歓会も終わる。多くの方との話で、今年はグローバル化した世界の中で中東が中心に動くとの会話が続く。イスラム教の聖典「コーラン」について調べてみた。その中にこんな言葉がある。<地上をあまりいい気になって闊歩するでない。別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい> 欧米の対イスラム国政策に、日本が協力していると批判し、身代金2億ドル(約240億円)を支払うよう求めている。「いい気になって闊歩するでない」との言葉を送りたい。ビデオ声明では「自発的に十字軍に参加した」と日本を厳しく非難している。イスラム国にすれば、日本は欧米と足並みをそろえる「十字軍の一員」に映るのだろう。安倍首相が中東諸国に出すとしたイスラム国対策費を「人道支援だ」と言ってもそうは受け取らないのである。政府は恐らく話の通じない相手と向き合うことになる。難航を極め、期限まで残された時間はあまりない。貧困を培養土に育ってきた過激主義。でもこんな卑劣な連中に、屈するわけにはにはいかない。「テロには屈しない」という原理原則と「人命第一」の両立は容易ではない。イスラム国は、72時間以内と区切った。時計の針を止められないのがもどかしい。命が失われることなく解決するのを祈るしかない。
1月21日(水)曇り 4℃
真っ白に霜が降りた光景を眺め、霜柱を踏みしめるときのザクザクという音は冬の朝の楽しみの一つである。これから冬本番ではあるが、寒に耐え、春を待つ水仙も自宅庭の片隅で準備はじめただろうか。温暖な南房総では、のどかな里山に水仙の一大群生地が広がり、例年より早く見頃を迎えたらしい。降った雪に耐え、冷たい雨にもたくましく、冷え込み厳しい寒の内を咲き続ける水仙は冬の終わりの花とも言われている。仕事帰りに広瀬川界隈を散策してみたが房総のように小道を散策しながら路傍や山の斜面に咲く花を愛でる人はまだいない。川を渡る風は頬に刺すような冷たさである。宮沢橋下ではカモや白鳥は何事もないように、悠々と泳いでいる。昨年秋に、悠々ファームの畝に水仙を大量に植え込んだ。うつむき加減にほほ笑む水仙の花は、見る人の自己愛に優しく語り掛ける。清らかで控えめな姿を間近に見ればすがすがしく、漂ってくる甘い香りに包まれると気持ちを和ませてくれる。悠々ファームに水仙の花が芽吹き、少しずつ近づく春の風景そして足音が聞こえてくることを楽しみにしている。春よ、来い。
1月20 日(火)晴れ 2℃
一年で最も寒さの厳しい時季になった。今日は大寒である。澄んだ夜空に星も冴える。感傷的な気分もほんの一瞬で、寒気は、着ぶくれた服の間から入ったり、家の中でもちょっとした隙間からも遠慮なく入り込み、そのままの形で肌を刺し寒さがこたえる。身をもって知る「歳寒」である。そんな中、腰の骨を折り、療養生活を送っている瀬戸内寂聴さん(92)が、自分の足で歩けるようになったとか。まだペンは持てないそうで「四月の花祭りごろには」と、意欲を見せる。時代に必要とされている作家だ。「失礼ですが」のお年での、この回復力には感心させられる。寂聴さんに負けてはいられないと励みにもなる。昼食・おやつとして、パートナーはよく「おやき」を作る。おやきと言えば、長野善光寺のおやきが有名であるが、その具を調べてみると、「あずき、しめじ野菜、切干し大根、野沢菜、かぼちゃ、りんご、きんぴら、ひじき、ふき味噌、行者にんにく、きくいも、ナス、ニラ」と多彩で旬の味が素直に味わえる田舎の味でもある。今年の目標として「四季折々の季節に触れる喜び・営みが感じられる暮らしを求めて」を掲げたがパートナーとともに「山川草木に融けこむ」境地に達したいものである。今年は少し台所に入り料理 でもと思いつつ。。。でも地粉の南部小麦は料理に欠かせないし我が家の定番でもある。この味を味わえば、体が許す限り小麦を作れたならと思いが募る。
