■2015活動日誌3月■
季節の日々の移ろい、自然に中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴ってみました。おつきあいください。
3月31日(火)晴れ 18℃
春が来た。まさしく今日はこんな言葉を実感するほど気温も上昇し暖かい。明日からはもう4月がはじまる。今では正月よりも節目を実感する「年度」は、学校や社会に在って、知らず体に刻まれた別の時間軸となっている。それでも明治以降の百数十年の話と思っていたら、西洋でははるか紀元前から、3月25日が「新年の始まり」だった。古来、一年の始まりは春、春分の日に始まるという「春分年初」の考えに基づく。英国はグレゴリオ暦に改めた1752年に、年初も3月25日から1月1日に変えた半面、旧来の商習慣に配慮して4月からの「会計年度」を採用した。それが日本にも導入された。一年を区切る「暦の句読点」は人為的なようで案外、自然や農耕のリズムに合致していたのだな、と思う。今日は悠々ファームで今週末のジャガイモ植え付けに向けて、肥料を撒いて管理機で畝立て作業を行う。パートナーと一緒に、お互いに何も言わなくても役割分担が決まっているせいか、もくもくと手を進める。年々歳々、年の巡りも流れゆく歳月も、速度を増しているように感じられる。しかし新たな気持ちで4月からの新年度を前に気持ちを整え、豊かな自然の中に身をおきながら、自分の速さでまた新たな時間を刻み始めたいと思う。
3月30日(月)晴れ 18℃
NHK連続ドラマの「マッサン」。ドラマの夫婦愛も最期を迎え、マッサンに看取られ、愛しのエリーが静かに息を引き取った。アナウンサーまで泣きだしたほどで、私もジーンときて、思わず涙が出てしまった。エリーのモデル「竹鶴リタ」もまた英国グラスゴーの医師の長女として生まれた。日本に帰化し、マッサンのウイスキー造りの夢を、労苦を共にして育んだ。「リタ」あってのマッサンだった。当時としては珍しかった国際結婚を通して、内助の功に共感する人は多いのではないだろうか。 感動の夫婦物語の余韻もあるが、大手家具屋のお家騒動には、しっとり濡れた目頭も乾いてしまう。創業者の父と長女が、経営権を争い骨肉相食む。株主総会では前代未聞の“公開親子げんか”である。めでたい婚礼家具も、近親憎悪では縁起が悪いのではないだろうか。そして夫婦愛と言えば、日本国の首相と官房長官も同じ関係だ。こちらは内助の功どころではなく、米軍普天間飛行場の移設を伴う新基地建設に関し、「県民に寄り添い、話し合いをもって解決する」「胸襟を開いて対話のドアは常にオープンである」と言いながら、口先だけで実行する気配がない。こんな時こそ、口合わせるのではなく、女房は本当の内助の功を発揮してほしいと思う。我々夫婦も「マッサン」と同じように生きられたならと、しみじみ思うようになってきた。
3月29日(日)晴れ 16℃
出会いと別れ、人の行き交う春である。初めましてと、さよならと。思いは人さまざまであろう。4月に新社会人、新入学という人も多いだろう。入学と言えば、私事であるが東京にいる息子は建築家でもあり、仕事の関係で公共建物(学校、自治体)の建築設計を担当している。最近では熊本県宇土小学校、千葉県流山市おおたかの森小中学併設校(20015/4/4開校)等がある。おおたかの森併設校では開校式(入学式)に設計者として来賓のスピーチするとのこと。多くの子供達そして親御さんにとって思い出に残り、いつまでも記憶に残る学校であってほしいと願っている。そして私が入院中にひょいと予告もなしに病院にやってきた。何事かと思えば、26日、コンペで宮城県山元町役場庁舎を受注したとのこと。やっと地元関係の設計に携われると笑みがこぼれていた。山元町と言えば、東日本大震災の津波被災地で泥の中からアルバムを拾い集め、写真を1枚ずつ洗って持ち主に返す活動がボランティアの手で行われている。先日ニュースできれいになった写真を食い入るように見詰めるお年寄りの姿には、胸を打たれる。今後の防災拠点にもなる役場は町民の誇りと象徴になれるような建物を設計してほしいと思う。そして桜の時季に、花びらの数とおなじく子供達のほほえみが行きかう学校になってほしいと願っている。
