■2014活動日誌9月■
季節の日々の移ろい、自然に中で感じたこと、後世へ伝えたいことなどを思ったままに綴ってみました。おつきあいください。
9月30日(火)晴れ
風が編み上げる筋雲の文様にも、秋の深まりを感じる季節。我が家で飲むコーヒーの香りが胸に染み、格別においしく感じる。昨日同様に、御嶽山噴火のニュースが続く。深田久弥が名著『日本百名山』で<厖大な頂上を支えるのに十分な根張りをもって、御嶽全体を均衡のとれた美しい山にしている>と書いたこの山独特の見事な斜線は秋空の下、紅葉に彩られているが、映像を見れば見るほど悲しくなる。その山頂付近は白い雪が積もったかののように火山灰で埋め尽くされている。信仰の山の変貌だ。信者が苦行に耐えて登った山は、道路や施設の整備で観光の山へと変わっていった。3000m級にして手軽に登れる山に変貌した。予期せぬ噴火とはいえ、想像を超えた自然の壮大な営みに、あらためて畏怖を感じざるを得ない。現在の中高年の登山者やおしゃれな山ガールをはじめとした登山ブームであるが、自然の猛威が警鐘を鳴らしているように思えた。
9月29日(月)晴れ
夏のような陽射しが注ぐ中、今回の旅行の地、長野県松本駅で新聞号外を受け取る。紅葉に包まれ、木々の赤や黄とがまぶしい秋の山を悲劇が襲った。9/27(土)11:52長野と岐阜にまたがる御嶽山(3067m)が噴火した。御嶽山はロープウエーで7合目まで上がることができる。3000m級とはいえ比較的登りやすい山だ。紅葉は見頃を迎えたばかりで、噴火した日は天気に恵まれ、土曜とあって大勢が訪れていた。インターネットの動画サイトに投稿された映像は噴火のすさまじさを見せつけた。「やばい」という声、逃げる登山者に黒い噴煙が襲い掛かる。その動画は降りつける灰のせいか、1分ほどで暗くなった。下山した人によると、大量の石が降って山小屋の屋根を突き破った。上空からの映像では山頂は何もかも灰に覆われていた。今回の噴火であらためて分かったのは予知の難しさだ。自然の猛威は時として人知を超える。それが東日本大震災で突き付けられた現実もあった。周辺に多くの火山があるにもかかわらず、鹿児島にある原発の再稼働を進める動きもある。「もっと自然に対して謙虚になれ」。噴煙を上げる御嶽山から、そんな声が響いてくるようだ。尚、今回の小さな旅は別途、整理し公開いたします。
9月24日(水)曇り 22℃
天高く食欲の秋となり、サンマ好きにはこたえられぬ日々がやって来た。近所のスーパーをのぞくと1尾150~200円近くまで落ち着いてきている。被災地・気仙沼の港が豊漁に沸いているニュースを聞くとうれしくなる。昔はサンマに青き蜜柑(みかん)の酸をしたたらせて食べたり、七輪の炭火をうちわであおいだりする光景が思い出される。今では、かんきつ類に大根おろしを添えて新米と一緒にほおばれば、それだけで幸せが口いっぱいに広がる。クジラやクロマグロ、ニホンウナギと和の食材に捕り過ぎ、食べ過ぎへの警告が相次いでいる。大衆魚の代表、サンマやサバ類も例外にあらずで、水産庁が資源管理のために、漁獲可能量の上限を毎年設定しているそうだ。サンマは江戸時代には下品な魚とされた。しかし庶民はそのうまさを知っていたから、殿様が「サンマは目黒に限る」という落語も生まれたらしい。マグロのトロはなくてもあまり支障ないが、サンマの塩焼きはそうはいかない。ありがたくいただく感謝の気持ちを振り掛けていただきまーす。
9月23日(火)秋分の日 晴れ 23℃
