■2022 活動日誌9月■
季節の日々の移ろい、自然の中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴りました。皆さんのコメントをお寄せください。
2022年9月28日 晴れ
秋の七草とは。。。。
お天気に誘われて、家内と野草園へ出かけた。門前町より200段近くの階段を昇り野草園にたどり着いた。山の上は秋のすがすがしい空気が漂い、木々の紅葉も始まっていました。秋の七草とは、ハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウの、7つの“花”です。万葉集の8巻に、山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ和歌が2首あるのがもとになっていて、後に広く知られるようになりました。「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花」「萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) なでしこの花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)の花」。歌の内容は、「秋の野原で花を数えたらいい花が7種あったよ。これとこれと……」という、とても純朴で幸せそうなもの。この2つの歌が広く愛され、世に広まっていったようです。春の七草は七草粥にして無病息災を祈るものに対し、秋の七草は
その美しさを鑑賞して楽しむものなんですね。今後は散策、体力維持も兼ねて、近場の小さな小さな旅もいいもんですね。
2022年9月23日 小雨
荘厳な讃美歌が響き渡る英エリザベス女王国葬に思う!
9/19BBCで英エリザベス女王国葬をみた。荘厳な寺院の空間に清らかな賛美歌が響き渡る。赤、青、黄の王室旗で覆われた棺が衛兵に担がれ粛々と進む。世界中の要人や多くの国民に見送られて永遠の眠りについたエリザベス英女王の国葬は、国家の威信を内外に誇示する狙いが込められた行事と評されるだけあり、周到に準備された儀式の一つ一つに圧倒されながらテレビ映像に見入った。一方、安倍元首相を見送るわが国の国葬は4日後に迫ったが、世論が割れたまま準備が進む。岸田文雄首相は国会の閉会中審査で「行政権の範囲内」で行う儀式であるなど実施の根拠を説明したが、共同通信の世論調査では、国葬に反対姿勢の割合が約6割に上った。内閣支持率も急落、求心力の低下は否めない。「説明が足りない」と政権幹部は引き続き説明を尽くす姿勢を示すが、そこまで説明しなければ国民の理解を得られないとは、国葬の意義がかすんで見える。銃弾に倒れた安倍氏の死は確かに衝撃的で痛ましかった。だが死後に浮上した旧統一教会問題への対応のあいまいさが尾を引く。憲政史上最長期間、首相の重責を担い、外交面で実績を残したとされる政治的評価も一面でしかない。今となっては国民の十分な支持を得られない国葬で見送られる故人が気の毒にさえ思えてきた。
2022年9月19日 曇り
強力な台風14号がやってくる!
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉。平安時代の歌人、藤原敏行が立秋の頃に詠んだ歌とされる。残暑の中、秋の気配を感じさせた一陣の風は、もしかしたら台風の予兆だったかもしれない。目に見えない空気の動きをどう感じるか。微風は肌を使っていると思う。優しい空気の流れが触感として伝わる。強風、暴風は音でとらえる。日本の季節の変わり目はシベリア気団や小笠原気団など、四つの気団の勢力争いでもあるという。8、9月に台風襲来が多いのはそれも理由の一つではと、素人ながらに考えたりする。風は「大地の呼吸」、台風は「くしゃみ」のようなものと思う。大地の呼吸は季節の移ろいを感じさせるが、その息遣いは時に加減がきかず、容赦ない台風14号が九州に上陸し本州に向かい始めている。防災準備も怠りなくしたいと思っている。やはり、どんなに文明が発達しようと、人間が自然を超えることは難しいと改めて思う次第である。晴れ間にファーム手入れしていると2組の来客。。。。。いそがしい日々が続いている。
2022年9月15日 晴れ/曇り
訪日観光客の少なさにビックリ!
今日は旅行疲れもなく、体調も良さそうなので、早速畑の草刈りにいそしむ。草刈り機ハンマモアを使い1メートル近くまで伸びきった蕎麦畑の草を刈りこむ。伸びすぎて時々負荷がかかりすぎてエンストを起こすものの、何とか刈り終えた。久しぶりに草の匂いに包まれ、汗だくになりながらも爽快感を味わえた。草刈りしながら旅行のことを思い出したが、外国人の訪日観光の少なさにびっくりしている。観光地へ行けば必ず中国人をはじめとした東南アジアの観光客に全く出会わなかった。観光地は新型コロナウイルスで消滅した訪日客を、どこまで取り戻せるかが生きる道であることを肌で感じた。政府は入国者数の上限を1日当たり5万人に引き上げるなど、水際対策を緩和した。添乗員を伴わないパッケージツアーも解禁した。需要回復へ歓迎の声が上がる一方、個人旅行は認められないなど入国への壁はなお高い。経済効果も限定的との見方が強い。物価上昇などわれわれの生活を圧迫する円安は、訪日客にすれば割安に旅行ができるチャンス。その恩恵を、観光業界が十分に受けられないのも、もどかしい。水際対策の一層の緩和へ期待がかかるが、感染対策との両立に懸念も残る。でも東北・北海道ならではの食や文化、初秋の山並み、黄金色に色づく田んぼ・・・。楽しんでもらえたらいいのになあと思っている。
