■2022 活動日誌8月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2022年8月28日 小雨/曇り
SDGs植野食堂 地産地消のふるさと駅弁つくり
7/1秋田内陸鉄道に乗り、旅行中に偶然に「乗り鉄・呑み鉄」でおなじみの六角精児さんにお会いした。その時のロケが27日午後2時からBSフジで放送された。題して「SDGs特別編 植野食堂 ふるさと駅弁作りの旅」です。
この番組では、雑誌「dancyu」の植野広生編集長が、地産地消のふるさと駅弁を開発するために、俳優の六角精児さんとともにローカル線の旅へ出かけます。2人が向かうのは秋田内陸縦貫鉄道(スマイルレール)。植野編集長と六角さんは、今年還暦を迎える1962年生まれの同い年とのこと。「食」と「鉄道」を愛する2人がタッグを組んだ男旅です。このコンビの絶妙な大人の呑み仲間のような会話が面白く、私のあこがれでもあります。番組内でも話題になるのですが、鉄道というのは、地球環境にやさしい交通手段なんですね。会社退職以降、電車に乗って一人旅をよくしていました。約10年でJR東日本の鉄道や第三セクタ運営の鉄道はすべて踏破しましたが、こうした呑み仲間同時で出かけ、車窓から風景を見ながら,そして一杯やる旅行は、まさしくあこがれです。植野編集長がこれまで「植野食堂」で学んだ「食」の技を生かし、地産地消の「駅弁」を作り上げ、環境にやさしい鉄道の中で食べてもらうなんて、いいことしかない企画でした。それにしても、秋田内陸縦貫鉄道(スマイルレール)は私自身3回目の乗車でした。秋田県の角館から鷹巣までの94.2キロを結ぶローカル線で車窓を見ているとたまらないですね。とにかく、山間の美しい車窓に癒やされます。ただ、赤字で存続の危機に陥っているそう。これは少しでもなんとかしたいものです。2人が沿線を旅しながら立ち寄る場所もまたいいんです。料理人さんや地元のお母さんたちとの心温まる出会いを通して、オリジナルのふるさと駅弁作りに試行錯誤します。完成した「植野食堂」特製の駅弁は2人の旅のスタイルが大きく反映されたものになっています。このお弁当を、地元の人が食べて喜んでいる様が実にいいんです。又、行きたくなりました。
2022年8月24日 晴れ
10度目の挑戦でついに白河の関を越えた!
「白河関(しらかわのせき)」は福島県白河市にかつてあった国境の関所だ。勿来関(なこそのせき)(福島県)、念珠関(ねずがせき)(鶴岡市)と並んで奥州三関の一つに数えられ、「みちのく」への入り口とされた。歌枕として有名で、俳聖芭蕉も句に詠んでいる。それが東北の球児の栄冠を阻む関所に擬(なぞら)えられて久しい。まだ東北にもたらされていない甲子園の優勝旗がついにやってきた。過去に夏の大会で決勝進出は9度ある。1915(大正4)年の秋田中に始まり、引き分け再試合の太田幸司、大越基、ダルビッシュ有、吉田ら各エースも涙をのんできた。2004年、ある飛行機で粋なアナウンスが流れたことがある。北海道行きの機内。「当機はただいま津軽海峡を越えました。優勝旗も初めて津軽海峡を越えました」。夏の甲子園で初優勝した駒大苫小牧の選手らが乗った“凱旋(がいせん)機”である。機内は拍手と祝福に包まれた。仙台育英は新幹線の中でそんな歓喜のアナウンスを聞いたのに違いない。「白河越え」がついに10度目の挑戦で達成できた。花巻東(岩手)の菊池雄星、大谷翔平の両選手ら東北で生まれ育った選手が米大リーグで活躍する姿も、少年たちの刺激になったはずだ。仙台育英の優勝はこうした流れを加速させ、東北の選手の意識をさらに高めていくだろう。そして、おじさんにも勇気をもらいました。ありがとう。
2022年8月19日 秋晴れ
「聞く・聴く・訊く」よりも傾聴が大事ではないがろうか!
