■2016活動日誌3月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。コメントをお寄せください。
3月31日(木)晴れ 16℃
ゲーテの言葉「何事においても、絶望するよりは、希望を持つ方がいい。先のことなど誰にもわからないのだから…」
風ホコリが舞うファームでイスに腰掛けてぼんやりと蔵王連峰を眺める。「春愁」という季語がある。梅や桜の花が咲き、ウグイスが鳴きヒバリもさえずる。見渡せば明るくて美しい春景色なのに、なぜかしら物憂い気持ちにとらわれる。鬱屈した思いを紛らわそうと本を読むが長続きしない。普段は整然としている本棚も片付ける気にならない。つかみどころのないこの憂いは何が原因だろう。春の天気は変わりやすく体調を狂わせるから。確かに年度替わりのこの時期、別れの悲しさと出会いの不安が入り交じる。こんな心理状況を全く対照的に捉えた二人の作家がいる。まず「変身」で有名なカフカ。「ああ、希望はたっぷりあります。無限に多くの希望があります。ただ、僕らのためにはないんです」。もう一人は「若きウェルテルの悩み」のゲーテ。「何事においても、絶望するよりは、希望を持つ方がいい。先のことなど誰にもわからないのだから…」。年度替わりの「春愁」を乗り切るため、昨年度の染みついたアカをさっぱりと流しに、近くの”やすらぎの湯”へ出かけた。さあ、明日からも“前向きゲーテ”でありたい。でもそんない若くはないのだが。。。。
3月30日(水)晴れ 17℃
杓底一残水,汲流千億人 ー 水は命の源
山の水はおいしい。ジャガイモ定植のファーム農作業の合間にいただく水は心身の中に染み渡り、とにかくうまい。青根地区の山の水を毎週くみ出しに通っているが、この地は水が豊富で水がやわらかく、甘い。そして何より長期間置いても変わらないことが最大の魅力でもあり。こうして毎日おいしくいただけることに感謝である。水と言えば、以前に座禅を組みに出かけた曹洞宗の大本山・永平寺(福井県)の正門両脇に、「杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)」「汲流(ながれをくむ)千億人(せんおくのひと)」と刻まれた石柱が立っている。宗祖道元の教えにちなんだ言葉で、柄杓(ひしゃく)に残った水もきちんと流れに戻せば、下流の多くの人の役に立つという意味だとされる。さらに宗教的に深い意味もあるといわれるが、水の大切さを説いていると受け止めたい。水は命の源という考えは古今東西を問わない。国際協力機構(JICA)のホームページによると、途上国を中心に世界で9億人が安全な飲み水にアクセスできないという。その中で日本は比較的、水が豊富で世界からみれば、まさにぜいたく品ではないだろうか。それにしても今日も雨がふらず、ファームや庭もカラカラで一雨ほしい。今夜は雨の予報ではあったが。。。柄杓の水の一滴はまさに命の源でもある。
3月29日(火)晴れ 13℃
桜は花に顕(あらわ)れる -人生は七転び八起き
モクレンのつぼみが花を開きはじめた。まさに「桜は花に顕(あらわ)れる」。さまざまな木々に覆われた山野では、見分けが付かなかった桜木が雪解けとともに一斉に美しい花を咲かせ、人々の目と心を奪う。「岩波ことわざ辞典」によると、言葉の起源は平安時代にさかのぼるそうだ。東京ではそろそろ満開の桜が見られるようであり、川崎の地でも4月中旬には開花するのではと期待が高まる。しかし、人間社会の春は喜び一色ではない。受験や就活で明暗が分かれ、涙をのんだ若者もいると思う。ちょうど今の時期、文学を志して上京した石川啄木は故郷・岩手への断ち難い思いを歌にした。〈ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉「停車場」は東京と東北を結ぶ列車が発着した上野駅。苦しい生活の中で古里が恋しくてたまらなくなったとき、駅を往来する同郷の人たちの言葉を聞くために上野に足を運んだのだろう。駅は人生の縮図をみているようでもある。人の才能は千差万別。「開花」の時期もまた人それぞれ。むしろ、紆余曲折の末に希望の花が咲くことも多い。普段は平凡で目立たない。周囲から特別な関心を持たれることもない。ところが、何かの折に優れた才能を発揮して大いなる存在感を示す時がある。人生は「七転び八起き」そのものでで自分を信じて生きていきたい。そんな心境でもある。
3月28日(月)晴れ 13℃
春の皿には苦味を盛れ!
