■2015活動日誌5月 ■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。コメントをお寄せください。
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5月31日(日)晴れ 25℃
カーテンを開けると今日も朝から光が差し込んでいる。「雨がほしいなあ」と思いながら窓を開けラジオにSWを入れると東京五輪のニュースが聞こえてきた。あと5年で東京五輪・パラリンピックがはじまる。2020年を楽しみにそれまでは頑張らねばと気合も入る。でもメーン会場、新国立競技場の建設をめぐっては「問題」が次々と持ち上がっている。アピールポイントの一つ、フィールド部分を覆う開閉式屋根の設置が、五輪後に先延ばしされることになった。同競技場建設は当初1300億円だった建設費が、いつの間にか3000億円に膨れ上がり、批判が殺到した。その威容が「周囲の環境を破壊する」と、高名な建築家たちが相次いで計画変更を訴えた。批判を受け、その結果、建設費は1692億円に下方修正され、周辺景観に配慮し、スタジアムの高さは5メートル引き下げられた。事業主体の日本スポーツ振興センターは、開閉式屋根設置だけは譲らずにきたが、現在の建設スケジュールでは、2019年3月の完成に間に合わないことが判明した。下村博文文科相は今月、屋根の設置を五輪後に、可動式観客席15,000席分は仮設へ変更する考えを示した。昨年のサッカーW杯ブラジル大会などで、開幕が目前に迫っているのに会場建設が終わっていない様子が報じられた。こんなことは「日本ではあり得ない」と思っていたが、他人事と笑ってはいられなくなった。巨大競技場は“屋根付き”が世界的潮流となっているが、スポーツは本来、風や光を感じながら自然の中で競技し、観戦するものだったはずであった。箱物の競い合いや財政を圧迫する五輪の時代は終焉しているはずである。原点回帰し、コンパクトにいっそのこと“屋根無し”競技場へと計画変更を考えてみてはいかがだろうか。
5月30日(土) 晴れ 27℃
朝早くファーム作業をしながら、おとといの火山爆発の詳細情報がラジオから流れてきた。改めて鹿児島県口永良部島(くちのえらぶじま)で発生した火砕流を映像で見て、まがまがしいとはこのようなことを言うのだろうと思った。むくむくと成長しながら斜面を駆け下りる様子は、凶暴な獣のようである。島外に避難した住民たちは、しばらく不自由な暮らしを強いられることだろう。火山国日本では災厄と復興を繰り返しており、口永良部島もたびたび噴火被害に遭ってきた。ことし3月には、高温の溶岩や火山ガスが噴煙や雲に映って明るく見える「火映(かえい)」現象が観測されており、大規模噴火の危険性が指摘されていた。今回の噴火で全島民に避難指示が出たが、犠牲者が出なかったのが不幸中の幸いだった。同じ火山列島に住む者として人ごとでは済まされない。最近の火山のニュースだけでも、十勝岳、蔵王山、浅間山、箱根山、阿蘇山など、東日本大震災以降、北から南まで火山活動の変化に関するニュースが目につく。地の底は見えないゆえに不気味であるし、災害はいつ来るか分からない。島民の避難はいつまで続くことになるのだろうか。一日も早く元の生活に戻れるよう、祈るほかはないが、我々も気を引き締めながら災害に備えたいと思う。
5月28日(木)曇り 21℃