田畑を吹き抜ける風の音や夕暮れの早まり、そして樹木の日影の伸びにも秋の深まりを感じる季節となった。翻訳家、村岡花子の半生を描いたNHK朝の連ドラ『花子とアン』はいよいよ今週で終わる。花子の腹心の友である葉山蓮子の人生も波瀾万丈で、蓮子のモデルは大正、昭和の歌人柳原白蓮。役回りは準主役ながら人生の波瀾ぶりは主役をはるかに凌ぐ。白蓮の旧姓名は柳原燁子(あきこ)。大正天皇の生母柳原愛子の姪で天皇の従妹に当たる。父は柳原前光伯爵。華族の出でしかも大正3美人に挙げられた。才色兼備のお姫様だったが、2度の結婚生活は不遇で3度目は年下の帝大生との駆け落ち結婚だった。いわゆる「白蓮事件」で華族の身分を捨て世間を敵に回しての逃避行だった。
『白蓮れんれん』林真理子著の本を読むと、改めて竹久夢二が描く美人似のか弱き女性だが芯の強さは人一倍で、さすが右翼を敵にして恋に走った人である。秋の陽射しの中、川崎町で採れた「ひらたけ」「サトイモ」「マスカット」を手洗いしながらパートナーと柳原燁子の話題をしゃべりながら、昔の人の気丈夫さに感心した次第である。
9月22日(月)晴れ 23℃
釜房湖周辺の水田地帯は収穫の秋を迎えている。黄金色の稲穂がたわわに実る田んぼのあぜや傍らの水路の土手に、ヒガンバナの真っ赤な花びらが揺れている。毎秋、彼岸が近づくと、時をたがえずに一斉に開花する。きちょうめんさゆえに名付けられたのだろうか。この時期、毎年恒例のシルバー川柳が面白い。お気に入りの句を紹介してみます。
①老いは下から忍び寄る⇒「元酒豪今はシラフで千鳥足」「つまずいて足元見れば何もなし」 ②気力充実し、LEDの寿命にだって負けるわけにはいかない⇒「いびるなら遺言書きかえ倍返し」「LED絶対見てやる切れるとこ」 ③夢の万能細胞⇒「脳ボケにSTOP細胞ないかしら」
④多くの人も共感できる情景⇒「遺産分け位牌受け取る人はなし」「補聴器をはめた途端に嫁、無口」「鏡見て懐かしくなる母の顔」
秋のお彼岸の今の時期、墓参りでにぎわいを見せている。少子高齢化に伴いお墓の状況も変わりつつあるようだ。親族らが管理しなくてもよい永代供養墓や合葬墓が注目され、樹木や花壇の下に埋葬する共用型の樹木葬墓地も増えている。海や山への散骨、自然葬を望む人もいる。ようするに、遠い古里の墓所を持て余す個々の事情もあるようだ。ちょっとさびしい限りであるが、故人への配慮だけは欠かさないで続けてほしいと思う。
9月20日(土)晴れ 23℃
きょうは彼岸の入り。朝早く墓参りに出掛けた。空は抜けるように青く、道端のコスモスが、優しく風に揺れている。先祖に手を合わせて春は豊かな実りを祈り、秋は収穫に感謝する。ずっと受け継がれてきた日本ならではの信心。静かに対話しながら 良い香りのお線香が漂う。極楽浄土は西方はるかかなたにあるという。秋分の日には、太陽は真東から真西へ。東のこちら側の世界から、亡くなった人たちがいる西の彼岸へ、最も通じやすくなると言われている。今日はたくさんの栗をいただいたので、早速、栗むき器で皮をむくが、結構面倒で手が痛くなる。その後は、水に重曹を入れてあく抜きを3回繰り返した後、一晩、水につけておく。今日はここまでである。明日は砂糖で煮詰めて渋皮煮の完成である。結構、手間暇がかかるが甘くておいしい栗の風味のお菓子の出来上がり、明日の楽しみでもある。 今年の秋はブルーベリー、ブドウでジャムをつくったり、南部小麦でピザやおやきをつくったりと食欲の秋を満喫している。朝いちばんのお墓参りで何だか気持ちもあらたまる。秋の恵みを霊前に供えると、懐かしいあの顔この顔。田んぼの陰から、木陰から、多くの笑顔を向けてくれている気がする。さあ、また頑張ろう。
9月19日(金)晴れ 23℃