2022年9月14日 晴れ
月を眺めながらロマン飛行を夢見ている
旅行中、連日お天気に恵まれ気持ちのよい秋晴れが続いている。夜空に輝く月の模様は餅つきをするウサギに見立てられている。由来については諸説あるようだが、その一つに仏教説話があるらしい。昔、あるところにウサギとキツネとサルがいた。3匹は腹をすかせた老人と出会い、食べ物を集めて回った。キツネとサルは探してきたが、何も見つけられなかったウサギは「私を食べてください」と火の中に飛び込んだ。老人は帝釈天で、身をささげたウサギを哀れみ、月によみがえらせたという。地球からはいつも月の同じ側の表面が見える。世界の人はほぼ同じ模様を眺めているが、その見立ては国や地域によって違う。犬やライオン、本を読む老人などさまざまで、欧米では「女性の横顔」にもなぞらえるそうだ。英国のエリザベス女王の訃報に接し、女王の横顔を重ねる人もいるのではないだろうか。歴代君主として最長の約70年、国民のために生涯をささげ、絶大な人気と尊敬を集めた。96歳。高齢になっても強く、チャーミングな雰囲気を漂わせ、英国内にとどまらず世界の人々から慕われた。丸い大きな月を見上げると、日常のせわしさから離れ、気持ちが落ち着く。大切な人を思ったり、何かを願ったりと、いろいろの模様を浮かべながら、静かな秋の夜を過ごしている。
2022年9月9日 曇り/晴れ
地球は丸かったー500年前のマゼラン航海
旅行の紀行文が好きで、よく図書館に出かけ世界各地の紀行を眺めている。ある歴史と紀行の本が目に留まった。「地球は丸い」と最初に言ったのは、古代ギリシャの哲学者ピタゴラス。証明したのはポルトガルの航海者フェルディナンド・マゼラン。マゼランは1519年9月20日、5隻の船隊を率いてスペインを出発。南アメリカ大陸沿いに大西洋を南下し、後に「マゼラン海峡」と名付けられた海峡を発見し、太平洋に出た。太平洋を西に進み、フィリピンのセブ島に到着したマゼランは、現地住民と戦い、死去する。1521年4月27日のことだった。マゼランの死去後、一行はスペイン人のエルカーノの指揮で航海を続け、翌年5月、最大の難所である「喜望峰」を通過。500年前のの9月6日、スペインに帰港した。8万キロを超える世界一周の大航海は「地球球体説」の証明にもつながったが、出発の際に200人以上いた乗組員はわずか18人に減っていた。マゼラン海峡のほか、マゼランペンギン、マゼラン星雲などこの航海をきっかけに発見されたものは多い。何が待ち受けるか分からない航海で、乗組員を支えたのは使命感と責任感、何より「勇気」だったと思う。人生も航海のようなもの。苦しい時、500年前の勇気に学ぼたいものである。明日から北海道旅行へ出かける。お天気もよさそうで函館山から中秋の名月を眺められそうである。
2022年9月7日 曇り/雨
備忘録の大切さを痛感している!
PCやスマフォに頼るあまり、記憶力の衰えが加速したような気がする。難しい漢字を書けなくなったし、電話番号をすぐに思い出せない。本人確認のパスワードも多すぎて覚えきれない。備忘録の大切さを痛感する日々であり、ついついネットに頼る日々が続いている。「人間は忘れる動物である。忘れる以上に覚える事である」。旺文社の創業者赤尾好夫氏の言葉がある。学生時代に使った英語基本単語熟語集通称「赤尾の豆単」のしおりに書かれていた。忘れる以上に覚えられたかといえば、苦労した記憶しかない。物忘れが激しくなれば老化の始まりという。忘れることは記憶の裏返しであり、人間は忘れるからこそ悲しみや苦しみを乗り越え生きていけるともいう。忘れたことによる失態も人間の自然な姿と言えるのだろうか。それにしても旧統一教会との接点が明らかになった国会議員の弁明は目に余る。ある閣僚は「記憶にないし記録にもない」と物忘れのせいにした。別の閣僚は外国訪問のことを「明確に覚えていないが、報道を見る限り出席したと考えるのが自然だと思う」とまるで人ごとだった。漫才よろしく「惚(とぼ)けるな」と突っ込みを入れたくなる。時間がたてばお互い忘れてしまうと高をくくっているのではないだろうか。世の中には忘れていいこともあるが悪いこともある。政治家の一連の言動を次の選挙まで覚えていられるか。国民の記憶力も問われているような気がする。
2022年9月5日 霧雨/曇り
「二百十日」を迎えた!
9月1日は「二百十日」。立春から数えて210日目で、台風に襲われることが多い時季。農作物に被害を及ぼす心配もあり、油断しないように戒める「厄日」とされてきた。昨年はお盆に記録的な大雨に見舞われ、県内各地で家屋や農地、道路や河川などに被害が出た。今夏はこれまでのところ大きな被害はないが、台風11号の動きが気にかかる。そして「防災の日」でもあり、改めて防災・減災の意識を強めたい。
は稲の出穂期を迎えている。薄緑の穂がつき、実りの秋に向けて成熟していく。猛暑の中で、背丈を伸ばしてきた稲の頑張りは立派。今も残っているかどうかは分からないが、田んぼに酒を注いで感謝し、豊作を願う「田褒め」「作頼み」と呼ばれる風習が県内を含めて各地に伝わっていたという。稲の開花期にためる水は「花水」と呼ばれる。仏前に花を手向ける時の水と同じ呼び名。気象予報に頼ることもできなかった時代、昔の人は仏前で手を合わせるように祈りを込めてそう呼んだのではないだろうか。「田褒め」「作頼み」「花水」。自然と向き合い、その恵みに感謝して生きた謙虚な暮らしぶりが言葉からもうかがえる。進歩した科学技術の恩恵に囲まれた生活を送っているが、現代社会も自然の中にあることは忘れないようにしたいと思う。