ワラビ、タラの芽、ウド、フキノトウ。これから山の恵みが味わえる季節がやってくる。日本人は苦みのある山菜をなぜか好むらしい。昔から、「春の皿には苦味を盛れ」という。アク抜きの手間をかけてでも食べたくなるから不思議でもある。一説には、香りや苦み成分には冬の間にたまった老廃物を体から出す働きがあるらしい。冬眠から覚めたクマが最初に食べるのはフキノトウだとも言われている。人も獣も、無意識に自然の恵みを得ているかもしれない。今日の新聞に民進党結成の記事が踊っている。政権交代を果たした民主党の2009年衆院選マニフェスト(政権公約)は、目指す方向性はおおむね評価できたが、実行力に乏しく、政権担当能力を疑われて有権者の信頼を失った。その反省を踏まえなければ、政党として生まれ変わったとは言えないと思う。安倍政権によってむしばまれた立憲主義や民主主義を立て直す機会をにがさずに覚悟を持って政権と対峙してほしいと思う。あるべき社会の姿や、政治・経済、外交・安全保障の在り方などを明確に掲げ、それを政策として具体化し、どうやって実現するかの道筋をも、説得力ある形で国民に示してほしい。安保や経済など安倍政権には転換を要する政策が多々あるが、問題点の指摘や批判にとどまらず、どう転換するかの具体策の提示にも力を注いでほしいと思う。今の政治にきちっとフキノトウと同じような苦味を盛り込むことを期待したい。
3月27日(日)晴れ 12℃
お茶を通してくつろぎ、よもやま話に花が咲く
春が急ピッチでやってきた。北海道新幹線開通、プロ野球開幕。。。。メデイア報道も話題満載である。そんな中、今日はお天気にも恵まれファームの事始めである、堆肥撒きを始めとしたトラクタ耕運の日でもある。多くの野菜大好きクラの面々が集まってくれ、ファーム耕運も急ピッチですすんだ。休憩にと日本茶をいただく、いつもコーヒなのだが、今日はお茶でなぜか甘くおししい。お茶が日本に伝わったのは平安初期。もともとは毒消し用の薬だったらしい。16世紀ごろ飲料となり、大阪・堺の商人たちが茶道を完成させた。その代表が千利休である。茶会を催し客人をもてなす茶室は四畳半ほどでかなり狭い。茶の間とも称されその名前が今なお残っている。ただし周囲に結界石が置かれる特別な空間だったとか。その理由を調べてみると、堺の商人は自治都市の行政も担っていた。だからお茶を楽しむことは武士から財産や自由を守る象徴でもあった。そこで茶道の本質を考えれば「平等 平和 対話」の三つだという。茶室では刀を置き武士も商人もない。秩序正しく和やかな気分で、心を開く社交の場となる。お茶は日本の緑茶に限らず、世界各地で愛飲されている。英国やロシアの紅茶、中国のウーロン茶、インドのチャイ、中南米のマテ茶などきりがない。恐らく世界中どこの喫茶空間も社交性に富んでいるのではないだろうか。互いにくつろぎよもやま話に花が咲く。心を開いて情報交換する…。今日も多くの仲間との語らいが春の訪れを鮮明に物語っているようである。
3月24日(木)晴れ 9℃
手書きのぬくもりー手触り感のある万年筆はいいもんだ!
春の明るい日差しがまぶしく感じられるが、ファームで耕運の準備をしていると、まだまだ冷たい風が吹き付け寒さを感じる。現役を退いた時、お祝いに万年筆をいただいた。パソコンがあれば大抵の文書は作れるし、サインやメモなどはボールペンで事足りる。ただ、万年筆のペンタッチが無性に懐かしくなった。書き心地が柔らかくていい。文字の線には筆圧により太い部分や細い部分、インクの濃淡ができる。上手か下手かはともかく、万年筆で記された字には、その人柄までもがにじむようだ。手書きのぬくもりは、漱石に限らず、親しい人が送ってくれた私信からも感じられる。「今度ぜひご一献を」「お世話になりました」。あいさつ状に添えられたひと言に気持ちが和む。定年のお知らせからは、これまでの暮らしへの惜別と第二の人生への期待がうかがえて、少し胸が熱くなる思いもある。入学や就職、それに異動や退職の季節を迎えた。別れと出会いが重なり、心が揺れ動くことも多い。手書きに託される気持ちに思いを巡らすこのごろである。手書き手紙からは、あれこれ思案しつつ、一字一字書き連ねた息遣いや体温が伝わってくるかのようである。手触りの感じられる営みそして身近では万年筆の手触り感はいいもんだ。
3月23日(水)晴れ 11℃
金庫が売れているーたんす預金が増えている!