1月19 日(月)曇り&小雪 4℃今年は今のところ、雪が少なくて助かっているがとにかく川崎町は蔵王下しの風が強く、雪も吹き飛ばされている。その中で日本海側は大雪で大変であると青森の友人からメールが届く。今シーズンは降り始めが早く、青森市では既に約1メートルの積雪だそうだ。街のあちこちに大きな雪の山。そんな青森市の国道沿いのバス停で時折、ホッとする光景が見られるとのこと。バスを待つ間、市民が備え付けのスコップで辺りの雪かきを始めるのだ。皆が気持ちよくバスに乗れるように。互いに知らない者同士。雪国の人たちの、ちょっとした心遣いである。当初はスコップ盗難を心配したが、杞憂だった。むしろ、ただ待っているより体が温かくなると、積極的に雪かきをしてくれる人が増えているという。今は市民が助け合いながら雪と向き合っているとのうれしいニュースが届く。今日もパートナーと味噌作りの協同作業である。合計28kgの味噌仕込みが終わり床下収納しほっとしながら、お茶を飲み和菓子や干し柿をいただく。その際に使う「クロモジの木」(クスノキ)から作った爪楊枝が活躍する。木を削ると気持ちよい匂いが充満しお菓子の美味しさを引き立ててくれる。川崎町の山にはたくさんあり重宝している。田舎暮らしの中で自給生活をはじめて6年近くなるが、五感で楽しめる里山の恵みに感謝しながら、パートナーと大豆と小麦、野菜は必須アイテムとなってきたなあと話しながら、昼食の手創りパン(南部小麦)の香ばしさに食欲もすすむようである。
1月17日 (土)曇り&小雪 2℃
1995年1月17日午前5時46分。阪神大震災の発生から、きょうで20年になる。時計の針が戻せるのなら、あの日より前に帰りたい。そう思っている人は多くいるに違いない。亡くなった人は6434人。伝えたいことは、たくさんあるはずだ。語り継ぐことの大切さが叫ばれている。そこで生きた人、生きている人の物語もしっかり伝えたい。志半ばで失われた命、かなわなかった夢を。壊滅した街を復興させた、人の力強さと優しさを。決して負けなかった物語を。東日本大震災を経験した我々も、神戸の人達と同様にその経験を、防災に、減災に生かさないと。生き残るための知恵をくみ取らないと、考える。今日は朝から風雪模様で午後からは一段と勢力が強まってきている。その中でこの季節、我が家の味噌つくりに追われた。我が家で採れた大豆の秘伝豆、いつもの佐藤麹屋さん(村田町)の麹。こだわりの赤穂の塩。そして3組の応援家族と一緒に味噌をこねながら震災の話題となる。今日から3日間は我が家分。そして来週は5組の家族分といそがしい日々が続く。手前味噌ながら自分で作った味噌の美味しさを味わえば、もう市販品は食べられない。やはり自己流の手前味噌が一番である。
1月14日 (水)曇り&晴れ 9℃
正月飾りを燃やし、一年の無病息災を祈願する「どんと祭」。そして恒例の裸参りを仙台市の大崎八幡宮に会社として6回目、私は3年連続して参加した。今日は高気圧に覆われ、3月下旬並みの暖かさということで裸参りの社員は大助かりである。120団体で約3300人が参加し、その中で会社は先頭から3番目であった。境内の高さ4メートルほどに積み上がった松飾りやだるま、破魔矢に火を入れ、こうこうと燃え盛る炎に無病息災・家内安全等を願った。こうした行事は季節がめぐり、また年を重ねて受け継がれる先人の知恵と願いが込められている。社会環境がいかに変わっても、先人の伝統は繰り返される「相変わりませず」の日常こそが何より大切に思える。今年1年、私自身、無病息災そして健康に生活できる幸せを噛みしめ、燃え盛る御神火を振り返りながら、仲間と帰路に着いた。
1月13日(火) 曇り&晴れ 8℃
風は冷たいが、日差しが注ぎ暖かい一日がスタートした。新聞に目を通すと、来年度の予算が100兆円に迫り、半分近くは相変わらず借金である。世界各国に目を向けると、ギリシャが、リオデジャネイロ五輪への選手団派遣に四苦八苦しているらしい。財政難で政府の補助金が廃止されたためだ。開会式の入場行進は五輪発祥の地・ギリシャが先導するのが決まりで、関係者はスポンサー探しに躍起だ。放漫財政の揚げ句、ギリシャは欧州連合(EU)などから金融支援を受け、その見返りに増税や年金カットなど緊縮策による財政再建に取り組んでいる。五輪への補助金ストップもその一環だ。痛みが伴う改革のかいあって経済成長が7年ぶりにプラスに転じるという。一方で、国民の「緊縮疲れ」もあらわになってきた。ドイツでは、ギリシャの救済にこれ以上の税金を投じることへの反発が強まっている。勤勉さではドイツに勝るとも劣らないとされる日本だが、国の借金事情は異なる。日本が抱える債務は1千兆円を超え、ギリシャを上回る世界一の借金大国である。他国の心配をしている場合ではないのだが、返済見通しはなく、ただ子や孫の世代へ累積した借金を引き継ぐのだろうか?これとは別に「大人の休日倶楽部」の時期を迎えたのでフラットと出かけたくなってきた。これも逃避行なのか、いやいや楽しみなのであると自分に言い聞かせている。