車のラジオでスコッチウイスキーの本場、スコットランドの独立住民投票の結果を気にしながら、鳴子温泉川渡にある東北大学農学研究科の附属複合生態フィールド教育研究センターへ向かう。秋晴れの中、黄金色の稲穂が陽に輝きまぶしい。このフィールドは農業・酪農をはじめとした研究場所で広さが利府町や塩釜市程度の面積を誇り、山手にある広大な牧場的な感じである。N教授の案内でバイオマス研究場所である牛舎等を訪れながら視察を行った。ここで発生した堆肥等のエネルギーは多彩な場面で活用されていることに改めて驚いた。スコッチウイスキーの誕生の経緯は18世紀初めにイングランドに統合され、英国の一部にされたが、課税強化などへの反感から、農民たちはウイスキーの密造に走り、木樽に入れて山奥に隠すようになる。その歳月がいつしか芳醇な酒に変え、この発見が伝統の熟成製法につながったようだ。このウイスキー同様に、この山間地の川渡で多くの研究成果を世界に発信してほしいと思う。さて住民投票の結果は反対で独立にはならなかったが、住民にとっては、今夜は美酒となるのか悪酒となるのか興味深い。
9月18日(木)晴れ 24℃
今、川崎町の農道を車を走らせると枝いっぱいに紅紫の可憐な花を咲かせた萩、馬など動物の尾に見立て尾花とも呼ばれるすすきが、風まかせに揺れている。もうじきやって来る紅葉本番をまるで手招きしているかのようである。そして金色に染まる稲穂とともに秋の序章から本章にページをめくる時季が到来している。今日はいただいたブドウでジャムつくりに挑戦してみた。甲州ぶどうは甘みが強く、そのまま、煮詰めただけでも甘みたっぷりのフルーテイなジャムができた。「馬上少年は過ぎ 世は平らぎて白髪多し 残躯は天の赦すところ 楽しまずんば是れ如何せん」。これは初代仙台藩主・伊達政宗の言葉だ。戦乱に次ぐ戦乱を乗り越え、平和になった今はすっかり老いてしまった。天がくれた残りの人生、大いに楽しむほかはないではないか、詠んでいる。私もいつか、この境地になり自然の恵み、自然の美しさを味わいながらゆっくりとした時計を歩んでいきたいと思う。
9月16日(火)晴れ 26℃
毎日楽しみにしていたNHKの連続テレビ小説「花子とアン」もいよいよ今月で終わる。9/29(月)からはどんな小説だろうかと調べてみると、タイトルは「マッサン」。国産ウイスキーを夢見て本場スコットランドに渡った男が、お嫁さんを連れて帰ってくる。ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝の妻リタがモデルである。そしてこのヒロインの郷里のスコットランドが今、世界の目が注がれている。英国からの独立を問う住民投票が18日に迫る。世論調査では賛成派が急伸し、反対派と拮抗している。英国本島の北部に位置するスコットランドはもとは独立国。今はイングランド、ウェールズ、北アイルランドと連合王国・英国を形成している。北海道とほぼ同じ面積に、英国全体の8%の約530万人が暮らしている。英国王を元首とする体制を維持し、北海油田からの収益の大半を歳入源と見込む豊かな新国家像を描いている。ウイスキー業界には独立後に新政府が財政難になり、ウイスキーへの課税を強めないかとの懸念もあるとか。スコッチは10~15年と熟成させておいしくなると言うが、独立の機は熟したのだろうか。国民が分断されたが、どちらに転んでも平穏に結果が受け入れられることを期待する。
9月15日(月)晴れ 24℃ 敬老の日
