2019活動日誌 5月
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2019年5月29日 雨/晴れ 28℃
人生の旅はまだまだー心の翼を広げて!
昨夜の雨でほこりは洗い流され、木々の緑の鮮やかさが一段と目に染みわたる。今日は気仙沼にあるツツジの名所の「徳丈仙山」を訪れた。満開のピーク時期は過ぎたが、標高711メートル山全体が赤やオレンジのツツジに染まる光景は息をのむほど迫力がある。頂上から見える気仙沼の海原や復興途中の街並みを眺めながら、5月の吹き抜けるさわやかな風がなんとも気持ちいいもんである。そして青空のもと、先月に完成した「大島大橋」や念願の気仙沼向洋高校の東日本大震災遺構・伝承館を視察でき感慨深い 小さな旅4 でもあった。8年前の大震災がよみがえり、決して忘れてはならないと改めて心に誓った次第である。車の中で本好きな家内と話しながら、年輪について話し込んだ。実年齢は82歳。でも還暦で生まれ変わったので22歳。不思議なことに、これまでの人生で今が一番頭も体もさえている。判断力や決断力も良くなってきた、と自信を持って思う…。作家の下重暁子さんは近著でこうつづっている。タイトルは「年齢は捨てなさい」(幻冬舎新書)。人は誰しも年を取る。自然の摂理にあらがうことはできない。かといって年齢で人の価値が決まるわけでもない。そう分かっていながら気にする。人の年齢をとかく聞きたがり、自分と相手を比較したり、「もう年だから…」と挑戦を諦めたり。役所も年齢で機械的に高齢者と後期高齢者を区分する。人生100年時代。作家で言えば、90代の佐藤愛子さんや80代半ばの五木寛之さんらもベストセラーを連発中。作品で共通するのは、老いと向き合いつつ人生を前向きに捉える姿勢だと思う。常識に縛られると進歩は生まれない。夢を持つことに年齢制限はない。人生の旅も長距離。いくつになっても心の翼は広げておきたいと思っている。
2019年5月26日 晴れ 32℃
抱きつき戦術で相手をかわせるか?
典型的な判官びいきなのかもしれないが、大相撲で、小兵が巨漢にあの手この手で立ち向かう姿に目が行くと同時になぜか応援したくなる。夏場所では特に新入幕の炎鵬が気になった。168センチ、99キロの体が、2倍近くも重い相手を倒す様子は痛快でもある。今場所は軽快な動きで、足取りを2回決めた。低く潜り、相手の足を両手で抱え込む。「平成の牛若丸」と呼ばれた元小結・舞の海秀平さんにあやかり「令和の牛若丸に」との声もある。13日目に右足を痛めたせいもあってか残念ながら負け越したが、来場所も注目していきたいと思う。そして、千秋楽の両国国技館には、力士ならぬ巨漢も姿を現した。身長190センチ、体重は100キロを優に超えるというトランプ米大統領である。土俵に近い升席に陣取った大統領の隣には安倍晋三首相が座る。2人はそれに先立ち、千葉県のゴルフ場で2時間半、プレーを楽しんだ。優勝力士へのトランプ杯授与を演出したり、六本木の炉端焼き店で夕食を共にしたりと接待は終日続いた。米国では「お世辞術」ともやゆされる「抱き付き戦術」だが、かの巨漢の外交攻勢はかわせるかどうか。「自国第一主義」を掲げるトランプ氏は、予測不能な言動で国際社会を戸惑わせてきた世界のトップでもある。きょうの首脳会談での前言撤回はないだろうが、相撲の決まり手にたとえるならば、肩すかしやうっちゃりなどにも留意しておかないと、いつ気が変わるか予測不能の人物でもある。こうした人が世界のリーダーでいいのだろうかと疑問に思うと同時に何事にもべったりとだきつく忠犬ポチ公ならぬの安部さんの姿勢も単なる外交ではなく社交なんだろうか。
2019年5月23日 晴れ 25℃
睡眠と運動で認知症に勝つ!
風薫る5月。広瀬川沿いの遊歩道ではよくランニングしている光景を見かける。高校総体が近いからか、陸上部やサッカー部の生徒たちの弾む声が響き、耳に心地よい。〈人生が100年となり大慌て〉とサラリーマン川柳に掲載されていたが。そう焦っているわけでもないが、「ちょっと走ってみようかな」という気になったのは、体力維持に努めねばと思い始めている。人生の3分の2を過ぎ、残された時間を少しは充実したものにしないとと思い始めている。「令和時代の勝ち組老後と負け組老後」「睡眠と運動で認知症に勝つ」―。最近の週刊誌はシニア世代をせき立てるような見出しがいっぱい並んでいる。病気、年金、墓、家。どうしますか、老後は大丈夫ですか。そんなふうに問いかけてくる。これから考えようと思っていたのだが。それでは遅いですか… 一方でこんな言葉もある。〈人間は年を取るものだと終始考えていることほど人間を老けさせるものはない〉(ドイツの物理学者リヒテンベルク)。年齢を意識し過ぎるのは、老いに拍車をかけるようなものだということだろう。気負っているようで何となく気恥ずかしいがサイクリングやジョギングにいそしむ。そんな中で新緑の鮮やかさ、風に吹かれると、さわやかさを感じる。忘れていたすがすがしさがそこにあった。いつまで続くやら。。。。。
2019年5月21日 雨 18℃
一人でカーニバルをやっている国会議員がいた!