1月12 (月)曇り風強し 3℃
昨夜から風が強く、雨戸がきしむような音が聞こえてくる。きょうは成人の日である。谷川俊太郎さんに「成人の日に」という詩がある。<成人とは人に成ることもしそうなら/私たちはみな日々成人の日を生きている>。年齢を重ねても大人になることは難しい。国語辞典では一人前の成人をこう説明する。「自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけてきた意味でいう」。20年前の1994年ころはバブル崩壊後であり、低成長期に育った子供達だ。少子高齢化は加速し、年金や医療、介護など現役世代の負担はどんどん増えていく。なのに親世代からは「今どきの若者は」といつもの小言を聞かされる。でも、そんな大人たちもかつては批判を受ける立場だった。焦ることはない。人は人にもまれて大人になる。今の苦悩全て人生の蓄積になるはずだ。ただし、それは歳月を経てやっと見えてくる。新成人には折れぬ心と謙虚な心を持って歩き続けてほしいと思う。昨日、出来上がってきたテーブル用の桜の木の一枚板をペーパーで磨いたりニス塗装をしながら、自分の成人の日をを振り返ってみる。まだ実感が伴わず、自分が何をなすべきか戸惑いながら、ほろ苦い経験をいっぱい味わった思い出がよみがえる。それぞれ事情は違うが、自分の道を信じて、大人としての責任と義務を負って生きてほしいと思う。
1月11日(日)晴れ&曇り 5℃
病院WEEK(胃カメラ、大腸内視鏡、眼科)、孫の帰京、会社の新年会も終わり、何か心の解放感がこみあげてきて、やっと落ち着いて川崎町で心のお正月を迎えられる気分で何かうれしい。きょうは「鏡開き」。神仏に供えた鏡餅をいただく日である。今日もいつものメンバが集まりお正月談義に花が咲き、大笑いしながら異郷の土産のお菓子(レバノン、トルコ)をいただく。独特の味わい・風味を楽しみながら、話も舌も絶好調で笑いが絶えない。この幸福感に浸りながら、比叡山の荒行である「千日回峰行」を2度も達成した天台宗僧侶の故酒井雄哉さんを思い出した。昨年亡くなった高倉健さんの座右の銘「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」の贈り主でもある。お経を唱えながら比叡の山々を7年かけて約4万キロ踏破。最後の9日間は断食、断水、不眠不休で経を唱え続けるのだから想像を絶する。達成後、半年置いて再び同じ荒行に挑み、これも成し遂げた。これらの苦行を見守る神様や仏様に供えた鏡餅を味わいながら、お供え物には力が宿っていると考えられてきた。それを食べて無病息災を祈りながら、今年も家族の健康そして多くの仲間と笑いを忘れないよう、いつも以上に強く願った次第である。
1月8日(木)曇り 2℃
本日、急遽県立宮城大学へ赴いた。仙台北部の丘陵地区のためか風は冷たく、結構雪も残っている。まだ学生の休暇期間でもありキャンパス内は閑散としている。S教授との話で6年間で400人以上のU、Iターン者が定住した離島が注目を集めている島根県隠岐諸島の海士町の話が話題となる。人口約2350人、高齢化率が40%近い小さな島だが、町を挙げた産業創出と定住促進策が成功している。取り組みは半端ではなく、町長ら三役と議員は40~50%、職員も最大30%の給与をカットして、人口増のための事業費に充てている。「日本一給与が安い自治体」とのこと。町の情熱は称賛に値するが、そこまでしないと人が来ないという現実も哀しい気もする。都会で働く若者・学生等は、都会はたくさん稼げるけど、その分使わないと生活できない。地方なら海も山もすぐそばにあり、遊ぶのにもそんなに金がかからない。今の給料のまま、地方に住めたらいいなあと冗談っぽい口調ながら、話している。 ただ、現実は厳しい。人材サービス会社マイナビの調査では、Uターン転職経験者のうち52%が減収となり、減収幅が3割超の人も12.2%。半面、趣味や余暇が充実し、家族との絆が強まったとの声も多い。要は、減収分をカバーできる満足度を得られるかどうかがポイントのような気がする。政府の地方創生政策「まち・ひと・しごと創生総合戦略」は、東京圏から地方への転出増を盛り込んだ。果たして国には海士町ほど自分の身を削る本当の覚悟はあるのだろうか。