葉は緑だが稲穂はすっかり色づき、重く頭を垂れている。多くの田んぼは稲刈りに向けて黄金の輝きを増している。夏から秋へ、花々も移ろいを見せるゆきあいの空の下、山形では昨日、恒例の芋煮会フェスティバルが開催された。重機を使っているが、調理用に改造した新品で、潤滑油を全て洗い落としてから、代わりにマーガリンなど食用油脂を使い、衛生面には大変気を使っているらしい。今日は友人Oさんと山形蕎麦巡りに出かけた。秋晴れの爽やかな日和に恵まれ、一路大石田町の次年子地区の「七兵衛蕎麦」(十割)へ。ところが大変の混みようで73番待ちとのこと。時間もないことより、断念して今度は来迎寺田沢地区の「なんば」(十一割)へ、ここでも本日の最終であったが打ち立て・あげたての板蕎麦をいただく。とにかく山形の板蕎麦はうまい。ご主人のこだわりの蕎麦は絶品である。来月には新蕎麦も出回り、蕎麦好きにはたまらない食欲の秋の到来である。おみやげに大石田千本だんご、東根のリンゴを購入した。山形はまさに食の王国であることを実感した。川崎よりも近く今度は山形で大いに食を堪能したい。
9月13日(土)晴れ(小雨)25℃
今日は朝から爽やかな秋空に包まれ、蔵王の山並みは多少、雲はかかっているが空の群青、街を吹き抜ける涼風、そして虫の調べにも秋の深まりを感じる。毎週土曜日の朝はラジオ番組の投稿から始まり、朝のファーム作業をしながら投稿の放送を楽しみにスタートする。そして今日の楽しみは定禅寺ストリートJazzFessである。この時季は月が冴え渡り、月光が心の奥にまで忍び寄り、音楽と何となくマッチングする気がする。パンフレットを片手にパートナーといそいそとスイングする街角へ出かけた。友人も実行委員会事務局をつとめ激励も兼ねて訪れた。仙台駅前から定禅寺通りまでのいたる街角をステージにして多くのバンドが音楽を楽しんでいる。これも文化の発信で人の心を揺さぶる素晴らしきメッセージである。あらゆるジャンルの音楽が融合し街にやさしい自由なストリートジャズが、いつまでも人に感動を与え続けてくれることを願う。そして天空の月は十五夜、十六夜、立待月、居待月、寝待月…と続く。夜空に浮かんだゆず色の真ん円い月に、しばし見とれていたいものである。
9月11日(木)雨 22℃
乗っ取られた旅客機が米国世界貿易センタービルに突っ込んでいく。映画と見紛う衝撃的な映像は今も脳裏に焼き付いている。9.11。約3千人が犠牲となった米中枢同時テロからきょうで13年。私は米国出張中での出来事でDCワシントンのダレス空港からサンデイエゴへ向かうため空港のロビーで待機しているところであった。今、米国では飛行機内での乗客同士のトラブルが続いている。機内で、座席を倒そうとした女性と後ろの席の男性がけんかし、緊急着陸する事態にまで発展した。別の飛行機でも女性2人が座席の倒し方をめぐって口論となり、大声で騒いだ1人が降ろされている。はっきりと自己主張する国民性故の出来事だろうか。日本では、列車の車内などで「座席を倒していいですか」と後ろの客に一声掛ける人をよく見掛ける。「どうぞどうぞ」「ありがとうございます」。そんなやりとりが続いて周りの空気が温かくなる。世の中は、お互いのちょっとした心遣いで暮らしやすくなる。社会は乗り合いバスのようなものだ。思いやりと譲り合いの心が、人生という旅を味わい深く、豊かにすると思う。
9月8日(月)晴れ 25℃
今夜は「中秋の名月」。「十五夜」に団子と秋の七草をそなえるお月見は、古くからの習わしだ。旧暦の8月15日と決まっているため、毎年日にちが変わる。9月の中下旬が多いが、今年は2000年以降では最も早い名月を愛でる日になった。そして、きょうは二十四節気の「白露」でもある。夜の気温が下がって露が白く結ぶころとされる。庭や道端の木々の葉や草に朝露がついた光景は涼気を感じさせ、秋の訪れを告げている。中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれる。農村で里芋を主な収穫物にしていた名残という。異常気象と災害に泣いた夏だが、秋の色が濃さを増す毎に、近くの田んぼでは稲穂がこうべを垂れ、夕日を受けて黄金に輝いている。そして我が家でも十五夜さんにお月見セットをお供えし、実りある秋の収穫に感謝しながら月をめでる一夜にしたい。
