■2021活動日誌3月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2021年3月31日 晴れ 20℃
コウノトリの巣を見つけた!
仙台市では28日桜が開花したと思ったところ、今日31日には満開を迎えた。なんと3日で咲きそろってしまい、観測史上最も早い満開となった。この冬は結構寒く、その厳しさを忘れてしまいそうなくらい、連日暖かい日々が続いている。川崎町の釜房ダムの釜房大橋傍の駐車場に、連日多くの人々がカメラや望遠鏡を携え、先端の木々を見つめている。その先にはコウノトリの巣が数多くあり、直径は40センチほど。あらためて目を凝らす。木の枝が幾重にも分かれた場所を台座にして、小枝がびっしり積まれている。看板も出ているので、近くを通った時は眺めてほしいと思う。春先に巣を作って繁殖する。鳥の巣作りは巧みで、巣材の小枝や草などを互いに編み込むように組み上げている。人間が触れても簡単には崩れず、相当の風でも大丈夫という。前年に作られた巣が翌年も壊れずに残ることは珍しくないそうだ。巣作りした鳥とは別の個体が再利用することもあるらしい、子育てするのだろうか。あの巣の強さ、しなやかさ。わが身にもあるといいのにと思いながら、今月で終了予定の名取川河川の伐採木の切り出しや運搬(薪用)に連日追われている。今日で何とか山仕事は完了させ、チェーンソーは片づけて、今度は土仕事(ファーム作業)の管理機を駆使して土いじりにいそしむ季節となってきた。
2021年3月28日 晴れ 18℃
「純粋な喜び」子供のように笑って暮らす!
仙台もいよいよ28日桜の開花を迎えた。日々の暮らしの中で、私たちはいろいろな喜びを感じるが、私は春のサクラの開花をはじめとして黄色の花を見ると、心の中もぱっと明るくなり、高揚感が抑えきれなくなったりする。。子供のころの喜びといえば、お祭りの夜店で買う怪しいお菓子とか、友達と回し読みするマンガ本とか、今から思えば他愛もないことばかりでしたが、幼い心にとってはワクワクする体験でした。それが大人になって社会に出ると、また喜びの質も変わってきます。私の個人的経験で言うなら、やはり子供が生まれた瞬間が一番の喜びでした。もちろん人それぞれですから、仕事で大成功した時とか、愛する人と結ばれた時などなど、様々な「喜びの時」があると思います。こんなふうに、人は一生を通して、その時期その歳に応じた喜びを暮らしの糧とし、活力にしながら生きてきたのではないだろうか。なんの喜びもない人生では力も湧きませんよね。これからの時代、世界は決して明るく楽しいものばかりではなく、様々な災厄や不都合が起こってきて私達の安らぎを脅かします。それでも穏やかな暮らしを続けたいと願うなら、自分の心の内を安らかにするしか道はありません。「純粋な喜び」で子供のように笑って暮らす。それがこの世で一番の幸せなのかもしれませんねと単純に思うようになってきました。
2021年3月25日 晴れ 14℃
共感して支える伴走者として「寄り添う」!
宮城県は近頃、災難が続いている。コロナ感染急拡大や連続して地震が発生している。家内の突然の入院にもビックリしているが、快方に向かっており明日26日に退院できる見通しとなりホットしている。家に一人でいるとついつい人生を考えてしまう。本棚の中に東日本大震災時、河北新報社の元編集委員、寺島英弥さんが著した「被災地のジャーナリズム 東日本大震災10年 『寄り添う』の意味を求めて」の本をみつけ読み返してみた。寺島さんは福島県相馬市出身。大震災、原発事故の発生後、被災地に足を運び、そこに暮らす人々の声に耳を傾け続けてきた。その本の中に「苦い記憶」とは、数年前、東北を訪れた際、現地の知人と交わした会話のことだ。「『寄り添う』って言うけど、なんだか上から目線で好きじゃねぇ」。被災者でない私は、安気さを突かれて、ハッとした。寺島さんは続けて、「『寄り添う』はメディアや政治家らが広めたが、被災地では拒否感を抱かれるほど軽い言葉になった」と。故郷の町や仕事、日常、大切な人を亡くした悲嘆、怒り、失望、無念。そして希望…。被災地の外にいる私たちは、どこまで理解できているのか。「取材者であり当事者」である寺島さんの「問い」は重い。10年を刻むいまも、被災地は被災地であり続けている。その地に暮らし、そこに帰還して、失われたものを取り戻そう、創ろうともがく人たちがいる。現場を歩き、当事者の言葉を記録する。外にいる人々に問題を伝え続け、多くの人が参加できる行動、支援へとつなぐ。答えはその中にしかない。震災後に流布した言葉一つとっても、被災地の内外で受け止めは異なる。改めて、「寄り添う」とはどんな意味だろう。広辞苑を引くと、「ぴったりとそばへ寄る」とある。被災した人たちの息遣いを伝え、共感して支える「伴走者」であるべきである。明日、退院する家内に少しでも本来の「寄り添う」を。。。。
2021年3月23日 晴れ 12℃
家内より緊急事態アラームが鳴った!