私の好きな詩人のひとりである中原中也はいわゆる酒乱で、酔うと周りの誰かに突っかかったらしい。あるときは自己嫌悪に陥り、親友にあてたわび状にこう記したという。「一人でカーニバルをやってた男」と称されていた。今、国会議員にもいたようだ。この人、前々から相当に酒癖が悪かったようである。2015年には飲酒後、口論になった一般人の手にかみつき、問題となっている。その際、断酒を宣言し、飲んだら議員を辞職する意向を示していた。断酒の決意も、わずか数年で雲散霧消したらしい。北方領土へのビザなし交流訪問団に参加し、「戦争による領土奪還」に言及、批判を浴びている丸山穂高衆院議員である。訪問団によると、丸山議員は酒に酔い、宿舎で大塚小弥太団長に「ロシアが混乱しているときに取り返すのはオッケーですか」「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」などと絡んだ。大声で騒ぎ、禁止されている外出を強行しようともしたという。ふざけるにもほどがある。89歳の元島民・大塚団長は「戦争なんて言葉は使いたくない」と返したそうだ。35歳の若造が戦争の何を知っている、と怒りに震えていたはずだと思う。いまごろは国会を去るための荷物の整理に忙しかろうと思っていたら、たとえ国会から辞職勧告されても辞めないそうだ。いわく「反論や弁明を行う」とか。笑止。どうやら「一人カーニバル」はまだ続いているらしい。
2019年5月19日 晴れ 22℃
五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする!
一年の中で最も好きな月に5月を挙げる人は多いかもしれない。湿度も少なく、なんといっても吹き抜ける緑と風、そして光。日照時間が長く、青空のもとは、何かほのぼのとした幸せを感じるときでもある。ある詩人は、この季節を愛し、<五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする>と綴っている。緑の光景に魅せられ、風の心地よさは多様な言葉を生みだしてきていることに改めて気づく。今は人口減少や高齢化の社会の中で、若い世代が生き生きと力を発揮するような新たな風を起こさなければならないと感じている。こんな5月の新しい風とともに、当NPO主体のミニ水力発電Gが水力発電の構想から5年近くの歳月をかけ製作した水車が遂に完成した。その完成披露会を川崎町のピザ屋「ぱぴはうす」さんの敷地前で盛大に開催した。川崎町・宮城県等の支援・協力のもと自然再生エネルギーを利活用し、水車の動力を街灯や「蕎麦、米粉挽き」として活用する予定である。昨年、蕎麦PJで栽培した蕎麦粉(品種:階上)を早速、挽いて、打ち立て、茹でたてで手打そばを参加者(約100名)でいただいた。そのすがすがしさは若葉が芽吹いたばかりの樹林を吹き抜ける風のみずみずしさのようである。そんな新鮮な風そして平和をもたらす和やかな風が地域おこしの起爆剤として運用できればと思っている。
2019年5月15日 曇りから晴れ 19℃(山形)
車が歩行者の命を奪う事故を防ぐ対策が必要!
山形県の13号線を北上しながら舟形町にある「さばね山」へ苔玉つくり・新緑研修会へ出かけた。この季節、車窓から眺める大地がきらめいている。田んぼに水が入り、南から次第に早苗の緑に染め上げられていく。あちらこちらで田植えの風景が始まった。見慣れた初夏の風景も、広大な面積を田んぼにした先人の営みを思えば、実る前からこうべが垂れる思いである。最近のニュースで車が歩行者の命を奪う痛ましい事故が相次いでいる。ドライバーに細心の注意が求められるのは言うまでもない。そして高齢者運転による事故が目立つようになってきた。判断力のミスやうっかり間違い等、高齢になると衰えてくるのは確かでもある。しかし、車の利便性は捨てがたく、車が効率よく通れることは多くの人の利益につながると思う。でも、車優先が過ぎてはいないかと言いたくなる場面も多くみられる。歩行者を傷つけないような車の開発も必要だろう。加えて道路も、もう少し歩行者の安全に配慮できないか。車止めやガードレールを増やすのも一手だろう。歩道を広く取って、車道との間にしっかりした植樹帯を設けたり緩衝面の考慮も必要である。痛ましい事故を防ぐ意味でもドライバーの再教育が必要であるのはもちろんではあるが、ハード面で人に優しく、道路にもやさしい設計を心掛ける必要もあると感じている。
2019年5月13日 晴れ 20℃
「山笑う」から「山膨らむ」 季節!