ヒツジの皮をかぶったオオカミではないだろうか。国会中継を聞いていると安全保障関連法案に、何だか危うさを禁じ得ない。やたらと「平和」を強調して、大事なことを巧みに覆い隠そうとしていないだろうか。自衛隊を海外へ派遣し、国際紛争に関わる他国軍の後方支援を拡大する恒久法は国際平和支援法案。武力行使に協力するのを「平和支援」と呼ぶのは、名と実は相応ずるとは言い難い。集団的自衛権行使を可能にする武力攻撃事態法改正など10法案を一括し、平和安全法制整備法案とソフトに名付ける。「平和安全」というオブラートでくるめば、武張った内実も口当たりよくなるとの意図が透ける。自衛隊活動が際限なく広がるのではないか。評論家の佐高信さんはずばり「実態は戦争協力法案」と看破する。「世界中で戦争する米国の先兵になろうという法律なのに、平和の一言で国民をだまそうとしている」と。。議論を聞いていると政府の説明のあいまいさそして、にわか勉強の説明不足が目立ち粗雑な答弁が繰り返される。痛い所を突かれると、ついいら立つのは人の常ではあるが、答弁を聞いていると首相としての器の小ささを感じてしまう。与党内でも難解な内容や影響の大きさを本当に熟知しているのだろうかと疑問が残り不安な一日であった。
5月27日(水)晴れ 21℃
朝日が差し込む玄関を開けると、小鳥のさえずりが聞こえてきた。「愛鳥週間」が終わっても、歌声を競い合う野鳥の舞台は続いている。一年中、見掛ける留鳥、季節ごとに現れる渡り鳥…。夏に向けて主役はカッコウに代わろうとしている。観察用の双眼鏡を手に思わずそっと覗いてみる。青葉茂る森林の中から聞こえる鳴き声に耳を澄ませば、身も心も自然に溶け込むようだ。政治の世界では自衛隊の活動範囲を大幅に広げる安全保障関連法案はきのう衆院で審議入りした。自衛隊員のリスクが高まるとの懸念に対し安倍首相は「木を見て森を見ない議論が多い」「国民のリスクを低くしていくための法整備だ」などと叫んでいる。首相発言に関し自民党の谷垣幹事長は「『国民の安全へのリスクが高まっている。自衛隊員のリスクばかりを言うな』との趣旨だと思う」と解説した。最前線に立つ隊員そして家族は、この論議をどう受け止めているだろうか。何が木で、何が森なのか。決めるのは私たち国民である。最前線に立つ可能性がない人たちが叫んでいるのではないだろうか。集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法案について、「われわれの説明は全く正しいと思いますよ。私が総理大臣なんですから」とも述べた。自身にも政府・与党にも決して間違いはないと言い切る。すべて相手が恐れ入って戦争してこない筋書きで、一方的に都合のいいことしか考えていない内容である。本国会での安保法案の審議の中で、勇ましい言葉の中に論理のすり替えや誇張、詭弁はないかと目と耳を凝らし注視していきたいと思う。
5月25日(月)晴れ 23℃
コーヒー好きにはうれしいデータが国立がん研究センターなどの研究チームから発表された。1日3~4杯を飲む人は、ほとんど飲まない人に比べて心臓や脳血管などの病気で死亡する危険性が4割ほど減るそうだ。折しもきのう、米国の人気チェーン店(スタバ)が47都道府県の最後に鳥取県で開店し、地元の歓迎ぶりが話題になっていた。私もコーヒーは大好きで、ちょっとコーヒについて調べてみた。 日本初の本格的なコーヒー専門店の名は『可否茶館』と言ったそうだ。1888(明治21)年、文明開化に乗って東京に登場し、庶民派サロンを目指したが1杯の値段がもりそばの2倍もし、高価のためほとんど姿を消したという。わが国にコーヒーが入ってきたのは江戸時代中期。初めて飲んだのが、食通で知られた太田蜀山人とされる。ところが、その感想は「焦げ臭くして味ふるに堪えず」。当時の日本人の口には合わなかったらしい。その独特な色と味のせいか、体に良いとか、逆に飲み過ぎは毒になるとか、古くからまさに、その〝可否〟が論じられてきた飲み物である。だが、ここに来て。200年前の焦げ臭くて堪えられなかった味が、今や笑顔で楽しむコーヒー文化を広がっている。心穏やかなる日々の一杯は私にとって、まさしく何よりの至福の時でもあり、来客も多いこともあり消費ピッチも早く、その分多くの人と至福を分かち合っているのではないだろうかと思っている。
5月24日(日)晴れ 26℃