3月28日(土)晴れ 18℃
冬は寒く、春はきっちり暖かい。そんな寒暖にメリハリがある年は桜前線の歩みが速いという。いわゆる「休眠打破」である。このところ陽春と呼ぶにふさわしい日が続き、、各地で桜が一気に開花したとのニュースが届く。満開は1週間から10日後の見込みで、これから日ごとに淡紅色の花群を広げていくのだろう。今日は陽気に誘われて、急遽、パートナーと悠々ファームの耕運を始めた。堆肥は2年ものの野菜くずや落ち葉、おがくず等で発酵させたもので、スコップを入れるとミミズがたくさんいる。堆肥は発酵の力でおいしそうな土に返っている。まさしく自然の営みの循環型肥料でもある。久しぶりのトラクタ運転で、ぎこちなくギアを入れ替えたり、ロータリーを上下しながら、運転感覚をつかむまで試運転が続く。トラクタで耕運した後の土にはエサを求めて多くのセキレイが寄ってくる。これもまた自然界の営みでもある。春の光を受けながら蔵王連峰に眼をやると、光の春は、また色彩の春と変化する。百花に先駆けた梅の紅白に続き、山野にも街にも春の色が満ちてくるのを想像するだけでうれしくなる。しばらくすると菜の花やレンギョウの鮮やかな黄、ハクモクレンやコブシの清浄な白が咲き乱れるだろう。自然の豊かさを享受しながら、川崎町での田舎暮らしを思う存分楽しみたいと思う。
3月27日(金)その2 晴れ 18℃
快晴の5月上旬を思わせる気温である。午前中に退院して、車で一路川崎の我が家を目指す。まぶしいくらいの陽射しの中で、まだまだ白き蔵王連峰がどっしりと構え、「お帰り」と迎えてくれてるようだ。「旅の荷物は少ない方が格好いい。旅慣れている感じがする」。旅する機会の多い作家の荻原浩さんがJR東日本発行の新幹線車内サービス誌『トランヴェール』3月号の巻頭エッセーでつづっている。自らは荷物が多い。ノートと筆記用具のほか、大して読みもしない本から寝酒用のウイスキー、タオルまで持って行く。1泊でも3泊と同じ大きさのバッグ。たくさん入るから便利だ。そもそも詰め込むことが楽しい、という。金言集にも載っている「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」を引き、「重い荷物を抱えて、今日もまた旅に出るのだ」と結んでいる。「人の一生は…」は徳川家康が62歳の春にしたためたとされる遺訓の一節。後に、「急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」と続く。紆余曲折を経て天下を取った家康ならではの人生訓ではある。今回の入院中、いろいろな思いが巡る。人それぞれの人生があるように私の人生は多様で紆余曲折な旅がまだまだ続くのだろう。楽しみでもある。
3月27日(金)晴れ 18℃
急遽、急性胃腸炎(3/24)を患い、4日ばかり緊急入院しましたが、本日無事退院いたしました。そのため活動日誌もお休みしておりましたが、無理のない程度で本日より再開しますのでおつきあい方よろしくお願いします。「近ごろ物忘れが多くて。何か感激することも少ないし。もう年かな」―とこんな会話を交わす機会が多くなってきている。ひょっとして感動力が衰えているのかもしれない。脳科学者が言うには、感動は人間にしか味わえないらしい。それを失っていくことは悲しい。いつまでも喜怒哀楽に満ちた日々を過ごしたいと思うのが自然でもある。学説によると、脳の老化は脳が萎縮することが一因しているらしい。