朝夕はだいぶ涼しくなり、秋の気配を感じる場面も多くなってきた。かねがね疑問に思っていた事がある。岸田文雄首相が折に触れアピールしてきた「聞く力」のことである。コミュニケーションの要諦である聞き方は「聞く」「聴く」「訊く」の3通りとされる。首相の「聞く力」はどれに当てはまるのか、国民の声をどこまで政治に反映させようとしているのか、と。内閣改造後の会見で、首相は最重要課題について真っ先に「防衛力の抜本強化」を挙げた。一方、共同通信社の世論調査では国民が望む最優先課題は「物価高対策を含む経済対策」が約45%と最多だった。改造はベテランや政策通で固めたが党内への配慮は歴然だ。政策も党内保守派への配慮がうかがえる。旧統一教会を巡る問題で閣僚、副大臣、政務官と教団との関わりが出るは出るは次々に明らかになってきている。それだけ選挙目当てのお付き合いが続いているのだろう。安倍元総理の襲撃がなければ、こんなに表部隊にでてくることはなかっただろう。世論調査では、教団との関わりが「説明不足」という回答が約90%に上った。しかし首相は「政治家としての責任」と個人の対応に任せ、内閣や党の責任には触れない。首相は一昨年の自民党総裁選の際に「国民の声を聞く力を政治に取り戻す」と語っていた。「聞く力」が内向きに終始していては国民の納得、共感、信頼は得られまい。内向きの妥協と調整だけに追われ、聞く力の微塵も感じられず、かけ声だけで終わっている。政策実現のために、丁寧に説明を尽くし、合意形成を図る必要がある。国民の声を聞き流さず、心も傾ける「傾聴」こそ大事ではないだろうか。
2022年8月17日 晴れ/曇り
高校野球ブラバンの応援歌が楽しい!
名曲は、いつまでたっても色あせない。そんな思いを強くするのは、高校野球のブラスバンド応援を耳にした時だ。こちらが幼いころに親しんだ曲に合わせて、若者たちが目を輝かせている。高校野球もベスト8が決まり、東北からは
仙台育英(宮城)、聖光学院(福島)の2校が残り、明日からの激突が楽しみである。高校野球は準々決勝が一番面白く応援にも思わず力が入る。応援ソングでおなじみは「『狙いうち」(山本リンダ)「『海のトリトン』はイルカに乗った少年が主人公のアニメで…」、「『サンライズ』は元々、往年のプロレスラー、スタン・ハンセンの入場曲でしたね。曲が世に出たころの状況など知らなくても、若い世代は“今の曲”として親しんでいるようでうれしい。年の離れた彼らと同じ価値を共有したような気分になって、勝手に喜んでいる。かつてのヒット曲やアニメの主題歌がブラスバンド曲に生まれ変わり、甲子園のスタンドで鳴り響く。忘れられていく名曲も数多くある一方、ニーズに合わせてアレンジされ、寿命を延ばす曲もあるので応援ソングを思わず口ずさんでみたくなる。いずれにせよTVから2校に声援を送りたい。
2022年8月14日 晴れ/曇り
「やまない雨はない」がんばろう!
日照りが続いた後の恵みの雨のことを「喜雨(きう)」という。同じ読み方でも「鬼雨」と書く雨があることを倉嶋厚・原田稔編著「雨のことば辞典」で知った。鬼だけに、並外れて多く降る雨のことを言う。東北地方をはじめ、全国各地で、鬼の仕業かと思うような猛烈な降り方で思わず身を硬くしていまう。四季を通じ雨の多い日本。古来人々は、恵みも水害ももたらす雨と付き合いながら田畑を耕し、暮らしを営んできた。治水・治山の知恵や技術も蓄積された。それでも、鬼のように牙をむいた自然の脅威にはなすすべくもないことが身を染みて感じる。大雨による土砂崩れや浸水などの被害が、映像で広範囲に及んでいることが現実である。川の氾濫で浸水した家々を見るたびに心が痛む。収穫の秋を前に、水に漬かった稲田やリンゴなど農作物の被害の広がりも懸念されている。警戒が続く中、お盆の入った。本来なら先祖の霊を迎え、墓参りをしたり、久しぶりに顔を合わせた家族らと穏やかに過ごすときに、水浸しの家財道具を片付けたり、泥をかき出したりする住民らの心身の負担を考えると。。。。。 一方、復旧作業を支えるボランティアの活動が始まり、各地から駆け付けた有志らが被災した住宅の片付けなどに汗を流している。「やまない雨はない」という言葉もある。人の力は住民らを勇気付けたことだろう。
2022年8月11日 晴れ/曇り
最後に笑えばいいのではないか!
数字はたくさんの意味を持っている。スポーツは特にそうである。さまざまな数字に価値があり、上手下手の目安にもなる。ゴルフでは、100を切る2桁が一つの目標。逆に、ボウリングでは100点超えの3桁が最低限の目標。ゴルフを始めた時、「このスコアがボウリングなら胸を張れるのに」と思ったことが何度もあった。プロ野球ヤクルトの村上宗隆選手が先日、5打席連続本塁打という偉業を成し遂げた。今季はロッテの佐々木朗希投手が完全試合を達成した以外にも、ソフトバンクの東浜巨投手ら3人が、ノーヒット・ノーランを記録している。「投高打低」といわれる中での5打席連続本塁打はすごい。野球の記録といえば、イチローさんを思い出す。イチローさんはでも、「数字はもちろん大切だが、それが全てではない」と語っていた。村上選手は高校時代、甲子園には一度しか出場していない。甲子園ではむしろ、同学年の清宮幸太郎選手が脚光を浴びていた。村上選手も恐らく、悔しい思いを重ねてきただろう。逆に今、はがゆい思いをしている清宮選手が再び大活躍するかもしれない。一つの山から次の山に向かうには一度降りなければならない。つらくても、それが成長の糧にもなる。最後に笑えればそれでいいのではないか。人生は山あり谷あり。波乱万丈の人生の旅の過程も楽しむ余裕もほしいものである。
2022年8月9日 晴れ/曇り
花火に願いを込めて夜空に打ち上げた!