ファーム作業していると、我が家の近くにある小学校のグラウンドから、にぎやかな音が聞こえてきた。拡声器や太鼓の音も加わり「赤速い、白ガンバレ」。軽快な音楽にのって多くの歓声が響き、熱を帯びてきたようで、こちらも気分が明るくなる。小学校の運動会。まるでピーチクパーチクといつもと違う声のトーンが一段と高い。小鳥のさえずりでも届くように、心地良さを感じる。最近は、夜明けは早く、夕暮れは遅くと昼間の長さを実感する季節となり、朝5時には目を覚ます。暑くなる前にとパートナーとファームに出かける。朝日に輝く蔵王連峰、水面に映る逆さ蔵王、水面を吹き抜ける透き通るようなさわやかな風。「早起きは三文の得」とはこの事ではと思いたくもなる。まさしく目覚める前の自然の美しさを独り占めできる瞬間でもある。古代のインドには人生を四つに分ける思想があった。学生期、家住期、林住期、そして、締めくくりの遊行期である。作家の五木寛之さんは自著「遊行の門」の中で「子供に還って遊び、戯れる時期」とも解釈する。今、まさしくこの自然と同化し、生き物と向き合い、土を耕し、清き水の豊かさに感謝の気持ちを持ち続け、生きている幸せの時間を味わっている。いつまでもこの風景が遠い将来まで続きますようにと思わず手をあわせた。
5月22日(金) 晴れ 27℃
昨日はXX会社の通常総会。5月末から6月にかけて、総会が目白押しである。やれやれと思いながらもこの1年の安堵感&期待感が交差しながら、まさしく「ハーフハーフ」の状態でもある。昨年の新語・流行語大賞の候補にもなったこの言葉で表現してきたフィギュアスケートの浅田真央選手の心の針は「現役続行」へと振れたようだ。競技生活の集大成として臨んだ昨年2月のソチ冬季五輪で、浅田選手はフリーの圧巻の演技で世界を魅了した。だが、ショートの失敗が響き、不本意な成績に終わった。完全燃焼へ向けて再び歩みだした決断をたたえたい。こちらは、きっぱりと引退を表明した。掲げる「大阪都構想」への賛否を問う住民投票に敗れた橋下徹大阪市長である。今年12月の任期満了後に政界から身を引くという。強引な手法に批判も多い橋下氏だが、持ち前の鋭い視点と行動力で閉塞状況にある大阪や地方の在り方に新風を送った意義は大きいと思う。賛否の票差はわずかであり、まさしく「ハーフハーフ」だった。橋下氏は、今回の住民投票で退路を断つ戦術に出た。敗れれば身を引くことは一見潔く映り、かっこよさそうに見える。だが、こうした手法はともすれば肝心の政策よりも人気投票に終わることにもなりかねない。もう少し、急がず、丁寧に市民の声に耳を傾けながら自分の自説を語り時間をかけて説明することができなかったものか。総会に出席しながら、熟慮する時間を選ぶ側にも必要ではなかったかと感じた。
5月20日(水)晴れ 21℃
我が家の回りの田植えが本格化してきた。水鏡のように輝く田んぼに、淡い緑色の苗が機械で整然と植えられていく。そんな光景を見て、ふと思った。緑さえる5月は命かがやく月なのに、厄月と忌んだ文学者がいた。俳句と短歌の改革者、正岡子規である。明治22(1889)年、第一高等中学予科時代の大量喀血は22歳の5月、新聞記者となって日清戦争を従軍取材した帰途の2度目の大喀血も同じ月だった。その後も5月がめぐってくるたびに病は重くなった。病気はカリエス。主に結核によって脊椎や肋骨など骨が腐る病気だ。最晩年は病床から離れられなくなる。そんな中にも『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』という随筆はすごい。衰える体と心を素の目でながめている。『病牀六尺』に「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」と書く。「いかなる場合にも平気で生きていること」とも。悟った人間は強い。病の床から見える庭の草花、鳥や虫、訪れる人々、新聞や雑誌で読む社会の出来事、日々の食事…。わが身の四方や心中に起きる一切に「楽しみ」を見いだした。壮絶な病と闘いながらも解き放たれた精神と言葉があったからこそ、それが可能だったのだろう。35歳の短い生涯を閉じた子規を今思いながら、日々の暮らしを振り返ってみたい。