今日は久しぶりに街中で懇親会兼送別会へ出かけた。このシーズンの夜の街中ではあちらこちらで、こうした光景がみられ、現役時代がなつかしく思い出される。その中で酒の話はせちがらいお金の話となる。今、金庫が売れているという。ホームセンターに特設売り場ができ、前年比売り上げが倍増ペースというところもあるようだ。銀行などに預けず自宅内で現金をため置く「たんす預金」用だ。家庭用の人気に火がついたのは1月下旬からで、日銀がマイナス金利政策を決めたのと重なる。貸す方が金利を払うという価値観逆転への不安に加え、すずめの涙の利息がさらに細り、引き出し手数料で足が出るならとの損得勘定もあろう。全世帯のたんす預金は40兆円規模との推計もあるという。金融不安に覆われた十数年前、銀行幹部が「貸金庫の方が安心と言われる」と自虐的に話していたのを思い出す。たんす預金は災害や盗難、日銀が目指すインフレで目減りする恐れもあるが、売れ筋で3万~5万円出しても金庫保管の方が信用できるということなのだろうか。企業のため込み体質も根強く、過去最高益の大手も、景気の先行きが不安だと設備投資や今春闘の賃上げにも慎重で、内部留保はアベノミクス開始から50兆円以上増えた。政府の金庫だけは緩いが、そのお金が企業から個人消費へ回っていない。衣服のごとくたんすの肥やしにしてはもったいないとは思うが、これも政治不信のあらわれのひとつでもあると思う。
3月22日(火)晴れ 12℃
当たり前にある日常のありがたさをーきちんと胸に刻んでおきたい!
北から、南から、春の便りが届いた。今年のセンバツには初々しい学校が顏を揃えている。二十四の瞳でお馴染みの香川県の小豆島、震災を経験した岩手県の釜石。甲子園で開幕した選抜高校野球。21世紀枠とは言えどもフレッシュで春の配達人のようで高校生らしいプレーをみせてくれ清々しさを与えてくれた。ところがどうしたことか。プロ野球・巨人の賭博問題に続いて、複数の球団がベンチ前での円陣で試合の勝敗などに絡む選手間の現金授受が次々と明らかになっている。もはや無関係といえるチームは少数派でもある。「子どもたちの夢を壊す行為」と”公式見解“で済ますには、少なくとも高校生ぐらいになれば、それほど単純ではないだろうと思うけれど、情けない行為には違いない。「当たり前にある日常のありがたさを胸にグラウンドに立ち、支えてくださる方々を笑顔にできるよう全身全霊でプレーします」。東日本大震災から5年の思いも織り込んだ小豆島・樋本尚也主将の宣誓を、渦中のプロ野球選手は、初心に返り、この言葉を深く胸に刻んでおいた方がよいと思う。純な心やすがすがしさは、きっと忘れてしまっているのではないか。甲子園を駆ける球児の姿に、平たんでなかったはずのこれまでの道を思い出してもらいたい。私もS会社の4月からの業務委託契約書を読みながら、マンネリにならず、原点に立ち返り、今までの経験がお役にたてればとサインしながら、きちんと胸に刻み込んでおきたい。
3月20日(日)晴れ 11℃
菊根分け あとは自分の 土で咲け
春分の日。そしてお彼岸の中日である。この時季になると、まわりでは卒業、退職、転勤と、門出や巣立ちの光景が繰り広げられている。こうした巣立ちの式で〈菊根分け あとは自分の 土で咲け〉とおっしゃった句を思い出した。厳冬を越した菊の株を掘り起こす。細かな根を丁寧に分け、新しい土を入れた鉢に植え直す。実りの秋に咲き誇る黄や紫の花々も春の丹精があってこそである。愛情を込めて育ててきた。後は自分の力で、新天地に花を咲かせなさい。そんな親の思いを句に重ねているのではないだろうか。こうした言葉や句は人の魂を揺さぶり勇気づけてくれるものである。こんな中、お彼岸の墓参りの後、「東北文学フェステイバル」(作家:熊谷達也・柳美里、詩人:和同亮一、評論家:若松英輔)に出かけた、被災地にこだわり作品を発表している作家・詩人・評論家が仙台に一同に会し、文学が果たしうる役割について語る。特に柳さんは南相馬市に移住し被災の人と寄り添いながら生活し筆を下ろしている。言葉はつぶやき、鏡となり人の心を素直に表す。以前に震災と文学の話を書いたが、こうした人達が過去と現実を見つめながら人というものを問うている。すばらしいデスカッションであり、思わず涙がこぼれる。人と菊を重ねてみた。富豪の家に生まれ、何不自由なく育つ者がいる。貧乏に耐え、苦学して立派に育つ者もいる。温室育ちの花と、虐待、欠乏の中で美しく咲く庭の菊を比べると「無限の感慨」である。逆境下でも己の力を信じて進む「独立自恃」の精神を持つ者にこそ援助が与えねば。。。春の土の温かさを失わない社会でありたい。
3月19日(土)曇り/晴れ 12℃
春のうれしい便り - 千葉県建築優秀賞&無伴奏
口をぱくぱくさせて餌を求め、人にもなついてくる金魚たち…。気温上昇とともに動きが活発になってきた。寒い間はなんとなく手で水を扱うのがおっくうであったが、水ぬるむ季節ともなり、たまには掃除してやろうかなあと思うくらい暖かい日が続いている。夏の季語になっている金魚は「桃の節句」と深い縁があるらしい。江戸時代にはひな壇に金魚を飾る風習があった。高価で華やかな金魚は、わが子の成長を祝うのにふさわしい品だったようだ。今はお祭りでの金魚すくいが思い浮かぶものの、江戸の人たちにとって金魚売りの声は、春の訪れを告げる風物詩だったに違いない。そんな中、愚息より連絡があり、「千葉県流山市立おおたかの森小中学校」が千葉県建築文化賞優秀賞を受賞したとの吉報が届いた(3/23表彰式)。昨年4月に開校し多くの子供たちが育ち、巣立っていく学び舎の思い出の学校になってくれることを期待したい。また、青根地区のチェンバロ製作者Kさんが昔、仙台で開いていたバロック音楽喫茶「無伴奏」が小池真理子さんの作品の中で、4月より映画が公開されるとのこと。そのPRも兼ねてKさんもTVニュースに出演するとのことで、ちょっぴりうれしそうに弾んだ声で電話をいただいた。春のうれしい知らせが届き春の日差しとともに、ちょっとうれしい気分にさせてくれた。
3月17日(木)晴れ 15℃
彼岸の入り - 黄色の花が庭先で春を告げている!