特に思考や理性をつかさどる前頭葉や記憶する機能の海馬などは、ほかの器官に比べ速く縮むという。その結果、集中力や記憶力が減退し感動も少なくなる。脳の老化は20代から始まるともいわれるが、近年の研究では高齢になっても神経細胞が増えることが明らかになってきた。常に好奇心や探究心を持ち続けることが大事だという。経験を重ねると目新しさがなくなり、感動や達成感を味わうことも少なくなりがちだ。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは103歳のいまも現役で活躍している。「まだまだゴールは遠い」と言い、「人生とは未知の自分に挑戦することだよ」と前を向き続ける。生涯現役を目指し、絵画や音楽に夢中になる友人・知人にも多くいる。こうした活動するにおいても、まずは健康が一番である。今回も入院しながら健康の大切さをつくづく感じた。この3月は私的イベントで追われたが、ワクワクする材料はいくらでもある。健康な体で日々の新しさを楽しみながら暮らせればと思っている。
3月23日(月) 晴れ 9℃
同じ“春”でも「立春」は2月の初めであるが、春というのにはあまりにも寒い。それに比べて「春分」は、明るさを増した日差しのぬくもりの心地よさがある。暑さ寒さも彼岸まで―。ああ、春だなあと、ついにんまりしてしまう。ところが北国の春は、冬の名残の寒気が行きつ戻りつした後でようやくやって来る。天気予報をみると今日、明日と雪のマークである。本格的な春の訪れはもう少し先になるかもしれないが、南の地方からはもうサクラの便りが届いている。春分の日に合わせるかのように、今年の全国一番乗りは鹿児島市で、地方気象台の敷地内にある標本木に5輪の花が咲いているのが確認できたという。桜前線は一日約20キロのスピードでおよそ2カ月かけて列島を北上するという。21-22日にかけて孫の一歳誕生お祝い会を両家の両親もあわせて、松島の地にて開催した。定番かもしれないが、前日、一升の餅をついて、丸め、風呂敷に包んで会場に持ち込む。嫌がらず泣きもせず1升の餅を背負って、よこよこしながら4-5歩程度歩く姿を見て、大笑いしながら気持ちがひとつになる瞬間でもある。孫には大変であったかもしれないが、ひとつのけじめがついた気がする。これからは桜の花芽も日一日と膨らみ、蕾が色づくのを遠目に眺めるのも楽しい。春がいよいよ動きだす今の時季を、大切に思いながら子供、孫を通して身近な心の桜をウオッチするのもいいもんですね。
3月20日(金)晴れ 14℃
今日は朝からまさしく春の陽気が漂い、外の温度計も14℃を指している。4月上旬並みの暖かさで陽気に誘われて、ついつい車2台のタイヤ交換を敢行した。まだ交換するには少し早い気はするが、朝早いうちから開始して約2時間で完了した。その後ファームに出かけると、すっかり春モードに突入したような陽気で玉ねぎ、にんにくの芽もだいぶ大きくなってきている。ファームにいるとゆっくり時間が流れるようで気持ちもなぜか落ち着く。食べるだけでなく心の栄養にもなりそうだ。野菜の自給生活を始めて5年近くになるが、食料と言えば農林水産省が新たな指標「食料自給力」を公表した。生産額ベースでみると69%と高い率。しかしカロリーベースでは1960年度の79%以降一貫して低下、今では39%にとどまっている。人当たり1日に必要なエネルギーは2147キロカロリーという。栄養バランスを考えてコメや大豆などを中心に栽培した場合、確保できるのは1495キロカロリーで目標には届かない。一方、栄養を無視してカロリーが高いイモ類を植え付ければ、2745キロカロリーを供給できる。現状でもエネルギー量は満たせるが、主食は焼き芋になる。現代の今、イモばかりの食生活で耐えられるだろうか。イモには、いつまでも時々食べる食卓の名脇役でいてほしいと思うのだが。。。やはり自給するに限る!!!