5月19日(火)小雨/晴れ 20℃
今年の五月は天気にも恵まれ、野山・畑と語らい、自然のありがたさを満喫したシーズンでもあった。木々の緑が深みを増し、木漏れ日を浴びながら生命力にあふれた山菜の緑は鮮やかであり、独特の香りと苦みも虜にしてくれた。「五月」が入った言葉はさまざまある。芭蕉の句で名高い五月雨(さみだれ)をはじめ、五月(さつき)晴れ、五月人形。少し憂鬱なところでは五月病もある。この憂鬱さを解消してくれるひとつに温泉と花々がある。近くの青根温泉の「じゃっぽの湯」に気分転換に出かけてみた。朝早くの温泉は空いており、湯の色が青々と透明できれいである。独特の肌にからみつくような、まったりとした湯はたまらなく気持ちがいいもんである。心身ともにリフレッシュしてくれる。花々としては、女性の美しさを表現する例えとして、よく引用される花に「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」がその代表例ではないだろうか。同じボタン科だが、シャクヤクは草本、ボタンは樹木。花はシャクヤクがやや小ぶりで端正、清楚な印象がある。一方のボタンは重厚かつ華麗、原の中国では「花王」と呼ばれ、風格がにじむ。いずれも根は薬用になるらしい。五月晴れや五月雨を味わいながら湯に浸り、花を眺める季節の五月を謳歌するのもいいもんである。
5月17日(日)晴れ 23℃
木々の青葉がまぶしく、吹き抜ける風が心地よい。街歩きに絶好の季節になった。街並みの均質化が言われて久しい。どこの街を訪れても今の街並みは、車が行き交い、派手な建物や看板の大型量販店や飲食店が目立つ。遠くからドライバーの目を引く必要があるのだろうが、まさに「車目線」である。目線と言えば、14日に出された安全保障関連法案に、何だか危うさを禁じ得ない。やたらと「平和」を強調して、大事なことを巧みに覆い隠そうとしていないだろうか。自衛隊を海外へ派遣し、国際紛争に関わる他国軍の後方支援を拡大する恒久法は国際平和支援法案。武力行使に協力するのを「平和支援」と呼ぶのは、名と実は相応ずるとは言い難いと思う。集団的自衛権行使を可能にする武力攻撃事態法改正など10法案を一括し、平和安全法制整備法案とソフトに名付ける。「平和安全」というオブラートでくるめば、武張った内実も口当たりよくなるとの意図が透ける。そして17日、大阪都構想をめぐる住民投票で反対票が上回った。暮らしに直結する身近なテーマで市民はNoとの判断であった。安倍首相、橋下市長の一方的な熱い言葉(?)だけが飛び交うが、一番重要なのは、「大事なことはみんなで決める」ことである。これからは市民の「歩く目線」で日本の将来を自分の目でしっかりと見抜くことが必要である。一方的な車目線ではなく、市民の歩く目線で看板に偽りがないか、仮面の下に鋭い「牙」が見え隠れしていないかをしっかりと見極めていきたいと思う。
5月16日(土)小雨/晴れ 22℃
最近、気になる地震が多くなってきているような気がする。揺れで目を覚ましたりすることもある。東日本大震災から4年が過ぎてなお、これほど大きな余震を起こす力がまだ、地下に蓄えられていたのだろうか。深刻な被害がなく、目を覚ます程度であるので、まずは幸いなことであるが。。。この半月余りの間、ネパールで2度の大地震があり、箱根山では噴火の予兆ともみられる火山性地震が続く。蔵王山でも今年に入って山頂がわずかに隆起しているという。西日本では時ならぬ台風被害がある。この川崎町の地でも、最近の風は以前から比べると非常に強くなってきている。地球のどこかでひずみがたまったり、それが解消されたりすることが別の遠いどこかで思わぬ動きを引き起こしているのではないか、と想像してしまう。地球は大気や海、地殻、生物など複数の要素で構成され、それぞれが関連し合って一つのシステムになっているのではないだろうか。この地球で人間のみが突出して大量生産・大量消費して、この自然界のシステムを乱しているのではないだろうか。最近、人は自然界で生かされていることを切に感じるようになってきた。