9月7日(日)晴れ 25℃
やっと陽射しが戻り、倉庫や薪棚廻りを片づけていると、この雨で縁側の木の塗装が色褪せているのが目立ち始めた。早速、陽気に誘われてペンキ塗りを始めた。マスキングテープで周りをカバーしながら、「ケヤキ」カラーをローラーで塗り始めた。先日、室内の床も同じく仕上げ、多少は塗装のコツがわかってきた。水性液でもあるので、この陽射しと吹き抜ける風で30分~1時間で乾燥してしまうので終わった後はほっとする。そして夜のとばりが落ちると、星空を見上げるとほっとする。神話の神様、人物、動物たちの星座が浮かび上がり、想像の世界へと誘われる。宇宙空間に神秘的な光を宿して星がまたたく。最近、スマートフォン用の星座表アプリを見つけて使ってみた。GPS機能を利用し、空に向けて掲げると星座の位置と名前を表示する。星空散歩の便利な案内役になってくれる。その中にちょうど頭の真上に天の川と重なって白鳥座が見える。こと座、わし座とともに、それぞれの首星が結ぶのが「夏の大三角」。カシオペア座は北の空で印象的な形が目を引きつける。今までは星座に関しては無頓着であったが、この星座アプリで夜空を楽しんでみたいと思う。
9月6日(土)晴れ 29℃
山形と言えば蕎麦である。所用で山形白鷹に出かけ、その帰りに蕎麦の隠れ家的存在の「くま屋」を訪れた。メニューは”もりそば”だけで白鷹のそば100%の十割蕎麦。きりっと固めであるが甘みが何とも言えずうまい。本当に山形は蕎麦のおいしいお店が多く楽しみのひとつでもある。ドライブの楽しみと言えば道の駅がある。ドライバーのためだけでなく、地域振興の核として成功している例は多い。産直や温泉、展望台を併設するなど地域それぞれが工夫を凝らしている。我が家でも小麦栽培より「こだわりうどん(製麺)」「小麦粉(南部小麦)」、ブルーベリーから「悠々ジャム」を作ってみた。そして無農薬の安心・安全の野菜もある。こうした商品は地域独自性をもたせ、地域から発信していく活動のひとつの手でもある。道の駅は地域の防災拠点としても期待され、伸びしろはまだまだありそうだ。人口減対策として政府は「地方創生」を声高に叫ぶが、肝心の中身はまだよく見えない。大言壮語ではなく、まずは道の駅のように地域が主体的に活躍できる地盤を固めてもらいたいと思う。
9月4日(木)曇り 23℃
二百十日を過ぎて夏の風が通り過ぎたそのあとを足早に秋が駆けてくる。行く夏、来る秋。それぞれの秋。夕空や木々の彩りだけでなく、道行く人の装いさえも微妙に変わってきている。街中が毎日色を変えていくようである。あんなに暑い夏だったのにと、もう過去形のようである。今日は二人の後輩の第二の職場を訪れた。一人はN病院事務職。一人はT情報通信業者。サラリーマン生活の延長であるが、今までと仕事の違いからの戸惑い、物足りなさ、気楽さと、社会組織の複雑も絡んでいるが結構割り切って生活しているようである。次の人生目標は?次は何をやりたい? まだまだ人生はこれからと激励しながらも、私の田舎暮らしをうらやましいと言う。一度きりの人生、最後は自分で決めなきゃ!!と得意げに言い聞かせた。九月と言えば、太田裕美さんの歌に「九月の雨」がある。♪季節にあせない心があれば/ひとってどんなに幸せかしら…。この夏の暑さと激しい雨。今年の雨は多くの災害をもたらした。九月は台風シーズンでもあるが、せめてこの九月は、やさしい雨であってほしい。