3月18日(水)曇 12℃
春分の日を挟み、前後3日を合わせた春彼岸は今日が「入り」に当たる。ぼた餅を食べる日でもある。我が家でも早速「ぼた餅」をつくった。ちなみに春は「ぼた餅」、秋の彼岸では「おはぎ」と呼ぶ。春はボタン、秋はハギの花にちなむ命名だ。その姿にちなんで「ぼた餅」は大きめ。「おはぎ」はやや小ぶりで、少し細長いとも言われるが、本質的には同じものである。そして今日は父の命日でもあり「ぼた餅」の大好きな人でもあった。さっそく霊前に供えるため墓参りに出かけた。お墓は線香の煙が漂う中で、色とりどりの彼岸花が鮮やかにぎわっている。日中は暖かい日差しが注ぐが、やや風が冷たい。今日は特別用事もないので、墓参りの帰りにちょっとドライブ感覚で松島へ出かけてみた。平日とはいえ春休み近いこともあり、若い学生グループでにぎわっていた。いつもの五大堂、瑞巌寺、観覧亭、圓通寺。。。。松島遊覧船に乗るにはまだ風が冷たく寒そうであるが、ウミネコが餌を求めて船の回りを旋回している。震災の爪痕はもう感じないくらい復興しているかのようである。少しでもこの春、にぎわいが取り戻せることを期待しながら帰路に着いた。
3月17日(火)晴れ 10℃
16-17日と2日間にわたり、国連防災世界会議のフォーラム(アエル,川内萩さくらホール)にお手伝いも兼ねて参加した。タイムスケジュール、メンバの出番等、気を遣う場面も多く、少々疲れ気味である。仙台の街中は卒業シーズンでもあるので、おしゃれした保護者が学校に急ぐ姿や謝恩会に出席するため着物やスーツでめかし込んだ若者グループが目立つ。そして今回の会議で世界の人々が行きかう姿を多く見かける。別れを惜しみ、門出を祝う行事が街にあふれているようだ。早咲きの河津桜も満開が過ぎ、花見の“主役”ソメイヨシノの蕾は日ごとに大きくなっている。今日はお天気もよく、仙台は4月10日頃が開花とのことだが、ちょっとおおげさかもしれないが、遠くからながめると枝が幾分赤みを帯びてきているように感じる。開花もカウントダウン状態に入ったのではないかと思うくらいである。日本人ほど桜に魅せられる国民はいない。年配であれば日本古謡の「さくらさくら」、若者は森山直太朗さんの「さくら」を口ずさむ。やっとイベントも終わったので、明日はお彼岸の入りでもある。ゆっくりと先祖の墓参りに出かけながら心地よい春色を感じてきたいと思う。
3月14日(土)晴れ 15℃(東京)
元会社後輩の送別会で東京へ行ったついでに、東京大学農学部を訪れた。お目当ては没後80年の忠犬ハチ公の新たな銅像がお目見えしたのだ。農学部の教授だった飼い主の上野英三郎博士に飛び付く姿がほほ笑ましい。農学部の正門のすぐそばでなんか東大の赤門や安田講堂と同じような象徴になるような雰囲気でもある。今日の東大は銅像の見物者や東大合格発表後の学生の見物等でにぎわっていた。歴史をたどればハチ公はやんちゃだったようだ。博士が亡くなった後で預けられた呉服店では、客を博士の家族と間違えて飛び付き追い出されたり、転居先では畑を走り回り、作物を荒らしてしまったこともあったという。秋田犬ハチ公は博士に飛び付いたが、ハチ公は東大に飛び付かれ、東京の名物になるのではないかと思う。今日は春本番を思わせる暖かい陽気で、東大近くの上野公園の一部の桜は咲きはじめている。来週からの桜祭り(21日~)の準備でほんのりと桜色の雰囲気が漂ってきそうな感じでもある。そして今回は久しぶりに高速バスで帰宅した。時間があればゆっくり本を読んだり、車窓を眺めたり、3か所(羽生、那須高原、国見)のSAで名物みやげを見たりと結構楽しいものでした。価格も¥4.000とお財布にもやさしく、思わず私も高速バスの安さに飛び付いた次第である。