5月15日(金) 晴れ 21℃
ファーム作業、仕事そして飲み会と続き、14日は怠惰感が抜けきらず、体調をくずし一日横になっていた。TVニュースに目をやると憲法解釈変更で集団的自衛権の行使を容認するなど、満を持した「安全保障法制」を積み込んだ首相の車が動き出した。公明党ブレーキの効きが注目されたが、巨大な自民党エンジンで全然効いていないようだ。閣議決定の交差点も青信号で走り抜け、アクセルを緩める気配はない。いよいよ、車は国会エリアに差し掛かる。ようやく野党の出番だ。交差点をすべて赤信号にして審議に十分な時間をかけ、積み荷の中身を念入りに点検できるか、が問われる。首相は「丁寧に説明する」と話し、積み荷を懸念する国々にも理解を求める考えのようだ。だが、盟友の米国には、今夏までに目的地の「関連法成立」に到着すると先に約束している。まさかとは思うが、一足飛びに目的地を目指す高速道路が視界に入っているのではないだろうか。思うように審議が進まなければ、ハンドルを切り、アクセルを一気に踏み込むつもりではないのか。日本が戦争に巻き込まれる危うさを憂慮して、反対する国民は多い。積み荷の必要性だけを一方的に訴え、反論に耳を貸さず、最後はエンジンの大きさで振り切る。そんな暴走は絶対に許されない。今こそ国民も声をあげねば。。
5月12日(火)晴れ 21℃
オタマジャクシが丸いおなかで泥滑りを楽しみながら笑い転げている。この時期、我が家の周りの田んぼでは夜ごとカエルの大合唱が繰り返しが始まった。そして頭でっかちのオタマジャクシが生まれると、今度は連日の大運動会。ある意味で豊かな自然の指標ともなっている。5月は生き物が躍動する季節でもある。人もまた屋外の作業や行楽にと活動的になる。5月の光と風を体いっぱいに受けると、心の中までエネルギーが充満してくるようだ。そして薪ストーブに火を入れなくてすむ季節になると、今度は次の冬に向けて薪作りが始まる。早くも山里を覆った新緑に囲まれての仕事は心地よい。丸太を薪の長さにする「玉切り」では、チェーンソーが活躍する。この機械、刃の付いたチェーンを小型エンジンで回す仕組みだが、実にうまくできていると思う。同じ仕事量をのこぎりで行ったら、どれほどの重労働になるだろう。使いこなすには刃の目立てがポイントであることがわかってきた。木の種類や使う人のくせで刃の減り方も違うが、こまめに刃にやすりをかければ効率も上がる。昔、丸太を材木にする「木挽き」職人がいた時代も目立ては重要とされていた。木挽き職人は暇さえあればやすりをかけていたという。民謡「南部木挽き唄」に「今朝もやすりの音がする」とあるのはそのことなのだろうか。いまの時代は刃物などは使い捨てが当たり前になってきたが、道具の手入れを丁寧にすることで、何となくその仕事に向き合う姿勢が正されるような気がする。
5月11 日(月)快晴 23℃
今から約1.5年前(2014.1)、箱根を旅し、ロープウエーから大涌谷を見下ろしたことを思いだした。地上130mからながめると、そこから白い噴煙が上がり、むせるような硫黄のにおいが立ち込めていた。今なお生きている火山であり、地底ではマグマがうごめいていることを実感させられた。昔の人は、この景観に「あの世」を見ていたらしく、江戸時代までは、ここは「大地獄」と呼ばれ、死んだ人の魂が行く場所とされていた。大涌谷という名称になったのは、明治時代になってから。明治6年(1873年)、天皇が箱根で夏を過ごしたとき、「天皇の避暑地に“地獄”があっては申し訳ない」ということで名が変わったとのことである。旅の折、ロープウエーから降り立ち、のん気に寿命が延びるというふれこみの黒卵をほおばったが、今は立ち入りが規制されている。気象庁は大涌谷付近で小規模な噴火が起きる可能性があるとして、噴火警戒レベルを「2」に引き上げた。これまで群発地震や噴気活動が活発になる状態は繰り返し起きているが、やはり気象庁には昨秋、死者57人を出した御嶽山の噴火のことが頭にあるのだろう。そして地元の蔵王連峰もあやしい。我が家から見える蔵王連峰は静かに優雅にそびえたっており、田んぼの水面に映る逆さ蔵王も日々、美しが増してきている。箱根も蔵王もどちらも不気味な動きが、このまま終息してくれることを願いたい。