庭先でフクジュソウがやっと顔をのぞかせ始めていた。少しずつではあるが、確かな季節の移ろいを感じる。だいぶ暖かくなり、黄色の花が庭先で春一番を告げているかのようである。フクジュソウ、マンサク、サンシュ、スイセン。きょうは彼岸の入り。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるが、今日は仙台では15℃と今年一番の暖かさになった。春分の日の20日を中日(ちゅうにち)とし前後3日を合わせた1週間が春彼岸。仏教寺院では法要が行われる。インドや中国にない日本独特の習慣でもある。先祖を敬う古代からの信仰が仏教と結び付いたとも。真西に沈む夕日に西方浄土を思い描き、自身を省みるのにふさわしい時節とされる。彼岸の供え物にされるぼた餅。一説に春は牡丹(ぼたん)からその名が付き、秋は萩(はぎ)に由来して「おはぎ」と呼らしい。日本独特の風習でもあり大切にしたいものである。この時期は卒業式やら県公立高入試の合格者が発表される。「サクラサク」であれ不本意な結果であれ、先は長い。東京都心では数日中に桜が開花するらしい。春彼岸は人も自然も芽吹く頃でもあり、春の訪れを心身ともに感じられ水温(ぬる)む季節となってきた。この週末は墓参り。今年は何を供え物にしようかとパートナーは準備でいそがしそうである。
3月15日(火)曇り 7℃
子育てや教育、介護、雇用の安心の土台がぐらぐらの格差社会ー人をもっと大切に!
一雨ごとに暖かさを増すこの時季を憂鬱だと感じる。赤く潤んだ目に大きなマスクで集中もできない。やっかいな花粉症の季節を迎え眼がしょぼしょぼしている。未曽有の自然災害と人災が東北を襲った5年前の3.11もなぜかイベントが終了したかのように報道も静まり返っている。震災を契機に経済発展を最優先に走り続けてきた日本のあり方は変わる、変えなければならない。安全で安心して暮らせる国に-と多くの人が思ったはずだ。ところが5年後の現実はどうだろう。景気が良くなれば、株価が上がれば、みんな幸せ。大企業がもうかるよう円安に。将来の危険や負担には目をつぶり、運転コストが安い原発の再稼働を。大型公共事業や選挙目当てのばらまきも。十年一日の風景である。異次元の金融緩和やマイナス金利まで繰り出した。だが、株価もあまり変わらず個人消費も伸びない。消費税増税のせいだけではない。皆、行く末が不安だからだ。国と地方の借金は1千兆円超。少子化で働き手は減り続ける。この先、福祉や医療、年金の水準を保つのは難しい。だからお金はためておかなければ、と。子育てや教育、介護、雇用など安心の土台がぐらぐらの格差社会。前日の日誌でも書いたが、1人の母親の投稿から「保育園落ちたの私だ」の訴えが広がり、政府を動かしたのは、問題の根深さを表している。保育園だけではない。ネットには不満と怒りの声があふれている。株価も大事だが、人をもっと大切にしなければ、「日本死ぬ」の未来が訪れかねない。
3月14日(月)曇り/霧雨 5℃
一億総活躍の化けの皮がはがれた ー 保育園ネット投稿
「保育園落ちた日本死ね」のネット投稿。子育て世代を中心に反響が広がっている。保育園問題に関心が高まったのは、安倍晋三首相とやじ議員のおかげかもしれない。投稿が国会で取り上げられた際、首相は「匿名なので本当かどうか確かめようがない」と突き放した。議員席からは「誰が書いたんだ」「本人を出せ」....同じ立場の人たちが怒った。「保育園に落ちたの私だ」のプラカードを持って国会前で抗議。ネットでは賛同する署名が25,000人以上も。批判を受け首相は一転、待機児童の受け皿づくりに取り組む姿勢を訴えた。上滑りで実体が伴わない一億総活躍スローガンの化けの皮がはがれた思いでもある。それにしても、匿名だから切り捨てよ、と匿名でやじる議員の倒錯ぶり。この記事を読みながら情けなくなる。どこの誰のブログかでなく、共感の波紋が広がることを重くみたいのに。ブログには2万5千もの共感の署名がある。この記事を読みながら、東京都議会のセクハラやじを思い出す。安全な場所から他人を攻撃するネットの暴言と変わらない。市井の声なき声にも耳を傾けるのが議員の仕事のはずである。こうした暴言を吐く議員さんや居眠りしたりしている議員さんの顔をアップしてみてはどうか。この人たちに多額の税金を使っているのか、と国民が思えば、議員定数削減にも弾みがつくのではないか。もし本当にやれば、困る議員が「審議妨害だ、電波停止せよ」と騒ぎかねない心配もあるが。。。。。
3月13日(日)曇り 6℃
山形の蕎麦「やま竹」- 更級風で上品な味わいーうまい!