9月3日(水)曇り 22℃
朝夕はめっきり涼しくなり、山里ではススキが白く波打っている。今日の空は陽射しが差したり、どんよりとした雲がたちこめたりと不安定な天気である。晩夏と初秋が同居する「ゆきあいの空」の様相である。今日、小麦粉と製麺(うどん)が届いた。今年の収穫量は昨年の半分程度であるが、この収穫した自然の恵みが手元に届くと、不思議なもので、あの暑い作業での刈り取りや脱穀の大変さも忘れてしまい、うれしくなってくる。あるNHKBSの旅番組で、俳優の火野正平さんが、時々つぶやく。「人生、下り坂最高」。自転車で全国を回りながら、峠道を下る場面で口にすることが多い。苦しい上り坂から解放された爽快感が漂うのではないだろうか。この感覚と似ているような気がする。早速、パートナーは小麦粉とブルーベリーで、お菓子「マフィン」、おやつの「ケークサレ(玉ねぎ、チーズ、ソーセージ、卵、牛乳、塩)を作る。ホクホクの小麦の香りが口の中に充満し、これぞ自然の醍醐味そして自然の恵みの味であると思わず微笑んでしまった。
9月2日(火)曇り 24℃
9月の暦を見ると、空の季節である。「天高く馬肥ゆる秋」には少し早いが、中秋の名月・十五夜(8日)が近い。すっきり晴れてほしい。そのほかには、7月の「海の日」と対をなす「空の日」(20日)がある。航空への理解と関心を高めてもらう日だ。戦前に日本の発展を願って設けられた「航空日」に由来する。今では「宇宙の日」(12日)もある。日本人の宇宙初飛行は1990年12月に秋山豊寛さんが旧ソ連船で達成。続いて1992年に毛利衛さんが日本人として初めてスペースシャトルに搭乗した日が9月12日だった。夕暮れの仙台街中の空は晴れ渡ってきている。今日は東京U会社の社長との会食である。東京市場そしてIT業界動向を含め、会話の中に懐かしい言葉や人の名前が出てくる。昔のビジネス界に戻ったような場面が頭の中でちょっとよみがえる。体がよくなったらまた、誘われてはいるが、もう戻りたいとは思わなくなってきている。今ではどっぷり田舎暮らしにつかり、その良さをアピールしながら、お酒のホロ酔い加減も手伝って、得意になって話している自分がそこにいるのを気づいた次第である。
9月1日(月)曇り 24℃
秋の気配が漂い始めたが、まだ夏の余韻に浸っている。今日は「防災の日」。そして春分の日から数えて二百十日。広島の災害から間もなく2週間。避難勧告が解かれた所もあるが、避難所に残る人もまだ多い。思うに任せない復旧作業の一方で、連日さまざまな形での被災者支援の様子も伝えられる。ボランテイアの人達が「僕たちにできること」と言って集まってきている。感心させられたことがいくつもある。例えば段ボールの簡易ベッド。プライバシー保護の衝立はもちろん、一緒に取り付けた小物入れに作り手の心遣いを感じた。家財道具の泥の拭き取りにはこれが必要と、タオルだけを集めた団体もある。手書きの壁新聞を作って被災者を勇気づけた女の子たちは東日本大震災から学んだのだろう。つらい毎日に少しでも笑顔をと特技のマジックを披露した男性もいた。各自が考え、工夫して数々の温かい手を差し伸べる。避難所のそんな風景に、日本人は随分、ボランテイア活動が板についてきたと思う。きっかけはやはり3年半前の出来事だろう。3・11が残したのは決して多くの悲しみだけではない。災害への備えと共に「自分のできること」をあらためて考えたい日でもある。