5月10 日(日)晴れ22℃午後より風強し
季節の移ろいは日ごと日ごと、少しずつ変わっていく。カレンダーのように「本日をもって春の終わり」「あすから夏の始まり」とはいかず、境界線は引きにくい。そしてきょうから愛鳥週間が始まる。鳥たちは天上の交響楽を奏でているかのように、にぎやかにさえずっている。ほととぎす、ひばり、きびたき、おおるり。ポッピッピピロ、ツーペチョチョチー、ピイッ、ピイッ、ペーペーペー、チチチ。以前に蔵王連峰の最高峰の熊野岳へ登った時に斎藤茂吉の名高い故郷賛歌を思い出す。「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ」 噴火警報の影響で、熊野岳には今は人影はなく、茂吉の歌碑の上を鳥だけは悠々と翔ているのだろうか。今頃、エコーラインの道路端に咲く薄紫色で気品があるフジの花が際立って美しい時期でもある。古く万葉の昔から親しまれ、今が盛りのフジの花。そして暦の上ではもう夏。確かに汗が噴き出し木陰が恋しいときもある。とはいえ店頭にはまだ山菜が並び晩春の様相。まさに春と夏が同居する境目である。季節を見極めるより、さえずる小鳥に耳を傾けたり、爛漫に咲き誇る花々を満喫した方が風流のような気がする。
5月8 日(金)晴れ 22℃
ネパールが大地震に見舞われ2週間余り過ぎた。大震災を経験した日本をはじめ各国から援助隊が入っているが、道路が寸断されるなどして支援の手が行き渡らない。混乱が続き、余震も収まらないようだ。貧しい村々やテント生活の避難者が一刻も早く救われることを願いたい。ネパールと日本の共通点が数多くある。例えばモチ性穀物を好む。コメやアワ、キビ。これらを「おこわ」や「ちまき」にするといえば驚く人が多いかもしれない。日本に固有の食文化ではないのである。なれずしや納豆といった発酵食品。麹を使った酒造り。お茶を飲む習慣も特徴だ。食だけでなく絹の服、漆器、竹細工なども共通する。こう並べてきて、ふと気になった。日本で今が旬のタケノコはネパールでも食べるだろうか、と。ネット検索で見つけた記事には、カレーなどの具材として一般的とあった。思わず、箸が止まった。彼らはまた山や森を神とあがめ、竹取物語などとそっくりの昔話を聞いて育った人たちで自然とともに共生している。同胞の深い悲痛が遅まきながら染みてきて、今のわが身の飽食が恥ずかしい限りである。ネパールで教員生活を送る佐野彩香さんがインターネットのブログで現状を伝えている。避難者の水の確保を特に懸念し、こう記す。「日本ではきれいな水が飲める。幸せに感謝しないと」。森の緑がありあたりまえのように水が出る暮らしがこちらにはある。まさに日本の自然の恵みに感謝・感謝である。
5月7日(木) 晴れ 24℃
燕は春の季語だが、燕の子は夏になる。昨日の立夏を境に、なじみ深い渡り鳥の主役は親から子へと入れ替わる。晩春から初夏へと移るこの時季、ツバメの巣作りや子育てがほほ笑ましい。はるばる東南アジアから5千キロも海を越えて来る。休む間もなく巣を作り、日に600回もかいがいしく虫を運ぶ。子どもに対する無償の愛の象徴と言えるのではないだろうか。そのツバメの数が減っているという。ある調査では巣が10年余りで3分の1になった。軒のない家が増えて住宅難になったらしいが、愛好者の間では原発事故の影響も心配されている。