「緊急事態」が半ば日常のようになっている。本来は相当な緊張感を伴う言葉だったはずではあるが。新型ウイルス感染拡大に歯止めをかけるための緊急事態宣言だったが、私たちはこの用語にすっかり慣れてしまったのだろうか。宣言が継続していた首都圏では、新たな感染者数が増加に転じる兆しがある。「宣言を延長しても感染者は減らない」。こんな声も聞こえてきた。一種のあきらめや、開き直りのような姿勢とも受け取れる。「継続しても意味がない」と消極的な理由もあり、宣言は21日で解除されることになったが、逆に宮城県は発令されているので要注意である。そんな中、朝方5時ころ、家内がめまいがしてぐるぐる目が回り、吐き気がするとのアラーム警報が鳴った。先日まで家内の妹が軽い脳梗塞で入院しており、同じような症状でもあり、早速K病院へ連絡し症状を伝えたが、病院満室で断られてしまった。別の救急病院へ連絡し救急車のお世話となった。入院後、MRI検査等では特別の異常はないが、様子をみるため点滴等も含め2~3日入院することとなった。元気が取り柄の家内が。。。と思いながら、、、今はコロナ禍でもあり面会もできず、看護師さんを通してのやりとりにもどかしさと不自由さを感じながら、この状況では仕方ない。。。この国難の中、健康の大事さが心に突き刺さる思いである。これからは緊急事態宣言が出ていてもいなくても、感染禍という非日常への「慣れ」は再度の災厄をもたらすかもしれない。慣れを遠ざけ、疫病を正しく恐れる姿勢を保てるかどうかが問われそうだ。慣れはないだろうか。自問してみている。
2021年3月21日 曇/雨 14℃
青春の風景は文字通り淡い春そのままである
青春とは顧みて、どんな日々であったか。自分のことを思い返してみた。霞たなびく山の向こうはまだ見えないが、足元に膨らんだ花のつぼみを眺めては、「何かいいことがありそうだと根拠のない期待に胸躍らせる」。こんな時もあった。青春の風景は文字通り、淡い春そのままである。春のセンバツが始まった。連日、コロナや何事も隠蔽体質の政界の大人の嫌なニュースに連日接しているせいか、きびきびとした若人の背がまぶしい。高校生の国歌独唱は澄んだ声が青空に溶け入りそうだった。目も耳もきれいに洗われた心地でいる。何かと異例の大会だが、先輩の分も含めて2年分、思いきり楽しんでほしいと思う。青春といえば、ちょうど卒業式シーズンでもある。晴れの記憶は、心のアルバムの切なくも輝く特大の1枚となろう。どうか時よ過ぎないで、今この華やぎをずっと眺めていたいから-。そんな感傷も青春の特権かもしれない。今はコロナ禍の中で感染拡大が十分に収まらずにいる。政府の無策の中で長期化により「慣れ」が広がり、宣言効力が薄れたことが要因でもある。宮城県では過去最多を更新している。感染に注意しながら、もう一度、青春を思い起こし活力に満ちた夢のある生活を送りたい。希望・夢・躍動・ワクワク感。。。心だけでもと思っているが。。。。
2021年3月15日 晴れ 14℃
あなたの好きな春色は?
「あなたが好きな春の色は?」。そう聞かれた時、思い浮かぶのは黄色。強い日差しを跳ね返すヒマワリの黄色ではなく、穏やかな陽光を優しく受け止める菜の花の黄色で、見るたびに今年も春がきたなあと感じる。ファームが始まる前に「薪をやっつけよう」と連日、家内と二人で薪割りでいそがしい日々を送っている。家内もすっかり木こり姿も似合うようになり、頼もしい存在になってきている。震災10年の節目も過ぎた。ひと月、半年、1年、3年、5年…。記憶を呼び戻す「節目」がある。廃炉が進む福島第1原発では、溶け落ちた燃料棒を冷やし続けるための注水や、建屋に流れ込む雨、地下水など大量の汚染水が日々発生している。そこから大方の放射性物質を取り除いた処理水は処分方法が決まらないまま、巨大なタンクにためられ敷地を埋めつつある。政府は海に流す方針だが、そうなれば新たな風評被害を招きかねない。事故後、漁師は操業自粛を強いられながら、地道に福島沖の水産物の信頼回復を重ねてきた。それなのに、もし処理水が海に流されれば、漁業者が妥協したからだと責められる。「原発が更地になるまで風評被害はなくならない」。終わりのない「被災」である。いまだ区切りのつかないものと向き合って暮らす人たちがいる。10年という歳月はいったい誰にとっての節目なのか、ふと考え込んでしまう。
2021年3月11日 晴れ 13℃
今日は東日本大震災から10年目の節目である!