3月12日(木)晴れ 8℃
3月は別れや旅立ちのシーズンでもあり、仙台駅は何か廻り全体が浮き足立っているようで華やかでもあり、にぎやかでもあり、3月の季節感を如実に表している。「JTB時刻表」3月号付録に「ダイヤ改正 東西番付表」が掲載されていた。JR の東と西で、引退列車や開業路線の話題が紹介されている。東の横綱は寝台特急「北斗星」定期運転終了。西の横綱は「トワイライトエクスプレス」退役だ。番付表にはないが、地元の宮城県女川町の人たちにとって、この路線復活は、まさに横綱級の朗報ではないだろうか。東日本大震災で大きな被害を受けたJR石巻線で最後の不通区間だった浦宿-女川間が、21日に開通するという。鉄道ファンにとってもうれしい朗報でもある。仙台駅は14日からはじまる第3回国連防災世界会議で異国情緒にあふれているひとごみである。。国連に加盟する世界193カ国から、各国首脳・閣僚を含む政府代表団、国際機関、認定NGOなど5,000人以上が仙台に集まる。所属している団体のお世話役としてカタコトの英語を駆使してホテル等への案内に出かけた。この震災の地で世界各国の代表が国際的な防災戦略を大いに議論していただきたいと思う。我が団体は16、17日にかけて発表もある。いろいろといそがしくなりそうである。
3月11日(水)小雪 4℃
庭先でフクジュソウがやっと顔をのぞかせ始めていた。少しずつではあるが、確かな季節の移ろいを感じる。とはいえ、山肌にはまだ雪が残る。今日は朝から小雪が舞い始め、大震災の日と同じく肌寒い一日である。本格的な春の訪れを実感するまでには、もう少し時間がかかりそうである。物理学者の寺田寅彦は「自然ほど伝統に忠実なものはない」と「津浪と人間」に遺した。1933年に東北の太平洋岸を襲った津波を書いたものだが、37年前の1896年にも三陸大津波があったことを重視する。寺田氏は「地震や津浪は(略)頑固に、保守的に執念深くやって来る」と記す。「伝統に忠実」との表現は、一定の周期で繰り返される地震や津波の怖さを意味する。予測される自然災害に対する防備の重要性を説くが、心配して警告しても国民や政府は安閑としていると嘆いていた。来日したドイツのメルケル首相は一昨日、福島原発の事故について、高い技術を持つ日本でも予期しない事故が起こりうると分かったから自国の「脱原発」を決めたと述べた。一方、安倍晋三首相は「国民に低廉で安定的なエネルギーを供給する責任を果たさなければならない」として、原発再稼働の方針を崩さない。寺田氏、ドイツのメルケル首相、安部首相それぞれの言葉を福島県の人々はどう受け止めただろうか。
3月10日(火)曇り/小雪 5℃
昔、山崎豊子さんの「白い巨塔」という本があった。そして映画やテレビドラマでもよく放映された。財前五郎と里見脩二。舞台は「国立浪速大学」。第一外科助教授の財前は野心家で次期教授の椅子を狙う。第一内科助教授の里見の方は患者の命と研究を第一に考える。原作は対照的な人物像を通し、医学界の腐敗に切り込んだ本であり感銘を覚えた記憶がある。大学病院の暗部がさらされた、腹腔鏡による肝臓手術で死亡が相次いだ問題で、群馬大病院は亡くなった患者8人全員の診療で「過失があった」とする最終報告書を公表した。同じ医師が執刀した開腹手術でも10人が死亡した。このうち1人については”がん”と誤診し、その事実を遺族に告げなかったほか、虚偽の診断書まで作成していた。私自身も胃ガンで同じ手術を受け、今は転移もなく無事に退院し元気に過ごしている身であり他人事ではない事件である。命を預ける患者側には背筋の凍る話だが、チェック体制のずさんさにはさらに驚かされる。手術後の患者の死に関し、ほとんど検証されることがなかったという。同じ“過ち”で患者の死亡が繰り返される。病院とは到底思えぬ異常な姿だ。閉鎖的な体質が生まれた背景には何があるのか。検証のメスを入れる必要がある。生死にかかわるこの事実を見逃すわけにはいかない。