萌黄(もえぎ)の里山が日に日に緑を濃くしている。この時節の植物の成長速度には驚くばかりだ。季語「山笑う」にはピッタリの季節で、木々が芽吹き花も咲き始めて生気に満ちる様子を今、表しているようだ。そんな中、第29回仙台国際ハーフマラソン大会が12日、仙台市中心部で行われ、1万3198人のランナーが晴天の下、杜の都を駆け抜けた。メインのハーフ(21.0975キロ)は宮城野区の市陸上競技場南側道路をスタートし、同競技場にゴールする日本陸連公認コースで争われた。男子はアレクサンダー・ムティソ(NDソフト)が1時間1分10秒で初優勝を飾った。9月の東京五輪マラソン代表選考会(MGC)出場権を持つ佐藤悠基(日清食品グループ)が2位。仙台市出身で初出場の村山謙太(旭化成、宮城・明成高-駒大出)は3位だった。女子はMGC出場権を獲得している野上恵子(十八銀行)が1時間9分27秒で初制覇。車いすの部は山本浩之(福岡)が47分6秒で3年ぶり4度目の優勝を果たした。一般ランナーとして我が家の子供も昨年に引き続き参加し、今回は2時間19分(934位)と昨年の2時間24分(1406位)より5分短縮し、500番近く順位を上げ、普段の練習の成果が表れたような気がする。今年も仙台国際センター付近に陣取り、伊達武将隊のメンバと一緒に声援を送った。緑香る新鮮な空気と選手の頑張りに心身ともにすがすがしい気分にさせてくれた。まさに山笑うを通り越して「山膨らむ」とでも言いたい気分であった。青葉城界隈は、今、以前にパリを訪れた時のユネスコ本部の日本庭のようで、ふと思い出した。陽樹と陰樹の取り合わせで味わい深い庭のようで、前者の例は桜、後者は紅葉(もみじ)。太陽光を浴び早く大きく成長した桜の陰で紅葉が柔らかく繊細に育つようである。お互いが特性を出して「競合」しながら一つの庭として「融合」するのではないだろうか。この自然の教えは学校や会社といった組織にも通じ、皆と同じでなくていい。人それぞれに役割がある。そう考えてみるだけで心が少し軽くなるような気がした一日であった。
2019年5月8日 晴れ 20℃
農作業と機械化の歴史に目を向けてみると。。
家の周りの水田地帯では田植えが進み、青々とした色彩が広がってきた。今も昔も変わらない日本の風景に、五月晴れの空の青さによく似合い、心和む思いがする。昔の手植えの重労働は田植え機の登場で随分と軽減された。もしこの機械がなかったら稲作が今のような形で維持できていたか疑わしいほどだ。田植え機について調べてみると、歩行用田植え機が国内で発売されたのは1968年。以来、乗用になり、高速になり、今や衛星利用測位システム(GPS)を活用した自動運転の機種まである。まさに日進月歩である。だが「農業技術を創った人たち」本を読んでみると、田植え機の特許・実用新案の出願は既に明治期に始まり、多くが農民発明家によるものだったという。裏返せば、現場にとってそれほど手植えからの解放が切実だったのだろう。種もみを田んぼに直接まく省力型の直播(ちょくはん)栽培も、まだ一部とはいえ年々増えている。変わらぬ水田風景の陰には多くの技術革新の努力があるもんだと驚いている。我が家の悠々ファームでは管理機が活躍してくれているが、農作業と機械化は省力・効率化には切っても切れない縁があるなあと思っている。そしてイノシシ防止の電柵を手つくりで作った。車用12Vバッテリーを再利用し接続し電流を流しているが、少しでも抑止力が働けばと思っている。縁側に座りながら水田を見つめ、農作業の機械化の歴史にも目を向けてみたい。
2019年5月7日 晴れ 19℃
3月の風・4月の雨・5月に花が咲く!
青葉が目にまぶしい季節がやってきた。桜が散った国道の沿道には、代わってヤマブキの花がこぼれるように咲きそろい、新緑とのコントラストが鮮やかで、何か自然の美しさにほれぼれする。ヤマブキを読んだ句に「七重八重 花は咲けども 山吹(やまぶき)の実の一つだに なきぞ悲しき」(後拾遺和歌集所収、兼明親王)がある。幾重に花は咲いても、実がならないヤマブキを詠んだ古歌に掛けて、貧しいわが家には蓑(実の)一つ持ち合わせがないことらしい。我が家の庭先では八重桜が満開でこぼれんばかりに花輪が首を垂れている。八重桜の桜色そしてやまぶき色に染まる景色を見るたび、先人の花に対するまなざしの深さを思う。改元に伴う10連休もいよいよ終わり、普段の生活が今日から始まる。正月とは趣が異なる新時代の幕開けに、長い時間軸で未来を展望しながら自らの心をリセットし、孫や子供たちと遊びながら改めて平和の尊さに思いを巡らせた連休だった。欧州に古くから伝わる格言がある。「3月の風、4月の雨。そして5月に花が咲く」。昭和の風、平成の雨、そして令和に花。令和は共生の時代と言われる。ならば、他者を慈しむ優しさが一層必要になるのではないだろうか。しょせん、人の世をつくるのは、人でしかあり得ない。里山で暮らす我が夫婦も自然の摂理にならい明るい時代を築き、過ごしていきたいものである。