1月7日(水)曇り&小雪 2℃
今朝は七草がゆを食べて一年の無病息災を願った。「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草」。春の七草の温かいかゆは、お節料理など年末年始のごちそうで疲れた胃腸を優しく癒やしてくれる。これらの七種は、すべて越冬性の強い植物で、冬枯れの季節に青物を補給できるという、栄養的にも理にかなった行事でもあると「食と日本人の知恵」(岩波現代文庫)で記している。七草がゆは万病に効くと信じられてきた。特に香りの強いセリは珍重されたという。セリの匂い成分には心身ともに、はつらつとさせる効果があるそうだ。寒の入りとされるきのうの「小寒」を過ぎ、寒さが一段と増す時季を迎え、新鮮な若菜の色を見て、五感で七草がゆを楽しめば、自然と力がわいてきそうだ。しかし、元気を出したいところであるが、今度は目が時々、霞むようになりメガネ屋へ赴けば、眼科で調べた方がよいとのことで、急遽、S眼科(五橋)に出かけた。やはり左目の眼圧が高く、視力検査等が続き目薬調合そして次回の検査スケジュール(視野検査)が組み込まれてしまった。加齢とともに病と仲良く付き合っていくしかないと苦笑いしながら、結局は今日も病院通いで終わってしまった。
1月6日(火)曇り&小雨 6℃
きのうは仕事始め。新しい1年が実質的にスタートした。開口一番、「明けましておめでとうございます」すがすがしい気分にさせてくれる。来月は中国(青島)出張が待っている。体をしっかりケアして久しぶりの海外出張に備えたいと思う。きょうは「小寒」。冬型の気圧配置が強まって寒さが最も厳しい寒の入りとなる。朝9時より食道・腸の内視鏡検査である。1年半ぶりの内視鏡であるので、ちょっと不安がよぎる。胃の内視鏡検査だけで62件(大腸検査32件)もあるとの表示で、厚生病院は相変わらず混んでいる。口の中にスプレー性の麻酔が効いたかもしれないが、あっというまに終了した。おかげで食道・腸も異常なしとのことでホットしている。9日の大腸検査が終われば、当面の検査は終了する。これが終われば体の新年を迎えることができる。今年は、ひつじ年ゆえ「多岐亡羊(たきぼうよう)」の言葉がある。枝道が多く羊を取り逃がしたように、末節にこだわり本質を見失うなという故事成語のように体には注意しながら今年も元気で過ごしたいと思う。
1月4日(日)曇り&小雨 3℃
初夢、初風呂、初電話に初メール。年が明けて何をやっても、今年「初」である。初夢でいえば、毎年気合を入れすぎるのか、元日の夜はほとんど印象に残らず、夢を見たのかどうかも定かでない。何となく夢を見たように思うのは三が日をゆっくり過ごした後で今夜あたりを期待したい。今日の朝日新聞の読者投稿欄の「声」で日本の宝と題して投稿があった。①「安全・確実・清潔・規律・礼節」(62歳男)②「平和憲法」(72歳男) ③「秩序」(23歳女:中国留学生)④「急須で入れたお茶」(17歳女)⑤「けん玉」(13歳男)⑥黄金の稲穂うねる豊かな風景(72歳女)なるほど、それぞれの思いが凝縮しているようで面白い。自分ならどうだろう。手前味噌ではあるが、川崎町の我が家の270℃広角にひろがる田畑・蔵王連峰の朝日や夕日の風景である。年々、この風景が夢に登場することが多くなってきた気がする。そして初夢と同時に笑い初めからスタートしたい。笑う門には福来たる。とにもかくにも、まずは笑ってみる。大声で笑ったり、ゲラゲラ笑い崩れたり。にっこりやクスクス、ニンマリでもいい。笑顔を見れば、疫病神も貧乏神も去っていく。孫の笑いを見習って、あっはっはっは と笑おう!!