3月も半ばに差し掛かって、遠くに春の足音も感じるようになった。これからが三寒四温と分かっていても、心は花の季節へと飛ぶ。桜前線の一報も気になるころである。今日は小麦の会の麦踏み。だいぶ暖かくなり、霜で苗が浮き上がることもなくなってきたが、踏むことによりしっかりと根が張りおいしい小麦が成長できることを期待したい。終了後、りんご購入のため山形の東根市にある野菜直販所へOさん夫妻と出かける。山形と言えばやはり蕎麦である。お昼時でもあるので、蕎麦通の野菜クラブ会長Oさんご夫妻の案内で天童市にある「やま竹」へ出かけた。更級風で細みの9割蕎麦であるが、これが絶品である。やや薄緑の光沢をしており、コシがありうまい。久しぶりに上品な蕎麦を味わい感激した。そしてまた天ぷらもしっかりしていて、蕎麦との相性もいい。山形の蕎麦はこれだからやめられない。ソバを堪能した後はお目当てのリンゴである。今の時期は「サンふじ」の品種であるが、安くてボリュームがあり、りんご好きにはたまらなく、大量に購入し満足。満足。。満足。。。である。こんな詩がある〈世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〉は、桜を思う気持ちを詠んだ在原業平の有名な歌だ。花を待ちこがれ、散るのを惜しむ。いっそ桜などなければ春にこれほど心を乱すこともなかろう―と思うほど春は駆け足でやってくる。寒さに耐えながらも光を浴び、養分を蓄え、次の世代にまた咲く大輪を咲かせる。今日はまさしく花見を一足先に味わったみたいなうれしい一日であった。
3月12日(土)曇り 7℃
語り継ぐ - 言葉には灯、明かりがあり誰かを支える!
窓を開けると周り一面が白い霜で覆われている。びりっとした寒気が頬に刺さるようだ。「忘れない」とは語ること、そして語り継ぐことだとつくづく思う。戦争の記憶の風化が言われるが、この震災こそ体験者はわれわれである。「あの日」を次の世代に手渡すことで生きる将来への教訓がある。あれからもう5年。読み聞かせをする知人は小学校を訪れて気づいたそうだ。低学年は既に震災を知らない世代になったこと。「あの子たちにもちゃんと伝えないと」と、すぐに子ども向けの震災絵本を買って読んできかせたと話す。それぞれの思いの5年前。停電に震え続けた夜、商品の消えたコンビニに、震災放送のみでCMの流れないテレビ…。思い出すあの非日常の中に語り継ぎたいたくさんの光景がある。近くの公園に出かけてみた。まだ少し肌寒い風に吹かれ凜[りん]と立つ。大地に根を張り揺るぎない。生命感にあふれる姿は時日が過ぎようとも変わることはない。厳粛な気持ちになる。この桜は芽吹きの季節を、じっと待っている。震災から5年とはいうものの、大切な人や古里を失った人の思いに節目が訪れることはない。時がたつほど深まる喪失感もあるだろう。「言葉にはともしびがある。言葉が持つあかりが、誰かや自分を支える」。語り継ぐ言葉は生きる力にもなる。もう一度「絆」の文字を磨き直して、語り継ぎながら未来を考えていきたいと思う。
3月11日(金)曇り 5℃ 東日本大震災5年を迎える!
「荒蝦夷」 - 震災編集者を一読してほしい!