東北の夏祭りも終わりを迎えた。青森・弘前のねぶた・ねぷたは、収穫の秋を前に労働の妨げとなる睡魔を追い払うためネムノキの枝を水に流す「眠り流し」が由来という説がある。「ネブタノキ」の別名もある。憂いを帯びた花は淡紅色の雄しべが刷毛のようにふわふわと長く伸び、打ち上げ花火を連想させた。語源を調べてみるとなかなか面白い。花火は江戸時代に庶民にも広がり、隅田川で催された水神祭の打ち上げ花火は、飢饉や悪疫で命を落とした死者の霊を慰める鎮魂の意味合いがあったという。時代を越えて今、お盆がある夏場に大会が集中している。ネムノキを見かけると小学生の頃の夏休みの記憶がよみがえる。暑気が残る夕方から花が開いた。葉は夜に閉じ眠ったようになるのが名前の由来と聞いた。不思議な木があるものだと思った。昔、戦の武器に使われていた火薬が転用された花火はいわば平和である象徴と言えるのではないか。青森ねぶた、弘前ねぷたの最終日は「なぬかび」と呼ばれている。我が家でも庭で家庭用の花火を打ち上げた。平和、復興、終息…。人々の願いを乗せて小さな光の大輪が夜空を彩っている光景はまさに夏休みである。
2022年8月5日 曇り
仕事・人生の区切りを迎え「たくろう」を想う
筆者より少し上の世代は拓郎さんのファンが多い。知人の一人は飲み会でギターを片手に「拓郎ソング」をよく歌っていた。あの夏に聞いた歌は「ああ青春」という曲名だった。その知人に教えてもらった先月、拓郎さんをテレビで見た。76歳。テレビ出演はこの日が最後。音楽活動も年内で一線を退く意向という。定年制があるサラリーマンと違い、自営業や自由業は、いつまでも働ける。そう思いがちだが、生計を立てる苦労は会社勤めの比ではない。歌手という仕事も、曲が売れなければ食べていけない。自分が好きなもの、表現したいものを世間が好きになってくれるとも限らない。作家や画家など芸術家に共通する苦悩ではないだろうか。拓郎さんの活動は50年を超える。好きな歌手にはいつまでも歌ってほしいが、仕事にも人生にも締め切りがあり、区切りも必要とは思う。ひと時代、一世を風靡して惜しまれながらも潔く退く。今の日本の政治家にも言えることである。権力にしがみつき、権力を利用して生きる姿は哀れでもあるが、それを気づかない人間も多くいる。でも、あの砂浜で聞いたように、誰かの声で受け継がれる「青春の歌」そして軌跡を振り返る。心にも残る。人生は自分が決めることではあるが。。。。。。
2022年8月2日 曇り
セミの声を聴きながら、にぎやかな夏休みを待っている!
セミの声がにぎやかになってきた。「ヂィー」と機械音のように長く鳴く。姿は見えないが、やはりニイニイゼミだった。<閑(しづか)さや岩にしみ入る蝉の声>。松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出て山形の立石寺で詠んだのは、このセミといわれている。 昭和初期に「蝉の声」論争があった。歌人の斎藤茂吉がアブラゼミにこだわったのに対し、独文学者の小宮豊隆はニイニイゼミだと反論した。芭蕉が立石寺を訪れたのは新暦7月13日。現地調査の結果、確認されたセミの大半がニイニイゼミと分かり、茂吉は持論を取り下げた。茂吉は、アブラゼミが群れをなして「ジリジリジリ」とにぎやかに鳴く中、芭蕉が「閑さ」を感じ取ったと受け止めたのかもしれない。ニイニイゼミの声は小さすぎると。蝉時雨を体感しなければ得られない解釈ではないだろうか。子どもたちの理科離れが指摘されて久しい。もうじきやってくる孫にも、セミ体験そして虫とり体験をさせてやりたいと思う。知識を日常生活に応用して理解するプロセスをぜひとも田舎で体験してほしいと思う。コロナ禍に気を付けながら、うだるような暑い夏と同時ににぎやかな夏休みを楽しみにしている。4回目ワクチン接種による副作用(微熱、だるさ)が多少残っているが、一日もはやくクリアして、童心に帰って我が家の田舎の夏休みを楽しみたいと思う。