1月2日(金)曇り&小雪 1℃
元日の膳に欠かせないのが雑煮である。我が家の雑煮は昔から、だしは焼きハゼ、のし餅、具材(大根、ニンジン、ゴボウ、糸こん、ずいき、ナルト、セリ、凍り豆腐、鶏肉、ゆず、イクラ)で、慣れ親しんだ味にこだわっている。年の始めに口にするものだけに愛着が深い。神に供えた餅や野菜をいただくのが雑煮の習わしと聞くが、考えてみれば奇妙な名前である。最も正式な膳が、ごった煮とは。日本文化史を見てみると、そこに日本文化の特質があるという。室町時代の宴会では、まず主従の契りの盃事があり、初献の肴が雑煮。あり合わせのものを、とりあえず煮て食べた。武士は草深い田舎から出て武家政権を樹立するが、天下を掌握しても故郷の食文化を大切に残したらしい。それが雑煮で、武家社会の発展とともに祝膳の中心になったらしい。西洋では上から下へ、日本は下から上へ文化が移ったといわれる。しかし、今の時代はかつて中央を動かした地方文化は集権化が進む中で力をそがれていった。動き出す「地方創生」は、その流れを変えるものにしたいと思う。新しい年が明けて、心なしか清新の気を感じさせる朝、わが家の雑煮を味わって佳き年を願った。夕方には東京からチビッコ台風がやってくる。田舎の良さ・田舎の底力を感じてほしいと思う。
1月1日(木)曇り 2℃
あけましておめでとうございます。新春の元旦をいかがおすごしでしょうか? 新年は1月1日で、元旦はその日の朝。「旦」は下の「一」が地平線、上の「日」が太陽で「地平線から昇る太陽」を表している。川崎町の我が家から7:15頃、初日の出が拝めました。新しい1年が始まった。今年はHP冒頭に記述した通りシンプルな生き方を貫きたいと思う。年が改まっても、淡々と悠久の時が流れているだけと今まで勝手に解釈していたが、東日本大震災で考えが変わった。愛する家族を失い、心の傷が癒えないまま懸命に生きる人々、長く不自由な避難生活で迎える新年。戦後70年の今年はなおさらだ。国民主権となり、敗戦の焼け跡から復興を果たした日本。物質的な豊かさを求めるあまり、失ったものも多いが、平和憲法によって自衛隊は他国で人を殺さず、殺されもしなかった。それなのに、安倍晋三首相は憲法改正も視野に、戦後レジームからの脱却へひた走る。集団的自衛権を解禁し、非核3原則も撤廃し原発も再稼働させる方針で、終戦記念日には未来に向けて戦後70年の談話を出す予定という。「過去に目を閉ざす者は、現在も見えない」。ワイツゼッカー元西ドイツ大統領が行った終戦40周年演説の一節だ。歴史の判断を避ける首相が描く未来とは、どんなものか。貫く先に宿る人々の不安や悲しみは見えているのだろうか。今年はきちんと声を大にして上げなければと!