鳥の目で見れば人間社会の変化がはっきり分かるのだろうか。この連休も混雑の心配もなく、ファーム作業、草刈り作業、大工仕事に追われる。最後の仕上げはガーデンの道具掛けの棚の修理を行った。これからガーデンを手入れする上で、ついつい、あちらこちらに道具を置きっぱなしになることが多いので、よく使う道具の棚卸みたいな感覚である。今、この豊かで平和な日本でも、子どもの6人に1人が貧困にあえぐという。無償の愛を注がれぬ子どもたちの暮らしぶりでもよく分かっていない。まずは鳥の目で見るように全体を俯瞰することが必要で、将来を支える子供達に多くの愛情を注ぎたいものだ。
5月5 日(火)晴れ 23℃
木々の緑が深みを増す季節で今日は「子供の日」。夜中に雨マークとのことで期待していたが、結局は強い西風が吹くまくっただけでガッカリである。先日、旬を迎えたタケノコ、山菜を求めて山に繰り出したが、まさにタケノコは子供と同じで木漏れ日を浴びながら生命力に満ちあふれている。今日はパートナーはそのタケノコを保存するため、瓶詰(5個)をせっせと行っている。私は薪棚の最後の仕上げにとりかかる。この地域はとにかく春先にかけて西風(蔵王降ろし)が強く、その風対策が必須である。風による倒壊対策として補強(筋交い、足場補強)を行ったり、屋根には雨除けのポリカ波板を張り付けたりした。とにかく大工仕事は面白い。ラジオを聞きながら、ありあわせの資材でやりくりしながらの作業は楽しく、子供に返ったみたいで夢中にさせてくれる。今回は材料代は基礎ブロックの費用(1600円程度:12個)で済んだ。多くの方から資材や材料をいただいたり、アドバイスをいただいたりと感謝に絶えない。作業終後は大地の養分と雨の恵みをたっぷり含んだ山菜をいただく。この季節の山菜は、最高のごちそうだ。独特の香りと苦みが格別で、野山と語らい、自然のありがたさを満喫している。コシアブラ、コゴミ、ワラビ、セリ、ミツバを摘みながら、てんぷら、炊き込みご飯、白和(あ)え、吸い物…。心ゆくまでたんのうした。子供や孫たちも、いつか、この自然の恵みの味がわかるようになってほしいと思う。
5月4日(月)晴れ 28℃(福島)
きょう「みどりの日」。若葉の季節。夏日が続き、我が家の周りはまるで樹木に淡い黄緑の絵の具をスプレーで吹き付けたように美しい。ブナの葉が咲き始めた時期特有の景観は、まるで冬に耐えた樹木の生命が躍動しているようだ。このお天気で旬のものも早く、今日は恒例の筍採り(伊達市五十沢)を敢行した。仲間10人が参集し竹林の中で筍を見つけては驚嘆しながら掘り起こす。今年は雨が少ないせいかもしれないが、数は昨年より少ないが竹林の中の緑は日に日に緑が色濃くなり、木漏れ日がキラキラと輝き、さわやかで美しい。「フランスの最も美しい村」という名称の協会がある。良質で独自の遺産が多く残る田舎の小さな村、その魅力を生かし観光を促進しようと1982年にに発足した。ブランドの信頼性を高めるため、協会は選考基準を設け、人口は2千人を超えない、自然や伝統、芸術など最低2カ所の遺産・遺跡があることなどである。現在は157の自治共同体が登録。景観を破壊する施設の建設は制限され、時には認定が取り消されることもある。同じ協会はイタリア、日本にも設立されている。NPO「日本で最も美しい村」連合は2005年、北海道美瑛町など7町村で発足。現在は55の町村・地域が加盟し、人々の営みが生み出した景観や地域文化の継承に取り組んでいる。これから田植えを迎える農村の風景は何とも美しい。緑色の早苗が薫風に揺れ水田はキラキラ輝いている。海外や遠くの有名観光地を数日かけて訪ねる本格的な旅行だけでなく、近場の「美しい村」を訪ねる「小さな旅」も心身をリフレッシュしてくれるのではないだろうか。
5月3日(日)晴れ 24℃