3月9日(月)曇り/小雨 7℃
福島第1原発事故から4年になろうとしている。汚染水の流出は続き、メルトダウンした核燃料の状態はいまだに分かっていない。事故が収束したといえない状況で、原発が再稼働しようとしている。経済効果への期待もあるが、疑問もある。あるデータの試算によると、福島原発の事故処理費用は約11兆円。国は国債を発行して東京電力を支えているが、試算には廃棄物の最終処分施設などは含まず、費用がどこまで膨らむのかは分からないという。原発の巨大なリスクの全てを民間が保険で負うことはできない。電力会社の積み立てにも限界があり、国が原発の保証人役を請け負うことになる。原発の発電コストが低くなる”からくり”の一つでもある。原発事故被害者への賠償について定めた「原子力損害賠償法」の見直しも始まった。国が定めた5年の集中復興期間の終了に歩調を合わせるように、東電は商工業者に対して支払う営業損害賠償も来年2月に打ち切る方針を示した。国や東電は一刻も早く賠償を終わらせ、復興の実績を作りたいようだが、一定の時間がたったというだけで賠償を打ち切るのは、現実を見ていない。被災者の切り捨てというほかない。避難指示区域にある事業者のうち、業務再開できたのは約半分。事故前の水準に戻ったのは皆無だ。原発禍からの回復の困難さは想像を絶する。「すべてコントロールされている」と安部首相は言い切っている。こうした切実な現実を見ようとしない感覚が私には到底理解できない。
3月6日(金)曇り/晴れ 11℃(銚子)
天気予報では一日中曇りマーク。総武本線の特急しおさい号に乗車し、今日は房総半島の最東端の犬吠岬を目指した。醤油でおなじみの銚子駅からローカル線銚子電鉄に乗り換え”犬吠駅”に到着した。お天気もラッキーなことに晴れ間が広がってきた。犬吠岬は三方を海に囲まれた海食台地で、断崖絶壁の下に横たわる無数の岩礁で荒波が砕ける様は、見ごたえがある。その岬に高くそそり立つ白亜の塔が「犬吠埼灯台」です。40数年前に高専卒業旅行としてオンボロ軽自動車で旅行した思い出の地でもある。灯台に上り(99段のらせん階段)、眺める景色、春風はまだ冷たいがしばし懐かしさがよみがえり太平洋をみながら思い出に浸る。そして次は小高い丘の上に建つ”地球の丸く見える丘展望館”に向かう。どこまでも果てしない海、屋上の展望スペースから見る360度の大パノラマは、本当に地球が丸く見えることが実感できる。太平洋の雄大さに感激しながら海の広さ、そしてこうして旅ができる素晴らしさを噛みしめた。そして最後は銚子電鉄の鉄道収入減少を補うために鉄道員が考案したぬれ煎餅をほおばる。赤の濃い口味、青のうす口味、緑の甘口味の3種類があり、おみやげにと購入したので我が家でご賞味あれ。体調もよく、お天気もよく、無事に今回の旅を終えることができてほっとしている。詳細は別途”小さな旅”で紹介したいと思います。さあ明日からの生活の励みの糧となった今回の小さな旅そしてパートナーに感謝したいと思う。
3月5日(木)晴れ 14℃(河津)