「荒蝦夷(あらえみし)」の着信表示が携帯に現れた。荒蝦夷とは、大和朝廷の支配にあらがい続けた古代東北の民の呼称。電話の主は、この反骨心あふれる民の名前を冠した出版社の代表、土方(ひじかた)正志さんだ。雲仙普賢岳や奥尻島、三宅島など、全国の被災地を取材してきた人で、阪神・淡路大震災後は神戸にも通い詰めた。そして東京から仙台へ拠点を移した10年後、自らも東日本大震災に襲われた。自宅は全壊、事務所も機能停止。家族を津波にのまれたスタッフもいた。一時は廃業も考えたというが、背中を押したのは読者の声だった。「荒蝦夷をつぶすな」「彼らの本を買おう」。被災体験を分かち持つ神戸をはじめ、支援の輪は見る見る広がった。ところで電話の用向きはといえば、このほど出版した自著のこと。題して「震災編集者」。がれきの中で本を編み続けてきた5年間の奮戦記である。そしていま、「震災と文学」と題して著名作家のコーデイネターを毎年連続して8回/年程度開催してくれる(東北学院大学土樋キャンパス)。こうした作家との語り合いを通して震災の意味を考えるよい機会ともなり、パートナーとともに刺激と感銘を受けている。地道だが、東北人の肉声を活字で歴史に刻みつける現代の荒蝦夷(土方さん)の生き様に共鳴を覚え、毎回講演会についつい足が向いてしまう。東日本大震災5年を迎えるにあたり、ぜひとも土方さんの「震災編集者」を一読し、上滑りしない真実をきちんと見つめたいと思う。
3月10日(木)曇り 6℃
復興の先を見据えた新しい福島を!
「子孫に美田を残さず」。自立心を失わせるような財産は残すべきではないという教訓の言葉である。大震災から5年を迎える今週は震災を思い起こさせるようなニュースや特集記事が多く報道されている。肥沃な美田は、農家にとって最大の財産であり勲章でもある。だが福島の変わり果てた姿を見れば、美田が絶える意味を考えさせられてしまう。福島第1原発に近い大熊、富岡町付近は定規で測ったように表土が削り取られた田地しか見えない。工業団地の造成地を思わせ、大地の生命力は感じられない。農家にとって、これほど痛ましい光景はないのではないがろうか。美田の姿を取り戻すのはいつか。途方もない道のりにも思える。楢葉町は昨年9月に全域で避難指示が解除されたが、帰還したのは人口の6%程度だという。「震災前の状況に戻すだけでなく、『町に戻りたい』と思わせる魅力あるまちづくりが必要」と松本幸英町長は、自身に言い聞かせるように答えていたのが印象的である。人の心のソフト面はどうだろう。復興事業にどっぷりつかり、被災地の自立心がそがれていっていないだろうかと気がかりの面も伺える。復興事業が終われば、時間軸とともに風化が一層進み忘れ去られてしまうのではないかと懸念も覚える。5年経過とともに復興の先を見据えた新しい福島というものを国・自治体はきちんと示してほしいと願うばかりである。
3月9日(水)曇り 10℃
弦楽四重奏ー被災地の希望や勇気を与えてくれる!
「私のピアノで被災地の人たちに希望や勇気を与えることができるなら…どこにでも行って弾かなければ」。この思いをエネルギーに小中学校や公民館を巡っている。希望に満ちた清らかな調べに涙する人もいた。音楽が被災者を力づける私がただ一つできることは「ピアノを弾く」こと-。東日本大震災以降、その言葉通りに被災地への訪問演奏はライフワークになっている。盛岡市出身で日本を代表するピアニスト小山実稚恵さん。震災直後から美しかった郷土が一変した惨状に心を痛め、思いを吐露した。過酷な状況に耐え、時に感謝の言葉さえ口にする被災者の生きざまに心を揺さぶられたと言う。まさに音楽は心の力・励ましになってくれると思っている。今日、震災の追悼も兼ねて弦楽四重総奏のコンサートを聴いた。仙台フィルメンバによる第1バイリオン、第2バイリオン、ビオラ、チェロで女性4人の演奏である。”春うらら笑顔で前へ”と題して、久しぶりに生のクラッシック音楽を聴いた、いつも我が家ではバックグランドにクラッシックを流しているが、ホールの反射・反響もあるが心地よい音が心に染みわたる。2時間近く生の音に、春の音に酔いしれた至福の時間を過ごすことができた。そしてお昼はJALシテイホテルの¥1000ランチをいただく、ここのランチはバイキングのサラダ、コーヒー、ケーキ、アイス等盛り沢山付いてお勧めである。身も心もおいしくいただき、今日は春のお得な贅沢な一日を味わった。まさに音楽は震災の街を鎮魂と希望を包んでくれているようであった。
3月8日(火)曇り 15℃
一歩を踏み出すかどうかで人生は大きく変わるもんだ!