春は行きつ戻りつしたが、夏の気配は「太陽の物差し」通りに正確に訪れた。昨日は、立春から88日目の八十八夜。節分や入梅と同じく、日本で生まれた暦の節目「雑節」の一つ。太陽の動きに連動するため、旧暦と違って毎年ほぼ決まった日になる。生活や農作業のリズムを折り目正しく刻む、天空の見えない巻き尺を探して青空を見上げる。一方、長さなどの単位「メートル」の基準は、地球。フランス革命のころ、北極点から赤道までの距離の1千万分の1が1メートルと定められた。現在は光の進む距離を用いるが、もっと昔は人間の体自体が物差しだった。
インチや寸は「親指の幅」、尺は「開いた手の親指から中指の先まで」、フィートは「足先の長さ」に由来する。今日は「寒晒し蕎麦を食べる会(14名)」に参加後、野菜大好きクラブ会長のOHさんが駆けつけてくれて、一緒に薪棚製作の大工仕事を行った。頂いた資材をやりくりしながら、何センチとか、長さはこれくらいと二人で語り合いながら手を進める。そして支柱探しに青根の山へと繰り出す。お孫さんとの遊びの合間に応援してくれて本当に助かった。何とか薪棚の形はでき、なかなかの出来栄えであり補強を残し90%程度は完成した。物の見方、すなわち「尺度」が人によって異なるが、今回も友人の気配りの尺度に感謝したい一日であった。
5月2日(土)晴れ 24℃
夏服への衣替えは6月が相場と思ったが、街は一気にクールビズ。これだけ暑い日々が続くと夏服へ着替えたくなる。そして家の周りの田んぼには水がはいり始めた。田植えが始まるサインでもある。朝日に輝く若葉や鯉のぼりも風をまっているかにように朝日にあたりキラキラと輝きはじめた。ところが憲法記念日を前に、こんなニュースが流れてきた。戦後、70年、改憲の選択を行わなかった日本が重大な岐路に差し掛かっている。安倍首相は「希望の同盟へ」と題した米議会演説で、日米防衛協力ガイドライン再改定の合意を踏まえ、安全保障法制法案を「夏までに成就させる」と断言した。 自衛のための実力組織を完全否定してこなかったのは先人の知恵だった。憲法9条が軍備の保持と行使に明確な限界線を引けるか否か。それを玉虫色としてきたのも一つの思索だったかもしれない。だがそこに引かれた線がなければ、踏みとどまる地点が見えない。集団的自衛権は「自国と他国の安全を鎖でつなぐ議論」と憲法学者の長谷部恭男早大教授は言う。国家としての自主独立の行動を保障するはずがないという主張だ。その鎖をあらかじめ憲法で否定しておく選択肢は本当にないのか。衣替えが性急過ぎてはいないのだろうか。 こんなことを思いながら、今日も多くの方々が訪れ、薪、筍、山菜、資材を持ってきてくれた。連休での食材、大工仕事が豊富で、我が家も一気に衣替えを迎えたような気分である。
5月1日(金)晴れ 25 ℃
「山笑う」、いや「風薫る」だろうか。今日もお天気が良すぎるくらい、太陽がまぶしい。草木は日ごとに緑が濃くなり、まさに生命が躍っているかのようだ。シーン。ヒソヒソ。シーン。明日からGWが始まる精かもしれないが、今日の職場は、静かである。しかし、静か過ぎてはかえって居心地が悪く、不快に感じる面も多い。職場は今や「防音」から「加音」の時代でもあり、意識的に「静かなストレス」を和らげようと、会社ではBGMを流している。国は12月から社員50人以上の会社にストレスチェックを義務づけている。社員の心の健康に直結する職場環境の改善は急務となってきている。周囲を顧みれば確かに、電子メールの普及で電話が激減し、外の雨風の音も聞こえない状況になっている。次第に人が環境に気兼ねして、笑い声も議論も消えてきているような気がする。実は雑談が活発な方が業績も上がるとの事例もあるし、適度な音があるカフェの中の余談から妙案が生まれることも結構多く、なかなか捨て難い。「もの言わぬ」が「もの言えぬ」に転じないよう、不協和音も大切にしたいものである。そしてやはり職場ばかりでなく、家庭内でもコミニュケーションの大事さ、そして人と人のつながりもコミニュケーションが出発点であることをスタッフにも伝えていきたいと思う。それにしても今日は暑いなあ。。。