東日本大震災から10年、作家の視点から思い返してみた。実際に被害にあった作家、被災地に思いをはせた作家、それぞれの作家がその思いを作品に込めてきた。当時仙台に居住していた俵万智さんは「3・11短歌集 あれから」、岩手県田野畑村に文学碑がある津村節子さんは「三陸の海」を発表している。岩手県釜石市で被災した俳人照井翠さんは、震災直後の混乱が少し落ち着いたころに「喪へばうしなふほどに降る雪よ」と詠んだ。照井さんは俳句を読み返すと、「すぐさまあの日が蘇(よみがえ)る。一気にすべてを思い出す」と語っている。かつて災害に対峙(たいじ)した記憶は月日とともに薄れていく。しかし、風化しつつある記憶や感情は文学作品に鮮明に刻まれている。 柳美里さんは震災後に福島県の南相馬市に移住し、「JR上野駅公園口」で震災を描き、昨年、アメリカで最も権威がある文学賞の一つである全米図書賞(翻訳部門)に選ばれた。東日本大震災は文学に描き続けられている。文学とは別に今から50年前にヒットした名曲がある。上條恒彦さんの「出発の歌―失われた時を求めて」(作詞及川恒平、作曲小室等)だ。「出発」を「たびだち」と読ませるのが新鮮だった。「自由な日々が失われた時に/残されたものは出発の歌/さあ 今/銀河の向こうに飛んでゆけ」。上條さんの朗々とした歌声、フォーク調の静かな雰囲気から次第に情感が高まる重厚なサウンド…。聴く者に未知の世界に踏み出す勇気を与え、背中を押してくれる。弥生3月の半ば。世はまさに「出発(たびだち)のとき」。学校では卒業式や終業式が行われ、会社では人事異動の発令。何にも増して、きょうは東日本大震災から10年の節目である。
2021年3月7日 晴れ 12℃
三寒四温の中、子供のパワーにはビックリ!
春一番が吹き、気温が14度を超えた日もある。ポカポカ陽気に浮かれていると、急に小雪が舞ってコートやマフラーをまた持ち出す。季節の移ろいでは決まり文句の「三寒四温」だが、この春にこそぴったりだと思う。今日は2家族の若い御夫婦や子供たちが訪れてくれた。目的は冬眠から目をさました「イモリ」捕獲のためだ。早速、我が家の周りの田んぼの水路を見て回っている。無我夢中になりながら動く姿、子供の目や嗅覚にはびっくりしてしまう。冷たい風もなんのその、捕獲のためには2時間近くも探しまわる探求心には驚いてしまう。啓蟄(けいちつ)も過ぎた。十四節気で、春分までの期間のことでもある。地中の虫たちが春の気配を感じて、はい出してくるころだ。節気を三分割した七十二候がある。啓蟄の初候は「蟄虫啓戸」。「すごもりのむしとをひらく」とも読む。冬ごもりしていた虫が土の扉を開け、地上に現れる光景が目に浮かぶ。思えば、ウイルス禍により多くの人が「巣ごもり」を強いられている。今日の子供たちの好奇心や小動物を思う純粋な心に触れて、この年になって驚愕してしまった。そして元気づけられた。虫や鳥なら春めいて、ひなも育てば遠からず巣離れする。一方、感染が収まらない人間社会では巣ごもりが求められる。卒業、入学、入社…。人生の節目が次々と重なる時季なのにと思ってしまう。これから旅立つ子供(高校生や大学生)らは期待と不安に胸が締め付けられる日々が続くかもしれないが、夢を抱いて耐え続ける経験は無駄でないと思う。今日のちいさな子供たちが巣立つ喜びは待てば待つほど膨らむに違いない。
2021年3月1日 晴れ 14℃
春の足音が聞こえてきそう!
いよいよ3月に突入し年度末でもある。春の足音が聞こえたかと思うと、寒さがぶり返す日々が続きそうであるので体調には気を付けたいと思う。日々の活動で杉林の丸太きり、イノシシとの遭遇、鳴子温泉療養(小さな旅2)、梅林の枝の剪定、懇親会等といそがしい日々が続くが、何より体調回復が一番である。政界を見渡せば、ある人物の背後に、別の人が透けて見えたのだろうか。菅義偉首相の長男・正剛氏が勤める放送事業会社による接待問題である。接待を受けた総務官僚は、省内に絶大な影響力を持つ首相の影を長男の向こうに感じたのかもしれない。官業の癒着が繰り返された反省から、国家公務員は法律に基づく倫理規程で利害関係者から接待を受けることを禁じられている。放送業界からは「会食に応じてくれるなんて考えられない」との声も漏れる。にもかかわらず、多くの幹部職員が接待を受けていた。1回で1人7万円余りに及んだケースもあったというから、あぜんとする。政権の決めた政策の方向性に反対する官僚は異動してもらう-。菅首相は、こう言って霞が関にすごみを利かせたことがある。その威光に逆らえなかったか。それとも、その威光の下でなら許されると思い込んだか。本当に行政はゆがめられてはいないのだろうか。表面に映し出されたものだけでなく、その背後にあるものに、よくよく目を凝らさねばと思う。