東京は昨日18℃、今日は14℃と、すっかり春モードに突入したようです。一足先に桜を見に静岡の河津を訪れた。東京から特急”踊り子号”で2時間40分。熱海、伊東と伊豆半島の海岸線を一路南下し、今日は伊豆大島も眺められるほどお天気もよく、桜満開の河津に到着した。河津桜とは静岡県賀茂郡河津町にて毎年2月上旬から咲き始め3月上旬までの約1ヶ月に渡り咲く早咲きの桜です。花が大きくピンク色なのが特徴のこの桜は本州でも早咲きの種類に分類され開花の過程も楽しめます。花はカンヒザクラとオオシマザクラの自然交配と考えられています。河津桜は、1955年2月に、 河津町の飯田勝美氏(故人)が偶然見つけた芽咲いているさくらの苗を、 現在地に植えたものが原木です。飯田氏の屋号から「小峰桜」と呼ばれていましたが、その後の調査でそれまでになかった品種であることがわかり、1974年「河津桜」と命名されました。飯田氏の植えた原木は、今も花を咲かせ、名所となっています。満開の状態が長く続くのも、河津桜の特徴で、花は「桃色」「ピンク色」で、ソメイヨシノよりも色が濃いです。ソメイヨシノが淡い色で「潔く」散るのに対し、 河津桜は、かわいらしいピンク色を長く楽しめる桜なのです。3時間ほど川沿いを散策し、すっかり桜モードに浸りながら夕方16時過ぎの特急で、宿泊地”横浜”へと向かう。そしてお気に入りの中華街で担担麺をいただく。久しぶりのビールと相まって満足。満足。。 今日は見どころ・食いどころを満喫しながら横浜スタジアム近くのホテルへと向かい1日目の旅を終えた。
3月3日(火)曇り 3℃
トンネル(笹谷峠)を抜けるとそこは雪国(山形)であった。弥生3月の声を聞いて春も近しと思ったが、山形の3月は別世界であった。高速道路の山々、国道沿いは、まだまだ雪の壁に覆われている。今日は所用で山形白鷹町へ出かけた。春の兆しに自然界も彩りを増しているのではと思ったが、目の前に広がる朝日連峰は壮大な雪のパノラマ。そしてきょうは桃の節句・ひな祭り―。由緒ある雛人形や雛飾りなど、各地で「ひな街道」「雛めぐり」の催しが繰り広げられている。山形の白鷹は隠れ蕎麦屋の里とも言われている。今日訪れた「千里庵」の蕎麦粉は福島県山都産。雪室で保存された玄蕎麦は湿度、冷気ともに万全で、1年を通して新鮮さがそのままである。蕎麦の実は外殻を完全に取り除き、石臼挽きされるまで粉雪のようである。細めで歯ごたえがあり、白くて上品な香り高い十割蕎麦である。そして店主は作業台の下は自作のスピーカーであり、なんとJAZZと共にそばを打つ。”もりそば”のみのシンプルなメニューで、それも蕎麦好きにはたまらない。隠れ蕎麦屋の里の屋号に納得した味である。これからは水ぬるむ季節を迎え、忍従を強いられた冬から草木ももえ立つ春へといざなう。蕎麦を堪能し身も心も軽やな気分にさせてくれた一日であった。
3月2日(月)晴れ 4℃
3月に入り、カレンダーを1枚めくっただけなのに、一気に本格的な春が到来したような気になる。お日様の日が伸び、陽光輝く時間が増えたことより心浮き立つ気分にもなる。家の近くのJA川崎農産物センターをのぞいたら、入ってすぐのコーナーに並ぶ春野菜が目に飛び込んできた。栽培技術が進み、野菜の季節感が薄れている昨今。目新しいのかどうかは分からないが、すっかり春の装いである。フキノトウや葉にんにく、わさび菜、ブロッコリー、プンタレッサ等がパック詰めで並んでいる。春キャベツ、春芽のアスパラガス、新ゴボウなども早春ならではの味覚である。これは酢みそ和え、天ぷらがうまい、あれはパスタに合う…。台所にはほとんど無縁の身でパートナーにお任せであるが、しばし見入ってしまった。このセンターは地味であるが、変化に富んだ四季がある。そういえば、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録された理由の一つに「四季折々の食材と持ち味の尊重」があった。寒が緩んで春へと移る。芽吹きのときは、とりわけ多種の食材が季節の到来を伝えてくれる。仙台市で開催される国連防災会議関連の準備でいそがしい日々が続くが、その合間をぬって、3月は悠々ファームもいよいよ作業開始である。