今日は妙に暖かく、温度計が15℃を指している。桜を通り越してまさしく春の陽気のような感じだ。この3月、第2の人生を踏み出そうとしている方も多いのではないだろうか。婿入り先で家業に精を出し、財産を増やして隠居したのが50歳。そこから本格的に天文学を学び56歳から16年の間、列島の海岸線を歩き尽くした。江戸時代、全国を測量して精密な日本地図を作り上げた伊能忠敬である。まさしく第2の人生を測量に賭けた。井上ひさしさんのは長編「四千万歩の男」で忠敬の人となりを活写した。頼りは「二歩で一間(約1・8メートル)」の自分の脚。「物指しのような歩き方で、真っ直に進まなければならないのでな」。犬の糞があろうが猫の死骸があろうが、進路も歩幅も変えないくらいの徹底ぶりで自分の足で第2の人生を歩み出した。知人Tさんは2年前に渡仏。9カ月間の滞在で語学に磨きをかけただけではない。オペラを楽しみチーズや美酒を堪能。テロに揺れる街の雰囲気に接し、日本人の美質も再認識したと言う。「一歩を踏み出すかどうかで人生は大きく変わるもんだ」と笑いながら語る姿勢がうらやましくも思う。彼にいただいたシャンソンのCDをリファインしたオーデイオ(オークションでCDプレイヤーとスピーカ調達)で味わってみた。「パリの街角から」を連想するような旅立ちの季節にこそ、一層染みる言葉と音楽である。「一身にして二生を経る」生き方。平均寿命が大幅に延びた現代ではなおのことであると痛感した次第である。
3月7日(月)曇り 13℃
認知症・徘徊 - 智恵子抄から見えるものとは。。。
最近、認知症、徘徊と言う言葉をよく目にする。愛知県で起きた徘徊事故をめぐり、最高裁は家族の監督義務について、防ぎ切れない事故の賠償責任までは負わないとする初判断を示した。在宅介護に苦悩する家族に朗報となった。とはいえ、免責される基準は明確ではなく、家族の負担はなお重い。社会で見守る仕組みがない限り、介護の哀歌は生み出され続ける。詩人の高村光太郎は終生、妻の智恵子を愛した。無二の女性との出会いから、光太郎は退廃的な生活と決別。美に生きる人生へ踏み出した。智恵子は心の病を患い、光太郎の手が届かない世界に向かう。その時、真の美が立ち現れる。「あなたはだんだんきれいになる」「人間商売さらりとやめて、もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子のうしろ姿がぽつんと見える」と。「智恵子抄」につづられた光太郎のまなざしは、どこまでも愛をたたえている。この詩集が不朽の名作たるゆえんは、文学的要素もあるが、病気や障害がある人に寄り添うとはどういうことかを諭しているような気がする。2025年には、高齢者の5人に1人が認知症患者と予想されている。高齢社会の今、愛のまなざしは、監視の目線に取って代わられようとしている。2人が現代に生きていたら、光太郎は智恵子の後ろ姿を慌てて追いかけ、家に閉じ込めたかもしれないが、一人の人間の豊かな老後に軸足を置いて問題と向き合えば、別の答えも見えてくるのではないかと思う。
3月5日(土)晴れ/曇り 10℃
啓蟄 - 大地のぬくもりとまばゆい日差し
きょうは二十四節気の一つ「啓蟄(けいちつ)」である。暖かくなって冬ごもりの虫がはい出してくる時候をいう。さらに調べてみると七十二候では20日の「春分」まで15日間を三分割する。まず「蟄(すごもり)虫(むし)戸を啓(ひら)く」と呼び文字通り啓蟄のこと。次いで「桃始めて咲く」、最後が「菜の虫蝶(ちょう)となる」。まさに季節が次第に移ろい、日に日に活動的になる自然の営みを的確に捉えており、景色が色づいていく表現も素晴らしい。先人たちの観察力に感心するばかりである。今日は船岡のKさんから声がかかり薪集めに船岡の白石川河川敷に出向く。柳や梅の木でやや細いが暖炉が薪ストーブの我が家は贅沢はいっていられない。ちょうど一目千本桜の場所でもあり、あと1か月もすれば蔵王連峰をバックにした桜並木は見ごたえがある。この河川敷は広々して気持ちがよく、川を吹き抜ける風も清々しい。午前中で終了後、午後からは小さな恋人2人がやってきた。子供の無邪気さと天真爛漫の笑顔はまさに春を待ちわびる心をうまく表現しているようにも思える。厳寒の冬を耐え忍び、ついに光の季節を迎える喜びである親近感を覚える。啓蟄を迎えいよいよ春の到来。大地のぬくもりとまばゆい日差しは、虫たちだけでなく子どもも大人も浮き浮きしてくる。まさしく啓蟄は幼児のごとく足ならししているようである。
3月3日(木)晴れ/曇り 11℃
北海道新幹線開業 - あと3週間!
