■2024 活動日誌3月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
高知で開花が発表された。東京では一足先に乾通りの一般公開「皇居の通り抜け」が始まっている。開花が待ち遠しいが、つぼみが開けば一気に淡紅色の春景色が広がる。こちら川崎町は今、梅が咲き始めた。満開までにはまだ先であるが、白い花々が愛しい。
2024年3月20日 曇り/小雪(春分の日)
春がまたくるたびにひとつ年を重ねる素晴らしさ?
俳句にはたくさんの季語があるが、例えば雨に関する季語で春雨、五月雨、時雨などさまざまな言葉で四季を紡ぐんでいる。春と秋の2回ある「彼岸」は春の季語だ。17日は彼岸の入り。3日後の今日の春分の日には昼と夜の長さが同じになる。日脚の伸びに風も光り始めた。ただ、「3月はライオンのようにやって来て子羊のように去って行く」と英国のことわざがあるように、まだ寒さも残る。地球温暖化で春の訪れがずいぶん早くなったと思う。秋の彼岸が暑いのは我慢できても、春の彼岸まで暑くなれば四季の移ろいも崩れてしまう。春の季語には「春愁」もある。桜のつぼみが膨らみ、心浮き立つ時季なのに、なんとなく気持ちがふさぐことをいう。このまま温暖化が進めば、四季や季語を失うかもしれない。気候変動に歯止めをかけたいと改めて思う彼岸の日である。
竹内まりやの「人生の扉」の歌がある。何か意味合いがわかるようになった時節を迎えた。
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春がまた来るたび ひとつ年を重ね 目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く 気がつけば五十路を越えた私がいる
信じられない速さで 時が過ぎると 知ってしまったら
どんな小さなことも覚えていたいと 心が言ったよ
I say it's fun to be 20 (20歳になるのが楽しいことよと私は言う)
You say it's great to be 30 (あなたは30歳がすばらしいと言う)
And they say it's lovely to be 40 (みんなは40歳がステキだと言うわね)
But I feel it's nice to be 50 (でも50歳になるのがいいと思うわ)
満開の桜や 色づく山の紅葉 この先いったい何度見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60 (60歳になるのがすばらしいと私は言う)
You say it's alright to be 70 (あなたは70歳になっても大まだ平気と言うわね)
And they say still good to be 80 (みんなは80歳でも大丈夫という)
But I'll maybe live over 90 (でもわたしは90歳を超えても生きると思う)
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2024年3月16日 晴れ
「春眠暁を覚えず」とコーヒーは春の目覚めでもある!
「春眠暁を覚えず」は唐の詩人・孟浩然の言葉。寒さが和らぎ、夜が明けても寝ていたい時季が巡ってきた。昔、絵若いころは寝坊したと慌てて起きようとした朝、休みだったことに気づき、もう一度布団をかぶるのは幸せそのものだった。それが今は、ゆっくり寝ていても、いつもの起床時間に目が覚める。長く眠るにも体力が必要なのだと加齢を実感している。生き物は冬と夜にエネルギーを蓄えるらしい。1日の睡眠時間を8時間とすれば、人生の3分の1は寝ていることになる。睡眠の良しあしは人生を大きく左右する。睡眠時間は長ければいいわけではない。ぐっすり眠れれば短い時間でもすっきりする。昼休みのうたた寝で午後の仕事の効率が上がることも多い。嫌なことがあっても一晩寝れば切り替えられる。だが、不眠や睡眠不足など「眠りの悩み」を抱えている人は多いようだ。そして目覚めた後の朝のコーヒーがおいしい。何らかの縁で珈琲好きの人と知り合いになり、コーヒーの木、そして生豆を自前焙煎した豆をいただく。香り・苦味・深み・雑味を味わいながら自分好みのコーヒーを見つけるのも楽しい。結局はいろいろあれど珈琲はおいしい。さあ今日もおいしくいただき目を覚めす。まさに春の日差しを浴びるような気持ちになる。珈琲ありがとう!
2024年3月5日 晴れ
「政倫審」は自民党のごまかしが透けてみえる!
国会中継をみている。衆院政治倫理審査会(政倫審)でいつもの「やっている感」が透けて見える。安倍政権時、「地方創生」や「1億総活躍」「女性活躍」など、看板政策を次々に打ち出し、課題に取り組む姿勢をアピールする一方、成果の方はいまひとつであった。今回も「やってる感」の演出のように見える政治倫理審査会であった。自民党派閥の裏金問題について、不適切な処理を問われた議員が「説明責任を果たしたい」と出席したが、実際には曖昧な弁明に終始している。そもそも、開催に至るまですったもんだした。国民の心証を思えば、当初からすんなり公開した方が良さそうなものだ。政倫審は原則非公開だが、本人の了解があれば公開される。当初は非公開にこだわった人がいたらしい。結局は公開されたが、それなら最初から…すればいいのではないかと思う。公開のハードルを上げることで、厳しい環境の下で説明する姿をアピールしようとでも思ったか。そんな勘繰りの一つもしたくなる。説明責任を果たすと宣言したものの、肝心なことは「知らない」では疑惑が晴れるはずもない。空虚な弁明で「やってる感」を演出しても、国民は納得するはずがない。偽証の責任が問われない政倫審で真相究明が一段落するようなら、政治不信はますます高まる。不透明な資金の使途も明らかにしないのに、政治活動に使ったから課税対象ではないという。納税の義務も「やってる感」でごまかしている姿がみえてしょうがない。