仙台駅構内に入ると、北海道新幹線開業を知らせる”でっかいポスター”が目立っ。開業まで1カ月を切って、カウントダウンが始まっている。缶コーヒーのCMではないが、北へ走る鉄路には過去の経緯がよぎって、やはりテンションが次第に上がってくる。サブちゃんの〈はるばる来たぜ〉の歌もなんか自然と思い浮かぶ。一方、延びる動脈に細る枝葉もある。赤字に泣く在来線に、消えていく寝台特急。目的地までの貴重なワンクッションもなくなっていく。時間短縮と引き替えに昔の旅情は薄れゆく一方だが、のんびり旅はいろんなものが見えてきて新たな発見ができて楽しいものだ。2/25の活動日誌で掲載した「廃線紀行ーもうひとつの鉄道旅」(ノンフィクション作家の梯久美子さん)の本を購入した。筆者が自分の足で訪れた廃線50線。使命を終えたとはいえその姿には何か郷愁を感じる。本をめぐりながら脳裏にさまざまなその土地の風景が見えてくる。3/26開業で〈さかまく波をのりこえて〉行った函館は、もう目と鼻の先である。北海道の人にとって悲願成就の瞬間かもしれない。でも昔、連絡船で行った函館の旅はさぶちゃんの「函館の人」や石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」が似合っているような気がする。昨今、人口減少やら地方消滅までが論じられているが、いつか将来、この廃線の地に再びにぎわいが戻ることを期待しながら、機会があれば訪れてみたい。本を読んでいくうちにロマンチックな気分になってきた。
3月2日(水)晴れ/曇り 4℃
雪から桜へのバトンタッチ -豊齢の季節!
3月の異称「弥生」は「いやおい」が変化したとされる。「弥(いや)」は「いよいよ」の意。「生(おい)」は草木の芽吹きを表す。雪から桜へのバトンタッチ。日本情緒にあふれる季節の移ろいだ。<春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり>。作者は道元禅師。川端康成がノーベル文学賞の受賞講演で引用した歌で知られる。四季の彩りが豊かな日本の風趣を醸す。暖冬の今年は高温が続き、陽の差す日も多かった。3月にはいり向こう1週間の予報も、暖かい日が続きそうだ。駆け足で、一気に春めきそうである。そんな中、ユニークで豊齢の人生を送るふたりの講演を拝聴した。ひとりはNHK仙台放送アナウンサー相馬宏男さん(70歳)、もうひとりは元古川商業女子バレー部監督国分秀雄さん(72歳)。まだまだ現役で活躍し、脳は生涯にわたり発達しつづけるという。相馬さんは身近な散歩を通しての新たな発見とこころの変化と刺激を求める。国分さんは「いつも夢をみて夢を追いかけて夢を喰う」をモットーに限りなく夢を求めてさすらう。「70歳の年齢を意識せずやりたいことを好きなようにと、後悔するのは死んでからでよい。」とユーモアを交えて話してくれた。おふたりとも学校の先生出身でもあり学校の話がよくでてくる。3月に入り、師走以上に慌ただしいのは学校だろうか。高校、大学受験あり。卒業シーズンでもある。ネット上の卒業ソングランキングを覗くと、上位に「桜」「さくら」「SAKURA」と桜ソングが並ぶ。桜舞うころには惜別の涙も乾き、きっと新しい自分がいる。冬の純白の雪面に朝陽が降り注ぎきらきら輝いて見える風景から花の春の季節はもうすぐだ。
3月1日(火)雪/曇り 4℃
危機管理の違い - 震災から丸5年 この3月に注目したい。
今日から3月が始まった。5年前のきょう、建設中の東京スカイツリーは高さ601メートルに達した。中国の広州タワーを抜き、自立式電波塔として世界一となる。最高到達点の634メートルに向け最終段階を迎えた10日後、3月11日に東日本大震災が襲う。ところがタワーに被害はほとんどなく、約500人の作業員も無事だった。技術者らは法令で定められた以上の対策を施していた。完成する本体の地震対策を万全にするのは当然だ。低確率の危険性にどこまで備えるのか。費用もかかる。それでも関係者は何より安全性を優先した。ところが原発はどうだろうか。原発非常事態のマニュアルの存在に、5年もの間誰も気づかなかったとは-。いずれにしても、ずさんとか不注意とかでは済まされない。安全と人命の軽視。原発回帰を考え直させる重大事である。故意にせよ、不注意にせよ、なぜ“隠し事”が続くのか。福島原発事故では当初から、核燃料が溶け落ちる、炉心溶融(メルトダウン)の恐れが指摘されていた。東京電力の「原子力災害対策マニュアル」では、核燃料の損傷の割合が5%を超えれば、炉心溶融と判定することになっていた。原発事故で、東京電力や国の危機管理体制の甘さが指摘され続けている。本当に「想定外」だったのだろうか。スカイツリーの技術者らは最上階で作業中の大型クレーンの揺れさえ、仮想模擬実験の「想定内」として対応している。日本のものづくり技術の細やかさは海外からも注目されてきた。スカイツリーに可能で、東電にできなかった「想定」と対処の差はどこにあるのか。震災から丸5年となり、あらためて見える真実もあるはずだ。この3月に注目したい。